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新数学人集団(SSS)の時代 ノート42 「ヴェイユの印象」の続き

ヴェイユは「人生は数学ではない。常に妥協が必要だ」という考えの人で、常識のある社会人だというのが谷山さんの所見です。常識というのは、「現実を現実として認め、そのまま受け入れる妥協の精神」ですが、ヴェイユは妥協するときに黙っていることはないため、その叫びが誤解を招くのであろうというのでした。SSSとの対話の際のヴェイユの発言などを見ると、谷山さんの言うとおりなのだろうと思います。数学については、「ガウスのように始めよ」というアドバイスや、アイデアとは何かと問われて、フォックステリアの比喩を持ち出して応じる様子などを見ると、「もとの問題」への道をさえぎる「理論」の壁をやすやすと超越しているような印象があります。この問題はSSSを悩ましていたことで、これを克服するために共同研究が提唱されたほどですから、ヴェイユの言葉は大きな衝撃をもって受けとめられたことと思われます。
 ヴェイユから学んだこととして、アイデアを明確に提出し(正確に定式化することではない)、それを具体的に根拠づけるという討論形式を谷山さんは挙げています。アイデアの根拠づけというのは何を指してそう言っているのか、これだけではよくわかりませんが、ヴェイユのやり方を見ると、ヴェイユの言うアイデアの根拠づけというのは19世紀の数学者たち(正確には第一次大戦前と言うべきでしょうか)の思索から出発するということのような印象があります。ヴェイユはそんなふうに数学をやってきた人でした。というよりも、むしろヴェイユはそのようにして今日の数学を新たに創造しようとしたというほうが正確なのかもしれませんし、さらに考えていくと、そのように思えるのは、第一次大戦以前に成立した数学が戦争の影響を大きく受けて崩壊したように見えることも関係がありそうです。
 谷山さんの言葉を続けると、谷山さんは、

≪アイデアは時として、目に見えるなんらの根拠もなしに、「無から」生ずることもある。そのようなものは、遂に彼の網にはかからぬのであろうか。≫

と、注目に値する所見を表明しています。数学のアイデアが無から生じることは確かにあります。何もない場所からアイデアを取り出した人を回想すると、ガウスがそうでしたし、アーベルもそうでした。稀有の出来事ではありますが、いろいろな事例があれこれと念頭に浮かびます。谷山さんの目には、そのような「無から生じるアイデア」はヴェイユの網にはかからないであろうと映じたようですが、思えば恐るべき指摘ですし、数学者としての谷山さんを考えていくうえで何かしら重要なことが示唆されているように思います。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート41 谷山さんの「ヴェイユの印象」より

アイデアを定義することはできませんが、アイデアはアイデアに値する人にのみ浮かぶとか、「才能だけではだめで、持ちこたえ、努力を続けていくことのできる性格の力も必要なのだ」とか、ヴェイユの言葉はいかにも力強く耳に響きます。
 SSSとヴェイユとの会話はまだ続きますが、だんだん四方山話のようになっていきました。レストランが閉まる時間になるまで話を続け、それからA、S、Tの3人がホテルまでヴェイユを送っていくことになりました。その途中でも話し続け、ホテルに着くと、今度はホテルのバーの一隅でまた話を続けて深夜12時ころに及びました。最後にお別れしてホテルを出ると、3人ともくたくたに疲れ切り、冷たい夜風が心地よかったということです。ヴェイユは10月25日の火曜日に、午後9時半の飛行機で羽田を発ちました。
 SSSは来日した外国人数学者と積極的に語り合おうとして、さかんに集会を重ねました。9月5日はまだ開会式も行われていないにもかかわらず、セールを囲んで座談会を開きました。東大学士会館で5時から7時まで。41名の出席がありました。9月15日にはラマナタンを囲んで座談会。場所は東京工業大学の一室。4時から5時まで。出席者は50名。9月22日にはドイリングを囲む座談会。場所は東京新橋の蔵前工業会館。5時から7時まで。出席者数の記録はありません。9月23日はブラウワーとネロンを囲む座談会というよりも交歓会。午後5時から東京第二丸ビル地下のレストラン「ポールスター(pole star)」でビアパーティを開き、そこに招待するという恰好でした。シュバレーも招待したのですが、シュバレーは病気になったようで、早々に帰国したため参加できませんでした。38名の出席者がありました。9月28日はアルティンを囲む座談会。アルティンを招いて遠足を計画したのですが、雨のため中止とオイラーなり、座談会に切り替えました。場所は東大教養学部の職員集会所。18名の出席者がありました。
 これらの座談会や交歓会の記録は『月報』に記載されていますが、ヴェイユ以外の人たちとの座談会は雑談の域を出ず、どうもおもしろみに欠けています。というよりもヴェイユだけがやはり特別の人物で、SSSに及ぼした衝撃ということを考えてもあまりにも巨大でした。
 日本数学会の機関誌『数学』の第7巻、第4号に谷山さんのエッセイ「A.Weilの印象」が掲載されています。書き出しの数行は次のとおりです。

≪冷い風と雨の吹き付ける夜の羽田からWeilの乗った日航機が飛立つたとき、これで遂にサヨナラだと思つた。実際、彼が日本にいると考えただけで、僕等は何となく落着けなくなるのだった。彼の与えた印象は、余りにも強過ぎたのである。≫

以下、摘記してみます。

・ヴェイユの数学上の活動は多方面にわたっているが、その方法も多様である。埋もれた多くのアイデアの発掘、新しい概念の構成による時の大問題への挑戦(もちろん常に成功とはいえないが)、多くの実験による新しい事実の発見ないしそれ自身の法則性をもつ関数の育成など。ひとくちに理論家といっても、その幅はきわめて広い。
・だが、ヴェイユの才とエネルギーをもってしても、数学全般に、あるいは芸術全般に精通することは不可能であろう。彼の理論がときとしてきわめて常識的、皮相的になるとしてもやむをえない。
・そもそも彼は豊富な常識の持ち主なのだ。≪この‘特異なる性格’、‘我儘で附合いにくい天才’が、人の及ばぬ高みに、深く澄んだ自由の空気を呼吸しながら掴つている氷河から離れて、忽ちにして常識円満な社会人となるのを、僕は何度か見た。≫

 ヴェイユの衝撃に耐えながらヴェイユを語り続ける谷山さんの言葉が続きます。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート40 数学のアイデアとフォックス・テリア

ヴェイユは座談会の間にさかんにお菓子をつまみ、サンドイッチも食べたりしたのですが、まだ食べ足りないというので、座談会の終了後、みなで出かけました。座談会そのものは共同研究をめぐる論議で終了したのでしょう。意見はかみあわず、もっぱらヴェイユの大演説を拝聴する集まりになったという印象があります。
 本郷の喫茶店はどれもせますぎました。それでぞろぞろとお茶の水まで歩き、あるレストランに落ち着いて、ビールを飲みながら話を続けました。

SSS
あなたは物理学に興味をもっているか。
ヴェイユ
全然もっていない。私には物理学は理解できない。
SSS
フランスの応用数学が不振なのは?
ヴェイユ
それはフランスの教育制度の欠陥のためだ。昔はフーリエをはじめすぐれた応用数学者がいたが、現在の制度では応用数学が発展することは望めない。もし制度が変ればまた発展するだろう。
SSS
数学には芸術と似たところがあると思わないか。私は絵に興味をもっているのだが。
ヴェイユ
似たところがあるどころではない。数学もひとつの芸術なのだ。
SSS
絵画におけるアブストラクトと数学のアブストラクトは関係があると思う。
ヴェイユ
名前が同じという以外に共通なものは何もない。私は両方について話すことは好きだが、いっしょにはできない。
SSS
あなたはさかんにアイデアというが、アイデアとはいったい何だ。
ヴェイユ
アイデアを定義することはできない。ちょうどフォックス・テリアにねずみは何かと聞くようなもので、彼はねずみを定義することはできないが、においをかげばわかる。アイデアも、論文の中から嗅ぎ出すことができるものなのだ。人によって上手、下手はあるが。
SSS
他人の仕事をフォローした論文の中にもアイデアはあるのか。あなたは以前、小平(邦彦)はホッジの仕事をフォローしていたと言ったそうだが。
ヴェイユ
これはフォックス・テリアの問題で、場合により違う。たとえばガロアの研究の萌芽はラグランジュやその他の人の中に見られ、彼はそれをフォローしたとも言えるのだが、どんな貧弱なフォックス・テリアでも彼の論文の中に非常にすぐれたアイデアを嗅ぎ分けることができる。
 一方、小平の調和積分についての最初の大きな論文はホッジの研究をフォローしたものだが、そこにあるのは巧妙なテクニックだけで、自分はその中にどんなアイデアも嗅ぐことはできない。

 アイデアとは何かと問われて、ヴェイユは「フォックス・テリアにねずみは何かと聞くようなものだ」とおもしろいたとえを持ち出して応じました。答えているとは言えませんが、答えることのできない問いでもあり、数学は論理や言葉を超越した場所から生れてくると言いたいのでしょう。

SSS
アイデアはどんな人に浮かぶのか。
ヴェイユ
アイデアに値する人にだ。それに値する人とは、アイデアなしに長い間研究を続けることに耐える秘訣を心得た人だ。
 アイデアはインスピレーションのように浮かんでくるものではない。ボレルがよい例で、彼は若いころ天才だと思われていたので、アイデアがインスピレーションのように浮んでくるものと思ってあまり努力せずにそれを待っていたので、結局たいしたことはできなかった。
 だから才能だけではだめで、持ちこたえ、努力を続けていくことのできる性格の力も必要なのだ。また環境も重要だろう。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート39 アイデア個人からのみ生れる

日本には数学の伝統がないから共同研究が必要だというSSSの主張に対し、ヴェイユはガウスやヤコビの例を挙げて応じました。共同研究の意義を一蹴し、数学はひとりでやるものだと言っているかのような発言でした。
伝統の問題に続いて、国際会議の招待者の問題が話題にのぼりましたが、これは盛り上がりを見せませんでした。共同研究をめぐる議論ではSSSとヴェイユの考えは正反対でした。

SSS
20世紀数学の特殊性はいろいろあるが、そのひとつは、数学が細かく専門に分れたため、そのすべてを知ることが不可能になり、共同研究が不可避的になったことであると思う。

話の糸口として持ち出されただけのことで、だれもがそれはそうだと言いそうな発言ですが、ヴェイユは言下に否定しました。

ヴェイユ
そんなことはない。今でもシュヴァレーやデュドンネは数学全般に通じている。
SSS
しかしそれは彼らが全体にわたって指導性を持っているか否かとは別だろう。
ヴェイユ
もちろんそれは別問題だ。だが、20世紀数学も、19世紀またはそれ以前の数学と本質的には変ってはいないことはきわめてたしかだ。アポロニウスのころの本を読んでみれば、その当時の学生も現在と同じく、数学は相互に関連のない多くの部門に分れていて、そのすべてに通じることは不可能だと思ったに違いないことがわかる。
SSS
だが、われわれは共同研究が必要だと思っている。そこでブルバキの例を聞きたい。
ヴェイユ
第一に注意することは、ブルバキの目的はブルバキ(教科書)を書くことで、だから本を書かなければ辞めてもらうことになっている。共同研究が目的なのではない。
 次にアイデアは個人の中からしか生れない。ブルバキの集りで、共同で何かのアイデアが生れることがあり、そのときはみな興奮するが、あとになってみると非常に小さいアイデアでしかない。それさえも共同で生れることは非常にまれなことなのだ。
 だがアイデアは孤立しているとなくなってしまう恐れがある。そんなとき、みなに話していれば、その雰囲気の中で自然に育っていく。
SSS
それも協力の成果ではないか。
ヴェイユ
そうではない。アイデアが人に話せるくらいにまで成熟するためには、場合により違うが、普通、数箇月から数年の間、個人の中で育まれていかなければならないものだ。これはまったくその人だけの問題だ。
SSS
我々はその後の発展をも共同研究の成果と呼びたい。
ヴェイユ
非常に明らかなことは、よいアイデアとか、新しい事実の発見とかは個人からしか生れないということだ。もし共同でそのようなことができたら至急電報で知らせてほしい。そんな驚くべきニュースに対しては電報代など安いものだ。
SSS
さっきブルバキは本を書くための団体だと言ったが、ブルバキに入っていればいろいろ目にみえない利益があるのではないか。
ヴェイユ
もちろんそうだ。たとえば最初は数学全体に通じていたのは私とシュバレーだけだったが、今では全員、たいていのものに通じるようになった。その他、有益なことがいろいろある。
 君たちは共同研究に非常に熱意をもっているように見えるから注意しておくが、共同で何かやるときは一種のテクニックが必要だ。ブルバキは共同で本を書くテクニックを発見したので、それ以後はそれに従ってうまくやっている。ただひとつ、共同でアイデアを生むテクニックだけは存在しない。
 最後に共同研究に対する忠告をひとつ。
 まずover organaizeしすぎないこと。
 次に、つねに、あらゆる種類の失望に対し備えていなければならないこと。失望は共同研究の一部分であると考えるべきである。
 第三にアイデアは集団から生れるのではなく個人から生れるということだ。
 このようなことに注意すれば、共同の成果はすばらしいものになるだろう。

 ヴェイユは、数学のアイデアは個人から生れると主張してとうとうゆずりませんでした。共同研究にこだわるのはSSSの当初からの際立った傾向だったのですが、何か深い理由がありそうでもありますし、し、注視していきたいと思います。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート38 座談会

ヴェイユのお説教が終らないうちに座談会の会場に到着し、帝国を20分ほど遅れてヴェイユを囲む座談会が始まりました。

SSS
われわれは先日の共同コミュニケに感謝しているが、その主旨を詳しく聞きたい。(註。ヴェイユをはじめ、来日した9名の外国人数学者が連名で所見を表明しました。英語の原文とその訳文が『月報』第3巻、第2号に掲載されています。)
ヴェイユ
あれは一般社会ならびに政府に対するものであって、その主旨は数学者の給料をあげろということだ。
SSS
われわれは少し別な解釈をしていた。経済的問題も重要だが、日本に帰ってきている人もいるし、物理のようにほとんどみな帰ってきているところもある。これはモラルの問題だと思う。
ヴェイユ
すべての人に英雄になるように要求することはできない。ある種の人びとには高いモラルを抱かせることはできない。また一方、経済的欠乏の中でもよい仕事のできる人もいるし、余裕がないと何もできないタイプの人もいる。だからすべての人に同じことを要求することはできない。それにモラルといっても、自分の仕事に相応しいだけの給料をもらっていると感じられないとき、モラルがかんたんに生れてくるはずはないではないか。
 一時フランスでも同様のことが問題になり、旅券の期限を制限することにより調整しようとしたが、正直な人にはむやみに煩雑で、ずるいやつは結局抜け道を見つけるから何の役にも立たなかった。しかしフランスでの現象は一時的で、現在は正常にもどっている。
SSS
しかしあなたの見落としている点がある。彼らは日本の大学からも給料をもらっているから後任を入れるわけにはいかない。彼らは給料をもらいながら講義も指導もしないのだ。
ヴェイユ
君たちはアメリカにいる日本の数学者について誇張された考えをもっている。彼らの中のある人びとは真にすぐれた数学者だが、その人たちが日本に帰ってもどれだけ君たちの役に立つか疑問だ。それにかんたんな質疑応答なら航空便で片が付く。
SSS
しかし日本には数学の伝統があまりないから、いろいろ困ることもあると思う。(以下ニ三の押し問答の後に)
ヴェイユ
君たちのいうことを聞いていると、君たちはみなリーダーシップ・コンプレックスを持っているのではないかと思われてきた。今まで日本では上の人に従うのが美徳とされていると聞いていたが、SSSはそうではないと思っていた。ところが実はSSSもその例にもれず、君たちはただただ現在の先生には何か神秘的な理由のため服従できないが、ひとたび有力な指導者が現れれば、それに従うことにより万事うまくいくと考えているように思われる。

 このヴェイユの発言はSSSにとっては心外だったようで、この箇所に、「このへんわれわれの趣旨がよく通じなかった」と書き添えられています。こうして読み返してみてもSSSの言いたいことはどうもわかりにくいのですが、たとえばブルバキの草創期を考えてみると、ブルバキにはガストン・ジュリアという指導者がいて、ジュリアのもとで仲間が集まってセミナーをやるという形で始まりました。ジュリアは指導者というよりもむしろ少し年長の理解者というべきで、ヴェイユたちが集まって何事かを始めようとするのを見守るというふうでした。SSSの人たちもジュリアのような先生を望んでいたのではないかと思います。
 続いて話題は伝統ということに移ります。

SSS
ボロボロの役割をどう思うか。
ヴェイユ
程度の高い講義やセミナリーに出席するだけでも十分意義がある。いつかジーゲルが天体力学の講義をしたとき、学生がひとりもいなくなったことがあったが、これではよい講義も長続きしない。さらに自分で何か論文でも書けるようになれば一番よい。
 だいたい19世紀はじめまで数学者は孤立して仕事をしていた。たとえばガウスは自分の研究についてほとんど人に話さなかった。しかしヤコビはひとりではいられない性質だったが、彼のまわりには数学者はひとりもいなかったので、彼は自分といっしょに研究すべき数学者を自分で育て上げねばならなかった。これがドイツの大学におけるセミナリーの発端で、それ以後、数学は大勢でやるものになった。
 SSSは君たちの独特な組織だが、第一次大戦後、エコール・ノルマルに起きた動きが実を結べば、今のSSSのようになったかもしれない。
SSS
その会について聞きたい。
ヴェイユ
会などできなかったのだ。エコール・ノルマルの生徒はみなアナーキスティックな傾向(政治的な意味ではなく)が強くてまとまることができない。
SSS
日本には伝統が少ないからまとまってやることが必要なのだ。
ヴェイユ
君たちは伝統、伝統というが、あまり重視するのはよくない。ガウスが数学を始めたとき、ドイツには伝統どころか数学さえもなかったのだ。その後、リーマン、デデキントが来たとき、ゲッチンゲンにはガウスがいたが、彼は他人と話さなかったのでやはり何もないのと同じだった。リーマンは若くして死に、デデキントは他に転じたので、再びゲッチンゲンには何もなくなってしまった。いわゆるゲッチンゲンの伝統ができたのは1880年ころ、クラインの世代からで、君たちとそんなに違わない。
 しかし数学的雰囲気もたいせつだ。私は若いころネーターのところにいたが、あまりまとまったものも得られず、多少失望して帰ってきた。しかし後になってみると、そのときいろいろな数学の述語が話されるのを聞いていただけでも非常に有効であったということがわかった。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート37 池の端の散歩の続き

 ヴェイユの話を続けます。

ヴェイユ(続)
裁判制度はどうしても必要な制度だが、それがある限りある程度の誤判は避けられない。一般に、ある制度の欠陥を完全になくそうとすると非常に多くの努力が必要になり、得られるべきその成果に釣り合わない。しかし制度が非常に悪くなって、弊害が続出するようになったら改革が必要になる。(土)の場合にも弊害と努力とを秤にかけて考えなければならない。
 たとえばフランスの一般教育制度は非常に悪くて、私はすぐにも改革に手をつけるべきだと考えているのだが、いろいろな理由によって、そのような改革は実際には決して行われないだろうと感じている。
 こんなこともある。一般に入学者を選抜しなければならばならない以上、入学試験により選抜することはわりあいよい方法なのだが、やはり不公平が起る。フランスの試験官はその点非常に神経質で、カルタンなど、採点に不公平のないようにするため非常に多くの時間をそれに費やすが、私はつねづね、それはディオファントス間の浪費だと忠告しているのだ。なぜなら試験を不公平にする要素はいろいろあって、ある学生は当日風邪をひいて頭が痛いかもしれず、他の学生は前日けんかしてむしゃくしゃしているかもしれない、等々。カルタンがどんなにがんばっても試験場の学生の風邪をなおすことはできない。・・・
どの試験にもつきものの、試験問題を偶然よく知っていたか否かによる重大な不公平の要素は抜きにして考えてもそうだ。だから、採点だけにある程度以上の公平さを求めて、あまりにも多くの時間を使うのは時間の浪費というものだ。

 ヴェイユのいろいろな例をひいって大演説を繰り広げましたが、数学の場での、「ガウスのようにはじめよ」とか、「まずリーマンを読むべきだ」というようなはっとさせらる言葉の数々とは違って、全体に凡庸な印象の発言が続きました。もっともSSSが投げかけた質問も焦点が定まっているとは言えませんし、どのような発言が期待されているのか、ヴェイユにしてもつかみにくかったのではないかと思います。
 総じて、数学に心を寄せる者はだれでも数学に打ち込めるような制度であってほしいというのが、SSSの人たちの率直な心情だったのではないかと思います。大学院なども、少数精鋭などといわずに門戸を広くしてほしいと望んでいたのであろうと思われますが、現実にはそのようになっていませんでした。大学院問題については、これから言及する機会があると思います。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート36 池の端の散歩

SSSがヴェイユに宛てた手紙の主旨は日本の数学界の現状を伝えることですが、全体になんだか愚痴をこぼしたような印象もあり、どのような効果をねらっていたのか、よくわかりません。
 10月22日はSSSとヴェイユの座談会が行われる日でした。この日、ヴェイユは東大の数学教室で午後3時半から1時間、個人的なディスカッションを行ったということです。どのようなディスカッションだったのか、詳しいことは不明ですが、SSSのメンバーのSさんとTさんもディスカッションに加わったようで、終了後、3人で上野の不忍池の端を散歩しました。座談会が始まる前のことで、この散歩は50分ほど続きました。おりしも夕闇のせまりつつあるころで、晩秋の池の端には一種の詩情がただよっていたそうですが、ヴェイユはそんなものには目もくれず、SさんとTさんを相手にして滔々とお説教を続けました。そのお説教は英語でした。二人とも英語を聴き取ろうとするだけで精一杯で、ほとんど口をはさむこともありませんでした。
 以下、ヴェイユのお説教を再現します。

ヴェイユ
今日出席する人の中にボロボロはどのくらいいるか。
SSS
少なくとも半分以上はいると思う。
ヴェイユ
今の教育がよくないという実例があるのか。
SSS
例えばある学生は正規のゼミナリーでは全然伸びなかったが、独立に別の部門をやるようになってからはじめて才能を伸ばすことができた。これはほんの一例だ。
ヴェイユ
それは制度の問題か。雰囲気の問題か。
SSS
これは雰囲気の問題だ。しかし制度のよくない例もある。
ヴェイユ
どんな制度にもよくないところはある。そしてある制度のために直接被害を受けた人はその制度を悪くいうもので、その気持ちは一般的に理解されうるものだ。しかし同じ程度に被害をこうむっても、その原因はさまざまであることがある。たとえばある人がナチの収容所に放り込まれて・・・(この例は日本人にはよく理解できないと考えたのか、まもなく別の例に変る。)
たとえばある人が何の罪もないのに裁判にかかり、判事の誤判のため2年間禁固されたとする。また、他の人は病気のためそれだけの期間安静を強いられるかもしれないし、また別の人は医者の誤診のためそうするかもしれない。
どの場合でも2年間動けなかったのいう事実は同じだが、その受け取り方はあ場合場合で異なり、しかもなぜ異なるかをわれわれは理解することができる。だれも細菌の悪口は言わないが、まちがえた判事や医師のことは非常に悪く考えるだろう。しかもその場合でも、医師と判事とでは、悪く感じ方が違う。それは、そもそも判事は誤判しないことを期待されて、またそうできると考えられているからだ。

 ヴェイユの長広舌がえんえんと続きます。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート35 「目覚めた少数精鋭」とは

ヴェイユへの手紙を続けます。

・SSSはこれらのすべての悪い傾向を克服し、日本の数学を正しい方向に沿って発展させるために生れた。そのためSSSは失業研究者、未来を保証されない学生、および若干の先進的な少数精鋭によって組織されている。

 ここのところに、失業研究者と未来を保証されない学生を総称してボロボロと呼ぶと言い添えられています。そうしてみるとSSSのめざす日本の数学が歩むべき正しい方向というのは、ボロボロと称される数学徒たちが安心して数学研究に打ち込むことのできる状態をめざすということになるのでしょうか。「若干の先進的な少数精鋭」の中には谷山さんはもとより入っていると思いますが、ほかにも何人か思い当ります。

・ここではっきり知っておいてもらいたいことがある。信じられないほどの生活上の困難と研究の困難で、SSSのボロボロは決して自棄(やけ)になったり失望したりはせず、協力して数学研究を続けている。さらに、日本の数学の正しい発展のためには、目覚めた少数精鋭とボロボロとの協力が自然でもあり、必要でもある。なぜならボロボロは徹底的に、決して妥協することなく、従来の悪い傾向に反対して闘うことができるし、先進的な少数精鋭の協力が、それを成功させるからである。

 このあたりは少々わかりにくいところです。SSSは少数精鋭主義に反対の立場を堅持してきたという印象があるのですが、「目覚めた少数精鋭」はボロボロと協力するのが自然であり、必要でもあるとのこと。そうすると少数精鋭は「目覚めた少数精鋭」と「目覚めていない少数精鋭」に二分され、SSSには「目覚めた少数精鋭」がいるから大丈夫だと言われているように思います。この二分の基準はどのあたりに設定されているのでしょうか。

・あなたがこれまで話し合ったSSSの会員はすべて目覚めた少数精鋭である。したがってSSSにおけるボロボロの存在とその役割について聞くのはこれがはじめてと思う。
・今度の会合では研究の組織や体制の問題についてもぜひ討論したい。SSSではグループによる協同研究の組織と体制を整えるということが当面の重要な課題になっている。この点に関しては、ブルバキのゼミナールや討論の持ち方についてあなたから聞くことが大きな利益をもたらすと期待している。たとえば、数論グループの谷山は「ヴェイユと話して、アイデアの討論が可能であることを知った」と言っている。今後、「アイデアの討論」がグループ研究の最高の目標となるであろうが、その点ではあなたに深く感謝しなければならない。
・ブルバキと違う点は、SSSのグループ研究の目的が単に数学上の研究成果をあげるということのほかに、ボロボロの自衛組織として役立つこと、ボロボロと精鋭との相互の理解を深める場となること、たえず若い人たちを吸収して、それを育てていくという教育的目的をもっていることを知っておいてほしい。

ヴェイユへの手紙は「日本の数学およびSSSに対する忠告を聞くことができれば非常にうれしい」という言葉で終っています。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート34 数学の才能とは

共鳴箱の理論に続いて、ヴェイユは数学の才能について語りました。

ヴェイユ
数学には天才というものは確かにある。ガウスをみたまえ。ガロア、アーベルをみたまえ。数学者として生れついている人というのはあるのだ。そんな人が数学者にならないことはもちろんあるが、そうでない人が数学者になることはない。
 もちろん才能のない数学者は多い。数学が非常に好きで、よく勉強してもいっこうにできない人もある。
 しかし解決がないわけではない。私の友人の・・・(カヴァリエーとか言ったが記憶不正確)は数学が非常に好きだったが、たいしたことはできなかった。しかし途中から数学史に転向し、その領域ではいろいろよい仕事をしている。彼は自分の解答を見出だしたわけだ。・・・
SSS
日本では才能があっても伸びないことも多い。第一、先生がいない。みなアメリカへ行ってしまう。われわれにとっては大きな問題だ。次に、先生がいたとしても、われわれに何を読むべきか、古典が何であるかさえも教えてくれない。みな自分で発見しなければならないのだ。
ヴェイユ
私の若いころもちょうどそれと同じだった。私がアーベル関数を始めたとき、フランスにはまともにテータ関数を知っている人さえひとりもいなかったので、自分でいろいろな文献を見出ださなければならなかった。今ではフランスにはSSSができて(ブルバキのことか?)old SSSがyoung SSSに教えるようになったが、最初フランスで始めたときは君たちと同じ事情だったのだ。
SSS
たとえば私は代数関数論をワイルのリーマン面(註。ワイルの著作『リーマン面のイデー』のこと)から勉強し始めたのだが、あれにはテータ関数が書いてないので、リーマンを読むまでヤコビの逆問題の意味を誤解していた。
ヴェイユ
リーマンから始めるべきだ。私はリーマンから始めたので誤解しなかった。

 指導者がいないとSSSが訴えかけると、自分も若いころはそうだったとヴェイユが応じました。指導者がいなければひとりでやればいいではないかと言わんばかりの発言で、このあたりのSSSの心情は伝わらなかったのでしょう。
 SSSはヴェイユとの座談会を企画していて、その日は10月22日の土曜日と予定されていました。それに先立って、日本数学界の特殊事情を多少知っておいてもらうほうがよいと対策委員会が判断し、ヴェイユに宛てて一通の手紙を書くことになりました。手分けして翻訳し、タイプになぐり打ちしてできあがったのは座談会の前日21日の午後10時でした。ただちにホテルに届けましたが、ヴェイユはまだ外出中でした。
 手紙の要旨を摘記します。

・日本では経済的理由と、研究者としても地位が非常に少ないことのために、研究を続けることのできる人は非常に少ない。一方、研究を志す人の数は、それに比べると相対的に非常に多い。従って、幸いにチャンスを得た若干の人たちを除くと、大部分は失業するか、あるいは研究を断念して別の職につくことになる。
・チャンスを与える権利を握っている教授層は古い固定観念にとりつかれた、高度に保守的な人びとの集まりである。この古い観念が少数精鋭主義と呼ばれるものである。これは多くのよくない傾向と結果を生んできた。

 ヴェイユを相手に日本における数学研究の状況を訴えかけるSSSの言葉が続きます。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート33共鳴箱の理論

ヴェイユの書きものに「数学の将来」というのがあり、ヴェイユはそこで「共鳴箱の理論」を語りました。数学者を一流と二流以下に分けて、「二流の数学者は、彼自身の出すことのできない音色に共鳴する共鳴箱の役割を果すにすぎない」という主張を指しているのですが、SSSはかねがねこれに反対していました。そこでヴェイユ本人に向って「共鳴箱の理論」を攻撃したところ、ヴェイユは長広舌をもってこれに応じました。

ヴェイユ
私は共鳴箱はつまらんと言っているだけではない。それはまた必要でもあるのだが。共鳴箱がないと音叉はさびしいではないか。たとえばベルヌーイはライプニッツの弟子だが(記憶多少あいまい。註。ベルヌーイ兄弟のことと思います。兄のヤコブと弟のヨハン)、ライプニッツはベルヌーイが現れてからよけいよい仕事をするようになった。もちろんベルヌーイは単なる共鳴箱ではなく、彼自身すぐれた数学者だが、ここで私の言いたいのは、すぐれた数学者も共鳴箱がないと不幸で、あまりよい仕事ができないことが多いということだ。自分の話すことを理解してくれる共鳴箱が必要なのだ。音楽に作曲家と演奏家があるように、数学にも新しい理論を作る人と、それを多くの人びとに上手に講義する人の両方があってもよいと思う。
 いろいろな雑誌、たとえばクレルレの創刊当時のものでも開けてみたまえ。くだらない論文がいっぱい載っていることがわかるだろう。そんな論文は現在何の価値もないが、当時は必要だったのだ。なぜなら彼ら共鳴箱はすぐれた数学者に共鳴するだけでなく、自分でも何か論文を書いてみたかったに違いない。そのような論文のために紙面を広くあけておくことが必要なので、いつの世の中でも彼らが必要なのだ。

クレルレは19世紀のプロイセンの鉄道技官です。数学者というわけではありませんが、数学を愛し、ドイツで最初の数学誌「純粋数学と応用数学のためのジャーナル」を創刊しました。第1巻は1826年発行。通称は「クレルレの数学誌」。ヴェイユは「クレルレの数学誌」を指して単にクレルレと言っています。
 ヴェイユのいう共鳴箱の理論を翻案すると少数精鋭主義になりそうですし、少数精鋭主義に反対するSSSとしては当然のことのように共鳴箱の理論を攻撃したのでしょう。ヴェイユはひるむことなく言い返し、共鳴箱にもそれなりの役割はあるのだと不思議な弁明を繰り広げました。共鳴箱の理論には一理がありますし、これを打ち砕くのはむずかしそうですが、同じひとりの数学者があるときは音叉であり、またあるときは共鳴箱であることもありそうです。最初から最後まで一貫して音叉であり続けるというのも稀有なことのようにも思います相、当初は共鳴箱にすぎなかった人が何かのきっかけにより音叉に変貌するということもありそうです。共鳴箱の理論はそれ自体としては正しそうですが、純粋の音叉は存在せず、純粋の共鳴箱もまた存在しないのではないかとも思いますし、それなら共鳴箱の理論を唱えることの意味は失われてしまうのではないでしょうか。
 顧みればヴェイユもまた一個の巨大な共鳴箱のように見えないこともなく、19世紀の偉大な数学者たちがヴェイユにとって音叉の役割を果しています。

Extra

プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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