12月27日に大阪の中之島図書館に出向いて古い新聞を閲覧し、たしかその足で奈良に向い、高畑町の松原家を訪ねました。春雨村塾の人も何人かいて、久しぶりにお目にかかりました。松原家の二階の春雨村塾で一泊し、翌28日、上京。そのまた翌日の29日に中野新井町の中勘助先生のお宅を訪ねたという順序になります。
平成10年の年明の7日、磯島さんと電話で話をして、16日、再び大阪に向いました。今度は中之島図書館ではなく、大阪市立中央図書館に行きました。中之島図書館は大阪府立ですが、大阪府立にはもうひとつ、中央図書館があります。それとは別に大阪市立の中央図書館があります。図書館がたくさんある中で、どうして市立図書館に出かけたのか、何かわけがあったようにも思うのですが、思い出せません。
中勘助先生の若い日の友人に山田又吉という人がいました。大阪の出身で、明治35年に一高に入学したときに出会い、親友になりました。一高から東京帝大の文科大学の哲学科に進み、エックハルトをテーマにして論文を書き、ケーベル先生に提出して卒業したのですが、数年後、自決しています。華厳の滝に飛び込んで死んだ藤村操とも一高で同期でしたし、中先生も大学卒業後、職につきませんでした。何かしらそのような傾向を誘う時代精神があったのでしょう。中先生にとって山田さんは特別の人で、岡先生にとっての中谷治宇二郎さんと印象がよく似ています。
山田さんの生家は宮大工で、大阪市東区内久宝寺町三丁目にありました。そこで『大阪地籍地図』(吉江集画堂、明治44年7月30日発行)という本を借り出してしばらく眺めたのですが、あまり成果はありませんでした。
それと、山田さんは船場小学校を出ていますので、明治期の船場地区の小学校のことを少し調べました。
図書館を離れてから和歌山市に向い、梅田さんと待ち合わせて市役所に向かいました。尾崎市長が待っていて、市長室でお話をうかがいました。昭和43年10月末、岡先生たち御一行に加わって龍神温泉に出かけた人の話ですので、大いに興味をかき立てられました。