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新数学人集団(SSS)の時代 ノート56 数学における「問題」の役割をめぐって

ヒルベルトの現代的意義を語る倉田先生の言葉を続けます。

・ヒルベルトのパリ講演とは、1900年の国際数学者会議の教育部会でヒルベルトが行った「数学の将来について」と題する講演である。将来数学の発展に重要な役割を演じるであろうと思われる23個の問題を挙げた。ヒルベルト自身は、不変式(1885-1895年)、代数的数論(1893-1898年)、幾何学基礎論(1898-1902年)、積分方程式・変分法(1902-1912年)、一般基礎論(1922-1930年)を各時期に集中的に行ってきたのであるから、1900年は不変式と整数論を終えて、変分法に関心が移ろうとした時期にあたる。当時、40歳。もっとも生気充溢した時期であった。
・当時の数学はガウス、リーマンの伝統の花咲くゲッチンゲン君臨の時代で、ドイツ純粋数学が満開のときであった。批判的数学ができかかった時代であるとともに、基礎の危機が云々され始めたころであり、文字通り19世紀の終り、20世紀のはじめであった。
・ヒルベルトの言わんとするところは、数学の発展において果す「数学の問題」の役割の決定的重要性に関してである。数学の世界の外では、ヒルベルトは、あたかも公理主義という哲学的なひとつの要請でもって、数学を無内容な形式論理の体系に変えた男だと言われる。だが、実際は反対に、ヒルベルトは同講演で次の諸点を指摘した。

 このように前置きして、倉田先生はヒルベルトの6個の指摘を紹介しました。

・各時代はその問題をもっている。問題の死滅は数学の死を意味する。問題や目標のない方法は無意味である。ヒルベルトはここで各種の例を挙げた。わけてもフェルマの問題、あるいはベルヌーイの問題や三体問題の役割を正史的に述べ、前者が内部から、後者が外部から生じた点を指摘した。だが、新しい問題は、その起源を外部にもっていても、それはただ野生の木であり、園丁の技術によって母株に接木されるべきことを要求し、数学の相対的独自性の性格と、古典伝統の問題を投げかけた。
。厳密さをかんたんさの敵と考えるのに反対し、級数論の厳密性が数学を明朗にしたことを示し、厳密性は煩雑さではない点を強調した。
・直観的素材(たとえば図形のような)の役割を強調した。
・方法に関して、ヒルベルトは、重要な問題とは、それが全体の困難な鎖の中で、そこを把握すれば全体が解けるような環たるべきことを強調した(たとえばイデアル論)。
・特殊化の重要性
・数学の全体性、有機的な統一性を見失わざること。

 このような前置きに続いて、ヒルベルトは23個の問題を挙げました。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート55 ヒルベルトの現代的意義

SSSは「数学とは何か」という問いにこだわっていましたが、この問題は「少数精鋭主義」に抗する心情と関係がありそうに思います。数学の真理というものがどこかにあって、それを見つけるのが数学者の仕事と思うと、少数精鋭主義で対処するのがよさそうに見えないこともありません。数学には未解決の難問もあり、たとえば素数分布に関する「リーマンの予想」などの解決に取り組むというのであれば、たいていの人には解けないのですからやってもむだで、少数の精鋭にまかせておけばよいではないかという主張が成立しそうです。数学の研究というのはそのようなものであろうと、広く考えられているようにも思われます。
ですが、数学の問題はどこからやってくるのでしょうか。このあたりが数学の不思議なところで、容易に答えることのできない神秘が秘められています。リーマンがいなくても「リーマンの予想」はありえたのでしょうか。「リーマンの予想」は、それ自体がリーマンに固有の創造物なのでしょうか。数学を「創造する学問」と見ると、少数精鋭主義は無意味になりそうです。創造する心をもつ少数者を、前もって選定することはできないからです。
数学とは何かという問いに対するSSSの考えが表明されている記事に、「ヒルベルトの現代的意義」というのがあります。「月報」第4号に掲載されました。副題は「パリ講演について」。第3回科学史および科学方法論研究サークル連合シンポジウムにおける新数学人集団の報告の要旨という説明が附されています。
 科学史および科学方法論研究サークル連合というのは、東京の各大学の科学史、科学方法論に興味をもつサークルが集まって、十数もの団体で組織された団体で、日本科学史学会の主催で半年に一回、連合シンポジウムを開催していた模様です。1953年6月に第2回目のシンポジウムが行われ、SSSもこれに加わり、「日本近代数学史」という報告を行いました。第3回目のシンポジウムは同年11月29日に東大で開催されました。約100名の聴衆が集まりました。報告は計九つ。15分の報告に15分の討論が附随しました。
「ヒルベルトの現代的意義」は「月報」に掲載されたときは著者名のない記事だったのですが、後に倉田令二朗先生と判明しました。以下、摘記してみます。

・新数学人集団は、すうがくについての正しい学習方針を立てるために、「数学者」としてのヒルベルトの見解を研究することが必要であると考えた。すでに各自の研究を進めている若干の人びといよって、1900年のパリ講演の翻訳と検討が、現代数学の課題と照らして試みられ始めた。それは後に述べるように、現代数学のいくつかの好ましくない傾向を克服する上に一定の役割を果すことを示した。

 書き出しの時点で早くも、現代数学には好ましくない傾向が見られると指摘されました。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート54 大学院問題など

明治時代の大学にも大学院はあり、高木貞治先生も大学を卒業してから1年ほど在籍していましたが、そのころの大学院というのは特に何もすることはなかったようで、単に在籍するだけでした。高木先生は大学院生のころは好き勝手に数学の本を読み、著作を書くなどしていて、洋行に出発するのに先立って中退しています。洋行は早くから決まっていたようで、出発するまでの間の経歴に隙間が生じないようにするために大学院に在籍したのであろうと思います。
 高木先生の時代には大学に進み、卒業するということ自体がすでに「少数精鋭」でした。数学ばかりではなく、学問芸術工業などなど、あらゆる分野でごく少数の人が選抜されて大学に進み、その中のまた少数が洋行し、帰国して大学の教授などになる時代でした。大学は当初は日本にひとつしかなく、それから京都にひとつ、先代にまたひとつというふうに増えていきましたが、大学生であることそれ自体が「少数精鋭」であったことは変りませんでした。終戦ののちに学制が一変し、大学院も定員が設けられて入学試験が行われるようになりましたが、定員とは名ばかりだったのはLさんが報告しているとおりです。
 大学の学生数は現在ほどではないにしても学制改革の前と比べると大幅に増えていて、大学生であるからといって必ずしも少数精鋭とは言えなくなっていたと思います。選抜する側の大学の教員たちは戦前の少数精鋭時代の人たちでしたから、そのころの感受性がそのまま生きていて、定員を無視して大学院生をごくわずかしかとらないという現象が発生したのではないかと思います。ところが、その結果、大学院に進んでさらに勉強を続けたいと願う学生たちの排除につながり、ここに軋轢が生れることになりました。定員が決まっているのだから定員いっぱいの学生をとり、数学の勉強を続ける機会を与えるべきだというのはもっともな議論です。
 このような学制の変化に伴う軋轢とともに、数学という学問そのものの変化という出来事もまたSSSの結成に影響を及ぼしています。数学は第1次大戦後あたりから抽象化に向う傾向1950年代に大学に在籍していた人たちにとって、数学をどのように学ぶべきかということは深刻な問題として受け止められていたことと思われますし、そこから発生した諸問題が「月報」のいろいろな記事になって論じられました。数学とは何か、という根源的な問い。数学はいかにして今日のような姿になったのか、という歴史的な問い。数学は何を研究するべきなのか、という実践的な問い。数学はこれからどうなっていくのか、という将来の展望。このような雰囲気の中でブルバキの動向が注目を集め、谷山さんなどもブルバキの音頭取りみたいなアンドレ・ヴェイユに関心を寄せ続けました。ブルバキとヴェイユはここに挙げた諸問題について、明確な見通しをもっていたように感じられたためであろうと思います。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート53 振り返って

新数学人集団とは何かという当初の問題に立ち返り、再考してみたいと思います。新数学人集団は「数学方法論研究会(仮称)」として始まったのですが、それに先立って遠山啓先生の著作『無限と連続』の合評会があり、東大の数学科の学生たちが集まりました。遠山先生の著作によほど大きな魅力があったのだろうと思われますが、その魅力というのはどのようなものだったのでしょうか。この点がまず気にかかります。
読書会に集ったメンバーの名前はわかりませんが、少しのちに新数学人集団に加わった人たちのことは相当具体的にわかっています。谷山豊、銀林浩、杉浦光夫、山崎圭次郎という諸先生は1953年3月卒業。倉田令二朗先生と斎藤正彦先生は1954年3月卒業。みなSSSの草創期からのメンバーでした。SSSはだんだん拡大して、全国の大学の数学科の学生たちが集結する全国協議会みたいな恰好になりましたが、1953年と1954年の卒業生たちの親睦会というか、勉強会のような形で発足したことにも注目したいと思います。
『無限と連続』は現代数学入門みたいな感じの本ですが、そういう本に関心を示したということは、数学が抽象化に向って変容していきつつある状況と無関係ではありえません。数学はまったく新しい方向にむかっているという認識と自覚があり、その流れに飛び込みたいという念願があったのではないかと思われます。
そうすると世代間の断絶ということも考えられるところです。東大の諸先生の講義はなんだか古臭く感じられたのでしょう。そこで仲間が集まって勉強会をしようということになり、そうすると『無限と連続』が輝いて見えたということなのかもしれません。新しい数学への道標のような感じでしょうか。
 新しい数学を指導する力のある先輩たちはまったくいなかったわけではなかったのですが、終戦ののちに相次いでアメリカに移ってしまったため、指導を受ける機会はありませんでした。『月報』では指導者の不在ということもひんぱんに話題になっていました。数学者の海外流出ということが大きな話題として浮上して、在米の岩澤健吉先生に帰ってきてほしいなどと願った模様ですが、実際にはなかなか実現しません。そこで協同研究というアイデアを出し、みなで協力して勉強していこうという考えがあったように思います。
 数学の新たな潮流というとブルバキが連想されますが、ブルバキの音頭取りはヴェイユです。そのヴェイユが、東京と日光で開催された整数論シンポジウムのおりに来日したのですから、SSSにもたらした刺激の強烈さも想像されます。来日したのはヴェイユひとりではなく、セールやシュヴァレーなど、ブルバキのメンバーもいっしょでした。そこで、SSSは来日した外国人数学者たちとの交流に熱心に取り組みました。
 少数精鋭主義に対する反発は非常に強く、「ぼろぼろ」という呼称もそこから生れました。大学に職を得て研究生活を送ることができる人は少数の精鋭で、その他の多くは自活の道を探りながら数学に向き合っていくということになりますが、あまりにも過酷な道であるのはまちがいありませんし、「ぼろぼろ」という不思議な呼称もそこから生れました。倉田先生もよく「ぼろぼろ」について語っていたものでした。
「ぼろぼろ」は数学を続ける必要はないというのが少数精鋭主義で、これに抗するというのは、「ぼろぼろ」にも数学を続ける機会があるべきだという主張になり、具体的には大学院の学生を定員のとおりに採用するか否かという状況として現れてきます。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート52 少数精鋭主義の起源とは

Lさんは「またしても大学院の採用人員問題を考える必要がある」と語り始めました。以下、摘記します。

・指導はよくやったはずだと称する教育者たちが、博士課程の学生の採用に際してこんなふうに主張したとしたらどうであろうか。「博士課程には将来博士になるに相応しい仕事をしたか、またはできる見込みのある者以外は全然入れるべきではない。一名か二名であっても、または一名もとらなくともやむをえない。また、もし入ったにしても従来の程度から見て博士のレベルに相応しい仕事ができていないならばもちろん卒業させるべきではない。」
・これもまちがっている。第一に、新制度に際して自分たちで決めた定員をはるかに下回る研究者しか育てられないのであってみれば、指導はよかったと称する資格はない。
・ここには重大な誤解がある。というのは、教育研究機関は学習研究をしようとし、学習研究の能力をもつ者が研究を行うためにあるのであって、何か「相応しい仕事」のためにあるのでもなければ、「従来の程度」だとか、「たいした研究」から「博士のレベル」めいたもののためにあるのでもない。大学院、博士制度、研究機関もすべて研究者たちが協力して研究を行うためにあるのであって、その逆ではない。「相応しい」も「レベル」もすべて新しい条件に応じて機関がみずからを変化し、その機能を果す過程に伴うものなのであって、「相応しい」に合せて機関を運営するわけにはいかないのである。
・しかし、まだ、ごく少数の者しか学習研究の能力はないから入れまいとするのか。大部分は無能なのであろうか。論文も読めないし、ゼミナールも持てないのか。
 決してそうではない。大学のコースを卒業するほどの者にとっては、正しく指導されるなら、数学の研究とは、「相応しい」の尺度で下級研究者を威嚇し、研究をにぶらせるほど容易ではないにしても、決してこの方法によって数学をさかんにするほどむずかしいことではないのである。
・少数精鋭主義は、積極的に研究を盛んにしようと、主観的には強く希望する指導者たちに研究と研究機関の役割に関する理解を誤らせ、特に研究機関に入る以前とそれ以後との連関を忘れさせて、研究機関の機能を破壊するのである。

 Lさんの議論はなお続きます。数学者たちの海外流出なども重大な問題として取り上げられています。少数精鋭主義の起源に関する考察も見られます。
 論旨をつかむのがだんだんむずかしくなっていきますが、少数精鋭主義を提唱する人たちがいるのはまちがいなく、SSSはこれに反対して論陣を張るという構えをとっています。少数精鋭主義にもそれはそれで理由があって発生したのであろうと思われますし、これに抗する世代が現れたことにも相応の理由があることと思います。数学という学問の性質それ自体に根ざしている問題もあることも考えられるところですが、このあたりの消息はまだ飲み込めないところがあります。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート51 少数精鋭主義は研究教育機関を破壊する

Lさんの議論は次の段階に移ります。少数精鋭主義の立場から見ると、数学はだいたい無用のものであり、しかもその進展にとって意味のあるのは真に優秀な少数の精鋭だけだということになります。この考え方は一般に多くの学生や研究者たちを失望と落胆に落し入れ、孤立した生活態度に追い込みます。そればかりか、研究機関において優秀と目されている少数の精鋭ですら、しばしば落胆もしくは焦燥に追い込まれてしまい、多くの誤った考え方と結びついて、はなはだしいときには死に追いやることさえあります。Lさんはこんなふうに指摘して、それからさらに言葉を続けます。

・少数精鋭主義は日本の数学の研究、教育機関で非常にろこつな形で破壊的な役割を果している。
・物理の坂田昌一が「自然」誌上で論じたこと。大学における研究と組織について。大学内の研究室にいる若い科学者の情熱をさまし、研究の発展を妨げるもっとも本質的な原因は、教授が人事から研究の進行までを独裁的に行うようなシステムにあり、これが師弟間の親分子分関係や講座間のセクト主義を生じ、研究の交流を妨げるばかりでなく、研究室におけるすべての封建的害悪の源になっている。
・数学においてもこの問題は非常に重要である。人事に関する問題はいたるところで封建的な風潮の源になっている。極端な場合には人事はおろか、共同研究から個人的な研究の具体的な方向までが実質上一方的な統制のもとに置かれ、研究室の外部との接触すら極度に嫌うという統計数理関係の某国立研究所のような例すらある。
・このような状態を打ち破って近代的な研究機関としての機能を果すためには、少なくとも相互に親密な、比較的雑務から開放された、しかも仕事の発表などをあせらない落ち着いた研究の雰囲気を作り上げることが望ましい。さらに、一定の慣習または制度により、若い研究者から教授までが、多くの研究費、組織費、人事上の問題について検討する機会をもち、講座間の往来は自由であり、全体が親密な協力体制にあることがいっそう望ましい。
・このような目標に向って多くの研究教育機関がさまざまの程度にさまざまの段階を経てみずからを近代化して我が国の学問の後進性を克服していった過程を見ることができる。

 このあたりはどうも意を汲みにくいのですが、せっかくこのように運営されていながら、ひとたび少数精鋭主義やその他の誤った考え方に支配されるや否や、その機関は、しばしば他よりもいっそう徹底した形で、学問の進展に害のある我が国の学問の後進性や植民地性を保ち、推し進めるものになり果てるというのです。このように宣言した後に、Lさんは「どのようにであろうか」と問題を提示して、みずから所見を語ろうとしています。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート50 邪悪な兄弟たち

数学の問題はどこからやってくるのか、数学という一個の有機体はどのようにして拡大しつつ発展するのだろうか。Lさんはこのような根源的な問いを立てたのですが、どちらの問いに対しても明確な回答はなく、そのために統一という一面だけが強調されるのだというのです。古い文献を見直して、そこに新しいアイデアを持ち込むことができたなら、古文献は目覚めて数学的生命を得るであろうというのがヴェイユの所見です。それもまた困難な営為ですし、そのようなことができるのはごくわずかな人たちのみです。それらの人びとがつまり少数精鋭であり、彼らが「人間精神の名誉のために」(これはヤコビの言葉です)やってくれるのに期待するしかなく、他の人びとは共鳴箱であるほかはありません。
 Lさんはヴェイユの所見をこのように要約しました。ヴェイユの考え方によると、数学という学問は直接人類によって利己的に利用されることもなく、人類をほろぼすために使われるおそれもないが、役に立たない科学である。だから数学者ほど知的な活動において完全な自由をもっているものはまったくない、ということになります。なるほどこれなら自由であろう、とLさん。何も知的な活動とは限らない。研究、指導、教育の責任からも自由である。数学者にとっては紙と鉛筆があればよいのであるから、正当な研究条件を要求する権利からも自由であり、社会的責任からも自由である。これほど完全な自由をもっているものはほかにありません。
 数学の発展には膨大な数学者たちがそれぞれの役割を果して寄与しているにちがいありませんが、少数精鋭主義の立場から見ると、各々の時代における真に著しい結果の発見者だけに集約されてしまいます。そのように見るのはまちがっているというのがLさんの所見です。
 しかし、とLさんの言葉が続きます。

・この誤りは決して孤立して生じたのではない。数学が人類の生活や進歩とは「精神の名誉」以外に何の役割も果すものではなく、自然認識とも関連はなくなって、数学はその自律した研究分野に閉じこもって、今のところは「雲の如くある」問題を解きながら「新しいアイデア」によって遺産を食いつぶすよりほかはなくなっているという考え方。したがってまた数学者はすでに社会的には何の意味も失っており、研究または教育という労働を行う社会的な責任も権利もある一個の社会的存在ではないという考え方と固く結びついている。

 Lさんの見るところ、少数精鋭主義はこのように多くの誤った見方と固く結びついて、研究者の態度も、数学の発展の仕方や方向をもいっそうまちがったほうへねじまげようとする同じ源をもつ邪悪な兄弟のひとりなのだとのこと。数学の発展の仕方や方向をまちがった向きにねじまげようとする「邪悪な兄弟」がいて、少数精鋭主義はそのひとりだというのです。実に過激な文言が連なっていますが、この所見には一理があります。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート49 「共鳴箱」をめぐって

科学のどの分野でも天才や第一流の仕事をなしえた人がつねに尊敬されるとLさんは指摘し、そのうえで「いったいなぜであろうか」と疑問を提示しました。天才や第一流の科学者が尊敬されるのはあたりまえのことのように思えますが、Lさんには別の考えがあるようで、長々と発言が続きます。

・彼らは昔からそのときにいたるまでの多くの第一流、第二流、三流、四流、五流の数学者たち、多くの実際家たちが多くの問題を解決しようとして、あるいはそれらにひそむ法則性を見出だそうとして営々と積み重ねた労力の所産である種々の研究成果や組織、教育、伝統などの上に立って、自分自身の努力と創造性を傾けて、みごとにそれまで解きえなかった大問題を解き、見出だされなかった法則性を見出だし、そのことによってさらに全体の前進への道を切り開いた。彼らは人類の前進への努力のすぐれた代表者たちである。だから彼らは尊敬されるのではないか。
数学もまた例外ではありえない。

 Lさんは人類の前進ということを論拠にして議論を展開していますが、このように考えるのであれば、二流以下の研究者たちといえども決して単なる共鳴箱ではないことになります。人類の前進という大きな流れを推し進めることに寄与する多くの人びとがいて、天才と呼ばれたり第一流と評価されたりする人たちはその一群の人びとの代表と見るのですが、それならこの集団に属する人たちはみな仲間です。二流以下の数学者といえども「この大きな流れを生み出し、推し進める一員」なのであり、重要なのだと、Lさんの言葉が続きます。このような考え方は十分に成立する余地がありそうですが、反論を受ける可能性もあります。
 次にLさんはヴェイユの「数学の将来」から別の言葉を引きました。ヴェイユは数学がたくましい生命力をもち、その根底に統一のあることを示そうと試みてヒルベルトの言葉を引用し、「数学はそのすべての部分が解け難く結び合わされていることによって生命力を得ているひとつの有機体である」こと、また「科学のひとつの部門は、それが問題を豊かにもつ限り生命に満ちている。問題のなくなることは死の兆候である」ことおを指摘しています。Lさんはこのようなヴェイユの言葉を踏まえて発言を続けています。

・問題が豊かになり、それが解決されつつあり、統一的な法則があふれるというが、いったいそのような問題はどこから提供されるのか。このひとつの有機体はどのようにして拡大しつつ発展するのか。これは少なくとも明らかではない。そのために統一の一面だけが強調されるのである。

 問題はどこからやって来るのか。この問い掛けは数学という学問の本質に触れています。ヴェイユによると、自然の研究はかつては数学の問題の源泉だったが、今はそうではないとのこと。結局のところ、「ひとつの新しいアイデアがあれば目覚めて数学的な生命を得るであろうところの多くの問題はあるのである」というのがヴェイユの所見です。ここに引いたのはLさんによる訳文と思われます。Lさんはここに「数学の古文献をひっくり返せ!」などと書き添えています。
 少々わかりにくいところがありますが、古い論文や著作には問題の原石が埋まっているというほどの考え方でしょうか。ヴェイユのいう古文献というのは、19世紀、もう少し正確に言うと、おおよそガウスのころから第一次世界大戦前までの論文や著作を意味していると見てよいと思いますが、それらには多くの問題が眠っていて、そこに新しいアイデアを投げ入れればたちまち目覚め、数学の新たな進展のための力になるとヴェイユは言いたいのでしょう。実際のところ、これはヴェイユ自身が歩んできた道でもありました。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート48 第二の批判

「少数精鋭主義」を批判するLさんの言葉が続きます。

・この学生たちはある程度「本も読み、計算もできる」のではないか。そして現在の悪い条件下にあってなお研究を続けようとしたのではなかったか。それでもこのすぐれた指導者、教育者たちは自分らの指導如何を恥じるところもなく、見込みがないと断定し、彼らの研究の道をふさぐことができるのであろうか。
・少数精鋭主義は指導と学習の関係についての理解を誤っている。特に、指導の責任を理解していない。怠慢で無責任、しかも非道なのである。
・第二に、学生たちは大学院に入ってもたいした研究はできないのだという。「たいした研究」ができなければ研究すべきでないというのは重大問題だ。
・それよりももっと重大な問題がある。「やがて実務につくのなら研究の年月はむだ」なのであろうか。まず、実務を研究とまったく縁のないものと考えているのが誤りである。仮に関係ないとしても、研究の見込みはないと言われただけであきらめて実務につくのと、何年間かの努力ののち、なぜこの研究を続けることができないかを知り、あるいは、なぜ他の道へと進むのかを知ったうえで異なった方向へ進むのとでは、まったく違う。なぜそれが理解できないのだろうか。
・人間の意志や成長過程を表面的、機械的に理解して「この道のきびしさ」を知るあまり結局はこのほうがよいのだという、神様のような思いやりのもとに、研究者のような聖職につこうという「無能者」の無謀な挙をいましめてくれるのだ。
・その反面、もっと具体的な学習上の指導や、ひとりでも多くの研究者を育てようという、低級で日常的な思いやりをかけてもらえないのは不思議なことである。おもいやりどころではない。義務ではないか。
・少数精鋭主義は人の意志や成長過程に関する理解をまったく誤っている。表面的、機械論的であって、同時に思い上っているのだ。

 Lさんは激しい言葉を連ねて、ときおり皮肉めいた言葉も交えながら総数精鋭主義の批判を続けています。大学院の入試にまつわるエピソードがきっかけになって、ここまで話が進みました。少数精鋭主義が大学院入試に適用されると「合格者が定員をはるかに下回る」という現象(Lさんは「暴威」と書いています)が起りますが、総数精鋭主義の暴の及ぶところはそれどころではないと、Lさんの批判が続きます。

・ヴェイユの小冊子「数学の将来」の中に「第二流の研究者は他の部門におけるよりもその役割はもっと重要ではない。その役割は彼らの出すことのできない音響に対する共鳴箱の役割にすぎない」という一節がある。ごく少数の(一流のだ!)精鋭だけが数学を推し進め、他は共鳴するか、またはそれすらできないのである。科学のどの分野でも、天才や第一流の仕事をした人びとはつねに尊敬されてきた。いったいなぜであろうか。

 少数精鋭主義に対する批判ということを考えるとき、最強の敵はヴェイユの所見です。Lさんの批判はこのあたりからいよいよ佳境に入っていきます。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート47 指導者の任務とは

『月報』第3巻、第1号に「少数精鋭主義に反対する」という長文の記事が掲載されていますので、目を通してみたいと思います。著者は「L」とのみ記されています。
 以下、摘記します。

・A大学の数学科では、大学院修士課程の学生を半分しかとらなかった。B大学の物理学科の大学院でも、定員10人のところを二人しかとらなかった。こういう話を2年ほど前に聞いた。
・このような事例は枚挙にいとまがないほどである。いったいなぜこのようなことが起るのだろうか。理由のひとつに「少数精鋭主義」ともいうべき誤った考え方がある。この考え方こそ、多くの悪条件やまちがった考え方と結びついて、学習、研究の発展を妨げ、各種の研究機関の悪い状態を温存させるか、またはいっそう悪くするための力になっている。この点を問題にしたい。
・B大学の話を聞いたとき、そこの大学の学生たちはこの処置を不審に思い、憤っているに違いないと思った。ところが、そこの化学科の人の話ではそうでもない。物理科の先生たちは学生に、自分でどんどん勉強して独創的な研究をするようにとつねに言ってきた。ところが4年もたった今、結局、方法論を理解し、研究方針をもちえた者は二人くらいしかいない。あとの連中はなるほど本は読み計算はできるが、そのような高いところまで行くことはできなかった。彼らが大学院に入っても結局のところたいした研究はできないし、やがて実務につくのなら年月はむだだし、就職は不利になる。だから今はどう見えても優秀な者しかとらないほうが結局はよいのだという意味の話をした。そこで学生たちはこの道の難きを思い、併せて自分らの不勉強と無能を恥じ、落胆はしたが、憤ることも少なかったという。

 LさんはB大学の化学科の先生の話を聞いたのでしょう。この話を聞いて、非常にまちがった、考えと思ったということです。以下、その理由の解明が続きます。

・第一に、学生たちは一定の方針の伴う研究目標をもつまでにいたっていないというが、それだけの学力をもちうるだけの熱心な教育と指導が行われたのであろうか。自分で本を読み、方法論を学び、独創的になれと百万遍聞かせたところで、それは熱心な教育でも指導でもない。そうできるような具体的な条件が、講義やゼミナールを通じて準備されなくてはならないのであって、それには、現在特に、旧教育制度から新制度への移行に伴う、あらゆる変化の検討とそれに応じた指導方法が研究されなくてはならないはずだ。
・こうした「自分でやれ」という主張の強いところに限って、このようなまじめな検討の代りに、かってな気分にまかせたいいかげんな指導や、全体としてよく整備されないばらばらな指導が行われることが多いのである。講義にばかり頼らずに自分でも大いにやれということは、それだけ取り上げれば正しいし、だいたい「自分でやらない」学習などはありえないが、「自分でやるから」といって指導がいいかげんでよいのでは絶対ない。その反対だ!「自分たちでやる」のを百倍も強めることを助けるのが指導者の任務ではないのか。

 Lさんは指導ということのあり方を問題にしています。

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