ガウスは平方剰余相互法則の証明に成功した最初の人物ですが、単に証明して正しさを確認したというだけではなく、長い時間をかけて8通りもの証明を案出しました。数学的帰納法のよる証明もあれば、初等的な証明もありますが、二次形式の種の理論に基づく証明や円周等分論の「ガウスの和」の数値決定に支えられた証明、それに高次合同式の考察から取り出された証明など、どうしてそんなふうに証明することができたのか、神秘的な印象の伴う証明も並んでいます。
ガウスはどうしていろいろな証明を考案したのか、今では明瞭にわかります。ガウスの真のねらいは4次剰余相互法則の証明にあり、平方剰余相互法則の証明を支える基本原理の中に、4次の場合にも通用するものをみいだしたいと念願していたと見てまちがいありません。ただし、ここもまた繰り返しになりますが、4次の相互法則というものが見つかっていたわけではありません。このあたりの事情は、ほんの少しではありますが、代数方程式の解の公式の探索の経緯に似たところがあります。
ガウスの全集にはさまざまな遺稿が収録されていますが、数論の領域では3次と4次の相互法則を探索する様子が顕著です。いっそう高次の相互法則の存在も感知していたことと思いますが、次数を3と4に限定して、具体的な姿を明るみに出そうと努力を続けていたのでしょう。ここで、またまた繰り返しになってしまいますが、若い日のガウスが感知したのは「存在の予感」のみであり、はたして本当に存在するのかどうか、存在するとしたらどのような形になるのか、ガウス本人も何もわからないというのが実情でした。ガウスは一方では具体的な姿形の探索を続けるとともに、他方では、まだ見つかっていない法則の証明を模索していたことになります。まったく不思議な話ですが、ガウスの心の中では矛盾せずに同居していたのでしょう。
ガウスが平方剰余相互法則の第一補充法則を発見したのは1795年、4次剰余に関する第二論文が公表されたのは1832年。この間、実に37年という歳月が流れています。しかも公表されたのは4次相互法則の形だけで、補充法則については証明も遂行されたものの、相互法則の本体の証明は伴っていませんでした。実際にはガウスの証明は相当に進捗していたようで、証明のスケッチを記述した遺稿があるのですが、それを見ると正しく証明されています。平方剰余相互法則の証明のひとつが鍵になっていることも、深い興味を誘われます。もうひとつ、ガウスは3次の相互法則も追求していたのですが、これについては断片的なメモが遺されているだけで、まとまりのある記事はありません。
証明は欠如していたものの、4次の相互法則が発見されて公表されたという事実は非常に重く、ガウスを継承する人々のための貴重な遺産になりました。ヤコビ、ディリクレ、クロネッカー、クンマー、ヒルベルト等々、19世紀のドイツの数論史を彩る偉大な数学者たちの名前が次々と心に浮かびます。優に100年をこえる雄大な歴史が形成されたのですが、この歴史を開いたのは、ありやなきやをどこまでも追い求めた37年に及ぶガウスの思索でした。ひとりガウスのみが存在することを確信した何物かが、37年の歳月を経て本当に姿を現しました。これを「情緒の数学」の発現と言わずして、どのように評したらよいのでしょうか。
「無」から「有」が生まれたと言うのも可、ガウスの天才の発露と言うのも可。ではありますが、「無」も「天才」も、それ自体の中には数学は存在せず、ただ「生成する力」が宿っています。ガウスの数論は岡先生のいう「情緒の数学」のあまりにもめざましい事例になっています。