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 広義積分とは何かと簡明に問われたならば,どのように答えたらよいのでしょうか.コーシーは有界閉区間上の連続関数の定積分を考察しましたが,リーマンはなお一歩を進め,有界閉区間上の有界な関数の定積分を考察しました.有界閉区間上で考えるところは共通していますが,この場合,連続関数はつねに積分可能であるのに対し,有界関数は必ずしも連続ではありませんし,つねに積分可能とも言えませんので,リーマンがコーシーよりもさらに一般的な地点に進んだのは間違いありません.広く有界関数を相手にする場合には,可積分条件の探究という,新たな課題が課せられてきます.
 コーシーからリーマンへと足場を移した後に,さて広義積分とは,と考えますと,有界区間上の「有界ではない関数」,すなわち非有界関数はみな広義積分であり,前回例示した事例はこれに該当します.もうひとつの種類の広義積分は積分区間が有界ではない場合の積分で,有名な例を拾うと,
  ∫sinx/x dx (x=0からx=∞まで)
は広義積分です.被積分関数sin x/xはx=0に対する値が少々微妙ですが,lim(x→0)sin x/x=1となることに留意すると,この関数は有界であることがわかります.積分区間は数直線の右方に無限に伸びて行く区間[0, ∞)ですが,この区間上の積分の意味は,まずx=0からxまで積分を作り(これは有界閉区間上の連続関数の積分ですから,コーシーの定理により確定します),その後にx→∞として極限に移行します.その際,極限値が存在すれば,その極限値をもって積分∫sinx/x dx (x=0からx=∞まで)の値と定め,極限値が存在しないなら,この積分は収束しない,もしくは発散すると言い表わします.ここに例示した広義積分は収束し,積分値はπ/2になります.
 もうひとつの例を挙げると,積分
 ∫cos(x^2)dx, ∫cos(x^2)dx (x=0からx=+∞まで)
は広義積分ですが,ともに収束し,積分値はどちらも(1/2)√(π/2)です.この二つの積分はフレネル積分と呼ばれています.フレネルは1788年に生れ1827年に亡くなったフランスの数理物理学者です.コーシーは「ラプラース,ルジャンドル,ポアソン等が天文学又は物理学上の問題に関して種々の特殊なる定積分に遭遇した」と,高木貞治は述べていましたが,フレネルもまたラプラス,ルジャンドル,ポアソンたちの仲間に入れたいところです.
 コーシーがコーシーの和の極限として定積分を定義しなければならなくなった事情を考えて,所見を述べたいと思うのですが,そのためには広義積分についてもう少し話を続けなければなりません.これも『解析概論』に出ている例ですが,積分
  ∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)
を考えると,被積分関数f(x)=1/xはx=0において値をもちませんから,やはり広義積分です.前の例の場合と同様に,この積分は,εは正の数として,
 lim(ε→0)∫(1/x)dx(x=-1からx=-εまで)
 +lim(ε→0)∫(1/x)dx(x=εからx=1まで)
と意味するものと理解して,収束するか否かを考えると,まずx<0の場所ではlog(-x)は1/xの原始関数ですから,
 lim(ε→0)∫(1/x)dx(x=-1からx=-εまで)
 =lim(ε→0)log(ε)-log(1)
 = lim(ε→0)log(ε)
となります.次にx>0の場所ではlogxが1/xの原始関数になりますから,εユは正の数として,
 lim(εユ→0)∫(1/x)dx(x=εユからx=1まで)
 =log(1)-lim(εユ→0)log(εユ)
 =-lim(εユ→0)log(εユ)
となります.よって,
 ∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)
 = lim(ε→0)log(ε) -lim(εユ→0)log(εユ)
となります.ところが対数関数log xはx=0において値を持ちませんから,右辺の二つの極限値はどちらも存在しません.これで広義積分∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)は収束しないことがわかりました.
 ところが,こんなふうにも考えられます.積分∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)は二つの極限値lim(ε→0)((-1/ε)+1) とlim(εユ→0)(1-(1/εユ))の和とひとまず規定され,その和は実は存在しないというのですが,それはεとεユが相互に無関係に減少していくからであり,もしそれらの間に特定の関係があれば,状勢は変化します.たとえば,ε=εユとすれば,
 lim(ε→0)log(ε) -lim(εユ→0)log(εユ)
 =lim(ε→0,εユ→0)log(ε/εユ)
 =log(1)=0
となって,積分値∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)=0が確定します.コーシーはこの値を「主値」と名づけました.
 より一般的に,aは任意の正数として,εとεユがε=aεユという関係を維持しつつ0に向かって減少sていくとすれば,
 lim(ε→0)log(ε) -lim(εユ→0)log(εユ)
 =lim(ε→0,εユ→0)log(ε/εユ)
 =log a
となって,積分値∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)=log aが確定します.しかもaは任意なのですから,この広義積分の値として取りうる数値は無数です.この積分は唯一の確定値をもたないという意味では不確定ですが,無限に多くの値を与えることが可能ですし,それらの中に「主値」という名で呼ばれる特別の値が混じっています.コーシーは,『要論』の序文において「不確定積分に与えることのできる無限に多くの値の中に,特別の注意を払う値打ちのあるものがひとつ存在する」と語っていましたが,この言葉の意味はこうしてすっかり明らかになりました.
 解析概論の系譜を物語ろうとする試みも飽和状態に達したように思いましたので,もう一度全体を見渡して言葉が足りなかったところを少々補ったり,言及する機会のなかった重要事項を紹介するなど,言わば落ち穂拾いのようなことをしておしまいにするつもりだったのですが,コーシーの『解析教程』と『要論』から複素変数関数論へと話が展開して,終着点が見えなくなってしまいました.表題は「回想」となっていますが,あまり相応しくありません.当面のテーマはコーシーの複素関数論で,もう少し続きます.
 今日の複素変数関数論の起源を探索すると,特筆に値する三つの出来事が目に映じます.ひとつは対数の無限多価性の発見で,オイラーは負数と虚数の対数の考察を通じてこの認識に到達しました.この件についてはだいぶ前に語ったことがあります.第二の出来事はコーシーによる定積分の値の算出法の工夫ですが,今,それを話しつつあるところです.第三の出来事は,リーマンとヴァイエルシュトラスによる代数関数論の建設で,背景にはオイラーに淵源する長い物語が控えています.近代数学史の重要なテーマですので,これについては稿をあらためて語りたいと思います.
 さて,関数f(x)は実変数の実数値関数として,その定積分を考えるとき,この関数が連続で,しかも積分区間が有界閉区間であれば,積分値の算出は微積分の基本定理により遂行されます.すなわち,関数f(x)が連続の場合,そのひとつの原始関数F(x)を見つけると,
  ∫f(x)dx(x=aからx=bまで積分)=F(b)-F(a)
となります.これは今日の微積分のテキストの書かれている通りですし,これだけのことでしたら積分は無限小量f(x)dxの寄せ集めと考えておけば十分で,わざわざコーシーの和を持ち出して,その極限として定積分を定義する必要はありません.ですが,関数f(x)が連続ではない場合には,安直な計算が許されない事例にしばしば出会います.高木貞治の『解析概論』から簡単な一例を拾うと,関数F(x)=1/xは関数f(x)=-1/x^2の原始関数で,F(1)-F(-1)=2となります.ところが,f(x)の値はつねに負ですから,x=1からx=-1までのf(x)の積分値は負になるはずですから,等式
  ∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=1まで)= F(1)-F(-1)
は不合理です.すなわち,この場合には微積分の基本定理は成立しません.関数f(x)はx=0において連続ではなく,x=0を含む区間において積分可能性が破れてしまうところに原因があるのですが,それならそのような関数の積分はどのようなものと考えたらよいのでしょうか.ここにいたって積分の観念の拡大ということが問題になってきます.
 積分∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=1まで)でしたら,これを二つに分けて,x=-1からx=0までとx=0からx=1までの積分の和と考えます.正の小さい数εを取り,f(x)=-1/x^2のx=-1からx=-εまでの積分を考えると,これは存在します.そこで,その後にεを0に近づけていき,そのときもし極限値が存在するなら,その極限値をもって積分∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=0まで)の数値と定めます.これが特異積分とか,広義積分とか,変格積分などと言われる積分です.ここで例示した例については,極限値
 ∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=-εまで)=lim(ε→0)((-1/ε)+1)
が存在するか否かを検討することになりますが,これは発散してしまい,明らかに存在しませんから,広義積分積分∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=0まで)は存在しません.この「存在しない」というところを指して,「発散する」とか「収束しない」などと言うこともあります.もう一つの右側の積分∫(-1/x^2)dx (x=0からx=1まで)についても事情は同様で,今度は極限値lim(ε'→0)(1-(1/ε'))の有無が問題になりますが,これは存在しませんから,広義積分∫(-1/x^2)dx (x=0からx=1まで)はやはり収束しません.
 積分∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=1まで)は収束しない二つの広義積分の和ですから,やはり収束せず,積分値をもちません.
 他方,関数f(x)=x^(-1/3)やf(x)=x^(-2/3)のx=-1からx=1までの積分は広義積分ですが,これらは収束し,それぞれ積分値0, 6を持ちます.これを確かめるのは容易です.たとえばf(x)=x^(-1/3)は連続な原始関数F(x)=(3/2)x^(2/3)をもちますから,xが0に近づくときの極限値はlim(x→0)F(x)=0となります.よって,
 ∫(x^(-1/3))dx (x=-1からx=0まで)
 = lim(ε→0)∫(x^(-1/3))dx (x=-1からx=-εまで)
 =lim(ε→0)F(-ε)-F(-1)=...=3/2.
こんなふうに計算を進めていくと,懸案の積分値が算出されます.

 コーシーの論文「虚数限界間の定積分の論」が世に出たのは1825年のことで,この論文は今日のいわゆる「留数定理」がはじめて記述されたことで知られていますが,コーシーにとって留数定理は目的のための手段にすぎなかったと高木貞治は言っています.では目的は何であったのかというと,高木貞治の言葉をそのまま引くと,「ラプラース,ルジャンドル等に由って当時『知られている殆ど凡ての定積分及びその他の多く』を,複素積分の手段に由って手際よく計算して見せること」なのでした.
 複素数でしたら1821年の『解析教程』でもすでに語られていましたが,コーシーの目には今日の複素数もしくは虚数は数とも量とも映じなかったようで,単なる記号と見て「虚表示式」などと呼んでいました.それでも,留数定理を経て定積分の数値の算出に適用されて,ようやく「虚表示式」が意義をもちうる場面が現れました.ひょっとするとコーシーは『解析教程』の段階ですでに,ここまでの展開を展望していたのかもしれず,それならそれで驚嘆に値する出来事です.コーシーの和による定積分の定義は「実数限界間の定積分」にほかなりませんが,ここを出発点に定めたのも,その先に「虚数限界間の定積分」を見ていたからなのではないかとも考えられるところです.真実はおそらくそうだったのであろうと思います.
 定積分の数値計算の工夫は,「実数限界間の定積分」から「虚数限界間の定積分」に移る前に,『解析教程』に続く1823年の『要論』においてすでに現れていました.次に挙げるのは『要論』の緒言の末尾の言葉です.

《積分計算では,「積分」もしくは「原始関数」の諸性質を伝える前に,その存在を一般的に証明しておく必要があると私には思われた.これを達成するために,まずはじめに「与えられた限界の間で取られる積分」すなわち「定積分」の概念を確立しなければならなかった.》

 ここで語られているのは,定積分の概念は原始関数の存在証明のために必要であるというアイデアですが,これについては既述の通りです.有界な閉区間上の連続関数に対しては定積分が確定し,そこから原始関数の存在が導かれます.他方,積分区間が有界ではなかったり,積分区間内に関数の特異点が存在したりする場合には,広義積分と言われる積分が現れます.以下に引くコーシーの言葉では「特異定積分」と言われています.
 広義積分は収束して有限確定値を取ることもあれば,発散して無限大になったり,確定値をもたなかったりすることもあります.有限確定値をもたない場合には,積分の値は確定せず,無数の値を取りうることになりますが,それらの値のうち,コーシーは「主値」と呼ばれる特別の値に着目します.

《定積分はしばしば無限大になったり不確定であったりすることがありうるから,定積分はいかなる場合にただひとつの有限値を保持するのか,という論点の究明が不可欠であった.この問題を解決する一番簡単な方法は「特異定積分」を使うことである.特異定積分は第25講のテーマである.また,不確定積分に与えることのできる無限に多くの値の中に,特別の注意を払う値打ちのあるものがひとつ存在する.それはわれわれが「主値」と名づけた値である.特異定積分および不確定積分の主値の考察は,一群の諸問題の解決にあたって非常に有益である.この考察から,定積分の決定に有効性を発揮するおびただしい数の一般公式が導かれる.それらは,1841年に学士院に提出した一論文において与えた諸公式と似通っている.第34講と第39講において,この種の公式のひとつが,いくつかの定積分の数値決定にあたって適用される様子を目の当たりにするであろう.それらの数値のうちのいくつかはすでに知られているものである.》

 不確定積分の主値の考察により,多くの特異定積分の数値の決定が可能になります.これが,複素変数関数論に踏み込んでいく直前の時点でのコーシーの工夫です.

 複素変数の解析関数の理論は以前はよく「関数論」と略称されたものですが,このごろは複素解析という呼び名も目立つようになりました.複素解析は一変数と多変数に分かれますが,多変数の複素解析は岡潔先生が登場するまでは,個別の事象がいくつか発見されたという程度で,まとまりのある理論ではありませんでした.それで,単に関数論といえばたいていの場合,一変数関数論をを指し,その源泉を求めて歴史の流れをさかのぼると,コーシーとリーマンに出会います.この二人の数学者は定積分の概念規定の際にも,「コーシー−リーマンの和」を作る場面でいっしょに語られましたが,一変数関数論にも「コーシー−リーマンの微分方程式」という基本方程式があります.
 多変数関数論についてはいずれ時をあらためて語ることにして,以下しばらく関数論といえばつねに一変数関数論のことと諒解することにします.コーシーに「コーシーの定理」があれば,リーマンには「リーマン面」があり,ともに関数論の創始者の名に相応しい数学者ですが,関数論の建設に向かった契機は,コーシーとリーマンではまったく異なります.
 コーシーの関数論については高木貞治の言葉が参考になります.以下の挙げるのは『近世数学史談』の第14章「函数論縁起」の書き出しの言葉です.

《コーシーの業績の中で最も顕著なのは何と言っても函数論の創立であろう.函数論と言えば誰でも先ず第一にコーシーを連想する.しかしコーシーは初めから今日の所謂函数論を建設することを意識していたのではなくて,研究の動因は定積分の計算にあったのである.ラプラース,ルジャンドル,ポアソン等が天文学又は物理学上の問題に関して種々の特殊なる定積分に遭遇した.・・・コーシーはそれらの定積分が複素変数を用いることに由って統一的の方法に由って計算されることを看破した.1825年の論文「虚数限界間の定積分の論」はそれを示すことを目的として書かれたのである.》

 今日流布している関数論のテキストに沿って勉強を進めていくと,「コーシーの定理」を基礎として,そこからさまざまな命題が導かれていきますが,留数計算にいたってひとつの山場を迎えます.留数計算は留数解析などと呼ばれることもありますが,この計算法を用いると,どうしたら計算できるのか途方に暮れてしまうような定積分の値がたちまち求められてしまいます.コーシーは当初からそれをめざしていたのだというのが高木貞治の指摘ですが,これはその通りと思います.
 解析概論の系譜をたどっていくと,オイラーの次に登場するのはラグランジュ,その次はコーシーです.細かく拾っていけば,オイラーやラグランジュと同時代の数学者はほかにも何人もいます.「ロールの定理」のロールについては簡単に触れたことがありますが,フランスではほかにダランベールとかラクロアなどという数学者が念頭に浮かびますし,ラグランジュの『解析関数の理論』の序文にはアルボガストなどという人の名も出てきました.同じ序文には「ランデン変換」のランデンという人の名も見られました.ランデンはイギリスの数学者ですが,イギリスでしたら,マクローリン展開」のマクローリンや「テイラー展開」のテイラーなど,ニュートンの系譜を継ぐ数学者がいます.このような人たちのひとりひとりについて著作や論文を検討するのは無意味な作業ではないと思いますが,オイラーからラグランジュへ,ラグランジュからコーシーへと続く線がやはり解析概論の基幹線ですし,何よりもまずこの三人の作品を深く検討しなければならないのではないかと判断した次第です.
 ラグランジュの名は『解析力学』という著作と組になって語り伝えられてきたように思いますが,力学ばかりではなく,ラグランジュは数論や代数方程式論の領域でも深い思索を展開しています.数学のあらゆる分野においてオイラーの遺産を継承した大数学者ですが,無限解析における寄与はほとんど語られることがないのは,『近世数学史談』の記述の通りです.実際にはラグランジュは無限解析の基礎を確立しようとして苦心を重ねた人で,『解析関数の理論』『関数計算講義』という著作を遺しました.ところが,ほどなくしてコーシーの『解析教程』『無限小計算講義要論』が現れるに及び,ラグランジュの著作はたちまち色あせてしまったというのが,『近世数学史談』における高木貞治の所見でした.
 実際の経緯は高木貞治の言う通りで,ラグランジュの著作が話題に登ることはめったになく,ときたま数学史の書物で取り上げられることがあっても,たいていは否定的で,高く評価されるということはありません.ぼくにしても書名のみ知って,中味を読むところまではなかなか踏み切れなかったのですが,だいぶ前に杉浦光夫先生と話をしたおりに,杉浦先生は読んだというので感嘆したことがあります.それで,通説にまどわされて敬遠するのはよくないと反省し,読み始めました.序文や本文の検討とは別に,書名に見られる「解析関数」と一語は重要で,今日の複素変数関数論に継承されています.
 だいぶ昔のことになりますが,高校の数学の問題に「次の関数の定義域を書け」というタイプのものがありました.たとえばf(x)=1/xという式が書いてあるとすれば,これを関数と見ると,x=0に対しては,対応する値が存在せず,他のすべてのxの実数値に対しては1/xという一個の値が対応します.そこで,この式,すなわち関数の定義域としては「実数の全体からx=0を取り除いた残りの部分」と答えるのが正解になります.式が書かれていて,その式の定義域を指定せよというのですから,関数というのはオイラーのいう解析的表示式のことと諒解されていることになります.
 このタイプの問題はいつのまにか見られなくなりました.関数には先天的に定義域が附随し,定義域と値域が指定されてはじめた関数が考えられるという,今日の関数概念が普及したためと思われますが,この経緯には,オイラーからコーシーを経て今日へと続く関数概念の変遷史が凝縮されているかのようで,実に興味深い状況です.
 今日の関数概念を基礎にすれば,いきなりf(x)=1/xという式を書いて,その後に定義域を考えるというのは本末転倒であり,開区間(0, 1)とか,閉区間[2, 5]とか,x=0を含まない場所をまずはじめに指定し,その場所の上で,式f(x)=1/xで与えられる関数を考えるという手順になります.ですが,1/xのような式を考える場所をあらかじめ限定するというのはいかにも不自然であり,ぼくらの「情」はこれをなかなか受け入れません.
 複素変数関数論の基礎を作るのは「解析関数」という概念ですが,解析関数には解析接続という現象が伴っていて,どの解析関数にも固有の自然存在領域が伴います.たとえあらかじめ何らかの場所を指定して,そこで解析関数を考えたとしても,解析接続が自由に作用して,存在領域はおのずと大きく広がっていきます.解析関数にとっては,定義域を前もってしていするのは無意味なのですが,これはすなわち「式」というものにおのずと備わっている性質にほかなりません.1/xという式を見れば,その自然な存在領域は,式の形を一瞥するだけではじめから明白だからです.
 解析的表示式から始まった関数概念は集合間の一価対応へと変容しましたが,複素変数の解析関数を考えるにいたって再び出発点に立ち返ったかのような印象があります.ラグランジュはテイラ−展開のアイデアを基礎にして,関数とそのすべての導関数を一挙に把握しようとして「解析関数」の一語を提案しましたが,この言葉は複素変数関数論の場で今も生きているラグランジュの遺産です.
 「解析概論の系譜」と題してとりとめのない話を長々と続けてきましたが,語るべきことはほぼ語り終え,勉強の及ばない多くの部分はまだ語れないという臨界点に,だんだんと接近してきたように思います.微積分の始まりをライプニッツの二論文と定め,ライプニッツとベルヌーイ兄弟との学問的交友を通じて,ライプニッツが発見した微積分の芽が生い立ったというふうに語りたかったのですが,そんなふうに思った時点ですでにいくつかの不備が目立ちます.何よりもまず,微積分の始まりということでしたら,微分計算と積分計算のライプニッツとともに流率法のニュートンを語らなければならないのですが,勉強が足りないために実行できません.ニュートンについては目下,バーンサイドが編纂した「ニュートン数学著作集」(全8巻)を底本として邦訳の試みが進行中ですので,成り行きを見守りたいと思います.
 それからライプニッツとベルヌーイ兄弟の往復書簡の重要性は言うまでもなく,全部でおおよそ200通ほどになりますが,巨大な山塊を形成して,微積分の本質に迫ろうとするあらゆる試みの前にたちはだかっています.この山脈を踏破した人は日本にはまだ現れていないと思います.
 話が前後しましたが,ライプニッツについては工作舎から『ライプニッツ著作集』(全10巻)が刊行されていて,数学に関する諸論攷は巻2と巻3に集められています.このあたりに糸口を求めて分け入っていくのは有効と思いますし,ライプニッツ自身の書き物を研究するのは不可欠でもありますが,ライプニッツの数学理論の解明の試みがベルヌーイ兄弟との往復書簡の壁にぶつかってしまうのは,どうしても避けられません.
 ベルヌーイ兄弟についてはそれぞれ全集が編纂されていますが,どちらも巨大な壁を作っています.とりあえず気にかかるのはヨハン・ベルヌーイがパリでロピタルのために行った二つの講義の記録(微分計算と積分計算)ですが,特に微分計算については,1696年のロピタルの著作『曲線の理解のための無限小計算』と比較して,ロピタルはベルヌーイのコピーといううわさの真偽を確認したいところです.この作業にはそれほどの困難はなく,相当に進捗しました.
 ベルヌーイ兄弟ばかりではなく,ベルヌーイの一族には有力な数学者が8人まで数えられています.うわさ話はいろいろ聞えていますが,実像を見るのは至難であり,ベルヌーイ一家は依然として謎の数学者集団です.
 ヨハン・ベルヌーイの学問上の弟子の中でひとりだけ飛び抜けているのはオイラーですが,オイラーの全集もまたあまりにも巨大でありすぎます.全集を構成する四系列のうち,第一系列の数学著作集は全29巻,全30冊で,全容を思い浮かべようとするだけでたちまち気が遠くなってしまうほどですが,それでも長年の努力の結果,無限解析の三部作と数論の論文集のほか,だいぶ解明が進みました.目下,オイラー研究所の尾崎管理人とゼミを繰り返し,オイラーの変分法のテキストを読んでいるところです.このゼミは一年半ほど続いています.それと,石原研究員といっしょにオイラーの代数学のテキストを読んでいますが,このゼミはこの春からですので,まだ入口のあたりです.解析概論の系譜という視点に立てば,オイラーの三部作の解明が基礎になりますが,微分と積分の計算の基礎を作るのは代数ですし,変分法は無限解析が縦横に活躍する舞台なのですから,やはり不可欠です.
 コーシーがそうしたように,極限概念を全面的に採用して無限小の世界を離れようとしたのは,関数概念に極度に一般化され,抽象的な一価対応になってしまったためでした.そのような関数を従来の通りy=f(x)と表記したとしても,xもyももはや変化量ではなく,ただ単に数xに対して一個の数yが対応する「対応の規則」が指定されているだけにすぎません.それならどうしてxとyの微分dx, dyを考えることができるでしょう.
 微分を考えることができない以上,dxとdyの比dy/dxを直接とらえようと試みるほかはなく,そのために微分商
  (f(x)-f(a))/(x-a)
を作り,xをaに近づけるときの極限値が存在するか否かを問うという構えを採ることになります.ところが,今度はxは変化量ではなく,自律的に変動するとは考えられていませんし,そもそも量ですらなく,単なる数にすぎません.単なる数にすぎないxがどうしてaに近づいていくことができるのでしょうか.
 つい先ほど,「xをaに近づける」とか「xがaに近づく」などと言いましたが,これは便宜上というか,言葉の綾にすぎず,実際にはxがaに近づいていく状勢を思い浮かべることはできません.そこでどうするかというと,今日の微積分では,極限ということの意味合いを確定するために,「イプシロン−デルタ論法」という,あのいかにもわかりにくいスタイルが採用されます.この習慣は今ではすっかり定着しましたが,たいていの場合,受け入れるのは困難です.「変化量が近づく」という動的なイメージが日常的な観念によく適合するのに対し,「イプシロン−デルタ論法」のような静的な定式化は,知的には問題がなくても,情はこれを拒絶しようとします.日常的な裏打ちがありませんから,どうしても違和感をぬぐいきれないのですが,知的には問題がなさそうなところに着目すれば,なんとなく厳密な理論が構成できたような感じもあります.
 無限小の世界に実在感をもつことができたとして,微分計算の手順を経て無限小の世界に移行すれば,そこは単色の世界ではなく,さまざまな度合いの無限小の世界が層を作っています.無限大の世界についても事情は同様です.これに対し,抽象的な一価対応としての関数を採用してどこまでも有限の世界に留まるのであれば,今度は関数の作る世界が階層化します.関数は不連続関数と連続関数に二分され,連続関数の中で微分可能な関数が層を作ります.さらに,微分可能関数の中でも,微分は何回まで可能なのかと考えていくと,階層は限りなく深まっていきます.究極にあるのは無限回微分可能な関数ですが,その世界もさらに解析的な関数と非解析的な関数に分かれます.
 こんなふうに抽象的な関数の性質を腑分けしていくことができるようになるのは,「変化量とその微分」を放棄して,極限概念を基礎にするというアイデアを採用したおかげですが,代償もまた払わなければなりませんでした.微分計算の姿がきわめて煩雑になったのはやむをえないとしても,たとえば微分と積分の関係は当初は先天的に互いに他の逆演算だったのですが,コーシー以降は微積分の基本定理という大掛かりな命題の教えることとして受け入れなければならないことになりました.また,定積分の概念がコーシーーリーマンの和の極限として大域的に規定されたため,積分の計算はもはや「無限小の寄せ集め」ではなくなり,無限解析の草創期の簡明さは完全に失われました.それに,関数とその導関数を基礎にすると,微分方程式の解の概念が明確さを欠きがちになってしまいますが,この点は惜しんでも惜しみきれないほどの実に残念な代償です.
 ライプニッツに始まる無限解析と無限小解析の系譜はコーシーにいたって大きく変容し,微分法と積分はひとまず別個に構成され,その後にいわゆる「微積分の基本定理」により合流するという構えになりました.オイラーの無限解析とはまったく似たところのない様相ですが,関数概念が大きく拡大されて全面的に表に押し出され,関数の微分(微分法)と関数の積分(積分法)の理論を別々に組み立てなければならなくなりましたので,どうしてもそんな体裁になるほかはありません.共通の理論的基盤は,周知のように,「極限」の概念です.
 コーシーの微分法では平均値の定理が根柢を作っていましたが,積分法では,何よりもまず,与えられた関数の原始関数の存在を証明することが基本になります.ところが,与えられた関数の原始関数というのはどのようなものであるのか,あるいは,どのようなものであるべきなのか,実際には前もってわかっています.すなわち,それは,与えられた関数の積分関数にほかなりません.コーシーは連続関数の原始関数の存在を証明しようとしたのですが,そのためにコーシー和の極限を考えて定積分の概念を導入し,その存在証明を試みました.この命題の証明のためには,実は有界閉区間の上の連続関数は「一様連続」であるという性質に依拠しなければならないのですが,コーシーはこれは認識していませんでした.それで証明に不備があるのですが,数学史の流れから見ると大きな欠陥とは言えず,後に続く人々の手で修正されました.解析学の厳密化の道はこの種の修正を丹念に行っていくことで前進したのですが,進むべき道を力強く指し示したのはコーシーです.
 ともあれ連続関数の原始関数の存在証明というふうになると,連続関数というもの性質そのものに基づいて実行するほかはありませんし,変化量とその微分を考えるオイラーの世界から非常に遠い場所にたどり着いてしまったという感慨があります.
 「ロールの定理」のロールについてもう少し情報が集るといいのですが,何分にもこれまでの蓄積がありませんので,今のところ立ち入ったことは何も言えません.昨日,「ロールの定理」の初出と見られる論文(「論文」と書きましたが,不詳.独立した論文ではなく,単行本の一節なのかもしれません)を紹介しましたが,それを知ったのはつい最近のことで,昭和9年に刊行された藤原松三郎の著作『微分積分学 第一巻』(内田老鶴圃,うちだろうかくほ)に教えてもらいました.この著作は2巻本で,第2巻は昭和14年に刊行されています.定理や命題,例,問題などに引用元の文献が細かく指示されているところに他書にない特徴がありますが,「ロールの定理」のところにもこの特性が発揮された次第です.高木貞治の『解析概論』とはまた別のおもむきがあります.しばらく座右に置いて観察を続け,おもしろい発見があれば報告したいと思います.
 ロールの定理は1691年までさかのぼるとして,平均値の定理はロールの定理から即座に派生しますし,テイラー展開,マクローリン展開,ロピタルの定理,多変数関数の条件つき極値問題に対するラグランジュの未定乗数法等々,みなコーシー以前にすでに出現しています.
 さて,『近世数学史談』にもどり,コーシーとラグランジュを比較する高木貞治の所見を聞きたいと思います.高木はこう言っています.

《歴史上「網要」の重大性を理会するには,それを当時の権威であったラグランジュの「函数の理論」と並べて見ねばならない.ラグランジュの「函数の理論」は十八世紀の終末に於ける微積分法批判の試みとして貴重なる史料ではあるが,それを今日白日の下に曝らすには斟酌を要する.試みに譬喩を以って言えば,比例式
  (Cauchyの網要)  : (Lagrangeの函数の理論)
 =(Gaussの「整数論研究」) : (Legendreの「整数論試作」)
でもあろうか.ここでも時世の推移が急速度であったことが目立つのである.コーシーが発散級数は和を有しないから,テーロルの展開は積分法に譲って剰余項を添えねばならないと断えず高調するのはラグランジュのあやふやなる「函数の理論」を葬る為の告別辞であったのである.》

 ルジャンドルの『数論のエッセイ』にはガウスのD.A.のような創意はありませんが,オイラーの数論を懇切に祖述するところに本領が認められるのですから,単なる歴史史料ではありません.同様に,ラグランジュの『解析関数の理論』は単なる微積分批判の試みとは言えないのではないかと思います.高木貞治の所見はどれもそれ自体としては正しいと思いますが、『解析関数の理論』の序文を見れば諒解されるように,無限小の世界から離れようとする姿勢を大胆に打ち出したところに,ラグランジュの真価があります.コーシーはこのラグランジュの姿勢をはっきりと自覚して継承し,無限小量を「どこまでも限りなく小さくなる変化量」と規定して無限小の世界から離れました.コーシーと比較してラグランジュの値打ちを引き下げるのはやはり不適切で,無限小の観念を放棄する道筋の模索という一点において,ラグランジュからコーシーへと続く連続なつながりを深く味わうべきなのではないかと思います.

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