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岡潔先生をめぐる人々 フィールドワークの日々の回想(47) 龍神温泉の旅の話

 新和歌浦の一夜が明けて、10月23日、岡先生たちはふた手に分れて龍神温泉に向かいました。総勢何名だったのか、どのようにふた手に分れたのか、岡先生はどなたといっしょだったのか、さまざまな疑問がわきますが、はじめて補陀さんにお会いしてお話をうかがったときは、細かいところまではわかりませんでした。龍神温泉の旅は昭和43年の秋10月の末のことですから、平成8年10月の時点から振り返るとすでに28年の昔の出来事です。この日は時間もゆとりがありませんでしたので、おおまかな話をうかがっただけでしたが、補陀さんとはその後も何度もお会いする機会がありましたし、電話でも話し、お手紙もいただいて、そのつど龍神温泉の旅の情景が細やかになっていきました。
 現在、判明しているところでは、新和歌浦から龍神温泉に向かったのは総勢16名ですが、ひとりは生まれて三箇月の菜摘(なつみ)ちゃんでした。菜摘ちゃんは補陀さんのお子さんで、万葉集の巻頭に置かれた雄略天皇の歌に取材して保田先生が命名しました。和歌山市の尾崎市長も同行しました。
 一番はじめに補陀さんにうかがった話だけを摘記したいと思います。岡先生は「日教組事件」のためか、初日の新和歌浦ではあまり御機嫌がよくなかったようですが、翌日、龍神温泉に到着するといっぺんに上機嫌になったそうです。風景がお気に召したのでしょう。保田先生の顔を見るなり、「保田さん、今が時ですぞ」といきなり話しかけたので、保田先生もきょとんとした感じで聞き流したという話もありましたが、これは新和歌浦でのことかもしれません。岡先生は旅館ではスリッパを履かないものですから、みなが、どうぞ、どうぞ、とすすめたところ、岡先生は、どうしてこんなすべるものをはかなければならないのかねえ、と応じたそうです。これも新和歌浦と龍神温泉のどちらの旅館でのことなのか、わかりません。
 夕食のとき、みちさんが、海老をむいて口に入れればよいだけにして岡先生にさしだしたところ、はらいのけました。それで、「いつもお好きですのに」とみちさんが言うと、「時と場合による」と言いました。これは龍神温泉の上御殿(かみごてん)での話です。
 上御殿ではみなで筆で字を書いて遊びました。胡蘭成に書法の指導を受けて、岡先生も色紙を書きました。補陀さんが行基菩薩の歌
   山鳥のほろほろと鳴く聲きけば
     父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
を朗詠したのですが、岡先生は「山鳥の」と「ほろほろと鳴く」の順序を入れ替えました。

   ほろほろと
   鳴く山鳥の
   聲きけば父か
   とぞ思ふ母かと
   ぞ思ふ   岡潔冩

 それから岡先生は「数は量のかげ」と発言しました。これにはみな大いに感嘆したというのですが、補陀さんが案ずるに、「山鳥」が「数」に対応し、「父かと思う、母かと思う」というところが「量」に対応するように思われました。この色紙は補陀さんが頂戴して、今もたいせつに手元に置いています。見せていただくと、たちまち30年の昔にひきもどされて、龍神温泉の旅の日の岡先生たちのありさまが突然ありありと心の目に映じました。
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西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
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