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高木貞治の『解析概論』にもっとも大きな影響を及ぼしたのは,おそらくグルサ(Edouard Jean-Baptiste Goursat,1858-1936)の『解析教程』だったのではないかと思います.グルサは1856年生れのピカールより少し若い数学者ですが,パリのエコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)で少し年長のピカールと知り合い,親しくなりました.『解析教程』は全3巻の大冊で,1902から1913年にかけて出版された後,第2版,第3版と版を重ねました.webcatなどで調べたところ,第7版まで出たらしいところまでわかりました.実際に見ることができたのは第3版で,巻1は1917年,巻2は1918年,巻3は1923年に刊行されています.この版は増補改訂版です.
 第一章「序論」の第2節には「関数」という標題が附されていて,冒頭に関数の定義が見られます.「関数という言葉の今日の定義はコーシーとリーマンによるものである」と書き出されているのですが,コーシーによるというところはよしとして,ここでリーマンの名が登場するのはやや不審です.リーマンは1851年の学位論文「一個の複素変化量の関数の一般理論の基礎」において正則関数の定義を記述しましたが,正則関数の概念規定に先立って,論文の冒頭で正則と限定されない一般的な関数の概念を述べています.それは二つの複素変化量zとwの間の関係を規定しようとする言葉で,zが次々といろいろな数値(複素数値です)を取って変化していくとき,それに対応してwもまたそのつど値を取っていくという状勢が認められるなら,そのときwをzの関数と呼ぶ,というのです.この定義は一般性はありますが,リーマンが規定しようとしているのは正則関数ですから,ある特定の性質を課して関数概念を限定していかなければなりません.そこをどうするのかというところにリーマンの学位論文の眼目があるのですから,冒頭に書き留められた一般的な関数概念は物語の糸口でしかありません.グルサはその片言を指して,今日の関数概念の起源としているのでしょうか.
 あるいは,リーマンのもうひとつの論文も念頭に浮かびます.それは,「任意の関数の三角級数による表示の可能性について」という1854年の論文で,標題の通り,「まったく任意の関数」を三角級数(フーリエ級数とも言います)に展開する可能性を論じた名高い論文です.ここではたしかに「まったく任意の関数」というものが主役の位置を占めますが,この種の関数のことならリーマンよりむしろフーリエの名を挙げるべきであろうと思います.
 関数概念の記述にあたり,グルサがなぜリーマンの名を挙げたのか,合点のいかない感じはぬぐえませんが,それはともかくグルサ自身が書き留めた定義は,
 《xのある値に対してyのある値が対応するとき,yをxの関数と言う》
というものです.眼目は依存関係にあり,それをy=f(x)という形の等式で表記すると言い添えられています.xとyは何かというと,これらは「変数」なのですが,ひとまず実変数,すなわち実数値のみを次々と取っていく変数が考えられています.グルサのいう関数は高木貞治の『解析概論』に見られる関数と同じです.変数とはいいながら、実際には変化しないところも同じです。
 「変数」というのはロピタルやオイラーの時代の変化量と同じもので,変化量という言葉はコーシーにもリーマンにも出てきますが,『解析概論』では一貫して「変数」とされ,変化量という言葉は使われません.19世紀の後半のある直から「量」を捨てて「数」を採ろうとする動きが強まり,その結果,「変化量」は全面的に「変数」に座をゆずることになったのですが,長い間,考え違いをしていたことがひとつあります.変化量というのは,フランス語で表記するとune quantite' variableですが,quantite'を削除して形容詞のvariableを名詞として使い,une variable,la variable(quantite'は女性名詞ですから,variableを変化量の意の名詞として使う際には女性名詞と見て,女性名詞につける冠詞のuneやlaを添えます)と表記されることもしばしばあります.これを日本語に訳すとき,「量」を捨てて「数」を採用し,「変数」という訳語ができたのではないかと思っていたのですが,「解析概論の系譜」を書き始めるのにあたってグルサを見直したとき,巻1の冒頭に,
   un nombre variable
という言葉が出ていることに気がつきました.これは「変化する数」の意ですから,「変数」そのものです.これをそのまま訳出して「変数」となったのに違いありません。「変数」に原語があるとは思いもよらなかったことで,これにはまったく驚きました.

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