巻1の位相空間論を受けて,巻2から微分法が始まりますが,難解な記述が続いて非常に苦しめられました.ずいぶん熱心に読んだのですが,関数の微分可能性の定義からして理解できないというふうで,まったく弱りました.それで一計を案じ,訳者の小島先生のお話をうかがってみようと思い立ち,小島先生のお勤め先の早稲田大学の理工学部に出向きました.
小島先生はとても親切な方で,初対面の初心者のためにいろいろなお話をしてくれました.シュヴァルツの解析学の原書も見せてもらい,フランスには各時代を代表する数学者が解析概論を書く伝統があると教えていただきました.そう言われてみるとそれはその通りで,19世紀と20世紀の境目のころ,ピカールの『解析概論』,グルサの『解析教程』,ジョルダンの『解析教程』などが刊行されています.どれも全三巻で,各巻500頁程度という大きな著作です.岡潔先生が京大の学生のころ,数学教室にピカールの『解析概論』とグルサの『解析教程』が揃えてあり,数学科の学生は両方とも読まなければならないという不文律があったということでした.岡先生の回想によると学生時代にはどちらも読んだという気配はなく,卒業後,独学で急いでフランス語を読めるようにして,ともあれピカールの『解析概論』の方を読み上げたということです.
『解析概論』の原書名は"Traite' d'analyse(トレテダナリーズ)"で,グルサやシュヴァルツの"Cours d'analyse(クールダナリーズ)"と区別して,"Traite' "には「概論」,"Cours"には「教程」という訳語をあてました.
ピカール,グルサ,ジョルダンの時代からシュヴァルツまでかなり離れていて,フランスの解析教程の伝統も途切れがちになったかのような印象がありますが,第一次世界大戦でピカールたちの世代の次の世代に位置するはずの数学者たちが失われたことが,この現象の原因ではないかと思います.岡先生が洋行してフランスにわたったのは昭和4年(1929年)で,フランスではガストン・ジュリア先生に師事したのですが,ジュリア先生は岡先生より8歳年長で,第一次世界大戦に従軍して顔面に大きな戦傷を受けるという経験の持ち主です.戦死してもおかしくない状況に直面したのですが,実際のところ,ジュリア先生の世代のフランスの数学者は非常に少なく,ほとんどジュリア先生のみというほどでした.それで,その次の世代のアンドレ・ヴェイユやアンリ・カルタンたちが集って数学者集団ブルバキを結成すると言う「成り行きになったのですが,そのブルバキのメンバーたちは当初,ジュリアセミナーに参加するという形をとってジュリアのもとに集ったのでした.シュヴァルツもまたブルバキの一員で,そのシュヴァルツが,自分の時代の「解析概論」を書いたのでした.
フランスの「解析概論」の伝統は1821年のコーシーの『解析教程』にさかのぼりますが,コーシー以前にもラグランジュの『解析関数論』がありましたし,さらにその前には,近代数学史上に現れた一番はじめの微積分のテキストであるロピタルの著作がありました.ロピタルからシュヴァルツまで,「解析概論」の流れはたしかに流れつづけているように思います.
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