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 インターネットでALSという難病のことを調べている途中で、バクバクの会という不思議な名前の会に出会いました。いろいろな原因により人工呼吸器をつけなければ生きられない状態になった子どもたちが少なからずいるということで、何も措置をせずに亡くなる子どもも多いのだそうですが、人工呼吸器をつけて生きる道を家族が選択した子どもたちを指して「バクバクっ子」といい、そんなバクバクっ子の親たちが結成した会を「バクバクの会」と呼んでいるのだそうです。「バクバクっ子」というネーミングには、どこか悲しい響きがあります。
 呼吸器をつければ相当の年数にわたって生きることができますし、少なくとも当面のいのちの危機は免れる道理ですが、バクバクっ子の親たちは、そうまでして生きるのは本当に本人のためになるのかと悩み、呼吸器とともに生きる子どもの人生を選択する決意を固めるまでには、たいへんな葛藤を乗り越えなければならないという話をたくさん読みました。これを裏返すと、呼吸器をつけずに亡くなる「バクバクっ子」は非常に多いということになります。呼吸器をつけないということは、おとなの病気の場合でいえば、延命を放棄することと同じです。生きられるなら生きるのがよいと思いますし、あまりにも当たり前で、議論や悩みの余地はないと思うのですが、現実はそうはなっていないのがいかにも不思議です。人命の尊重ということはよく言われますし、あからさまにこれを否定する人はないのではないかと思うのですが、それならなぜ、

ぼくの母のように治る見込みのない肺炎に陥った病人や、
修復腎移植をすれば助かる見込みのある病人や、
ALS患者や
バクバクっ子たち

は、見捨てられてしまうのでしょうか。まるで人命尊重の対象になるのは健常者だけと、暗々裡に社会の合意ができあがっているかのような感じを受けます。
 バクバクの会とは別に、尊厳死協会というのもあることを知りました。尊厳死は以前は安楽死と言われていたようですが、これを要するに、「無益な延命措置をしてまで生きたくない」という、遠藤周作のような人たちの集まりです。非常に積極的な活動している人たちで、「元気なうちに尊厳死の意志を明確に示しておき、いよいよ末期になったらその通りにしてもらう」ことを医師に要請するというのですが、現在、熱心に取り組んでいる懸案に、

「尊厳死の法制化」

というのがあります。これにはぎょっとしました。
 もし尊厳死の法制化が成立したなら、遠藤さんの奥さんと医師の間のいざこざはありえませんし、前に紹介したような、「医師と対立した末、父の延命装置をはずして死にいたらしめた子ども」の悩みももうありえません。なぜなら、この場合、「死」の責任は法律の条文に転化され、医療従事者は単に法律の指示する作業の遂行係になるからです。
 この話には本当にびっくりしましたが、さらに驚いたのは、バクバクの会が会を挙げて尊厳死の法制化に反対しているという事実です。バクバクの会の立場からすれば当然のことで、尊厳死の法制化が日の目を見たなら、バクバクっ子たちはたちまち尊厳死すなわち安楽死の対象にされてしまう恐れが出てきます。親や家族が何かのときに弱気になって、「もういいや」という心情に傾けば、その後は法律の定める通りに事が運ばれていくことになるからです。このあたりはよく理解できます。ぼくが驚いたのは、バクバクの会が尊厳死の法制化に反対しているというそのこと自体に対してではなく、尊厳死協会とバクバクの会の間のきびしい対立が、現に今、進行しているという事実に対してです。つい最近まで、全然知りませんでした。

母の病気という小さな体験を通じて得た心情に沿えば、尊厳死や尊厳死協会というのはまったく理解することができません。尊厳を保ちつつどのようにして早く死ぬかと思案するよりも、尊厳を保ちつつどこまで長く生きられるかと工夫する方がよいのではないかとぼくは思います。尊厳死よりも尊厳生。ですが、尊厳生は歩が悪く、力がありません。この点もまた、なぜなのかと、さらに考えたいところです。

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