Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://reuler.blog108.fc2.com/tb.php/2504-8adccf3a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

新数学人集団(SSS)の時代 ノート57 抽象数学の時代

倉田先生のみるところ、後年のヒルベルトの見解は哲学的単純さとドグマを含むものですが、ヒルベルトの名とともに不滅な多くの仕事と公理的方法の重要性を損なうものではないということです。「哲学的単純さとドグマ」というのはどのような意味なのでしょうか。

・ヒルベルト以後、今日にいたるまで、基礎論、古典数学の基礎づけ、および抽象数学と、ひとつのヒルベルトの精神は歴史において必然的であったが、他方、もうひとつのヒルベルト精神が主張したように、発展の原動力は依然として古典的問題と応用部門から提供された「問題」であった。全体としてそのモチーフは、1910年ころから始まるところの、抽象数学による大掃除の時期、および1935-36年以後の古典数学の全面的かつ徹底的な再検討の時期を通じて変化してきた。もっともこれは、世界数学の最良部分の問題意識の変化の過程であり、上記の判断は1934―42年、高木貞治によって与えられたものだ。

 ここに高木先生が登場するのはいくぶん唐突な感じがしますが、高木先生は数学の姿の変化に非常に敏感に反応して、「過渡期の数学」をはじめ、盛んに発言を重ねていました。倉田先生の念頭には、その一連の高木先生の発言があったのでしょう。

・それと同時に、不毛な抽象化(アメリカのフォルマリストたちの)の流行、分散的かつ末梢的な研究態度、目標の喪失、教育制度の欠陥もまた出現する。その中で、1935-6年ころから活躍するブルバキらの方法的統一性と古典の名誉の回復運動はむろん特筆に値する。

 おもしろい観察が語られています。アメリカでは抽象化が進展し、それは不毛とのこと。ブルバキの試みは不毛な抽象化とは無縁のようで、「方法的統一性と古典の名誉の回復運動」というのですが、このあたりは議論の余地がありそうです。この叙述によると、抽象数学にはアメリカの抽象とブルバキの抽象の二つが存在するかのような印象を受けます。アメリカの抽象は不毛ですが、ブルバキの抽象には方法の統一と古典があるとのこと。方法の統一というのは、数学を構築する際の構造主義的な建築術を指しているように見えます。古典の名誉回復というと、ブルバキの叢書「数学原論」に附せられている「歴史覚書」が連想されますが、ブルバキのメンバーもたいていは歴史に無関心で、関心を寄せていたのはヴェイユだけのように思います。「歴史覚書」も少なくとも初期のものはヴェイユがひとりで書きました。
「1935-36年以後の古典数学の全面的かつ徹底的な再検討」というのも、具体的にはヴェイユのことを指しているように思います。
 ヴェイユがいたためにブルバキはアメリカの抽象と一線を画することができたのですが、ヒルベルトの公理主義との関係はどのように見たらよいのでしょうか。こんなことを念頭に置いて、倉田先生の言葉の続きに耳を傾けたいと思います。

・数学全体に対して、威嚇的な姿で立ち現れるという意味での「基礎の危機」は、現代では過ぎ去ったと考えられる。

 ここに、「たとえば、ヴェイユ、ワイルなどの見解」という註記が附されているのですが、これは何を指しているのか、よくわかりません。


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://reuler.blog108.fc2.com/tb.php/2504-8adccf3a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Extra

プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
FC2ブログへようこそ!
オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

最近の記事

FC2カウンター

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。