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新数学人集団(SSS)の時代 ノート54 大学院問題など

明治時代の大学にも大学院はあり、高木貞治先生も大学を卒業してから1年ほど在籍していましたが、そのころの大学院というのは特に何もすることはなかったようで、単に在籍するだけでした。高木先生は大学院生のころは好き勝手に数学の本を読み、著作を書くなどしていて、洋行に出発するのに先立って中退しています。洋行は早くから決まっていたようで、出発するまでの間の経歴に隙間が生じないようにするために大学院に在籍したのであろうと思います。
 高木先生の時代には大学に進み、卒業するということ自体がすでに「少数精鋭」でした。数学ばかりではなく、学問芸術工業などなど、あらゆる分野でごく少数の人が選抜されて大学に進み、その中のまた少数が洋行し、帰国して大学の教授などになる時代でした。大学は当初は日本にひとつしかなく、それから京都にひとつ、先代にまたひとつというふうに増えていきましたが、大学生であることそれ自体が「少数精鋭」であったことは変りませんでした。終戦ののちに学制が一変し、大学院も定員が設けられて入学試験が行われるようになりましたが、定員とは名ばかりだったのはLさんが報告しているとおりです。
 大学の学生数は現在ほどではないにしても学制改革の前と比べると大幅に増えていて、大学生であるからといって必ずしも少数精鋭とは言えなくなっていたと思います。選抜する側の大学の教員たちは戦前の少数精鋭時代の人たちでしたから、そのころの感受性がそのまま生きていて、定員を無視して大学院生をごくわずかしかとらないという現象が発生したのではないかと思います。ところが、その結果、大学院に進んでさらに勉強を続けたいと願う学生たちの排除につながり、ここに軋轢が生れることになりました。定員が決まっているのだから定員いっぱいの学生をとり、数学の勉強を続ける機会を与えるべきだというのはもっともな議論です。
 このような学制の変化に伴う軋轢とともに、数学という学問そのものの変化という出来事もまたSSSの結成に影響を及ぼしています。数学は第1次大戦後あたりから抽象化に向う傾向1950年代に大学に在籍していた人たちにとって、数学をどのように学ぶべきかということは深刻な問題として受け止められていたことと思われますし、そこから発生した諸問題が「月報」のいろいろな記事になって論じられました。数学とは何か、という根源的な問い。数学はいかにして今日のような姿になったのか、という歴史的な問い。数学は何を研究するべきなのか、という実践的な問い。数学はこれからどうなっていくのか、という将来の展望。このような雰囲気の中でブルバキの動向が注目を集め、谷山さんなどもブルバキの音頭取りみたいなアンドレ・ヴェイユに関心を寄せ続けました。ブルバキとヴェイユはここに挙げた諸問題について、明確な見通しをもっていたように感じられたためであろうと思います。

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