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新数学人集団(SSS)の時代 ノート53 振り返って

新数学人集団とは何かという当初の問題に立ち返り、再考してみたいと思います。新数学人集団は「数学方法論研究会(仮称)」として始まったのですが、それに先立って遠山啓先生の著作『無限と連続』の合評会があり、東大の数学科の学生たちが集まりました。遠山先生の著作によほど大きな魅力があったのだろうと思われますが、その魅力というのはどのようなものだったのでしょうか。この点がまず気にかかります。
読書会に集ったメンバーの名前はわかりませんが、少しのちに新数学人集団に加わった人たちのことは相当具体的にわかっています。谷山豊、銀林浩、杉浦光夫、山崎圭次郎という諸先生は1953年3月卒業。倉田令二朗先生と斎藤正彦先生は1954年3月卒業。みなSSSの草創期からのメンバーでした。SSSはだんだん拡大して、全国の大学の数学科の学生たちが集結する全国協議会みたいな恰好になりましたが、1953年と1954年の卒業生たちの親睦会というか、勉強会のような形で発足したことにも注目したいと思います。
『無限と連続』は現代数学入門みたいな感じの本ですが、そういう本に関心を示したということは、数学が抽象化に向って変容していきつつある状況と無関係ではありえません。数学はまったく新しい方向にむかっているという認識と自覚があり、その流れに飛び込みたいという念願があったのではないかと思われます。
そうすると世代間の断絶ということも考えられるところです。東大の諸先生の講義はなんだか古臭く感じられたのでしょう。そこで仲間が集まって勉強会をしようということになり、そうすると『無限と連続』が輝いて見えたということなのかもしれません。新しい数学への道標のような感じでしょうか。
 新しい数学を指導する力のある先輩たちはまったくいなかったわけではなかったのですが、終戦ののちに相次いでアメリカに移ってしまったため、指導を受ける機会はありませんでした。『月報』では指導者の不在ということもひんぱんに話題になっていました。数学者の海外流出ということが大きな話題として浮上して、在米の岩澤健吉先生に帰ってきてほしいなどと願った模様ですが、実際にはなかなか実現しません。そこで協同研究というアイデアを出し、みなで協力して勉強していこうという考えがあったように思います。
 数学の新たな潮流というとブルバキが連想されますが、ブルバキの音頭取りはヴェイユです。そのヴェイユが、東京と日光で開催された整数論シンポジウムのおりに来日したのですから、SSSにもたらした刺激の強烈さも想像されます。来日したのはヴェイユひとりではなく、セールやシュヴァレーなど、ブルバキのメンバーもいっしょでした。そこで、SSSは来日した外国人数学者たちとの交流に熱心に取り組みました。
 少数精鋭主義に対する反発は非常に強く、「ぼろぼろ」という呼称もそこから生れました。大学に職を得て研究生活を送ることができる人は少数の精鋭で、その他の多くは自活の道を探りながら数学に向き合っていくということになりますが、あまりにも過酷な道であるのはまちがいありませんし、「ぼろぼろ」という不思議な呼称もそこから生れました。倉田先生もよく「ぼろぼろ」について語っていたものでした。
「ぼろぼろ」は数学を続ける必要はないというのが少数精鋭主義で、これに抗するというのは、「ぼろぼろ」にも数学を続ける機会があるべきだという主張になり、具体的には大学院の学生を定員のとおりに採用するか否かという状況として現れてきます。

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