Entries

新数学人集団(SSS)の時代 ノート49 「共鳴箱」をめぐって

科学のどの分野でも天才や第一流の仕事をなしえた人がつねに尊敬されるとLさんは指摘し、そのうえで「いったいなぜであろうか」と疑問を提示しました。天才や第一流の科学者が尊敬されるのはあたりまえのことのように思えますが、Lさんには別の考えがあるようで、長々と発言が続きます。

・彼らは昔からそのときにいたるまでの多くの第一流、第二流、三流、四流、五流の数学者たち、多くの実際家たちが多くの問題を解決しようとして、あるいはそれらにひそむ法則性を見出だそうとして営々と積み重ねた労力の所産である種々の研究成果や組織、教育、伝統などの上に立って、自分自身の努力と創造性を傾けて、みごとにそれまで解きえなかった大問題を解き、見出だされなかった法則性を見出だし、そのことによってさらに全体の前進への道を切り開いた。彼らは人類の前進への努力のすぐれた代表者たちである。だから彼らは尊敬されるのではないか。
数学もまた例外ではありえない。

 Lさんは人類の前進ということを論拠にして議論を展開していますが、このように考えるのであれば、二流以下の研究者たちといえども決して単なる共鳴箱ではないことになります。人類の前進という大きな流れを推し進めることに寄与する多くの人びとがいて、天才と呼ばれたり第一流と評価されたりする人たちはその一群の人びとの代表と見るのですが、それならこの集団に属する人たちはみな仲間です。二流以下の数学者といえども「この大きな流れを生み出し、推し進める一員」なのであり、重要なのだと、Lさんの言葉が続きます。このような考え方は十分に成立する余地がありそうですが、反論を受ける可能性もあります。
 次にLさんはヴェイユの「数学の将来」から別の言葉を引きました。ヴェイユは数学がたくましい生命力をもち、その根底に統一のあることを示そうと試みてヒルベルトの言葉を引用し、「数学はそのすべての部分が解け難く結び合わされていることによって生命力を得ているひとつの有機体である」こと、また「科学のひとつの部門は、それが問題を豊かにもつ限り生命に満ちている。問題のなくなることは死の兆候である」ことおを指摘しています。Lさんはこのようなヴェイユの言葉を踏まえて発言を続けています。

・問題が豊かになり、それが解決されつつあり、統一的な法則があふれるというが、いったいそのような問題はどこから提供されるのか。このひとつの有機体はどのようにして拡大しつつ発展するのか。これは少なくとも明らかではない。そのために統一の一面だけが強調されるのである。

 問題はどこからやって来るのか。この問い掛けは数学という学問の本質に触れています。ヴェイユによると、自然の研究はかつては数学の問題の源泉だったが、今はそうではないとのこと。結局のところ、「ひとつの新しいアイデアがあれば目覚めて数学的な生命を得るであろうところの多くの問題はあるのである」というのがヴェイユの所見です。ここに引いたのはLさんによる訳文と思われます。Lさんはここに「数学の古文献をひっくり返せ!」などと書き添えています。
 少々わかりにくいところがありますが、古い論文や著作には問題の原石が埋まっているというほどの考え方でしょうか。ヴェイユのいう古文献というのは、19世紀、もう少し正確に言うと、おおよそガウスのころから第一次世界大戦前までの論文や著作を意味していると見てよいと思いますが、それらには多くの問題が眠っていて、そこに新しいアイデアを投げ入れればたちまち目覚め、数学の新たな進展のための力になるとヴェイユは言いたいのでしょう。実際のところ、これはヴェイユ自身が歩んできた道でもありました。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://reuler.blog108.fc2.com/tb.php/2495-da65698a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Extra

プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
FC2ブログへようこそ!
オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

最近の記事

FC2カウンター

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる