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新数学人集団(SSS)の時代 ノート48 第二の批判

「少数精鋭主義」を批判するLさんの言葉が続きます。

・この学生たちはある程度「本も読み、計算もできる」のではないか。そして現在の悪い条件下にあってなお研究を続けようとしたのではなかったか。それでもこのすぐれた指導者、教育者たちは自分らの指導如何を恥じるところもなく、見込みがないと断定し、彼らの研究の道をふさぐことができるのであろうか。
・少数精鋭主義は指導と学習の関係についての理解を誤っている。特に、指導の責任を理解していない。怠慢で無責任、しかも非道なのである。
・第二に、学生たちは大学院に入ってもたいした研究はできないのだという。「たいした研究」ができなければ研究すべきでないというのは重大問題だ。
・それよりももっと重大な問題がある。「やがて実務につくのなら研究の年月はむだ」なのであろうか。まず、実務を研究とまったく縁のないものと考えているのが誤りである。仮に関係ないとしても、研究の見込みはないと言われただけであきらめて実務につくのと、何年間かの努力ののち、なぜこの研究を続けることができないかを知り、あるいは、なぜ他の道へと進むのかを知ったうえで異なった方向へ進むのとでは、まったく違う。なぜそれが理解できないのだろうか。
・人間の意志や成長過程を表面的、機械的に理解して「この道のきびしさ」を知るあまり結局はこのほうがよいのだという、神様のような思いやりのもとに、研究者のような聖職につこうという「無能者」の無謀な挙をいましめてくれるのだ。
・その反面、もっと具体的な学習上の指導や、ひとりでも多くの研究者を育てようという、低級で日常的な思いやりをかけてもらえないのは不思議なことである。おもいやりどころではない。義務ではないか。
・少数精鋭主義は人の意志や成長過程に関する理解をまったく誤っている。表面的、機械論的であって、同時に思い上っているのだ。

 Lさんは激しい言葉を連ねて、ときおり皮肉めいた言葉も交えながら総数精鋭主義の批判を続けています。大学院の入試にまつわるエピソードがきっかけになって、ここまで話が進みました。少数精鋭主義が大学院入試に適用されると「合格者が定員をはるかに下回る」という現象(Lさんは「暴威」と書いています)が起りますが、総数精鋭主義の暴の及ぶところはそれどころではないと、Lさんの批判が続きます。

・ヴェイユの小冊子「数学の将来」の中に「第二流の研究者は他の部門におけるよりもその役割はもっと重要ではない。その役割は彼らの出すことのできない音響に対する共鳴箱の役割にすぎない」という一節がある。ごく少数の(一流のだ!)精鋭だけが数学を推し進め、他は共鳴するか、またはそれすらできないのである。科学のどの分野でも、天才や第一流の仕事をした人びとはつねに尊敬されてきた。いったいなぜであろうか。

 少数精鋭主義に対する批判ということを考えるとき、最強の敵はヴェイユの所見です。Lさんの批判はこのあたりからいよいよ佳境に入っていきます。

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