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新数学人集団(SSS)の時代 ノート47 指導者の任務とは

『月報』第3巻、第1号に「少数精鋭主義に反対する」という長文の記事が掲載されていますので、目を通してみたいと思います。著者は「L」とのみ記されています。
 以下、摘記します。

・A大学の数学科では、大学院修士課程の学生を半分しかとらなかった。B大学の物理学科の大学院でも、定員10人のところを二人しかとらなかった。こういう話を2年ほど前に聞いた。
・このような事例は枚挙にいとまがないほどである。いったいなぜこのようなことが起るのだろうか。理由のひとつに「少数精鋭主義」ともいうべき誤った考え方がある。この考え方こそ、多くの悪条件やまちがった考え方と結びついて、学習、研究の発展を妨げ、各種の研究機関の悪い状態を温存させるか、またはいっそう悪くするための力になっている。この点を問題にしたい。
・B大学の話を聞いたとき、そこの大学の学生たちはこの処置を不審に思い、憤っているに違いないと思った。ところが、そこの化学科の人の話ではそうでもない。物理科の先生たちは学生に、自分でどんどん勉強して独創的な研究をするようにとつねに言ってきた。ところが4年もたった今、結局、方法論を理解し、研究方針をもちえた者は二人くらいしかいない。あとの連中はなるほど本は読み計算はできるが、そのような高いところまで行くことはできなかった。彼らが大学院に入っても結局のところたいした研究はできないし、やがて実務につくのなら年月はむだだし、就職は不利になる。だから今はどう見えても優秀な者しかとらないほうが結局はよいのだという意味の話をした。そこで学生たちはこの道の難きを思い、併せて自分らの不勉強と無能を恥じ、落胆はしたが、憤ることも少なかったという。

 LさんはB大学の化学科の先生の話を聞いたのでしょう。この話を聞いて、非常にまちがった、考えと思ったということです。以下、その理由の解明が続きます。

・第一に、学生たちは一定の方針の伴う研究目標をもつまでにいたっていないというが、それだけの学力をもちうるだけの熱心な教育と指導が行われたのであろうか。自分で本を読み、方法論を学び、独創的になれと百万遍聞かせたところで、それは熱心な教育でも指導でもない。そうできるような具体的な条件が、講義やゼミナールを通じて準備されなくてはならないのであって、それには、現在特に、旧教育制度から新制度への移行に伴う、あらゆる変化の検討とそれに応じた指導方法が研究されなくてはならないはずだ。
・こうした「自分でやれ」という主張の強いところに限って、このようなまじめな検討の代りに、かってな気分にまかせたいいかげんな指導や、全体としてよく整備されないばらばらな指導が行われることが多いのである。講義にばかり頼らずに自分でも大いにやれということは、それだけ取り上げれば正しいし、だいたい「自分でやらない」学習などはありえないが、「自分でやるから」といって指導がいいかげんでよいのでは絶対ない。その反対だ!「自分たちでやる」のを百倍も強めることを助けるのが指導者の任務ではないのか。

 Lさんは指導ということのあり方を問題にしています。

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