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新数学人集団(SSS)の時代 ノート38 座談会

ヴェイユのお説教が終らないうちに座談会の会場に到着し、帝国を20分ほど遅れてヴェイユを囲む座談会が始まりました。

SSS
われわれは先日の共同コミュニケに感謝しているが、その主旨を詳しく聞きたい。(註。ヴェイユをはじめ、来日した9名の外国人数学者が連名で所見を表明しました。英語の原文とその訳文が『月報』第3巻、第2号に掲載されています。)
ヴェイユ
あれは一般社会ならびに政府に対するものであって、その主旨は数学者の給料をあげろということだ。
SSS
われわれは少し別な解釈をしていた。経済的問題も重要だが、日本に帰ってきている人もいるし、物理のようにほとんどみな帰ってきているところもある。これはモラルの問題だと思う。
ヴェイユ
すべての人に英雄になるように要求することはできない。ある種の人びとには高いモラルを抱かせることはできない。また一方、経済的欠乏の中でもよい仕事のできる人もいるし、余裕がないと何もできないタイプの人もいる。だからすべての人に同じことを要求することはできない。それにモラルといっても、自分の仕事に相応しいだけの給料をもらっていると感じられないとき、モラルがかんたんに生れてくるはずはないではないか。
 一時フランスでも同様のことが問題になり、旅券の期限を制限することにより調整しようとしたが、正直な人にはむやみに煩雑で、ずるいやつは結局抜け道を見つけるから何の役にも立たなかった。しかしフランスでの現象は一時的で、現在は正常にもどっている。
SSS
しかしあなたの見落としている点がある。彼らは日本の大学からも給料をもらっているから後任を入れるわけにはいかない。彼らは給料をもらいながら講義も指導もしないのだ。
ヴェイユ
君たちはアメリカにいる日本の数学者について誇張された考えをもっている。彼らの中のある人びとは真にすぐれた数学者だが、その人たちが日本に帰ってもどれだけ君たちの役に立つか疑問だ。それにかんたんな質疑応答なら航空便で片が付く。
SSS
しかし日本には数学の伝統があまりないから、いろいろ困ることもあると思う。(以下ニ三の押し問答の後に)
ヴェイユ
君たちのいうことを聞いていると、君たちはみなリーダーシップ・コンプレックスを持っているのではないかと思われてきた。今まで日本では上の人に従うのが美徳とされていると聞いていたが、SSSはそうではないと思っていた。ところが実はSSSもその例にもれず、君たちはただただ現在の先生には何か神秘的な理由のため服従できないが、ひとたび有力な指導者が現れれば、それに従うことにより万事うまくいくと考えているように思われる。

 このヴェイユの発言はSSSにとっては心外だったようで、この箇所に、「このへんわれわれの趣旨がよく通じなかった」と書き添えられています。こうして読み返してみてもSSSの言いたいことはどうもわかりにくいのですが、たとえばブルバキの草創期を考えてみると、ブルバキにはガストン・ジュリアという指導者がいて、ジュリアのもとで仲間が集まってセミナーをやるという形で始まりました。ジュリアは指導者というよりもむしろ少し年長の理解者というべきで、ヴェイユたちが集まって何事かを始めようとするのを見守るというふうでした。SSSの人たちもジュリアのような先生を望んでいたのではないかと思います。
 続いて話題は伝統ということに移ります。

SSS
ボロボロの役割をどう思うか。
ヴェイユ
程度の高い講義やセミナリーに出席するだけでも十分意義がある。いつかジーゲルが天体力学の講義をしたとき、学生がひとりもいなくなったことがあったが、これではよい講義も長続きしない。さらに自分で何か論文でも書けるようになれば一番よい。
 だいたい19世紀はじめまで数学者は孤立して仕事をしていた。たとえばガウスは自分の研究についてほとんど人に話さなかった。しかしヤコビはひとりではいられない性質だったが、彼のまわりには数学者はひとりもいなかったので、彼は自分といっしょに研究すべき数学者を自分で育て上げねばならなかった。これがドイツの大学におけるセミナリーの発端で、それ以後、数学は大勢でやるものになった。
 SSSは君たちの独特な組織だが、第一次大戦後、エコール・ノルマルに起きた動きが実を結べば、今のSSSのようになったかもしれない。
SSS
その会について聞きたい。
ヴェイユ
会などできなかったのだ。エコール・ノルマルの生徒はみなアナーキスティックな傾向(政治的な意味ではなく)が強くてまとまることができない。
SSS
日本には伝統が少ないからまとまってやることが必要なのだ。
ヴェイユ
君たちは伝統、伝統というが、あまり重視するのはよくない。ガウスが数学を始めたとき、ドイツには伝統どころか数学さえもなかったのだ。その後、リーマン、デデキントが来たとき、ゲッチンゲンにはガウスがいたが、彼は他人と話さなかったのでやはり何もないのと同じだった。リーマンは若くして死に、デデキントは他に転じたので、再びゲッチンゲンには何もなくなってしまった。いわゆるゲッチンゲンの伝統ができたのは1880年ころ、クラインの世代からで、君たちとそんなに違わない。
 しかし数学的雰囲気もたいせつだ。私は若いころネーターのところにいたが、あまりまとまったものも得られず、多少失望して帰ってきた。しかし後になってみると、そのときいろいろな数学の述語が話されるのを聞いていただけでも非常に有効であったということがわかった。

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