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新数学人集団(SSS)の時代 ノート37 池の端の散歩の続き

 ヴェイユの話を続けます。

ヴェイユ(続)
裁判制度はどうしても必要な制度だが、それがある限りある程度の誤判は避けられない。一般に、ある制度の欠陥を完全になくそうとすると非常に多くの努力が必要になり、得られるべきその成果に釣り合わない。しかし制度が非常に悪くなって、弊害が続出するようになったら改革が必要になる。(土)の場合にも弊害と努力とを秤にかけて考えなければならない。
 たとえばフランスの一般教育制度は非常に悪くて、私はすぐにも改革に手をつけるべきだと考えているのだが、いろいろな理由によって、そのような改革は実際には決して行われないだろうと感じている。
 こんなこともある。一般に入学者を選抜しなければならばならない以上、入学試験により選抜することはわりあいよい方法なのだが、やはり不公平が起る。フランスの試験官はその点非常に神経質で、カルタンなど、採点に不公平のないようにするため非常に多くの時間をそれに費やすが、私はつねづね、それはディオファントス間の浪費だと忠告しているのだ。なぜなら試験を不公平にする要素はいろいろあって、ある学生は当日風邪をひいて頭が痛いかもしれず、他の学生は前日けんかしてむしゃくしゃしているかもしれない、等々。カルタンがどんなにがんばっても試験場の学生の風邪をなおすことはできない。・・・
どの試験にもつきものの、試験問題を偶然よく知っていたか否かによる重大な不公平の要素は抜きにして考えてもそうだ。だから、採点だけにある程度以上の公平さを求めて、あまりにも多くの時間を使うのは時間の浪費というものだ。

 ヴェイユのいろいろな例をひいって大演説を繰り広げましたが、数学の場での、「ガウスのようにはじめよ」とか、「まずリーマンを読むべきだ」というようなはっとさせらる言葉の数々とは違って、全体に凡庸な印象の発言が続きました。もっともSSSが投げかけた質問も焦点が定まっているとは言えませんし、どのような発言が期待されているのか、ヴェイユにしてもつかみにくかったのではないかと思います。
 総じて、数学に心を寄せる者はだれでも数学に打ち込めるような制度であってほしいというのが、SSSの人たちの率直な心情だったのではないかと思います。大学院なども、少数精鋭などといわずに門戸を広くしてほしいと望んでいたのであろうと思われますが、現実にはそのようになっていませんでした。大学院問題については、これから言及する機会があると思います。

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