FC2ブログ

Entries

新数学人集団(SSS)の時代 ノート30 原典を読むことについて

ヴェイユは「まともに数学史をやる人が実に少ない」と嘆息めいたことを口にして、「数学史の本を書く人は原典を読まないのでだめだ」と数学史家を批判し、「専門の数学者は日本でもヨーロッパでも古典を読む人は少なくなっているが、これはよくない」と、古典を読まない数学者を批判しました。古典に精通している数学者はごくわずかで、自分はそのひとりだと言っていることになります。
 ヴェイユは1926年から1927年にかけてドイツに滞在したことがあり、ゲッチンゲンではエミー・ネーターと知り合い、ベルリンではホップに会ってトポロジーの手ほどきを受けました。それからフランクフルトでデーンやジーゲルと知り合ったのですが、この二人は数学史の方面でヴェイユに大きな影響を及ぼしました。デーンは1921年にフランクフルト大学に赴任し、翌1922年に数学史のセミナーを始めました。数学の古典を原典で読んで語り合うというセミナーです。ヴェイユはもともと数学史に関心の深い人だったのですが、デーンのセミナーにはよほど感銘を受けたようで、後年、ブルバキの『数学原論』の刊行が始まったとき、ごく自然に「歴史覚書」を添えることを提案するという成り行きになりました。ヴェイユは数学と数学史に関するこのような体験を、日本で谷山さんを相手に語ったのでした。
前に「学習についての二三の提案」という文章を読んだときのことですが、「理論」と問題ということが話題になっていました。数学を学ぶというのは「理論」を学ぶのですが、その「理論」が「もとの具体的な問題」を知ることを妨げていて、そのためにしばしば「何をやっているのかわからない」という状況におちいってしまうというのでした。ヴェイユの言葉はこの悩みに対してひとつの、おそらく唯一の解答を与えているように思います。「原典を読むこと」がその解答です。
 「ボロボロ数学生の印象」にもどると、最後に「我慢のならぬこと」という小見出しが現れます。組織委員のひとりにA氏という人がいて、少数精鋭主義を主張したということが語られています。A氏の非公開主義は徹底していて、公開講演に先立って、「本会議はもとより非公開を旨とするものであって今から始める公開講演はその主旨に反するものである」という演説をしたほどでした。SSSはこのような考えに反対し、彌永先生との話し合いの席などで少数精鋭主義と正反対のことを主張し続けたところ、その主張がいくぶんか通り、傍聴者を入れることに決まりました。
 傍聴を申し込む人は非常に多かったようですが、拒絶された人もまた多く、傍聴を許された人はごくわずかにとどまった模様です。正規の出席者もなるべく少なくするという方針がとられたようですし、この時期の数学界には少数精鋭主義という考え方が強い大きな力をもっていた様子がうかがわれます。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://reuler.blog108.fc2.com/tb.php/2475-ac5b4127
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Extra

プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
FC2ブログへようこそ!
オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

最近の記事

FC2カウンター

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる