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新数学人集団(SSS)の時代 ノート29 ヴェイユの数学論
あるとき外国人グループとSSSの一同が集まって数学者の分類を始めました。「例によって」と記されていますから、何かというとこの話を交わしていたのでしょう。ヴェイユの見るところ、数学には理論的な数学と実験的な数学があるということで、「おれは理論家だ。アルティンもそうだ。典型的な理論家というと、たとえばガロアがそうだ。ジーゲルは純粋な実験家、ポリアは典型的な実験家。ヘッケは混合型だ」と持論を開陳しました。
他方、T.T.助教授はデリケートと非デリケートに分けて、シュヴァレーとヴェイユは両極端にあるという、きわめてデリケートなことを発言しました。これを受けて、ヴェイユが「おれはどっちだ」と勢い込んで問うたところ、T.T.先生は、「それは彌永氏の意見です」と答えました。彌永氏というのは彌永昌吉先生のことですが、このT.T.先生の返答はヴェイユのお尋ねに対する答にはなっていません。彌永先生の名前を持ち出しのも変です。
これを聞いたヴェイユは卑怯だとか、手口だとか言ってわめきちらし、「おまえももうじきアメリカに来るなら俗語のひとつも教えてやろう」と言って、possibly backというのがあるが、今のがそれだと指摘しました。possibly backというのは、球を順繰りにまわすように、次から次へと他人のせいにすることをいうのだそうです。
Weilの数学論」という小見出しのもとではもっぱらヴェイユの挙動が紹介されています。ヴェイユは奇行が目立つ人で、いろいろなエピソードを残したもようです。中には紙上で公表するにたえないいかがわしい話もないわけではないなどと書かれていて、そのうえ「多少ともごろつきがかっているというのはまぎれもない事実だ」と指摘されました。ただし、肝心なところでは、数学のうえでも人間のうえでもオーソドックスな筋を通そうと努力する人とのことで、このことは強調してよいであろうとのこと。ヴェイユはどのような人なのか、これだけではよくわかりませんが、続いて谷山さんから聞いた話というのが紹介されています。谷山さんはヴェイユと二人だけで語り合う機会があった模様です。以下、摘記します。
・ヴェイユはヘッケを重視している。ヘッケの仕事については、その理論の意味をさがすよりもまずヘッケと同じ方向に沿って結果を出すほうが先決問題だ。ヘッケの仕事に附随して、アイヒラーとマースの最近の仕事にも関心を寄せている。
・まともに数学史をやる人が実に少ない。数学史の本を書く人は原典を読まないのでだめだ。専門の数学者は日本でもヨーロッパでも古典を読む人は少なくなっているが、これはよくない。
・ヴェイユの言葉
「私はアーベル関数の理論をリーマン全集から始めた。」
「だれを読めばよいのかは少し読んでみればわかる。アイデアを含んでいるものと技巧だけしかもっていないものとの区別はやさしい。」
・ヴェイユの師匠は依然としてガウスとリーマンである。クロネッカーもよい。ヴァイエルシュトラスは読んでいないが、あるものは重要だ。クラインには人のやったことしかない。ガウスを読むのはガウスがガウスであるからだが、クラインを読むのはほかにモジュラー関数について書かれた本がないからだ。
・ポアンカレはよいアイデアを含んでいるが、ちょっと読んだだけでは彼が何をやっているのかわからないことが多い。ポアンカレ自身、途中でやめてしまうためか、それに気づいてないようだ。ポアンカレのやったことは全部自分で再構成してみなければ、彼がどんなアイデアをもっているのか、何をなそうとしているのかわからない。
・ヴェイユの学位論文のテーマはポアンカレの論文に基づいているが、それをやってみるまでポアンカレのことがよくわからなかった。
・楕円関数をやる人はぜひヤコビを読むべきだ。ジョルダンの『解析概論』(全2巻)はよい教科書だから、そこだけでも(註。楕円関数論が書かれている部分)翻訳してはどうか。
・ブルバキの『数学原論』の歴史覚書について。はじめのころは全部ヴェイユが書いた。最近はデュドンネとサミュエルが少し書いている。
こんなふうにおもしろいエピソードが並んでいます。ヴェイユは20世紀の数学の根幹を作った人ですが、そのヴェイユの数学の師匠はガウスとリーマンとのこと。ガウスとその継承者たちの数学の遺産を、強固な自覚をもって引き継いでいたのでしょう。
他方、T.T.助教授はデリケートと非デリケートに分けて、シュヴァレーとヴェイユは両極端にあるという、きわめてデリケートなことを発言しました。これを受けて、ヴェイユが「おれはどっちだ」と勢い込んで問うたところ、T.T.先生は、「それは彌永氏の意見です」と答えました。彌永氏というのは彌永昌吉先生のことですが、このT.T.先生の返答はヴェイユのお尋ねに対する答にはなっていません。彌永先生の名前を持ち出しのも変です。
これを聞いたヴェイユは卑怯だとか、手口だとか言ってわめきちらし、「おまえももうじきアメリカに来るなら俗語のひとつも教えてやろう」と言って、possibly backというのがあるが、今のがそれだと指摘しました。possibly backというのは、球を順繰りにまわすように、次から次へと他人のせいにすることをいうのだそうです。
Weilの数学論」という小見出しのもとではもっぱらヴェイユの挙動が紹介されています。ヴェイユは奇行が目立つ人で、いろいろなエピソードを残したもようです。中には紙上で公表するにたえないいかがわしい話もないわけではないなどと書かれていて、そのうえ「多少ともごろつきがかっているというのはまぎれもない事実だ」と指摘されました。ただし、肝心なところでは、数学のうえでも人間のうえでもオーソドックスな筋を通そうと努力する人とのことで、このことは強調してよいであろうとのこと。ヴェイユはどのような人なのか、これだけではよくわかりませんが、続いて谷山さんから聞いた話というのが紹介されています。谷山さんはヴェイユと二人だけで語り合う機会があった模様です。以下、摘記します。
・ヴェイユはヘッケを重視している。ヘッケの仕事については、その理論の意味をさがすよりもまずヘッケと同じ方向に沿って結果を出すほうが先決問題だ。ヘッケの仕事に附随して、アイヒラーとマースの最近の仕事にも関心を寄せている。
・まともに数学史をやる人が実に少ない。数学史の本を書く人は原典を読まないのでだめだ。専門の数学者は日本でもヨーロッパでも古典を読む人は少なくなっているが、これはよくない。
・ヴェイユの言葉
「私はアーベル関数の理論をリーマン全集から始めた。」
「だれを読めばよいのかは少し読んでみればわかる。アイデアを含んでいるものと技巧だけしかもっていないものとの区別はやさしい。」
・ヴェイユの師匠は依然としてガウスとリーマンである。クロネッカーもよい。ヴァイエルシュトラスは読んでいないが、あるものは重要だ。クラインには人のやったことしかない。ガウスを読むのはガウスがガウスであるからだが、クラインを読むのはほかにモジュラー関数について書かれた本がないからだ。
・ポアンカレはよいアイデアを含んでいるが、ちょっと読んだだけでは彼が何をやっているのかわからないことが多い。ポアンカレ自身、途中でやめてしまうためか、それに気づいてないようだ。ポアンカレのやったことは全部自分で再構成してみなければ、彼がどんなアイデアをもっているのか、何をなそうとしているのかわからない。
・ヴェイユの学位論文のテーマはポアンカレの論文に基づいているが、それをやってみるまでポアンカレのことがよくわからなかった。
・楕円関数をやる人はぜひヤコビを読むべきだ。ジョルダンの『解析概論』(全2巻)はよい教科書だから、そこだけでも(註。楕円関数論が書かれている部分)翻訳してはどうか。
・ブルバキの『数学原論』の歴史覚書について。はじめのころは全部ヴェイユが書いた。最近はデュドンネとサミュエルが少し書いている。
こんなふうにおもしろいエピソードが並んでいます。ヴェイユは20世紀の数学の根幹を作った人ですが、そのヴェイユの数学の師匠はガウスとリーマンとのこと。ガウスとその継承者たちの数学の遺産を、強固な自覚をもって引き継いでいたのでしょう。
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