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新数学人集団(SSS)の時代 ノート24 国際数学会議

『月報』第3巻、第2号では「国際数学会議特集」が組まれました。なぜか発行日が記入されていないのですが、国際数学可合ギリシアが行われたのは1955年(昭和30年)の9月のことですから、この年の秋、11月あたりにはっこうっされたのではないかと思います。
 国際数学会議と書かれたり、国際数学者会議と書かれたりしていますが、正式な名称は「代数的整数論についての国際シンポジウム(International ssymposium on algebraic number theory)」です。新数学人集団はこのシンポジウムに大きな関心を寄せ、いろいろな形で積極的に関わっていきました。『月報』第3巻、第2巻の巻頭に「シムポジウムをめぐる諸活動」という一文が配置されていて、それを見ると新数学人集団の活動のあらましがわかります。以下、そこに記されていることを摘記します。
 国際数学連合(ICM)で国際シンポジウムの準備会が発足したのは1950年8月。アメリカのマサチューセッツ州の都市ケンブリッジで開催された国際数学者会議のおりに、ハーバード大学においてでした。1954年の秋、オランダのアムステルダムで国際数学者会議が開催され、国際シンポジウムを1955年に日本で開催することが決まりました。
 この会議での新数学人集団の活動が列挙されていますので、再現してみます。

1 数論グループでは谷山さんを中心にして早くから討論を重ねてきました。9月8日は開会式が行われた日ですが、この日、九州、京都、東北などの若手研究者の連絡体制を作り上げました。(具体的にどのようにしたのか、まだわかりません。)
2 会議をできるだけ少数の非公開のものにしようという動きが一部に見られました(これについても具体的なことはまだ不明です)。これに反対して、会議をできるだけ一般に意義あらしめるようにするために、年初の1月ころから公開講演と傍聴制を『月報』などを通じて主張してきました。また、来日する数学者たちの紹介も行ってきました。これらの活動は一定の成果を確実におさめました。
3 『月報』の抜粋の英訳を作成し、ビアパーティに出席した外国人数学者に手渡して反響を呼んだ。
4 近くヴェイユを囲む座談会が計画されている。現在のところ、ゼリンスキーを除くすべての外国人数学者と話し合いをもち、得るところが大きかった。
5 新数学人集団が出滓するビアパーティを開催し、ブラウアー、ネロンと交歓した。
6 九州その他の地方にあっても、一般大衆に数学と数学界の現状をわかってもらうための文筆活動が行われた。

 国際数学連合の英語表記はInternational Mathematical Union。これをIMU略していますが、新数学人集団にはIMU対策委員会というのが設置された模様です。新数学人集団は国際数学会議に非常に積極的に関わろうとしましたが、とりわけ目立つのが来日したが帰国の数学者たちとの交友です。『月報』にも関連する記事が多く、新数学人集団の歴史の中でもこの国際会議の前後の動きは最大の山場になっています。


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