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新数学人集団(SSS)の時代 ノート21 数学をなぜやるのか

 「月報」第2巻、第4号は1955年3月5日付で発行されました。第2巻、第2号に谷山さんの投書が掲載されてから1年をこえる月日がすぎていますが、この号に「月報・批判と希望の欄」というのが設けられ、そこに「数学を何故やるのか」という記事が掲載されました。「「数学と数学者」批判」という副題が添えられていて、前号(第2巻、第3号)に掲載された記事「数学と数学者」に対する批判であることがわかります。谷山さんの投書の波紋はこうしてまた広がりました。
 著者名はなく、ただ「C」とのみ、末尾に記入されています。名前をアルファベットで表記したとき、「C」で始まる人というとだれなのでしょうか。
 谷山さんの投書の要約から記事が始まります。例によって摘記してみます。

・谷山さんの投書はぼくにも強い印象を与えた。
・われわれが数学をやる意義はどこにあるのか。科学技術の基礎として数学をやるのではない。日本国民の名誉のためでもない。合理的精神の普及のためでもない。これでは数学研究の合理的な理由づけは消滅しつくしたように見える。これは困ったことだ。どうしたらいいのだ!(谷山さんの主張の要約)
・「数学と数学者」はこの窮地に追い込まれてみずからの足場を必死に作り上げようとする数学研究者の悲壮な努力を示しているかのようだ。学問が十分役に立てられず、役立てられても人類に幸福をもたらさないという悲劇。この不幸に目をつぶって通りすごすことなく、数学が人類に本当に役立つような状態をこの世で実際に回復するために努力するべきだ、と主張している。
・谷山さんがやったように、数学を研究するあらゆる根拠を吟味すると、われわれが「生きる」ということの目的を疑うところまでさかのぼらざるをえないであろう。だが、評価する基準を定めないで、数学者たることの「意義」を論議するのは発展的ではないと思う。この点について、「数学と数学者」は、われわれの「生き方」の意義を評価する基準が、「数学者を社会の中にある人間としてとらえること」にあることを示した。これは討論を前進させたものだと思う。

 このあたりはどうもわかりにくいのですが、「C」さんの要約によると、理由づけが見当らないからといって消耗してみてもはじまらない、数学が社会に対してどういう役に立てられているかを監視しながら数学をやればよいのだ、というのが「数学と数学者」の所見ということのようです。この要約は正確と思います。
 ここまでを確認した上で、「C」さんの批判が始まります。

・数学が社会にどう使われるかということが、数学内部の問題であるということは、すぐに認めうる問題ではない。それは、数学の発展そのものから一応独立した「社会」機構の問題にたどりつかなければならないであろう。ここに思いをはせることとフェルマの問題を研究することとの間隔は、数学の研究と科学的精神の普及との間隔よりももっと遠いに違いない。

 「C」さんの口調は急に批判的になってきました。

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