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新数学人集団(SSS)の時代 ノート18 投書に寄せて

前々回で、投書を書いた「Tさん」というのは谷山さんのことであろうと推測しましたが、根拠は何かというと、新数学人集団の初期のメンバーの名前です。名前の姓が「T」で始まる人は谷山さんのほかには見あたりません。ところが全文を読んでみると、谷山さんの他の文章と比べて、なんだか同じ人が書いたとは思えなくなりました。それで、別の人が書いたのではないのではないかなどと考え直してみたのですが、「数学の歩み」1959年、第6巻、第4号の特集「谷山豊を悼む」を見て、やはり谷山さんとわかりました。特集記事の中に本田平先生の追悼文「T投書と谷山さん」というエッセイがあり、そこに明記されていました。
 谷山さんは「なぜ数学を学ぶのか」「なんのために数学を学ぶのか」「数学は何のためか」という、だれも答えることのできない問いを問うことのできる人でした。「人はなぜ生きるのか」「人は何のために生きるのか」と問うのと同じことで、正解はありえませんが、その代わりひとたび思索に踏み込めばどこまでも果てしなく深まっていきそうです。深遠な魅力を秘めて、しかも危険な問いというほかはありません。
 「月報」第2巻、第3号は1954年12月16日に発行されました。投書欄を見ると、前号の谷山さんの投書に刺激されたとみられる2通の投書が掲載されています。投書のひとつには「不平不満」という題目が附されています。投稿したのは「志水」という名の人で、文面を見ると学生であることがわかります。書き出しの一節に下記のようなことが書かれています。

・なぜ君は数学を勉強しているのですか。突然こんな質問を受けた。第2巻、第2号の投書でT氏がいろいろと分析している。某教授は「数学的美しさの探究」のひとことできめつけている。しかし、結局のところ、こういう問題にはだれも答えたくないのではないか。もし答えたとしても、自分自身で満足できるだろうか。だれも漠然と心の一隅に何物かを感じながら、やっぱり口に出しては言えないだろう。

「こういう問題にはだれも答えたくないのではないか」という指摘は的を射ていると思います。この投書はまだ続きますが、話題は谷山さんの投書から離れています。
 もうひとつの投書は「T氏の投書について」というもので、谷山さんの投書に対する所感が全文を占めています。著者名はなく、末尾に「L」とのみ記されています。以下、摘記します。

・T氏の投書を読んで多くの人が強い印象を受けた。その人たちと話しているうちに、さまざまな異なった読み方と意見のあることがわかった。その中に、この投書を悲観と自嘲と考える人がいた。自分は、これは単なる悲観と自嘲ではないと思った。
・T氏は、人間生活を支える科学の基盤の一部としてわれわれが数学をやっているのだという理由を否定した。現在のわれわれは真にそのようになっていると感じることができるわけではないし、将来そのようになるときのためという自信とはっきりした意識も不足している。それにもかかわらずそんな理由を挙げるのは僭称だ。結局はそうなるかもしれないが、そのことと、当人が目的としてかかげることとはまったく同一ではない。
・日本国民の名誉のためという理由もT氏は否定した。この理由は嘘だし、動機も不純である。
・日本あるいは世界における合理精神の発展と、それによる人類の前進のための数学という理由も攻撃した。主張自身が現在のところ正しくないし、今やっていることを一見すると高く見える見地から手軽に「合理化」するのはまちがっているからだ。

 Lさんは谷山さんの発言におおむね同意している模様です。

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