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新数学人集団(SSS)の時代 ノート23 数学をなぜやるのか(続きの続き)

 思いがけない場面で中谷先生のエピソードが登場しましたが、これを受けて、Cさんは、「これを見ると、数学のような基礎科学の研究自体さえ、必ずしも純粋なものではなく、どんなふうにも使われうる、どんなふうにも悪用されうるものだということに気がつきます」と話を続けました。ここは話の続き具合が少々わかりにくいところです。アメリカでは研究を事務仕事と見て計画的に進めていくという状況観察から、数学研究さえ純粋とは言えないとか、どんなふうにも悪用されうるという判断が導かれるのでしょうか。
 ここはよくわかりませんのでそのままにしておきますが、Cさんはこの点に留意して、「だからこそただ50年先の有効性に安住するのではなく、それが現在持っている役割を考えていかなければならないと思う」という所見を披瀝しました。一理はありますが、なぜここでこのような発言がんされるのか、やはりわかりにくいです。
 それはそれとして摘記を続けます。

・なぜ数学のような迂遠な道を選ぶのか。「好きだから」。これが十分条件になる。あらゆることがここから出発し、あらゆる疑念がここで消滅する。人はそれぞれ好きなことがあり、その好きな道をひとつ選んで、その仕事をしていく中で、それが社会のために役立つような努力をしていきさえすればよいという考え方だ。だが、「好きだ」ということにそのような絶対性を認めることには納得できない。
・原子核研究所の設置を主張した物理学者の意見をつきつめていったところ、結局、物理学者という職業が存在するのだから研究所を作らなければいけないということになってしまったという。「研究したい」という欲望はそれほどまでに根深い、根本的な要求であるにちがいないが、それはまた職業という問題に結びついていることに気づく。
・われわれが「研究したい」という要求は、労働者の「働きたい」という欲望と同じく基本的なものではあるが、他方では、それは「生活の保障」という、いっそう直接的な欲望に媒介されたものになっている。「今まで勉強してきた」とか、「今その職業についている」ということのほかに、自分は数学でなければならないという絶対的な根拠を見出だせる人は何人いるだろう。「人類の幸福のために」という看板をかかげながら、一方では「好きだから」という相対的な基準の上に立って数学の道を選ぶのは矛盾した話ではないか。

 このあたりも文意がつかみにくいのですが、「数学をなぜやるのか」という問いに対して「好きだから」と応じるのは欺瞞ではないかという指摘がなされているように思います。「好きだから」というのは、「数学をなぜやるのか」という大疑問に対する答としてはあまりにも矮小な感じはたしかにあります。「研究したいから」と応じるのも同様の印象があります。

・数学をやることはとにかく必要だ、ということから出発するのではなく、われわれが今、数学をやる意義がどこにあるか、ということをつかむ前提として、あえて破壊的な話をした。必ず数学をやろうという積極性だけは尊重したいと思う。だが、あらゆることをここから出発させるのではなく、数学者が社会の中でどんな役割を持っているか、数学者には何ができて、何をしなければならないのかを考え合っていくことが必要と思う。

 Cさんはこのように論じ、最後に、「それこそが数学を研究する真の原動力となるのではないでしょうか」と結びました。「それこそが」の「それ」は「考え合っていくこと」を指しているように読めますが、そうするとこの議論は結局のところ、結論のないまま終わったことになります。どのように答えても批判をうけることは免れませんし、もともとだれも答えることのできない問いでもありました。みずからに問いかけて、考えること、それ自体に意味があるかもしれないというほどの問いですが、同時にまたこれを考えないようでは数学をする意味も失われてしまいそうに思います。

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新数学人集団(SSS)の時代 ノート22 数学をなぜやるのか(続き)

「数学を何故やるのか」の摘記を続けます。

・「筆者らも数学を発展させる仕事は必要であると考える」(「数学と数学者」に見られる言葉)というが、その根拠はどこにあるのだろうか。数学を発展させること自体のもつ積極的意義をさしおいて、「数学が人類の役立つような状態を回復するための努力」が、どうして数学研究の原動力となるのか、わからない。

 この批判は的確に的を射ています。

・「数学と数学者」では国民との連帯性が論じられたが、それはただ数学「者」と国民の連帯という面でしかとらえられていない。数学の発展が国民の生活と無縁であって、国民の生活を豊かにするものではないとするならば、われわれが今持っている研究の条件にどのような根拠を見出しうるだろうか。数学の発展そのものと、国民の生活との関連を不問に附して、その連帯をのぞむことは数学者の身勝手というものではないか。数学者がまた国民の一部であるという同一性のみに注目して安易に両者を接着するのは一面的と言われるのではないか。

 以下、しばらく数学研究と人類と国民の幸福との関係をめぐって、込み入った議論が続きます。これを要するに、「数学と数学者」では「数学の発展が人類の幸福に役立てられるような努力をなすべきである」という主張がなされていると指摘して、それに疑念を表明しているように読み取れます。そうしてこの疑念を踏まえて、中谷宇吉郎先生の発言が引用されました。中谷先生はアメリカに出かけたおりの体験を語っています。

・中谷―私が向うへ行ったときに、向うの所長がおもしろいことを言った。アメリカの研究所は、このごろ非常に計画的に研究をする傾向がある。研究を全部研究事務としてやる。一年たったらこれだけの結果が出る、ということをはじめから予定している。こういう傾向がひどくなると、アメリカの研究というものは将来だめになる。だからおまえを呼んだのはアカデミック・アトモスフィア、学的雰囲気を作るためなのだから、そのつもりでやってくれ。従って研究の目的などは何も言わないし、題目などもかってに選んでくれ。要するにおまえにはここの研究所にアカデミック・アトモスフィアを植えつけることだけが任務なんだと言いましてね。
―それでアメリカはどういう利益があるんですか。
中谷 それは、アメリカの研究所に今までと少し違った雰囲気を入れることができたら、それはたいへんな利益になりましょう。もしできたらね。

 中谷先生の伝えるところによると、アメリカの研究は事務仕事になっているとのこと。アメリカの研究所の所長がそういう話をして、このままではアメリカに将来はないと嘆いていたというのです。60年、70年の昔を伝えるエピソードですが、まるで昨今の日本の研究状況がそのまま語られているかのような錯覚を覚えます。

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新数学人集団(SSS)の時代 ノート21 数学をなぜやるのか

 「月報」第2巻、第4号は1955年3月5日付で発行されました。第2巻、第2号に谷山さんの投書が掲載されてから1年をこえる月日がすぎていますが、この号に「月報・批判と希望の欄」というのが設けられ、そこに「数学を何故やるのか」という記事が掲載されました。「「数学と数学者」批判」という副題が添えられていて、前号(第2巻、第3号)に掲載された記事「数学と数学者」に対する批判であることがわかります。谷山さんの投書の波紋はこうしてまた広がりました。
 著者名はなく、ただ「C」とのみ、末尾に記入されています。名前をアルファベットで表記したとき、「C」で始まる人というとだれなのでしょうか。
 谷山さんの投書の要約から記事が始まります。例によって摘記してみます。

・谷山さんの投書はぼくにも強い印象を与えた。
・われわれが数学をやる意義はどこにあるのか。科学技術の基礎として数学をやるのではない。日本国民の名誉のためでもない。合理的精神の普及のためでもない。これでは数学研究の合理的な理由づけは消滅しつくしたように見える。これは困ったことだ。どうしたらいいのだ!(谷山さんの主張の要約)
・「数学と数学者」はこの窮地に追い込まれてみずからの足場を必死に作り上げようとする数学研究者の悲壮な努力を示しているかのようだ。学問が十分役に立てられず、役立てられても人類に幸福をもたらさないという悲劇。この不幸に目をつぶって通りすごすことなく、数学が人類に本当に役立つような状態をこの世で実際に回復するために努力するべきだ、と主張している。
・谷山さんがやったように、数学を研究するあらゆる根拠を吟味すると、われわれが「生きる」ということの目的を疑うところまでさかのぼらざるをえないであろう。だが、評価する基準を定めないで、数学者たることの「意義」を論議するのは発展的ではないと思う。この点について、「数学と数学者」は、われわれの「生き方」の意義を評価する基準が、「数学者を社会の中にある人間としてとらえること」にあることを示した。これは討論を前進させたものだと思う。

 このあたりはどうもわかりにくいのですが、「C」さんの要約によると、理由づけが見当らないからといって消耗してみてもはじまらない、数学が社会に対してどういう役に立てられているかを監視しながら数学をやればよいのだ、というのが「数学と数学者」の所見ということのようです。この要約は正確と思います。
 ここまでを確認した上で、「C」さんの批判が始まります。

・数学が社会にどう使われるかということが、数学内部の問題であるということは、すぐに認めうる問題ではない。それは、数学の発展そのものから一応独立した「社会」機構の問題にたどりつかなければならないであろう。ここに思いをはせることとフェルマの問題を研究することとの間隔は、数学の研究と科学的精神の普及との間隔よりももっと遠いに違いない。

 「C」さんの口調は急に批判的になってきました。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート20 数学研究の意義とは(続)

「研究意欲」に続いて「数学の社会的機能」という小見出しが現れます。摘記を続けます。

・T氏の投書は、数学をやるあらゆる合理的な根拠を消滅させてしまったかのようだ。だが、最初の部分の論旨をあらためて見直してみたい。だいたい次のとおり。
・数学は全体として科学の基礎であり、科学は技術を可能とし、技術は産業に仕え、産業は人類の生活を支える。だから数学の研究も人類の幸福に役立つ有意義な仕事である。だが、この論は空々しい。
 このように言われれば「空々しく響く」ことには同意する。ただし、空々しく感じられるだけなのか、あるいは事実そのものにいわれがあるのか、もっと現実に即して考えてみる必要がある。なぜなら、数学―科学―技術―産業―生活の連鎖そのものを否定し、科学の現実的役割を視界から消し去ると、そのときすでに「根拠」の問題は解き難くなってしまうからである。
 この関連は本来は基本的なものだ。問題は、産業が人類の幸福に使えるか否かにある。上記の連鎖反応は、その最後の環のところで社会的政治的性格をもつ。社会的機構がどうであり、どれだけを保証するかなど、そのことが一番の問題であったと思う。
・ヒルベルトは数学の統一性に基づき、整数論を含めた全数学の発展が自然認識に貢献すべき旨をパリで語った(註。1900年、パリで開催された国際数学者会議における講演「数学の将来の問題について」)。それは確信にみちあふれて、数学が人類の進歩に使えるべきことは当然のようであった。1900年は19世紀であった。そのことに客観的な根拠はある程度あったと言える。

 ヒルベルトを例に挙げて「19世紀」ということが強調され、次の世紀に起った激動が示唆されています。「数学は何のためか」という問題は世界の姿と切り離して考えることはできないという考えが、ここに読み取れます。

・だが、二度の世界大戦は人類の進歩と科学の進歩の並行性というような素朴な確信を打ち破った。実際、水素爆弾の被害をあびた国民は科学の進歩を無条件に喜ばない。科学者自身も楽天的ではいられない。ただし、物理学者などと違って、数学者には、その学問的性格からして、水爆問題のような生々しい形の問題が現れることはない。それでも、学問が十分に役立てられず、役立てられたとしても人類に幸福をもたらさないという悲劇は数学にも妥当するように思われる。

 このような状勢認識に続いて、

・このようなことこそが、数学者の悩みの源ではなかろうか。

という言葉が語られました。

・こうした悲劇、さきの「空々しさ」を生み出してくる現実、それは国民にとって、また科学者自身にとって、不幸なことである。この不幸の前を、目をつぶって通りすぎることなく、数学が人類に本当に役立つような状態を、この世で実際に回復するために、努力すべきではなかろうか。それこそが「空々しさ」の感覚を過去のものとし、それこそが、数学研究の意欲を真に裏打ちし、豊かな創意を生み、多角的な発展を将来するであろう。

 長い議論の末に、「空々しさ」の感覚を過去のものとする道は、数学が人類に本当に役立つような状態をこの世に実際に回復することだという、ひとつの帰結へと導かれました。ひとりひとりの数学者による数学の研究がそのまま人類の幸福につながっていくような状況を理想とする考えと思われますが、「数学は何のためか」という問いに答えたとは必ずしも言えないように思います。問題を社会化するのではなく、数学それ自体に答を見出だしたいと谷山さんは願っていたのではないかと思うのですが、この論点について結論めいたことを言うのは尚早ですし、今後の成り行きを見守りたいところです。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート19 数学研究の意義とは

Lさんの投書の摘記を続けます。

・T氏はまた、思い上った芸術至上主義の幼稚なまねごとのような理由や、一見すると自然な人間本来の本能のようでいて、実はエゴイズムの押し売りにすぎない理由や、このようなごみ溜めの中から取り出してきたような理由をもっともらしく主張してすましている態度を激しく非難した。しかも非難するだけで筆を置き、それ以上何も言わなかった。これが悲観と自嘲だろうか。

 ここには、谷山さんは別に悲観したり自嘲したいしているわけではないという所見が表明されています。谷山さんが俗流の理由や主張を非難するのはなぜかというと、それらとは別の理由を模索して、別の何事かを主張したいと願っているのではないかと考えられますし、語らないのはつまり語れないからであり、数学を勉強することを無意味と決めつけているわけではなさそうです。Lさんもそんなふうに思って、谷山さんは悲観も自嘲もしていないと判断したのでしょう。
 続いて谷山さんの投書に対するLさんの所見が語られます。

・自分はこの投書は「欺瞞はやめよう」という積極的な提案と思った。社会生活の態度も数学をやっている目的にも、しっかりしたものがないか、不足しているか、正しいところを把握しているようでも、真に見解に相応しく振舞っていないなら、なぜ自分はいいかげんだとはっきりと認めないのか、いいかげんならばそのことをはっきり認めたうえでみなで真剣にしっかりしたものを求めながら進んでいかなければならないではないか。そのための一番大きな障害は欺瞞だと強く主張しているのだ。

 谷山さんの投書の主旨を「欺瞞はやめよう」という提案と理解する姿勢は正鵠を射ていると思います。それはそのとおりと思いますが、ただし、これだけではまだ「数学は何のためか」という質問に答えているわけではありません。
 「月報」第2巻、第3号には当初とは別にもうひとつ、「数学と数学者」というエッセイが掲載されています。著者は清水先生ですが、末尾の附記によると、新数学人集団の有志が討議し、その結果を清水先生が書き記したということです。読み進めていくと、谷山さんの投書の影響が色濃く反映している様子が感じられます。
 いくつかの項目に分けて記述されていますが、「数学教室」「就職」に続いて「研究意欲」という話題に移り、ここにおいて谷山さんの投書と関係がありそうな言葉が現れます。いくつか拾ってみます。

・数学研究の意義がわからないという声。それは現代的消耗のひとつの特徴ではないか。わからなくてもやっていける場合もあるかもしれないが、一般的に言うと、意義がわからないという悩みに襲われたなら、消耗は深刻である。
・これに対し、「考えることはない。数学をやっていればよい」などという慰めの声が聞こえてくることもあるが、これでは救われない。問題が解決したわけではなく、ただ覆いをされただけだからである。
・めいめいにつけてみる理屈みたいなものもある。天賦、永遠、詩、などなど。これらは理屈の中でも極端な種類のものかもしれないが、このような一系の理屈に対して決定的な批判が現れた。それが
T氏の批判である。数学研究の意義を見定めかねて、何か理屈を試みても、このような批判にあっては考えを練り直さないわけにはいかない。

 清水先生はこのように書き綴り、それから、「数学研究者の根源的なその悩みに救いはないのであろうか」と問い掛けました。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート18 投書に寄せて

前々回で、投書を書いた「Tさん」というのは谷山さんのことであろうと推測しましたが、根拠は何かというと、新数学人集団の初期のメンバーの名前です。名前の姓が「T」で始まる人は谷山さんのほかには見あたりません。ところが全文を読んでみると、谷山さんの他の文章と比べて、なんだか同じ人が書いたとは思えなくなりました。それで、別の人が書いたのではないのではないかなどと考え直してみたのですが、「数学の歩み」1959年、第6巻、第4号の特集「谷山豊を悼む」を見て、やはり谷山さんとわかりました。特集記事の中に本田平先生の追悼文「T投書と谷山さん」というエッセイがあり、そこに明記されていました。
 谷山さんは「なぜ数学を学ぶのか」「なんのために数学を学ぶのか」「数学は何のためか」という、だれも答えることのできない問いを問うことのできる人でした。「人はなぜ生きるのか」「人は何のために生きるのか」と問うのと同じことで、正解はありえませんが、その代わりひとたび思索に踏み込めばどこまでも果てしなく深まっていきそうです。深遠な魅力を秘めて、しかも危険な問いというほかはありません。
 「月報」第2巻、第3号は1954年12月16日に発行されました。投書欄を見ると、前号の谷山さんの投書に刺激されたとみられる2通の投書が掲載されています。投書のひとつには「不平不満」という題目が附されています。投稿したのは「志水」という名の人で、文面を見ると学生であることがわかります。書き出しの一節に下記のようなことが書かれています。

・なぜ君は数学を勉強しているのですか。突然こんな質問を受けた。第2巻、第2号の投書でT氏がいろいろと分析している。某教授は「数学的美しさの探究」のひとことできめつけている。しかし、結局のところ、こういう問題にはだれも答えたくないのではないか。もし答えたとしても、自分自身で満足できるだろうか。だれも漠然と心の一隅に何物かを感じながら、やっぱり口に出しては言えないだろう。

「こういう問題にはだれも答えたくないのではないか」という指摘は的を射ていると思います。この投書はまだ続きますが、話題は谷山さんの投書から離れています。
 もうひとつの投書は「T氏の投書について」というもので、谷山さんの投書に対する所感が全文を占めています。著者名はなく、末尾に「L」とのみ記されています。以下、摘記します。

・T氏の投書を読んで多くの人が強い印象を受けた。その人たちと話しているうちに、さまざまな異なった読み方と意見のあることがわかった。その中に、この投書を悲観と自嘲と考える人がいた。自分は、これは単なる悲観と自嘲ではないと思った。
・T氏は、人間生活を支える科学の基盤の一部としてわれわれが数学をやっているのだという理由を否定した。現在のわれわれは真にそのようになっていると感じることができるわけではないし、将来そのようになるときのためという自信とはっきりした意識も不足している。それにもかかわらずそんな理由を挙げるのは僭称だ。結局はそうなるかもしれないが、そのことと、当人が目的としてかかげることとはまったく同一ではない。
・日本国民の名誉のためという理由もT氏は否定した。この理由は嘘だし、動機も不純である。
・日本あるいは世界における合理精神の発展と、それによる人類の前進のための数学という理由も攻撃した。主張自身が現在のところ正しくないし、今やっていることを一見すると高く見える見地から手軽に「合理化」するのはまちがっているからだ。

 Lさんは谷山さんの発言におおむね同意している模様です。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート17 投書より(続)

「月報」第2巻、第1号には発行日が記入されていませんが、第2巻、第5号の末尾に「第2巻総目次」が掲載されていて、それを見ると、第2巻、第1号は「1953年7月」に発行されたことがわかります。7月の何日なのか、そこまではわかりません。
 それと、これは前にも書きましたが、第2巻、第2号は1954年10月15日に発行されました。前号から1年3箇月後のことで、これほど間があいていたとはうっかりして気づきませんでした。「月報」というくらいですから、本当は毎月発行する考えだったのであろうと思われますが、財政上の問題もありますし、原稿を集めるのもたいへんな苦労があることでしょうし、それに、小さな字がびっしりと敷き詰められたガリ版刷りの冊子ですので、相当の情熱を注がなければとても継続することはできません。

 Tさんの投書を続けます。

・類体論の読者はマラルメ(フランスの詩人)の読者の何千分の一かもしれあい。独特な記号のもとに、著者にしか理解できない「詩」をものしようとして煩雑な計算、記号的形式的推論により試作というよりは大量生産の名にふさわしい論文が山積みしようと、浮世の俗物のことなど顧慮する必要がどこにあるだろう。その俗物どものあなた方に対してはきわめて寛容である。実際、あなた方の生活はすばらしい。合理主義的啓蒙とか、資本主義の矛盾とか喚きたてて、現在の秩序を乱し、社会を転覆しかねない不逞の輩の尻馬に乗るおそれもなく、おまけに、求めようともせず、考えてもみなかった何かすばらしい名誉を、人間精神に与えてくれるかもしれないのだから。

 「数学は何のためか」と問うよりもむしろ、数学研究者を揶揄して、無害無益の無用の長物と言われているかのような印象があります。マラルメ詩集をひもとく人も多いとは言えないでしょうが、類体論の書物を読む人となるとさらにその何千分の一。数学の研究などは自己満足にすぎないではないかということでしょうか。

・自分の生きていたしるしを世の中に残すために、死の床にあって、私はこれだけのことをしてきた、私の生活は無意味ではなかったこと、満足の中に目を閉じられるように、数学の殿堂に自分の鑿(のみ)の跡を残そうとする人もいる。山小屋の壁に落書きをし、木の幹に自分の名を彫りつけるのも同じ心理。死の床にあって、守銭奴は子孫に遺しうる金高に満足の笑みを浮かべ、誠司かは自分の当選回数を思い浮かべ、将軍は自分の灰にした町の数を思い浮かべる。ある人は自分の書き写した経典の山を、などなど、何とすばらしい「しるし」が世に遺ることだろう。人間の事業がすべてむなしいというのではないが、それに「価値」を与えるのは何か別の原則によるのだ。
・何も死の床に限るわけではない。私はこんなに頭がいいんだ。私はこんなに能力がある。私はこんなにいろんなことをした。それは私が前に証明しました。それよりこのほうが簡単な証明だ。これは私の発見した最大の定理だ。私はどんな論文でも理解できる。私はこれだけ本を書いた。私は学位を6個取った。私は何とか大学の教授だ。私は大物だ。・・・別に数学でなくても・・・私はこんなに将棋が強い。私は柔道6段だ。私はこんなにお酒が飲める。私は金庫破りの名人だ。泥棒の親分だ。私は神の使いだ。私は神様だ!
 わかった、わかった、わかった。ただ、よくわからないこともある。なんでも証明でしるあなたにとって、あなたの能力の証明だけはむずかしいらしく、その証明にあなたの一生を要すると思っているらしいのはなぜなのだろう。

 「数学は何のためか」という問いが提示され、いろいろな答が試みられたものの、結局、答のないままに終りました。
だれにも答えることのできない難問を提示して、「月報」の読者にあえて議論をふっかけたような印象もありますが、案の定、いくつかの感想が寄せられて小さな誌上討論会のような雰囲気が生れました。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート16 投書より

 「月報」第2巻、第1号には発行日が記入されていません。第2巻、第2号は1954年10月15日発行。末尾に一通の投書が掲載されています。著者名はただ「T」とのみ記入されましたが、谷山さんと見てさしつかえないと思います。投書のタイトルは「手帖より」。「数学研究は何のためか」という問いをめぐって次々と所見が披瀝され、しかもみな否定されてしまいます。以下、摘記します。

・(空々しい理由)
工業技術は人間の生活を支え、豊かにする。その基盤は自然科学。そのまた一部、もしくは科学そのものの基礎として数学がある。数学を進歩発展させるのが有意義である理由はそこにある。数学は統一ある有機体である。それゆえ、純粋数学の研究も人類の幸福に役立つのである。
 これは立派な見解だが、なぜか空々しく響く。

・(無邪気な理由)
日本では科学と工業が乖離していることを説く人もいる。化学は空に蒸散し、技術は輸入に頼る。科学は尊重されず、科学者は国家の支持を感じない。戦時中はともあれ、今や科学は無用の長物と化した感がある。ましてあまりにも迂遠な数学など、やりたい人がやればいいさというわけである。現在はすべてが植民地化されてしまった。だからこそ、科学の殿堂だけでも毅然として独立を維持し、民族駅誇りのひとつの拠り所をそこに築くのはすばらしいことだ。日本国民の名誉のために。古橋と橋爪の水泳の世界記録樹立、湯川秀樹のノーベル賞、小平邦彦のフィールズ賞。これらは劣等感に打ち挫かれた国民精神を感奮喚起させる。
 自国の高い文化を誇り、受賞してさらに高める努力をするのは自然でもある美しくもある。ただし、そんなふうに言えるのは、その文化が真に国民の中に根をおろしている場合のことである。普段は見向きもせず考えもしないくせに、輸入した問題と取り組んで外国で業績を挙げた人びとを、何かの賞をもらったというだけでかつぎまわり、誇りとするのはどうか。なるほど十二歳の少年(マッカーサーが日本人を評した言葉)に相応しい無邪気さかもしれない。

・(合理的精神の涵養)
日本人のもつ非合理性、日本社会における資本主義と前近代性との奇妙な混淆、その上に重なる植民地政策。このジャングルを切り抜けるには科学的合理的精神の涵養以外に道はない。その目的にもっともよくかなうのはきちんとした理科、数学教育である。数学をちゃんとやっている研究室があり、その雰囲気の中で育った教師が教育に当る。これが理想である。
 もし求められているならば、これはそのとおり。だが、教育も馬に水を飲ませることはできない。かつて合理主義の担い手であった資本主義は、日本では合理主義の徹底を恐れ、時には植民地主義に順応することによりみずからを守ろうとしている。勤労大衆もまた合理主義に救いを求めようとはしていない。合理主義は表立って求められていない。それをたたき込むには人は啓蒙家にならなければならない。だが、フェルマの問題を研究しながら啓蒙家になることはできない。純粋数学が啓蒙の光となりえた時代ははるか昔のことなのだ。

・(趣味としての数学)
趣味として数学をやるという人がいる。たいへんけっこうな趣味だが、人は単なる趣味に一生を捧げるようなことはしない。この言葉にはさまざまなニュアンスが伴っている。数学のもつ純粋さ。曖昧を許容しない明確さ。一種の精神的な高み。そのようなものに精神の拠り所を求めようとする人。学問に対する漠然とした尊敬。何かに徹する生活の魅力から、学の中の学たる数学に没頭っしようとする人もあるだろう。人間精神の名誉のために透明で希薄な空気を呼吸しつつ、高い氷河につかまるのもよい。数学者は詩人であり、その論文は芸術作品であるとも考えられる。だれかが言ったように、詩を理解しない者は真の数学者ではない(註。ヒルベルトの言葉です)。
 あるいはまたアカデミズムへのあこがれから象牙の塔に立て籠もり、暇つぶしのためでも、収集癖のためでも、骨董趣味のためでも、とにかく何でもよい。暇と余裕のある人はどんな生活を選ぼうと自由ではないか。

 どれもみな「何のための数学か」という問いに対する解答ではありえないといいたそうです。趣味としての数学というのはよさそうな感じもしないでもありませんが、全体に皮肉めいた口調で語られています。こういうのではだめなのでしょう。
 Tさんの投書はまだ続きます。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート15 「学習についての二三の提案」より(その3)

新数学人集団有志が提案した協同研究の内容として、第3番目に挙げられたのは数学史の研究です。

(3)グループの中で、もとの具体的な形の問題と現代の「理論」の橋渡しをしてくれるようなものを次第につくり上げていく。グループ内で意見がまとまれば、各々のグループの間で互いに発表し合う。

これを大雑把に「20世紀数学史」と呼ぶことにすると書き添えられました。

(4)外国、特にソビエトと東欧諸国を知るために文献の翻訳を進める。また、「月報」に外国通信の欄を設けて文献などを紹介する。

 これは穏当な提案です。次の第5番目の項目では、「グループ編成の究極の目的」が語られました。それは、

(5)協同で指導原理を生み出し、それに従ってひとつまたはそれ以上のテーマに対して協同研究を行う。

というのですが、どことなく漠然とした感じがあります。
 真に数学を理解するには、ヒルベルトがそうしたように「一番はじめの問題」「本来の簡単な形の問題」に立ち返らなければならないという指摘の意味するところは実に重く、この論点を明示したのは新数学人集団に集う人たちの数学に向う姿勢をよく表しています。なすべきことは明らかではあるけれども、「理論」の壁にはばまれているためにそれを実行するのはむずかしいという現状認識もまた正確です。困難の所在ははっきりしているけれども、いかにしてそれを乗り越えるかというところに思案のしどころがあり、新数学人集団有志の提案は協同研究の提案をもってこれに応じました。いくぶん大雑把な感じがするのは否めませんが、新数学人集団の歩みは全体としてこの方針に沿って運ばれていったように見えますから、協同研究の提案は受け入れられたと見てよいのではないかと思います。
 この提案に先立って数論グループはすでに存在し、そこには谷山さんという指導者もいました。こののち、いろいろなグループが誕生して、新数学人集団の構造が次第に明確になっていきます。
「月報」を第1巻第1号、第1巻第2号・・・と表記してきましたが、実際には「第1巻」という言葉はなく、単にNo.1、No.2・・・と番号が割り当てられているだけです。1953年12月8日第3号が出て、それから年が明けてから1954年2月15日に第4号、1954年5月20日に第5号が発行されました。第1号の発行から1年が経過しています。そこでこれをひとつの区切りと見たためであろうと思いますが、次の号は「Vol.2. No.1(第2巻、第1号)」となりました。第2巻の発行が始まりましたので、それまでの5冊はまとめて第1巻と呼ばれることになりました。

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西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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