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新数学人集団(SSS)の時代 ノート6

『月報』の「3巻5号」は昭和31年5月に発行されました。前号の発行から2箇月後ですが、値段は20円上がって70円になっています。清水先生が書いた巻頭の一文「第7回全国連絡会によせて」を見ると、5月3日から6日にかけて第2回全国数学科学生懇談会が開かれること、続いて6日と7日の両日を使って新数学人集団の大会があることがわあかります。するとこの「3巻5号」が刊行されたのは5月に入ってすぐのことになりますが、あるいは4月の末にすでに発行されていたのかもしれません。
 5月6日と7日に予定されている新数学人集団の大会は第1回目です。プログラムが掲載されていますので日程が明らかになるのですが、6日も7日も午後1時から始まることになっています。午前中に何もないのはいささか面妖ですが、その代わり両日とも夜の9時まで各種の報告と討論がびっしりと並んでいます。会場は水道橋駅前の中央労政会館です。
 「新数学人集団 例会の歩み」という一覧表が掲載されていて、これを見るとSSSのはじまりのころの状況がよくわかります。昭和27年6月23日の例会の報告から始まっていますが、この日は『無限と連続』の合評会でした。『無限と連続』というのは東工大の遠山啓先生の著作で岩波新書の一冊です。出席者は約15名。三日後の6月26日の例会はその遠山先生を囲む会でした。この日の出席者も約15名でした。
 3か月がすぎて9月14日の例会は「準備会」と銘打たれています。「数学方法論研究会(仮称)」という集まりが企画されていたのですが、この会がSSSの前身です。第1回例会が開催されたのは準備会から10日目の9月24日。立川三郎という人が「仮説検定論」という話をしています。出席者は7名。目黒区高木町の宮原克美という人の下宿が会場になりました。ちなみに準備会の出席者数は記録がありません。
 以下、10月に4回、11月に3回、12月に3回と、週に一度ほどのペースで順調に例会がもたれました。年が変って昭和28年になり、1月に3回、2月はやや変則で5回の集まりがありました。3月は2回ですが、3月14日の2回目の例会は「回顧と展望の会」と銘打たれています。ここにいたるまでに通算して21回の例会が持たれたことになりますが、次の第22回目の例会から会の名前が変って「新数学人集団」になりました。「数学方法論研究会」は仮称だったのですが、ここにいたっていよいよ会の正式な名前が決まりました。

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新数学人集団(SSS)の時代 ノート5

「近づきつつあるSSS大会」という記事から事実を拾う作業をもう少し続けると、SSSにはいろいろな研究グループが存在したことがわかります。この記事に名前が挙げられているグループは次のとおりです。

 数論グループ
 群論グループ
 確率統計グループ
 数学史グループ
 函数論グループ
 関数方程式グループ

「ドイツびとワイル(1)」という記事を書いている清水先生は数学史グループに所属していたとみてよいと思います。一松先生は函数論グループ、谷山豊さんは数論グループ。矢野健太郎先生は上記のどのグループにも属していないような気がしますが、これらの中から選ぶのであれば群論グループであろうと思われます。会員は全部で何人くらいいたのかとか、どの人がどのグループに所属していたのかという基礎的な事実が、これからおいおい明らかになっていくことを期待したいです。
 この記事を書いたのは清水先生であろうと思って読み進めたところ、「親愛なる清水達雄氏」という言葉に出会いましたので、当初の想定はまちがいでした。
 事実を拾うという観点からすると、「第二回全国数学科学生懇談会迫る」という記事もおもしろい読み物でした。昨年、というのは昭和30年(1955年)のことになりますが、12月11日に都数集の総会があり、そのおりに昭和31年(1956年)に第二回全国数学科学生懇談会を都数集が主催して開催することが決議されたということです。「都数集」というのは都内数学科学生集合の略称で、そのような組織が存在していたことがこれでわかりまあす。ただしSSSとの関係はまだわかりません。3月4日に都内で実行委員会があり、会期は5月3日から6日までと決まりました。
 第一回全国数学科学生懇談会は京都で開催されたことも書かれていますが、主催はやはり都数集だったのかどうか、たぶんそうだったのだろうという感じはありますが、これもまだわかりません。
 巻末に「おしらせ」という小さな記事が出ています。群論グループからのお知らせで、新たに連続群と微分幾何学の勉強会を開くことにしたので、関心のある人たちの参加を希望するというのがお知らせの中味です。指導者は岩堀長慶先生、講師は斉藤正彦、長野正、伊勢幹夫、高橋恒郎という諸先生です。群論グループの所在地は駒場です。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート4

SSSのメンバーは極めて雑多であることが指摘され、その雑多というのは土地と階層の双方においてのことと言われています。土地において雑多というのは、全国各地に会員が散らばっているということを指していると思います。階層において雑多というのは、これだけでは意味を汲みにくいのですが、先を読むと、会員の中にはいろいろな人がいるというほどのことにすぎないことが判明します。いろいろな人として、次のような分類が示されています。

大学教師
上級研究者(これはよく意味がわかりませんが、大学教師ではなくても、大学院の特別研究生のように経済的に恵まれた立場の人のことでしょうか)
下級研究者(これもわかりにくいのですが、経済的な支援のとぼしい学生のことかもしれません)
居心地のよい研究者(具体的にはどのような人のことなのか、わかりません)
胸の悪いほど居心地のよくない研究者(ますますわかりません)
教師になろうとしている学生(教師というのは大学の教員のことであろうと思われます)
学生になろうとしている教師(これはまったくわかりません)
研究者になろうとしている学生、どっちにもなりたい学生(これもわかりませんが、教師であってしかも研究者でありたいと思う学生ということのようで、それなら大学教師になりそうに思います)
どっちもおもしろくない学生(数学は好きだけれども教師にも研究者にもなりたくないということでしょうか)
中学・高校教師
教師としての研究者
教師が不愉快で研究者たらんとする教師
不安におののく都会の研究者
断固たる目標のもとに組織し研究し組織する英雄
変りもの
わからずや
何にでも無茶をいうやけくそ分子
地道な分別者
アナーキスト
レーニン主義者
人民主義者
実存主義者
生活主義者

最後のほうは単にそんな人もいるというだけのことで、もう分類になっていないような気もしますが、言葉遣いにどことなく昭和30年前後の時代が感じられます。
 雑多性の指摘に続いて、「SSSの目標」が明記されています。目標は「この国の数学の民主的な全面的発展」にあり、全面的というのは、純粋から応用まで、初等から高等までを意味していて、そのために全国各地の大学の学生が一堂に会して自由な討議が行われることが望まれています。
 SSSの正体はまだわかりません。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート3

「近づきつつあるSSS大会-準備委員会-」というレポートは無記名の記事ですので、著者はだれなのかわからないのですが、末尾に連絡先として清水達雄先生のお名前が記されているところから推して、それに近づくSSS大会についての記事であることを考え合わせると、これはやはり清水団長が書いたとみてよいのではないかと思います。「昨年末から地方会員希望者が増大…」と書き出されていますが、それならSSSの中核メンバーは東京在住の人びとなのであろうという感触があります。入会希望を申し出てきた地方の人たちはどうしたのかというと、ひとまず準会員になってもらった模様です。ただしSSSに準会員規約というのがあるわけではないというのですから、このあたりはおそらく清水団長と何人かが話し合って「ひとまず準会員ということにしておこう」という恰好になったのであろうと思われます。実際、それらの人は「清水氏等の二三の個人と連絡を保っているにすぎない」と書かれています。それでも入会を拒絶しなかったのはまちがいなく、その理由として、これらの人たちは「日本数学の将来にとって極めて重要」だからという理由が挙げられています。
 書き出しの数行を読みながら気がついたのですが、「清水氏」という言葉遣いがなされているところをみると、この記事の執筆者は清水先生ではないかもしれないと思えてきました。このような細部の諸事実についてはおいおい明らかにしていきたいと思います。
 東京におけるSSSが際立っている点について、研究グループ活動の活発化と学生層の高揚が挙げられていますが、「そもそもSSSは具体的に何であるか」がはっきりしなければならないなどとも書かれていて、困惑させられます。SSSとは何かという根本問題が、当のSSSの内部から投げかけられているのですからいくぶん不可解な事態ですが、まさにそのような基本問題のためにSSS大会が要請されたようで、それならSSS大会の目的はSSSの正体を明らかにすることにあると言えそうです。SSSの会員たちは率先してSSSを結成しておきながら、同時にいつも「SSSとは何か、何であるべきか」という形而上的な問題を語り合っていたのでしょう。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート2

「月報」3巻4号では「Weyl特集」が組まれています。Weylというのはドイツの数学者ヘルマン・ワイルのことでっすが、1955年12月9日にスイスのチューリッヒで亡くなっていますので、新数学人集団でも急遽、特集号を出す気運が高まったのでしょう。寄稿された原稿の題目と執筆者を並べてみます。

一松信「函数論に於ける業績」
矢野健太郎 H.Weyl先生と微分幾何学
(執筆者名なし) Mathematisch Analyse des Raumproblems (末尾に「N.I.」というイニシャルが記されています。)
(執筆者名なし) 「半単純群の表現論」について (末尾のイニシャルは「S.M.」。杉浦光夫先生かもしれません。)
(執筆者名なし) Peter-Weylの定理を廻って (末尾のイニシャルはK.S.)
谷山豊 Weylと整数論
8人のSSSによる放談会『ヘルマン・ワイル』
清水達雄 ドイツびとワイル(1)
ワイル伝資料

「以下次号」と記されていますから、ワイル特集は続きがありそうです。
他の記事を見ると、
  「近づきつつあるSSS大会-準備委員会-」
というのがあります。新数学人集団はときおりこのような会合を開催していたのでしょう。2頁ほどの短い記事ですが、これを読めば当時のSSSの姿がいくぶんか見えてくるかもしれません。

新数学人集団(SSS)の時代 ノート1

新数学人集団の回想録をめざして少しずつメモを書いていきたいと思います。会員は何人くらいいたのか、どのような人びとの集まりだったのか、どのように発足していつころまで続いたのか等々、素朴な疑問はたくさんありますが、総合的な考察を試みるのに先立って、とりあえず機関誌の概観から始めたいと思います。
 新数学人集団の機関誌の誌名は当初は「月報」と言うのでしたが、途中から「数学のあゆみ」に変りました。手元に何冊かバックナンバーがあり、一番古いのは「月報」の「3巻4号」です。1956年(昭和31年)3月発行。「全国数学連絡会機関誌」と銘打たれていて、裏表紙に全国連絡会参加諸団体が列記されています。それらは次のとおりです。

 新数学人集団(SSS)
 東京都数学科学生集合
 九州大有志
 京都大有志
 東北大有志
 岡山大有志
 その他

最後の「その他」というのはよくわかりません。発行元は「全国委員会」。連絡先として清水達雄先生のお名前が書かれ、住所が明記されています。清水先生は新数学人集団の団長です。「月報」の「3巻4号」の値段は50円です。

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