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          近刊予告

          現代数学社
          叢書:大数学者の数学
          No.16
           『アーベル(後編) 楕円関数論への道』

     ● 『アーベル(前編) 不可能の証明へ』の続篇です。


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数学史研究の回想67 変換理論の流れ

ガウスの円周等分方程式論は『アリトメチカ研究』の第7章に書かれているのですが、冒頭の序論めいた場所になぜかしらレムニスケート積分の姿が見えるのは既述のとおりです。アーベルはコペンハーゲン大学のデゲン先生のおすすめもあって楕円関数研究に心が向かうようになっていたのですが、ガウスが書き留めた一個のレムニスケート積分はアーベルの心に深い印象を刻み、進むべき道をはっきりと指し示しました。それは楕円関数の等分理論への道です。
 実際に楕円関数を学ぶということになると、なにしろガウスは論文も著作も公表していませんので、ルジャンドルの著作を読むほかはありませんでした。ルジャンドルには『積分演習』とか『楕円関数とオイラー積分概論』という非常に大きな著作がありますが、後者の『概論』は全3巻で編成されていて、第1巻の刊行は1825年、第2巻は1826年です。第3巻は先行する2巻の補足という形の書物で、三つの補足で構成されているのですが、「第一の補足」に記入された日付は1828年8月12日、「第二の補足」は1829年3月15日、「第三の補足」は1832年3月4日です。これらはアーベルとヤコビの楕円関数研究を受けて書かれた補足です。『概論』の前の『積分演習』も全3巻で、1811年から1817年にかけて刊行されました。アーベルもヤコビもこれをテキストにして楕円関数論を学びました。
 ルジャンドル以前には、楕円関数論の担い手としてオイラーとラグランジュ、それにファニャノのランデンなどという人がいましたが、これらの人びとの思索の成果を集大成しようとしたところにルジャンドルのねらいがありました。ルジャンドル自身の寄与というのはあまりないのですが、ひとつだけ、変換理論を創始したのはルジャンドルです。新しい理論にはちがいありませんが、ほんの入り口のところを手がけて著作にも書きましたので、アーベルもヤコビも影響を受けて変換理論の一般化をめざしました。ヤコビは変換理論の研究で成功したと確信し、ルジャンドルとシューマッハーに手紙を書いてその成果を伝えました。シューマッハーというのは「天文報知」という学術誌を創刊した人です。
 ヤコビの思惑は的中し、シューマッハーに宛てた手紙は数学に関する部分が抜粋されて「天文報知」に掲載されましたし、ルジャンドルからも返信があり、大いに賞讃されました。変換理論の淵源をたどるとオイラーの微分方程式論にたどりつきます。変数分離型微分方程式の代数的積分の探索というオイラーの試みは楕円関数論の二つの起源のうちのひとつで、この流れが変換理論という衣裳をまとってヤコビまで到達しました。アーベルの「楕円関数研究」のテーマのひとつも変換理論です。
 楕円関数論には等分理論というファニャノに始まるもうひとつの起源が存在しますが、この理論はガウスにいたるまで継承者が現れませんでした。いくぶん不可解なことにガウスはファニャノを語らないのですが、レムニスケート曲線の等分問題への着目という点においてファニャノは確かに先駆者でした。それはともかくアーベルはガウスの『アリトメチカ研究』第7章の円周等分方程式論と、第7章の冒頭に書き留められた一個のレムニスケート積分の影響を受けて楕円関数の等分理論の存在を察知して、ひとりで歩みを運んでいきました。

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