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数学史研究の回想56 ガウスの『アリトメチカ研究』とアーベルの「楕円関数研究」

古典研究を志して原典の解読に取り組もうとしたとき、真っ先に念頭に浮かんだのはガウスの著作『アリトメチカ研究』でした。これを読まなければ数学はわからないと思い定め、ラテン語の勉強を始めたのもそのためだったのですが、同時にもうひとつ、これもまたどうしても読まなければならないと決意した論文がありました。それはアーベルの「楕円関数研究」です。
ガウスの『アリトメチカ研究』とアーベルの「楕円関数研究」はそれぞれ数論と楕円関数論の鍵となる作品ですが、岡潔先生の多変数関数論とヒルベルトの第12問題が具体的な契機になって古典研究を志したのですから、第一着手がガウスとアーベルになるのは当然の成り行きでした。
 アーベルの「楕円関数研究」のことは高木先生の『近世数学史談』でも詳しく紹介されています。この本は全部で23個の章で構成されていますが、第15章から第18章まで、すなわち
 第15章 パリからベルリンへ
 第16章 天才の失敗と成功
 第17章 ベルリン留学生
 第18章 パリ便り
の四つの章の主役はアーベルです。次の
 第19章 アーベル対ヤコビ
でもアーベルが語られていますし、
 第20章 初発の楕円函数論
はアーベルの「楕円関数研究」の紹介にあてられています。こうしてみると23個の章のうち6個の章にアーベルが登場するのですから、アーベルに寄せる高木先生の心情もまた思いやられます。
 ガウスのことはどうかというと、『近世数学史談』の第1章から第9章まで、9個の章がガウスのために割り当てられています。ガウスとアーベルを合わせると、23個の章のうち、実に15個になります。高木先生は近代数学史のはじまりをガウスとアーベルに見ているのですが、説得力があり、大いに影響を受けたものでした。
 『近世数学史談』の第20章「初発の楕円函数論」は、

≪アーベルの論文を読むものは先ずその平明暢達(へいめいちょうたつ)で、少しも巧を求めずして自然に妙なるを愛するであろう。恰も彼の書簡の天真流露、親しむべきと一般である。≫

と書き始められています。実際に読んでみると高木先生の言うとおりですし、平明な記述がすらすらと進んでいくのですが、平易かというとそうでもなく、読み進むにつれて印象が希薄になり、だんだんわからなくなっていきます。アーベルの記述に問題があるのではなく、アーベルの論文の前史というか、歴史に起因してあれこれの困難が発生するように思います。はじめからそんなふうに思ったわけではないのですが、わからくなる原因を考えているうちに歴史ということを考えるようになりました。
 アーベルを読むということはそれ自体がすでに歴史の流れに棹をさすことですが、アーベル以前に理解が行き届かなければアーベルはわかりません。歴史を理解する鍵もまた歴史にあるということでしょうか。

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数学史研究の回想55 4次剰余の理論の基本定理

「4次剰余の理論」の第2論文において、ガウスは「あるきわめてエレガントな定理」を書き留めました。それは平方剰余の理論における相互法則と類似の定理で、今日の数論では「4次の冪剰余の相互法則」「4次相互法則」などと呼ばれていますが、ガウス自身は「4次剰余の理論の基本定理」と呼んでいます。ガウスは平方剰余相互法則も「平方剰余の理論の基本定理」と呼んでいました。
 ガウスのいう4次剰余の基本定理は次のとおりです。

≪a+bi、 a'+b'iは、それらの随伴数のうちプライマリーであるもの、すなわち法$2+2i$に関して1と合同になる素数を表すとしよう。このとき、もし二つの数a+bi、 a'+b'iの両方、もしくは少なくとも一方が第一種に属するなら、すなわち法4に関して1と合同なら、数a+biの法a'+b'iに関する4次指標は、数a'+b'iの法a+biに関する指標と一致する。これに対し、もし二つの数a+bi、 a'+b'iがいずれも第一種に属さないなら、すなわち両方とも法4に関して3+2iと合同なら、一方の数の他方の法に関する指標は2だけ相違する。≫

 随伴数やプライマリーなど、いろいろな言葉を説明しておかないと命題の意味合いがわかりませんが、二つのガウス素数が比較されて、一方の他方に関する4次指標という概念がいわば物差しのような位置を占めて相互関係が記述されている様子は伝わってきます。
 ガウスは証明をもっていたと思われますし、実際に遺稿の中に証明のスケッチと見られる文書が存在するのですが、「4次剰余の理論」の第2論文では証明を書きませんでした。その理由について、ガウス本人はこう言っています。

≪だが、この定理のきわめて大きな単純さにもかかわらず、その証明は高等的アリトメチカの深い場所に隠された神秘と見なければならない。この証明は、少なくとも状勢がどのようになっているのかという点については、繊細をきわめた研究によりはじめて解き明かすことができるが、そうするとこの論文の限界をはるかに越えてしまう。そこでわれわれは、この証明の公表ならびにこの定理と、この論文の冒頭で帰納的考察を通じて確立するべく着手した諸定理との関係の解明を、第三番目の論文まで留保することにする。≫

 予告された第3論文はついに出現しなかったのですが、クンマーをはじめとして継承者たちの手で代数的整数論の構築がめざされて、類体論にいたる道が整備されました。

数学史研究の回想54 代数的整数論の泉

岡潔先生は多変数関数論研究の場で高次元の複素数空間内の特殊な形の領域を考える際に、領域の形状の複雑さを緩和するために、その領域をいっそう高次元の空間内に移すというアイデアを得て困難を乗り越えました。次元が高くなると困難が増すような気がするものですが、実はそうではなく、非常に平明な状況が開かれます。そういうところがガウスの場合ととてもよく似ています。
 あくまでも有理整数の範囲に留まって冪剰余相互法則を探索することにしても、それはそれでいろいろな事実に遭遇します。現にガウスは「4次剰余の理論」の第1論文でそんな消息を伝えていますし、ソフィー・ジェルマンに宛てた手紙にもそれらのいくつかが書き留められています。その手紙の日付は1807年4月30日ですが、4月30日といえばガウスの誕生日で、この日、ガウスは満30歳になりました。
 いろいろな事実は見つかるのですが、ガウスはどうも気に入らなかった模様です。ガウスが欲していたのは「一般理論の真実の泉」にたどりつくことだったのですが、その泉は有理数の範囲には見あたらず、拡大された数域においてはじめて見つかるというのが、長い歳月にわたって思索を重ねて得られたガウスの確信です。
 ガウスの確信というのは、n次の冪剰余の理論にふさわしい数域は1のn乗根により生成される数域であるというもので、今日の数論の言葉ではn次の円分体と呼ばれています。n=2の場合には平方剰余の理論を考察することになりますが、1の平方根は±1で、どちらもすでに有理数域に所属していますから、この場合には数域の拡大は不要です。n>2の場合について、ガウスはこんなふうに言っています。

≪事のついでに、ここではせめて、このように定められた領域は4次剰余の理論のために特に適切であることに留意するとよい。同様にして、3次剰余の理論はa+bhという形の数の考察を基礎にして、その土台の上に建てなければならない。ここで、hは方程式h^3-1=0の虚根、たとえばh=-1/2+√(3/4)・iである。同様に、いっそう高次の冪剰余の理論では他の虚量の導入が要請される。≫

 n=3の場合に考察の対象になるのは3次剰余の理論ですが、この場合には1の3乗根のうち1以外のもの、すなわち原始3乗根を投じて有理数域を拡大します。n=4の場合は4次剰余の理論ですから1の原始4乗根、すなわち√-1を有理数域に投じることになり、既述のとおりです。一般のnの場合には「他の虚量の導入が要請される」とガウスは言っています。具体的なことは何も語られていませんが、ガウスの念頭に1のn乗根があったことに疑いをはさむ余地はありません。後年、クンマーがガウスの企図を洞察し、任意次数の円周等分論を構築して高次冪剰余相互法則の発見に向けて大きく前進しました。クンマーの試みはもう一歩で完成にいたらなかったのですが、これによりガウスの見通しが強固な現実味を帯びたのはまちがいのないところです。
 代数的整数論はこんなふうにして作られたのですが、理論形成をうながしたのはあくまでもガウスという特定の個人の特定の確信であったことに、くれぐれも留意したいと思います。数学という学問の本質がそこに現れているのですし、源泉の姿を見ることができるのは源泉を創造した一番はじめの人の、この場合にはガウスですが、書き物を通じてのみであることも手に取るようにわかります。

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   『とぼとぼ亭日記抄』
   平成28年2月10日発行


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