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数学史研究の回想53 数域の拡大に向かう

 「4次剰余の理論」の第1論文は平方剰余相互法則を語る言葉とともに説き起こされています。

≪平方剰余の理論は、高等的アリトメチカのとびきりみごとな宝物に数え入れるべき少数の基本定理に帰着されるが、それらの定理は、周知のように、まずはじめに帰納的な道筋を通ってたやすく発見され、それからいろいろな方法で証明されて、これ以上望まれることは何も残されていない。≫

 平方剰余相互法則については十分に解明されつくしたという心情が表明されるとともに、平方剰余の理論に別れが告げられましたが、これに続いてガウスは3次剰余と4次剰余の理論に言及します。これらの理論は平方剰余の理論に比してはるかに高い壁に囲まれているというのです。

≪だが、3次と4次の剰余の理論ははるかに高い壁に囲まれている。われわれが1805年に究明を開始したとき、さながら入り口のあたりに置いてあるかのようなあれこれの事柄のほかに、二、三の特別な定理もたしかにもたらされた。それらの定理はひとつには簡明さのために、またひとつには証明のむずかしさのために際立っている。だが、われわれはすぐに、これまでに用いられていたアリトメチカの諸原理は一般理論を確立するためには決して十分ではなく、高等的アリトメチカの領域をほとんど無限に拡大することが必然的に要請されるという一事を認識するにいたった。≫

 ここでもまた「1805年」が明記されました。3次剰余の理論についてはまとまった論文は出ていませんが、ガウスの全集にいくつかの断片が収録されています。

≪だが、われわれはすぐに、これまでに用いられていたアリトメチカの諸原理は一般理論を確立するためには決して十分ではなく、高等的アリトメチカの領域をほとんど無限に拡大することが必然的に要請されるという一事を認識するにいたった。これをどのような意味合いにおいて諒解するべきなのかということは、この研究のこれからの流れの中で一点の曇りもなく明らかにされるであろう。≫

 「高等的アリトメチカの領域をほとんど無限に拡大する」という言葉が目を引きますが、これは数論の場を複素数域に広げるということを意味しています。平方剰余の理論もそうでしたが、ガウス以前には、数論という場合の「数」というのは正負の自然数、すなわち有理整数を指すのが通常の姿でした。フェルマもオイラーもラグランジュもみなそうでしたし、ガウスも途中までは、というのは数域の拡大の必然性を自覚するまではという意味ですが、有理整数の範囲でいろいろな命題を見つけていました。もっとも、ときおり有理分数が顔を出すことはあります。
ところが有理整数の範囲にとどまっていたのでは4次剰余の一般理論は確立されず、どうしても複素数の数論を展開する必要があるというのがガウスの所見です。いきなり第論文に移りますが、第30節においてガウスは次のように言っています。

≪われわれはすでに1805年にこのテーマについて熟考を開始したが、それからすぐに、前に第1条で示唆しておいたように、一般理論の真実の泉の探索は、アリトメチカの領域を拡大して、その中で行わなければならないという確信に到達した。
 詳しく言うと、これまでに究明されてきた諸問題では、高等的アリトメチカは実整数のみを取り扱ってきたが、4次剰余に関する諸定理はアリトメチカの領域を虚の量にまで広げて、制限なしに、a+biという形の数がアリトメチカの対象となるようにしてはじめて、際立った簡明さと真正の美しさをもって明るい光を放つのである。ここで、iは虚量√-1を表し、a、bは-∞と+∞の間のあらゆる不定実整数を表す。≫

 ガウスはこう言って、それからa+biという形の複素数を指して、「われわれはこのような数を複素整数と呼ぶ」と命名しました。今日では「ガウス整数」と呼ばれています。4次剰余の理論はガウス整数域において考察してはじめて、「際立った簡明さと真正の美しさをもって明るい光を放つ」というのですが、このような自覚こそ、ガウスの天才の発露です。
 数域の拡大というアイデアは、岡潔先生の「上空移行の原理」のアイデアに通うものがあります。岡先生は案外ガウスの影響を受けているのかもしれません。

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数学史研究の回想52 数学における発見と創造

数論の方面でガウスが生前に公表した論文は、これまでに紹介した3篇のほかになお2篇あります。それは「4次剰余の理論」という同じ表題の論文の第1論文と第2論文で、続きものですので、実際には合わせて1篇の長大な論文です。第1論文は第1節から第23節までの23個の節に分かれ、第2論文は第24節から第76節まで、53個の節で構成されています。
 第1論文は1825年4月5日にゲッチンゲン王立学術協会で報告されました。これによってガウスの4次剰余の理論の一端が公表されたのですが、ゲッチンゲン王立学術協会新報国集、第6巻に、全体を詳述した論文が掲載されました。刊行年は1828年です。3次剰余と4次剰余の理論の考察を始めたのは1805年のことというのですから、1825年まで20年、1828年に論文が出るまでに23年の歳月が流れています。
 本格的に研究を始めたのは1805年かもしれませんが、「あるすばらしいアリトメチカの真理」、すなわち平方剰余相互法則の第1補充法則を発見したのは1795年のはじめのことで、ガウスはその時点ですでに3次剰余と4次剰余の理論の存在を感知しています。そこまでさかのぼるのであれば、1795年から1825年まで30年、1828年まで33年です。ガウスはこれだけの長期にわたって3次剰余と4次剰余の理論の思索を続け、ようやく4次剰余に関する1篇の論文が結実しました。そのような理論があるはずだと確信したからこそ、いつまでも追い求めることができたのですが、ここにおいて実に不思議でならないのは、ガウスが存在を確信したという、その確信は何に由来しているのでしょうか。
 確信の由来を探索しても見つかりそうな気配はありません。まちがいないのはただひとつ、ガウスはそのように確信したという事実のみです。このあたりの消息を思うといつも神秘的な感慨に襲われるのですが、はたして存在するか否か、本当のことはだれもわからない数論の法則を、ひとりガウスのみ存在を確信し、だからこそ30年を超える歳月にわたっていつまでも探し続けることができたのでした。この探索を支えたのは確信のみですから、もしかしたら存在しないものを存在すると誤って確信して追い求めていたのかもしれず、生涯に及ぶ苦心が水泡に帰す可能性もありえました。
 ガウスはそれを押し切って本当に発見してしまったのですが、それならこの発見はガウスにしかなしえないことなのですから、ガウスの創造と言えるのではないかと思います。このような際立った事例がありますので、数学的発見は個人の営為であるという考えが説得力をもってきます。たとえガウスがいなくても、10年後、20年後、あるいはまた50年後になるかもしれませんが、いつかはだれかが4次剰余の相互法則を発見したであろうとはとうてい思えません。数学では発見もまた創造です。

数学史研究の回想51 平方剰余の理論との別れ

 ガウスは論文「平方剰余の理論における基本定理の新しい証明と拡張」において平方剰余相互法則のいろいろな証明を追い求めるのはなぜかという問いにみずから答え、3次と4次の冪剰余の理論における諸定理の証明にも適用可能な証明を見つけるためという理由を語りました。3次と4時の冪剰余の諸定理の中でも中核に位置するのはやはり「基本定理」で、今日の語法では「3次の相互法則」「4次の相互法則」と呼ばれています。
 ガウスの言葉を続けると、「この望みは決してはかなくはなかった」というのですから、証明の探索に成功したのであろうと思われます。実際、ガウスの全集を観察すると、数頁の草稿というか、メモというか、短い書き物が収録されていて、そこに4次剰余相互法則の証明が書き留められています。細部まで詳細に記述されているわけではありませんが、円周等分方程式論に基づいて遂行されています。ガウスは、「たゆまぬ研究はついに幸福な成功をもって飾られた」と宣言し、「近々、私は研究の成果を公表することができるであろう」と予告しています。実際にはこの予告は実現されなかったのですが、上記の遺構を見ると証明をもっていたことはまちがいなく、しかもその証明は平方剰余相互法則のいろいろな証明を追い求める作業の中から得られたと見てまちがいありません。
 公表されなかった理由は不明ですが、ガウス自身、「この困難な仕事」などと言っているくらいですし、何かわけがあったのであろうと思われます。次に引くのは「平方剰余の理論における基本定理の新しい証明と拡張」の序文の末尾の言葉です。

≪この困難な仕事に着手する前に、再度平方剰余の理論に手をもどし、これ以上なお語るべき事柄を処理して、高等的アリトメチカのこの領域に、いわば別れを告げる決心をしたのである。≫

 ここまでが序文です。続いて本文に移りますが、本文は二分されていて、前半は「基本定理の第5証明」、後半は「基本定理の第6証明」と題されています。第5証明は初等的証明です。第6証明は円周等分論に基づいていますが、4次剰余の基本定理の証明はこのあたりの証明法の延長線上において得られたのでしょう。

数学史研究の回想50 3次剰余と4次剰余の理論

ガウスは平方剰余相互法則の8通りもの証明(高次冪剰余の理論に基づく証明が二つあり、別の証明ですが、本質は同じと見ることも可能ですので、それらを同一視すると7通りになります)を発見しましたが、そこまで執着したのはなぜかという疑問に対して、ガウスは平方剰余相互法則のいろいろな証明を報告する諸論文のあちこちでみずから詳細に理由を語りました。それについてはこれまでのところで見たとおりですが、これに関連してもう少し紹介しておきたいことがあります。
 まず、これは論文「ある種の特異級数の和」に記されていることなのですが、ガウスはガウスの和の数値決定を根拠にした平方剰余相互法則の証明を書き記した後に、「後ほど、まったく異なる原理に基づく他の二つの証明を再度、説明する予定である」と言い添えました。この論文が学術誌「ゲッチンゲン王立学術協会新報告集1」に掲載されたのは1811年ですが、3年前の1808年8月24日にゲッチンゲンの王立学術協会で報告されています。ここで予告された「他の二つの証明」は論文「平方剰余の理論における基本定理の新しい証明と拡張」において報告されました。この論文は1817年2月10日にゲッチンゲン王立学術協会で報告され、それから1828年の学術誌「ゲッチンゲン王立学術協会新報告集4」に掲載されました。掲載誌の刊行年を見ると、前論文から7年目のことになりますが、学術協会で報告された日付に着目すると、1808年から1817年にいたるまで、9年の歳月が流れています。
 そこでガウスは「平方剰余の理論における基本定理の新しい証明と拡張」の序文において、「すでに9年前に約束しておいた新しい証明を、今になってはじめて公表することにしたのには、別の理由もあった」と言い、3次剰余と4次剰余の理論を語りました。

≪1805年に3次剰余および4次剰余の理論の研究を始めたとき、これははるかに困難なテーマなのだが、私はかつて平方剰余の理論において陥ったのとほとんど同じ運命に遭遇したのである。もう少し詳しく言うと、この問題を完全に処理し、平方剰余に関する諸定理との不思議な類似が偏在する諸定理は、適切な仕方で追い求めるや否や、帰納的な道筋により難なく見つかった。これに対し、それらの定理のあらゆる面から見て完全な証明に達しようとする試みは、長い間、ことごとくむなしかった。この事態が原動力になって、相異なる多くの方法のうちのどれかしらは、同じ仲間のテーマの吟味に寄与しうるのではないかという希望を抱きつつ、平方剰余に関する既知の証明になお別の証明を付け加えようとして、私は大いに骨を折ったのである。≫

 ガウスのねらいは3次と4次の冪剰余の理論にあり、そこでもまた基本定理、すなわち相互法則を発見しようと望んだのですが、さまざまな定理は難なく見つかったものの証明するにはいたらないという、アリトメチカに特有の状況にまたしても直面しました。平方剰余相互法則のいろいろな証明を追い求めた理由が、ここにもまた現れています。ガウスはそれらの証明の中に、3次と4次の相互法則の証明にもそのまま適用できる原理に基づいているものを見つけたいと願ったのでした。
 平方剰余相互法則のいろいろな証明を探索した理由はこれで二つになりました。ガウス自身の肉声が聞こえてくるという、古典読解の醍醐味をしみじみと味わうことができて、感慨もまたひとしおです。

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