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数学史研究の回想49 簡明な姿形と困難な証明

ガウスの論文「平方剰余の理論における基本定理の新しい証明と拡張」は平方剰余相互法則を発見したころの回想から始まっています。

≪平方剰余に関する基本定理は高等的アリトメチカのもっとも美しい真理に所属するが、帰納的な道筋をたどって容易にみいだされた。だが、これを証明するのははるかに困難であった。この種の研究の際には、帰納的な道筋により、いわば自然に探究者に差し出される単純な真理の証明がきわめて深い場所に秘められていて、まずはじめに多くのむなしい試みがなされ、その後に、探し求められてきたものとはまったく違う方法で、最後になって明るみに出されるということがしばしば起るものである。≫

 「平方剰余に関する基本定理」というのは今日の数論でいう平方剰余相互法則のことですが、ガウスによる呼称は「基本定理」です。数論の命題は簡明に表明されるものが多く、帰納的な推論で簡単に見つかったりするのですが、簡明な姿形とは裏腹に、容易に証明することのできない場面にしばしば遭遇するとガウスは率直に語り、具体例として平方剰余相互法則を挙げています。
実際、ガウスが「あるすばらしいアリトメチカの真理」、すなわち平方剰余相互法則の第1補充法則を発見したのが1795年の年初。それからまもなく平方剰余相互法則の本体も発見されたのですが、ここまでは大きな困難もなく、ガウスの言葉によれば「帰納的な道筋をたどって容易にみいだされた」のでしょう。ところが証明はむずかしく、たいへんな時間を要しました。ガウスの《数学日記》の第2項目の記事は「素数の平方剰余は自分自身以下のあらゆる数ではありえないことを,証明を通じて確認した」というもので、これだけでは意味をつかみにくいのですが、平方剰余相互法則の第1証明、すなわち数学的帰納法による証明の鍵がここで語られています。日付は1796年4月8 日ですから、第1補充法則が発見された1795年の年初に立ち返るとすでに1年を越える歳月が流れています。
数論の命題は簡明ではあるけれども証明はむずかしいという見方は今日でも広く共有されているのではないかと思いますが、根源にあるのは平方剰余相互法則の発見と証明にまつわるガウスの感慨で、ガウスに続く人びとの共鳴を誘いました。ガウスはここでもまた「一番はじめの人」でした。
 ガウスの言葉を続けます。

≪さらに、ひとたびある方法がみいだされるや否や、その直後に、同じ目的地へと導いてくれる多くの経路が開かれてくるという事態もまたひんぱんに見られる。≫

≪ある経路はいっそう簡潔で、しかもいっそう直接的である。別の経路はといえば、いわば側面から、まったく異なる原理に由来する。そのような原理と当面の究明との間には、いかなる原理もほとんど予想されなかったのである。隠されている真理と真理の間に見られるこのような不思議な関係は、これらの真理の考察にあたり、ある種の特有の魅力を与えるが、そればかりではなく、それゆえにこそ熱心に研究して明らかにされてしかるべきである。なぜなら、そのようにすることにより、この学問に寄せる新たな補助手段と拡張がしばしば生じるからである。≫

 はじめガウスは平方剰余相互法則を数学的帰納法で証明したのですが、その後に他の証明がいくつもみいだされました。表面に現れたのは平方剰余相互法則という数学的現象ですが、どこかしら見えない場所にいくつもの隠された真理が存在し、顕在化した平方剰余相互法則と連繋しています。平方剰余相互法則は地上に生育している草花のようで、地下には何本もの根が伸びていて、何かしら数学的真理の名に値するものに達しているという感じです。地上の小さな草花に絶え間なく養分を送り続ける幾本もの根。ガウスは1795年の年初に、このような地上と地下の二つの世界に伸び広がる光景の一端に触れたのでした。
 ガウスはガウス自身の体験を語っているのですが、平方剰余相互法則の第1補充法則という断片をたまたま目にしただけで、世界の全容の存在を感知したことになります。ガウスの数学の力はその感受性に宿っていると言えるのではないかと思います。

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数学史研究の回想48 ガウスの和の符号決定をめぐって

数論の真理の発見はさながら天啓のように訪れて、しかもそれが正しいことに疑いをはさむ余地がまったくありません。17歳のガウスが「あるすばらしいアリトメチカの真理」、すなわち平方剰余相互法則の第1補充法則を発見したとき、ガウスを襲った心情がまさしくそのようなもので、ガウスは遭遇した真理のみごとなことに心を打たれ、ただ感嘆するばかりでした。平方剰余相互法則の本体と第2補充法則もまもなく発見され、証明にも成功しましたが、最初の証明は数学的帰納法によるもので、正しいことを確認するだけの作業です。
数論の真理の証明というのは正しさの確認にとどまるのでは不十分で、その真理を支える根本原理というか、真理の存在根拠を明らかにするものでありたいところです。ガウスが長い年月にわたって平方剰余相互法則の幾通りもの証明の探索を続けた理由がそこにありますが、そのような感受性そのものがガウスに固有のものなのでした。
 次に引くのは「アリトメチカの一定理の新しい証明」の序文の続きです。

≪しかし、たいてい場合、このような真理はいく通りものはなはだ異なる道を通って到達することができるという性質のものであり、一番はじめに差し出される道が必ずしも最短というわけではない。それゆえ、もしこのような真理を長い間、実りのないままに探究を続け、その後にようやく、隠されていた回り道を通って証明した後についに、きわめて簡単で、しかもきわめて自然な道筋の所在を明らかにすることに成功したなら、そのことを高く評価しなければならないのである。≫

 数論に寄せるガウスの心情が率直に語られていて、間然するところがありません。古典、すなわち一番はじめの人の言葉に耳を傾けることの意味がここにあります。平方剰余相互法則の証明をいくつも探索した理由も、ここにはっきりと述べられています。
 第2の論文「ある種の特異級数の和」ではガウスの和の符号が決定されて、『アリトメチカ研究』で提示された問題、すなわちガウスの和の数値決定が完成します。そこから平方剰余相互法則の証明が取り出されるのですが、類体論にもまっすぐにつながっていくことですし、そのあたりの光景が実に神秘的です。
 ガウスの和の符号決定問題について、ガウスは「厳密でしかも完全な証明は通常ならざる困難に行く手をはばまれる」と正直に告白しています。そんなにむずかしい問題とは思っていなかったようなのですが、この予測は完全に裏切られてしまいました。『アリトメチカ研究』で語られた諸原理から証明を取り出すことはあきらめざるをえず、まったく新しい手法を開発しなければならないことになったのですが、「その証明を長年にわたりさまざまな仕方で試みたが、むなしかった」と、ガウスはまたも正直に告白しています。
 ガウスの言葉はガウスの和と平方剰余相互法則との関係にも及び、「この和と他のきわめて重要なアリトメチカの一定理との間に見られる親密で不思議な関係」と言っています。「アリトメチカの一定理」が平方剰余相互法則を指すことはいうまでもありませんが、ここでは「親密で不思議な関係」という一語の印象が一段と際立っています。ガウスの和と平方剰余相互法則の関係に気づいてしまったことに、ガウス自身が深く感動している様子がありありと伝わってきます。

数学史研究の回想47 ガウスの言葉

ガウスの全集は全12巻、14冊という浩瀚な作品ですが、ガウスの生前に公表された著作や論文はそれほど多いとは言えず、公表にいたらなかった書き物が大量に収録されています。わずかではあってもよく熟したものだけを公表するというのがガウスのやり方で、そのためにガウスの論文は完成度が非常に高く、考察の足場は取り払われていると言われたりするのですが、この世評は必ずしも妥当ではありません。『アリトメチカ研究』もそうなのですが、ガウスの論文や著作には長短の序文が附されていて、考察の契機と過程が詳細に綴られています。ときにはガウスの心情さえ伝わってくるほどですし、しかも序文ばかりではなく本文の随所に同様の記述が見られます。
 ガウスは著作を通じて自分自身を語っているのですが、ガウスばかりではなく、このような傾向はオイラー、ラグランジュ、アーベル、ヤコビ、ヴァイエルシュトラス、リーマン、クロネッカー、ディリクレ、クンマー、ヒルベルトなど、数学の創造に携わった数学者たちに共通して観察されます。岡潔先生の諸論文もそんなふうに書かれています。
ガウスの5篇の数論の論文から具体的な事例を拾ってみたいと思います。まず「アリトメチカの一定理の新しい証明」の序文から。

≪高等的アリトメチカの諸問題では、ある特異な現象がしばしば観察される。それは解析学ではごくまれにしか起らない現象であり、そのおかげで高等的アリトメチカの諸問題の魅力は著しく高まるのである。≫
≪もう少し詳しく言うと、解析学の研究の場では、一般的に見て、新しい真理が依拠して、そこにいたる道筋を開いてくれる諸原理が前もって完全に把握されたときにはじめて、新しい真理に到達することができる。それに対し、アリトメチカでは、帰納的考察の途中で、思いがけない偶然によりきわめて美しい新たな真理が唐突に出現するということが、非常にひんぱんに起るのである。≫

 きわめて美しい新しい真理が唐突に出現することがあると言われていますが、これはガウス自身が満17歳のときにみずから体験したことでもありました。

≪それらの真理の証明は深い場所に秘められ、闇に覆われていて、あらゆる試みをあざわらい、透徹した洞察力をもってする探究も手が届かない。そのうえアリトメチカのいろいろな真理には、一見するところ、きわめて異質のとりどりの性質が備わっているが、それらの間には非常に不思議なつながりが認められる。そのために、何かしらまったく別の事柄を探究しているとき、大いに待ち望まれていて、それ以前には長い期間にわたって熟考して探し求めても得られなかった証明に、本当に幸いなことに、期待していたものとはまったく異なる道を通ってついに到達するということもまれではないのである。≫

 数論の真理はたまたま発見されるというのですが、証明して確かめようとすると非常にむずかしいとガウスは言っています。本当は証明されないうちは正しいか否かわからないのですが、ガウスは正しさを疑いません。数論の真理は先天的にわかるものであり、証明は不要とまでは言わないまでも、ただの確認作業にすぎないと言いたいかのような言葉です。
 数論の真理の各々はめいめい勝手に発見されるものですから、当初から相互関係などは期待されないはずなのですが、全体として観察すると、意外な関係で結ばれていることが判明します。一つ一つの真理の姿も一葉ではなく、いろいろな側面をもっていて、しかも真理と真理は不思議なつながりで結ばれているというのですから、真理の全体が生命をもって、さながら一個の有機体であるかのような感じになります。ガウスは数論をそのように見ています。

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プロフィール

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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