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数学史研究の回想46 『アリトメチカ研究』以後の数論の諸論文

『アリトメチカ研究』を通じてオイラーとラグランジュの数論に関心が向かうようになったのですが、実際に読み始めたのは少し後のことになります。『アリトメチカ研究』を読んで触発されたことは非常に多く、オイラーとラグランジュのほかにも、ルジャンドルやアイゼンシュタイン、ヤコビ、ディリクレ、クンマー、クロネッカー等々、連想はどこまでも広がるばかりでした。読破するということはとうてい考えられず、これから10年、20年と読み続けていってもほんの一部しかわからないだろうという思いにとらわれて茫然とした心境におちいったものでした。
 ともあれこの大部の作品が未完成であることがわかり、しかももっとも感銘を受けたのはまさしくその一事でしたので、ガウスの数論はこれからどうなるのだろうということが大いに気に掛り、ガウスの論文の解読に取り掛かりました。数論の領域でガウスが公表した論文は五つあります。相互法則に関係のあるものばかりで、すべてラテン語で書かれていますが、ラテン語が読めるようになる前にドイツ語訳をテキストにして読みました。英訳や仏訳は見つからなかったのですが、存在しないのではないかと思います。
5篇の論文を公表された順に挙げると次のとおりです。はじめの3篇のテーマは平方剰余相互法則ですが、続く2篇のテーマは4次剰余相互法則です。

(1) 「アリトメチカの一定理の新しい証明」
ゲッチンゲン王立協会報告集16(1808年)。ガウス全集、巻2、1-8頁(表紙つき)。本文は3-8頁。1808年1月15日、王立協会で報告されました。

 この論文では平方剰余相互法則の初等的な証明が報告されました。ガウスはこれを第3番目の証明に数えています。第2証明に見られる「2次形式の種理論」のような不思議な理論に支えられているわけではなく、書かれているとおりに読み進めればすらすらと証明が完成します。初等整数論で「ガウスの記号」と呼ばれる記号[x]に出会うのはこの論文です。
 ガウスは平方剰余相互法則を8通りの仕方で証明したのですが、それらに順番を割り当てるのはそんなに容易ではなく、必ずしも確定しているわけでもありません。『アリトメチカ研究』に書かれている第1証明と第2証明については紛れる余地はありませんが、第3証明以降は「発見された順序」と「公表された順序」が食い違うことがあります。この順序付けの問題は公表されたガウスの《数学日記》や遺稿などを参照すると相当に細かく論証することができますが、なかなか煩雑です。ガウスの書き物を大量に読まなければなりませんし、はっきりとわかるようになるまでにはずいぶん長い歳月を要しましたが、順序付けの考察は数論におけるガウスの思索の足跡をたどるうえで、つねに明るい指針であり続けました。

(2)「ある種の特異級数の和」
ゲッチンゲン王立学術協会新報告集1、1811年。1808年8月24日、学術協会で報告されました。

「ある種の特異な級数」というのは今日の数論で「ガウスの和」と呼ばれている有限和のことで、その数値の決定を通じて平方剰余相互法則の証明を取り出そうとするところにガウスの創意がありました。『アリトメチカ研究』の第7章の円周等分方程式論の真のねらいはそこにあり、『アリトメチカ研究』ではガウスの和が提示され、絶対値の算出にも成功したのですが、符号の決定にはいたりませんでした。その意味において第7章は未完成です。それを補ってガウスの和の符号決定の成功を告げたのが上記の1811年の論文で、これによってはじめて『アリトメチカ研究』の第7章の本当の意味が明らかになったことになります。

(3)「平方剰余の理論における基本定理の新しい証明と拡張」
ゲッチンゲン王立協会新報告集4、1818年。1817年2月10日、学術協会で報告されました。

 ここでは平方剰余相互法則の二つの証明が報告されました。ガウス自身はそれぞれ第5証明、第6証明と呼んでいます。

(4)「4次剰余の理論 第一論文」
ゲッチンゲン王立科学協会新報告集6、1828年。1825年4月5日,学術協会で報告されました。

4次剰余相互法則の二つの補充法則が定式化され、証明もついています。

(4)「4次剰余の理論 第二論文」
ゲッチンゲン王立科学協会新報告集7、1832年。1831年4月15日、ゲッチンゲン王立学術協会で報告されました。

4次剰余相互法則の本体が報告されましたが、証明はついていません。ガウス全集には大量の遺稿が収録されていますが、ガウスの生前にガウスの手で公表された数論の論文はこの5篇ですべてです。

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数学史研究の回想45 オイラー展望

『アリトメチカ研究』を読むと決めて取り掛かったのですが、当初はラテン語の力が足りませんので英訳書を読みました。合同式の概念からはじまるのですが、今日の語法で初等整数論と呼ばれている事柄が続き、第4章で平方剰余相互法則の数学的帰納法による証明(第1証明)が登場して一段落します。素因子分解の一意性、1次不定方程式の解法、原始根の存在証明、フェルマの小定理など、名所旧跡に次々と出会います。フェルマやオイラー、ラグランジュもすでに承知していたことも多いのですが、ガウスはこの3人の先駆者とは無関係にすべてをみなひとりで発見し、証明したと『アリトメチカ研究』の諸言で語っています。全部自分で発見し、その後にオイラーやラグランジュの論文を見たら同じことが書かれていたというのですが、本当のことであろうと思います。
 翻訳しながら読んだのですが、特に難解ということはなく、実におもしろく進みました。あれこれのことが無秩序に羅列されているのではなく、ガウスの心情のカンバスに「合同式の世界」という舞台が確固として構築されていて、すべては合同式の世界での出来事であることがありありと伝わってきます。ときどき数学の論理上の意味の通らない箇所があって困りましたが、そんなときはドイツ語とフランス語の訳書を参照しました。たいていの場合、英訳のまちがいでした。
 これは『アリトメチカ研究』に限ったことではなく、後にオイラーを読んだときにも同様の状況に遭遇しました。全体的な印象では、英語の翻訳書は厳密性に配慮がなく、おおよその意味が通ればよいというほどの考えで訳出されているように思います。厳密に訳出するのがむずかしいからそうするというのではなく、原文の意味を汲んで、その意味が伝わるように文章を書き直すほうがよいという方針で、積極的に意訳されている感じで、翻訳というよりも翻案です。ガウスの著作というよりも翻訳者の作品になり、うまくいけばわかりやすくなりそうですが、翻訳者が数学の中味を正しく理解しないで訳出すると意味のとれない訳文になってしまいます。
 それで英訳書を読んだだけでは『アリトメチカ研究』を読んだとは言えません。後にラテン語がまあまあ読めるようになってからわかったことですが、ドイツ語訳は原文に忠実で非常に厳密に訳出されていましたので、ラテン語の原文が難解なときはドイツ語訳に助けてもらいました。フランス語訳はどちらかといえば英訳書に近いのですが、英訳書のような露骨なまちがいはありません。それに、独自の註釈があちこちに附されていますので、ガウスをはさんで翻訳者と対話しているような感じになって参考になりました。
 英訳書にもよいところがあります。それは参照文献の指示が豊富なことです。ガウスは第4章までを独力で発見したというのですが、『アリトメチカ研究』を書く際にはオイラーやラグランジュも参照したようで、あちこちに文献が書き留められています。この定理についてはペテルブルクやベルリンの科学アカデミーの紀要の何年何月の第何号に出ているオイラーの論文を見よというふうに指示されているのですが、論文の表題が書かれているわけではありませんので、それだけを頼りに原典にたどりつくのは容易ではありません。ラグランジュでしたら数論の論文は数え方にもよりますが7篇ほどしかありませんので、わりと容易に特定できますが、オイラーの場合には数論の論文も非常に多く、しかもほぼすべてラテン語で書かれていてすらすらと読むというわけにもいきませんので、掲載誌の指示だけではオイラーのどの論文のことなのか、判別がむずかしくて弱りました。英訳書が有用になるのはこの点です。
 古典研究はガウスからとひとまず決めて『アリトメチカ研究』を読み始めたのですが、あまりにもひんぱんにオイラーが登場するため、次第にオイラーにも関心が向くようになりました。ラグランジュについても同様です。

数学史研究の回想44 円周等分方程式論が数論でありうるのはなぜか

 ラグランジュはオイラーの数学思想を忠実に継承しようとした人ですが、継承の仕方に創意があり、オイラーが示した萌芽を育てて大きな理論をいくつも作りました。たとえば、数論でいうと、ペルの方程式の解法を最初にめざしたのはオイラーですが、ラグランジュはこれを継承して一般の2次不定方程式の解法を展望するところまで歩を進めました。そんなふうに進んでいくところにラグランジュならではの創意が感じられます。ディオファントスの古い書物に触発されて数々の命題を語ったフェルマにも創意があり、そのフェルマの言葉に証明を与えようとしたオイラーにも創意があります。どこかしらフェルマ、オイラー、ラグランジュという人たちと無縁の場所に数学という学問が浮遊しているのではなく、人から人へと数学のバトンが手渡されていく中で、そのたびに新たな数学が創造されていく様子がありありとわかりますが、それも原典味読の効果です。
 『アリトメチカ研究』に話をもどると、第6章の章題は「これまでの研究のさまざまな応用」というもので、短い章ですが、おもしろい話題がいくつか集められています。
第7章の章題は「円の分割を定める方程式」で、「円の分割」というのは「円の等分」のことですから、円周等分方程式というと正確な感じが出てきます。これを縮めて円分方程式と呼ぶ流儀もときおり見かけます。円周等分方程式というのは
   X=(x^n-1)/(x-1)=x^(n-1)+x^(n-2)+・・・+1=0
という形の代数方程式のことですが、ここにおいて大きな疑問に直面します。それは、このような代数方程式がなぜ数論の書物に出ているのだろうかという疑問です。
ガウスの《数学日記》の第1項目は正17角形の幾何学的作図の可能性、すなわち定規とコンパスのみを用いて作図可能であることを報告する名高い記事ですが、これを言い換えると、n=17の場合の円周等分方程式の根は平方根のみを用いて表示することができるということです。ガウスの発見は正多角形に限定されているわけではなく、一般にnは素数として、幾何学的n等分が可能であるための条件はnがフェルマ素数であることという事実を突き止めたのですが、正多角形の作図問題そのものは古典ギリシアの時代にすでに現れていました。ユークリッドの『原論』には正三角形と正五角形の作図の仕方が書かれていますが、辺の個数がもっと多い場合については記述がありません。それでガウスの発見はそれ以来の大発見ということになります。ガウスはこの幾何学の問題を代数方程式の解法に帰着させることによって解決したのですが、そのあたりはデカルトの思想が反映しているように思います。
 このようなわけで円周等分方程式の解法を考えることは代数方程式論の問題であるのと同時に幾何学の作図問題でもあるのですが、ここまではよいとして、ガウスはなぜそれを「アリトメチカ(数の理論)」という書名をもつ書物に収録したのでしょうか。だれしもが抱くにちがいない素朴な疑問ですが、ガウス本人も気に掛かっていたようで、諸言で弁明のようなことを書いています。第7章で取り扱われる円の分割の理論は正多角形の作図問題と言い換えても同じことになるのですが、《それ自身はアリトメチカ(数の理論)には所属しない》とガウスは明記しています。「一番はじめの人」の書きものを読む者の心を深くゆさぶるのはこのようなひとことです。それ自身は数論ではないとガウスははっきりと宣言し、「しかし、それにもかかわらず」と言葉を続け、

《その諸原理はひとえに高等的アリトメチカから取り出さなければならないのである。》

と言い添えるのです。しかもなお、「このような状勢は幾何学者諸氏にとっては意表をつく出来事であろうと思われる」とおせっかいな文言さえ、書き添えるのですから、とうてい理解されまいとガウスも思っていたのでしょう。
 円の分割の理論がなぜ数論でありうるのか、どれほど説明してもわかってもらえるものではありませんし、実際にそこから数論の真理が取り出される様子を見てもらうほかはありません。ガウスの心情はそんなふうだったのですから、円の分割の理論に数論の真理が潜んでいるというのは、ガウスにとっても大発見だったことと思います。諸言で特に一説をさいてわざわざ弁明しているところに、かえってガウス自身の感情の高ぶりが感じられるほどです。
 円の分割の理論がどうして数論でありうるのかというと、そこから平方剰余相互法則の証明を取り出すことができるからです。円周等分方程式を素材にして「ガウスの和」というものを作り、その値を決定することができれば、そこから即座に平方剰余相互法則の証明が導かれるというのがガウスの発見ですが、『アリトメチカ研究』の段階ではガウスの和の絶対値が求められたところまでで、符号の決定にはいたりませんでした。この意味において『アリトメチカ研究』は未完成なのですが、その事実を知ることができて驚くとともに感動もまた新たでした。岡潔先生の論文集もそうだったのですが、偉大な作品はつねに未完成で、継承者の登場を待ち続けています。

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プロフィール

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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