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数学史研究の回想39 ガウスの数論のはじまり

数学の抽象化という現象は今日の数学の性格を考えていくうえで重い意味をもっていますが、代数学という「意味のない世界」を構築し、そこに問題解決の手掛かりを求めるという様式はすでにデカルトにおいて始まっています。代数はアルゴリズムのみに制御される世界であり、そのアルゴリズムには意味というものが伴わないのですから、いかにも抽象的な感じがします。抽象性は普遍性に通じ、問題解決の力が非常に強力であるところに特徴が現れています。
 数学における抽象化とは何かという問題は数学を学び始めた当初から気に掛かっていたのですが、デカルトの『幾何学』に教えられて、抽象化の契機のひとつは代数にあることが諒解されました。ルジャンドルの『数の理論のエッッセイ』を読んでしばらく考えているうちに、不定解析が数論と見られている理由がようやくわかりました。このあたりの理解が深まっていくところに、歴史研究の醍醐味があります。
 抽象化の問題は今後もおりに触れては考えていくことにして、ここで再びガウスの『アリトメチカ研究』にもどりたいと思います。序文を読み始めてまもなくフェルマ、オイラー、ラグランジュ、ルジャンドルという4人の数学者の名前に遭遇し、それがきっかけになってルジャンドルの著作の序文を読もうという気運になったのでした。
 それで、ガウスの数論の中味については、立ち入ったことはまだ何も触れていないのですが、序文を読み進めると実に興味の深い言葉に出会います。1795年のはじめころというとガウスはまだ満17歳にすぎないのですが、そのころのガウスは数の理論について何も知りませんでした。フェルマ、オイラー、ラグランジュ、ルジャンドルが成し遂げたことのあれこれも知らず、数論を学ぶための補助的な手段なども何ひとつもっていませんでした。このようなことはガウス自身がそう言っているのですが、ガウスはそのころ数論とは別の研究に没頭していたのだそうで、あるときたまたま「あるすばらしいアリトメチカの真理」に遭遇したというのです。それは『アリトメチカ研究』の第108条に出ている命題で、今日の語法でいうと平方剰余相互法則の第一補充法則です。
 ガウスの秘密主義ということが言われることがありますが、ガウスの書いたものを直接読むと、ガウスは数学的発見にいたるまでの経緯や、その間の心情などを率直に語っています。そういうことがわかるのも原典ならではのおもしろさです。実際、ガウスの数論が平方剰余相互法則の第一補充法則の発見に始まるなどということは、ガウス自身の著作以外の書物では見たことがありません。


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数学史研究の回想38 数学の抽象化と代数学

不定解析をディオファントス解析と呼ぶのは古くから行われている習慣ですが、ディオファントスの著作『アリトメチカ』の書名のアリトメチカというのは「数の理論」というほどの意味の言葉です。ユークリッドの『原論』にもアリトメチカがあり、完全数や素数が語られているのですが、完全数や素数に関心を寄せることは不定方程式を解くこととはだいぶ異質のように思われました。どちらも等しく「数の理論」と呼ぶことに違和感があったのですが、不定方程式の解は整数もしくは分数の数域内で求めることになっているのですから、それならそれで数論のような感じがしないでもありません。
 それで何とはなしに曖昧なままに納得してきたのですが、ルジャンドルの著作『数の理論のエッセイ』には、不定解析を数論と同一視しようとするルジャンドルの強固な意志が語られていて、しかもそれはルジャンドルの独自の考えというよりも、オイラーとラグランジュの真意を伝えようとしているかのようなおもむきがありました。ルジャンドルの最初の数論の論文は「不定解析研究」というものでしたし、アリトメチカの代りに「数の理論」という言葉を提案したのもルジャンドルです。ルジャンドルは何かしらそうしなければならない心情に突き動かされていたかのように思われるのですが、その理由はなかなか合点がいきませんでした。それが最近になってデカルトの『幾何学』を読みふけったところ、思い当たるところがありました。
 一般的にいうと、「代数の力を借りて問題を解く」というところにデカルトの数学思想の本質がありそうに思います。代数には演算を制御するアルゴリズムがあるだけで、アルゴリズムそのものには固有の意味というのは附随していないのですから、デカルトのいう明晰判明がすみずみまで行き渡っています。古典ギリシアの作図の難問は代数の力を借りればやすやすと解けることを、デカルトは示しました。それと同様に、数の理論の難問も、オイラーとラグランジュが実証したように、代数方程式の解法に帰着させると解けることがあります。このあたりの消息は、鶴亀算を連立一次方程式を立てて解くのとよく似ています。
 「代数に帰着させて解く」というのは抽象化ということの具体的な現れのひとつで、現在の数学ではごく普通の流儀になっています。

数学史研究の回想37 デカルトの精神と不定解析

西欧近代の数学のはじまりのころの数学はなんでもみな解析学で、代数学は定解析と不定解析に区分けされました。オイラーの著作『代数学完全入門』の構成がまさしくそのようになっていて、前半には3次方程式と4次方程式の解法が書かれています。これが定解析です。後半はさまざまな不定方程式の解法にあてられているのですが、これがつまり不定解析です。3次方程式や4次方程式を解くというのであれば、求める根の個数は決まっていて、すべての根を書き下すことができますから、定解析という言葉がよくあてはまります。不定方程式になると、探索の対象となる根は一般に整数のみで、ときおり分数も許容されることもあります。ガウスの『アリトメチカ研究』の序文にもそのようなことが書かれていました。根の範囲にこのような限定を課すと、根の個数は有限個のこともあれば無限個のこともあり、まったく存在しない場合さえあります。いかにも不安定な状勢に直面しますので、確かに不定解析という言葉がぴったりです。
 それで不定解析はいつころからあるのかという問いを立ててみると、バシェの著作『おもしろくて楽しいいろいろな問題』(1621年)には1次の不定方程式の解法に帰着される問題が集められていて、バシェはそれらの説き方を承知していました。そのバシェがギリシア語からラテン語に翻訳したディオファントスの『アリトメチカ』と言う本を見ると、この本はさまざまな次数の不定方程式の解法に帰着される問題の宝庫です。ディオファントスは紀元3世紀の人という伝承がありますから、不定方程式は古典ギリシアの時代にはすでに存在したと考えてよさそうです。ですが、そうすると、不定方程式を解くことがなぜ数論なのだろうかという、素朴な疑問に襲われてしまいます。
 このあたりが長年にわたってどうも不明瞭で釈然としなかったのですが、ルジャンドルの論文「不定解析研究」や著作『数の理論のエッセイ』などを読んでいるうちに、だんだん理解が深まりました。不定解析と数論を先天的に同一視するのはあまりよいことではなく、数論とすなわち「数の理論」をアリトメチカの別称と単純にみなすのも不適切です。ディオファントスの著作に書かれているのはどこまでも古典ギリシアの伝統に根ざすアリトメチカであり、アリトメチカの諸問題を代数の力を借りて解こうとするところに、不定解析というもののアイデアの真意がありました。このアイデアを持ち出したのはまずオイラー、それからラグランジュです。
 デカルトはディオファントスと同じ3世紀の人と伝えられるパップスが編纂した『数学集録』という本を見て、そこに紹介されている幾何の作図問題を代数の力を用いて解くというアイデアを持ち出しました。オイラーとラグランジュがアリトメチカの場で実行したやり方とよく似ています。作図問題に端を発したデカルトのアイデアは「曲線の理論」を生み、成長してライプニッツとベルヌーイ兄弟の無限解析になりました。まさしくそのように、デカルトのアイデアを数論の場に適用すると不定解析が生れたということになりそうです。


数学史研究の回想36 数論におけるルジャンドルの寄与

ルジャンドル自身は数論に何事かを寄与したということはないのですが、新しい試みを何もしなかったというのではなく、1785年の論文「不定解析研究」においてラグランジュの素数の形状理論を完成の域に高めようとする試みを打ち出しました。ラグランジュは「4で割ると3が余る素数」に対しては一般理論の建設に成功したのですが、「4で割ると1が余る素数」を対象にすると一般理論を作ることができず、個別に対応するほかはありませんでした。そこに着目したのがルジャンドルでした。ルジャンドルは「4で割ると3が余る素数」と「4で割ると1が余る素数」の間に橋を架け、前者に対するラグランジュの一般理論を後者に移そうとしました。その橋の名は「相互法則」です。
 もう少し正確に言うと、ルジャンドル自身が提案した呼称は「二つの異なる奇素数の間の相互法則」です。実体は今日の数論でいう平方剰余相互法則と同じものですが、名前が異なります。それと、今日の平方剰余相互法則には二つの補充法則が附随しているのですが、ルジャンドルの相互法則には補充法則はありません。
 相互法則という橋を架けるというアイデアには見るべきものがありますし、正しく定式化することもできたのですが、証明ができなければすべてが無意味になってしまいます。それでルジャンドルは1785年の論文「不定解析研究」で証明の方針をスケッチし、1798年の著作『数の理論のエッセイ』ではいっそう精密な証明を試みたのですが、存在証明が必要な補助的素数を証明なしで使うなどの欠陥をガウスに指摘されるなどということがありました。ガウスは『アリトメチカ研究』で相当の頁を使ってルジャンドルの証明を詳細に検討し、批判を加え、これによってルジャンドルの証明は証明として認められないことが明らかになりました。ルジャンドルはガウスの批判を受けてなお証明の改良を続けたのですが、なかなかうまくいきませんでした。
 ガウスはガウスで平方剰余の理論を構築し、「平方剰余の理論における基本定理」を証明にも成功しました。それならルジャンドルの寄与は皆無になったのかというとそうとも言い切れません。ひとつには、ルジャンドルが提案した「相互法則」の一語は残りました。ルジャンドルのいう「二つの異なる奇素数の間の相互法則」とガウスのいう「平方剰余の理論における基本定理」のそれぞれから「相互法則」「平方剰余」というキーワードを抽出して組み合わせると、「平方剰余相互法則」という今日も流布している用語が得られます。ルジャンドルはここに生きています。
 もうひとつは平方剰余相互法則の記述の仕方ですが、ここにはルジャンドルが提案した「ルジャンドル記号」が今も使われています。ガウスはガウスで独自の記号を編み出して平方剰余相互法則を書いたのですが、明瞭さという点から見てルジャンドルの記号のほうがはるかに簡明です。
 「不定解析」を数論そのものと見るという視点、「数論」という言葉の提示、「相互法則」という言葉の提示、それに「ルジャンドル記号」の提案はルジャンドルの寄与で、今も数論の場で生きています。


数学史研究の回想35 デカルト的精神と不定解析

ルジャンドルのように数論と不定解析を同一視するという視点から見れば、フェルマが語ってオイラーとラグランジュが証明を与えたいろいろな命題は、素数の形状に関する理論ばかりではなく、たいていみな不定解析に包摂されてしまいます。フェルマの多角数定理というのがあり、たとえば「どの数も3個の三角数の和の形に表される」というような命題ですが、これも不定解析と見ることができます。「8で割ると7が余る数はp^2+q^2+2r^2という形である」というのもフェルマが発見した命題ですが、これもまた不定解析でありえます。
 「数の理論とは何か」という問いに対し、「数論とは不定解析のことである」と応じるのは確かに斬新なアイデアですが、ルジャンドルに独自というわけではなく、オイラーとラグランジュの段階ですでに現れていたのは既述の通りです。ペルの方程式x^2-Ay^2=1に立ち返って考え直してみたいと思いますが、フェルマ自身が探索したのはどこまでも「平方数を乗じてさらに1を加えるとまたしても平方数になる」という性質をもつ数Aだったのですが、そのような数Aの存在の背後には二つの平方数の存在が想定されています。そこで、既知量も未知量も同等に扱うというデカルトの精神に沿って二つの平方数を文字で表すとペルの方程式x^2-Ay^2=1が出現します。デカルトのアイデアがここに生きています。
デカルトは古代ギリシアの作図問題の難問を代数方程式の解法に帰着させて解決するというアイデアを提案しましたが、そのアイデアが「数の探索」の場にも生きて働いて、不定方程式と呼ばれる代数方程式が出現したことになります。二つの平方数にいろいろな数値をあてはめて数Aを探索するのではなく、逆に数Aの性質に基づいてペルの方程式を満たす二つの未知数x、yを見つけるというふうに進めるほうがよいというアイデアで、オイラーとラグランジュはAの平方根√Aの連分数展開の観察によりこれを実行しました。
 デカルトは古代ギリシア以来知られていたいろいろな曲線のうち、代数方程式で表されるものだけを「幾何学に受け入れるべき曲線」として採用しましたが、この視点を逆転して、一般に「代数方程式で表される曲線」を考えることにすると、曲線の世界は一段と広がります。デカルトは代数方程式を書き下すと、それは何らかの曲線を表わしているという立場に立つのですから、デカルトは「代数曲線の世界」を創造したことになります。これと同じアイデアを数の探索の場に適用すると、今度は「不定方程式の世界」が出現します。この状勢を踏まえ、不定解析そのものを数論と見るという立場を鮮明に打ち出したのがルジャンドルなのでした。
 ルジャンドルは著作『数の理論のエッセイ』に先立って1785年に数論の論文を書いていますが、その表題はすでに「不定解析研究」というもので、「不定解析」の一語が明記されています。伝統的なアリトメチカの枠を脱し、何かしら広い世界を発見したという自覚がありありと感知されます。そこでルジャンドルは著作の書名にアリトメチカという言葉を使うのを避け、強固な自覚をもって「数の理論」という言葉を採用したのであろうと思います。
 不定解析の世界を発見したのはルジャンドルではないのですが、「数の理論」すなわち「数論」という言葉は今日の数学の世界に流布しています。


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オイラー研究所の所長です

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