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数学史研究の回想34 直角三角形の基本定理と不定解析

ラグランジュの数論を語るルジャンドルの言葉が続きます。ラグランジュには「アリトメチカ研究」という、1801年のガウスの著作とまったく同じ長大な論文があるのですが、その論文のテーマは「素数の形状に関する理論」で、「直角三角形の基本定理」をモデルにして実に雄大な理論が構築されました。
 直角三角形の基本定理によると、「4で割ると1が余る素数」は「二つの平方数の和」の形に表されますが、「4で割ると1が余る素数」というのは4n+1という形の素数のことです。そこで一般に素数nがax+bという形に表されるとき、これを「素数nの線型的形状」と呼ぶことにします。また、素数nがax^2+bxy+cy^2という形に表されるとき、これを「素数nの平方的形状」と呼ぶことにします。1次的形状と2次的形状という呼称を思いついて使っていた時期もありますが、順番をつけているみたいであまりよくないように思えてきてやめました。
 このように呼称を定めると、直角三角形の基本定理は、4n+1という線型的形状の素数がx^2+y^2という形の平方的形状をもつことを語っていることになります。そこで一般に、素数の線型的形状ax+bが指定されたとき、その素数はどのような平方的形状をもつだろうかと問うのが、「素数の形状に関する理論」です。
 ルジャンドルは数に関する理論はみな不定解析の範疇に留まるという考えに到達したようで、『数の理論のエッセイ』の序文の末尾に脚註を書き留めているのですが、それは、

〈私は数の理論を不定解析から切り離さずに、これらの2分野を代数解析の同じひとつの部門を形成するものとみなしたいと思う。〉

という明快な宣言とともに始まっています。そうして、「1個もしくは数個の不定方程式を解くことに関係のない定理は数に関する定理ではない」というのですが、それなら直角三角形の基本定理はどうかといえば、

〈フェルマにより、4n+1という形の素数はどれも2個の平方数の和であることが保証されるとき、これはちょうどAが4n+1という形の素数である限り、方程式A=y^2+z^2はつねに解けると言明するのと同じことである。〉

というのです。この視点から見れば、直角三角形の基本定理は素数Aに対して与えられる不定方程式y^2+z^2=Aの可解条件を教えていることになります。「Aが4n+1という形であること」というのが、その条件です。オイラーとラグランジュにより、素数の形状に関する他のいろいろな命題が発見されていますが、ルジャンドルの目にはみなことごとく不定方程式を解いているように映じたのでしょう。


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数学史研究の回想33 不定解析のはじまり

「長い間、オイラーは数の理論の研究に携わったほとんど唯一の幾何学者であった」とルジャンドは語り、それから「ようやくラグランジュもこの困難な企てに手を染めた」と続けました。ルジャンドルは数論の領域でのラグランジュの寄与を挙げているのですが、真っ先に語られたのは2次不定方程式の解法です。不定方程式のはじまりということであれば、ペルの方程式と呼ばれる不定方程式x^2-Ay^2=1(Aは自然数)が即座に念頭に浮かびます。この方程式はつねに解けるという事実を確立したのがラグランジュで、ルジャンドルが高く評価しているのもそこのところです。具体的に解を見つけるには、それはそれで特別のアイデアが必要になりますが、ラグランジュは、数Aの平方根の連分数展開に着目するという方法を提案して解決しました。
ペルの方程式はもともとフェルマが提示したのですが、ラグランジュはこれをあくまでも不定方程式の問題と見ています。2次の不定問題の特別の事例のように見えますが、実際にはこの方程式は完全に一般的な2次不定方程式の解法の鍵をにぎっています。それを洞察して一般理論へと踏み込んでいったところに創意が認められるというのが、ラグランジュを語るルジャンドルの言葉の真意であろうと思います。
 不定方程式の問題はディオファントスの著作『アリトメチカ』にも現れていたと、ガウスもまた語っていましたし、この点はルジャンドルと同じです。ペルの方程式が不定方程式の一種であることに疑いを挟む余地はありませんが、ペルの問題を最初に提示した当の本人のフェルマの意図は「数Aの性質の解明」にありました。数Aに平方数を乗じて、そのうえでさらに1を加えると新たな平方数ができることがあります。それはあくまでも数Aの性質であり、そのような特異な性質を備えた数はどのようなものなのかを知りたいというのがフェルマの望みでした。
 数Aに乗じられる平方数をy^2、新たに作られる平方数をx^2とすると、x^2=Ay^2+1という等式が現れます。フェルマが探索したのは、「この等式を満たす数x、yが存在するような数A」ですから、探索の対象はあくまでも数Aなのですが、あらかじめ数Aを固定してこの等式を満たす数x、yを見つけようとすると不定方程式の問題になります。探索の対象が入れ替わり、関心の的も大きく推移してしまいますが、論理的に見ると、「Aの探索」も「x、yの探索」も同じことになります。実際、フェルマが求めた数Aが見つかるということはペルの方程式を満たす二つの数xとyが見つかるということを意味していますし、逆に、与えられた係数Aに対してペルの方程式が解x、yをもつとき、Aはフェルマが求めていた数です。
 ある数学的現象があり、こちらから見れば「数の探索」に見え、あちらから見れば「不定方程式の解法」に見えるということになりますが、これをどのように諒解したらよいのでしょうか。古代ギリシア以来の伝統のあるアリトメチカの観点から見れば、フェルマによる「数の探索」は確かにアリトメチカの名に値しますが、不定方程式の解法というと、アリトメチカとは別の、何かしらまったく異質の理論が発生したような印象があります。ペルの方程式は確かにアリトメチカのように見えますが、一般に2次不定方程式の解法の探索という場に移れば、もはや伝統的なアリトメチカから大きく乖離しています。アリトメチカから出て別世界に飛躍したという印象があるのですが、この飛躍を実行したのがラグランジュでした。
 不定方程式論の萌芽はすでにオイラーにも芽生えていましたが、ラグランジュはオイラーを継承して、「新しいアリトメチカ」を創造したと言えるのではないかと思います。オイラーとラグランジュの数の理論を集大成したルジャンドルは、著作の書名にアリトメチカという言葉を使用せず、単刀直入に「数の理論」という言葉を採用しました。何気なくそうしたのではなく、古代ギリシアのアリトメチカを離れて新世界を開いたというほどのメッセージが込められていたのかもしれません。


数学史研究の回想32 オイラーの数論を語る

フェルマははたして本当に証明をもっていたのかどうか、疑問の余地はありますが、何の根拠もなしに命題だけを発見したというのも考えにくいところです。いずれにしてもフェルマがもっていたかもしれない証明の数々は失われてしまいましたので、フェルマが遺した命題のひとつひとつを証明するということが、フェルマ以後の数論の課題になりそうなところですが、実際には数論に関心を寄せる人はなかなか現れず、オイラーの登場を待たなければなりませんでした。
 その理由として、ルジャンドルの見るところでは、数学者たちはひたすら新しい解析学の発見や応用に専心していたからだというのですが、一理があります。ルジャンドルのいう新しい解析学というのは微分積分学のことで、デカルトとともにフェルマ自身も微積分の黎明期の形成に不可欠の人物です。続いてライプニッツ、ベルヌーイ兄弟(兄のヤコブと弟のヨハン)の手で「曲線の理論」が完成し、微積分の原型が成立しました。これを受けて、次の世代のオイラーは微分方程式論を中核とする新しい解析学の建設をめざしましたが、そのオイラーは同時に、フェルマ以後、数の理論に心を寄せた最初の人物になりました。
 数論は古代ギリシアにさかのぼる古い歴史をもつ学問ですし、多くの人びとが関心を寄せ続けてきたような印象が伴うのですが、実際にはそうではなく、フェルマに続く人はオイラーひとりでした。そのオイラーを継承したのはラグランジュですから、17世紀と18世紀の2世紀もの長期にわたり、数論の心を寄せた人物は二人しかいなかったことになります。実に意外な事実です。
 もっとも実際にはオイラーと数論を語り合ったゴールドバッハのような人もいましたし、ルジャンドルも亦18世紀の後半期を生きて『数の理論のエッセイ』を書いたりしたのですから、オイラーとラグランジュの二人だけというのは言い過ぎかもしれません。ではありますが、この二人が数論の領域で成し遂げた事柄は他を圧倒する力があり、その影響は今日に及んでいます。ルジャンドルはそれらを集大成して後世に伝えるという役割を担いました。
 このような状況ですので、ルジャンドルは何よりも先にオイラーを語ろうとするのですが、フェルマが発見してオイラーが証明した諸定理のうち、二つの定理を挙げました。ひとつは「フェルマの小定理」、もうひとつは「直角三角形の基本定理」です。この二定理の証明に成功したことが、オイラーの数論の出発点になりました。
 ルジャンドルはオイラーの他の発見も紹介しています。それらは次の通りです。

 a^n±b^nという形の数の約数に関する理論
 数の分割に関するあれこれのこと。
 不定方程式の解法において、虚因子や非有理因子を使用したこと
 2次不定方程式のひとつの特殊解が見つかった場合に、一般解を見つける方法。
 数の冪に関する定理の数々。たとえば、「フェルマの大定理」のn=3の場合の証明。

 ルジャンドルはこんなふうにオイラーの数論を語り、それから、「これらの書きものの中では、多くの不定問題がきわめて巧みな解析的技巧を駆使して解決されている」と言い添えました。ルジャンドルの目には、不定問題の解決ということが一段と鮮明に映じたのでしょう。


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