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数学史研究の回想24 多変数の代数関数論

ハルトークスの逆問題は内分岐領域では解くことができず、昭和16年ころに始まる岡先生の研究はついに完結しませんでした。岡先生の論文集を読んでもっとも強い印象を受けたのは、実はこの事実でした。多変数関数論のどのテキストを見ても、そんなことはまったく語られていなかったのですから、驚愕したこともまたひとしおでした。
 岡先生の論文集を読む前に多変数関数論のテキストをいくつか読んでいたのですが、多変数関数論には未解決の三つの難問が残されていて、岡先生はそれらをみな解決したという話が書かれていました。それはそれでまちがっているわけではありませんが、岡先生がめざしたのはあくまでもハルトークスの逆問題であること、ハルトークスの逆問題はレビの問題とは別の問題であることは、岡先生の論文集を読むまではわかりませんでした。これだけでも驚くべき事態ですし、原点を読まなければわからないことは確かにあることを痛感させられたものですが、これに加えてもうひとつ、岡先生には究極のねらいがあり、しかもそれはついに未解決に終わったとは知る由もありませんでした。
 原典には独自の力があり、原典を読まなければわからないことというのは確かにあります。この明快な事実を岡先生に教えていただいたのですが、優に古典研究の契機になりえています。岡先生の論文集を読んだのと同じ心でガウスやオイラーを読めば、どれほどおもしろいだろうと思われたことでした。
 岡先生がめざした究極のねらいというのは、「内分岐領域においてハルトークスの逆問題を解くこと」で、不定域イデアルの理論を創ったのもそのためでした。この理論ができれば、それで多変数関数論の基礎理論が確立し、1変数関数論の場合でいうとリーマンの「一個の複素変化量の関数の一般理論の基礎」に相当するところまで進んだことになります。それから先はどうなるかというと、リーマンは代数関数論の建設に歩を進め、「アーベル関数の理論」という論文を書きました。岡先生は10代のころからリーマンを憧憬し、リーマンのように歩もうという理想を抱いていましたので、究極の目標は多変数関数論変数の代数関数論にあったのであろうと思います。
 代数関数論を語る言葉は論文集の中にも散見します。第7論文は不定域イデアルの理論を叙述する偉大な作品ですが、序論を見ると、そこに代数関数の一語があり、内分岐点の考察がなければ代数間を扱うことさえできないという主旨の言葉が記されています。内分岐領域の理論ができなければ代数関数論に進むのは無理なのですが、60代の岡先生は「リーマンの定理」という表題のもとで研究ノートを書き始めました。数年にわたって書き継がれ、大量のノートが遺されましたが、概観すると、多変数の代数関数論を模索して孤高の思索を重ねる数学者の姿がありありと浮かび上がってきます。

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数学史研究の回想23 内分岐領域の理論

歴史に寄せる関心は数学とは別に抱いていたのですが、それだけでは古典研究に向かうには力が足りません。もっとも大きなきっかけは岡先生の数学論文集を読んだことで、その間の消息を語ろうとして多変数関数論の歴史を回想しているところですが、レビの問題とハルトークスの逆問題のはじまりのころまで話が進みました。これらの二問題は多変数関数論の背景に控えている基本中の基本の問題で、岡先生はレビの問題に誘われてハルトークスの逆問題を造型し、長い時間をかけて解決をめざしました。その過程に現れたあれこれの事柄が集まって、今日の多変数関数論を作っています。
 ハルトークスの逆問題が生れた背景をさらに考えていくとリーマンやヴァイエルシュトラスのアーベル関数論に出会い、そのアーベル関数論の根底を何かと探っていくと、ガウス、アーベル、ヤコビの楕円関数論に出会います。そこでガウスを出発点と定めて歴史の流れに沿って歩を進めていけば、おのずと岡先生の論文集にたどりつくのではないかと思われました。ガウスから岡先生へ。これが古典研究の大きな動機です。
 岡先生の前の歴史がガウスまでさかのぼるのはよいとして、もうひとつ、岡先生以降の多変数関数論はどうなっていくのだろうということも大きな問題で、気にかかりました。これは実は岡先生の論文集そのものに胚胎している問題で、しかも岡先生の論文集以外のいかなる文献にも見られません。岡先生の論文集を読んではじめて気づいたことがあったのですが、そもそも岡先生の多変数関数論研究は何をめざしていたのだろうと考え直してみると、「多変数の代数関数論」という謎めいた言葉に出会います。
 岡先生は多変数関数論の未解決の三大問題を解決したとはしばしば目にする評言です。三大問題というのは、レビの問題、クザンの問題(第一問題と第二問題)、近似の問題の三つですが、実際に岡先生の論文集を見ると、岡先生が終始一貫して追い求めていたのはハルトークスの逆問題でした。岡先生は実にめざましい手法を開発して大きく歩を進めたのですが、岡先生が描いた解決のプログラムにおいて、クザンの問題と近似の問題は有力な役割を果たしました。三大問題を解決したというのはまちがっているわけではありませんが、正鵠を射ているとも言い難く、岡先生の数学研究の本質をとらえそこなっています。
 第1論文から第9論文までの9篇の論文のうち、第8論文には「基本的な補助的命題」というタイトルが附せられています。タイトルにいう補助的命題というのは「内分岐領域における上空移行の原理」のことで、この命題を梃子にして主定理を確立しようとする趨勢が感知されます。ところが次の第9論文に現れたのは、内分岐点をもたない有限領域におけるハルトークスの逆問題の解決の報告でした。
第9論文のタイトルは「内分岐点をもたない有限領域」というのですが、領域が有限というのは、無限遠点を内点にもたないということを意味しています。そのうえ分岐点も存在しない領域が考えられているのですが、その代わり単葉という限定は課されていませんから、領域は一般に無限多葉域になります。
第6論文では2個の複素変数の空間内でハルトークスの逆問題の解決が報告されました。複素数の空間内の領域のことを単葉領域と呼んでいますが、単葉という限定を課すのであれば変数の個数が2個というのはそれほど深刻な問題にはなりません。現に、岡先生は戦中に書かれた論文で、一般にn個の複素変数の空間内でハルトークスの逆問題が解けることを報告しています。
 単葉な有限領域であれば、2変数の空間内で解決された時点ですでに一般に解決されたと言ってよく、その解決の鍵をにぎる関数の第二種融合法(岡先生がそう読んでいます)が発見されたのは昭和15年の初夏、蛍のころでした。論文を書いて東北数学雑誌に投稿して受理されたのが昭和16年の秋10月。岡先生の関心はすでにその先にあるものに移っていました。それは、内分岐点をもつ領域においてハルトークスの逆問題を解決することでした。

数学史研究の回想22 解析関数の存在領域をめぐって

ハルトークスの逆問題は「すでにそこに存在した問題」ではなく、岡先生が創造した問題ですが、どうしてこのような問題を提示しなければならなかったのかというと、リーマンにならおうとしたからでした。代数関数を考える際に代数方程式f(x,y)=0から出発し、yをxの代数関数と見たり、逆にxをyの代数関数と見たりするのはオイラーに由来する考え方です。曲線を関数のグラフと見るというのがオイラーのアイデアですが、yをxの関数と見ても、xをyの関数と見ても、いずれにしても同一のグラフが描かれます。それは方程式f(x,y)=0で表される代数曲線にほかなりません。
 代数方程式f(x,y)=0により代数曲線が表されるという観点はデカルトに由来するアイデアですが、オイラーはなお一歩を進めて「関数のグラフ」という観点を打ち出しました。そこで問題となるのは、「その関数が存在する場所はどこにあるのか」という論点です。関数には定義域が伴うというのは、今日の数学ではごく普通に受け入れられている考えですが、あらためて回想すると、オイラーには定義域の考えは見られません。ラグランジュにもなく、コーシーにもありませんし、ディリクレにも見あたりません。どうもリーマンに独自のアイデアのように思います。
 リーマンはガウスの曲面論の影響を受けて(今日の語法では)多様体の概念を提案した人ですが、このアイデアを1複素変数の解析関数に適用して、リーマン面の概念を提示しました。関数を考えるのに先立って、まずはじめに抽象的な「面」を与え、その舞台の上で解析関数を考えるという行き方ですが、代数関数の場合、リーマンの目には代数方程式f(x,y)=0の背後もしくは根底にコンパクトなリーマン面がはっきりと映じたのでしょう。そのリーマン面をTで表すと、xもyも同じリーマン面T上の解析関数で、方程式f(x,y)=0は同じ場所に存在する二つの関数の間に成立する関係式のように見えてきます。
 リーマン面T上の他の解析関数はどうかというと、xとyの有理式の形に書き表されます。

数学史研究の回想21 ハルトークスの逆問題

ベンケとトゥルレンの共著のテキスト『多複素変数関数の理論』が刊行されたのは1934年(昭和9年)ですが、この時期の岡先生の所在地は広島でした。刊行されてまもないころに入手したようで、この小さな本がきっかけになって、岡先生の多変数関数論研究は大きく変わりました。それまでも多変数関数論の研究を続け、学位のための論文を書き続けていたのですが、ベンケとの本を読んで、それまでの研究のテーマはあまり重要ではないと思ったようで、途中で止めてしまいました。新たな研究テーマを設定したのですが、それは「ハルトークスの逆問題」と呼ばれる問題でした。
 ベンケとトゥルレンの本を見た岡先生の目に中心的な課題と映じたのは、ハルトークスとレヴィの研究と見てまちがいないと思います。レビは、ハルトークスの連続性定理における「特異点が孤立しない」ということの独特の表現様式の中に、擬凸性という、多変数解析関数の存在領域に備わっているある種の凸性を見たのですが、考察の対象にした領域は滑らかな曲面で囲まれた領域に限定されていました。それでもそれが岡先生に影響を及ぼしたのはまちがいなく、岡先生はハルトークスの連続性定理そのものに立ち返り、そこから擬凸性の概念を抽出し、レビがそうしたように、「擬凸状の領域は存在領域だろうか」という逆問題を提示しました。これがハルトークスの逆問題です。レビの研究に示唆を得たのはまちがいありませんが、すでに存在していた問題なのではなく、岡先生が独自に創造した問題であるところに真価があります。
 レビの問題とハルトークスの逆問題はとてもよく似ていますが、まったく別の問題であることを、幾度も繰り返して強調しておきたいと思います。
ベンケとトゥルレンの本にはあと二つ、重要な問題が紹介されています。ひとつはクザンに由来する二種類の「クザンの問題」、もうひとつはルンゲの名とともに語られることの多い「近似の問題」です。岡先生の関心はどこまでもハルトークスの逆問題にあり、この問題を解決することが、昭和9年以来の岡先生の多変数関数論研究の中心に位置する課題になりました。クザンの第一問題と近似の問題はハルトークスの逆問題の解決のために有効な補助手段を提供しました。
 領域の擬凸性は純粋に幾何学的な概念です。そのような領域が存在領域になることを示すためには、その領域を存在領域とする解析関数を作らなければなりませんが、これを要するに関数の存在定理を確立するということで、リーマンの代数関数論の出発点によく似ています。リーマンは代数関数の存在領域としてコンパクトなリーマン面を提案したのですが、このアイデアが生きるためには、コンパクトなリーマン面に解析関数が存在することを示す必要があります。リーマンはこれをディリクレの原理に依拠して遂行しました。
岡先生がハルトークスの逆問題を解くために考案した証明法はディリクレの原理とはまったく異なっていますが、まずはじめに解析関数が存在する幾何学的な場所を設定するという点は同じです。リーマンに独自のアイデアであり、岡先生はリーマンを踏襲したことがわかります。

数学史研究の回想20 レビの問題

1910年の論文で、レビはハルトークスの連続性定理の力を借りてヴァイエルシュトラスの言葉をくつがえしたのですが、翌1911年に、
「2個の複素変数の解析関数の存在領域でありうる4次元空間の超曲面について」
という、もう一篇の論文を書きました。レビは2個の複素数の空間内で滑らかな曲面で囲まれた領域D={φ<0}を取り上げて、この領域に対してもう少し正確にいうと、Dの外側に広がる点集合{φ≧0}に対して連続性定理を適用しました。もし領域Dが何らかの解析関数の存在領域であるなら、その外側はその解析関数の特異点集合になっているのですから、特異点として非本質的なものだけを考えても、本質的特異点だけしか考えないことにしても、いずれにしてもハルトークスとレビが明らかにしたことにより連続性定理が満たされることになります。
 滑らかな曲面で囲まれた領域D={φ<0}に対して連続性定理が成り立つということにより、領域を規定するのに用いられる関数φに何らかの限定条件が課されることになりますが、レビはその条件を探索して「レビの形式」と呼ばれる微分式L(φ)作り、境界点において成立するべき不等式L(φ)≧0を書きました。このあたりにレビの創意が現れているのですが、ここからなお一歩を進めて逆向きの道筋を考察したことも際立っています。レビは、境界上で等号のつかない不等式L(φ)>0が成立するなら、領域D={φ<0}は局所的に、というのは各々の境界点のある近傍において、という意味ですが、存在領域であることを示しました。
 レビはここまで進んだのですが、ここにおいて、では大域的にはどうか、という問題が現れます。領域D={φ<0}の境界点において不等式L(φ)>0が成立するなら、Dはそれ自体が存在領域でありうるだろうかという問題で、これが「レビの問題」です。「レビの問題」という言葉はベンケとトゥルレンが編纂したテキスト『多複素変数関数の理論』に明記されています。

数学史研究の回想19 ヴァイエルシュトラスの言葉

ハルトークスが発見した連続性定理のねらいは解析関数の特異点は、それが非本質的であっても本質的であっても、決して孤立することがないことを明らかにすることだったのですが、実に興味が深いのは「孤立しない」という事実の表現様式でした。正則領域の擬凸性という、ある種の凸性がそこに含意されているのですが、それが明らかになったのはレビの研究によってでした。
レビは非本質的特異点を特異点と見ないことにして、本質的特異点のみの集りを考察し、そこでもまたハルトークスが発見したのと同じ型の連続性定理が観察されることを示しました。ハルトークスの論文が出たのは1906年ですから、レビの論文が公表されたのはそれから4年後のことになります。ハルトークスの論文がレビに影響を及ぼしたことに疑いを挟む余地はありませんが、単に一般化を試みたというのではなく、レビにはレビの数学的意図があり、レビはそれを1910年の論文の脚註に明記しています。レビはヴァイエルシュトラスの誤った言葉を覆そうとしたのです。
 ヴァイエルシュトラスの言葉というのは、ヴァイエルシュトラスのアーベル関数に関する一論文の途中にさりげなく書かれている断片で、明確な主張というよりも、片言隻句というか、さもあたりまえのように語られています。それは、多複素変数の空間内の任意の領域に対し、そこで解析的で、しかもそのすべての境界点において本質的特異性を示すものが存在するというひとことです。ハルトークスの連続性定理の力を借りてこれを否定しようとするところに、レビの真意がありました。本質的特異点が孤立しないことが示されれば、それだけですでにヴァイエルシュトラスの言葉は否定されてしまいます。
 では、さらに根本に立ち返って、ハルトークスはどうして多変数の解析関数の特異点が孤立しないことを示そうとしたのだろうと問うと、状況はいくぶん不明瞭になります。複素変数の解析関数も多変数になると1変数のときと比べてだいぶ様相が異なるのですが、両者の相違を明示する具体的な現象は、ハルトークスに先立ってすでにいくつか知られていました。ハルトークスをそこになおもうひとつの石を投じたのですが、これ以上の動機はわかりません。多変数の解析関数にも孤立特異点が存在するかどうかと問うたこと、それ自体にハルトークスの創意があったということかもしれません。

数学史研究の回想18 本質的特異点と非本質的特異点

レビの2篇の論文のうち、第一論文、すなわち1910年の論文は
「2個またはもっと多くの複素変数の解析関数の本質的特異点に関する研究」
というのですが、レビはここで解析関数の本質的特異点の作る集合に対してハルトークスの連続性定理を適用しました。単に解析関数の特異点というと、「解析関数がそこで正則ではありえない点」のことですが、本質的特異点というと「解析関数がそこで有理型ではありえない点」のことになります。
今日の数学の語法では、関数というと必ず定義域が指定されることになっていますが、解析関数には解析接続という現象が見られますので一筋縄ではいきません。多複素変数の空間において定義域を指定しても、同時解析接続という現象が発生して、その領域上の解析関数がことごとくみないっせいに境界を越えて解析的に接続されることがあります。そのため、解析関数の定義域をあらかじめ指定するのは無意味になってしまうのですが、それなら解析関数というのは関数の一般概念では把握することのできない不思議な存在物であることになります。
関数の一般概念を保持しつつ、しかも同時解析接続という特異な現象に対処するための考え方として、存在領域の形状の確定をめざすというのは有力なアイデアです。レビが提起したレビの問題や岡先生が取り組んだハルトークスの逆問題は、このアイデアに依拠して問題として成立するのですが、解析接続を妨げる要因には特異点とは別にもうひとつ、分岐点のいうものの存在があります。それからなおもうひとつを加えるなら、無限遠点における解析接続をどのように理解したらよいのかという問題もあります。
このあたりの状況をどのように理解したらよいのか、実はどうもよくわからないのですが、ではそもそも関数とは何なのでしょうか。こんな疑問にとらわれるようになったこともまた、数学史研究のきっかけになりました。
解析関数の解析接続を観察する際に、ひとまず分岐点や無限遠点は考えないことにして、多価性が発生する現象も考慮に入れないという非常に限定された状況を設定すると、複素数の空間内に解析関数の存在領域が描かれて、その外側に特異点の集りが広がります。非本質的特異点を特異点の仲間に入れると、描かれる存在領域は正則領域になります。非本質的特異点は特異点とは見ないことにすると、存在領域は有理型領域になり、その外側には本質的特異点がびっしりと敷き詰められています。ハルトークスは本質的もしくは非本質的な特異点全体の作る点集合は孤立点をもたないことを示したのですが、これを言い換えると連続体を作っているということですので、「連続性定理」と呼ばれるようになりました。

数学史研究の回想17 糸口を求めて

岡先生の多変数関数論の源泉を見たいという気持ちに誘われて、岡先生が憧憬するリーマンを思うという道筋がごく自然に開かれていったのですが、リーマンは具体的に何をしたのかというと、1変数複素関数論を建設した人であり、「アーベル関数の理論」という大きな論文を書いた人でもありました。ほかにもフーリエ級数の収束性を論じた論文、幾何学の基礎を論じた論文、素数分布を論じた論文などがあり、リーマンの論文はとても少ないのですが、ひとつひとつが数学に新生面を開くという性質のものばかりです。岡先生の論文もわずかに10篇を数えるばかりであるにもかかわらず、一篇ごとに多変数関数論の曠野が開拓されていくというものばかりです。このようなところも、リーマンと岡先生はとてもよく似ています。
1変数関数論ができたからといって、それなら変数の個数を増やしたらどうなるのかというふうに形式的に進んでいくということは、いかにもありそうに見えたとしても実際にはありえません。リーマンの1変数関数論はアーベル関数論を中継してはじめて岡先生の多変数関数論に連繋するのですが、そのアーベル関数論にたどりつくには岡先生の論文集を始点として多変数関数論の形成史を遡行していかなければなりませんでした。
ひとくちに歴史を遡行するといっても具体的にはどうしたらよいのでしょうか。糸口の所在はおのずと明らかというわけではありませんので探索を試みなければならないのですが、岡先生の論文集から始めるということであれば、岡先生が思索の手掛かりとした論文や著作を追うという方針が成立しそうです。
1934年にドイツの数学者ベンケが学生のトゥルレンの協力を得て『多複素変数関数の理論』のいう小さな本を出しました。この時点までの多変数関数論の状況を概観するというおもむきの本で、文献目録が充実しているところに特徴があります。岡先生はこの本を入手して、紹介されている文献を参照して研究計画を立てたのですから、ぼくもまた岡先生のように、ベンケとトゥルレンの本に手掛かりを求めて、岡先生が読んだ文献を直接読んでみたいと思いました。これが古典研究のはじまりです。
岡先生以前の多変数関数論というと、連続性定理のハルトークス、レビの問題のE.E.レビ、クザンの問題のクザン、ポアンカレの問題のポアンカレなどと名前が念頭に浮かびますが、わけてもハルトークスとレビの名は特別に重く心に響きました。多変数関数論の形成史においてハルトークスが特別の位置を占めるのはなぜかというと、岡先生の多変数関数論の中心課題は「ハルトークスの逆問題」を解くことにあり、しかもこの問題はハルトークスが発見した「ハルトークスの連続性定理」の中に芽生えているからです。
もう少し具体的にいうと、「ハルトークスの連続性定理」そのものが即座にハルトークスの逆問題を提示するというのではなく、岡先生がいわば萌芽を創造したのですが、その創造の契機となったのがレビの論文で、レビは「レビの問題」を残しました。ハルトークスの論文はわりと多いのですが、手もとにコピーを揃えて次々と読んだものでした。レビについては、必読の論文が2篇あります。イタリア語で書かれていますので、語学上の敷居が高かったのですが、『イタリア語四週間』などというテキストと伊和辞典を頼りにして読みました。
 古典はみな翻訳を作りながら読み、ひと通り読み終えたら再読、再再読を繰り返し、そのつど訳文を校訂しましたので、なかなか時間がかかります。

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オイラー研究所の所長です

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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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