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数学史研究の回想10 求積法と超越曲線

具象の詰まった抽象と具象の伴わない抽象の話の途次、一例を挙げるつもりで関数と曲線の話を始めたのですが、オイラーからさらにさかのぼってデカルトや古代ギリシアの話になってしまい、おもいもかけない長丁場になってしまいました。ここまでのところをひとまず要約すると、次の通りです。
○ 曲線の定義はなくてもいろいろな曲線が存在した。
○ デカルトは曲線の定義が必要な数学的場面(具体的には、与えられた線の本数を任意にして、n線の軌跡問題の解決をめざしたことが考えられます)に直面し、「代数方程式で表される図形」という定義を与えた。
○ 接線法もしくは法線法の確立が要請されるのは曲線の定義が一般的(抽象的と言ってもいいかもしれません)になり、形状を把握するための一般的方法が必要になったためである。
これで曲線の定義のひとつが登場しましたが、曲線の定義は接線法とセットになっていることに、くれぐれも留意したいとことです。
 デカルトは自分が定義を書いた曲線を特別の名前で読んだわけではなく、代数曲線という呼称を与えたのはライプニッツです。この呼称は超越曲線と対をなすのですが、ライプニッツもまたデカルトのように「幾何学に受け入れることのできる曲線とは何か」という問題を考察し、ある特別な理由があって、幾何学的曲線を代数曲線に限定することができなくなったのでした。その理由というのは求積法のことで、ライプニッツは曲線に囲まれた領域の面積や曲線の弧長を求めるために逆接線法を適用する方法を考案したのですが、これを実行すると求積線と呼ばれる曲線が出現します。ところが求積線が代数曲線の範疇におさまるということはなく、ひんぱんに超越曲線になってしまいます。
 デカルトの関心はおおむね作図問題に終始して、求積法に関心を示した様子はほとんど見られません。ところが、ライプニッツのように求積法に関心を寄せて求積線を描こうとすると、双曲線の求積線は対数曲線になり、円の求積線は逆正弦曲線になるというふうで、さまざまな超越曲線が現れます。そこで超越曲線を正確に描くことが新たな課題になりますが、そのためにはまず超越曲線の一般概念を把握して、その後に接線法を確立しなければなりません。思索の構造の面ではデカルトの行き方が踏襲されています。
 超越曲線というのは代数的ではない曲線というだけのことですから、曲線の一般概念を規定しなければならないことになりますが、ライプニッツは15世紀のドイツの神秘主義的数強者クザーヌスの思想を汲んで、「曲線とは無限小の辺が連なって形成される無限多角形である」という見方を採りました。曲線をこのように見ると、曲線上の任意の点はあす無限小の線分に所属していることになりますが、その線分を無限に延長していけば、その点における接線が描かれることになり、状況はきわめて簡明です。
問題はその無限小線分をどのように把握するかということですが、ライプニッツはそれを斜辺とする無限小直角三角形を作りました。現実に作ることはできませんが、心のカンバスに描くのでしたら可能です。直角をはさむ二辺もまた無限小ですが、それらをdxとdyで表すと、斜辺はdxとdyの間の一次関係式によって表わされます。そこでdxとdyの関係を記述することが問題になります。これが究極の問いです。


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数学史研究の回想9 代数曲線の世界

幾何学に受け入れうる曲線を幾何学的曲線と呼ぶことにします。古代ギリシアでも曲線の分類ということは考えられていて、平面軌跡、立体軌跡、曲線的な線などという区分けがなされていました。直線と円は平面軌跡です。円錐曲線を認識するには円錐のような立体が必要になるというので、これらは立体軌跡です。古代ギリシアではここまでが幾何学的曲線で、ニコメデスのコンコイド、ディオクレスのシソイド、ヒッピアスの円積線、それにアルキメデスの螺旋は機械的な線とされて、幾何学的曲線の仲間に入れてもらえませんでした。
デカルトは曲線の分類という考え方そのものは継承し、そのうえで分類の仕方に批判を加えました。『幾何学』にはその思索の経緯が詳細に叙述されているのですが、デカルトが到達した結論はコンコイドとシソイドは幾何学的曲線の仲間に入れるが、円積線と螺旋は仲間に入れないというものでした。この区分けの基準は何かというと、方程式でした。
 平面上に曲線Cが描かれたとき、それを表す方程式を立てるというのがデカルトのアイデアです。それにはどうするのかというと、同じ平面上に一本の無限直線Lを引き、これを軸と名づけます。軸の上に任意に点Aを指定し、それを始点と呼びます。曲線C上の任意の点Pから軸Lに向かって垂線を降ろし、その垂線の足、すなわち軸との交点をMとします。軸の始点AからMまでの距離を測定してxで表し、推薦PMの距離をyで表します。これで曲線C上の各点Pに対して二つの数値xとyが配属されました。xとyをそれぞれ点Pの切除線、向軸線と呼ぶことにします。
 このようにしたうえで、xとyの間に成立する方程式を考えるのがデカルトのアイデアです。しかもデカルトはその方程式を代数方程式に限定し、方程式の次数により曲線を分類しようとしました。デカルトのいう幾何学的曲線はこのようなもので、後年、ライプニッツはこれを代数的な曲線、略して代数曲線と呼びました。
 円、円錐曲線、コンコイド、シソイドはみな代数曲線で、多項式f(x,y)を適切に選定すると、方程式f(x,y)=0で表されますが、逆に任意に多項式f(x,y)を取って方程式f(x,y)=0を書き下すと、何らかの代数曲線が描かれます。こうして非常に広大な代数曲線の世界が手に入りました。この世界では代数方程式がそのまま曲線なのですから、方程式のみを手掛かりとして、その方程式で表される曲線の形状を知ることが基本的な問題として課されます。
一例を挙げると、デカルトは、『方法序説』が刊行された1637年の翌年1638年に、
      x^3+y^3=3axy (aは定数)
という方程式を書きました。この方程式は、後年「デカルトの葉」と呼ばれることになる曲線を表しますが、その形状を正確に認識するにはどうしたらよいのでしょうか。こうして新たな問題に直面するのですが、「接線を自在に引けるようになれば曲線の形はわかる」というのがデカルトの所見で、この課題がいかに重要であるかということを、デカルトは『幾何学』の随所で繰り返し強調しています。
 円や円錐曲線のように具体的に描かれた曲線に接線を引くというのであれば、個別に工夫を凝らして接線を引くことができそうですが、方程式のみを手掛かりとして接線を引くというのは確かにむずかしく、まったく新しい、しかも一般的な方法を考案する必要があります。実際にデカルトが提案したのは接線法ではなく法線法ですが、接線が引ければ法線も引けますし、その逆も言えますから、接線法と法線法は実質的の同じことになります。細かな話をするときりがありませんが、おおよそのことを言うと、デカルトの法線法は代数方程式の重根条件に基づいています。
 デカルトは曲線とは何かという問題を「幾何学に受け入れることができるかどうか」という点に足場を求めて考察し、代数曲線をもってこの問題に答えました。法線法もしくは接線法への関心は微分法の出発点になりライプニッツによる「万能の接線法」への道を開きました。


数学史研究の回想8 幾何学的曲線とは何か

数学という学問を成り立たせているのはひとりひとりの人のアイデアであり、そのアイデアは何事かを知りたいという心から生まれることを、関数と曲線をめぐるオイラーの思索の姿はよく物語っています。オイラーが曲線を知るために関数の定義を試みたように、数学における定義は何かしら知りたいことを知ろうとする思索の試みなのですから、重要なのは定義の文言そのものではなく、定義の表明を要請された人の心です。
その際、認識の対象は定義に先行して実はすでに存在しているということも重要なポイントです。存在するものを認識しようとして定義が生れるのであり、何ものも存在しない場所に唐突に言葉が語られて、それによって何かが生れるということはありえません。
認識の対象は明瞭に感知されていることもあれば、新たに発見されることもあります。後者の場合の事例を思うと、なんだか考古学みたいな感じがします。
 曲線を例にとって、この間の消息をもう少し具体的に語ってみたいと思います。曲線が存在するのに定義が不可欠というわけではなく、定義はなくても曲線はいわば先天的に存在します。古代ギリシアの数学を回想すると、定規があれば直線を引くことができますし、コンパスを使えば円を描くことができます。円錐を平面で切れば、切り方に応じて、切り口に放物線、楕円、双曲線という三種類の曲線が現れます。これらは円錐曲線と総称されています。ニコメデスのコンコイド、ディオクレスのシソイド、アルキメデスの螺旋、ヒッピアスの円積線は有名ですが、それぞれ指定された描き方にしたがって精密に描くことができます。西欧近代の数学でもっとも有名な曲線はサイクロイドであろうと思いますが、サイクロイドは直線上に円を置いて転がせば描かれます。ここに挙げたいろいろな曲線を描くのに曲線の定義は不要です。
 曲線の定義はなくとも個別の曲線は存在するのですが、何かしら特別の理由が生じて曲線の一般概念が必要になることがあります。たとえば、デカルトの『幾何学』にはデカルトが直面した「特別の理由」が詳細に語られています。
 おおよそのところを回想すると、古代ギリシアの数学でいろいろな曲線が考案されたのはなぜかというと、作図問題を解くためでした。主眼は作図問題に注がれていて、曲線は作図問題を解くための手法として考えられたのですから、「曲線とは何か」というような形而上的な問題は出る幕がありません。三大作図問題と総称される三つの問題、すなわち、円の方形化、角の三等分、立方体の倍積の問題もそんなふうにして解けたのですが、「3線・4線の軌跡問題」のように、解けなかった問題もあります。この問題も作図問題ですが、一定の条件を課して、その条件を満たす点の軌跡はどのような曲線になるかということが問われています。3線・4線の軌跡問題の場合は、答は円錐曲線になるだろうと予想するところまでは追い詰めることができましたが、正確に確認するにはいたりませんでした。
 このようなことがパップスの著作と伝えられる『数学集録』に記されているのですが、西欧の17世紀になってデカルトがこの書物を読んだところから微積分の歴史が流れ始めました。
 デカルトには独自の解析幾何学のアイデアがあり、それに基づいて3線・4線の軌跡問題を解くことができました。答は円錐曲線になり、パップスの書物で予想されていたことが確認されたのですが、デカルトはさらに歩を進めて、5線、6線以下、一般n線の軌跡問題さえ考えようとしました。曲線とは何かという問いが大きな問題になるのはこの場面においてです。なぜなら、n線問題の答はどのような曲線になるのか、まったくわからないからです。
 古代ギリシアの数学で提案された問題に関心を寄せ、解けなかった問題を解くだけに留まらず、さらにその先に開かれていく問題を考えようとするところに、西欧近代の数学の特質が現れています。それでデカルトはどうしたのかというと、「幾何学に受け入れることのできる曲線とは何か」というふうに問題を立て、思索を重ねました。いかにも形而上的な問い掛けですが、考察しようとしている問題の一般性が高まっているのに対応して、必然的に現れる現象です。

数学史研究の回想7 代数曲線と超越曲線

オイラーにとって代数方程式の代数的解法を確立することがきわめて重要な問題になった事情は前記の通りですが、ここには数学の問題が発生する理由の典型が現れています。16世紀のイタリアの数学者たちが3次と4次の代数方程式を解こうとしたことには、特に深い理由はなかったのではないかと思いますが、それなら引き続き5次、6次と、高次方程式の解法の探究に自然に向かうのかというと、そのようにはなりません。
形式的に問題を作るのではやはりだめで、オイラーのように明確なアイデアをもって数学に立ち向かうとき、そのときはじめて行く手をはばむ高い壁が出現します。それを乗り越えていこうとするところに数学の問題が発生するのですが、壁を作ったのはほかならぬオイラーのアイデアなのですから、自分の心がみずから作り出した壁に自分自身がさえぎられていることになります。これを要するに「数学の問題は人が作る」ということです。
 自分が作った問題に行く手をはばまれて自分でかってに行き詰まっているのですから、だからこそいつまでも行き詰まって考え続けていることができるとも言えそうです。
 関数の話が長々と続いていますが、関数の出所来歴を語ろうと思い立ったのはなぜかというと、数学がわかったりわからなかったりするのはなぜかという問いを考えるための事例を挙げようとしたのでした。こんなに長引くとは思いませんでしたし、早く元の考察課題に手をもどしたいのですが、超越関数のことがありますので、もう少し続けたいと思います。
 関数を大きく代数関数と超越関数に分けるのはなぜかというと、曲線の世界が代数曲線と超越曲線に区分けされているからです。代数曲線を代数関数のグラフとして把握したいのと同様に、超越曲線は超越関数のグラフとして把握したいというのがオイラーの数学的意図なのですが、超越曲線というものの正体が不明瞭なだけに、超越関数の姿もまたなかなか明確になりません。超越曲線というのは代数的ではない曲線というほどのことで、具体的な事例を挙げると、正弦曲線や余弦曲線、対数曲線、サイクロイドなどは超越曲線です。ですが、具体例をどれほど書き並べても、それだけでは超越曲線の一般概念を把握するにはいたりません。
 超越曲線とは非代数的曲線のこととのみ理解するのであれば、それに対応して、超越関数もまた代数的ではない関数とのみ言うほかはありません。オイラーはいろいろな例を挙げていますが、sin x、cos x、tan x、e^x、log xなどを解析的表示式の仲間に入れてこれらを関数と呼ぶことにすれば、既知の超越曲線はたいてい超越関数のグラフとして認識されます。それでも関数の一般概念をはじめ代数関数についても超越関数についても今日のいわゆる厳密な定義は表明されていないのですから、その点を指摘して、オイラーは厳密ではないと批判する余地は確かにあります。ですが、オイラーには「曲線を関数のグラフとして認識する」というアイデアがあり、このアイデアを具体化しようとして関数の概念を模索しているのですから、オイラーにとってこの批判は意味をなさないと思います。

数学史研究の回想6 代数的表示式と代数関数

曲線の根底に関数の姿が見えたとして、それに言葉を与えることができれば関数の概念が定まります。オイラーの苦心はそこにありました。曲線の定義はなくても曲線は存在するのですし、関数の概念はなくてもオイラーの心の目には関数の姿がありありと見えたのでしょう。
 いくつかの定量と1個の変化量に対して代数的演算、すなわち加減乗除の四則演算と「冪根を作る」という演算を合わせた五つの演算を適用して組み立てられる式を代数的表示式と呼ぶことにします。解析的表示式を関数と呼ぶというオイラーの流儀によれば、代数的表示式をさして代数関数と呼ぶのがよさそうに思います。そこで、もし代数方程式がいつでも代数的に解けるのであれば、代数曲線は代数関数のグラフとして描かれることになり、代数曲線と代数関数の間にきれいな対応がつきます。
『無限解析序説』の第1巻の叙述を見ると、オイラーはこれを確信していたのではないかと思われますが、そのためには一般の代数方程式の代数的可解性を確認しなければなりません。代数方程式の代数的可解性が重要な問題として認識される基本的な契機がここにあります。もっともオイラーのように曲線の世界を関数概念により制御しようとするアイデアがなくても、代数方程式の代数的解法はオイラー以前のデカルトの時代からすでに基本問題でした。実際、代数方程式を代数的に解くことができて、根を表示する代数的表示式が手に入るなら、根の取り得る値を精密に算出することが可能になりそうに思えます。デカルトに先立って、タルタリア、シピオーネ・デル・フェッロ、フェラリのような16世紀のイタリアの数学者たちの手で、3次と4次の代数方程式の解法が確立されたことも、この試みに希望をもたらしたであろうと思います。
代数方程式の解法を試みた人は多く、デカルト、ベズー、チルンハウスなどの名が念頭に浮かびますが、オイラー自身もこの系譜に連なっています。後に、アーベルの「不可能の証明」が現れて、次数が4を越えると、一般の代数方程式の代数的解法は不可能になることが明らかにされました。その結果、代数関数は代数的表示式の範疇にはおさまらないことになりましたので、「代数関数とは何か」という問題は振り出しにもどったのですが、この問題それ自体は生き続けました。アーベルの後にリーマンが出て、「閉じたリーマン面上の解析関数」を指して代数関数と呼ぶというアイデアが提案されました。リーマンの考え方は今も継承されています。
 オイラーが解析的表示式をもって関数の定義にしようとして心情の一端はこのようなものでした。曲線を関数のグラフとして把握しようとするところに真意があり、このアイデアを具体化しようとして関数概念の表明に腐心し、解析的表示式という名に相応しい何ものかを提案されました。その肝心の解析的表示式そのものに定義がないという事態は、今日の目には厳密さの欠如と映じるのかもしれませんが、オイラーの関心事は自分のアイデアの成否にありました。もし代数的表示式が代数関数のすべてを尽くしているのであれば、オイラーは代数的表示式を明示して、それを代数関数の定義にしたにちがいありません。
 オイラーは新しいアイデアの具体化の途上にあったのであり、その姿を見て厳密さの欠如を指摘するのは正しい評価とは言えないのではないでしょうか。


数学史研究の回想5 具象が詰まった抽象と純粋な抽象

関数とは何かと問われて「解析的表示式」という定義をもって応じ、いくつかの例を挙げたとしても、解析的表示式というものそれ自体の定義が欠如していれば、今日では、その定義は厳密ではないという批判を免れません。オイラーの解析的表示式は絶えずそのような批判を受けてきました。ですが、オイラーの関数はオイラーの実在感に支えられて存在しているのですから、厳密さを欠くという批判はオイラーの心には響かなかったであろうと思います。
 抽象性と具象性という観点から見ると、オイラーのいう解析的表示式は十分に抽象的です。変化量や定量の概念からしてすでに抽象の度合いは非常に高いのですが、オイラーの定義の抽象性には抽象的な感じがありません。なぜかというと、オイラーの抽象には具象がいっぱいに詰まっているからで、しかもその具象の具象性の実体は関数というものに寄せるオイラー個人の実在感にほかなりません。そこで、そのオイラー個人の実在感に共鳴し、曲線の根底にあるものを探索しようとしているオイラーの試みに共感することができたなら、それがつまり「数学がわかる」ということなのではないかと思います。
 このあたりは重要な論点ですので、もう少し附言してみたいと思います。今日の数学の流儀ではすべては定義から始まりますから、定義がなされないうちは何ものも存在しません。関数は集合から集合への対応で、しかも一価性条件が課されます。一価対応がすなわち関数であり、何の前提もなしにそのように言葉が述べられたとき、その瞬間に関数が生れます。なぜそのように定義するのかというような、定義された概念の意味やねらいは何も伴わず、言葉だけが存在するのですからきわめて簡明、簡素、明瞭で曖昧さは皆無です。この関数の抽象性はいわば純粋な抽象です。この場合、関数がわかるということの実体は関数の定義を覚えるということにつきますから、簡単にわかりながら、しかもわかったような気がしないという、不可解な心情におちいります。共鳴の対象が存在しないためにそうなるのではないかと思います。


数学史研究の回想4 曲線の根底にあるもの

今日の微積分にも曲線の理論は存在し、曲線を関数のグラフと見るところはオイラーの『無限解析序説』と同じですが、両者を比較すると似ていないところも目立ちます。今日の微積分では、微分法を応用して曲線の凹凸を調べてきれいに概形図を描いたり、接線を引いたり、曲率を求めたりします。積分法の応用では、曲線で囲まれた図形の面積を算出したりするのですが、今日の微積分のテーマはどこまでも関数の諸性質の探究であり、曲線の理論は応用の事例にすぎません。関数が主、曲線が従。これに対し、『無限解析序説』のテーマは曲線の理論であり、そのための準備として関数の理論が展開されています。曲線が主、関数が従。完全に主客が入れ替わっています。
 曲線の理解のために関数概念が提案されたのはまちがいありませんが、そうすると今度は「曲線とは何か」という問題が発生します。今日の数学の流儀に沿うなら、何らかの仕方で関数が定義され、そのグラフを曲線と呼ぶと定めたなら、それで曲線の概念は確定するのですから「曲線とは何か」という疑問は生まれる余地はありません。ところがオイラーは何もないところにいきなり関数を持ち出したのではなく、オイラーの眼前にはすでにいろいろな種類の曲線がありました。曲線の定義はなくても曲線は存在したということです.
 これは別段、不思議なことではなく、おおまかに回想しても、円や円錐曲線(楕円、双曲線、放物線)、ニコメデスのコンコイド、ディオクレスのシソイド、ヒッピアスの円積線、アルキメデスの螺旋などが次々と念頭に浮かびます。これらは古代ギリシアの数学的世界から西欧近代に伝えられた曲線です。西欧の数学ではサイクロイドが有名ですが、デカルトの名を冠する「デカルトの葉」やヤコブ・ベルヌーイの螺旋、アステロイド、カーディオイド、それに正弦曲線、余弦曲線、指数曲線(対数曲線)など、今日の微積分のテキストにも多彩な曲線が登場します。これらの曲線はオイラーの関数概念以前にすでに知られていたものばかりです。それらをみな「関数のグラフ」として統一的な視点から把握しようとしたところにオイラーの創意があり、オイラーには何かしらそうしなければならない理由がありました。それは何かという問いが、こうして発生します。
曲線は関数以前にすでに存在したという事実が、関数概念の意味を考えていくうえで重い役割を担っています。オイラーには何かしら
オイラーは曲線を二種類に分けています。ひとつは代数曲線、もうひとつは超越曲線です。この区分けに応じて、各々の曲線の源泉となる関数のほうも代数関数と超越関数に二分されます。オイラーは代数曲線は代数関数のグラフ、超越曲線は超越関数のグラフとして把握したかったのですが、このアイデアの実現をめざそうとするとたちまち困難に遭遇し、なかなかうまくいきません。
 代数曲線のアイデアはデカルトに由来するのですが、デカルトによれば、平面上に描かれた代数曲線というのは、f(x,y)はxとyの多項式として、代数方程式f(x,y)=0によって表わされる図形のことです。これを関数のグラフと見るというのであれば、yをxの関数と見るか、あるいはxをyの関数と見るか、いずれかの立場をとることになります。どちらでも同じことになりますが、たとえば前者の立場に立つとき、yをxの関数と見るためにはどのような関数概念を提案すればよいのでしょうか。
 もしあらゆる代数方程式がつねに代数的に解けるのであれば、yはxとf(x,y)の係数に対して、加減乗除の四則演算と「冪根を作る」という演算を組み合わせて適用することにより表示されます。おそらくその表示式のイメージが、オイラーのいう解析的表示式というものの原型になったのではないかと思います。このイメージを念頭に置いて、一般的な視点から概念規定を試みると、xは変化量、f(x,y)の係数は定量と呼ばれるものに昇華します。そこで「1個の変化量といくつかの定量を組み合わせて作られる解析的表示式」の概念が表明されて、これを関数と呼ぼうという定義が生れます。
 概念の定義から始まるという構えを取るところは今日の数学と同じですが、オイラーの流儀には今日の数学に遍在する抽象性は感じられません。数学という学問を考えていくうえで、このあたりがひとつの要点になると思うのですが、オイラーの場合には定義に先立って数学的対象があらかじめ存在しています。代数曲線を代数関数のグラフとして認識しようとする意図が先にあり、その実現をめざして代数関数の定義を思案するというふうに、オイラーの思索は進みます。
定義に先行する数学的対象の所在地はどこなのかというと、オイラーの心情のカンバスです。それが見えるのはオイラーの目だけですから、普遍性はありません。存在するともしないとも、実は何とも言えないのですが、ひとりオイラーのみは強固な実在感を抱いていたのはまちがいありません。関数の概念はそこから生まれました。


数学史研究の回想3 オイラーの著作『無限解析序説』

岡潔先生の話を続ける前に、数学がわかるということ、あるいはわからないということについて、もう少し具体的に語ってみたいと思います。
卑近な例として微積分を取り上げてみると、微積分の対象が関数であることはまちがいありません。関数の微分可能性と積分の可能性を考察の中心に据えて、関数の諸性質を探究していくのですが、次々と出会う素朴な疑問の数々の中でもとりわけ不可解なのは、「関数とは何か」という疑問でした。微積分のテキストを読み進めていくと関数の性質が書き並べられていくのですが、何をめざしているのだろうと思うとさっぱり判然としないのがいかにも不審でした。
 それで関数の出所来歴が気に掛かるようになったのですが、西欧近代の数学史の流れの中で関数の概念がはじめて公に語られたのは1748年のことで、この年にオイラーの著作『無限解析序説』(全2巻)が刊行されています。第1巻のテーマは関数で、第1章には実に「関数に関する一般的な事柄」という章題が附せられています。まずはじめに関数の定義が提示され、以下、第1巻の全体を通じて関数の諸性質が探求されていくのですが、その構成の仕方に着目すると今日の微積分と同じです。ただし、この巻には微分も積分も出てきません。
第1巻の巻頭の第1章で提示される関数は「解析的表示式」と言われるもので、変化量と定量を用いて組み立てられる式のことなのですが、式というものの定義が書かれているわけではありませんので、今日の芽には曖昧に見えがちのようで、数学史の書物にはよくオイラーの曖昧さが指摘されています。オイラーはそんなことには頓着せず、解析的表示式という関数概念を土台にして、円に由来する超越量(今日の微積分における三角関数に相当します)、指数量(指数関数に相当します)、対数量(対数関数に相当します)の諸性質の究明が行われます。
第1巻を見るだけでは、関数を導入する理由がすっかり明らかになったとは言えませんが、円に由来する諸量、指数量、対数量のような、オイラーに先行する時代からすでに知られていたいろいろな量を、関数という単一の概念のもとに組織的、統一的に観察したいという心情はよく伝わってきますから、「何のために」という疑問の一端に答えているように思います。
第2巻のテーマは解析幾何学で、具体的に繰り広げられているのは曲線の理論です(附録がついていて、そこでは曲面論が叙述されています)。第1章の章題は「曲線に関する一般的な事柄」というのですが、この章題は真に注目に値します。オイラーは曲線の「解析的源泉」ということを言うのですが、その源泉とは何かというと、関数です、曲線に先立って関数の概念を立て、関数のグラフとして描かれる図形として曲線を認識するというアイデアが表明されているのですが、それでしたら今日の微積分と同じです。
 オイラーによる曲線の定義と今日の微積分のテキストに見られる曲線の定義を比較してみたいのですが、話があまり細部に入り込みすぎるのもわずらわしいと思いますので、ここでは「関数の言葉で曲線を規定する」というアイデアがオイラーに由来することを指摘するだけに留めたいと思います。ここでもう少し立ち入って観察したいのは、『無限解析序説』の第1巻と第2巻の関係です。全2巻の全体を通じてオイラーが明らかにしたかったことは何かということを考えたいのですが、この書物に沿って読み進める限り、オイラーのねらいは「曲線を理解すること」にあったと言えるのではないかと思います。曲線とは何かという問いを立て、曲線の根底に関数の概念を見て、「曲線は関数のグラフである」という解答を発見し、その思索の経緯を報告したのが『無限解析序説』です。


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プロフィール

オイラー研究所の所長です

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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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