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数学を語る85 関数と変分法

オイラーが関数概念を導入した経緯についてはこれまでにあちこちで報告したことがありますが、全部で三種類の関数が提案されました。ひとつは「解析的な表示式」、第二に「ある変化量に依存して変化する変化量」、第三に「切除線に対応する向軸線」です。それぞれの状況に応じていろいろな表現が試みられたのですが、いずれにしても関数概念の導入に寄せるオイラーの強固な意志に支えられています。
 一番はじめの関数概念、すなわち「解析的表示式」としての関数は1748年に刊行された著作『無限解析序説』において表明されました。この著作は全2巻で編成されていますが、巻1の冒頭に関数の定義が配置され、以下、全巻にわたって関数の話が続きます。これを基礎にして、巻2では解析幾何学が展開されますが、解析幾何学といえば即座に想起されるのはデカルトです。デカルトは従来知られていた曲線を方程式で表わしたのですが、デカルトは視点を逆にして、方程式そのものを曲線と見るという立場を打ち出しました。もっともデカルトのいう方程式とは代数方程式のことですが、ともあれこれで代数曲線の世界が確定したことになります。このあたりの思索の踏み込みの深さに、デカルトの真骨頂がよく現れています。
 曲線というものの把握の仕方が議論の焦点になっているのですが、オイラーの『序説』の巻2には関数概念の導入の真意が明記されています。それは、「曲線を関数のグラフと見る」というアイデアです。今日の数学の様式ではごく普通のことですが、淵源をたどるとオイラーに行き当たります。
 それならオイラーはどうして曲線を関数のグラフと見たかったのかというと、ここが肝心なところですが、変分法を構築するためです。最短降下線の問題では二点A、Bを結ぶ曲線Lを描きますが、点Aに配置された質点が曲線Lに沿って重力の作用で落下して点Bに到達するまでに要する時間は曲線Lに依存しますから、いわば「曲線の関数」です。ここで関数という言葉を使うと話がややこしくなりますから使わないことにすると、「曲線そのものが変化量と見られている」ということになりますが、これでもまだかなり不思議な話です。
 二点を結ぶ曲線は無数に描くことができますし、曲線を変形することもできますが、別に何かの値を取りながら変化するわけではありませんから、「曲線を変化量と見る」というのは無理があります。ではありますが、曲線が形を変えていくのにつれて時間もまた変化するという状勢は確かに認められます。曲線の一つ一つに対応して所要時間が定まり、しかも曲線を変化量と見るのは無理がありますから、この対応関係を諒解するのにもっとも相応しい様式は、オイラーの三つの関数概念でいうと第三の関数であろうと思います。曲線に対して所要時間という数値が対応するという点のみに着目するという考えです。
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数学を語る84 関数概念の導入

今日の微積分の目標は「関数を理解すること」ですから、ロピタルの著作の書名に見られたような「曲線を理解するための理論」とはもう言えません。曲線の理論と無関係というわけではありませんが、接線法や求積法は微積分の主題ではなく、適用例にすぎません。何事かが大きく変化してこのようになったのですが、考えてみると、抽象的な一般理論を構築して個々別々の問題に適用し、あれもこれもみな同じ様式で取り扱うというスタイルはライプニッツにもすでに見られました。ライプニッツはそのように接線法と求積法を語りました。
 ライプニッツの場合には抽象的もしくは形式的な微分計算の規則を提示しましたが、その場合、「何を微分するのか」という点は必ずしも明瞭ではなかったような印象があります。その後、これはベルヌーイ兄弟との対話の成果ではないかと思うのですが、微分計算の対象は変化量になりました。ここまでがオイラー以前の無限解析の状況ですが、そこでオイラーは何をしたのかというと、関数概念を導入しました。そこにオイラーの独創が見られるのはまちがいありませんが、考察を要するのは、その理由です。オイラーはなぜ無限解析に関数を導入したのでしょうか。
 閑話休題。力学の歴史を語るということになると、オイラーの『力学』と『極大極小曲線を見つける方法』という二つの大冊を読破する必要がありますし、それはそれで実にたいへんな作業になります。容易になしうることではありませんが、ここではともあれオイラーの志は力学にあったという事実を確認しておきたいと思います。力学の叙述を古典的様式ではニュートンの運動方程式と呼ばれる微分方程式を解かなければなりませんが、変分法を基礎に置く手法ではオイラーの方程式と呼ばれる偏微分方程式を解かなければなりません。いずれにしても、数学の視点から見れば微分方程式の解法ということが重い意味を担っています。そのためには、新しい無限解析というか、無限解析の力を高める必要がありますが、オイラーは関数概念の導入により、この要請に応えようとしました。

数学を語る83 オイラーの力学

オイラーの数学研究の全体を概観すると、初期の研究で目立つのは力学や物理学で、エネストレームナンバーをE1から順に追っていっても数学の論文になかなか出会わないのはなんだか不思議です。力学については1736年に全2巻の『力学』という著作を出しています。オイラーの生年は1707年ですから、このとき29歳ですが、各巻いずれも500頁を越えるというたいへんな大著ですし、書き上げるまでにどれほどの歳月を要したのか、オイラーの努力がしのばれます。エネストレームナンバーでいうと巻1はE15、巻2はE16ですから非常に早い時期の作品です。ここにいたるまでのオイラーの論文を概観すると下記のとおりです。

  E1,E6,E12,E13 力学
  E2 音響学
  E3,E5 幾何
  E4 造船学
  E7 天文学
  E8 弾性力学
  E9 変分法
  E10,E11 微分方程式 
  E14 天文学

 公表されたオイラーの一番初めの論文E1のテーマは力学で、ライプニッツの二論文「ライプニッツ1684」「ライプニッツ1686」と同じ「学術論叢(アクタ・エルディトールム)」に掲載されました。掲載誌の刊行年は1726年ですから、オイラーはまだ19歳で、それからきっかり10年後に『力学』が刊行されました。このような趨勢を見ると、オイラーの初期の関心はどうやら力学にあったらしいという判断に誘われます。
初期のオイラーの力学のねらいはニュートンの『プリンキピア』の解明にあり、『力学』はその総合報告と見てよいのではないかと思います。ライプニッツとベルヌーイ兄弟の無限解析を武器にしてニュートンの『プリンキピア』の解明もしくは書き直しを試みたのであろうという想定が成立するのですが、力学の叙述様式にはもうひとつ、変分法の基本原理に依拠する立場があります。ラグランジュの著作『解析力学』に象徴される手法ですが、この立場が可能になるためにはライプニッツとベルヌーイ兄弟の無限解析だけでは力不足で、変分法の整備が行き届いていなければなりませんでした。
 変分法ならラグランジュはもとより熟知していましたが、ラグランジュといえどもいきなり変分法の達人になったわけではなく、ラグランジュにはオイラーという大先輩がいました。オイラーは『力学』を書き進めながら同時に変分法の構築も押し進めていました。論文の数はそれほど多いわけではありませんが、1844年には[『極大または極小の性質を備えた曲線を見つける方法,あるいは,もっとも広い意味合いで諒解された等周問題の解法』
という大きな書物を出しています。今日の変分法の礎石となった作品です。エネストレームナンバーはE65。オイラーは37歳でした。

数学を語る82 最短と最速

最短降下線と変分法については前に詳しく報告したことがありますので、ここでは要点と多少の注意事項を略記するだけにとどめたいとおもいます。
最短降下線の「最短」というのは何が「もっとも短い」のかというと、時間です。最短降下線の原語表記はBrachistchrone(ブラキストクローネ)ですが、これはギリシア語に由来する言葉で、「ブラキスト」は「もっとも短い」という意味、「クローネ」は「時間」という意味の言葉ですから、「質点がその曲線に沿ってもっとも短い時間で到達する曲線」というほどの意味になります。これを言い換えると「もっとも速く移動する」ということですから、「最速降下曲線」という訳語があてられることもあります。ですが、質点自身にエンジンがついているわけではなく、重力の作用で降下するだけなのですから、主体性は質点ではなくむしろ曲線のほうにあります。「質点が曲線に沿って降下するときに要する時間が最短となるような曲線」が考えられているのですから、質点の移動の所要時間を最短にする曲線という意味で「最短降下線」のほうがよいのではないかと思います。
 これまでに何度か出てきた話題ですので、詳述は避けますが、最短降下線の問題に対する答はサイクロイドです。こんなところにもサイクロイドが出てくるのは意外でもあり、不思議でもあります。
 最短降下線の問題は変分法の泉ですが、問題の性格を見ると曲線の理論の範疇に所属しています。ただし、接線法とも求積法とも無関係で、だいぶ色合いが異なっています。サイクロイドそのものは接線法や求積法と深い関係で結ばれていますが、最短降下線の問題でもサイクロイドに出会うことになるとは、この問題を一番はじめに解決したヨハン・ベルヌーイにとっても意外だったのではないかと思います。デカルトからライプニッツにいたる曲線の理論の系譜において、最短降下線の問題は何かしら非常に特異な印象があります。この問題のほかにもうひとつ、極小曲面の問題も変分法の泉と考えられますが、これは曲線の理論とは関係がありません。変分法との関連でいうと、幾何光学に「光は最短時間を選んで進んでいく」というフェルマの原理がありますが、これなども変分法の泉と考えられます。
 こんなふうに拾っていくと、変分法の泉と見ることのできそうな兆候がいくつか目にはいりますが、それらを集大成しようとするだけで新しい学問を構築するのは少々無理なのではないかとお思います。何かしら根本的な動機が要請される場面ですが、今日の変分法に礎石を据えたのはオイラーですので、ではオイラーは何に動かされて変分法の形成に誘われたのでしょうか。

新刊紹介「古典的難問に学ぶ微分積分」

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懸案の「難問集」が刊行されました。


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数学を語る81 最短降下線

今日の語法で微積分というと「微分と積分」の略語ですが、そのまた微分も積分も略語で、通常、微分法、積分法と呼び慣わされています。微分法、積分法というと「微分する方法」「積分する方法」という意味になりますが、ヨーロッパの語法では「方法」ではなく「計算」という言葉が使われています。関口開がトドハンターの微分法のテキストを訳出したとき、「微分術」という言葉を用いました。長澤亀之助も同じトドハンターの微分法のテキストを翻訳して出版していますが、その邦訳書名は「微分学です。「微分術」の「術」や「微分法」の「法」という言葉は和算のにおいがしますし、たぶん和算の用語を流用したのであろうと思います。菊池大麓はクリフォードの著作を翻訳して『数理釈義』(明治21年)という書名をつけて出版しましたが、この本でも「微分法」という言葉が使われました。「微分学」という用語を採用した翻訳書もあります。
「微分術」「微分法」「微分学」等々の訳語の原語の英語表記はDifferential Calculusで、「微分計算」という意味です。この用語の使用例は非常にまれですが、これが一番よいのではないかと思います。積分についても事情は同様で、「積分術」「積分法」「積分学」などの使用例がありますが、一番よいのはやはり「積分計算」と思います。オイラーの三部作でも「微分計算」「積分計算」という言葉が使われています。微分計算と積分計算を合わせて「無限解析」と総称する流儀もあり、これもよい言葉です。
それで以下、微分計算、積分計算、無限解析という言葉を使うことにしたいと思いますが、これまでの観察を通じて、ライプニッツの無限解析によりデカルトに始まる曲線の理論の到達点が示されたというところまで話が進みました。経過点ではなく到達点。ということはつまり「曲線を知りたい」という念願が達成されて、ひとつの数学史が完結したということにほかなりません。ところが、この17世紀の曲線の理論には、接線法や逆接線法や求積法のほかにもうひとつ、力学的色彩を帯びた理論の芽が芽生えています。それは「最短降下線」の問題で、最短降下線への着目とともに、変分法という新たな曲線の理論が誕生しました。
「変分法」は今日の用語ですが、「変分計算」と呼ぶのが本来の姿です。この間の消息は微分法や積分法と同様です。

数学を語る80 ライプニッツ以後の無限解析

ライプニッツの二論文「ライプニッツ1684」と「ライプニッツ1684」の解読をめざしてあれこれと語ってきましたが、前よりもだいぶよくわかるようになりました。わかるようになったというよりもむしろ、ライプニッツはこんなふうに考えていたのではないかと、何かしら所見を述べたい気持ちになってきたということです。長い間、いつもただ眺めるだけの状態が続いていましたので、ちょっとうれしく思いました。微分の源泉は接線法で、積分の源泉は求積法であるとはどの本にも書かれていることですが、考えてみると接線法と求積法はまったく無関係なのですから、相互に逆向きの関係が見えるはずがありません。それでいかにも不思議だったのですが、ここは「数学における厳密化と抽象化」という問題と連携して考えることにより、はじめて合点がいきました。西欧近代の数学は絶えず抽象に向かおうとしています。デカルトにもライプニッツにもその傾向が際立っていて、微分と積分の相互関係がありありと目に映じるようになったのも抽象化の成果です。このあたりの消息がようやくに見えるようになりました。
 抽象化に向かう傾向はその後も継続していますが、今日の問題は「抽象を抽象する」ということの是非ではないかと思います。この問題は数学を語るうえでの大問題ですので、絶えず念頭に置いて思索を深めていきたいと思います。
 それでライプニッツから先の微積分はどのように推移していったのかということですが、人物としてはオイラーを挙げるほかはありません。ライプニッツとベルヌーイ兄弟により接線法と逆接線法と求積法は完成したのですが、それを受けてオイラーは何をしたのだろうという問題が真っ先に生じます。無限解析は完成したのに、それ以上何をやるのだろうという素朴な疑問に遭遇するのですが、この問いに対しては「変分法」と答えるのがよいのではないかと思います。
 オイラーの変分法についてはこれまでに何度も繰り返して語ったことがありますので、ここでは簡単に回想するだけに留めたいと思いますが、関数概念の導入なども変分法との関連のもとで考えるのが本来あるべき姿です。

数学を語る79 抽象に向かう傾向について

逆接線法は曲線の理論の範疇で考えられましたが、曲線の世界から離れた場所で考えると積分計算の規則が定まります。これについては前述の通りですが、曲線の理論の範疇で考えられた逆接線法にはもうひとつの側面があります。それは微分方程式の解法理論です。
 これまでのところを回想すると、デカルトのアイデアにより曲線の代わりに方程式が前面に出てきました。デカルトのアイデアによれば、曲線を方程式で表示するというよりもむしろ、方程式が曲線で、曲線とは何かと問われたなら、「方程式」と答えます。方程式なら、たとえ代数的な方程式に限定したとしても自在に書き下せますから、曲線の世界は格段に広がりました。曲線の代わりに方程式を持ち出すところは確かにおもしろいアイデアで、これはこれで抽象化の一段階と思います。曲線のイメージには具象性を感じますが、方程式には抽象的な感じがあります。既知の曲線を並べる限りでは、あれも曲線、これも曲線と識別が可能ですが、一般に曲線とは何かと問われると答えられませんから、曲線の具象性にはあいまいさも感じられます。方程式には曖昧さはありませんが、その代わり方程式を見て曲線をイメージするのは困難ですから、どうしても抽象的な感じが伴います。
 そうすると、具象性を犠牲にしてまでどうして抽象化しなければならないのかという疑問が生じますが、たとえば接線法を考えるとき、曲線の世界を方程式の世界と見て正確な言葉で言い表さなければ、一般的な接線法は見つかるはずがありません。個々の個別の曲線については接線を引くことができても、それでは個別の事例が増えるだけで、ライプニッツが発見したような「万能の接線法」は決して見つかりません。
 それならなぜ一般性を追い求めるのかというと、実はここが最後の問いなのですが、ヨーロッパの数学の本質に触れる特徴というほかはなく、本当のところは実はよくわからないのですが、ヨーロッパの数学に顕著に認められる特性であることはまちがいありません。日本の数学、すなわち和算にはそのような傾向は見られません。

数学を語る78 一般化された逆接線法と求積法

ライプニッツが「ライプニッツ1686」において語っている事柄は多彩ですが、判じ物、すなわちベルヌーイ兄弟のいうエニグマのようで、なかなかわかりにくいです。積分について書かれているのはまちがいありませんが、ライプニッツは何をもって積分と称しているのか、必ずしも明瞭とは言えない記述が続きます。それでどうも困るのですが、このごろようやく、ライプニッツの言いたいのはこういうことなのではないかと、あれこれと思えるようになりました。ライプニッツのような「思索する人」の書くものはやはりむずかしく、大昔のものだからやさしいなどとは言えないのです。
 「ライプニッツ1686」から言葉を拾っていくと、ともあれ求積法に関する言葉に出会います。それと、逆接線法を語る言葉もあります。しかもライプニッツは、

〈不定求積やその不可能性を調べる方法は、私にとっては、私が逆接線法と呼ぶより大きな問題の特殊な(それも簡単な)場合でしかない。〉

と語っています。この言葉の意味を考えるのが、「ライプニッツ1686」の最大の論点です。
 他の場所には「微分と積分は逆であるから」という言葉も見えています。逆接線法というのは「接線に関する情報を元手にして曲線の全体像を復元する方法」と理解するのが本来の姿と思いますが、そのままでは求積法とのつながりがありませんので、困惑させられてしまいます。何もつながりのないところに、実は今まで見えなかっただけで、実はつながりがあるのだと、ライプニッツは主張しているように思うのですが、どうしたら見えないものが見えるようになるのでしょうか。
接線法も逆接線法それ自体はあくまでも曲線の理論に所属する計算法ですが、変化量というような抽象的な概念を導入して、さながら空中楼閣のように何もないところに微分計算の規則を構築すれば、接線法はその抽象的微分計算のひとつの適用例になります。微分計算を定めれば逆向きの計算もさだまりますが、それはもはや曲線の理論とは無関係ですから、いわば一般化された逆接線法です。ライプニッツはその計算法を指して「積分」と呼んでいるのではないかと、このごろ考えるようになりました。積分計算をこのように理解することにすれば、求積法は積分計算の適用例のひとつにすぎず、ライプニッツの言葉の通りです。
 ヨハン・ベルヌーイの積分計算の講義録を見ると、曲線の理論の範疇での逆接線法と、求積法が混在しています。

数学を語る77 曲線から出て曲線に向かう

 無限小の微分を念頭に置いて、「微分を寄せ集める」ことを考えると求積法が成立します。線素を寄せ集めれば弧長が算出され、面素を寄せ集めれば面積が算出されます。線素や面素の算出はどうするのかというと、「無限小の世界」に移行して有限の世界におけるのと同様の幾何的計算を遂行します。求積法の根幹を作るのは、この「微分を寄せ集める」というアイデアです。
 「微分の寄せ集め」というアイデア自身は求積法を離れて観念的に諒解することが可能です。ヨハン・ベルヌーイの次の世代のオイラーになると、この認識が非常に洗練された形で表明されています。オイラーは「変化量を微分する」というアイデアを鮮明に打ち出しました。変化量xは有限な値を取りながら変化し、その微分dxは無限小の値を取りながら変化する変化量です。有限変化量xから無限小変化量dxへと移行する計算過程は、ライプニッツが指定した二つの規則に乗って行われます。これが微分計算です。積分計算はその逆で、無限小変化量dxから有限変化量xに立ち返る過程を示す計算法ですが、これはつまり微分計算と逆向きの計算です。線素dsや面素dSは無限小変化量ですが、その積分sやSはそれ自身が変化量で、弧長や面積の一般値を与えています。一般値というのはいくぶん奇妙な言葉ですが、不定値といってもよさそうです。弧長を与える変化量sの取る値はつねに弧長ですし、面積を与える変化量Sの取る値はつねに面積です。
sやSの取る個々の値は特定の弧の弧長や、特定の領域の面積です。今日の用語法でいうと、不定積分と定積分の関係に相当します。今日の微積分では「関数の定積分」が最初に定義され、その次に不定積分が現れますが、歴史的な経緯という点から見ると順序が逆転しています。
逆接線法は曲線の接線に関する情報を元手にして曲線の全体像を復元しようとする計算法ですから、求積法とは関係がありませんが、計算そのものは同じです。ねらいが異なるのに同じ計算法が適用可能なのはなぜかというと、微分と積分の計算法が曲線を離れた場所で抽象的に定められたからです。微積分の出自は曲線の理論ですが、ひとたび曲線を出た後は、曲線の理論はかえって微積分の応用の場になりました。数学における抽象化とはいかなることなのか、まざまざと目に見えるような思いです。

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オイラー研究所の所長です

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オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
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