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数学を語る42 サイクロイド その1

サイクロイドが描かれる様式についてはよく知られていると思いますが、簡単に回想すると、まず平面上に直線を引き、それに接するように円を描きます。円の半径をaとします。その円が直線に沿ってすべることなく回転しながら移動するとき、円の中心からの距離がhの地点にある点Pが描く軌跡のことを、一般にサイクロイドと呼んでいます。もう少し細かく区分けして、haのときは「延長サイクロイド」などと呼んで区別することもあります。もうひとつ、h=aの場合、すなわち円周上の点が描くサイクロイドがありますが、普通、単にサイクロイドといえばそれを指しているのではないかと思います。
 点Pが円周上にない場合には、サイクロイドではなくトロコイドと呼ぶ流儀もあるようです。これを採用すると、「短縮サイクロイド」は「内トロコイド」、「延長サイクロイド」は「外トロコイド」と呼ばれることになります。
 サイクロイドに着目した一番はじめの人はニコラウス・クザーヌスと言われています。クザーヌスは15世紀のドイツの宗教者ですが、微積分の形成にあたって思想的に大きな影響を及ぼした人物です円の面積の算出法を試みたと言われていますが、このあたりの消息はよくわかりません。円とサイクロイドは無関係ではありませんから、クザーヌスの試みは何かしらサイクロイドを誘発するアイデアに支えられていたのでしょう。
 サイクロイドそれ自体に適切な形で定義を与えた最初の人物はメルセンヌのようです。メルセンヌはデカルトやフェルマと同時代の人で、フェルマがデカルトに書簡を送ったときに仲介したことは既述の通りです。サイクロイドと軸線(円がその上を転がっていく直線)で囲まれる領域の面積を求めようとしたのもメルセンヌが最初ですが、これは失敗しました。サイクロイドという名前はだれがつけたのかというと、メルセンヌではなく、ガリレオです。1599年のことですから、微積分形成の前史がいましも始まろうとする時期です。1639年のことですが、ガリレオはトリチェリに書簡を送り、40年前もの間、サイクロイドの諸性質を研究してきたと伝えました。トリチェリはイタリアの物理学者で、「トリチェリの真空」や「トリチェリの定理」「トリチェリの問題」などに名を残しています。岡先生のオイラーの二ついて調べていくと、それはそれで果てしがありません。晩年、といってもトリチェリは39歳で亡くなったのですが、1641年ころからガリレオの弟子になりました。
 ガリレオもまたサイクロイドの囲む領域の面積を求めようとしましたが、クザーヌスの影響を受けているのかどうか、興味のあるところです。デカルトはサイクロイドの面積を、サイクロイドを生成する円の面積と比較することによって算出しようと試みた模様ですが、これは失敗に終わりました。今では微積分の簡単な円周問題ですが、当時は難問だったのでしょう。
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数学を語る41 コンコイドと円積曲線

シソイドに続いてコンコイドについてもう少し。

コンコイド
コンコイドという言葉は「貝殻の形」という意味で、この曲線を発見したのはニコメデスであることは既述の通りです。コンコイドを用いると立方体の倍積問題が解けるのですが、そればかりではなく「角の三等分」も可能です。デカルト風に代数方程式で表わすと、4次の代数曲線になります。
 ニコメデスという人は紀元前280年ころ生まれ、紀元前210年ころ亡くなったと見られている模様です。ニコメデスはコンコイドの考案者ですが、命名したのは別の人のようです。ヒースの『ギリシア数学史』によると、パッポスは4種類のコンコイドをを提示して、それらを「コクロイド」と呼んだのですが、その後にプロクロスやエウトキオスというような人が現れて、同じ曲線を「コンコイド」と呼んだのだそうです。普通、コンコイドと呼ばれているのはパッポスのいう「第1種のコンコイド」のことで、立方体の倍積や角の三等分に用いられるのも、その第1種のコンコイドです。デカルトが法線の作図を試みたのも第1種のコンコイドです。
 角の三等分は「アルキメデスの螺旋」を用いても実行可能です。

円積曲線
円積問題、すなわち円の正方形化の問題は、円積曲線を利用すると解くことができます。円積曲線を考案したのはヒッピアスという人ですが、これを利用して円積問題を解いたのはディノストラトスという人とのこと。また、ニコメデスも同じことをしたということですし、それからはそのようにして円積問題を解く流儀が広まった模様です。考案者のヒッピアス自身は角の三等分に利用するつもりだったのだそうです。
 アルキメデスの螺旋を用いても円積問題を解くことができます。

 フェルマが接線を引くことを試みた曲線のいろいろを観察してきましたが、大昔のギリシア数学に現れた曲線の中に、ひとつだけそうではないものが混じっています。それはサイクロイドです。サイクロイドを始めて考察したのはニコラウス・クザーヌスで、クザーヌスは15世紀の人です。クザーヌスもサイクロイドも、西欧近代の数学の成立を考えるうえで、特別に重い意味を担っています。

数学を語る40 ディオクレスのシソイド

 さまざまな極大極小問題が紹介された後にフェルマが取り上げたのは、いくつかの曲線に接線を引く方法です。どのような曲線かというと、まずシソイド、次にコンコイド、次にサイクロイド(フェルマはこれを「ロベルヴァルの曲線」と呼んでいます)、次に円積曲線です。サイクロイドのほかはすべてギリシア時代に発見され、深く考察された曲線です。ヒースの『ギリシア数学史』などを参照して、もう一度まとめておきたいと思います。

シソイド
シソイドはディオクレスの名とともに語られることが多いのですが、ディオクレスが生きた時期はアポロニウスよりは遅く、ゲミノスより早いとのこと。ゲミノスという人は紀元前70年ころ活躍した人ですが、ディオクレスが発見した曲線をシソイドと呼んだのはゲミノスなのだそうです。シソイドは「蔦の葉の形」という意味の言葉です。ディオクレスには『火取り鏡について』という著作があり、その著作の2節をエウトキオスという人が引用したということですが、そんなことが根拠になってディオクレスの名がシソイドと結びついたのであろうと思います。おおよそ紀元前240年ころ生まれ、紀元前180年ころ亡くなりました。シソイドは疾走線と呼ばれることもありますが、疾走に意味はなく、「シソイド」と「シッソウ」の音が似通っているというだけのことです。
「火取り鏡」というのはどのようなものなのか、気に掛かりますが、ディオクレスの著作の英語訳は”On burning mirrors”となる模様です。どのような鏡なのかというと、法ブラウンシュヴァイク《数学日記》線を軸のまわりに回転させて描かれる曲面のようで、フェルマが取り上げたコノイド・パラボリック、すなわち回転放物面、すなわちパラボラを指しているのではないかと思います。光がパラボラに平行に入社すると、反射した光線は焦点に集まりますから、焦点の位置に可燃性の高いものを配置しておけば火をおこすのに使えそうです。それが「火取り鏡」という訳語があてられたのではないかと思います。
 ヒースの『ギリシア数学史』が刊行されたのは1921年ですが、そのころはディオクレスの書き物は見つかっていませんでした。ゲミノスやエウトキオスが伝えるうわさ話があっただけだったのですが、その後、イランの都市マシュハドでアラビア語に翻訳された『火取り鏡について』が見つかりました。1976年には英語訳も出版されました。翻訳したのはトゥーマー(G.J.Toomer)という人です。
 ディオクレスはシソイドの性質を利用して立方体の倍積問題の解決に成功しました。

数学を語る39 いろいろな極大極小問題

極大極小問題というものの一例を挙げた後に、フェルマは放物線に例を求めて接線を引く方法を示します。図を描かないと正確に再現するのがむずかしいため、ここでは省略しますが、考え方は極大極小問題の場合と同じです。極大極小問題を接線法は同じ方法で取り扱えることが語られているのですが、その同じ方法を発見したという確信を抱いたところにフェルマの創意が現れています。方法は同じですが、これらの二問題は別個の問題として認識されていたこともまた重要な論点です。それと、どちらの問題においても、フェルマの方法が適用できるのは「代数的」である場合に限ります。極大極小問題の対象がbx-x^2のような代数的な式で表示されるならフェルマの方法は有効ですし、代数的な曲線に接線を引くこともまた可能です。ですが、たとえばサイクロイドのような超越曲線を相手にすると、フェルマの方法は無力になってしまいます。
 フェルマの論文をもう少し読み進めると、Conoide parabolique(コノイド・パラボリック)の重心を求める問題が取り上げられて、同じ方法で解決されています。コノイドというのは放物線の形の円錐の意で、よく回転放物面という訳語があてられます。伏せたお椀のような形の局面で、真横から見ると放物線。平面上に描かれた放物線を軸のまわりに回転させて生成される局面で、つまりパラボラのことです。フェルマはそのパラボラの重心の位置を定めたのですが、手法は同じです。
 以下、次々と極大極小問題の事例が挙げられていくのですが、終わりがけのあたりで「一般に極大極小問題は接線の幾何学亭作図に帰着可能である」という文言に出会います。後年のロピタルの手法が回想されて興味の深い言葉です。ただし、とフェルマの言葉は続き、「このことは一般的方法の重要性を減少させるものではない。なぜなら、接線の作図は、極大極小の決定と同様、その方法に依存しているからである」と続けます。二つの問題の間には相互関連が認められますが、それはどちらも共通の方法に支えられているからだと言いたいのでしょう。

数学を語る38  極大極小問題と曲線の理論

極大極小問題の簡単な一例を挙げた後、フェルマは接線法を語るのですが、いくぶん不可解なことに極大極小問題と接線法の間に連繋が感じられません。両者は取り扱う方法が共通しているのですが、別々の問題として認識されているように思います。デカルトにはそもそも極大極小問題が見当たりませんでしたし、このあたりは何かしら微妙な消息が感知されるところです。
ロピタルの著作(といっても、実際にはヨハン・ベルヌーイの講義録なのですが)『曲線の理解のための無限小解析』では、両者は統合されています。というよりもむしろ、曲線の理論が根底に据えられて、極大極小問題はその応用例として取り扱われています。前回のフェルマの例では変化量c=ba-a^2の極大値の算出が問題になっていますが、ロピタルはこれを曲線の方程式と見ています。今日の記号法に合わせてaの代わりにxを用い、cの代わりにyを用いると、
      y=bx-x^2
という形の等式になりますが、これはつまり(x,y)平面上に描かれた放物線の方程式です。そのように見るのがロピタルの立場ですが、デカルトの観点の継承でもあります。今日ではもうひとつ、yをxの2次関数と見て、そのグラフとして放物線を認識することも可能ですが、これはオイラーの視点ですから、もう少し後のことになります。
 y=bx-x^2を放物線の方程式と見て、それからどうするのかというと、ロピタルはその概形を描こうとします。極大極小問題との関係で特別に注目しなければならないのは放物線の頂点の位置で、その位置を指定するyの値が、求める極大値になります。この場合には極大値と最大値は一致しています。
 頂点の位置はどのようにしてわかるのかというと、曲線というものの基本認識に
基づいてわかります。ニコラウス・クザーヌスという中世の神秘主義者がいて、その人の影響であろうと言われているのですが、微積分の創造に携わった数学者たちの間では、曲線というのはつまり多角形であるという観点が受け入れられていました。多角形といってもただの多角形ではなく、各々の辺の長さは無限小で、それらが無限に連なって曲線を形成するという考えです。そのように曲線を見るとき、放物線の頂点というのはどのような点なのかというと、「その点を含む辺が平坦になっている点」です。平坦というのはx軸に対して平坦ということですが、するとどうなるかというと、頂点のx座標を無限小量eだけずらしてもy座標の値は変わらないことになります。そこで放物線の方程式y=bx-x^2においてxのところにx+eを代入し、その結果として得られる量を元の量bx-x^2と等値するという、フェルマと同じ手順をたどることにより、目的が達成されます。
 フェルマからロピタルにいたるまでの間に、何かしら認識上の進展があった様子がうかがわれます。
 

数学を語る37 極大と極小

フェルマは極大と極小について語っているのですが、このテーマはデカルトの「幾何学」には見られませんでした。フェルマのいう極大極小問題というのはどのようなものなのかを見るには、フェルマ自身が挙げている事例を参照するのが一番よいと思います。図を描かないとわかりにくいのですが、線分ACが与えられたとして、これを点Eにおいて区分けするという状況を考えてみます。二分されてできる二つの線分AEとECの積AE×ECが最大になるようにするには、点Eをどのあたりに取ればよいでしょうか。
 今では簡単な練習問題にすぎませんが、フェルマはこれをこんなふうに解決してます。AC=bと置き、AEかECのどちらか一方をaで表すと、他方はb-aと表されますから、積AE×ECはa(b-a)=ba-a^2と表示されます。今、一方の線分を少し大きくしてa+eとすると、他方の線分はb-a-eとなりますから、積はba-a^2+be-2ae-e^2に変わります。これを元のba-a^2と等値すると、等式
  ba-a^2+be-2ae-e^2=ba-a^2
が得られます。ここのところがフェルマに独自のアイデアです。この等式の両辺に共通の項ba-a^2を削除すると、等式
    be=2ae+e^2  すなわち b=2a+e
が得られますが、ここで「eを削除する」と、
        b=2a
となります。そこでa=b/2と定めれば積AE×ECは最大になります。これを言い換えると、与えられた線分ACの中央の点をEとして指定すればよいということです。
 これがフェルマの方法です。フェルマはこの方法を紹介した後に、「これよりも一般的な方法をあたえるのは不可能である」と言い添えています。よほど自信があったのでっしょう。
 フェルマの方法は極大極小問題のために考案されたのですが、後年のライプニッツの考へ方によく似たところがあります。aは変化量と見られていますから、c=ba-a^2もまた変化量ですが、この変化量cが極値を取るのはどのようなaにおいてなのかというと、停留点、すなわち「その点においてcが変化しない点」「増加も減少もしない点」においてです。それはどのような点かと重ねて問われたなら、「aが無限小量だけ増加してもcの値が変化しないような点」と答えます。そのような点が存在すると考えるところにフェルマの計算のアイデアがあります。
 フェルマの極大極小問題は曲線の理論とは無関係のように見えますが、後年のロピタルは極大極小問題を曲線の理論に帰着させて解決しています。どうするのかというと、c=ba-a^2を曲線の方程式と見るのですが、そのように見ればすでに微分法の守備範囲に入ります。それで、今、この曲線のグラフが描かれたとして、その停留点を求めるのですが、それはどのような点かというと、曲線を「無限小の長さの折れ線が連なって形成される折れ線」と見て、その折れ線が平坦になる点のことです。折れ線と見る以上、極値を与える点を含む無限小の辺が存在しますが、「その辺は軸のなる直線と平行になっている」と考えるのです。計算は上記のフェルマの計算と同じで、ただ解釈が異なっています。

数学を語る36 デカルトとフェルマ

ギリシアの数学に現れた曲線の数々について語ろうとすると、それはそれでたいへんなことになります。コンコイドとシソイドの定義もまだ報告していませんし、三大作図問題の解き方の実際の姿の再現もしていませんが、その代わりデカルトとの関係はだいぶ明らかになりました。微積分の視点から観察すると、ギリシアの数学の作図問題には「接線を引く」という発想は見あたらず、この意味において微積分とは無関係です。不易と流行というか、曲線に寄せる関心はギリシアにもデカルトにも共有されていますが、接線に対する関心は近代の産物のように思います。微積分はそこから生まれたのであり、デカルトの「幾何学」はその間の消息をこの上もなく明晰判明に語っていました。
 それなら、とまた思うのですが、デカルトはどうして接線を引きたいと思うようになったのでしょうか。何かしら具体的な契機が明らかになるといいのですが、これはわかりません。ここがわからなければ数学の発生の根源が謎になってしまうのですが、接線に限らず、数学の諸理論は根幹のところはたいてい謎めいていているものです。ギリシアの作図問題にしても、角の三等分とか、立方体の倍積とか、円の正方形化とか、どうしてそんな問題を考えたくなったのか、今となってはだれもわかりません。
 それでギリシアの数学についてはこのくらいにして、あらためて接線の探究に目を向けますと、デカルトに続いてフェルマが目に留まります。フェルマはデカルトに優るとも劣らぬ偉大な数学者です。全集が完備していますので、全体像を概観することができるのですが、接線法との関連でいうと、
「極大と極小の研究のための方法」
という論文が重要です。題名を見るだけでもいかにも微分法と関係がありそうです。フェルマ全集の巻1に収録されていますが、巻3にはそのフランス語訳が掲載されています。巻1の原文に附されている脚注によると、この書き物はメルセンヌの仲介によりデカルトに宛てて送付されたとのことです。デカルトがこれを受け取ったのは1638年1月ですから、『方法序説』が刊行された年の翌年です。デカルトとフェルマの間ではすでに光学をめぐって論争が始まっていましたが、このときから極大と極小が論争の主テーマになりました。
 メルセンヌはフランスの神学者ですが、数学を好み、「メルセンヌ数」という言葉に名を残しています。「メルセンヌ数」というのは2^n-1という形の数のことです。
 メルセンヌはデカルトの親しい友人でもありました。

数学を語る35 数学の本質は問題の造型にあり

古代ギリシアの数学者たちは本当は「三大作図問題」を直線と円のみを用いて解決したかったのであろうと思いますが、後に19世紀になってから判明したように、これは不可能です。それで限定条件を少し緩めて、直線\と円以外の何らかの曲線を用いて解決の道筋を発見しようとする方向に進んだ模様です。立方体倍積問題を解くためにニコメデスが提案したのがコンコイドですが、この曲線はもうひとつの三大問題の「角の三等分」にも用いられます。ディオクレスはシソイドという曲線を提案しましたが、これもまた立方体倍積問題の解決のためでした。
 ヒースの本によると、ディオクレスの年代はアポロニウスより遅いけれども、紀元前70年ころ活躍したというゲミノスよりは早いとのこと。どうしてそんなことがわかるのかというと、ディオクレスが提案した曲線をシソイドと呼んだのはゲミノスだからなのだそうです。シソイドというのは「蔦の葉の形」ということを意味しています。
円積問題もまた適切な曲線を用いれば解くことができます。円積曲線という曲線を用いれば解けるのですが、この曲線を発見したのはヒッピアスで、円積曲線をつかえば円積問題が解けることを示したのはディノストラトスであることを、パッポスが伝えているそうです。アルキメデスの螺旋を用いても解けます。
 こんなふうにしてギリシア数学ではだんだんといろいろな曲線が増えてきました。まずはじめに作図問題を提示し、それを解くために新たな曲線を見つけるという順序に進んでいくのですが、あらためて考えてみると、作図問題というのはいかにも奇妙で、特異な問題です。日本の江戸時代の数学には見られませんし、ギリシア数学の特徴と思いますが、ではどうして幾何学的作図問題などに熱中したのかというと、これはわかりません。なぜなのか、もう理由はわからなくなってしまい、彼らはそうだったのだという事実のみが残されています。何かしら共通のテーマが提示され、みながこぞって熱中するという状況があってはじめて数学が生まれる場が開かれるということになりますが、そんな状況は数学史のあらゆる場面で見られます。
 数学にはいろいろな問題があり、それらを解こうとする試みを通じて数学の様相が変化していきますが、では問題はどこからくるのでしょうか。
 数学の問題の出所来歴は明確にわかる場合もありますが、まったくわからないこともあります。問題が生まれる場面は一般にひどく神秘的です。数学の本質は問題を解くこと自体にではなく、問題の造形に宿っています。

数学を語る34 デカルト再考

デカルトからギリシアへと話題が移りつつあるところですが、「幾何学」の中のデカルトの言葉が思い出されました。次のような言葉です。

〈曲線のすべての性質を見いだすためには、そのすべての点が直線の点にたいしてもつ関係を知り、また、その曲線上のすべての点でこれを直角に切る他の線をひく方法を知れば十分であるということ〉

前に引用したことのある言葉ですが、見れば見るほど味わいが深いです。「曲線の性質はすべて法線を引くことに帰着される」という点については既述の通りですが、裏返して考えてみると、デカルトが関心を寄せている「曲線の諸性質」というのは法線を引くことから帰結するものであることになります。「法線」のところは「接線」と言い直しても同じです。この関心事を延長していけばライプニッツの「万能の接線法」の発見に到達しそうですし、その発見がつまり無限解析の誕生なのですから、ここに引いたデカルトの言葉には無限解析の萌芽が現れていると言えます。
 この言葉に先立って、「曲線のすべての点が直線の点にたいしてもつ関係を知る」ことが話題になっていますが、ここで語られている「関係」は方程式で表わされ、しかもその方程式は代数方程式です。これを言い換えると、デカルトは曲線の世界から「代数的な曲線」という範疇を切り取ったことになりますが、これはつまりここにおいて代数曲線論の萌芽が現れていることになります。
接線法の観点からすると「代数的」にこだわるのは無意味で、この制限をはずしていく方向に向けて思索が重ねられていきました。これに対し、「代数的」を温存して進んでいくと代数関数論が可能になり、今日の代数幾何学につながっていきます。デカルトの「幾何学」には無限解析と代数幾何の萌芽が二つながら現れていることを、ここにあらためて指摘しておきたいと思います。

閑話休題。ギリシア数学史も長年にわたって精密な研究が積み重ねられていますので、深入りすると果てしがないのですが、微積分の淵源を訪ねるつもりで「曲線に寄せる関心のはじまり」をこの目で見たいと思い立ちましたので、もう少し話を続けたいと思います。話の骨子をおおまかにスケッチしておくと、ライプニッツの微積分は「曲線に接線を引きたい」という要望に応えるために生まれたこと、デカルトの「幾何学」にはその要望がはっきりと表明されていること、デカルトは「曲線に寄せる関心」を古代のギリシア人から受け継いだことなどを観察し、現在、ギリシア数学における曲線の姿に目を向けようとしているところです。ギリシアにはギリシアの関心事があり、曲線に関心を寄せるところはデカルトと同じでも、関心のあり方が異なります。立方体倍積問題はその一例ですが、この問題はギリシア数学の三大問題と言われる作図問題のひとつです。他の二つは、「一般角の三等分」と「円積問題」です。円積問題というのは、「与えられた円と面積の等しい正方形を作る」という問題です。

「虹の章」見本到着

岡潔先生の評伝「虹の章」の見本が届きました。
書店に並ぶのは東京では5月23日か24日ころになりそうです。


         虹の章1


            虹の章2

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プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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