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近代数学史の成立109 ヤコビ関数の4重周期性

これまでアーベル積分という用語を避けようとして「アーベル的超越物」という言葉を使ってきましたが、どうもあまりよいとは思えません。そうかといって今日のアーベル積分という言葉に統一するのもどうかと思い、ここに迷いがあったのですが、最近ふっと、「アーベル的超越量」とするのがよいのではないかと思い当たりました。「物」ではなく「超越量」。「超越的な変化量」という意味です。無限解析が「変化量とその微分」の世界から「関数とその微分積分」の世界へと移りつつある時代のことですし、ヤコビの念頭にあったアーベル積分の実体は依然として変化量でした。本当は「アーベル的超越変化量」とするといっそう正確になりますが、そこまでしなくてもよさそうに思いました。
楕円積分は「楕円的な超越量」で、「第一種の楕円的な超越量」の逆関数に対しては、それを「楕円関数」と呼ぶことをヤコビは提案しました。関数という言葉の使い方にも歴史がありますので、訳語の選定も安直にはできません。
というわけですので、ヤコビの論文のタイトルの邦訳は「アーベル的超越量の理論が依拠する2個の変化量の4重周期関数について」と変更することにしますが、この論文の第2、3、4章の三つの章を使って、「3重周期関数は存在しない」ことが証明されています。これも一般的考察の範疇です。
 単純周期関数と2重周期関数は存在しますが、3重周期関数は存在しえないことがこれでわかりました。ですが、これは1変数関数についてのことであり、変数の個数が増えると状況は一変します。このあたりの認識がヤコビの創意です。ヤコビはこう言っています。

〈2個よりも多くの周期をもつ多くの変化量の関数の例としては、私がアーベル的超越量に関する論文(「クレルレの数学誌」第9巻、394頁)においてはじめて考察した関数がある。〉

 「クレルレの数学誌」第9巻、394頁以下にはヤコビの論文「アーベル的超越量の一般的考察」が掲載されています。ヤコビがそこではじめて考察した関数というのは、ヤコビ関数にほかなりません。ヤコビ関数は2変数ですが、この関数は4重周期をもつとヤコビは言いたいのです。ヤコビは「だが、このきわめて重要な事例については、いっそう深く考察しなければならない」と言明し、それからヤコビ関数の4重周期性の確認作業を進めていきます。
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近代数学史の成立108 周期関数の一般的考察

話がまた少し先走りましたが、ヤコビ関数にもどると、この関数には4重周期性が備わっています。実はさらにもうひとつ、ヤコビ関数は「2価性」という際立った性質を備えているのですが、これについては後述することにして、周期関数に関する一般理論を展開しようとするヤコビの論文「アーベル的超越物の理論が依拠する2個の変化量の4重周期関数について」を概観したいと思います。
 全部で11個の章で構成されていますが、第1章のテーマは二重周期関数の一般的考察です。どうして二重周期関数を考えるのかというと楕円関数があるからで、ヤコビは1929年の著作『楕円関数論の新しい基礎』において第一種楕円積分の逆関数を導入し、それを「楕円関数」と命名しました。
ヤコビはすでに二重周期関数の例を手にしていますので、そのような関数を一般的に考察しようというのですが、ヤコビの論述を順に追っていくと、まずはじめに周期関数の定義が語られます。ヤコビの記号をそのまま使うことにしますが、iは定数として、もし関数λ(u)に対して
     λ(u+i)=λ(u)
という等式が成り立つなら、関数λ(u)は周期的であるといい、iをこの関数の「指数」といいます。指数というのはヤコビの用語ですが、今日では普通に「周期」と呼んでいます。ところが、ヤコビ自身も「周期」という言葉を用いていて、「周期の指数」という言い方も見られます。言葉の使い分けに注意を要するのですが、ここでは「周期」と表記することにします。
 周期の中に「固有周期」と呼ばれるものがあります。たとえば正弦関数sin(u)の固有周期は2π、指数関数e^uの固有周期は2π√-1です。ヤコビは「そのいかなる部分も決して周期にならないような周期」のことを固有周期と呼ぶと言っていますが、その意味は、ここに挙げた二例によりおのずと諒解されるのではないかと思います。
 今、関数λ(u)は二つの周期i、i’をもつとして、これらは互いに還元不能とします。還元不能の意味も特に説明はいらないと思いますが、何というか、「二つの独立な周期」が考えられています。このとき、これらは通約不能です。これが二つの独立な周期のもつ第一の性質です。
 一般に二つの周期i、i’に対し、もし互いに素な二つの整数m、m’と、ある数Δを取って、
      i=mΔ、 I’=m’Δ
という形に表示されるなら、これらの周期i、i’は通約可能であるといいます。楕円関数の二重周期性をもたらす二つの周期は通約不能です。
 次に、独立な二つの周期i、i’の比i/i’は有理数ではありえないことを、ヤコビは示しました。そこから二重周期の一般形が帰結します。すなわち、一般的に表記すると、それらは
   i=a+b√-1、 i’=a’+b’√-1
という形の虚数になります。ここで、a、b、a’、b’は実数で、しかも
      ab’-a’b=0
ではありえないという条件が課されています。どうしてかというと、もしこの等式が成り立つなら、周期の比 (a’+b’√-1)/(a+b√-1)はa’/aに等しいか(aが0ではない場合)、あるいはb’/bに等しいか(bが0ではない場合。aとbがともに0になることはありません)のいずれかになりますが、いずれにしてもこの比は実数になってしまうからです。
  アーベルはルジャンドルが設定した第一種楕円積分の逆関数を考えて、その二つの独立な周期を探索しましたが、ひとつは実数で、もうひとつは純虚数でした。これは偶然のことではなく、二つの周期がともに実数になったり、ともに虚数になったりすることはありません。その背景にあるものを、ヤコビは取り出したことになります。これが一般的考察ということです。

岡潔先生の評伝「虹の章」の刊行に向けて

岡潔先生の評伝「虹の章」は出版が遅れ、なかなか刊行にいたりませんでしたが、このほどようやく刊行に向けて日程が固まりました。五月の連休明けあたりが目標です。

書名 : 『岡潔とその時代 評伝岡潔 虹の章』
出版社 : みみずく舎
上下2分冊
各巻に年譜つき。
総頁 : 約650頁/上下巻通しで頁番号記入

【目次】
上巻
まえがき
「石井式漢字教育-心の珠を磨く」
「駒込千駄木町の一夜-国民文化研究会」
「正法眼蔵―玉城先生の肖像」
年譜1
下巻
「人間の建設―多変数関数論の創造と情緒の数学」
「龍神温泉の旅―保田與重郎との交友」
年譜2
あとがき

歴史的仮名遣いと正字体の漢字で書きました。広く受け入れられるよう、念願しています。

近代数学史の成立107 ヤコビ関数と多変数関数論

ヤコビ関数が認識されたのを受けて、ヤコビはそれからどうしたのかというと、ヤコビ関数そのものの究明に確認に向かいました。その成果は、
  「アーベル的超越物の理論が依拠する2個の変化量の4重周期関数について」
という論文に結実しました。ラテン語で書かれています。掲載誌は「クレルレの数学誌」の第13巻。55頁から78頁まで、25頁を占める論文です。刊行年は1835年。論文の末尾の日付は1834年2月14日ですから、前の論文「アーベル的超越物の一般的考察」から1年7ヶ月の歳月が流れています。三角関数も楕円関数論も周期性を備えていますから、ヤコビ関数はどうかという論点が浮上するのですが、論文のタイトルを見ると諒解されるように、ヤコビはヤコビ関数の周期性を当初から認識していたと思います。しかも、三角関数は単純周期をもち、楕円関数は2重周期をもつのに対し、ヤコビ関数は4重周期をもちます。
 ヤコビ関数は4重周期をもつ2変数関数で、しかもその変数は複素変数です。そこでそのような関数を一般的な視点から考察しようというのが、上記のヤコビの論文の構想です。この時期にはまだ解析関数という観念が表面化していなかったのですが、実際にはヤコビ関数は解析関数ですから、この論文とともに多変数関数論への第一歩が踏み出されたと言えるのではないかと思います。
 ヤコビは一般的な視点に立って考察しようとしていますが、これつまり多変数関数の基礎理論の構築が考えられているということですから、印象は際立っています。アーベルの定理を機として発見されたヤコビ関数を、広範な一般理論の世界の中で観察しようということです。後年、リーマンはまずはじめに一変数複素変数関数論の基礎理論を建設し、次に、その土台の上にアーベル関数論を構築しようとしましたが、ヤコビの方針とよく似ています。アーベルはヤコビにならったのでしょう。
 さらに後年のことになりますが、岡潔先生が多複素変数関数論の基礎理論の建設に打ち込んだとき、岡先生の念頭にはつねに多変数の代数関数論がありました。一般理論が完成にいたらなかったためか、岡先生の念頭にあった多変数代数関数論の姿はどのようなものだったのか、必ずしも判然としないのですが、究明の構えはリーマンによく似ています。岡先生はリーマンにならったのでしょう。
 ヤコビ関数のような特別の関数の諸性質を究明するという場合、固有の性質と一般的な性質を区分けするのは重要なポイントです。ヤコビからリーマンへ。リーマンから岡先生へ。複素解析における一筋の流れがここに流れています。

近代数学史の成立106 アーベルの定理とヤコビ関数

ヤコビは超楕円積分の作る連立方程式の解としてヤコビ関数を指定しましたが、ただ単にそのような関数を考えると言っているだけで、存在証明を書いているわけではありません。もう少し吟味を要すると思いますが、それはひとまず措いてともあれヤコビ関数を考えてみますと、この関数は加法定理を満たします。すなわち、関数
   λ(u+u’,v+v’), λ_1(u+u’,v+v’)
は関数
     λ(u,v), λ_1(u’,v’)
     λ(u,v), λ_1(u’,v’)
を用いて代数的に表示されます。数式の再現が煩雑ですので、ここでは計算過程の再現を省略しますが、ヤコビはこの性質をアーベルの定理から導きました。
 次は微分方程式との連繋ですが、f(x)はxの5次または6次の多項式として、
     f(x)=X, f(y)=Y, f(z)=Z
として、連立一階線型微分方程式
     dx/√X+dy/√Y+dz/√z=0
    xdx/√X+ydy/√Y+zdz/√Z=0
 を考えると、この方程式系は完全代数的積分をもつことを、ヤコビは示しました。その示し方はアーベルの定理そのものです。ヤコビの創意はヤコビ関数の認識を可能にする連立方程式を立てたところにあり、これさえつかめばアーベルの定理の力ですべてがうまくいきます。これで、
(1) ヤコビ関数の加法定理
(2) 連立超楕円積分方程式の逆関数
(3) 連立一階線型微分方程式の代数的積分
という三つ組が揃いました。まったく驚くべき数学的状況です。
 これまでのところでヤコビの論文「アーベルの超越物の一般的考察」を概観してきましたが、この論文をはじめて読んで翻訳稿を作り、それをまた清書したのは「1990年10月23日」のことでした。ヤコビが論文の末尾に「1832年7月12日」と日付を記入していますので、それにならって清書稿の末尾に日付を書き入れました。すでに23年も前のことになりますが、今になって読み返してみると新たに気づいたことがあちこちにありました。
 一番強い印象を受けたのは、ヤコビの逆問題はアーベルの定理から生まれたという事実です。これまではなぜか印象が薄かったのですが、今度ははっきりとわかりました。実際には、1832年の論文の段階ではヤコビ関数が認識されたばかりですので、まだヤコビの逆問題には至っていないのですが、ともあれ2変数関数が取り出されたという事実は重い意味をもっています。
 Xが5次または6次の多項式の場合について語りましたので、2変数のヤコビ関数が見いだされましたが、Xの次数が何であってもアーベルの定理は成り立ちますから、それに対応して任意個数の変数のヤコビ関数が手に入ります。アーベルの定理からヤコビ関数が取り出されるというのは、まるでオイラーからアーベルにいたるアーベル積分の海から真珠を採るようなことで、ワイルの比喩がぴったりあてはまる情景です。
 加法定理のことでしたらアーベルの「パリの論文」をはじめ、関連する諸論文も読んでいたのですが、アーベルの定理とヤコビ関数の連繋には思い至りませんでした。ヤコビははっきりとそう書いているのに、どうしてなのか、かえって不思議なくらいです。

故郷滞在

温泉センター
今春の数学会の会場は京大でしたので、京都に数日滞在して通いました。その後、東京を経由して郷里まで。現在、群馬県の山奥の生家に逗留中です。電話回線はありますが、ネット環境はありません。ところが気動車(電車にあらず)でひとつ隣の駅の駅舎が温泉センターになっていて、その中ではつながります。気動車の運賃は片道230円。温泉センターの利用料は一日500円。会員になると200円。
 というわけで、本日、「近代数学史の成立」の第104回と第105回をまとめて書きました。


             わたらせ渓谷鉄道
 
              わたらせ渓谷鉄道

近代数学史の成立105 アーベル関数とヤコビ関数

話が先走りがちになりましたので、ヤコビの論文にもどりたいと思います。Xは5次または6次の多項式とすると、二つの「独立な」超楕円積分
     ∫[0→x]dx/X=Φ(x)  ∫[0→x]xdx/X=Φ_1(x)
が得られますが、ヤコビはこれらを用いて連立方程式
    Φ(x)+Φ_1(y)=u
    Φ(x)+Φ_1(y)=v
を立てました。そうしてx、yをu、vの関数と見て、
       x=λ(u,v), y=λ_1(u,v)
と表記しました。ヤコビはこう言っています。

〈もし三角関数と楕円関数の類似物をアーベル関数においても所有したいなら、2個のアーギュメントに依存するこれらの関数
         λ(u,v), λ_1(u,v)
を解析学に導入しなければならない。〉
(アーギュメントというのはそういう名前の変化量です。)

ここに「アーベル関数」という言葉が出てきますが、これがこの言葉の初出です。関数λ(u,v),λ_1(u,v)を指してアーベル関数と呼んでいるわけでもなさそうですし、いくぶん茫漠とした印象がありますが、字義通りに諒解することにするなら超楕円積分のことをそう呼んでいると見てよいのではないかと思います。前に超楕円積分のことを「アーベル的な超越物」と呼んでいる箇所もありましたし、ルジャンドルは「超楕円関数」と呼んでいるとの指摘もありました。この二通りの用語法を合わせると「アーベル関数」という言葉ができあがりそうな感じがあります。
 楕円積分の場合の用語法を回想すると、ルジャンドルは楕円積分のことを「楕円関数」と呼ぶと提案したのですが、ヤコビがこれをくつがえし、楕円関数論という言葉は第一種楕円積分の逆関数のために用い、ルジャンドルのいう楕円関数は楕円積分のままにすると提案しました。この流儀はそのまま今日まで継承されていますが、これに従うなら超楕円積分のことはアーベル積分と呼び、関数λ(u,v), λ_1(u,v)をアーベル関数と呼ぶのが本当であろうと思います。たぶんヤコビはついうっかり自分が提案した流儀を失念し、「アーベル的な超越物」と呼ぶべきところを、ルジャンドルのように「アーベル関数」と呼んでしまったのでしょう。
 後年のリーマンの論文に「アーベル関数の理論」というのがありますが、リーマンのいうアーベル関数の実体はアーベル積分です。これはヤコビがついうっかりした用語法の影響なのかもしれません。
 ヤコビの言葉の核心は二つの関数λ(u,v),λ_1(u,v)です。ヤコビは超楕円積分の場合には独立な積分が二つ存在することに着目し、単独の積分の逆関数ではなく、いわば「連立方程式の逆関数」の発見をめざしました。連立方程式の逆関数というのはなんだか変な言い方ですが、2変数函数が二つ出てくるところがポイントです。名前はないのですが、やはりアーベル関数という呼称が相応しいと思います。ただし、今日では三角関数や楕円関数をまねて「2n重周期をもつn変数関数」のことをアーベル関数と呼ぶ流儀が定着しています。そこで、本来のヤコビのいうアーベル関数のためには、「ヤコビ関数」という呼称が真に相応しいのではないかと思います。

近代数学史の成立104 ヤコビとワイル

超楕円積分に対する「アーベルの定理」から出発し、ヤコビは「超楕円積分の逆関数」の探索を試みました。円積分の逆関数は積分を提示する前からわかっていましたし、楕円積分の場合には、第一種楕円積分を取り上げると逆関数が見つかりました。超楕円積分の逆関数の名に値する関数ははたして存在するのかどうか、存在するとすればどのようなものでなければならないのか、そもそもどうして逆関数を見つけたいと思うのか、等々、根本的な問いはいくつもありますが、ここで強調しておきたいのは、「ヤコビは単にアナロジーをたどったのではない」ということです。円積分と楕円積分に逆関数が存在するのだから超楕円積分でも同じようにならないかと安直に考えたのではなく、ヤコビには「何のために」があります。その「何のために」の中味についてはこれまでに詳述した通りですが、ヤコビ本人が論文に書いていることで、そんなところも現在とは全然違います。
 まだ逆関数を紹介していませんので、話が少々先走った感じになってしまいますが、ヤコビの逆関数はアーベルの定理と連携していることを、ここでもう一度、強調しておきたいと思います。アーベルの定理があるから逆関数の探索に向かったのであり、逆関数の性質の究明から生まれたのが「ヤコビの逆問題」です。アーベルの定理がなければヤコビの逆問題はありえなかったのですが、このあたりの消息はワイルの『リーマン面のイデー』では全然違います。ワイルの本ではアーベルの定理はリーマン面上の解析関数の存在定理になっていますし、ヤコビの逆問題も登場しますが、アーベルの定理とほまったく無関係にひとつの問題として提示されるだけでした。しかもそこには脚注が附され、ヤコビの逆問題それ自体が重要というわけではないと、わざわざ言い添えられていました。
 ワイルの目には、アーベルとヤコビに始まる(一変数の)代数関数論の世界全体が「リーマン面上の関数論」のように映じたのであろうと思いますが、そうであればワイルにとって一番大事なのはリーマン面のイデーそのものになります。リーマン面のイデーはリーマン自身がすでに表明していたのですが、リーマンの表現というのは「複素平面上に分岐しながら幾重にも広がっている面」というだけのことで、「面」とは何かということも書かれていないのですから、イデーの表現としては不十分と見えたのでしょう。そこでワイルはリーマン面の定義に意を用い、続いてリーマン面それ自体の性質の探索に向かいましたが、それだけで『リーマン面のイデー』の半分が終わりました。後半はリーマン面上の関数論ですが、関数の存在定理をディリクレの原理に基づいて証明するのに相当のページを費やしました。それからようやくリーマン面上の関数論になるのですが、よく見ると関数論と言えそうなのは「アーベルの定理」だけで、しかもそのアーベルの定理は関数の存在条件として語られています。「ヤコビの逆問題」のほうは単に問題が提示されているだけで、関数論にも見えませんし、意味がわからないのはもとより、どうしてこんなことが問題になったのか、出所来歴もさっぱりつかめません。ワイルもそんなことには関心がなかったのでしょう。
 こんなふうですので、ワイルの本は関数論というよりもリーマン面の幾何学というほうが正鵠を射ているように思います。主眼はリーマン面の究明にあり、関数や積分はそのための手段のように見えます。高次元化していけば、今日の複素多様体論や複素解析幾何学と言われる理論になりそうですし、実際にそうなりました。ヤコビは「加法定理」と「積分の逆関数」と「微分方程式」の三つが一体となった世界全体の把握しようとする方向に向かいましたが、ワイルはまったく違います。抽象化ということの意味合いを考えるうえで、ワイルの『リーマン面のイデー』は実に貴重な参考書です。

近代数学史の成立103 アーベルの定理をめぐって

多変数関数論はどこから始まったのかという問いは基本中の基本で、この問いに答えることができないようでは多変数関数論の歴史を語る資格はありません。しばしば耳にするのはアーベル関数のことで、正弦関数のような三角関数は1変数の周期関数で、周期は1個。楕円関数も1変数の周期関数ですが、二重周期。こんな状勢を一般化してヤコビが2変数の4重周期関数を提示して、それをアーベル関数と呼びました。このアーベル関数がつまり多変数関数論の淵源であるというのが、通説というか、ごく普通に語られている説明です。
 このストーリーはそれ自体としてはまちがっているわけではありませんが、ヤコビがアーベル関数を導入したのはなぜかという、数学の根幹に関わるところの説明が欠如しているところに不満があります。通説のままでは類似をたどって形式的に一般化を試みたようなことになりますが、それでは例の「何のために」がないことになりますが、「何のために」ということに関心が寄せられなくなったのは20世紀に入って現れた現象ですし、ヤコビほどの数学者にそんなはずはないのだがと、かねがね考えていました。
 ヤコビの論文「アーベル積分の一般的考察」(「アーベル積分」の原語は「アーベルの超越物」です)を読んだのはだいぶ前のことで、訳文を作りながら読んだのですが、その清書稿の末尾に「1990年10月23日」という日付が記入されています。すでに23年の昔の原稿です。今になって読み返す機運が生まれたので目を通しているのですが、新たに気づくことがいくつもあります。ということは、23年前には理解が及ばなかったということにほかなりません。数学を理解するのはなかなかむずかしいものです。
 今回の読み返しで気づいたのはヤコビにはまちがいなく「何のために」があるという事実で、しかもその「何のために」の「何」の実体が見えるように思えたのはうれしい出来事でした。
 三角関数、たとえば正弦関数x=sin uの場合には、まずはじめに加法定理
   sin(u+v)=sin u cos v+cos u sin v
が知られていました。微積分の力を借りると、正弦関数は円積分u=∫dx/√(1-x^2)の逆関数として認識することが可能になりました。関数が先で積分が後。後から現れた積分の逆関数が正弦関数です。そこで微分方程式
    dx/√(1-x^2)+dy/√(1-y^2)=0
を立てると、積分して、
    ∫dx/√(1-x^2) +∫dy/√(1-y^2)=c(cは定数)
という等式が得られます。u=∫dx/√(1-x^2) 、v=∫dy/√(1-y^2)と置くと、この等式は
        u+v=c
という恰好になります。両辺の正弦を作ると、左辺は
    sin(u+v)= sin u cos v+cos u sin v=x√(1-y^2)+y√(1-x^2)
という形になります。右辺はsin cですが、この定数をあらためてKと置くと、二つの変化量x、yの間の代数的な関係式を表わす等式
        x√(1-y^2)+y√(1-x^2)=K
が得られます。この等式は微分方程式dx/√(1-x^2) +dy/√(1-y^2)=0の代数的積分にほかなりません。
 このような状況を観察すると、次に挙げる三つの事項は緊密な関係で結ばれていることがわかります。
(1) 正弦関数x=sin uの加法定理
(2) 円積分u=∫dx/√(1-x^2)の逆関数
(3) 微分方程式dx/√(1-x^2) +dy/√(1-y^2)=0の代数的積分

 今度は楕円関数のことを考えてみたいと思います。楕円関数の場合には楕円積分が先で、楕円関数は後。積分が先に現れて、その逆関数として楕円関数が認識されました。次にf(x)は次数4の多項式としてX=f(x)、Y=f(y)と置き、微分方程式
     dx/√X+dy/√Y=0
を考えると、この方程式は代数的に積分可能で、一般解はu=∫dx/√Xの逆関数x=λ(u)の加法定理により与えられます。これで、下記の三つの事柄の関係がわかりました。正弦関数の場合とまったく同じですが、認識された順序が違います。
(1) 楕円関数x=λ(u)の加法定理
(2) 楕円積分u=∫dx/√Xの逆関数
(3) 微分方程式dx/√X+dy/√Y=0

では、超楕円積分の場合にはどうなるでしょうか。ヤコビが考察したのはこの問題です。わかっているのはアーベルの定理が成立することだけで、まだ逆関数も見つからず、微分方程式も立てられていないのですが、ともあれ積分を対象とする加法定理は存在します。それだけを手掛かりにして逆関数を発見し、その加法定理を書き下し、その加法定理がその代数的積分を与えるような微分方程式を発見しようということになります。ヤコビは、
〈アーベルの定理がその代数的完全積分を与えるような微分方程式はどのようなものかと問いたいと思う。〉
と言っています。完全積分というのは微分方程式の一般解のことです。

近代数学史の成立102 多変数関数論のはじまり

ヤコビはまずはじめにアーベルの定理の一番簡単な形を紹介しましたが、続いてもっと一般的な形の紹介に移ります。多項式Xの次数が任意の場合を考えるのですが、それもまたアーベルが発見したことで、「パリの論文」の特別の場合になります。アーベルはそのために一篇の論文を書きました。その論文は「クレルレの数学誌」に掲載されましたので、ヤコビも知っていました。この場合のアーベル積分は超楕円積分と呼ぶのが相応しいと思います。
ヤコビはこのような状況を回顧した後に、「先ほどの定理には、あまりにも早すぎた死によって奪い去られた驚くべき天才の最も高貴な記念碑として、アーベルの定理という名を与えるのがよいと思う」と言い添えました。これが「アーベルの定理」の初出です。そうしてさらに、「超越物Π(x)は、Xが4次を越える場合にはアーベル以前にはだれも考察しなかったのであるから、アーベルの超越物と呼びたいと思う」と提案した。ヤコビは「超越物」とのみ読んで積分という言葉は使っていませんが、ともあれこれが今日の「アーベル積分」のはじまりです。ルジャンドルはこれを「超楕円関数」と呼んでいたことは、前に紹介したことがあります。
 もとにもどってXが4次の場合、すなわちu=Π(x)が第一種楕円積分の場合をもう一度考えてみたいと思います。もうひとつの楕円積分u’=Π(x’)を考えて、方程式
     Π(x)+Π(x’)=Π(y)
すなわち
     u+u’=v
を立てると、オイラーの定理により、yはxとx’により代数的に表示されることがわかります。これを逆関数、すなわち楕円関数の言葉で言い換えると、
楕円関数を一般にλで表すとき、
    x=λ(u)、x’=λ(u’)、y=λ(u+u’)
と表記されますから、関数λ(u+u’)が関数λ(u)、λ(u’)を用いて代数的に表されるということになります。オイラーの定理は「第一種楕円積分の逆関数の一性質」と理解することが可能です。
 では、楕円積分を越えて一般の超楕円積分の場合を考えるとどのような状況が現れるでしょうか。一般のアーベル積分に対しても第一種、第二種、第三種という区分けは可能なのでしょうか。この区分けができたとすると、第一種のアーベル積分には、その逆関数と呼ぶのが相応しい関数が存在するかもしれないし、しないかもしれません。それはわかりませんが、ともあれアーベルの定理は成立しています。そこでヤコビは、

〈(楕円積分よりも)いっそう一般的な場合に、その逆関数がアーベルの超越物である関数はどのようなものであり、アーベルの定理はそのような関数をどんなふうに知覚するのだろうかと問い掛けたいと思う。〉

という問いを提示しました。
 ヤコビが探索を思い立った逆関数はおのずと多変数の関数になることを、ヤコビは当初から認識していました。このヤコビの認識が、今日の多変数関数論の真の泉です。

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プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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