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近代数学史の成立86 「パリの論文」と「アーベルの定理」

ワイルが定義を書き下したリーマン面は複素1次元の複素多様体ですが、ここから出発して高次元の複素多様体というものを設定し、その諸性質を探求するという道筋が考えられます。20世紀の数学は実際にこの道をたどり、複素多様体論という数学の一領域が開かれました。ワイルの指示した方向に出現した20世紀の数学です。
なんだかすばらしい理論のような印象があり、深く学んでみたいという誘惑に駆られるのですが、実際に足を踏み入れるとすぐに退屈してしまいます。なぜなら、ここにもまた「何のために」がないからです。「何のために」がある数学から「何のために」がない数学へと、数学は大きく姿を変えました。どうしてなのだろうかと問えば、数学史研究における根本問題が提出されたことになりそうです。数学は19世紀の終わりがけあたりに大きな転機を迎え、厳密化というか、抽象化というか、どちらでも結局のところ同じことになりますが、そんなことをしないではすまないような状況に直面したのでしょう。
 ワイルの『リーマン面のイデー』の成立の仕方を回想すると、数学の厳密化もしくは抽象化の問題を考えるための手掛かりのひとつが得られるのではないかと思います。一例として「アーベルの定理」を取り上げてみたいと思います。アーベルの名を冠する定理はいくつもありますが、ワイルの本に出ているアーベルの定理の出典はアーベルの「パリの論文」で、その内容は「アーベル積分の加法定理」です。アーベル積分というのは代数関数の積分のことで、特別の場合を考えると楕円積分になります。楕円積分を考えるのであれば、すでにオイラーが加法定理を発見していますが、アーベルは楕円積分をアーベル積分の特別の場合と見て、完全に一般的なアーベル積分に対して一挙に加法定理を獲得したのでした。アーベルには「オイラーの発見した楕円積分の加法定理の延長線上にある光景を見たい」という意図がありました。すなわち、アーベルには「何のために」が明確に備わっています。
 これに対しワイルの本では光景が一変します。第二部、第17節「加法的および乗法的関数」に出ているのですが、ワイルのいうアーベルの定理は「リーマン面状に零点と極の分布を指定するとき、それらに適合する解析関数が存在するための条件を与える定理」です。「アーベルの定理」という呼称を提案したのもワイル自身です。ワイルはリーマン面を解析関数が繁茂する「母なる大地」と見たのですから、リーマン面上に解析関数が存在するための条件を記述することが、ワイルにとっては本質的に重要な一事だったのでしょう。ではありますが、この読み換えの試みには「何のために」がありません。
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近代数学史の成立85 複素多様体の幾何学

ワイルの見るところによれば、「ヤコビの逆問題」の値打ちはこの問題それ自体にあるのではなく、どこかしら別のところにあることになりますが、それは何なのでしょうか。そんなことを考えながら『リーマン面のイデー』のあちこちを探索すると、第一部の第7節「リーマン面の概念」の末尾のあたりに、「リーマン面のイデーに関する二、三の一般的な注意」を述べようという言葉が目に留まります。ワイルはこう言っています。

〈この理念の導入の基礎にある基本的な考え方は、決して複素関数論に制限されてはいない。二つの実変数x、yの関数は平面上の関数である。しかしながら、球面上の、あるいは輪環面(トーラス)上の、あるいは一般にひとつの面の上の関数を研究することも、平面上の関数の研究と全く同じように正当な理由をもつことは確かである。〉

ここでは、「リーマン面上の関数論」というものの正当性が主張されています。

〈もちろん、関数の“局所的な”挙動だけを問題としている限りは――そして解析学の考察は大部分このような問題に関するものであるが――、一般に二つの実変数の関数という概念で足りる。二次元多様体の各点の近傍はx、y(またはx+iy)によって表現されるからである。しかし関数の“大域的な”挙動の研究に立ち入るならばただちに、平面上の諸関数はそれと同じように正当な権利をもつ無限に多くの他の関数にまじって、ひとつの重要な、しかし特殊な場合を構成する。〉

先ほどの言葉に続いて、ここでもまた「リーマン面上の関数論」が語られています。従来の関数論を局所的理論と見て、それに対して大域的な関数論が提案されているのですが、それがリーマンの思想の本質であると、ワイルは言いたいのでしょう。ヴァイエルシュトラスの思想については、本質的にリーマンと同じとワイルは見ています。

〈リーマンとクラインは、この特殊な場合にとどまっていてはならないことをわれわれに教えた。複素関数論に適用すれば、これはつぎのようになる。ある種の関数の研究に入る前に、いつでもまず独立変数の変域の役割を果たす面が定義されなければならない。それから、この面上で“解析関数”と呼ばれるべきものが明確に述べられ、それによってこの面がリーマン面にならなければならない。そしてこのときはじめてわれわれは関数そのものに手をつけることができる。〉

まずはじめに関数論が展開されるべき場所、すなわち関数の「母なる大地」、すなわちリーマン面を設定し、その後に、そのリーマン面の上で解析関数を定めるという順序になりますが、その解析関数はなんでもよいのではなく、その関数に附随するリーマン面はが、はじめに提示されたリーマン面と同じものになっていなければならないと言われています。解析関数には、それが本来繁茂するべき「母なる大地」が存在するのだという思想が、ここに鮮明に表明されています。大地があってはじめて関数が繁茂するという思想です。
今日の数学の中にも、ワイルの思想がそのまま生きていると思い当たる理論が存在します。それは「複素多様体上の関数論」です。関数よりも「母なる大地」のほうに目を向けると、「複素多様体の理論」になりそうですが、そのままでは関数論ではなく幾何学の一領域です。ヤコビの逆問題は複素多様体論が生まれるための契機になったということになりそうです。

近代数学史の成立84 問題の意義の所在をめぐって

『リーマン面のイデー』にはおびただしい数の脚注が附されていています。概念や語義の補注も目立ちますが、参照するように指示されている文献も多彩です。試みにめぼしいものを拾ってみたいと思います。

ヴァイエルシュトラスの論文「代数的微分方程式による一個の変化量の解析関数の定義」 (1842年)
リーマン「アーベル関数の理論」(1857年)
ヴァイエルシュトラス「アーベル関数の理論」(講義録。ヘットナー(G.Hettner)とクノープラオホ(I.Knoblauch)が編集。ヴァイエルシュトラスの全集、巻4)
クライン『代数関数とその積分に関するリーマンの理論』(著作。1882年)
クライン「リーマンの関数論への新しい寄与」(1883年)
リーマン「幾何学の根底に横たわる仮説について」(講師就任講演、1854年)
アーベル「ある超越関数族のひとつの一般的性質」(1829年)
アーベル「超越関数の比較」(草稿)

これらのほかにもポアンカレ、ケーベ、クレブシュ、ヒルベルト等々、多くの数学者の名前が登場します。いくぶん不可解なのは、ヤコビが提出した「逆問題」は語られながら、ヤコビの諸論文の紹介がまったく見られないことですが、わいるはどうもヤコビの逆問題そのものにはあまり重きを置いていないような印象があります。実際、脚注のひとつに、

〈逆問題の大きな意義はわれわれ現代人にとって単に問題そのものの価値のなかにあるばかりではなく(そしてまたそれが決して主要なものでもなく)、リーマンやヴァイエルシュトラスの壮大な一連の思想――逆問題を解決するための努力を通して、彼らがその創造に駆り立てられた一連の思想――のなかにある。〉

という言葉が見られます。ヤコビの逆問題それ自体よりも、この問題の解決を通じて明るみに出された数学思想のほうが値打ちがあるというのですが、このような様式の価値判断は今ではごくあたりまえのことのように受け止められているのではないかと思います。同様の例を挙げると、たとえば代数方程式の解法それ自体よりも、解くための努力を通して得られたガロア理論のほうが値打ちがあると考えられています。また、さまざまな次数の相互法則の解明それ自体よりも、これを追い求める努力を通して獲得された類体論のほうが値打ちがあるという見方も有力です。「フェルマの大定理」それ自体はつまらない問題だが、その解決を通して形成されたいろいろな理論のほうにこそ値打ちがあるということもしばしば耳にするところです。数学の本体は中小にあり、個別で具体的な問題は真のっ数学が発見され、創造されるためのきっかけとして意味をもつにすぎないというほどの考へ方です。
 ヤコビの逆問題の場合、「この問題を解決するための努力を通してヴァイエルシュトラスやリーマンがその創造に駆り立てられた一連の思想」というのは、具体的にはどのような思想を指すのでしょうか。このあたりの観察がむずかしいところです。

近代数学史の成立83 抽象への道と古典への道

ワイルの『リーマン面のイデー』に「何のために」がないというのは、気づいてもうれしくない事実でしたが、気づくまでには相当に長い日時を要しましたので、それまでは棚上げというか、放置された状態が続きました。1913年にこの本が出て、それから先の数学はどうなっていったのかというと、一般化、すなわち高次元化ということが強力に押し進められました。次元に自由度を与え、ワイルが与えたリーマン面の定義をそのまま流用して任意次元の複素多様体の概念を書き下すのですが、その上で関数論を展開するというよりも、複素多様体という名の図形を調べようとする幾何学みたいな感じになっています。
 複素多様体もだいぶ勉強しましたが、なにしろワイルのリーマン面でさえ退屈だったのですからおもしろいわけもなく、先に進もうとする気持ちが薄れていきました。結局のところ、ワイルの本でもっとも感動的なのは「海の中から一個の真珠を取り出す」場面であり、しかもそれに尽きています。リーマンのイデーに言葉を与え、形を与えることがすべての根幹です。ワイル自身もそこに思索のすべてを投入したのではないかと思うほどで、ひとたび複素多様体としてのリーマン面の定義に成功したなら、その後はさらさらと流れ出て一冊の書物ができあがりそうです。その際、何がさらさらと流れ出るのかというと、ヤコビ、アーベル、ヴァイエルシュトラス、それにリーマンが構築した関数論の古典の数々で、それらをリーマン面の舞台に移していく作業を重ねていくことになります。
『リーマン面のイデー』の本文は二つの章に分かれています。第一章は「リーマン面の概念とその位相」と題されていますが、ここはリーマンの論文「一個の複素変化量の関数の理論の基礎」に相当します。第二章の表題は「リーマン面上の関数」というのですが、ここはアーベルの論文「アーベル関数の理論」に相当します。その内実は代数関数論ですので、リーマン面もコンパクトなものに限定されることになります。コンパクトなリーマン面は代数関数の「母なる大地」ですから、基本中の基本は代数関数の存在定理で、リーマン自身がそうしたように、ワイルもまた存在定理の叙述から説き起こしています。リーマンは「ディリクレの原理」を基礎にして証明を構成するというアイデアに依拠したのですが、不十分なところを後にヒルベルトが補填しましたので、ワイルはそれを採用しました。これだけで相当に長くかかり、それからいよいよリーマン面上の関数論が展開されて、既述のように「アーベルの定理」「リーマン―ロッホの定理」「ヤコビの逆問題」が中核を形成します。
『リーマン面のイデー』の概要は以上の通りですが、20世紀の数学の歩むべき道筋をこの書物が指し示したのはまちがいないと思います。歩むべき道筋といっても、その道はただひとつと限られているわけではないかもしれませんが、大きく展望すると「数学の抽象化」という傾向はたしかに感知され、ワイルの本はその先鞭をつけたと言えると思います。ワイルは19世紀の古典の世界を海にたとえ、そこにはリーマン面のイデーが遍在していると見て、そのイデーに形を与えて一個の真珠の姿をぼくらの眼前に描き出しました。イデーを具現するというのですから、言葉はどうしても抽象的になりますが、ワイルにとってこの抽象化は必然でした。数学が抽象に向かう契機のひとつがここにありますが、その後の成り行きが退屈に傾斜してしまうのはどうしてなのでしょうか。
 ここにいたって俄然興味をそそられるのは古典の世界です。ワイルの本はヤコビ、アーベル、ヴァイエルシュトラス、リーマンへと向かう道もまた開いています。

近代数学史の成立82 憧憬と退廃

 ワイルの『リーマン面のイデー』を見ると胸が痛みます。すでに大昔のことになりますが、数学の勉強をはじめてまもないころ、ワイルの一群の著作を見て強く心を引きつけられました。書名のひとつひとつに魅力があり、なんだか歴史のかなたから聞こえてくるような響きがありました。「リーマン面」というだけでリーマンが思われて、リーマンを憧憬する岡先生の言葉さえ連想されました。リーマンは1851年の学位論文で一複素変数関数論の基礎理論を構築しましたが、その際の基本中の基本概念がリーマン面で、リーマンはリーマン面上の複素関数論を展開したのでした。
これだけでも神秘的な印象がありますが、続いて1857年には「アーベル関数の理論」という長編を公表し、ここで「ヤコビの逆問題」の解決に成功しました。もともとこの問題を解くことがリーマンの複素関数論のねらいだったのですし、その点はヴァイエルシュトラスの場合も同様です。「ヤコビの逆問題」にはヤコビの名が見られ、リーマンの論文「アーベル関数の理論」にはアーベルの名が明記されています。アーベル、ヤコビ、ヴァイエルシュトラス、リーマン。この4人の数学者が創造した世界を広大な海にたとえ、そこから「リーマン面」という一個の真珠を取り出して、その真珠を中心に据えて海の世界の全体を広々とみわたそうとするところに、ワイルの数学的意図がありました。
 ワイルの構想が雄大であることは序文を一読するだけでよく感じられましたし、「場所なき場所」というプラトンの言葉を引くところもすばらしく、「海の中から真珠を採る」という比喩も美しく感じられました。それでずいぶん真剣に読みふけったのですが、本文を読み進むにつれてだんだん進度がにぶりがちになり、結局のところ、最後まで読み通すにはいたりませんでした。数学の技術的な部分に追随していくのは容易とは言えないものの、そういうところは勉強の積み重ねにより克服可能です。それよりもどうも弱ったのは、行き先が見えないことでした。リーマン面を複素多様体として定義し、その上で複素関数論を展開して「アーベルの定理」や「リーマンーロッホの定理」を確立し、ヤコビの逆問題も解決されていくのですが、そのあたりはなぜか格別の感銘を受けることもなく、かえって退屈でした。難解ではなく退屈。退屈して、というのはつまり、おもしろくなくなって先に進みたいという気持ちがくずれてしまったということですが、なぜ退屈なのかと考えても当時は理由がわかりませんでした。
 今なら理由がわかりそうな気がします。それは「何のために」が欠如しているからです。元来、「ヤコビの逆問題」の解決をめざして構築された理論であるにもかかわらず、ワイルの本ではこの問題は特に重く見られている様子もなく、何でもないことのようにさりげなく提示され、証明されていました。そうなると再構築それ自体が目的であるかのようなことになりますが、現にそうだったのでしょう。

近代数学史の成立81 母なる大地

リーマン面のアイデアを導入すれば、複素解析関数の多価性を解消して一価関数と見ることが可能になりますが、それなら関数概念に一価性を要求したのはだれかというと、リーマンの師匠筋にあたるディリクレでした。ディリクレはフーリエ級数の収束性を論じるにあたって、何よりも先に「まったく任意の関数」の概念を導入し、それをフーリエ級数に展開して収束性を論じるという方針を採ったのですが、収束するフーリエ級数に展開可能な関数は一価なのですから、この場合、取り上げられる関数はおのずと一価関数であるほかはありません。そこでディリクレは「対応」という形の関数の定義の中に「一価性」を繰り込みました。これが、今日の微積分において関数の概念に一価性が伴う理由です。
 リーマンがリーマン面を提案したのは多価関数よりも一価関数のほうが取り扱いやすいから、という説明はしばしば耳にしますが、ワイルはこの種の説明を明快に退けました。数学では便宜的な理由であれこれの整備がなされることはないこともありませんが、リーマン面はそのようなものではないとワイルは言いたかったのでしょう。この点はワイルの言う通りとぼくも思いますが、ワイルはさらに歩を進め、リーマン面は「関数の母なる大地」であるという言葉を語ります。

<それはまた、経験により多かれ少なかれ技巧的に解析関数から蒸留された何ものかではなく、あくまでもそれ以前のもの、母なる大地、その上にこそはじめて諸関数が生育し繁茂しうる大地とみなされなければならない。>

<リーマン自身がその表現の形式を通じて、関数のリーマン面に対するこのような真の関係をいくらかぼかしていることはもちろん認められる――おそらくはただ,彼が同時代の人々にあまりにも異様な観念を強いたくないと考えたからであろう。この関係がぼかされているのは、彼が例の多葉な、いくつかの分岐点とともに平面の上に拡がっている被覆面、今日もなお話題がリーマン面に及ぶとき、人々がまず第一に思い浮かべる面について語っており、一そう一般的な観念を用いなかったことにもよる。>

リーマンは1851年の論文「一個の複素変化量の関数の一般理論の基礎」においてはじめてリーマン面を語りました。リーマン自身は単に「面」と呼んでいるのですが、定義が与えられているのかというと与えられていないようでもあり、与えられていないのかというと与えられているようでもあります。今日の数学では定義の文言が重く見られていますが、それは「ワイルのいう「厳密さに関する現代のきびしい要求」に従っているからで、おおよそ19世紀の後半以降から目立ち始めた傾向です。デデキントが数やイデアルの定義を書き下さなければならないと思い、これを実行したのは著しい事例です。
諸概念の精密な定義を書いて、そこから出発するという行き方それ自体は数学とともにあるのですから、別に19世紀後半を待つことはないのですが、ひときわ目立ち始めたという意味において、「19世紀後半」ということを強調してみました。今日ではこの流儀は数学のすみずみまで行き渡っています。
リーマン自身はどうかというと、リーマンが提案した「面」はワイルのいう「多葉な、いくつかの分岐点とともに平面の上に拡がっている被覆面」であり、リーマンはそのように「面」を描写しています。「分岐点」や「被覆面」という言葉を見ると、「平面の上に多葉に拡がっている面」のイメージが心に浮かびます。それでも別に不自由なことはなく、現にリーマンにとってはそれで十分でした。リーマンとイメージを共用すればよいことですが、厳密さに関する要求のきびしさの度合いを高く設定すれば、不十分な感じは確かにあります。そこにワイルの出番がありました。

近代数学史の成立80 厳密化と抽象化

ワイルの言葉を読んでいくと、少なくともワイルにとっては、数学の厳密化と抽象化は不即不離の関係にあったことがわかります。厳密化をはからなければならないことになり、まさしくそのためにリーマン面を精密に言葉で規定することを迫られました。その工夫の産物が複素多様体なのですが、定義の文言を読んでもなんのことなのか、それだけではさっぱりわかりません。というよりも、何度読んでもわかったという感じが伴わないというのが本当のところでしょう。それで「数学はむずかしい」と思ったり、「数学はつかみどころがない」という茫漠とした印象にとらわれたりするのではないかと思います。
 類例を探してみると、デデキントが定義を与えた数の概念が念頭に浮かびますが、これについては前述のとおりです。もうひとつの際立った例としては、クンマーのイデアルの概念があります。イデアルの概念を提案したのはクンマーですが、それを今日のように言い表したのは、ここでもまたデデキントです。今日の代数でイデアルの定義を見ても、簡単で抽象的な数語が書かれているだけで何の感興もわきませんが、クンマーにとっては魂を揺さぶるほどの大発見でした。数とイデアルに対するデデキントの関係は、リーマンのリーマン面に対するワイルのリーマン面の関係によく似ています。
 それならリーマン自身はリーマン面をどのように描写したのかということが気に掛りますが、これについてはワイルの言葉が参考になります。ワイルはこう言っています。

<いまもなおそこここで、リーマン面は関数の多意性を眼の前に描き出し、直観に訴えるための“画像”、(人はこうつけ加える:きわめて価値のある,きわめて示唆に富む)手段以上の何ものでもないかのような解釈に出会う.この解釈は根底から誤っている。リーマン面はこの理論に欠くことのできない実質的な構成部分であり、そのままこの理論の基礎である。>

複素変数の解析関数には解析接続という現象が伴いますから、しばしば多価関数になります。そこでリーマン面を考えて、そのうえで関数を考えることにすれば一価性が回復されます。そこにリーマンのねらいがあったのだという説明は今もときおり耳にしますが、ワイルは1913年の時点でこれを明確に否定して、「根底から誤っている」と明言しました。ワイルの目には俗説と映じたのでしょう。

近代数学史の成立79 ワイルの著作の数々

ワイルの『リーマン面のイデー』ははじめ英訳で読みました。といっても、実際には完全に理解したと言うにはほど遠く、「読もうとして努力した」というのが正確なところです。努力はしたもののよくわからなかったのですが、なぜかとても心を惹かれ、わからないにもかかわらずあこがれて座右に置いたものでした。関連して岩沢健吉『代数函数論』などを入手したり、複素関数論の書物を探索したりしました。そうこうしているうちに邦訳書が出版されました。
『リーマン面のイデー』ばかりではなく、ワイルの著作はどれも魅力的でした。思いつくままに回想すると、

    『数と自然科学の哲学』
    『空間・時間・物質』
    『シンメトリー』
    『群論と量子力学』
    『古典群』

等々、書名を見ただけで「読んでみたい」という気持ちに誘われました。それでずいぶん集めて喜んでいたのですが、書名のかもしだす魅力とはうらはらに敷居は高く、中味には容易に近づけませんでした。
 『リーマン面のイデー』もむずかしく、読み進むにつれてだんだん足取りが重くなり、頓挫してしまったのですが、その当時の状況を回想すると、この本の背景には19世紀の代数関数論の全史が広がっているという印象を受けたのはまちがいありません。『リーマン面のイデー』に附されている脚注のあちこちにアーベル、ヤコビ、ヴァイエルシュトラス、リーマンなど。19世紀の大数学者たちの論文が紹介されていましたので、そんな印象を強く受けたのですが、ワイルの目には19世紀の代数関数論の全体が広大な海のように映じていたのではないかと思います。その海の中に「リーマン面」という一個の真珠が眠っているというイメージがあり、それを抽出して言葉で描写しようと試みるのがつまり悟性界の表面に取り出すということにほかなりませんが、まさしくそこにワイルの苦心と独創がありました。
「精緻なそして煩瑣な諸概念の編みものに包まれた核心」が存在し、それこそが「理論の生命,真の内容,内的な価値をつくるもの」として自覚されました。その「核心」というのがリーマン面で、悟性界に取り出すと「複素次元1の複素多様体」が出現します。っせっかく海原に眠っているのにどうしてわざわざ悟性界に取り出さなければならないのかというと、理論構成にきびしい厳密さが要求されているからで、それが今日の趨勢とのこと。デデキントもそんなふうに言って実数の定義を与えようとしました。幾何学的な直観から極力離れ、論理的な厳密さを確保しようとするというのは、19世紀の後半あたりから目立ち始めた傾向です。何かしらこの時代に特有の文化的諸事情が介在していたのでしょう。

近代数学史の成立78 海の真珠

ワイルは「関数」や「曲線」の概念が非常に一般的になったことを指摘して、その一般性の度合いは「われわれのあらゆる観念をはるかに越えて拡がっている」と言い添えました。ワイルの時代にそんなふうになったということですが、ワイルのいう一般的な関数や曲線の概念というのは、今日の普通の微積分のテキストに見られるものと同じと見てさしつかえないと思います。高木先生の『解析概論』の第1章の末尾に連続曲線の定義が出ていますが、それに関連して「ペアノ曲線」というものが紹介されています。それは、重複点を許すという前提のもとで、正方形の内部を埋め尽くす連続曲線で、ペアノがそのような曲線の実例を提示したのは1890年のことでした。翌1891年にはワイルの師匠のヒルベルトも、今日「ヒルベルト曲線」と呼ばれる不思議な曲線を提示しました。これらの曲線は、曲線というものの定義から出発する限り、なるほどたしかに曲線の仲間に加えなければなりませんが、いかにも奇妙な形ですし、直観的なイメージから大きく乖離しています。 ワイルの念頭にはペアノ曲線やヒルベルト曲線があったのでしょう。
 数学に厳密さを求めると概念規定から出発することになりますが、そうすると不可解な現象が起こりがちになります。ワイルはそんな状況を指して「不健全」と言ったのであろうと思います。
 では、この状況認識をリーマン面の概念にあてはめるとどうなるのでしょうか。厳密性の要求は非常にきびしく、しかも絶対不可欠と考えられているようですから、対処するには「リーマン面の定義」を工夫しなければならず、どうしても「抽象的な、微妙な概念と思考」が要求されることになります。ワイルはこの認識に基づいてリーマン面の定義を書き下したのですが、それは今日のいわゆる「複素次元1の複素多様体」のことにほかなりません。ワイルの独創はこの定義それ自体に宿っています。
 ワイルの言葉はなお続きます。

<しかしながら、この論理の糸によってきめ細かく織り上げられた全体系が(初学者はそのなかであるいは道を見失うこともあろうが)、ここでは根底において決定的なものでないことを認識するには、多少とも鋭い洞察を加えれば足りる:それは単なる網であり、この網を使ってわれわれは,本質において単純であり偉大であり崇高である本来の理念を、プラトンの表現によればτoπos ατoπos(トポス・アトポス=場所なき場所)のなかから―海のなかから真珠を採るように―われわれの悟性界の表面にとり出すのである。しかしながら、この精緻なそして煩瑣な諸概念の編みものに包まれた核心――これこそ理論の生命,真の内容,内的な価値をつくるものである――をとらえること、それに対して書物は(また教師でさえも)ただ貧弱な暗示を与えうるに過ぎない。>

 リーマン面は「海の中の真珠」にたとえられています。

近代数学史の成立77 西暦1913年

西暦1913年は日本の元号では大正2年ですが、この年は岩波茂雄が岩波書店を始めた年でもありました。開業の日付は大正2年8月5日と記録されていますが、もう少しさかのぼると、4月8日には東京朝日新聞の朝刊紙上に中勘助先生の「銀の匙」の連載が始まっています。
ワイルはゲッチンゲン大学でヒルベルトの指導を受けて学位を取得し、私講師になり,1911年の冬学期にリーマンの関数論の講義を行っています。この講義が『リーマン面のイデー』の土台になったのですが、このときワイルは満27歳でした。1923年に第2版、1955年に第3版と改訂版が続きましたが、第3版が出た年にワイルは亡くなりました。ワイルは晩年にいたるまで、この若い日の作品に愛着を抱いていたのでしょう。ワイルの没後、およそ20年がすぎて、1974年には邦訳書『リーマン面』(田村二郎,岩波書店)が刊行されましたが、その際に底本に選ばれたのは1913年に刊行された初版でした。第2版と第3版は初版に比べて改変が目立ちます。ワイル自身、長い間に考えが変遷していったのでしょう。
 原文はドイツ語で書かれていますが、第3版には英訳書もありましたので、まだ邦訳書が出る前に入手して、理解しようと苦心を払ったものでした。内容はさっぱりわからなくても、眺めているだけで心がひきつられてしまうような書物でした。これとは裏腹に、表紙を見ただけで読む気持ちになれない本も存在するのですから、本というものには本であるというだけで発生するオーラのようなものに取り囲まれているのでしょう。
 『リーマン面のイデー』の巻頭には長文の「序文および諸言」がついています。読み進めていくと、こんな文章に出会います。

<一方において,“関数”,“曲線”などのような概念の一般性,われわれのあらゆる観念をはるかに越えて拡がる一般性の発見,他方において論理的な厳密性への要求,これらはわれわれの学問にとって有益であり,必要でさえあったとしても,なおかつ今日の数学の発展のうちに,或る不健全な現象をひき起こしたことは否定できない.これらの概念を追ってその最終的な精緻さと――歪曲に至るまで辛苦し,あるいはこれらを最も広い輪郭でとらえようとする数学的創造の一部は,あるいは虚空に発散し,あるいは脇道に漏れ失せ,生き生きとした学問の流れとの関連を失なってしまった.リーマン面の理念もまた厳密さに関する現代のきびしい要求に従おうとすれば,その表現のために多量の抽象的な,微妙な概念と思考とを要求する.>

一読しただけでは意味のつかめない不思議な文言に満たされています。

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オイラー研究所の所長です

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オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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