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近代数学史の成立67 最速降下線

オイラーが関数を導入したのは曲線を関数のグラフとして認識したいためですが、なおもう一歩を踏み込んで考えたいのは、どうしてそうしたかったのか、という論点です。
 岡先生はどうして曲線を関数のグラフと見ようとしたのでしょうか。ここが長い間、不明瞭だったのですが、オイラーの変分法のテキストを読んでいたとき、どうも変分法に理由があるらしいと思い当たりました。変分法というのはカルキュラスのひとつで、微分計算、積分計算というときの「計算」の原語がつまりカルキュラスです。それで、本当は「変分計算」というほうがよいのですが、今日の流儀にしたがって変分法と呼んでみます。微積分を微分法、積分法と呼ぶのと同じです。
 変分法というと即座に念頭に浮かぶのは「最速降下線」の問題です。オイラーの師匠のヨハン・ベルヌーイがはじめて解決したことで知られていて、答はサイクロイドになります。よく知られていることですので、ここで詳説する必要はないと思いますが、オイラーはこの問題ひとつに手掛かりを求めて変分法の建設に向かいました。
 最速降下線の問題を例にとって変分法の性格を考えてみたいともいます。重力が作用する方向に平面を設定し、その上に二点を指定します。それから、その二点を結ぶ曲線を描き、高い位置にある点に質点を配置すると、重力の作用にしたがって落下していきますが、その際、軌道を束縛して、指定された曲線に沿って落下するものとします。このような状勢のもとで、低いほうの点に到達するまでに要する時間を測定すると、その所要時間は曲線の形に対応して決まります。いわば「曲線を変数とする関数」が出現するのですが、ではどのような曲線を描くとき、所要時間は最少になるのでしょうか。このように問うのが最速降下線の問題です。「曲線の解明」という、初期の微積分の範疇に所属する問題のひとつです。
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近代数学史の成立66 通説を疑う

今日の微積分は関数の一般概念の提示からはじまり、続いてただちに連続関数の諸性質が論じられるという順序で進みます。この段階でよく語られるのは、かつて連続関数はみな微分可能と信じられた時代があったというエピソードです。だれもがあたりまえのように信じていたところにヴァイエルシュトラスが反例を出して、常識を覆したというふうに話が続きます。ヴァイエルシュトラスは「いたるところで微分不可能な連続関数」の事例w挙げたのですが、ヴァイエルシュトラスに先立って実はリーマンはすでに知っていたという話を聞いたこともあります。
 この話を耳にしてからこのかた、いくつかの疑問に襲われて、心にかかっていました。微積分が関数概念の提示からはじまるのは、関数の究明が微積分のテーマだから、ということでひとまず諒解したのですが、ではなぜ連続関数が取り上げられるのでしょうか。この点がいかにも不可解でした。
また、コーシーの『解析教程』はたしかに連続関数から始まりますが、コーシー以前にも連続関数は存在したのでしょうか。
 それと、連続関数の微分可能性が信じられていたというのですが、そのようなことを示す具体的な証言は存在するのでしょうか。たとえば、オイラーの全集のどこかに連続関数の概念規定が書かれていて、しかもそこには「連続関数は微分可能である」というような文言が添えられていたりするのでしょうか。
 こんなことを考えてきたのですが、つい最近になって、この間の消息が見通せたように思いました。前回までのところで書き綴った通りですが、オイラーには非常に具体的な数学的企図があって関数概念を導入したのですが、コーシーの段階からオイラーの「何のために」は消失し、関数の究明それ自体が目的になりました。なぜ連続関数から始まるのかというと、オイラーの「連続曲線」に誘われてそうしたのでしょう。連続関数の微分可能性を考察するのはなぜかというと、関数はもともと微積分の対象として導入されたからです。連続性と微分可能性の関連に目が留まったのは、関数の究明それ自体に関心が移ったためで、ひとたび視点が移った以上、なるべく精密に観察しようという心が働いたのであろうと思います。
 関数の究明という方向が定まったなら、デデキントの実数論もその路線上におのずと出現しそうです。
 それで、ここにおいてがぜん問題になるのは、オイラーが数学に関数を導入したそもそもの動機です。

近代数学史の成立65 連続関数と微分可能性

関数の話を深めていくと、どうしても出所来歴の話に逢着します。これについてはこれまでも語ってきたことがありますが、公にされた場所ということであればやはりオイラーの『無限解析序説』(全2巻)を挙げなければならないところです。この本の巻1のテーマは関数の一般理論、巻2は曲線の理論にあてられていますが、オイラーが関数を導入した理由は巻2まで読み進んではじめて明らかになります。それは「曲線を理解するための新しい視点」を確保するためです。もう少し具体的に言うと、曲線を関数のグラフとして理解するためです。関数を先にして曲線を後にするというほどのアイデアですから、関数概念の一般性が高まれば高まるほど、曲線の範疇に入る図形の一般性の度合いが高まっていきます。曲線を関数のグラフと見るという流儀は今日の微積分ではごく普通のことになっていますが、この流儀の源泉はオイラーです。
 『無限解析序説』における関数は第一の関数、すなわち解析的な式ですが、オイラーは関数のグラフを指して「連続的な曲線」と呼んでいます。曲線の連続性ということに対し、オイラーは何かしら直観的なイメージをもっていたのかもしれませんが、それはそれとして、関数のグラフを連続曲線と呼ぶという文言を見る限りでは、何をもって連続性と称しているのか、判然としません。判然とはしませんが、とにかく「曲線の連続性」ということが語られているのはまちがいなく、おそらくこの状況がコーシーに影響を及ぼしたのではないかと、このごろ考えるようになりました。
 オイラーのアイデアを復習すると、関数から出発して、曲線は関数のグラフとして理解するというのが第一のポイント。そのうえで、関数のグラフとして描かれる曲線を指して連続曲線と呼んだのが第二のポイントです。連続性という言葉から連想されるオイラーの心情を忖度しつつ、この二つのポイントを組み合わせると、「連続曲線を生成する関数」というものが考えられそうです。コーシーはそんな関数を把握しようとして「連続関数」の概念を導入しようとしたのではないかというのが、最近思い至った考えです。
 それからもうひとつ。オイラーにとって関数は微積分の対象なのですから、微分不可能な関数というものははじめから念頭になかったと思います。この観念がコーシーに伝播すると、オイラーは「連続関数は微分可能」と考えていたという通説が成立しそうですが、これはまたなかなか複雑な状況です。

近代数学史の成立64 連続関数と連続曲線

連続関数は必ずしも微分可能ではないとは、今日では常識的な知識ですが、かつて連続関数はすべて微分可能と信じられていた時期があったという話もまた広く流布しています。では、連続関数はどこから出てきたのかというと、コーシーの『解析教程』あたりではないかと思います。
 コーシーの『解析教程』にははっきりと連続関数の概念が記されています。定義はどうかというと、「xがaに限りなく近づくとき、f(x)はf(a)に限りなく近づく」という感じですが、コーシーが考えているのはオイラーの第二の関数で、xは変化量ですから、勢いのおもむくところ、このような表現になります。オイラーの第二の関数それ自体は複数の変化量の相互依存関係を通じて規定されるもので、「xが変化するのに伴ってyが変化する」という状勢が認められるとき、yをxの関数と見るということになります。この定義自体は非常に幅が広く、連続性の観念もまた伴っていません。高い一般性を備えた定義から出発し、連続性、微分可能性と順次、関数の範疇をせばめていくという行き方は、今日の微積分のテキストにもそのまま踏襲されています。
「関数そのものを研究する」という方針であれば、風呂敷をなるべく大きく広げて、「一般的な関数」を設定するのが当然のように思えます。ではありますが、関数というものを数学に導入しようとしたオイラーの意図に立ち返ってみると、微分することのできない関数というのはそもそも微積分の対象にならないのですから、考える値打ちがありません。オイラーにとって、第三の関数もまた微積分の対象でした。この点についてはコーシーも同様です。
 コーシーは連続関数から始めましたが、コーシー以前はどうかというと、オイラーには連続関数という概念規定は見当たりません。連続「関数」は見当たりませんが、連続「曲線」ならあり、『無限解析序説』の巻2に出ています。

近代数学史の成立63 弦の振動と熱の伝播

フーリエはどうして「まったく任意の関数」などというものを考えたのでしょうか。これはこれで重要な論点ですが、オイラーに立ち返るとごく自然に諒解されます。オイラーが第三の関数を提案したのは、もともと弦の振動を記述する微分方程式の解法に関連してのことでした。オイラー、ダニエル・ダランベール(オイラーの師匠のヨハン・ベルヌーイの)、ベルヌーイ、ラグランジュなどが参加して議論をたたかわせたことはよく知られていて、リーマンも三角級数に関する有名な論文の序文で詳細に回想しています。
論争の焦点は弦の振動方程式の解を求めることでしたが、そもそもかいとは何かという根本的な論点もありました。ある時間における弦の形は曲線を生成しますから、時間とともに曲線が絶え間なく変形を続けていることになります。時間tの時点での曲線を描き、その上に点(x,y)を取れば、yはxとtの関数として認識されます。この場合の関数はオイラーの第三の関数を考えるほかはありません。なぜかといえば、なにしろ曲線が連続的に変形を続けているのですから、どんな曲線が描かれるのか、具体性のある言葉をもって規定することはもうできなくなってしまいます。それで勢いのおもむくところ、これ以上は考えられないほど完全に広い立場を採用することにして、「まったく任意の関数」とか「まったく任意の曲線」などを考えることになります。概念の及ぶ範囲を思い切り広く取り、その範疇において曲線を自由に振動させるという考えですが、こうなると関数や曲線の定義は単なる観念にすぎず、具体性は感じられません。
弦の振動方程式の解とは何かという論点の追及の中で、ダニエル・ベルヌーイはすでにフーリエ級数の形の解を提案しました。周期性のある関数の重ね合わせという卓抜なアイデアですが、振動現象の描写ということを念頭に置いて考えてみると、言われてみればいかにもありそうでもあります。オイラーの第三の関数とダニエル・ベルヌーイのアイデアを連結すると、「まったく任意の関数のフーリエ級数展開」ということの範型が、弦の振動の考察の場においてすでに表れていると言えそうです。
このような状勢を背景にしてフーリエが登場するのですが、フーリエは熱の伝播を弦の振動と同様の現象と見て、熱の伝導方程式を減の振動方程式の解法と同じ様式で解こうとしました。熱の伝播は弦の振動と同じと見たところに、フーリエの独創があります。

近代数学史の成立62 コーシーからディリクレへ

オイラーの第二の関数の微分と積分については、コーシーが『要論』において表明した提案があります。『要論』というのは『エコル・ポリテクニク無限小計算に関する講義の要約』という講義録のことで、1823年に刊行されました。『解析教程』の刊行が1821年、フーリエの「熱の解析的理論」の刊行は1822年。その翌年のことになります。この時期は実解析の歴史をたどるうえで重要な出来事が相次いで起こっています。
コーシーは『要論』で関数の微分と積分の定義を試みていますが、その様式は今日の定義と同じです。ただし、コーシーが取り上げた関数はオイラーの第二の関数ですから、xとyは変化量で、自発的に変化する量が考えられています。そのため、極限の概念を述べる際に、今日のイプシロン・デルタ論法のように不等式を用いて規定する必要はなく、「限りなく近づく」「際限なく近づく」という文言によって書かれています。また、一番はじめに連続関数の概念を据えて、積分の対象も連続関数に限定されています。
それで、オイラーの第三の関数の微分積分を考えるということになるとこれだけでは不十分なのですが、考え方というか、路線は同じです。コーシーが敷いた路線を延長していくと、今度はなにしろxやyが自発的に変化しないのですから、極限の概念については工夫が要請されます。そこにヴァイエルシュトラスやリーマンのアイデアがあって、イプシロン・デルタ論法がもちだされてきたという順序になります。本質はコーシーと同じですが、コーシーが書いた文言から「変化量が変化する」というところを抜いて描写するとおのずとイプシロン・デルタ論法になります。厳密にするためにそうしたのではなく、考える関数の概念が拡大したために表現様式に工夫が要請されたということです。
 極限の概念をイプシロン・デルタ論法に取り換えれば、関数の微分の概念はコーシーと同じ形になります。積分はどうかというと、ディリクレやリーマンは連続関数よりも一般性の高い有界関数を対象にして、コーシーと同じ様式で積分の定義を書きました。このあたりのことになるとフーリエはのんきというか、あまり興味がなかったようで、「まったく任意の曲線」を関数と思うことにして、その微分や積分を平然と書き下しています。ディリクレはコーシーのアイデアを借りてフーリエのしたことを補強したことになりますが、フーリエはフーリエで、そんなことはあたりまえくらいに考えていたのではないかと思います。

近代数学史の成立61 まったく任意の関数

こんなわけでフーリエは曲線それ自体を関数と見たのですが、どうしてそうしたのかというと、「xにyが対応する」というような文言を避けたためであろうと思います。「対応」ということに極端な抽象性を感じたのでしょう。それなら曲線のほうはどうかといえば、「まったく任意」というのですから抽象性の度合いにおいて「対応」に劣るとも優らずという感じがしますが、白紙にフリーハンドで曲線を描くというイメージには具体性がありますし、フーリエはそこに拠り所を求めたのではないかと思います。これでも悪くはありませんが、そうすると曲線そのものを微分したり曲線を積分したりすることになりますので、考へにくい感じは確かにあります。フーリエにしても、曲線のことを関数と呼んではいるものの、念頭にあったのはやはりオイラーの第三の関数だったのでしょう。
コーシーの『解析教程』に出ている関数はオイラーの第二の関数ですから、フーリエのいう「まったく任意の関数」の微分や積分を取り扱うにはまだ不十分です。そこでここのところでなお一歩を進めたのがディリクレでした。ディリクレはフーリエの後を受けて「まったく任意の関数」の概念を明確に打ち出しましたが、これはつまりオイラーの第三の関数にほかなりません。フーリエが曲線そのものから離れようとしなかったのに対し、ディリクレは関数に移行しました。関数が主、曲線は従。曲線は関数のグラフとして認識されますから、ここにおいてオイラーの本来のアイデアが前面に押し出されたことになります。xが有理数のときはy=1、xが無理数のときはy=0と定めると、ディリクレの立場から見ればこれもまた関数です。この関数はディリクレが提示しましたので、今日では「ディリクレの関数」と呼ばれています。
オイラーの第三の関数、すなわちディリクレの「まったく任意の関数」ではxにyが対応するというだけで、xとyはもはや変化量ではありません。それでもなおyはxの関数なのですが、そのような関数を微分したり積分したりするにはどうしたらよいのでしょうか。

近代数学史の成立60 まったく任意の曲線

フーリエのいう「まったく任意の関数」の実体は「まったく任意の曲線」です。関数が曲線とは何のことかわかりにくい感じがありますが、「まったく任意の関数」と「まったく任意の曲線」は実質的に見て同じものです。オイラーの目にそう映じていたのはまちがいなく、フーリエはオイラーを踏襲したと見てさしつかえないと思います。ここで、「まったく任意の関数」というのはオイラーの第三の関数を指しています。
関数と曲線の関係をもう少し具体的に観察するために、白紙に曲線Cを描き、それから同じ白紙の上に一本の直線Lを引いてみます。直線Lの上の任意の位置に点Aを定め、これを始点と名付けます。始点から見て直線の向きが二通り定まりますから、一方を正の向き、もう一方を負の向きと呼びます。始点から直線上の点までの距離を測るのに、その点が正方向に位置すれば距離を正に取り、負方向に位置すれば距離を負に取ることにします。曲線L上の点Pから直線Cに向かって推薦を降ろし、その足、すなわち直線Lとの交点をMとします。始点AからMまでの距離をx、垂線PMの距離をyで表します。ここで、点Pの位置が直線Lの上下のどちらに位置するのかに応じて、yを正または負に取ることにします。これでxとyの対応が定まり、yをxの関数と見ることができるようになります。この関数はオイラーの第三の関数です。
 関数と曲線の対応関係の大筋はこんなふうですが、素朴で基本的な問題がいくつか現れています。まず第一に、「まったく任意の曲線」とは何か、という問題です。曲線といえば、古いギリシア時代でしたらアルキメデスの螺旋とか、ディオクレスのシソイド、ニコメデスのコンコイド、アポロニウッスの円錐曲線など、深く究明された曲線がありますし、近代のヨーロッパに移ってからもデカルトの葉やサイクロイドなど、枚挙にいとまがありません。それで曲線に対するイメージは広く共有されていたと思いますが、フーリエが提示した曲線は「まったく任意」「完全に任意」とのこと。いったいどのような図形が考えられているのでしょうか。
 この問いに対して論理的な答はないとしても、フーリエは曲線というものの素朴な観念はもっていて、それはそれで明晰なイメージが伴いますから、フーリエに不安はなかったと思います。白紙の上にフリーハンドで好き勝手に鉛筆を走らせれば図形が描かれますが、それがつまり「まったく任意の曲線」ですから、イメージは明確です。ただっし、言葉をもってその図形を「定義する」ことはできません。
 曲線と関数の案系をめぐる第二の素朴な問題は関数の多価性に関するものです。上記のように白紙に曲線を描けば関数が定まりますが、曲線のほうは「まったく任意」なのですから、xに対応するyはひとつとは限らず、無限に多く存在することさえあります。フーリエのねらいは関数をフーリエ級数に展開することにあり、フーリエ級数が定める関数は多価ではありえませんから、曲線のほうも実は「まったく任意」ではありえず、必然的に限定されます。フーリエはこの限定を当然の前提にしていたと思われますが、そこのところを言葉で表記すると「一価関数」の概念が手に入ります。これを実行したのがディリクレでした。

第3回九州数学史シンポジウムのお知らせ

2月12日(火)から15日(金)まで、九州大学において第3回目の数学史シンポジウムが開催されます。

 第3回九州数学史シンポジウム
 2月12日(火)~15日(金)(最終日は午前中のみ)
 伊都ゲストハウス(九州大学伊都キャンパス内)
 
19個の講演が行われます。1月24日現在、招聘予定者は41名を数えます。大盛況を期待しています。

近代数学史の成立59 一価関数の微積分

あれこれと話が飛んで、だんだんまとまりのつかない状況になってきましたが、近代の数学そのものが複雑で多彩なのですから仕方のないことでもあります。微積分というか、もっと広く解析学の形成史ということを考えてみると、やはりオイラーの出現が一段と重い意味を帯びています。解析学におけるオイラーのアイデアの根幹を作っているのは「関数」で、関数概念の導入のいう一事において後世に大きな影響を及ぼしました。それで考えなければならないことは二つあります。ひとつは「オイラーが関数概念を導入した理由」、もうひとつは「関数概念の導入が後世に及ぼした影響の諸相」です。前者については後回しにすることにして、このところ書き綴ってきたのは後者に関連する事柄ばかりです。イプシロン・デルタ論法もデデキントの実数論も、すべてはオイラーによる関数の導入に由来すると主張したいのですが、そのプロセスを厳密化というふうに単線的に見るのではなく、変容というか、パノラマというか、オイラーの関数がいろいろな衣裳をまとって立ち現れて、姿を変えて幾重にも重なり合って同時に存在している光景を想像してみたいと思います。
 オイラー自身には関数を導入した理由がありますが、コーシーあたりになると提案者のオイラーの数学的企図とは無関係に、「関数を対象とする微積分」の構築が自己目的になったような感じがあります。コーシーのすぐ次にディリクレが出て、関数に一価性を課すことを提案しました。今日まで踏襲されているのはこれで、その実体は「一価性を備えたオイラーの第三の関数」です。オイラーが提案した三つの関数のうちで、一番一般的なものが採用されたのですが、その背景にはフーリエの理論が控えています。フーリエの長編「熱の解析的理論」が出たのは1822年ですが、その前年にはコーシーの『解析教程』が出ています。フーリエの理論には「まったく任意の関数」というものが登場し、それはつねに、ということはつまり何の条件も課さずに、フーリエ級数に展開可能であるとフーリエは主張して、証明まで試みています。ここでフーリエのいう「まったく任意の関数」とは何かというと、「任意に描かれた曲線」のことで、オイラーの第三の関数と同じものです。
 同じものと言いましたが、急いで言い添えると、曲線と関数の関係に踏み込んでいくと「オイラーが関数を導入した理由」を語ることになり、また話がずれてしまいますので、いったんもとに戻りたいと思います。
 コーシーが『解析教程』で提案した関数はオイラーの第二の関数でした。フーリエを経てディリクレにいたり、オイラーの第三の関数が前面に押し出されてきました。しかもそこには「一価性」という条件が課されています。この「一価関数」を相手にして微積分を展開しようというのです。ようやくここまで話が進みました。

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オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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