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「微積分精選難問集」の補遺について

先日、「微積分難問集」という仮の書名をつけて一冊の問題集を編纂しましたが、その内容は
   問題58題
   図72個
   増減表9個
というものでした。問題集と名乗るには問題数が少なすぎるような感じがありますが、出版社と相談して、少し増やすことになりました。増補分は、
   問題13題
   図17個
   増減表2個
です。これで、合わせて
   問題71題
   図89個
   増減表11個
となりました。
 問題を並べただけの本ではなく、むずかしいけれどもおもしろい問題を配列し、独自の解説を附したところに特徴があります。「読める問題集」という感じです。それで、書名に問題集と明記するのではなく、何かしら本のねらいに相応しい書名を考えているところです。
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近代数学史の成立42 関数概念のねらいとは

関数から曲線へと向かうのは今日の微積分の流儀ですが、曲線の考察は微積分がはじまる前からすでに行われていましたし、そのうえ関数の概念が提案されたのは微積分が誕生してからさらに半世紀の後のことでした。この経緯についてはこれまでに何度も言及した通りですが、こんなふうに歴史を顧みると、今日の微積分の理論構成は歴史の流れとちょうど正反対の方向に向かっていることがわかります。
 関数概念を導入したオイラーのねらいは何かということは基本的な論点で、長い間、釈然としなかったのですが、『無限解析序説』の巻2を一読して氷解しました。オイラーは曲線というものを「関数のグラフ」として把握したかったのです。オイラー自身がそのようにはっきりと述べていることですし、明白な事実ですが、それなら今日の微積分の取り扱い方と同じです。関数から出発するというオイラーのアイデアは今日にいたるまで生き続けていることになります。
 さらに歩を進めて、オイラーはどうして曲線を関数のグラフとして把握したかったのだろうという疑問が生まれますが、この問いは「変分法」の誕生に関連があります。ここを追及していくと変分法の形成史を語ることになり、話が拡散しすぎてしまいますので、ここではこれ以上は立ち入らないことにしますが、取り急ぎ二つの事柄を強調しておきたいと思います。ひとつは、
1 オイラーの数学的企図は変分法にあったこと、
です。もうひとつは、
2 その企図を実現するために曲線を関数のグラフとして把握するというアイデアを提案したこと
です。オイラーにとって、関数概念はあくまでも変分法の理論を構築するためのアイデアでした。これに対し、今日の微積分では関数は微積分の対象として先天的に提示される概念であり、自己目的になっているというか、「何のために」という問いはそもそも成立しません。関数から出発するというところはオイラーも今日の微積分も同じですが、「何のために」の有無という一点において根本的に食い違っています。

近代数学史の成立41 関数と曲線

関数の概念を提示して、関数を微分し、関数を積分するというアイデアが提案された以上、その意味を確定しなければなりません。すべては微積分の領域内でのことですから、微分と積分は前提中の前提です。関数概念をどのように規定したらよいのかというのが第一の問題ですが、その関数ははじめから微分の積分の対象として考えられていることに留意しておきたいと思います。ここはあたりまえのようにも思えますが、案外気づきにくいところで、今日の微積分のテキストなどでは主役は微積分ではなくて関数そのものであるかのような印象があります。関数というものが先天的に存在して、その諸性質を調べるのに微積分が援用されるという印象を受けるのですが、オイラーの行き方と比べると、進行方向がちょうど正反対になっています。
 今日の微積分の主役はどこまでも関数で、それはそれでまちがいのないことですし、この点はオイラーと同じです。関数の概念規定から出発するところもオイラーと同じですが、ここはオイラーの影響が今日に及んでいると見るべきであろうと思います。今日の微積分では関数の表現様式は非常に一般的ですが、その本性は「(一価性を備えた)対応」ですから、オイラーの第三の関数と同じです。何から何まで酷似していて、相違するところは何もないかのように見えるのですが、ただひとつ、もっとも根本的なところが食い違っています。すなわち、双方の数学的企図は何かというところに焦点を当ててみると、重なり合うところが何もありません。
 オイラーが関数概念を導入した理由は『無限解析序説』にはっきりと書かれています。この書物は全2巻で編成されていて、巻1のテーマは関数の理論ですが、巻2の内容は解析幾何学です。解析幾何学というのはつまり「曲線の理論」です。無限解析、すなわち微積分への序説と名づけられた作品の中味が、関数と曲線の理論であるというのは、いかなることを意味しているのでしょうか。これではまるで微積分の実体は曲線の理論であるかのような印象がありますが、オイラー以前の微積分は曲線の理論そのものでした。曲線について知りたいという欲求がこうじたあげくに生まれたのが、無限解析という名の微積分だったのであり、その間の消息は数学史上初の微積分のテキストであるロピタルの著作の書名にはっきりと刻まれています。ロピタルの著作は『曲線の理解のための無限小解析』というのですが、ここには微積分のねらいが「曲線を理解すること」であったことが端的に語られています。
 それなら曲線とは何でしょうか。今日の微積分では関数を基礎にして曲線が定義されています。曲線の区分けもまた関数の性質に依拠して行われ、曲線を定義するのに使われる関数が連続なら連続曲線、微分可能なら可微分曲線というふうに呼ばれます。どこまでも関数を究明するというのが今日の微積分の方針ですが、この姿勢は曲線の理解にまで及んでいることがわかります。

近代数学史の成立40 概念を定義するということ

今日の関数概念の淵源はオイラーで、しかもオイラーは三種類もの異なる仕方で関数概念を表明しました。何事かをとらえようとする試みですが、数学における「定義」、すなわち概念規定というのはもともとこのようなものでした。オイラーがつかまえようとしたものは何かというのは本質的な論点ですが、当面の考察において肝心なのは、オイラーの関数は微分と積分の対象だったという事実です。微積分の領域において発生した要請に応えようとしたのですから、微分も積分もできない関数をわざわざ導入するのは無意味ですし、当然といえば当然、あたりまえのことです。ところが、まさしくそこに新たな問題が発生します。というのは、真っ先に関数の概念を規定すると、その関数の微分や積分は可能なのかどうか、わからないからです。
 解析的な式という意味での関数でしたら、式の形が既知の関数の組み合わせになっている場合には微分積分は可能です。解析的な式の範疇はどこまで広がるのか不明瞭ですが、オイラーの念頭にあったのは、「微分と積分の可能性が維持される範囲」というほどの、やや茫漠とした世界だったのではないかと思います。どこまで広がっているのか、境界を明示するのは不可能なのではないかと思いますが、オイラーが第二、第三の関数を提案したのも、そのあたりに不満があったからではないかと、このごろ考えるようになりました。
第二、第三の関数でしたら漠然とした印象はありませんが、今度はそのような関数の微分と積分を考えることが困難になります。変化量xの変化に応じてもうひとつの変化量yが変化するというとき(第二の関数)、あるいはまたxに対してyが対応するというとき(第三の関数)、関数yの微分とはいかなることを意味するのでしょうか。ここにおいて解析学の根本問題に遭遇しますが、どうしてこんなことになるのかというと、関数の概念規定から出発しようとしたからです。定義を始点にすると状況は確かに明瞭になりますが、「定義を表明したこと」それ自体に起因して、新たな諸問題が発生します。このような状況は今日の数学でも日常的に見られます。

「虹の章」の刊行に向けて(2) 仮名遣いと漢字の字体

少々思うところがあって、「虹の章」は歴史的仮名遣いと漢字の正字体で表記することにしました。そうしたいと思うにいたった理由はもちろんあるのですが、それとはまた別に、仮名遣いと漢字の字体のことで具体的に悩まされた出来事もありました。それは戦前の古い手紙を紹介しようとしたときのことなのですが、昔のことですから歴史的仮名遣いで書かれているとはいうものの、間違えていることがときどきあります。手紙は万人の目に触れるものではありませんから、少しくらい文法が間違えてもさしつかえないのですが、これを引用して紹介するときにはどうしたらよいのでしょうか。考えられるのは次に挙げる三通りの対応です。

1 原文の通りにそのまま書き写す。
2 すべて現代仮名遣いにあらためて引用する。
3 すべて歴史的仮名遣いにあらためて引用する。

第一案が妥当のように思えますし、はじめはそうしていたのですが、では明白な誤記はどうしたらよいのでしょうか。明らかに間違えているなら訂正して紹介するほうがよさそうですが、仮名遣いが入り混じっていたらどうしたものか、だいぶ悩みました。昔は現代仮名遣いは存在しなかったのですから、文法の誤りは歴史的仮名遣いに直すのがよいと考えられますが、現代仮名遣いができて普及した今日なら、現代仮名遣いに統一するのがよさそうにも思えます。この点の判断に迷い、大きな悩みが生じました。
 漢字の字体についても同じ悩みが生じました。手紙のことですから正字体の漢字を書かなければならないということはなく、適当に略していたのですが、それはあくまでも手書きの手紙においてのことで、活字の世界では正字体が使われていました。では、正字体と略字体が入り混じっている手紙を引用する際には、どうしたらよいのでしょうか。

1 原文をそのまま引用する。
2 すべて正字体にあらためて引用する。
3 すべて今日の常用漢字の字体にあらためて引用する。

これも難問で、方針が立つまでずいぶん悩みました。

近代数学史の成立39  関数の微分可能性

関数と変化量の関係についてもう少々。オイラーのいう解析的な式というのは「変化量と定量を用いて組み立てられた式」のことで、オイラー自身がそんなふうに言っています。変化量とは何かというと、「あらゆる数値を裡に含んでいる量」のことですが、含まれている数値が一個しかなければ、その変化量は定量と呼ばれることになります。それならそもそも量とは何かとか、数は何かという素朴な疑問が起こりますが、このあたりになると何となく日常的な感受性に根拠を求めているような感じがあります。量や数の正体はいったい何なのか、突き詰めていくと究極の素朴な問いに出会いますが、このあたりになると答えはあるようでもあり、ないようでもあり、ことさらにあるかないかを論じなくても存在するのがあたりまえのような状態になります。量や数の定義がなくても量や数は存在するような気がします。どこにどのように存在するのかわかりませんし、だれも教えてくれませんが、存在するに違いないという確信めいた思いはごく自然にこの手にあります。そんな思いが共有されている場においてはじめて、数学という学問は成立するのではないかと思います。
 閑話休題。というわけで、オイラーのいう解析的式というのはそれ自体がまたひとつの変化量ですから、オイラーは手持ちの変化量から新たな変化量を創り出すシステムに名前をつけて「関数」と呼んだのではないかという想像にかられます。そんな関数の微分はどうなるのかというと、微分の形が判明している変化量を元手にして解析的な式を作る場合、作り方に応じて次々と微分計算の守備範囲が広がっていきます。どこまで広がるのかわかりませんが、オイラーの時代に知られていたさまざまな曲線に接線を引いたりするには十分すぎるほどの広がりがあります。三角関数、指数関数、対数関数と、それらを素材にして組み立てられた式を考えていくと、よほど突飛な形の式ではない限り、それらの微分計算はいつでも可能です。ところが、問題はその「突飛な形の式」のところにあります。
 関数概念の姿形に焦点をあてることにして、出所来歴の解明はここでは避けますが、オイラーは「解析的な式」という関数を超えて、第二、第三の関数概念を提案しました。二つの変化量xとyがあり、xの変化がyの変化を束縛するとき、言い換えるとxが変化するのに応じてyが変化するという状勢が認められるとき、yをxの関数と呼ぶことにしようというのが、オイラーの第二の関数です。では、この意味での関数の微分を計算煤にはどうしたらよいのでしょうか。言い換えると、dxとdyの関係を見い出すにはどうしたらよいのでしょうか。
 オイラーの第三の関数に移ると、変化量xの取る数値に対して、もうひとつの変化量yの取る数値が対応するという「対応の規則」だけが着目されているのですから、もはや変化量という言葉さえ無意味になってしまいます。では、この場合、微分計算を遂行してdxとdyの関係を認識するにはどうしたらよいのでしょうか。あるいはまた、その前に、このような関数に対しても微分計算を適用することはそもそも可能なのでしょうか。解析的な式の場合に比べると、状況はあまりにも茫漠としています。

近代数学史の成立38 関数のある微積分と関数のない微積分

関数の概念は微積分のはじまりのころから存在していたかのようでもありますが、さにあらず。関数概念はオイラーのアイデアによるもので、「解析的な式」という、一番はじめの関数概念が表明されたのは1748年のことで、この年に刊行された『無限解析序説』(全2巻)の巻1の冒頭に書かれています。他の二つの関数概念もこの時期に出現しました。オイラーは関数概念を基礎にして解析学の再編成を試みたのですが、今日の微積分でいう関数はオイラー以前には存在しなかったことにくれぐれも留意したいと思います。
 オイラーはどうして関数概念を導入したのかという論点の考察は後回しにして、無限級数の話をもう少し続けると、今日の微積分で関数をテイラー級数に展開するのは関数の局所的な性質を詳しく観察するためでした。無限に多くの項が続いていく無限級数は、有限個の項が配列されているだけの多項式とは異なりますが、形はよく似ています。少なくとも任意に与えられた関数それ自体よりは具体性がそなわっているような感じがありますし、実際にテイラー級数の観察を通じて関数のいろいろな性質が判明します。ただし、それらの性質はいわゆる局所的性質です。
 関数の局所的性質の探索を可能にしてくれるところにテイラー級数展開の意義が認められますが、もう少し言い添えますと、収束半径なども知りたいところです。それには「コーシーとアダマールの公式」や「ダランベールの公式」などを使います。
 以上の話はあくまでも関数概念から出発するとこんなふうになるという状況の説明ですが、これならむずかしいところはどこにもありません。なんだかだまされたような感じさえするのですが、真の困難は実は関数概念それ自体に宿っています。関数の微分や積分といっても、オイラーの第一の関数、すなわち「解析的な式」であれば、個別に計算することによって相当に広範囲にわたって対応可能です。たとえばsin x, cos x, tan xのような三角関数や、指数関数e^x、対数関数log xなどは、どれもみなテイラー級数に展開可能ですし、しかもオイラーはそれらの展開式を微分計算を用いずに導出しています。その様子は『無限解析序説』の巻1に詳述されています。
 個々の解析的式なら微分法を使わなくてもテイラー級数に展開できますし、もしかしたらオイラーはテイラー級数に展開可能な式を念頭に置いて「解析的な式」と呼んでいるのかもしれません。
 今日の用語法を流用して三角関数、指数関数、対数関数などと書きましたが、オイラーの認識ではこれらはあくまでも変化量です。個々の変化量の微分は各々の特性に沿って個別に計算することができて、
     d(sin x)=cos xdx
     d(cos x)=-sin xdx
     d(tan x)=dx/cos^2 x
     d(e^x)=e^x dx
     d(log x)=dx/x
という式が次々と導出されます。今日の微分法なら、
     d(sin x)/dx=cos x
     d(cos x)/dx=-sin x
     d(tan x)/dx=1/cos^2 x
     d(e^x)/dx=e^x
     d(log x)/dx=1/x
と書くところです。

近代数学史の成立37 テイラー級数とフーリエ級数

出発点に立ち返って、そもそもなぜ無限級数というものを考えるのかということを考えてみたいと思います。今日の微積分は関数から出発しますから、関数の無限級数展開が問題になります。まずはじめに関数の概念が提示され(それがどこから来るのかは語られません)、次に関数の無限級数展開のアイデアが表明され、その可能性が論じられるという順序になります。それなら無限級数展開というときの無限級数というのは何を指すのかというと、まず念頭に浮かぶのはテイラー級数、それからマクローリン級数です。この二つはつまり冪級数ですから実体は同じです。もうひとつの無限級数はフーリエ級数です。
 今日の微積分のテキストでは、まずはじめに関数が登場し、続いて関数の無限級数展開の可能性が語られるという順序になっています。テイラー展開の場合でしたら、係数は高階導関数の値により指定されますから、前もって関数の微分可能性を論じておく必要があります。無限回微分可能、すなわち何回でも自由に微分できる関数であればテイラー展開の形の無限級数を設定することができますが、その級数は収束するのかどうか、さらにまた、収束するとしても、収束していく先はもともと与えられた関数になっているのかどうか、あるいはまた収束する範囲はどうか等々、検討しなければならない細かい論点が次々に出てきます。実際のところ、これらの段階のひとつひとつに条件が課されますので、対応して判例を提示することも要請されます。具体的に言うと、「無限回微分可能ではあるが、形式的に設定したテイラー級数が収束しない事例」「収束はするが、その極限は与えられた関数とは異なっている事例」などが挙げられて、この間の消息を理解するうえで有効な役割を果たします。
 理論展開の流れはおおそよこんなふうで、どの段階も非常に明晰で疑問の余地はなく、諸例もよく考えられています。ではありますが、ただひとつ、あまりにもたいくつです。
 この話に限ったことではないのですが、今日の数学の理論展開は明晰判明な定義から出発し、易から難へと一歩ずつ進んでいきますから、どこにもむずかしいところはなくすらすらと先に進みます。先に進めば眼前の風景は広がっていきますし、理解は深まっていくように思うのですが、それにもかかわらずたいくつです。それでだんだん先に進む意欲が減退しがちになるのですが、この状況を指して数学のむずかしさということが言われるのではないかと思います。今日の数学はやさしいけれどもたいくつです。

近代数学史の成立36 厳密化と一般化

コーシーとデデキントの話からコーシー以前の微積分の話になって曲線の話題に転じ、さらに無限級数の収束性の話になりました。持ち出される話題のあれこれがばらばらですが、テーマは同じで、「厳密ではない数学から厳密な数学に変わった」という通説を検討し、疑問を表明したいという考えは一貫しています。微積分が誕生した当初は「無限少量」のような定義のあいまいな概念が根幹にあったとか、収束性ということに無頓着に無限級数を取り扱っていて、そのためにしばしば間違えたというような批判はしばしば耳にするところです。
 オイラーは計算の達人だったが、厳密性において欠けるところがあったなどと言われることもあります。厳密性に欠けるというのは、諸概念を規定する明確な言葉が欠けているというほどの意味であろうと思います。たとえばオイラーが定義した関数概念のひとつは「解析的な式」ですが、肝心の「解析的な式」の定義はありませんので、どのようなものを指して関数と呼んでいるのか、たしかにはっきりしません。いくつかの例が挙げられていますので、おおよそこのようなものかと想像されるばかりですが、そんな状態を指してオイラーの曖昧さと呼んでいるのではないかと思います。ではありますが、たとえ明晰判明な言葉で語られていないとしても、オイラー自身が「解析的な式」のいかなるものかをはっきりと認識しているなら、言い換えますと、オイラー自身は曖昧さを感じていないとするならば、それはそれで明確なのであり、曖昧とは言えないのではないかと思いますし、間違えたりすることもありえません。
 曖昧な理論に反省が加えられてだんだん厳密になるというのはいかにもありそうなことですが、はたしてそうなのだろうかと疑問を感じます。微積分を創始したライプニッツやベルヌーイ兄弟の思索は曖昧だったのでしょうか。無限小量という概念はあいまいなような感じもたしかにありますが、それはコーシーとデデキント以降の世界に生きる目にそのように映じるだけで、微積分の創始者たちにとっては曖昧ではなかったとは考えられないでしょうか。
 バーゼルの問題を解決して平方数の逆数の総和を正しく算出することに成功したオイラーに曖昧さはありませんが、他方、コーシーが試みた微積分の取り扱い方が無意味とも思えません。曖昧さが解消されて厳密になったというのではなく、何かしらまったく別の変化が生じたと考えるべきなのではないかと思います。無限級数の場合でいうと、コーシーは別にオイラーを批判したわけではなく、コーシーにはコーシーに独自の理由があって、収束性の概念規定を試みなければならなかったのであろうと考えたいところです。コーシーが直面したのは「曖昧な理論」ではなく、「一般化への欲求」です。曖昧な理論を厳密化したかったのではなく、微積分の対象を大きく広げようとするところにコーシーの数学的意図がありました。しかもそれはオイラーが指し示した方向でもありました。

「虹の章」の刊行に向けて (1)

岡潔先生の評伝執筆の企画が始まったのは平成7年の秋のことで、たしか11月に入っていました。翌平成8年2月はじめからフィールドワークを始めたのですが、「虹の章」のことは当初から念頭にありました。内容は岡先生の晩年の交友録ですが、晩年を描くためには晩年にいたるまでの軌跡を再現しなければならない道理です。それでまず「星の章」と「花の章」を書きました。
 「星」が刊行されたのは平成15年7月ですが、翌年4月になって「花」が出版されました。この2冊に続いてすぐに「虹」を出す考えで、原稿も相当に揃えていたのですが、諸事情が順調に運ばず、のびのびになってしまい、今日にいたりました。それが、ここにきてようやく刊行の見通しになり、医学評論社のホームページに近刊予告が掲載されました。

   発行:みみずく舎
   発売:医学評論社
   http://www.igakuhyoronsha.co.jp/default.asp

みみずく舎というのは医学評論社内の理工学書籍担当部門です。来年2月刊行と予告されています。

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プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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