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近代数学史の成立26 複素対数と解析接続

 正弦、余弦、正接などの三角関数や指数関数、それに対数関数は初等超越関数と総称されることがあります。微積分では実変数の関数として導入されますが、複素関数論では、これらの関数の変数の変域を複素変数に拡大することも重要な話題です。三角関数と指数関数は実変数の関数としてもすでに解析的ですし、しかも特異点をもちませんから、いたるところで収束する無限級数に展開可能です。そこでその無限級数において実変数 x を複素変数 z に置き換えれば、ただそれだけで即座に複素平面の全域で収束する無限級数ができあがります。それらの無限級数は三角関数と指数関数の複素数域への解析接続にほかなりません。
このあたりの状勢は平明ですが、格段にむずかしいのは複素変数の対数関数、すなわち複素対数ですが、これには無限多価性という、オイラーの発見が伴っていますから、その現象の根源を明らかにすることが課題になります。複素関数論は解析接続のアイデアをもってこの課題に応えようとするのですが、問題はその応え方です。今日の複素関数論のテキストを参照すると、ひとつの例外もなくいきなり「複素変数の対数関数を考えることができる」と宣言し、実解析関数を複素平面上に解析接続する道筋が叙述されていきます。解析接続という考え方そのものにも理解するうえでの困難がひそんでいるのですが、それはひとまず措くとして、示される道筋それ自体は別にむずかしいことはなく、説明に追随していけばおのずと対数関数の無限多価性の認識に到達します。ではありますが、それで諒解されるのは「複素対数を考えることにするとこのようになる」という状況のみで、そもそも「なぜ複素対数を考えるのか」という根本の説明がありません。「わかってもわからない」という不思議な心情に襲われるのはそのためです。
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近代数学史の成立25 複素関数論をもう少し

 このところ複素関数論の話が続いていますが、当初はそんなつもりはなく、「おもしろい数学」と「おもしろくない数学」を語るためのエピソードのひとつを採取しようとしただけでした。複素関数論から一例を取り、他のあれこれの分野からも例を拾っていく考えだったのですが、なぜかしらなかなか離れられない状況になってしまいました。
 それで、この際、もう少し続けると、複素関数論は非常に奥行きが広く、解析関数の諸性質を明らかにする個別の命題や、まとまりのある大きな一般理論が軒を連ねています。たびたび言及したネヴァンリンナの値分布論やアールフォルスの被覆面の理論などは後者の例で、だれしも一度は心を惹かれたことがあるのではないかと思います。他方、入口のあたりは実に平明で、解析関数の定義から始まって「コーシーの定理」に進み、以下、どこまでもさらさらと話が進みます。あんまり平明すぎて、かえってなんだかつかみどころのない印象さえあるほどですが、そんなあれこれも奥の院の難解な諸命題や諸理論も、どれもみな関数の「解析性」の発露ですので、「解析性の定義」の中にすべてが内包されているという感じを受けるのですが、実際にその通りです。
 きれいに整えられているので論理を追うのは容易ですが、「解析性」がさまざまに姿を変えて現れるばかりで、それならそもそもどうして解析性に着目するのかという、根本のところはまったくわかりません。解析関数の概念をこのように定義するとこんなふうになるとは諒解されても、どうしてそんなことを調べるのかが不明です。そこに大きなわだかまりがあり、いつまでも消えませんので、「おもしろくない」という感じが残ります。この素朴な疑問はどうしたら消えるのでしょうか。

近代数学史の成立24 定義を探索する数学

「数学的世界はすべて諸定義の裡にある」という考えは、実はつい最近思い当たったことなのですが、なんだかいいところに気づいたような気がしてとてもうれしかったです。小なりといえども、これはこれで数学的発見のような気分でした。どのような発見なのかということを繰り返しますと、数学は発見される学問なのか、それとも創造される学問なのかという素朴な疑問が当初からあり、ずいぶん長い間考えあぐねていたのですが、両者の判別が明確に認識できるようなったように思います。
「数学は発見される」という考えはわりと普遍的に共有されていると思いますが、この考えはどうもおもしろくないと、昔から思っていました。これを言い換えると、「発見される数学はつまらない」と思っていたということですが、どうしてそんなふうに思ったのかというと、この考えの前提には、発見されてもされなくても存在している数学的真理がどこかにあって、だれかが発見するのを待っているという観念があり、そのために「だれが発見しても同じだ」という感じがしたからです。フェルマの大定理やリーマンの予想やポアンカレの予想など、数学には有名な難問がいくつかありますが、どんなにむずかいとしても、解けるか解けないかのどちらかであることは決まっています。それで、だれが一番先に解くかという競争が起ることもありますが、「だれが解いても同じ」というところがつまりおもしろくありませんでした。
 これに対し、「数学は創造される」という考えも成り立ちそうに思いました。もしそうなら数学は人を選ぶことになり、「その人でなければできない数学」というものがありえますが、それなら数学は芸術と同じです。芸術ならば、創る人と感知する人の間に感情の交流が起ることがありますし、もし強く共鳴し、共感する作品に接したなら、それがつまり「真におもしろい数学」なのではないかと思います。
 「発見される数学」は確かにありますが、どうしてありうるのかというところに、もうひとつ理解が及びませんでした。そこに合点がいったというのがこのたびの「発見」です。定義を決めて、論証のルールも決めておけば、数学はゲームになります。論理的に考えてみれば、定義に内包されない真理があるはずがなく、だれが見つけても同じです。
 話があまり観念的になってもつまりませんので、具体例を挙げてみたいと思いますが、複素関数論の「コーシーの定理」はどうでしょうか。今日の関数論のテキストでは、解析関数の定義から出発してさらさらと「コーシーの定理」を導いていきますが、かんたんなことですし、すぐにわかります。ですが、それだけのことであり、別におもしろくないことは既述の通りです。他方、コーシー自身の立場に立ち返ってみると、光景は一変します。コーシーには解析関数の定義がなく、定義から出発したのではないからですが、ではどこから出発したのだろうという疑問が発生します。このような論点はなかなか明確にならないのですが、定義から出発しない数学が存在するのもまちがいありません。
今日ではたいていの場合、定義のない数学は厳密性を欠いていると評されます。

近代数学史の成立23 定義から始まる数学

 数学を「発見される数学」と「創造される数学」に分けて考えてみるとき、ネヴァンリンナの値分布論やアールフォルスの被覆面の理論はどちらなのでしょうか。これらの理論では解析関数の概念が前提にされていて、そのような関数の諸性質の探究という道筋の途次、ネヴァンリンナとアールフォルスの目に映じたのですから、だれかしら他の人々の目にも同じ光景が見えるということは十分にありえます。それで、これらの理論は「発見された数学」の範疇に属すると見てよいのではないかと思います。出発点に解析関数の定義が配置されている以上、それだけですでに世界の全体は定まっているわけですし、その世界の内部では「普遍的真理」という観念が意味をもちうることになりそうですし、それならそれらの真理はだれかに発見されるのを待っているのですから、「数学は発見される」という文言が真実味を帯びてきます。
 これに関連してふと思い出されるのは、ユークリッドの著作とされる古いギリシアの数学書『原論』です。この書物は今日のいわゆる初等幾何が大半を占めていますので、『幾何学原論』と呼ばれることも多いのですが、実際には「数の理論」なども記されています。それはさておき『原論』の初等幾何がどのように構成されているのかというと、冒頭に「23個の定義」「5個の公準(要請)」「9個の公理(共通概念)」が配置され、引き続く本文ではこれらのみを足場にして、その上にさまざまな命題が構築されていきます。簡単な論理が重なっているだけですから、道行きは難路ではありません。ではありますが、真に驚くべきなのは「そのように世界を構成する」という姿勢です。
ユークリッドの『原論』に見られる数学の構成法は今も生きていると思います。もう少しほかの事例を取り上げて考察の範囲を広げていかないと論旨に説得力が伴ってきませんが、一般的に言って、「定義を前提にして構成される数学は発見される数学である」ということは言えそうに思います。

近代数学史の成立22 発見と創造

 オイラーとコーシーが源泉を作り、リーマンとヴァイエルシュトラスが原型を構築した複素関数論は、その後も大きく成長し、ネヴァンリンナの値分布論(あたいぶんぷろん)とか、アールフォルスの被覆面の理論など、さまざまな果実に結実しました。ネヴァンリンナとアールフォルスはどちらもフィンランドの数学者で、たしかヘルシンキ大学でネヴァンリンナがアールフォルスの先生だったという関係のように思います。アールフォルスは”Complex Analysis”という、今も広く読まれている定番中の定番のテキストの著者でもあります。邦訳書『複素解析』も出ています。
 日本で明治維新が成立して東京に大学ができましたが、数学の教授は当初はひとりだけで、菊地大麓という人でした。二番目の数学教授は藤沢利喜太郎、三番目が高木先生ですが、二番目の藤沢利喜太郎は19世紀の後半期にドイツで数学を学びました。ヴァイエルシュトラスの講義も聴講したことがあります。当時のドイツではヨーロッパの数学研究の中心地で、複素関数論の研究も大きく推し進められていました。帰国後、藤澤は大学で講義を始めたのですが、ドイツから持ち帰った諸理論の中でも複素関数論は花形中の花形でした。楕円関数論も大きなテーマでしたが、楕円関数論の講義の仕方に二通りあり、まずはじめに複素関数論に依拠しないやり方で講義が行われ、次に、今度は複素関数論に基づいた講義をするというふうでした。この講義様式は楕円関数論の理論的発展の流れに沿っています。
 値分布論や被覆面の理論は解析関数の世界に成立するおもしろいエピソードのあれこれの中でも出色の理論と思いますが、大前提になっているのは「解析関数の概念」です。リーマンとヴァイエルシュトラスにより解析関数の概念が提案されたのを受けて、その概念規定の枠の中で、解析関数の諸性質を探究するという方向に向かい、興味のある諸事実にあちこちで遭遇したということでしょうか。それもまた数学研究の姿です。
 こんな数学的状況を念頭に置いて、ここでまた「おもしろい数学」と「おもしろくない数学」というテーマに話をもどしますと、値分布論や被覆面の理論はおもしろくないわけではありませんが、ライプニッツ、ヨハン・ベルヌーイ、オイラーによる複素対数の本性の探究や、実積分の新しい計算法を、複素積分を経由して確立しようとしたコーシーの試みのおもしろさとはおのずとおもむきが異なっているようでもあります。どこがどう異なっているのか、そのあたりを判別できるといいのですが、ここで思い当たるのは、「発見か創造か」という、数学研究の姿に関連してしばしば繰り返される議論です。
 複素関数論の「コーシーの定理」は、たとえコーシーが発見しなくても、いずれそのうちにだれかが発見しただろうという印象はたしかにありますが、このように見るのが「数学は発見される」という考え方です。コーシーとリーマンは「コーシー・リーマンの微分方程式」を知っていましたが、細かく探索すると、特定の関数についてはオイラーなどもすでにこのタイプの方程式が成立することに気づいていたようですし、そんな人はほかにもいそうです。
これに対し、たとえば複素対数の探究ということを考えてみますと、なにしろ∫dx/(x+a)というタイプの積分を、定数aが実数でも複素数でも同じ方式で計算したいという欲求が根底にあってのことですし、ごく限られた人たち、具体的にはライプニッツとヨハン・ベルヌーイとオイラーだけが共有することのできた特殊な性格が備わっているように思います。複素対数はこれらの3人だけが存在することを確信し、その確信が本当に実体をもって数学の世界に位置を占めたという印象があります。実積分を複素関数論経由で計算したいというコーシーの欲求もコーシーに独自のアイデアでした。このように見るのが、「数学は創造される」という考え方です。

近代数学史の成立21 二つの複素関数論

今日の(1変数の)複素変数関数論(複素関数論とか、あるいは単に関数論と略称されることがあります)のテキストの原型はリーマンとヴァイエルシュトラスの手で作られました。リーマンの理論は1851年にゲッチンゲン大学に提出された学位論文「一個の複素変化量の関数の理論の基礎」において叙述されましたが、そこに書かれていることは今日の関数論のテキストそのままです。リーマン以降の関数論の変遷というのはつまり、理論の枠組みは保持しておいて、あちこちの証明を補修したり、別証明を与えたり、諸概念を細かく規定しなおしたりしていく作業の積み重ねだったのでしょう。ヴァイエルシュトラスの理論はベルリン大学での講義を通じて表明されました。リーマンと比べると、出発点として設定された解析性の定義に相違が認められますが、理論体系として観察するとリーマンの理論と同等です。
複素関数論の対象は「解析的な関数(正則関数と呼ばれることもあります)」ですが、関数の解析性の本性は次に挙げる三つの特性に集約されています。
1 コーシーとリーマンの微分方程式をみたすこと
2 局所的に見ていたるところで冪級数展開を受け入れること
3 解析接続の現象が見られること
 「コーシー・リーマンの微分方程式」と、リーマンとともにコーシーの名前が付けられているくらいですから、コーシーはもちろんこの微分方程式を承知していました。というよりもむしろ、コーシーは本来の目標である「実積分の計算法の確立」を念頭に置いて複素関数の積分を考察していたのですが、その複素関数は「コーシーとリーマンの微分方程式」を満たす関数なのでした。冪級数展開の可能性についてもコーシーは先刻承知していました。コーシーは複素関数論のことなら何でも知っていたのですが、ただひとつ、体系がありませんでした。体系を構築することができなかったというのではなく、関心がなかったのだろうと思います。
 コーシーは複素数に対する実在感も感知せず、数という名に値する何物かであるという認識すらなく、ただ単に形式的に取扱ったにすぎません。本来のねらいである実定積分の計算さえできるようになれば、それでよかったのでしょう。
 解析接続という、解析関数に固有の現象をどのように取り扱ったらよいのかということは、リーマンにとってもヴァイエルシュトラスにとっても大問題でした。この現象は、オイラーが発見した複素対数の無限多価性の根源にあるものですが、これを理解するためにリーマンはリーマン面というアイデアを提出し、ヴァイエルシュトラスは収束冪級数の収束域の延長というアイデアをもって対処しました。1変数の複素関数論の領域に留まる限り、理論的にはどちらでも同じことになります。
多変数の複素関数論を考えると様相が一変し、リーマンとヴァイエルシュトラスの流儀に乖離が発生しますが、それについては後日あらためて語ることにします。

近代数学史の成立20 コーシーの遺産

コーシーの複素解析が長い時間をかけてゆるやかに生い立っていく様子は、リーマンもヴァイエルシュトラスも熟知していたにちがいなく、その間の消息は、この二人の数学者による解析性の表明の仕方それ自体の中にくっきりと反映しています。リーマンは「コーシーとリーマンの微分方程式」に目を留め、ヴァイエルシュトラスは「冪級数展開の可能性」に着目して、それぞれ関数の解析性の定義を定めたのですが、コーシーはどちらもよく承知していました。コーシーのねらいは実積分の計算にあり、そのために複素解析を経由する道を模索したのですが、その歩みの途中でコーシーとリーマンの微分方程式」にも「冪級数展開の可能性」にも出会いました。コーシーが試みたことのすべてがコーシーの遺産となり、リーマンとヴァイエルシュトラスに継承されたと見てよいのではないかと思います。その継承にあたり、コーシーの遺産の全体を俯瞰するための糸口となったのが、関数の解析性の概念を規定することでした。
 おもしろい数学とおもしろくない数学という観点からすると、実積分の新しい計算法を模索するコーシーの姿にはおもしろさを感じますが、そのおもしろさはどこから来るのかといえば、数学的なねらいを心にして複素解析の構築を模索するコーシーの心情に感動し、共鳴するからです。「コーシーとリーマンの微分方程式」の発見や冪級数の収束半径への着目や閉曲線に沿う積分に関する「コーシーの定理」の発見などは、どのひとつをとっても数学史上の大発見ですし、解析性の概念を出発点に定めれば理路整然と導き出されていきます。それはそのまま今日の複素変数関数論の世界であり、テキストはそのように書かれているのですが、なにしろ順序よく正確な論理が続くのですからむずかしいところはありません。読めばわかります。わかることはわかりますが、ただひとつ、おもしろくありません。退屈して途中で投げ出してしまいたくなってしまいますからなかなか読み終わらないのですが、そのことをもって難解と感じることもありそうです。難解は錯覚で、真相は退屈です。

近代数学史の成立19 解析性の模索

 複素解析といっても、このところ話題にしているのは一変数の複素解析に限ってのことですが、ライプニッツとヨハン・ベルヌーイ、それにコーシーという二つの源泉がはっきりと認められました。もっともライプニッツとヨハン・ベルヌーイの泉のほうは当初はまだ未完成で、オイラーの登場を俟ってはじめて完成にいたりました。それはともかく、二つの泉の双方ともに積分計算の中に基本契機があったのは、興味の深い事実です。
 コーシーの留数解析は非常に強力で、ライプニッツとヨハン・ベルヌーイの考察の契機になった有理関数の積分よりもはるかに複雑な積分の計算を、やすやすと可能にしてくれます。ではありますが、その本質を見ると実は根本原理は同一で、ライプニッツとヨハン・ベルヌーイと同じく、∫dx/(x+a)という形の積分に着目するところに秘密があります。いずれ稿をあらためて、このあたりの消息を詳述したいと思います。
 コーシーの複素解析では複素数は数として認識されず、a+b√-1という形をして、一定の規則に沿って加減乗除の計算がなされる「何らかのもの」にすぎませんでしたがそれに輪をかけてぼくらの関心をかきたてるのは、コーシーには関数の解析性もしくは正則性の観念が、少なくとも当初はかけていたという事実です。コーシーにはコーシーの思惑があり、曲折の末にようやく1846年にいたって「コーシーの定理」の原型に到達しました。
 ところが、それから5年後の1851にリーマンの学位論文「一個の変化量の関数の一般理論の基礎」が出現したのですが、この論文は冒頭から解析関数の定義で始まっています。複素解析の根幹に位置を占めるのは何と言っても「解析接続」の概念で、解析関数に固有の性質がはっきりと現れるのは、この現象においてです。オイラーが発見した対数の無限多価性という数学的現象は、対数関数の解析性の表現にほかなりません。コーシーが発見した「コーシーの定理」は、「閉曲線Cに沿って解析関数fを積分すると、その値は0になる(ただし関数fは閉曲線Cの周上のみならず内部をも込めて正則であるものとする)」ということを主張する命題ですが、これは解析性の表現そのものです。それでオイラーもコーシーも関数の解析性の本質に触れたのはまちがいありません。それが、オイラーとコーシーを複素解析の
 リーマンはコーシーの複素解析をよく知っていたと思いますし、複素対数に寄せるオイラーの考察も承知していたと思いますが、そのリーマンは複素解析の叙述を解析関数の定義から始めました。もうひとり、ヴァイエルシュトラスもまたリーマンとは別の解析関数の定義から説き起こしました。

近代数学史の成立18 数学の普遍性について

 ライプニッツとヨハン・ベルヌーイは従来のネイピアの対数を形式的に複素数に拡張しようとしたのではなく、有理関数の積分計算の遂行という、明確な企図をもっていました。はじめにあったのはあくまでも数学的企図であり、それが実現するか否かは複素対数の正体を明らかにすることにかかっています。必然的にそうなってしまうのですから、複素対数の実在を疑うことはありえませんし、当初から存在すると確信し、長い期間にわたって議論を続けました。
個人的な確信を二人で共有していたわけで、だからこそ議論が可能だったのですが、もしかしたら思い違いなのかもしれず、それでしたどれほど語り合ってもみつかるはずがありません。実際にはオイラーの手にわたって発見されて、ライプニッツとヨハン・ベルヌーイのねらいの通りの積分計算の道が開かれました。これで複素対数の実在感は飛躍的に高まりましたが、ということはつまり複素対数の存在をあらしめたのは、ライプニッツとヨハン・ベルヌーイが共有していた確信であったということになりそうです。
 二人だけの個人的な確信が結実して数学の世界に複素対数が生れたのですから、二人の創造物というほかはありませんが、ひとたび創り出されてみると、論理的な正確さをもって複素対数を既述することもできますし、何となく普遍性を帯びているような感じがします。複素対数ははじめからどこか超越的な世界(プラトン的な言い方をすると数学的イデアの世界というところでしょうか)に存在していて、ライプニッツとヨハン・ベルヌーイ、それにオイラーがいなくても、少々遅くなるかもしれないとしても、いつかはだれかが発見したに違いないような気がしてきます。その感じを指して、普通、数学の普遍性と称しているのではないかと思います。

近代数学史の成立17 複素数の実在感の根源にあるもの

 複素対数の無限多価性の発見は複素解析の理論形成の契機になりましたが、この発見の根源には有理関数の積分に寄せる簡明で素朴な心情が横たわっていました。もし複素対数を許容することができるなら、有理関数の積分の計算はごくあたりまえのことのように滑らかに進行します。それでライプニッツもヨハン・ベルヌーイも複素対数の正体をつかまえようとして、長い思索を続けたのですが、ここにおいてまたしても不思議でならないのは、複素数の実在をどうしてそこまで強固に確信することができたのだろうということです。
 ひるがえって思いますと、複素数というのは、aとbは実数として、a+b√-1という形の数を指しているのですが、このような形の数を考える際の焦点は、√-1、すなわち「自乗すると-1になる数」です。√-1ははたして「数」の名に値するのでしょうか。あるいはまた、そもそも数というものの存在は何に支えられているのでしょうか。
 アラビア数字で1、2、3、4・・・と表記される数は自然数と呼ばれますが、あらためて思えば、自然数はどこに存在するのでしょうか。自然数に負数を加えると整数ができますし、整数と整数の比を作ると分数、すなわち有理数ができます。有理数以外の数もまた存在するような感じがすることは古代のギリシア人たちもすでに知っていました。たとえば一辺の長さが1の正方形を描くとき、その正方形の対角線に長さがないかもしれないと疑う人はいないと思いますが、その長さは有理数では表されず、今日の記号法で√2と表記される無理数になります。円周率πもまた有理数ではありません。
 数学ではいたるところでごく普通に虚数に出会います。整数を係数にもつ2次方程式を解こうとすると一般に平方根が出てきますし、3次、4次と方程式の次数を高めていけば3乗根や4乗根など、登場する無理数も複雑さの度合いがよりいっそう高まっていきます。平方根の中味が負数なら、その平方根は虚数になりますが、これを考えないことにして排除するのも一案ですし、積極的に受け入れる場合にも、数と認めてそうするのではなく、単に形式的な記号と見るというのもまた一案です。現に、19世紀のはじめのことになりますが、コーシーの著作『解析教程』(1821年)を参照すると、コーシーは徹頭徹尾、複素数を形式的に受容していることがわかります。形式的に受容するというのはつまり意味を付与しないということで、コーシーの立場から見れば複素数というのは「a+b√-1という形をした何らかのもの」というだけのことにすぎませんでした。ライプニッツやヨハン・ベルヌーイとはまったく違い、コーシーには複素数に対して実在感がもてなかったのでしょう。
 複素数の存在をもっとも根源的に支えているのは、個々の数学者の実在感です。言い換えると、「存在すると確信する人にとっては存在し、存在しないと思うひとにとっては存在しない」ということになります。曖昧な感じはたしかにありますが、その実在感のそのまた根源には、数学のカンバスにこのような絵を描きたい、という構想があります。ライプニッツとヨハン・ベルヌーイの場合には、積分計算の場面において描きたい絵が現れました。
 もっともコーシーはオイラーの次の時代に複素解析の創造に携わった人で、コーシーにはコーシーのねらいがありました。それもまた積分計算の領域でのことなのですが、従来の手法では計算することのできなかった積分(実積分です)を計算するために、複素積分に拡大するというアイデアを提案しました。それならライプニッツやヨハン・ベルヌーイと同じことですし、実際にコーシーは成功したのですから、複素数に実在感を感じてもよさそうにも思うのですが、なぜかそうはなりませんでした。数学者もいろいろで、コーシーは形式を重く見るタイプの数学者だったのでしょう。

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プロフィール

オイラー研究所の所長です

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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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