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ガウスの数学日記93 復活祭公式

第107項目は少々毛色が変わり、復活祭公式のことが語られます。

107.[復活祭](1800年5月16日)
このごろ(5月16日)、復活祭の年代決定問題をすばらしい方法で解決した。
(1800年8月、Zachの雑誌の121、223頁で公表した。)
[1800年5月16日]

ガウスの母はガウスが生まれた日を正確に思い出すことができなかったそうで、「昇天祭より8日前の水曜日」とだけ覚えていました。ガウスは例年の復活祭が何日になるのかを教えてくれる公式を案出し、自分の誕生日を1777年4月30日と割り出しました。これは広く知られているエピソードですが、その復活祭公式がいつころ編み出されたのかを、第107項目は教えています。今日、広く知られているガウスの生誕日はこの公式のたまものです。
 「Zachの雑誌」と仮に訳したのは、原語表記では「Monatliche Correspondenz der Erd- und Himmelskunde」という学術誌のことです。どうも訳しにくいのですが、「天地の学問の月例通信」というほどのことでしょうか。「天地の学問」のうち「地の学問」のほうは「地理学」のようです。「天の学問」のほうは「天文学」のことと思います。この雑誌の1800年8月号の121頁に「復活祭の計算」という論文が掲載されました。また、223頁には改訂稿が掲載された模様です。
Zachというのは人名と思いますが、不明です。
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ガウスの数学日記92 楕円関数論の拡大

第106項目は楕円関数論の続きです。

106.[楕円関数論への補足](1800年5月22日)
5月22日、ブラウンシュヴァイクにおいて、この理論の著しく広大な拡大を見い出すことに成功した。これによって、同時に、算術幾何平均の理論はもとより、これに先立つあらゆる事柄が美しく結び合わされて、際限もなく拡大される。
[1800年5月22日 ブラウンシュヴァイク]

「この理論」というのは一般の楕円関数論を指していると見てまちがいないと思いますが、その楕円関数論に先行する事柄というと、レムニスケート関数の理論や算術幾何平均の理論が念頭に浮かびます。高木先生の『近世数学史談』には、ガウスはヤコビのテータ関数と同じものをすでに手にしていたことが述べられていますが、それもまたガウスの言う「楕円関数論の拡大」の範疇におさまるのであろうと思われます。モジュラー関数の理論についても同じです。

ガウスの数学日記91 楕円関数のこころ

ガウス全集版テキストの註記にも『近世数学史談』と同様のことが書かれていますが、それに加えてもうひとつ、興味深い記事が紹介されています。それはガウスが紙切れに書き留めていたというメモで、日付もないのですが、楕円関数の発見に向かうガウスの消息の一端が読み取れます。

<楕円関数のこころを具現しようとする私のこれまでの努力は、根本的な誤りのために失敗に終わった。私は積分
     ∫dφ√(1-e^2 sinφ^2)
に対して、球面のある有限部分の表示式という意味を付与しようとしたが、そうではなくて、これはたぶん限りなく幅の狭い球面扇形を表すにすぎないのだ。>

「楕円関数のこころ」の「こころ」の原語は「Geist(ガイスト)」です。
全体にどうも訳出しにくいのですが、おおよそ上記のような意味になりそうです。「球面の有限部分」とか、「限りなく幅の狭い球面扇形」とか、そのまま訳しても意味がよくわからない箇所もあります。それでも楕円積分の考察をずいぶん長く続けていた様子が読みとれますし、ある時期、というのはつまり上記のメモが書き留められたころということですが、何かしら従来の思索の根本的な誤りに気がついたのであろうという事情は読み取れます。
 ガウス全集版テキストの註記によると、ガウスが考えあぐねていたのは楕円積分∫dφ√(1-e^2 sinφ^2)の周期のことのようです。『近世数学史談』に見られる記号を用いると(といっても、それらはガウスの遺稿から採取されたのですが)、楕円積分u=∫dφ/√(1+μ^2 sin^2 φ)の逆関数がつまり楕円関数S(u)で、その周期はωとiω’です。高木先生が言うには、「苦心の存する所は、周期ω、iω’の発見にある」とのことで、「レムニスケートの場合にはω、iω’が自然に出て来たのであるが、ここではそうは行かない」というのです。楕円関数は二重周期ω、iω’をもちますが、ωとω’は実量ですので、一方の周期ωは実量であるのに対し、もうひとつの周期iω’は純虚数です。ということは、楕円関数は複素変数の関数と見なければ本性をつかめないということになります。ωとω’を考えるのではなく、虚数iを付与してωとiω’を考えるといっさいが明らかになるというほどのことですが、これを実行したところ、思索の歩みは大幅に進展しました。その状況を簡潔に書き留めたのが、1800年5月5日の数学日記の第105項目の記事ではないかと思われます。
 ガウスの遺稿もいろいろあって、算術幾何平均や楕円関数に関するノートのようなものが全集に収録されています。それらを参照すれば、もっと詳しい消息が判明することと思います。

ガウスの数学日記90 「広義に於けるsin.lemn.」

数学日記の第105項目については、高木先生も『近世数学史談』の一章を使って詳述しています。その章というのは第9章のことなのですが、その第9章には「書かれなかった楕円函数論」という表題が附されています。これを要するに、ガウスはレムニスケート函数に対して成立する等式M(√2,1)=π/ωを糸口にして、楕円関数論という広大な大洋を発見したということになります。数学日記のガウス全集版テキストにも詳しい註記がついていて、そのようなことが書かれていますし、ガウスの楕円関数論がどのようにして発見されたのか、経緯は明瞭にわかります。ガウスはモジュラー関数さえ発見し、基本領域の図まで描いたと、高木先生は驚きを隠しません。
 高木先生の解説によると、ガウスは
   π/M(1,√(1+μ^2))=ω, π/M(μ,√(1+μ^2))=ω’
と置き、これらを用いて無限級数
  S(u)=(π/μω)(4 sin πν/(h^(1/2)+h^(-1/2))-4 sin 3πν/(h^(3/2)+h^(-3/2))+…)
を作り、これを「広義に於けるsin.lemn.」と呼びました。sin.lemn.というのはレムニスケート関数のことですから、「広義に於けるsin.lemn.」という以上、ガウスははじめからレムニスケート関数の延長線上に位置を占める関数を、そのようなものが存在すると確信したうえで、探索していたことがわかります。μ=1の場合、S(u)はレムニスケート関数そのものです。
 それでこのS(u)の正体は何かということですが、S(u)=sin φと置いてφの関数と見るとき、S(u)は実は楕円積分
      u=∫dφ/√(1+μ^2 sin^2 φ)
の逆関数、すなわち楕円関数になります。そうしてωとω’は、この楕円積分の定値
     ω=∫_[0→π]dφ/√(1+μ^2 sin^2 φ)
     ω’=∫_[0→π]dφ/√(μ^2+sin^2 φ)
です。これで、出発点の等式M(√2,1)=π/ωが大きく一般化された状態が現れました。

ガウスの数学日記89 楕円関数論への道

数学日記の第105項目では楕円関数論の誕生が告げられました。日付は1800年5月6日で、ガウスは少し前に満23歳になったばかりです。

105.[楕円積分の理論](1800年5月6日)
超越的な量
    ∫dx/√(1-αxx)(1-βxx)
の理論をきわめて一般性のある地点まで押し進めた。
[1800年]5月6日 ブラウンシュヴァイク

ここに見られる超越的な量∫dx/√(1-αxx)(1-βxx)というのはつまり楕円積分なのですが、もう少し正確に言うと第一種の楕円積分(これはルジャンドルが提案した用語です)で、逆関数が存在します。その逆関数は後に「楕円関数」と呼ばれることになりますが、この呼称を提案したのはヤコビです。名称ひとつをとっても事情は単純とは言えず、背後にはなかなか複雑な光景が広がっています。
 ガウスは第105項目において実際に楕円積分を書き下しましたが、そこには後にモジュールと呼ばれることになる二つの定数αとβが伴っています。楕円積分をこのような形に書いたのはガウスの創意によるもので、ルジャンドルの著作には見られませんが、アーベルの論文にははじめから同じ形で出てきます。アーベルの楕円関数論にはガウスの影響が大きく働いているのですが、その影響の様子というのはガウスの片言隻句に触れて想像の力を強く刺激されたというようなことで、具体的にどうこうというようなものではありません。たとえばアーベルは、ガウスが楕円積分を∫dx/√(1-αxx)(1-βxx)という形に書いたことを知りませんでしたが、まったく同じ表記を提示しました。完全な偶然の一致ですが、実に不思議なことでもあります。
 ガウスの楕円関数論は等式M(√2,1)=π/ωの発見から始まりました。√2と1の算術幾何平均とレムニスケート関数の周期との関係を発見したのですが、ガウスはこれを大きな氷山の一角と認識したようで、この等式を証明することができたなら、「解析におけるまったく新しい領域」が開かれるだろうという予感を表明しました。後年、アーベルは高次、すなわち5次以上の代数方程式の代数的解法を発見したと信じ、論文を書いたことがあります。それを見たコペンハーゲン大学のデゲン先生は、真偽の判定はできなかったようで慎重に対応しましたが、そのおりに、代数方程式論などにこだわるのはやめて楕円関数論を研究し、数学の大洋に向かうマゼラン海峡を発見してほしいとアーベルにアドバイスしました。等式M(√2,1)=π/ωの発見は、ガウスにとって楕円関数論の大洋に向かうマゼラン海峡だったのでしょう。

ガウスの数学日記88 無限三角級数

前回、言い添えるのをうっかりしましたが、数学日記の1799年の記事は第102項目まででおしまいで、次の第103項目から1800年に入ります。1799年に書かれた項目は全部で6個でした。

103.[三元形式](1800年2月13日)
三元形式の理論において、簡約形式を決定することに成功した。
1800年2月13日

所在地が記されていませんが、年明けの1800年2月の時点では、ガウスはブラウンシュヴァイクにもどっていたのではないかと思います。三元形式というのは三元二次形式のことで、『アリトメチカ研究』に詳しく書かれています。

104.[三角級数の収束](1800年4月27日)
級数
   A cos A+a’cos(A+φ)+a”cos(A+2φ)+…
は、もしa,a’,a”…が符号変化を伴わずに0に向かって連続的に収束するなら、ある極限に向かって収束する。
[1800年]4月27日 ブラウンシュヴァイク

無限級数への関心が示されていますが、これは超幾何関数への関心のはじまりと連繋しているのでしょうか。

ガウスの数学日記87 大著述の構想

算術幾何平均の記事が続きます。

101.[算術幾何平均](1799年12月14日)
算術幾何平均は二つの超越関数の商として表されることを、すでにだいぶ前に見い出したが、今や、これらの二つの関数の一方は積分量に還元されることが明らかになった。
[1799年]12月14日 ヘルムシュテット

1799年12月14日の時点で、ガウスの所在地はヘルムシュテットです。

102.[算術幾何平均](1799年12月23日)
算術・幾何平均はそれ自体が積分量である。このことが証明された。
[1799年]12月23日

このあたりの記事はなかなかむずかしく、正確に理解しようとするとてまひまのかかる仕事になります。算術幾何平均は「ガウスの微分方程式」を満たしますから、「ガウスの微分方程式」を解くと手に入ることになります。微分方程式の解を求めることを「積分する」と言いますから、ガウスはこの事実を指して「算術幾何平均は積分量である」と言ったのでしょう。「ガウスの微分方程式」というのはつまり「超幾何微分方程式」のことで、特異点の近傍で解を表示しようとすると超幾何関数に出会います。
算術幾何平均はモジュラー関数とも関係があり、高木先生の『近世数学史談』の第9章を見ると、そのあたりの消息が詳しく紹介されています。ガウスは算術幾何平均とレムニスケート関数の間に等式M(√2,1)=π/ωという関係が成立することを発見し、この事実の証明を試みる中で超幾何関数やモジュラー関数に出会いました。それがつまりガウスのいう「解析学の新領域」の中味です。そこでガウスは「F(α,β,γ,x)を出発点に置いて例の大著述を組立てようと決心したのでもあろう」というのが、高木先生の所見です。F(α,β,γ,x)は超幾何級数を表す記号です。
 1799年12月23日の時点でガウスはどこにいたのでしょうか。数学日記には所在地の記載がありませんので不明です。依然としてヘルムシュテットに逗留中かもしれませんし、すでにブラウンシュヴァイクに戻ったのかもしれません。

ガウスの数学日記86 幾何学の基礎

算術幾何平均の話題に続いて、ここでなぜか幾何学の話に転じます。

99.[幾何学の基礎](1799年9月)
幾何学の基礎において、際立った進展を見た。
[1799年]9月、ブラウンシュヴァイク

平行線の公理に関することであろうと推定されますが、詳しく調査しないと本当のところはわかりません。
 次の項目では再び算術幾何平均が取り上げられます。

100.[算術幾何平均](1799年11月)
算術幾何平均に関して、多くの新しいことを発見した。
[1799年]11月、ブラウンシュヴァイク

ガウスは1799年7月16日付でヘルムシュテット大学から学位を授与されましたが、そのときガウスはヘルムシュテットにはいませんでした。数学日記の第99項目が書かれた1799年9月の時点でもブラウンシュヴァイクにいましたが、ヘルムシュテット行を考えていた模様です。実際、次の第101項目は1799年12月14日にヘルムシュテットで書かれました。そこで推測ですが、ガウスはヘルムシュテットに向けて出発する前に、その時点までに算術幾何平均に関してあれこれのことを獲得したことを要約し、簡潔にひとことをもって書き留めたのが第100項目なのであろうと思われます。

ガウスの数学日記85 等式M(√2,1)=π/ωの証明に取り組む。

ガウスが算術幾何平均に大きな関心を示した理由はわかりませんが、レムニスケート積分の数値ωであれば、それはつまりレムニスケート曲線の弧長のことなのですが、オイラーがすでに計算していますし、ガウスも知っていました。このあたりにはオイラーの影響が認められます。それと、イギリスにスターリングという数学者がいて、オイラーとほぼ同時代を生きた人ですが、ωの値を小数点以下17桁まで精密に計算していたのですが、ガウスはそれも知っていました(スターリング『微分法』、ロンドン、1730年、57頁)。ガウスはそのスターリングの計算を知っていた。円周率πの数値はもとより周知ですから、πとωの比を算出して、それがかねて承知の算術幾何平均の数値と一致しそうなことに気づいたとしても不思議ではなさそうでもあります。
 ガウスにおける最大の謎は、この二つの数値が一致するという事実を氷山の一角と見たという一事です。
 ガウスはこの発見の重要性を認識し、ヘルムシュテット大学のパフに手紙で報告しました。パフからも返信がありました。その返書の日付は「1799年11月24日」です。この日付を見ますと、数学日記の第98項目の時点では、ガウスはまだ証明をもっていなかったことがわかります。後述する第100項目を見ると、完全な証明を得たのは1799年11月ころであろうという推定が成立しそうです。
 このあたりの消息は高木先生の『近世数学史談』に懇切に紹介されています。

ガウスの数学日記84 モジュラー関数

算術幾何平均と楕円関数のことでしたら高木先生の『近世数学史談』の第9章「書かれなかった楕円函数論」に詳述されていますが、高木先生はそこでガウスがシューマッハ―に宛てた1808年9月17日付の手紙の一節を紹介しています。

<…円函数と対数函数を我々は今掛算の九九の如くに自由自在に取扱っているが、高等なる函数の内部に蔵せられる黄金坑は殆んど未知の世界である。予は曾てこれらの函数に関して多くの仕事をなしたが、其の内にそれを大きな単行本にまとめようと思うている。それについては既に予のDisq,arith,593頁に暗示をして置いた次第である。それらの函数(その中には楕円や双曲線の求長問題に関係を有するものもあるが)に関する最も興味ある真理又は関係の溢るる如き豊富は唯驚歎の外はないのである…>

気にかかることはいろいろありますが、何よりもガウスはなぜ算術幾何平均に関心を寄せたのでしょうか。ここのところがまずわかりません。それから、√2と1の算術幾何平均をM(√2,1)で表すとき、等式
      M(√2,1)=π/ω
が成立することにガウスは気づいたというのですが、これもまたいかにも不思議な話です。ガウスは子供のころから計算が大好きで、算術幾何平均の計算にも早くから親しんでいたとのこと。それで計算を続けている中でたまたま発見したということになりそうですが、観念的に考えてみますと、算術幾何平均と楕円関数もしくは楕円積分の間に何らかの関係があろうとはとうてい想像できません。大量の数字を眺めているだけで、はたしてこのような事実に気づくことができるものでしょうか。
 この第98項目を書き留めた後に、ガウスは証明の試みを続けたことと思われますが、はたして成功したのでしょうか。これは素朴な疑問ですが、ガウス全集版テキストの註記を参照すると、1799年11月の時点で証明に成功したと思われると記されています。
 等式M(√2,1)=π/ωが証明されたなら、解析の新しい領域が開かれるであろうという予想についてはどうでしょうか。ガウスはどのような数学的情景を心に描いていたのでしょうか。これもまた素朴な疑問ですし、ガウスがシューマッハ―宛の手紙で言及している「単行本の内容も気に掛かるところですが、高木先生はここでモジュラー関数に言及しています。

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オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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