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ガウスの数学日記66 平面の可能性

第72項目に移るとまたしても不思議な言葉に出会います。

72.[非ユークリッド幾何](1797年7月28日)
平面の可能性を証明した。
[1797年]7月28日 ゲッチンゲン

ガウスの言葉をそのまま訳出すると「平面の可能性」ということになるのですが、何のことかわかりません。1832年3月6日付のボヤイ宛ての手紙を参照すると、「幾何学をはじめからきちんと取扱うためには、平面の可能性を証明することが不可欠です」と言われていて、ここでもまた「平面の可能性」に出会います。ボヤイはガウスがゲッチンゲン大学で出会った友人で、非ユークリッド幾何学と切り離すことのできない人物です。ガウスもまた若いころからこの方面に関心があり、思索を続けていたのでしょう。
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ガウスの数学日記65 不思議な等式

第70項目には不思議な等式が出てきます。

70.[円分数](1797年7月)
ρは方程式x^n=1のあらゆる原始根を表すとき、
 (a+bρ+cρ^2+dρ^3+・・・)
のすべての積は、もしかしたら
   (x-ρy)(x-ρ^2 y)・・・
という形に還元可能かもしれない。実際、
  (a+bρ+cρ^2)×(a+bρ^2+cρ)=(a-b)^2+(a-b)(c-a)+(c-a)^2
(a+bρ+cρ^2+dρ^3)×(a+bρ^3+cρ^2+dρ)=(a-c)^2+(b-d)^2
(a+bρ+cρ^2+dρ^3+eρ^4+fρ^5)×  =(a+b-d-e)^2
  -(a+b-d-e)(a-c-d-f)+(a-c-d-f)^2=(a+b-d-e)^2
  +(a+b-d-e)(b+c-e-f)+(b+c-e-f)^2
となる。2月4日 参照。
これはまちがっている。というのは、このことから、(x-ρy)の積に包含される二つの数の積は同じ形であることが導かれるが、これは容易に退けられるからである。
[1797年7月 ゲッチンゲン]

とりあえず書かれている通りに訳出してみました。円分数、すなわち円周等分方程式の根に関係のある何事かであろうとは思われますが、どうもガウスの意図がつかめません。符号の下記間違いもある模様です。末尾の箇所の
(a+b-d-e)^2
  -(a+b-d-e)(a-c-d-f)+(a-c-d-f)^2=(a+b-d-e)^2
  +(a+b-d-e)(b+c-e-f)+(b+c-e-f)^2
となっているところは、fの符号を変えて

(a+b-d-e)^2
  -(a+b-d-e)(a-c-d+f)+(a-c-d+f)^2=(a+b-d-e)^2
  +(a+b-d-e)(b+c-e-f)+(b+c-e-f)^2
とすると正しい等式になります。
 次の第71項目も円周等分方程式に関係があります。

71.[円周等分方程式](1797年7月27日)
方程式x^n=1の根のいくつもの周期が同じ和をもつことはありえないことが証明される。
[1797年]7月27日 ゲッチンゲン

この項目は第73項目に続きます。

ガウスの数学日記64 円周等分方程式の既約性

第68項目には高次合同式が現れます。

68.[二項合同式](1797年7月21日)
合同式
   x^n-1≡0
の解法の特別の場合(すなわち、補助合同式が等根をもつとき)は長い間、われわれを苦しめたのだが、法が素数冪の場合のこの合同式の解法に基づいてこれを克服し、きわめて大きな成功をおさめた。
[1797年]7月21日 [ゲッチンゲン]

「素数冪」というのは「ある素数の冪」という意味です。数学的内容を把握するのに困難を感じますが、x^n-1≡0という合同式が書き留められているところを見れば、『アリトメチカ研究』の幻の第8章になる予定だったと見られる遺稿「剰余の解析」に関係があるのはまちがいありません。この合同式に関連して、ガウスは何事かを発見したのでしょう。
 次の第69項目は整係数多項式の割り算に関する命題です。

69.[多項式の割り算](1797年7月23日)
  (A) x^(μ+ν)+ax^(μ+ν-1)+b^(μ+ν-2)+・・・+n

  (B) x^μ+αx^(μ-1)+βx^(μ-2)+・・・+m
で割り切れるとし、(A)の係数a、b、c、・・・はすべて整数、(B)の係数はすべて有理数とすると、後者の係数もまたすべて整数になる。また、最後の係数mは最後の係数nを割り切る。
[1797年]7月23日 [ゲッチンゲン]

ここで語られている命題は『アリトメチカ研究』の第42条に出ています。証明もついています。この定理を用いると円周等分方程式の既約性が証明されますが、それは第341条に詳しく記されています。
 多項式の冪指数を表すのにギリシア語の文字のμ、νを使いましたが、ガウスの手書きのメモではローマ字のm、nが使われています。ここではガウス全集版のテキストにならって、ギリシア文字をローマ字に直しました。
 第68項目と第69項目もまた『アリトメチカ研究』の成立過程を物語る貴重な標識です。

ガウスの数学日記63 円周等分方程式

方程式の代数的解法に関連してあれこれと書き連ねてきましたが、ここでまた数学日記に立ち返りたいと思います。第67項目からですが、これも円周等分方程式に関係があります。

67.[円周等分方程式の根の区分け](1797年7月20日)
10月1日に帰納的に発見した事柄を証明によって確認した。
[1797年]7月20日 [ゲッチンゲン]

10月1日というのは1796年の10月1日のことで、数学日記の第39番目の項目を指しています。内容は『アリトメチカ研究』の第7章の第358節「根を三つの周期に分配するための方程式について」に書かれていますが、そこには証明もついています。
第67項目はガウスの円周等分方程式論が生い立っていく過程を示しています。

ガウスの数学日記62 円周等分方程式の代数的可解性(3)

ガウスによる円周等分方程式の代数的可解性の証明に関連して、肝心なことをひとつ言い忘れていました。それは証明の手法に関することなのですが、ガウスは「ラグランジュの分解式」に手掛かりを求めたという一事です。『アリトメチカ研究』の該当する箇所を見れば一目瞭然なのですが、ガウスはここでもまたラグランジュに言及していませんので、うっかりすると見過ごしてしまいます。
直面している問題の根幹の部分はこんなふうに表明されます。nは奇素数、gは法nに関する原始根とし、n-1は3個の正整数α、β、γの積になっているとします。α個のβγ項和(βγ,1),(βγ,g),(βγ,g^2),・・・,(βγ,g^(α-1))は既知として、ここからγ項和を導出することが問題になります。根の周期の理論により、この和は次数βの混合方程式を解くことによって求められますが、それを第一の解法として、今度は次数βの純粋方程式の解法に帰着されることを示そうというのが、第二の解法の眼目です。
βγ項和(βγ,1)はβ個のγ項和
 (γ,1),(γ,g^α),(γ,g^(2α)),・・・,(γ,g^(αβ―α))
で構成されています。そこでこれらをそれぞれa,b,c,・・・,mで表します。また、Rは方程式x^β-1=0の根を表すものとして、
  t=a+Rb+R^2 c+・・・+R^(β-1) m
という形の和を考えます。これはつまり、ガウスは何も語っていないのですが、ラグランジュの分解式にほかなりません。
 ガウスは和tのβ次の冪Tを作り、そのTは既知量になることを示しました。したがって、tは純粋方程式x^β-1=Tを解くことにより確定します。ここから先の詳細な計算は省きますが、この結果を足場にして進んでいくとβ個のγ項和a,b,c,・・・,mが求められます。これがガウスの第二の解法のあらすじですが、この論証の出発点にラグランジュの分解式があったことは忘れられません。
ラグランジュはラグランジュの分解式に着目して高次方程式の代数的可解性を示そうとしました。この試みは失敗したのですが、ラグランジュのアイデアはガウスに継承されました。一般の方程式を代数的に解くのは不可能ですが、円周等分方程式のように代数的に解けるものもまた存在します。解ける方程式が解けることを示そうとする場においてラグランジュのアイデアは本来の力を発揮することを、ガウスはありありと示したのでした。

ガウスの数学日記61 円周等分方程式の代数的可解性(2)

ガウスは円周等分方程式の根の作る周期の理論を展開し、その土台の上に解法手順を構築しました。次数19の場合を例に取ってその様子を簡単に紹介しましたが、これを要するに、いくつかの低次数の補助方程式を配列し、「一歩一歩段階を踏んで」(これはガウスの言葉です)解いて既知量を少しずつ増やしていって、最後の段階にいたると円周等分方程式X=0の根そのものが手に入るという解き方で、明晰判明、実にあざやかです。
 これもガウスが挙げている例ですが、次数が17の場合には17-1=16=2^4と2の冪に素因子分解されますから、17次の円周等分方程式は4個の2次方程式を順に解いていくことによって根が求められます。ということはつまり、最終的に得られる根の表示式は平方根のみを用いて組み立てられているということになりますが、これを幾何学の言葉で言い換えると、定規とコンパスのみを用いて円周の17等分点を指定することができるということにほかなりません。ガウスはこの事実を18歳のときに発見し、数学日記の冒頭に書き留めました。
 17等分というのは氷山の一角にすぎず、いっそう一般にフェルマ素数nに対し、次数nの円周等分方程式の解法はいくつかの2次方程式の解法に帰着されます。したがって正n角形もまたフェルマ素数というのは2^n+1という形の素数のことで、フェルマははじめこのような形の数はすべて素数であると主張しました。オイラーが反例を見つけて、この主張は覆されたのですが、フェルマにちなんで「フェルマ素数」の名が残りました。呼称ばかりではなく、円周等分方程式の解法の場においてフェルマ素数が登場したのは実にめざましい現象です。
 次数19の円周等分方程式は3次方程式と2次方程式の解法に帰着されて、代数的に解くことができました。「根の周期」に着目して低次数の一系の方程式に帰着させていく手法はすばらしく、フェルマ素数nに対する円周等分を考える場合にもきわめて有効です。どのようなからくりで解けるのか、一目瞭然です。ガウスは数学日記の第66項目で「二通りの方法を見つけた」と語っていますが、二通りの方法のうちのひとつは「根の周期」に着目する方法と見てよいと思います。
ガウスの解法を観察すると、3次と4次の方程式を解くイタリア学派の人々の解法と、それらを取り上げて回想したラグランジュの省察が思い出されます。ガウスはラグランジュの省察に接して強い印象を受け、その印象は第一の解法に反映されて結実したと言えるのではないかというのが、現時点での所見です。
 ただし、円周等分方程式の代数的可解性がこれで確立されたのかというと、まだ不十分です。次数が19の場合やフェルマ素数の場合にはたしかに代数的に可解ですし、これだけでもすでに大成果ですが、どのような素数nに対してもつねにそうかというと、まだわかりません。そこでガウスは『アリトメチカ研究』の第7章の第359節と第360節でこの問題を取り上げました。この2節には、

「根Ωを見つけるのに用いられる方程式の、純粋方程式への還元」

という小見出しがついています。ガウスは「これまでの研究は補助方程式の発見をめぐって行われてきたが、さらに歩を進めて、それらの解法に関するひとつの著しい性質を説明したいと思う」と説き起こし、次のように言葉を続けました。

<よく知られているように、4次を越える方程式の一般的解法、言い換えると、混合方程式の純粋方程式への還元を見い出そうとする卓越した幾何学者たちのあらゆる努力は、これまでのところつねに不首尾に終わっていた。そうしてこの問題は、今日の解析学の力を越えているというよりは、むしろある不可能な事柄を提示しているのである。これはほとんど疑いをさしはさむ余地のない事態である。>

純粋方程式というのはx^k=aという形の方程式のことで、これならk乗根を取ることによって根の表示が得られます。「混合方程式」は純粋方程式ではない方程式の意で,一般的な形の方程式のことです。
 円周等分方程式の解法にあたって、ガウスは「根の周期」に着目して一系の補助方程式を配列し、それらを順に解いていけば根が見つかるという手順を示しました。ここからさらに歩を進め、補助方程式の解法はみな純粋方程式の解法に帰着されること、すなわち代数的に可解であることを示しました。先ほど引用した言葉に続いて、ガウスはこう言っています。

<それにもかかわらず、このような純粋方程式への還元を許容する、各次数の混合方程式が無限に多く存在するのも確かである。そこでわれわれは、もしわれわれの補助方程式はつねにそのような方程式の仲間に数えるべきであることが示されたとするなら、それは定めし幾何学者諸氏のお気に召すであろうことを希望したいと思う。>

 ここで言われていることは、数学日記の第66項目で言われている「二通りの方法」のうちの第二の方法に該当します。これで円周等分方程式の代数的可解性が確立されました。

ガウスの数学日記60 円周等分方程式の代数的可解性(1)

第66項目は第65項目の続きですが、『アリトメチカ研究』の第7章の根幹の部分の完成を告げる言葉です。

66.[円周等分方程式の代数的解法](1797年7月)
解かなければならないのは純粋方程式のみであることを、二通りの方法で示すことができた。
[1797年7月 ゲッチンゲン]

ガウスは『アリトメチカ研究』の第7章において円周等分方程式の代数的解法を示しました。このこと自体は広く知られていますが、実際に本文に目を通して見るとガウスの思索の道筋は非常に重層的で、一筋縄ではいかないところがあります。
『アリトメチカ研究』は366個の小節に区分けされていて、通し番号が打たれています。第7章は第335節から第366節までの34個の節で校正されていますが、そのうち第352節から第354節までの3個の節には「方程式X=0の解法は上記の研究を土台として、その上に建設される」という小見出しがついています。方程式X=0というのはガウス独自の記号で、これはつまり円周等分方程式
   (x^n-1)/(x-1)=x^(n-1)+x^(n-2)+・・・+x+1=0
のことにほかなりません。ガウスはこれを「上記の研究の土台の上に解く」と宣言し、解法の手順を示したのですが、「上記の研究」というのは何かといえば、「根の全体をいくつかの周期に区分けする」ことを指しています。たとえば、これはガウス自身が挙げている例ですが、次数19の円周等分方程式の場合でしたら方程式X=0は18個の根をもちますが、
  19-1=3×3×2
と素因子分解されますから、まずはじめに18個の根は3個の6項周期に区分けされます。周期というのはつまり適切に指定された6個の根の集りのことですが、ガウスは言葉を流用して、それらの和のことも同じ「周期」という言葉で指し示しています。ほとんど自明なことで、混乱が生じる恐れもありませんし、新たな言葉を導入するのがわずらわしかったのでしょう。
 3個の6項周期(6個の根の「和」)(6,1)、(6,2)、(6,4)は3次方程式
(A)   x^3+x^2-6x-7=0
を満たします。これは16世紀のイタリアで発見された手法(フェッロとタルタリアが発見したと伝えられています)ですぐに解けますから、3個の6項周期の値が定まります。
 次に各々の6項周期は3個ずつの2項周期に区分けされます。たとえば6項周期(6,1)は3個の2項周期(2,1)、(2,8)、(2,7)の集りとして認識されますが、これらの2項周期は3次方程式
(B)  x^3-(6,1)x^2+[(6,1)+(6,4)]x-2-(6,2)=0
を満たします。係数に6項周期が出現しますが、それらの値はすでに判明していますので、方程式(B)の係数は既知量です。そこでこの方程式を解くと2項周期(2,1)、(2,8)、(2,7)の値が確定します。
 最後に各々の2項周期は2個の根で構成されています。たとえば2項周期(2,1)は2根[1]と[18]で作られていますが、これらは2次方程式
(C)  x^2-(2,1)x+1=0
を満たします。これも簡単に解けて、2根[1]と[18]の値が求められます。[1]や[18]のような根の表示はガウスが工夫した簡略記号です。
ガウスは円周等分方程式の解き方をこんなふうに示しました。

ガウスの数学日記59 二次式で表される数の約数

第64項目では再び数論に戻ります。第63項目の日付は1797年3月29日。それから3カ月ほどの空白期が続きました。

64.[二次式の約数の形](1797年6月17日)
□+αという形の数の約数と+1,-1,±2との関係に対するエレガントな証明を発見した。
[1797年]6月17日 [ゲッチンゲン]

□は平方数、αは何らかの数を表しています。『アリトメチカ研究』の第4章の章題は「二次合同式」というのですが、末尾の第147条から第150条にかけての4個の節には

<ある与えられた任意の量を剰余(あるいは非剰余)とするすべての素数を包摂する一次形式について>

という小見出しがついています。内容を見ると、xx-Aという形の式で表される数の約数になりうる数の形を決定する問題が取り上げられています。「数の形」というのは具体的には「一次式の形」を意味しています。オイラーも考察した問題で。なかなかむずかしいのですが、ガウスはこれに先立って平方剰余相互法則を確立していますので、やすやすと歩を進めています。数学日記の第64項目は、この考察がはじまったころの消息を伝えています。
 同じ日にガウスはもうひとつの記事を書きました。

65.[正多角形](1797年6月17日)
多角形の理論の第二の導出を完成させた。
[1797年]6月17日 [ゲッチンゲン]

多角形の理論というのは作図問題に解決をもたらす理論のことで、ユークリッドの『原論』以来の古い歴史がありますが、ガウスにとっては円周等分方程式の理論と同等です。「第二の導出」というあたりが気に掛かります。

ガウスの数学日記58 レムニスケート関数

第63項にはレムニスケート関数の諸性質が並んでいます。

63.[レムニスケート関数](1797年3月29日)
レムニスケート曲線に関連する他の多くの事柄の中で、私は次に挙げる事柄に注目した。
[1)]二倍弧の[レムニスケート]正弦を[分数の形に分母と分子に]分けて表示するとき、その分子は、単弧の[レムニスケート]正弦の分子・分母×[レムニスケート]余弦の分子・分母の2倍に等しい。
[2)]分母=(分子)^4+(分母)^4
[3)]ここで弧π^lに対応する分母をθと置くと、弧kπ^lの[レムニスケート]正弦の分母はθ^(kk)に等しい。
[4)]θ=4.810480である。
[5)]この数の双曲線対数は
=1.570796 すなわち =(1/2)π
である。これはきわめて注目に値する。この事実の証明は解析学において非常に重要な進歩を約束する。
[1797年]3月29日 [ゲッチンゲン]

レムニスケート積分の逆関数はレムニスケート関数と呼ばれることが多いのですが、ガウスはこれを「レムニスケート的正弦」と見てsin lemnという記号で表記しました。円積分の逆関数はsinすなわち正弦関数ですが、アナロジーをたどったのでしょう。正弦関数の位相をずらすとcosすなわち余弦関数が生じますが、同様に「レムニスケート的余弦」から「レムニスケート的余弦」すなわちcos lemnが生じます。
 レムニスケート的な正弦と余弦をそれぞれ商の形に表示して、

   sin lemn(φ)=M(φ)/N(φ), cos lemn(φ)=μ(φ)/ν(φ)

と置くと、
   M(2φ)=2M(φ)N(φ)μ(φ)ν(φ)
   N(φ)=M(φ)^4+N(φ)^4
となります。これが、ガウスが挙げている5個の事柄のうちの[1]と[2]です。
 この説明はガウス全集版テキストに出ている註記を写したのですが、その註記はライステ、すなわちライステが書いた算術と代数の教科書の余白に書き留められたガウスのメモに基づいています。他の三つの事柄[3][4][5]についても註記が出ていることですし、ライステも参照して分析すれば相当に詳しい註記が書けそうです。

ガウスの数学日記57 レムニスケート曲線の5等分

第62項目の話題はレムニスケート曲線の5等分ですが、ここでガウスが語っているのはただの5等分ではなく、「幾何学的な」5等分です。すなわち、定規とコンパスのみを用いて5等分点を指定することができるという事実です。定規は直線を引くのに使い、コンパスは円を描くのに使います。直線と円という簡単な図形のみを手持ちにして、複雑な図形を描こうとするところにヨーロッパの数学の顕著な特徴が見られます。これを代数の言葉に移すと、レムニスケート曲線の5等分方程式(その次数は25になります)の根を平方根のみを用いて表示することができるという言明になります。


62.[レムニスケート曲線](1797年3月21日)
レムニスケート[曲線]は幾何学的に五つの部分に分けられる。
[1797年]3月21日 [ゲッチンゲン]

レムニスケート曲線の等分については高木先生の『近世数学史談』にも詳しく紹介されています。この方面のことでしたらファニャノの論文に言及しなければなりませんし、ファニャノの影響を受けて書かれたオイラーの二論文も重要です。というのは、そこが楕円関数論の源泉だからです。
 ガウスはオイラーの論文は知っていたと思いますが、ファニャノの論文については何も語っていません。オイラーの論文にはファニャノ名前が出ていますから、ガウスが知らなかったはずはなく、しかもレムニスケート曲線の等分はファニャノの創意です。オイラーは微分方程式の代数的積分を求めようとする視点からファニャノの研究に注目し、等分そのものには関心を示していません。それにもかかわらずガウスがファニャノを語らないのはいかにも不審です。
 ガウスはレムニスケート曲線の等分問題を公表しませんでしたが、『アリトメチカ研究』の中でごくわずかにヒントを書き留めました。それを受けてレムニスケート曲線のみならず一般に楕円関数の等分理論を構築したのはアーベルです。

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プロフィール

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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