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リーマンを語る 176. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その11

 アーベルはまずはじめにルジャンドルの小さな疑念を晴らそうとしましたが、それがすんでからも数学の話がえんえんと続きます。よほど話を聞いてほしかったのでしょう。

〈私はこのテーマに関して「クレルレの数学誌」巻2、第4分冊掲載される論文の中でいっそう詳しく述べました。おそらくすでに御承知のことと思います。〉

ここでアーベルが示唆したのは、「与えられた素次数をもつ有理関数の代入を行うことにより、楕円関数に受け入れさせることの可能な相異なる変換の個数について」という論文です。アーベルの言う通り、「クレルレの数学誌」の巻4、第4分冊に掲載されました。刊行の日付は12月3日と記録されていますから、アーベルが手紙を書いた後のことになりますが、実際に刊行されたのはもっと早かったかもしれませんし、パリのルジャンドルがアーベルの手紙を受け取ったころには「クレルレの数学誌」もまたルジャンドルのもとに届いていたかもしれません。

〈楕円関数にはあるひとつの非常に注目すべき性質が備わっています。それは新しいものだと私は信じます。表記を簡単にするために
  Δx=±√(1-x^2)(1-c^2 x^2 )
 Π(x)=∫dx/((1-x^2/a^2) Δx); ω(x)=∫dx/Δx, ω_0 (x)=∫x^2 dx/Δx
と置くことにしますが、そうしますとつねに
  ω(x_1)+ω(x_2)+・・・+ω(x_μ)=C
  ω_0 (x_1)+ω_0 (x_2)+・・・+ω_0 (x_μ)=C+p
となります。ここで、pは代数的な量です。また、x_1, x_2, ・・・, x_μは
 (fx)^2-(φx)^2・(1-x^2)(1-c^2 x^2)=A(x^2-x_1^2)(x^2-x_2^2)・・・(x^2-x_μ^2)
という形の等式を満たすという様式で相互に結ばれているとします。ここで、fxとφxは不定量xの任意の整関数ですが、一方は偶関数、もうひとつは奇関数です。このとき、
 Π(x_1)+Π(x_2)+・・・+Π(x_μ)=C-a/2Δa・log((fa+φa・Δa)/(fa-φa・Δa))
となります。この性質は、(Δx)^2がx^2の任意の整関数としても、超越関数
   Π(x)=∫dx/((1-x^2/a^2)Δx)
に所属するのですが、それだけにいっそう注目に値すると私には思われます。私はその証明を「クレルレの数学誌」巻3の第4分冊に掲載される小さな論文において与えました。〉

 ここで言及されているのは「ある種の超越関数の二、三の一般的性質に関する諸注意」という論文で、これについては前に紹介したことがありました。アーベルはこの論文の核心の部分をルジャンドルに報告したのですが、これを要するに「超楕円関数の加法定理」の発見を告げたことになります。「パリの論文」の主題を特別の場合について表明したのですが、特別の場合とはいえ楕円関数よりもはるかに一般的な関数が対象になっています。一般性は高いのですが、形が楕円関数に似ていますので、「超楕円関数」と呼ばれています。
 アーベルは「パリの論文」そのものにはまったく触れませんでしたが、テーマを同じくする新たな論文「諸注意」を語りました。「パリの論文」の存在をルジャンドルに思い出してほしかったのでしょう。
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リーマンを語る175. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その10

 n=2の場合の考察が続きます。

〈ここまでのところではnは奇数で、しかも1より大きいとされています。もしnが2に等しいとしますと、c’はやはり6(n+1)=18個の異なる値を取ります。それらの18個の値のうち、

  y=(a+bx^2)/(a’+b’^2)

という形のyの値に対応する値が6個あります。それらは

 c’=(1±c)/(1-+c’),
   (1±√(1-c^2))/(1-+√(1-c^2)),
   (c±√(c^2-1))/(c-+√(c^2-1))

です。y=(ax)/(1+bx^2)という形のyの値に対応する値が4個あります。すなわち、

 c’=(2√(±c))/(1±c), (1±c)/(2√±c);
y=(1±c) (x)/(1±cx^2)

がそれらの値です。最後に、他の8個のモジュールに対し、yは

  a (A+Bx+Cx^2)/(A-Bx+Cx^2)

という形をもちます。それらの8個のモジュールは

  c’=((1±c±√(2√±c))/(1±c-+√(2√±c))^2

です。〉

これで有理関数による変換の問題は完全に解決されました。

リーマンを語る174. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その9

 著書を送るとのルジャンドルの申し出を受けて、アーベルは送付先を伝えました。

〈お申し出をいただきました御著作『楕円関数概論』を感謝をもって拝受いたします。下記の住所にお送りいただけますよう、お願いいたします。

 クリスチャニアの書籍業者メッセル=カイセル商会
 委託先:パリ、ケ・マラケ河岸1、シュベール=ハイデロフ〉

 この時期のアーベルは住所が不安定だったようで、送付先として指定されたのは現に住んでいる場所ではなく、メッセル=カイセル商会という書籍業者でした。「シュベール=ハイデロフ」というのはパリの出版社のようで、クリスチャニアのメッセル=カイセル商会との間で取引があったのでしょう。

 続いてアーベルはルジャンドルの疑問に応じようとしました。

〈あなたが光栄にも私に求めた説明を、急いで実行したいと思います。素数nに対応する異なる変換の個数は6(n+1)であると私が言うとき、それは、yのところに

y=(A_0+A_1 x+A_2 x^2+A_3 x^3+・・・+A_n x^n)/(B_0+B_1 x+B_2 x^2+B_3 x^3+・・・+B_n x^n)

という形の有理関数を代入するとき、微分方程式

 dy/√(1-y^2)(1-c’^2 y^2)=ε・dx/√(1-x^2)(1-c’^2 x^2)

が見た去れという前提のもとで、モジュールc’に対して6(n+1)個の異なる値を見つけることができるという意味なのです。これは実際に成立する事柄なのですが、c’の諸値の中には、

y’=(A_1 x+A_2 x^2+A_3 x^3+・・・+A_n x^n)/(1 +B_2 x^2+B_4 x^4+・・・+B_(n-1) x^(n-1))

という形のyに対応するものがn+1個だけ存在します。ヤコビ氏が語っているのはこれらのn+1個のモジュールなのです。実際、これらはある次数n+1の方程式の根です。これらのn+1個の値を既知とすると、他の5(n+1)個の値を手に入れるのは容易です。実際、それらのモジュールのひとつをc’で表すと、次に挙げるようなモジュールが得られます。

   1/c’,
   ((1-√c’)/(1+√c’))^2,
   ((1+√c’)/(1-√c’))^2,
   ((1-√-c’)/(1+√-c’))^2,
   ((1+√-c’)/(1-√-c’))^2

これらのモジュールには、次に挙げるyの値が対応します。

   y’/c’;
   (1+√c’)/(1-√c’)・(1±y’√c’)/(1-+y’√c’);
   (1-√c’)/(1+√c’)・(1±y’√c’)/(1-+y’√c’);
   (1-√-c’)/(1+√-c’)・(1±y’√-c’)/(1-+y’√-c’);
   (1+√-c’)/(1-√-c’)・(1±y’√-c’)/(1-+y’√-c’)

微分方程式に代入することにより、このことは簡単に確認されます。モジュールc’のこれらの6(n+1)個の値は、cのいくつかの値に対する場合を除いて、すべて互いに異なっています。〉

 これで、ルジャンドルの疑問への解答ができました。

リーマンを語る173. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その8

 ルジャンドルは手紙の末尾で数学の話題に転じ、モジュラー方程式に関するひとつの疑問をアーベルに提示しました。

〈私の目には、興味のある点がひとつあります。それは、あなたはヤコビ氏と完全に一致しているわけではないということなのです。nが素数の場合、あなたがc_1およびcと呼んでいるものの間に成立するモジュラー方程式は次数がn+1であるとヤコビ氏は言い、「クレルレの数学誌」の巻3の193頁で、n+1個の根―そのうち二つは実根で、他のn-1個は虚根です―の級数表示を与えています。これは、n=3およびn=5の場合に対する既知の結果と合致しているように見えます。その場合には、問題の方程式は4次および6次になります。ところがあなたは、モジュールの個数は6倍の大きさになると告示しています。それゆえ、n=5の場合には36個のモジュールc_1が存在することになりますが、モジュラー方程式は6次にすぎないのです。これが、私があなたに提示する困難です。これについて、私に手紙を書いていただく機会がありましたら、ほんの少しだけ解き明かしてほしいのです。あるいは、「クレルレの数学誌」に出す予定の次の論文の中に書き添えていただけるのかもしれません。〉

 10月25日付のルジャンドルの手紙はこれで終わりです。アーベルは一ヶ月後の11月25日付で返信を書きましたが、その中でルジャンドルが表明した疑問にも触れています。
 11月25日付のアーベルの手紙は非常に長く、「生誕100年記念論集」で見ると9頁を占めています。書き出しの言葉は次の通りです。

〈10月25日付で送付していただいたお手紙はあまりにも大きな喜びを私に与えてくれました。私の数篇の論文が今世紀の最大の幾何学者のひとりの注意を引くだけの値打ちのあることを理解した瞬間を、私の人生のもっとも幸福な瞬間のひとつに数えたいと思います。それは私の研究に寄せる情熱を最高の高みに押し上げました。私は私の研究をこれからも熱意を込めて継続していくつもりですが、もし大きな幸いに恵まれて二、三の発見をなすことができたなら、それらは私の発見というよりもあなたに帰される発見です。といいますのは、あなたの光によって道案内をしていただかなかったなら、私には何もできなかったにちがいないからです。〉

 ルジャンドルの手紙を受け取ったアーベルの喜びがどれほど大きかったことか、手に取るように伝わってきます。

リーマンを語る172. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その7

 ヤコビの著作に言及した後、ルジャンドルはすぐに続けてアーベルの著作を話題にしました。

〈たぶんあなたは今のところ、あなたのいろいろな発見を含む同じような書物を出版することはできないのではないかと思います。そのような書物は私たちにとって非常に興味の深い作品なのですが。その代りというわけではありませんが、クレルレとシューマッハーの学術誌に、あなたの諸定理の証明を与える新たな諸論文を掲載していただけますよう、私は望んでいます。〉

 ルジャンドルはアーベルが楕円関数論をテーマにして一冊の書物を出してくれることを期待していたようですが、同時に、たぶん無理だろうとも言っています。おそらくアーベルは10月3日付のルジャンドル宛の手紙の中で、著作を出したいという希望を述べるとともに、日々の生活が苦しいことを率直に語ったのでしょう。
 出版に見込みは立たなかったにせよ、ヤコビと同様、アーベルにも著作の企画がありました。アーベルは論文「楕円関数研究」の続篇を「第二論文」と称して執筆していたのですが、これを中断して新たに「楕円関数論概説」という論文を書き始めていました。論文というよりも、アーベルとしては著作の形で公表したいと望んでいたようなのですが、これは無理で、実際には論文として「クレルレの数学誌」に掲載されました。もっともそれもまた順調に進んだわけではありませんでした。
 論文「概説」は「クレルレの数学誌」の第4巻に二回に分けて掲載されました。五つの章で構成されているのですが、第一章から第三章までは第3分冊に掲載されました。刊行されたのは1829年6月10日ですから、すでにアーベルの没後のことになります。第四章と第五章は第4分冊に掲載されました。刊行の日付は7月31日。しかも「概説」は未完成でした。
 アーベルは「概説」の原稿をクレルレのもとに送付したのですが、実際に送付されたのは第五章の書き出しのあたりまででした。クレルレとしては原稿が完成するのを待って掲載する考えだったことと思いますが、待っているうちにアーベルが亡くなってしまいましたので、没後、手もとにある原稿だけを掲載したのでした。アーベルは完成をめざしていたようで、1874年になって第五章の続きの数頁が発見されるという出来事がありました。アーベルが亡くなってから45年後のことです。その数頁はホルンボエが編纂したアーベル全集には未収録ですが、シローとリーが編纂した二回目の全集には収録されています。

リーマンを語る171. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その6

 ルジャンドルの手紙の続きを見ると、アーベルを手放しで賞賛する言葉が並んでいます。

〈あなたの手紙の末尾は、楕円関数と、楕円関数よりいっそう複雑な関数に関するあなたの研究に対してあなたが与えることのできた一般性のゆえに、私を混乱させてしまいます。これほどまでにみごとなさまざまな結果へとあなたを導いた方法を知りたいと、強く望んでいます。もっとも理解できるかどうか、それはわかりません。ですが、確実なこともあります。それは、このような困難を克服するためにあなたが用いることのできた手段はどのようなものなのか、何の考えも思い浮かばないということなのです。この若いノルウェー人の頭脳は何というとんでもない頭脳なのだろうか。〉

〈あなたが変換について述べている事柄の一部分は私もすでに知っていますし、私の第一番目の補遺にも書かれています。ですが、他の部分では、あなたが知っている事柄の範囲は私の知識よりはるかに広大です。とりわけ虚変換に関する事柄を解明する仕事がまだ残されています。このテーマについては、ヤコビ氏が出版することになっている200頁の著作を待っているところです。その印刷はもう始まっています。〉

 「私の第一番目の補遺」というのは、この時期のルジャンドルが執筆中の『楕円関数概論』の巻3の一部分を指しています。ヤコビもまた200頁ほどの著作を執筆中であることが伝えられていますが、これは『楕円関数論の新しい基礎』のことです。最近、簡易装幀の復刻版を入手したのですが、それを見ると本文は188頁です。ほかに序文と目次、それに誤植訂正がついています。

リーマンを語る170. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その5

 ヤコビとアーベルを語るルジャンドルの言葉が続きます。

〈これほどまでの率直さをもって表明された告白は、あなたにとって名誉であるのと同じくらい、ヤコビ氏にとってもまた名誉なことです。あなたたちはあなたたちの感情の高貴さと、互いに認め合う公正さとにより、疑いもなくお互いに相手にとって相応しい人物なのです。〉

〈私の『楕円関数概論』全二巻ぜひお送りたいと思います。この本は1827年1月に出版されたのですが、『積分計算演習』にはない事柄が非常にたくさん含まれています。この本にはあなたに教えるものは何もないでしょう。それどころか、私のほうこそ、この著作の内容を数々の貴重な発見を用いて豊かにするために、あなたがたに頼っているのです。それらの発見には、私自身の研究では決して到達することはできないでしょう。といいますのは、私はもう研究することが困難になるか、不可能にさえなるほどの年齢に達したからです。〉

 ルジャンドルの『楕円関数概論』というのは「楕円関数とオイラー積分概論」という本で、全三巻で構成されています。巻1は1825年, 巻2は1826年, 巻3は1828年に刊行されましたが、巻3はルジャンドルがアーベルに宛てて手紙を書いている時点ではまだ出版されていませんでした。巻1と巻2は1827年1月に出版されたと言われていますが、本の実物を見ると巻1には1825年, 巻2には1826年という刊行年が明記されています。ですが、ルジャンドルの言葉もまちがっているわけではなく、たぶん巻2の出版は年明けの1827年1月にずれ込んだのでしょう。
 あるいはまた、ルジャンドルの言葉から察するに、巻1と巻2は1827年1月に同時に刊行されたとも考えられるところです。もしそうなら、アーベルのパリ滞在中にはまだ書店に並んでいなかったことになりますし、その後、帰国した後に入手したのかどうかも不明瞭です。おそらく読む機会はなかったのではないかと思います。
 『積分計算演習』は、長い書名をそのまま書くと『さまざまな位数の超越関数と面積の算出に関する積分計算演習』という著作で、全三巻です。巻1は1811年、巻2は1814年,巻3は1819年に刊行されました。これはアーベルも読んでいます。

リーマンを語る 169. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その4

 数学的に見て重要そうな箇所や、おもしろそうなエピソードに焦点を宛てて手紙を紹介しようと思ったのですが、やはり抄訳ではよくないと思いますので、なるべく長く、できれば全文を読んでみたいと思います。
 それで1828年10月25日付のアーベルからルジャンドルへの手紙に立ち返りたいと思います。
言葉遣いをていねいにして書き出しの部分を訳出すると、こんな感じになりそうです。

〈今月3日付でお送りいただいた興味の深いお手紙を大きな喜びをもって拝受し、拝読いたしました。〉

〈楕円関数論での御研究の場で偉大な成功をおさめられましたことに、心よりお祝いを申上げます。あなたがクレルレとシューマッハーの学術誌に公表されたみごとな御論文の数々のことは、前々から承知していました。御研究の続きについて新たな知見の数々を細部にわたってお伝えしていただきましたが、それらにより、あなたがすでに手にしている、学問をする人々やわけても私からの高い評価を求める権利はますます高まることになりました。もっとも、そんなことがありうるならばのことですが。〉

 こんな言葉を見ると、ルジャンドルを話相手にして熱心に数学を語り続けるアーベルの姿が目に浮かびます。最後の「もっとも、そんなことがありうるならばのことですが」という一文は意味をとりにくいですが、アーベルはすでに高い評価を求める権利を、これ以上はもう考えられないほど十分に手にしているのであるから、さらに高めようにももう限界だというほどの意味ではないかと思います。ルジャンドルはアーベルを大きく持ち上げて賞賛したことになります。お世辞混じりの褒め言葉と思いますが、若年のアーベルにわざわざそんなふうに語りかけるのもまた極端な感じですし、きっとこのような場合の決まり文句だったのでしょう。

〈あなたの数々の発見の功績を認めますし、私としては当然のことながらそうしなければならないのですが、あなたの勝利とあなたの好敵手のヤコビ氏の勝利に、私もまたいわば加わらせていただいているのだと誇りに思う気持ちを禁じえません。といいますのは、自然があなたたちに与えてくれた大きな才能を開花させるきっかけを得たのは、たいていの場合、私の諸著作を学ぶことを通じてのことだからです。〉

 ここもまた非常に謙遜した言い回しですが、アーベルとヤコビは楕円関数論の領域において自分の継承者であることが強調されています。

〈シューマッハー氏の学術誌の第138号に掲載されたあなたの論文について、ヤコビ氏は最近の手紙のひとつの中でこんなことを言っています。〉

 ルジャンドルはこのように前置きして、アーベルを語るヤコビの言葉をそのまま写しました。これはだいぶ前にしょうかいしたことがありますが、再現すると次の通りです。

〈この号(「天文報知」第138号)には変換に関する諸定理の厳密な論証が出ていますが、それは同じテーマに関する私の報告には欠如していました。その証明は私の研究を越えていますし、私の賞賛をも越えています。〉

 ヤコビの目には当初からアーベルの真価が映じていたことが素直に伝わり、何度読んでも心を打たれます。

リーマンを語る 168. アーベルとルジャンドルの往復書簡 その3

 懸案のエッセイ「オイラーの無限解析」がようやく仕上がりましたので、「リーマンを語る」にもどりたいと思います。アーベルとルジャンドルの往復書簡を読もうとして、1828年11月25日付のアーベルの手紙を紹介しようとしかけたところで中断したのでした。この手紙は10月25日付のルジャンドルの手紙への返信でした。ルジャンドルから手紙をもらったアーベルは非常に感激したようで、文面いっぱいに喜びがあふれています。
 アーベルの数学研究の真価を理解する人はノルウェーにはいませんでした。ルジャンドルも理解できるとは言えませんし、事実、ルジャンドルはコーシーとともに「パリの論文」を審査することになっていたのですが、放置してしまいました。アーベルは「パリの論文」と同じテーマの「諸注意」という論文を書き、11月25日付の手紙でその概要をルジャンドルに伝えたのですが、アーベルにしてみれば「パリの論文」のことを思い出してほしかったのだろうと思います。アーベルは「諸注意」が「パリの論文」と関係があることは語りませんでした。ルジャンドルもまた「諸注意」の話を聞いても「パリの論文」を思い浮かべることはありませんでした。「パリの論文」のことはすっかり忘れてしまっていたのでしょうし、「諸注意」の内容もよくわからなかったのではないかと思います。
 パリでアーベルに会ったことをルジャンドルが覚えていたかどうかも実ははっきりしないのですが、ルジャンドルはアーベルの手紙に対して懇切な返事を書き送りました。ルジャンドルはその前にヤコビとの間で手紙のやりとりを始めていて、ヤコビからアーベルの話を聞いていました。ガウスのことはひとまず措くと、ヤコビはアーベルを理解する唯一の人でしたし、ルジャンドルはヤコビの研究は高く評価することができました。アーベルを賞賛するヤコビの言葉がルジャンドルに影響を及ぼして、ルジャンドルはアーベルに返事を書く気持ちになったのであろうと思います。それに、ルジャンドルはもともと親切な人でした。

書簡の引用をめぐって

日本文の表記には一応の規準はありますが、正書法というのは必ずしも存在しないようで、文章を書こうとするといつも迷いが生じます。迷いの中味を大きく分けると、まずはじめに仮名遣の問題があります。もっともこの問題は歴史的仮名遣に沿って表記すると決めれば解決するのですから、実行はむずかしいとしても(相当に立ち入って独学で勉強しなければなりませんから)、本質的な意味での困難はありません。それから送り仮名の振り方も迷いの原因になります。漢字で表記する単語の語幹の部分の下部、すなわち変化する部分をひらがなで表記して送ることにすればよさそうですが、冗長になりすぎたり、すぐに例外が出てきたりしますので、決定的な解決策にいたりません。ここはひとまず「なるべく少なく送る」という方針を立てて対処するのがよいのではないかと思います。それと、もうひとつの問題は漢字の字体をどのように選定するかということです。
 60年ほど前に「現代仮名遣い」と当用漢字表と当用漢字字体表が制定され、送り仮名についても規準のようなものが発表されていますから、その範囲で表記すればひとまず間に合いそうですが、実際にはむずかしい問題に遭遇して困惑させられることがあります。現代文というか、今日の表記法が定まって好教育で教えられてきた60年ほどの間に限定して文章を綴るのでしたら、定まった枠内でのことですから別段、問題は生じません。ところが、数年前のことですが、60年以上の昔の書簡文を引用しようとしたとき、実に不可解な状況に際会しました。
 引用にあたって、こうすればよいだろうとひとまず考えられるのは、「対象となる文章をそのまま写す」ということであろうと思います。戦前の教育のおかげで古い手紙は歴史的仮名遣で書かれていますから、そのまま写すということで問題ありません。ときどき間違っていることもありますが、その場合には、よほど特殊な引用ではない限り、正しい仮名遣にあらためて引用するのがよいと思います。困るのは漢字の字体です。手紙というのは本質的のその場限りのもので、受け取った人に意が伝わればよいのですから、漢字をつねに正字で表記する必要はなく、適当な略字が使われました。たとえば「学校」の「学」の正字は「學」ですが、「学」と略記することはごく普通に行われていました。では、略字で「学校」と表記されている手紙を引用する場合、そのまま写すのがよいのでしょうか。あるいは、正字に直して「學校」とするのがよいのでしょうか。昔は略字だった「学校」が現在では正字として教えられているために、この迷いが生じます。
 ひとつの考え方として、手紙文はつねに「現代仮名遣い」と今日の略字に直して引用するという方針はありえます。この方針に徹することに決めればそれはそれで問題は解決しますが、これを実行するとあまりにも大幅な改竄のような感じがして、後ろめたさが伴います。この手の改竄は実は今では普通に行われていて、中島敦の小説など、今日の規準に沿って大幅に書き改められて文庫に収録されたりしています。
 というわけで、すべてを現在の規準に合わせることにすれば問題は生じないのですが、戦前の手紙をそのまま紹介しようとすると複雑な問題が発生します。戦前は手書きの文字と活字の文字は異なるのが普通のことで、作家の書簡集などを編纂して刊行するというような場合には、本人が実際に使用した略字もみな正字に直して活字にしたのではないかと思います。そこでもうひとつの考え方として、戦前の手紙は、実際にはどのような略字が使われているかにかかわらず、すべての漢字を正字体に直して引用するという方針が立てられそうです。これは改竄にはあたりません。送り仮名については書き手の好みもありますので、一方的に決めてしまうのはやはり無理で、原文の通りにするのがよさそうです。
 ずいぶん悩んだ末に以上のような考えに収斂していったのですが、この考えを引用文だけに適用するのはなんだか不自然にも思えます。一篇の文章に二種類の仮名遣が混じるのは変ですし、同じ漢字があるときは略字体、またあるときは正字体で表記されるというのも奇妙です。覆水は盆に返らないということわざにも一理がありますが、かつて行われた歴史的仮名遣と正字体を基礎として、遠くないうちに新たな仮名遣と漢字の字体が提案されるよう、待ち望みたいと思います。

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プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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