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新しい数学史を求めて(89) 情緒の数学史(29)虚数乗法論の芽生え

 話が前後してしまいましたが,アーベルの手稿の本文を見ると、楕円関数に関連のあるいろいろなことが書かれている中で、
 (*) dy/√(A-By^2+Cy^4)=a dx/√(A+Bx^2+Cx^4)
という形の微分方程式が目に留まります。ここで、A、B、C、aは実量なのですが、アーベルが考察したのはこの微分方程式の代数的な積分の可能性です。微分方程式(*)が代数的に積分可能というのは、この微分方程式を生成する力を備えているxとyの代数方程式f(x, y)=0、すなわち、その微分dfを0と等値して作られる方程式Mdx+Ndy=0が、方程式(*)と一致するという性質を備えた代数方程式が存在することを意味するのですが、もし代数的に積分可能であれば、係数aは必然的にある正有理数の平方根でなければならないと述べています。
 かつてファニャーノは微分方程式
 (**) dy/√(1-y^4)=dx/√(1-x^4)
のひとつの代数的積分x^2y^2+x^2+y^2-1=0を発見したことがありました。オイラーはこれを受けて一般的な代数的積分の発見に成功しましたが、アーベルが取り上げた微分方程式(*)はファニャーノの方程式(**)と別物ではありますが、とてもよく似ていることもたしかです。代数的積分の可能性が係数aに対して何かしら特異な形状を要請するというのですが、ここはアーベルに固有の洞察で、オイラーにもガウスにも見られません。アーベルは後に「虚数乗法論」という名で呼ばれることになる領域にはっきりと歩を向けています。変数分離型の微分方程式の代数的積分を追い求めているという点に着目する限りでは、オイラーの強い影響がうかがわれます。
 アーベルの4頁のノートは「二三の楕円公式に関するノート」という標題が伏せられて「クレルレの数学誌」の第4巻第1分冊に掲載されましたが、第4巻の刊行年度は1829年で、その第1分冊が出版されたのは1829年1月25日と記録されています。実際に執筆されたのはそれよりも前であることは当然ですが、「クレルレの数学誌」に掲載された論文には日付はありません。ところがファクシミリの手稿を見ると、末尾に
 「クリスチャニア 1828年9月25日」
と日付が明記されていて、見る者の感慨を誘います。クレルレは「クレルレの数学誌」への掲載にあたり、この日付を削除したのですが、シローとリーが編纂したアーベル全集でもそのまま踏襲されています。このような微細な事実が明るみに出されるのは手稿ならではのことですし、特有の魅力が備わっています。
 クリスチャニアはアーベルの故国ノルウェーの首都で、現在のオスロです。
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新しい数学史を求めて(88) 情緒の数学史(28)アーベルの手稿

 アーベルのフルネームはニールス・ヘンリック・アーベルといい、生誕日は1802年8月5日、生地はノルウェーのスタバンゲルの近くのフィンネという小さな島です。牧師の子どもでした。1829年4月6日には病気で亡くなっていますから、満年齢で26歳という若い死で、数学者として活躍できた日々は少ないのですが、数学的思索の奥行きは非常に深く、代数方程式論、楕円関数論、アーベル積分論など、さまざまな領域で大きな果実を摘みました。早く亡くなってしまったため、完成にいたらずに放棄された課題も多かったのですが、それらはアーベルの魂を継承する人々の心に強い印象を刻み、長い年月を通じて育まれていきました。数学は人が創る学問ですから、数学者の思索の痕跡を伝えてくれる種子や苗木がたいせつなことは結実した果実に劣りません。
 アーベルの終焉の地になったのはフローラン・ヴェルクというところです。1839年は没後10年になる年ですが、この年、アーベルの師でもあり友でもあったホルンボエ先生の手で『アーベル全集』全一巻が編纂され、刊行されました。これが最初のアーベル全集です。
 一般に数学の原典というと刊行された著作や学術誌に掲載された論文が念頭に浮かぶものですが、さらにその奥に手書きの原稿が目に触れることもあります。手書きの原稿にもまた二種類があり、研究ノートというか、思索の足跡を記録した書き物もあれば、出版を予期した浄書稿もあります。実際にはなかなかお目にかかることはないのですが、岡潔先生の大量の遺稿を細大漏らさずすべて見たことがあります。これまでの人生でただ一度だけの貴重な体験でした。
 ヨーロッパの数学者についても、オイラーやガウスの全集の素材になった一群の原典が存在するはずですが、保管場所は日本国内ではありませんし、実物を見るにはヨーロッパのしかるべき場所に足を運ばなければなりません。バーゼル大学に行けばベルヌーイ兄弟の遺稿が見られるかもしれませんし、ゲッチンゲン大学にはガウスやリーマンの手稿がありそうです。オイラーならペテルブルクとベルリンの科学アカデミー、アーベルならはるばるノルウェーまで出かけていかなければならないところですが、たとえそんな調査旅行を決行したとしても、自分の手で全集を編纂するなどという芸当はとてもできそうにありません。
 それでどうしてもヨーロッパの数学者や数学史家たちが編纂してくれた全集を典拠にすることになるのですが、何かのおりに手書きの研究記録を見ることができたなら、それらはなにしろ原典中の原典なのですから、つねに珍重したい心情に誘われます。そんな機会は日本国内ではめったにありませんが、ヨーロッパの古い数学誌(これなら国内にあるものもあります)にはときおりファクシミリが附されていて、多少ともよすがをしのぶことができる場合があります。数学史研究のささやかな余禄です。
 アーベルの全集はアーベルの後輩のノルウェーの数学者シローとリーの手で、もう一度、編纂されました。今度は全二巻の構成で、刊行年は1881年です。
 1902年はアーベルの生誕100年にあたりますので、1902年から1904年にかけて、北欧の数学誌「数学輯報」第26, 27, 28巻は「アーベル記念号」となりました。ポアンカレやパンルベなどによるアーベルにゆかりの諸論文が並んでいます。「数学輯報」でしたら国内の大学にも保管されていますので参照することができますが、第27巻の巻末にアーベルの論文「二,三の楕円公式に関するノート」の手書きの原稿のファクシミリが収録されています。全部で4枚。フランス語で書かれています。論文の本文は最後の4枚目の左半分までで終了し、その右側にはクレルレ宛のドイツ語の手紙が附されています。それは1828年9月10日付のクレルレの手紙に対する返書です。この年の5月、アーベルの論文「楕円関数研究」の後半が「クレルレの数学誌」の第3巻第2分冊に掲載されて簡潔したのですが、クレルレはルジャンドルやヤコビから聞こえてくる好意的な反響をアーベルに伝え、ノルウェーで孤独な思索の日々を送るアーベルを激励しました。そこでアーベルは感謝の気持ちを表明し、合わせて論文「楕円関数概説」の完成をめざそうとする企図を明らかにしたのでした。
 クレルレは数学を愛好するプロシア政府の高官で、枢密顧問官、建設技官ですが、「純粋数学と応用数学のための雑誌」という学術誌をみずから創刊した人物でもありました。アーベルの人と天才を愛し、いつもなにくれとなく親切にしてくれました。

新しい数学史を求めて(87) 情緒の数学史(27)

 数学書房の数学講座には20人ほどの出席者がありました。「解析概論の系譜」という題目を立てて90分の講義を3回行いましたが、みな非常に熱心で、質疑応答も活発に行われました。
 今月は旅の日が続きましたが、これで一段落しましたので、これからまた「情緒の数学史」にもどりたいと思います。

 複素指数関数f(z)=e^zは「円関数」と呼ぶのが相応しいのではないかと思いますが、円関数の諸性質の中に平方剰余相互法則の証明原理がひそんでいることが発見されたのは実に思いがけないことで、ガウスの天才の所産というほかはありません。円関数は超越関数ですが、解析関数であり、しかも周期関数でもあります。同様にレムニスケート関数もまた超越関数で、解析関数でもあり、やはり周期関数です。ガウスの直観は、レムニスケート関数の中に4次剰余相互法則の証明原理がひめられていることを早くから洞察したようで、その片鱗を『アリトメチカ研究』の第7章の書き出しのところにごくささやかに書き留めました。ガウスの洞察は真理を射抜いていたのですが、実際に論文の形で公表されるにはいたらず、継承者たちの手にゆだねられることになりました。
 これから先はガウスの継承者たちのひとりひとりの物語になり、アーベル、ヤコビ、ガロア、アイゼンシュタイン、ディリクレ、クンマー、エルミート、クロネッカー、ヴァイエルシュトラス、リーマン、ヒルベルト等々、19世紀の数学史を彩る偉大な数学者たちの名前が次々と心に浮びます。どこまで進んでいけるものやらわかりませんが、目標を「ヒルベルトの第12問題」あたりに定め、アーベルの話あたりから説き起こしていけば、糸口がつかまるのではないかと思います。

数学史京都会議が終了しました

8月27日は数理研の研究会の最終日で、講演が四つありました。初日が8個、二日目と三日目がそれぞれ9個の講演が続き、みなさんだいぶお疲れのようでしたが、それでも四日目にも20名ほどの人が集りました。文献の指示がでたらめな講演がひとつあったのは残念でしたが、四日間を通じて和洋両洋の数学史の研究報告が続き、見るべきものがありました。
 来年は高木貞治先生の没後50年の節目の年ですので、四日のうちの一日を高木先生の特集日にあてて、関連する講演をそろえたらおもしろいのではないかというアイデアも出ました。講演のひとつはぜひ「評伝高木貞治」にしたいところですが、どなたか適任者はいないものでしょうか。
 今月は半ばに旅行に出てから旅の日が続き。もう二週間になります。数理研の研究会が始まってからはどうもゆとりがなく、ブログの更新もままならなくなってしまいました。本日29日は数学書房の数学講座があり、一連の予定はこれでひとまず完了しますので、明日からまた「情緒の数学史」に手をもどしたく思います。

三日目の数学史研究会

京大数理研の研究会の三日目が終りました。これで26個の講演がすみました。今回は一番前の席にすわってすべての講演を聴いています。
二日目の25日の懇親会の会場は「がんこ高瀬川二条」でした。高瀬川のほとりで、復元された高瀬舟が浮んでいました。研究会はあと一日。残る講演は四つです。
研究会の終了後、東京に行き、29日、数学書房主催の数学講座に出席します。途中の休憩をはさんで90分の講義が三回という長丁場です。
数理研の研究会と数学書房の数学講座が終了をまって「情緒の数学史」の続きを書きます。

京大数理研の数学史研究会

8月も末になりましたが、先日お伝えした通り、今週は週明けの月曜日24日から京都大学の数理解析研究所で数学史の研究集会が始まりました。京大の数理研は共同利用施設ですので、一年中、いつでも何らかの研究集会が行われています。
毎夏8月の数学史研究会は、発足当初は参加者もごくわずかで細々と行われていましたが、ここ数年はたいへんな盛況で、今回も30個の講演が揃いました。和算の講演が目立ちますが、ヨーロッパ中世の数学史もあり、ガウスもオイラーもあります。講演時間は40分程度になってしまうのがやや残念ですが、質疑応答も活発ですし、若い新人の参加者もいます。二日目の25日の夕刻には懇親会がありました。
 おもしろいことがありましたらまたお伝えします。

新しい数学史を求めて(86) 情緒の数学史(26)数論と楕円関数論

 数学者ガウスの洞察力の及ぶ範囲は、円周等分方程式論の中に平方剰余相互法則の証明の原理を見たというところにのみ限定されるのではありません。それだけでもすでに想像を絶する領域に踏み込んでいると思うのですが、『アリトメチカ研究』の第7章の冒頭にレムニスケート積分が明記されていることに象徴されているように、数学的自然を見るガウスの目は、はるかに先に開かれるであろう光景を見ていました。結論を先に述べておきますと、それは次数4の相互法則のことなのですが、ガウスはその4次剰余相互法則の正面の原理が「レムニスケート積分に関連する関数」の諸性質の中にひそんでいることを、非常に早い時期から洞察していたのでした。
 平方剰余相互法則を発見した当初、ガウスはすでに3次、4次はもとより完全に一般的な高次冪剰余相互法則が存在することを確信していましたし、しかも高次冪剰余相互法則が全容を表す場所は有理整数域ではなく、数1の高次の冪根により生成される複素数域であることも、正しく感知していました。これに加え、こればかりはガウスといえでも具体的に指摘することができたのは、4次の相互法則の場合のことのみだったのですが、平方剰余相互法則の場合には複素指数関数f(z)=e^z、4次剰余相互法則の場合にはレムニスケート関数のように、一般に数論と超越関数の間には親密な関連が認められることを正しく感じとっていました。しかもその場合、超越関数というのは複素解析関数です。
 このようなガウスの数学的思索はガウスひとりの思索の世界に所属するのであり、その限りでは普遍性はありません。それにガウスは思索の様相のすべてを公表したわけではなかったのですが、ガウスはあまりにも強力な磁場の中心にいたようで、アーベル、ヤコビ、ガロア、ディリクレなど、ガウスの次の時代の人々を強力に引きつけました。たとえたったひとりきりの未完成の思索であっても、人の心をとらえて話さない神秘的な磁力を発揮することはありえるのですし、だからこそ数学の歴史が形成されるのであろうと思います。ガウスほどの強力な磁場を生成する人は長い数学史上を顧みても数えるほどしかいませんが、彼らこそ、真に数学を創った人々というに値します。
 ガウス以降、相互法則と解析関数の間の親密な関係をすっかり明らかにしようとする試みは、19世紀の全体を通じて謎めいた魅力をかもすテーマになりました。そこに何かしら深遠な課題がひそんでいることはありありと感知されるのですが、何をどうすれば解決されたことになるのか、それすらも明瞭ではありません。数学の魔力そのものが純粋結晶と化してぼくらを誘惑しています。


新しい数学史を求めて(85) 情緒の数学史(25)数論と円周等分方程式論

 オイラーとファニャーノとの出会いの際の数学的情景を回想し、それからここまでのところで楕円積分論もしくは楕円関数論のさまざまな側面を目にしてきました。視点の設定の仕方に応じて、この理論は、オイラー積分という名の積分の定値の算出法、楕円型微分方程式の解法理論、楕円積分の加法定理等々、多種多様な光景をぼくらの眼前に描きます。等分理論を考えれば、等分方程式という名の大量の代数方程式が供給され、それらの代数的可解性の究明を通じて代数方程式論に新展開がもたらされました。楕円積分論もしくは楕円関数論とは何かと問われても、簡潔にひとことをもって答えることはできそうにありません。実に内容が豊富でおもしろい理論です。
 ところがガウスはこれらに加えてさらにもうひとつ、楕円関数論の驚くべき側面を発見しました。それはガウスのほかにはだれも気づかなかったことで、ガウスをまってはじめて明るみに出されたのですが、楕円関数論は整数論と親密な関係で結ばれているというのです。しかもその場合の整数論というのはガウス以前に成立していた「オイラーの数論」ではなく、ガウスの創意が生み出した「相互法則の理論」を指しています。
 『アリトメチカ研究』の第7章のテーマは何かと問われたなら、円周等分方程式論、とひとまず答えます。円周等分方程式の何を論じるのかと重ねて問われたなら、代数的可解性、特に平方根のみを用いて解ける場合の探求(言い換えると、正多角形の作図問題の解決)、と答えることになりますが、これはこれでまちがいではないのはこれまでに見てきた通りです。ですが、これだけならガウスの円周等分方程式論は代数方程式論に所属することになり、整数論の名を冠する書物の一区域を占める理由が理解できなくなってしまいます。
 ガウスの円周等分方程式論は代数方程式論の見地からみてもまったく画期的で、代数方程式論はガウスの登場をまって一変し、「不可能の証明」ができたり、ガロア理論やアーベル方程式の概念が生まれたりしたのですが、ガウス自身の数学的意図は数論にありました。ガウスの数論というのは、ひとことで言えば「相互法則の探求」ということに尽きますが、著作『アリトメチカ研究』の段階でガウスが苦心していたのは次数2の相互法則、すなわち平方剰余相互法則の証明を見つけることでした。ガウスはすでにこの証明に成功し、『アリトメチカ研究』の第4章と第5章で二通りの証明が記述されましたが、ガウスにはガウスに固有の理由があって、別の原理に依拠する証明の探求を続けました。それで、ガウスの円周等分方程式論はただの代数方程式論ではなく、平方剰余相互法則の証明をここから汲むことに、真実のねらいがありました。
 具体的に言うと、それは今日「ガウスの和」と言われる和の数値を求めることなのでした。「ガウスの和」というのは有限フーリエ級数とも言うべき形の和で、正弦や余弦を用いて組み立てられているのですが、その和が決定されると、その決定の様式それ自体を通じて平方剰余相互法則の証明が得られるというのが、ガウスのアイデアなのでした。後年、このアイデアはガウスの意図した通りに実現したのですが、『アリトメチカ研究』の時点ではガウスの和の大きさ、すなわち絶対値が求められただけに留まり、符号の決定にはいたりませんでした。そのため平方剰余相互法則の証明も記述することができず、その結果、第7章の真実の意図はいくぶん不明瞭になりました。
 円周等分方程式論の中に数論の原理がひそんでいるとは、オイラーもラグランジュもアーベルもガロアも、だれにも思いもよらなかったことで、ガウスの独創というほかはありません。

新しい数学史を求めて(84) 情緒の数学史(24)

 ガウスの円周等分論の中味をここでもう一度回想したいと思います。簡単なこともむずかしいことも合わせて、ガウスが明らかにした事柄は次の通りです。

1 円周等分方程式の根は基本周期2π√-1をもつ複素指数関数f(z)=e^zの周期等分値である。
(基本周期のn等分を考えることにして、ω=(2π√-1)/nと置くと、関数f(z)=e^zの周期n等分値はe^(kω)(k=0, 1, ..., n-1)で表されます。この認識の根柢にはオイラーの公式e^(θ√-1)=cosθ+√-1 sinθがあります。)
2 円周を等分することと正多角形を作図することは同等である。
(言うまでもないことではありますが、この認識により、正多角形の作図という古くからの問題が、円周等分方程式という代数方程式を解く問題に還元されました。)
3 円周等分方程式は代数的に可解である。
(代数方程式の代数的可解性を左右するのは「諸根の相互関係」です。この認識のもとに、ガウスは、円周等分方程式は「巡回方程式」であることを具体的に示し、代数的可解性を証明しました。)
4 nはフェルマ素数、すなわち2^mという形の素数とするとき、円周のn等分方程式は平方根のみを用いて解くことができる。言い換えると、フェルマ素数nに対し、正n角形を定規とコンパスのみを用いて作図することができる。
(逆に、このような現象が見られるのはnがフェルマ素数の場合に限定されます。ガウスはそれを明記していますが、証明は与えていません。)

 実はガウスの円周等分論の成果はこれだけではありませんし、ガウスが真にめざしたこともほかの場所にあるのですが、アーベルの手に継承されたことという観点から見ると上記の四つで尽くされています。アーベルは楕円関数の等分方程式を考えるのですが、その根は楕円関数の等分値です。楕円関数は変数の範囲を複素数域に拡大して考えられていて、その場合、二重周期をもちますから、nは素数としてn等分方程式を作ると、その次数はn^2になります。このあたりは円周等分と大きく異なるところで、ガウスはよく承知していましたが、アーベルもまた正しく認識しました。
 一般的に考えると楕円関数の等分は幾何学的な解釈とは無関係ですが、レムニスケート関数については、その等分方程式の解法はレムニスケート曲線の等分と連繋します。
 楕円関数の等分方程式は一般に代数的に可解ではありません。アーベルはこれも正確に認識し、そのうえで代数的可解条件を求めようとする方向に踏み出していきました。ここも円周等分との分かれ道で、楕円関数に独自の現象です。楕円関数の等分方程式が代数的に解ける場合を考えると、その方程式の諸根の間には非常に特異な相互関係が認められます。アーベルはそこに着目し、そのような特徴を備えた方程式を「アーベル方程式」と名づけました。それは、一般化された巡回方程式ともいうべきタイプの方程式です。このあたりの認識の姿にはガウスの影響がありありと看取されます。
 特に、nがフェルマ素数のとき、レムニスケート関数の周期n等分方程式は代数的に可解です。したがってレムニスケート曲線の等分に対して、円周等分とまったく同じ状勢が認められることになります。かつてファニャーノが発見した断片的な事実の背景にあるものが、これですっかり明るみに出されました。


新しい数学史を求めて(83) 情緒の数学史(23)

 第一種楕円積分の逆関数を楕円関数と呼ぶのが今日の流儀ですが、これを一番はじめに提案したのはヤコビでした。レムニスケート積分は第一種楕円積分の仲間ですから逆関数が定まり、レムニスケート関数と呼ばれます。レムニスケート積分の等分理論をそのまま幾何学的に諒解すると、レムニスケート曲線の等分理論、すなわち等分点を指定する方法を教える理論にほかならず、ファニャーノが発見したのも、ファニャーノ自身の心情に沿う限りレムニスケート曲線の等分でした。これを数学的に理解すると、ファニャーノの発見の根幹を作るのはレムニスケート積分の加法定理であり、逆関数の言葉で言えば、レムニスケート関数の加法公式です。レムニスケート関数の加法公式から倍角の公式が導かれますが、そこから認識されるのが等分方程式と呼ばれる代数方程式です。
 ここまで諒解の範囲を広げておけば、一般に楕円関数の等分理論が成立しそうに思えますが、これを実際に遂行したのがアーベルでした。アーベルは楕円関数の加法公式を確立し、倍角の公式を導き、それを梃子にして一般等分方程式と周期等分方程式を書き下し、そのうえでそれらの等分方程式の代数的可解性を論じました。詳細は1827年と1828年に二回にわたってクレルレの数学誌に掲載された論文「楕円関数研究」に記述されましたが、この論文はたいへんな傑作で、語り始めるといつまでも尽きそうにありません。
 楕円関数の等分方程式は一般的にいうと代数的に可解ではないのですが、アーベルは「楕円関数研究」を執筆したころにはすでに「不可能の証明」をもっていて、次数が5以上の代数方程式には解の公式が存在しないことを承知していました。あるいはむしろ、楕円関数の等分方程式を書き下すと大量の高次方程式が手に入り、考察の手がかりには事欠かない状況が現れるのですから、楕円関数の研究と代数方程式の研究は平行して進展したと見る方がよいと思います。
 それで素朴な疑問が念頭に浮かぶのですが、アーベルはどうしてそのように思索することができたのでしょうか。ファニャーノが関心を寄せたのはレムニスケート曲線の等分でしたし、オイラーは等分方程式の代数的可解性には心を向けませんでした。アーベルはまったく独自に思索したとも考えられないことはありませんが、ここにもうひとり、ファニャーノ、オイラーとアーベルの間に位置して、アーベルに深遠な影響を及ぼした人物がいます。それがガウスでした。


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オイラー研究所の所長です

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オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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