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新しい数学史を求めて(16) 解析学の厳密化の契機をめぐって(2)

 解析的表示式の範疇がある程度、限定されているのであれば、微分と積分の計算は自由に行われて決して誤ることはないのですから、コーシーが試みたようないわゆる厳密化の問題は起りようがありません。有限変化量、すなわちつねに有限値を取る変化量xから、その微分と呼ばれる無限小変化量dxを作る手続きを確定することだけが問題ですが、それは二つの基本演算
  d(x+y)=dx+dy
  d(xy)=ydx+xdy(ライプニッツの発見)
のみに集約されています。解析的表示式が与えられたなら、そのつどこれらの演算を適用してその微分を作るまでのことですから、コーシーがそうしたように微分係数や導関数を定義する必要はありません。無限小の観念に対して向けられた批判はこの段階でもすでに発生していましたが、オイラーは動揺せず、無限小がいやならはじめから比dy/dxを考えるようにすればよいことですし、あるいはまたダランベールのように極限の考えを経由してこの比を認識する道もありえます。そのような、いわば方便の数々はオイラーたちも承知していました。弁明はさまざまに可能ですが、ただひとつ、オイラーが無限小の実在を固く信じていたことはまちがいのないところです(ダランベールについては詳しい事情を知りませんので、断定的なことは言えません)。
 オイラーもすでに極限の観念を承知していたなどというと、なんだかコーシーの先駆者のようにも見えますが、コーシー以前の段階ではいろいろな見方のどれを採用するのもいわば好みの問題にすぎず、根底にはいつも無限小の鮮明なイメージが控えていました。オイラーにとって無限小はそのままですでに強い実在感を主張する数学的存在なのですから、定義の対象ではありませんし、そもそも概念規定が必要とさえ感じなかったのではないかと思います。定義の欠如は論理性の欠如に通じ、曖昧さを誘因するようでもありますが、実際には、いわゆる論理的な定義の記述が成功するのは実在感を感じる対象についてのみであり、言葉のうえで何かしら概念を定義しても数学の思索の対象にはなりえません。デデキントは「有理数の切断」というアイデアを得て実数の定義を記述しましたが、その前にすでに実数を知っていました。知っているものを言葉で言い表したのであり、「有理数の切断」によってはじめて実数が生み出されたのではありません。同様に、コーシーは関数の微分係数を微分商の極限として定義する前に、微分と微分の商に着目するという視点を知っていました。
 知的もしくは論理的な視点に立脚すると観察事項の記述は精密になりますが、知的論理は本質的にトートロジー(同義反復)なのですから、新しい何物かを生む力はありません。数学的対象に寄せる実在感こそ数学の真実の泉であり、数学的発見という言葉の指し示すものの意味合いは、どこかしら論理を超えた場所に心身を置くときにはじめて明らかになるのではないかと思います。
 話をまた関数にもどしますと、コーシーにはコーシーの事情があり、どうしても解析学の再編成を考えないわけにはいきませんでした。単にあいまいなことを厳密にしたいというだけのことではなく、もっと深刻な理由がありました。それは、関数の範疇がだんだん拡大したために発生した状勢の変化のことなのですが、平明な解析的表示式を離れて抽象性の高い関数を対象にするとき、そのような関数の微分と積分はどのように考えたらよいのでしょうか。
 たとえば、「ディリクレの関数」(有理数に対しては0、無理数に対しては1を取る関数)のような関数をも関数の仲間に入れることにすると、状勢の変化の大きなことは明瞭に看取されると思います。ディリクレの関数はグラフを描くことができませんから、連続なのか不連続なのか、見て判断するというわけにはいきません。グラフが描けないために接線を引けるのかどうかも定かではなく(引けないように思いますが)、面積を想定することもまたできません。今、y=f(x)をディリクレの関数とするとき、オイラーのように微分計算を実行して、dy=Adxという方程式を作りたいとするとき、微分dxの係数Aはどのように算出したらよいのでしょうか。その前に、そもそもこのような係数Aは存在するのでしょうか。
 このような状勢が現れるにいたった以上、従来のように自由自在に微分積分の計算を楽しむことはもう許されなくなりました。たとえどれほど楽しかろうとも、いつまでも桃源郷に遊ぶことは許されず、コーシーは勇気を出して外の世界に踏み出していかなければならない状勢に直面したのでした。

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新しい数学史を求めて(15) 解析学の厳密化の契機をめぐって(1)

 微積分の歴史においてコーシーが提案した新しいアイデアは、コーシー以降の理論構成の範例となって今日に及んでいます。これまでの記述の繰り返しになりますが、要点をもう一度、書き留めておくと、「いかにして無限小のくびきから脱却するか」というところにコーシーの工夫がありました。この道筋の工夫ということに関する限り、ラグランジュもコーシーの仲間で、ラグランジュもまた独自の工夫を提案したのですが、コーシーの批判を受けることになりました。
 コーシー以降の「解析学の厳密化」の模様についてはすでに概観した通りですが、このようにしてできあがった今日の微積分の目から見ると、コーシー以前の微積分の世界はいかにも厳密性を欠いているように見えますし、たいていの数学史の書物にもそのように記されています。厳密性の欠如をもっとも鮮明に象徴しているのが無限小の観念で、これを放擲して理論構成に成功したところにコーシーのアイデアの優秀さを見ようとするのですが、この通説については微積分の勉強をはじめた当初から素朴な疑問がつきまといました。300年の歴史をもつ微積分の形成史を諒解するのはやはりむずかしく、なかなか一筋縄ではいかないのです。
 コーシーは解析学を厳密化したという今日の通説はまちがっているとは言えませんが、その動機はどのようなものだったのでしょうか。無限小の観念に起因するあいまいさを回避したいという、単にそのことだけがコーシーの思索をうながしたのだとは思えません。根本の動機を形成したのは、解析学の対象となる関数の範疇が大きく広がったことであろうと思います。
 オイラーが提示した関数概念は三種類まで数えられますが、一番はじめの関数、すなわち解析的表示式、言い換えると、何らかの様式で表示される式の範疇に留まるのであれば、しかも解析的表示式が適度に限定されているならば、微積分はあえてコーシーの登場を待たずともオイラーの段階ですでに十分に厳密でした。今、xは変化量とし、f(x)はxと定量を用いて組み立てられる解析的表示式とするとき、関数y=f(x)はたいていの場合、連続ですから、あえて連続関数と呼ぶまでもありません。微分の可能性についても、式の姿形を見ればおのずと明らかですから、やはり問題になりません。また、オイラーの世界では積分計算というのは微分計算の逆演算なのですから、微分計算が自由にできる範囲内であれば、積分計算もまた自在です。今日の微積分にはいくつもの定理が並び、それぞれの定理に細かな条件が課せられていますから、微分と積分の計算にあたって定理を使用できるのかどうか、そのつど条件を検討してみなければなりません。微分可能性と積分可能性、極限と微分の順序交換、微分と積分の順序交換等々、計算に自由はありません。これに比べると、オイラーの世界ではこのようなさながら桃源郷のような感慨を覚えます。
 表示式の諸性質を式の形を見ただかでわかります。y=x^2のような解析的表示式が指定されたとき、この関数のグラフは途切れのない放物線なのですから、関数の連続性は見ればわかります。というよりも、オイラーの流儀では、滑らかに伸びていく放物線の形状に着目して、これを連続曲線と呼び、暗々裡に関数y=x^2の連続性を示唆したのでした。また、放物線上のどの点においても接線を引くことができることはやはり見ればわかりますから、関数y=x^2の微分可能性は問題になりません。微分を作ると、dy=2xdxという微分方程式が得られます。万事がこんなふうにごく自然に進展します。
 昔、というのは40年ほど前のことになりますが、大学入試の受験問題に、「次の式の定義域を記せ」というタイプの問題がありました。たとえばf(x)=1/xという関数が与えられたとすると、この関数はx=0において値をもたないというので、答の定義域は「実数の全体からx=0を除去した場所」となります。この種の問題はいつしか消失し、今ではもう見られませんが、それは、高校でも関数の概念を今日の数学の状況から見てきっちり教えるようになったためであろうと思います。関数というのは、定義域と呼ばれる集合から値域と呼ばれる集合への一価対応を指す言葉ですから、当初から定義域を指定しなければなりません。それで、いきなり式を書いて、その定義域を明示せよというのでは、本末が転倒していることになります。
 ではありますが、こうも考えられます。定義域として開区間(0,1)を指定し、この区間の上で式y=1/xを考えると、実数全体の作る集合を値域とする関数ができます。定義域を変えて、たとえば開区間(10,100)を指定し、この区間の上で同じ式y=1/xを考えると、定義域が異なるのですから、前の関数とは別の関数ができたことになります。今日の関数概念を基礎に置けばそのように考えないわけにはいきませんが、その方が実は本末転倒なのであり、これらの二つの関数は同じひとつの関数の切れ端と見る視点もありうるのではないでしょうか。
 オイラーの関数には定義域、値域という観念は付随していませんでした。式には式の形があり、それ自身ですでに何事かを主張しています。定義は定義ですから、「知」の要請にしたがえば、上記の二つの関数は別の関数ですが、同じ式y=1/xを考える場所を人為的に限定するのはやはり変なのではないかと「情」は感じてしまい、すなおに納得することはできません。「知」と「情」はここでも乖離しています。


新しい数学史を求めて(14) コーシーが開いた微積分の世界の風光

 コーシーの『解析教程』はヨーロッパ近代の解析学の歴史の中で画期的な位置を占めると言われることがありますが、コーシー以降の微積分はコーシーが提案した理論構成をそのまま踏襲していることですし、コーシーに格別の評価を割り振るのももっともなところはたしかにあります。コーシーが試みたことをひとことで言えば、「無限小のくびきからの解放」ということになると思います。
 無限小の観念は微積分の根幹であり、微積分はこの観念の自覚的認識とともに発生したのですが、知的に考えると矛盾をはらんでいように見えますので、批判する人はつねにありました。オイラーのように無限小の世界が見えていた人にとっては「(無限小と無限大を合わせて)無限の世界」の実在感が揺るぐことはなく、つねに正しい果実を摘んでいたものですが、だれもがみなオイラーではありませんし、無限の世界を回避する道を模索する人もいました。代表的な人物のひとりはラグランジュで、『解析関数の理論』という本を書いてアイデアを表明したのですが、コーシーはラグランジュを批判して新たなアイデアを提示したのでした。
 コーシーのアイデアには無限小の観念はもう見られませんが、代わって「極限」の概念が全理論の根幹に位置を占めました。極限というのは、観念的に言えば「どこまでも限りなく近づいていく」という状勢を指し示しているのですが、近づいていくだけで、決して「到達する」ことはないのですから、無限小そのものや無限大そのものを想定することから免れています。また、「どこまでも限りなく近づいていく」という観念に留まるのでは知的に見れば曖昧さが残るように見えますが、今日のいわゆるイプシロン・デルタ論法のような定性的で、しかも定量的な概念規定を導入することにより、素朴な疑問が発生する余地を事前に排除しています。
 コーシー以降の歴史の流れをもう少し観察すると、大きく二つの流れが目に映じます。ひとつはコーシーの数学的言明の誤りを正そうとする試みの流れです。たとえば、コーシーは『解析教程』において連続関数の系列の極限になる関数はやはり連続であると主張して、証明まで与えていますが、これは無条件では成立しない命題です。実際、の著作の刊行後まもないころ、パリに到着したノルウェーの数学者アーベルはコーシーの言明をくつがえすみごとな反例を構成しました。
 もうひとつの流れは、コーシーが開いた解析学の基礎のそのまた土台を明るみに出そうとする試みで、具体的に言えば、デデキントが試みたような実数論の構築がこれにあたります。今日の普通の微積分のテキストを見ると、連続関数の基本的性質として、「有界閉区間上の実数値連続関数は最大値と最小値をとる」という命題が提示され、証明が記述されていますが、その証明を根柢から支えているのは「実数の連続性」です。この命題は「ヴァイエルシュトラスの定理」と呼ばれることがあります。
「実数の連続性」にはいろいっろな表現様式があります。たとえば、実数の世界において次に挙げる命題はみな同等で、「実数の連続性」を言い表しています。
1) 単調な有界数列は収束する。
2) コーシー列は収束する。
3) 有界な無限実数列からつねに収束部分列を取り出すことができる。
 そこで、これらのうちどれでもかまいませんから任意にひとつを選定し、それを「実数の公理」と見て受け入れることにすれば、それを梃子にして上記のヴァイエルシュトラスの定理の証明が遂行されます。「実数の公理」そのものは、なにしろ公理ですからそのまま受けいれるだけのことで、証明の対象ではありません。
 ヴァイエルシュトラスの定理から出発すると微分法の「ロールの定理」が証明され、そこからさらに平均値の定理の証明が導かれます。さらに歩を進めるとロピタルの定理も証明されますし、次々と話が展開して微分法の世界眼前に繰り広げられていきます。この状況は積分法でも同じです。積分法の根幹を作るのは、「有界閉区間上の連続関数は積分可能である」という命題ですが、その証明を支えているのは「有界閉区間上の連続関数は一様連続である」という事実であり、そのまた証明には「実数の連続性」が働いています。
 微積分の根柢は実数の理論で支えられているという状勢が明らかにされたのは、コーシーが開いた解析学の世界に生起しためざましい出来事ですが、数学史の方面ではこのような経緯を指して「解析学の厳密化」と呼ぶことがあります。デデキントのほかに厳密化に寄与した人の名を挙げると、カントールやヴァイエルシュトラスなどが即座に念頭に浮かびます。ほかにも多くの数学者がいろいろな形で貢献しました。

新しい数学史を求めて(13) コーシーの解析教程

「オイラーの連続関数」を語るリーマンの肉声を聞いて、もうひとつ思い起こされることがあります。それはコーシーの代数解析です。
 代数解析というのは今日の微積分を指し示すコーシーの用語ですが、思えば微積分の名称も誕生以来さまざまに変遷を重ねてきました。オイラーは「無限解析」と呼んでいましたし、ライプニッツにもこの言葉の使用例があります。ベルヌーイ兄弟についてはまだ研究が足りませんので、この言葉が使われている箇所を明示することはできないのですが、ライプニッツに学んだベルヌーイ兄弟が他の用語を提案したとも思えないところです。オイラーはベルヌーイ兄弟の弟のヨハンに学んだのですが、オイラーの「無限解析」の一語は師匠を継承したと見てまちがいありません。ところが、他方、同じくヨハンの教授を受けたマルキ・ド・ロピタルの著作は「無限小解析」であって、「無限解析」ではありません。思うにロピタルの著作は全2巻のうちの巻1で、テーマは微分計算ですから無限小のみに関心が寄せられていたのでしょう。巻2は積分計算をテーマとする著作になる予定だったようですが、これは日の目を見ませんでした。
 ラグランジュは『解析関数論』という言葉を使い、ラグランジュの次の世代のコーシーが使ったのが「代数解析」でした。コーシー以後、いろいろな解析教程が現れましたが、今日では「微分積分学」という即物的な用語がほぼ定着しています。数論はかつてアリトメチカと呼ばれていましたが、ルジャンドルが著作のタイトルに「数の理論」という言葉を使用したことが契機になり、「整数論」とか「数論」という言葉が広まりました。「数論」といい、「微分積分学」といい、きわめてそっけない物言いであり、喚起されるイメージは何もありません。
 コーシーは無限解析もしくは無限小解析の再編成を構想した人で、『解析教程』の名のもとに大きな著作を企画しました。エコール・ポリテクニクで行った講義を基礎にした著作ですが、1821年に刊行された第一部に附されたのが「代数解析」の一語でした。この第一部の根幹を作るのは極限の理論で、その土台の上に無限級数の収束と発散が考察され、連続関数の諸性質が究明されています。第1章の第1節でまずはじめに語られるのは「関数」で、それから第2章に進むと関数の連続性の考察に出会います。無限級数の収束と発散の考察は第6章に登場します。
 コーシーはこの著作を第一部として、続く諸巻では微分と積分を主題にする予定だったのですが、思うにまかせなかったようで、取り急ぎ1823年の時点で講義の要約を出版しました。書名をそのまま訳出すると、
『無限小計算に関してエコール・ポリテクニクで行なわれた講義の要約』
となりますが、ここにはロピタル以来の伝統を負う「無限小計算」という言葉が使われています。
 1821年の『解析教程』は基礎理論に終始して、微分も積分もまだまったく語られなかったのですが、1823年の『要約』は大きく二分され、前半では微分計算、後半では積分計算が叙述されています。微分計算では微分係数の定義から説き起こされますが、その定義は今日のものと同じで、微分商の極限を考えています。積分計算では定積分の定義から始まりますが、それはいわゆる「コーシーの和」の極限の有無を論じるという方式ですから、今日の理論構成と同じです。ただし、コーシーが定積分の理論の対象にした関数は連続関数に限定されていました。ここを拡大して、一般に有界な関数の定積分を考察したのはリーマンですが、コーシーの和を作って、その極限が存在するかどうかを観察するという流儀はコーシーと同じです。それで、定積分の定義の基礎となる和を指して、今日では「コーシー・リーマンの和」と呼ぶ習慣が定着しています。

新しい数学史を求めて(12) オイラーの微分とリーマンの関数

 ほんの序論のつもりで関数の話を始めたところ、ひとつの話がもうひとつの話を誘うというふうでなかなか離れられなくなってしまい、とうとうリーマンの学位論文まで引き合いに出す事態になってしまいました。関数の概念はヨーロッパの近代数学の根幹を作る基本中の基本の基礎概念ですが、いつのまにか自然に発生したというのではなく、オイラーその人の特異な数学思想の現れです。個人の創意が大きく広がって普遍性に似たものを獲得するという、学問芸術にしばしば見受けられる現象ですが、このようなことがある以上、数学は決してどこかしら「人」を離れた世界に生息する天然自然の学問ではありえません。
 リーマンはオイラーの解析的表示式に立ち返り、「dwがdzに依存しない」というところに着目して「関数」の概念を提示したのですが、この段階で新たにわき起こるのは、解析的表示式の諸属性のうち、どうしてこの性質に目を留めたのだろうかという素朴な疑問です。思い起こされるのはまたしてもオイラーの言葉です。
 ライプニッツからベルヌーイ兄弟を経てオイラーに伝えられた無限解析では、変化量zに対してその微分dzを作り出す一連の計算手順が示されますが、変化量zが有限の値を取りながら変化するのに対し、その微分dzは無限小の変化量です。無減少量とは何かといえば、「任意に指定されたどのような量よりも小さな量」と答えます。すると、それは0ではないか、という反駁の声が起ります。変化量wが変化量zの関数のとき、微分dzと微分dwの比を作ることがありますが、それは「0を0で割るときの商」であることになりますから、得体の知れない不気味な感情を見る者の心に引き起こします。初期の無限解析には、その手の感情に根ざした反感が絶えなかったと言われていますが、もっともなところもたしかにあります。
 ところが、無限小は0そのものでないかという素朴な問いかけに対し、オイラーは「その通り」と平然と応じます。オイラーの見るところ、無限小の実体は0であり、0以外の何ものでもありませんが、ただし、とオイラーは言葉を続け、「われわれの関心の向かう先は無限小と無限小の比なのだ」と強調するのです。微分そのものは0であるが、微分と微分の比、すなわち0と0の比は有限の値をもつことがある。その「比」を認識することこそが、無限解析の要諦なのだというのがオイラーの弁明の骨子です。
 微分が問題なのではない。微分と微分の「比」が有限値になることがある。その「比」が重要なのだという主張ですが、リーマンの関数概念にはこのオイラーの思想が色濃く反映しているように思います。もっともリーマンには先駆者らしい人物もいました。それはコーシーのことなのですが、コーシーの代数解析(微積分を指すコーシーの用語です)では「無限に小さい量」というものはもう考えず、微分と微分の比も排除され、冒頭からいきなり「比」そのものの定義が現れます。今日の微積分にそのまま受け継がれている流儀ですが、コーシーはコーシーの考えがあって、オイラーの影響のもとで無限小の概念を表面に出さないよう、工夫を凝らしたのでした。

新しい数学史を求めて(11) リーマンの複素関数

 リーマンの見るところ、実変数の連続関数の範疇では「抽象的な一価対応」はフーリエ級数という名の「解析的表示式」に帰着されるというのですから、オイラーが提案した三種類の関数概念は結局のところ一種類に帰着され、解析的表示式のみを考えればよいことになります。実際には任意の連続関数が自在にフーリエ級数に展開できるというわけではなく、さまざまな限定条件が課されるのですが、「連続であってもなくても、どのような関数でもフーリエ級数に展開される」というフーリエの主張はきわめてロマンチックです。それに、リーマンはディリクレとともにフーリエの数学的思索の有力な継承者なのでした。
 それはそれとして、リーマンの学位論文そのもののテーマはフーリエ解析ではなくて複素変数の関数論ですから、ここまでのところは前置きにすぎません。リーマンは、「しかし、量zの変化しうる範囲が実数値に限定されず、x+yi(ここでi=√-1)という形の複素数値をも許容することにすると、状勢は一変する」と言葉を続けます。リーマンのねらいはアーベル積分の考察にあるのですが、代数関数とアーベル積分(代数関数の積分のことですが、リーマン自身はアーベル関数と呼んでいました)を複素数の範疇で考えようとするところにリーマンの創意がありました。もっともこの点に関していうとリーマンには先駆者がいました。それはガウスやアーベルやヤコビたちのことで、彼らは楕円積分とその逆関数を複素数の世界で考えていましたし、アーベルなどは完全に一般的なアーベル積分の考察にまで歩をのばしつつありました。アーベルは病気で早世したため十分に創意を展開することはできませんでしたが、リーマンの数学的思索にはアーベルの影響が奥深いところまで及んでいるように思います。
 ガウス、アーベル、ヤコビからリーマンにいたるアーベル積分の研究史は19世紀の数学史の精華ですし、いずれ稿をあらためて詳細にたどりたいと考えていますが、ともあれリーマンはアーベルを継承し、アーベル積分の考察にあたって、まずはじめに複素変数の複素数値関数の中で微分可能な関数を取り出そうとしました。理論全体の根幹に位置する素朴な場所から出発するのがリーマンの流儀ですが、このような特徴はガウスにもアーベルにも、それに岡先生にも共通しています。
 またまた話が先走り気味になってしまいましたが、リーマンが探索しようとしている複素関数は抽象的な一価対応というような「まったく任意の関数」ではなく、オイラーの連続関数、すなわち解析的表示式の名に値する何らかの「式」でした。そこでリーマンはまたしても素朴な場所に歩を定め、

「wがzの関数として初等的演算を組み合わせて定められるとすれば、その定め方がどのようなものであっても、微分商dw/dzの値はいつでも微分dzの特別の値に依存しない。」

という観察を表明しました。ここで、zとwは複素変化量ですが、wがzに依存する様式がまったく任意とすると、wの微分dwはzの微分dzに依存するのが普通ですから、任意の関数を初等的演算により組み立てるのは不可能であることになります。そこでリーマンは、dw/dzの値がdzに依存しないという性質を、量演算により組み立てることのできる関数に共通する性質と見て、
「これを以下の研究の基礎として採用する」
と、基本的な姿勢を打ち出していくのです。まことに目の覚めるような光景です。
 考察の対象とする関数そのものはあくまでも表示式とは無関係に規定しなければなりませんから、抽象的な一価対応としての関数の範疇を限定していくことになりますが、その際に課される条件は、初等的な量演算により組み立てられる関数に共通の「dw/dzの値がdzに依存しない」という性質です。「量演算によって表現することのできる依存性という観念に対する一般的な妥当性と十分性を明らかにすることはせずに」とリーマンは前置きして、

「変化する複素量wは、もうひとつの変化する複素量zとともに、微分商dw/dzが微分dzの値に依存しないように変化するとする。このとき、wをzの関数と呼ぶ。」

と関数概念を提示しました。このリーマンの関数はそのまま今日の複素関数論に受け継がれ、正則関数もしくは解析関数という名で呼ばれています。

新しい数学史を求めて(10) リーマンの学位論文より

 新しい数学史の叙述をもとめようとする試みは、ここまで書いてきて依然として序論の域をでませんが、試みに語り始めた数の話と関数の連続性の話が意外な方向に展開し、リーマンの学位論文まで引き合いに出されるという成り行きになったのはいかにもおもしろい出来事でした。リーマンの論文は複素変数関数論の基礎理論の確立をめざすところに本来の意図が認められるのですが、その基礎理論は何のためかといえば、(一変数の)代数関数論の構築の土台にするためでした。代数関数論はアーベル積分論と言っても同じですが、リーマン自身はアーベル関数論と呼んでいます。アーベル積分というのは完全に一般的な始点から見た代数関数の積分のことで、オイラーに由来するオイラー積分の考察の延長線上に位置します。具体的には、アーベルの研究を受けてヤコビが提示した「ヤコビの逆問題」の解決がめざされました。
 リーマンのアーベル関数論についてはいずれ稿をあらためて説き起こしたいと考えていますが、ここではリーマンのいう「オイラーの連続関数」について、リーマンの言葉に沿ってもう少し考察してみたいと思います。
 リーマンの学位論文はこんなふうに書き出されています。

「zはあらゆる可能な実数を次々と取りうる変化量としよう。それらの値の各々に対し、不定量wのただひとつの値が対応するならば、wはzの関数と呼ばれる。そうしてzが二つの定値の間にはさまれるすべての値の上を連続的に移り行くとき、wもまた同様に連続的に変化するなら、関数wはこの区間において連続であるという。この定義は明らかに、関数wの個々の値の相互間にいかなる法則も全然規定していない。というのは、この関数がある定区間において定められたとき、その区間の外部への延長はまったく任意であるから。」

ここで語られているのはオイラーが提案した三種類の関数概念のひとつで、対応の一価性もきっちり要請されていることですし、「集合間の一価対応」という今日の抽象的な関数概念と本質が同じです。このような関数概念を数学史上ではじめて明記したのはリーマンの先輩のディリクレです。リーマンはディリクレの影響を受けたのでしょう。関数の連続性については、コーシーの「解析教程」の影響が見られるようでもあり、独自のようでもありますが、「zが連続的に変化するとき、wもまた連続的に変化する」というだけのことですから、いずれにしても素朴な観念です。
 続いてリーマンは、同じくオイラーに由来するもうひとつの関数概念を語ります。

「量wがzに依存する様式を数学的法則により与えることもできる。したがって、zの各々の値に対し、定まった量演算により、対応するwがみいだされる。ある与えられた区間内のzのすべての値に対して、wの対応する値がこのような依存法則によって定められるという可能性は、かつてはある種の関数(オイラーの用語での連続関数)に対してだけ与えられていた。しかし、最近の研究により、ある与えられた区間における任意の連続関数を表示することのできる解析的な式が存在することが示された。それゆえ、量wの量zへの依存性を任意に与えられたものとして定義するか、あるいは定まった量演算により規定されるものとして定義するかという点はどちらでもさしつかえない。これらの二つの概念は、われわれが先ほど言及した諸定理の結果、同値である。」

 ここで語られている関数では、量wがzに依存する様式が数学的法則により与えられる場合ということですが、これはオイラーのいう解析的表示式としての関数にほかなりません。最近の研究により、前述の抽象的な一価対応としての任意の連続関数は、ある種の解析的表示式により表されるというのですが、これはフーリエの理論を指していると見てまちがいのないところです。リーマンはディリクレとともにフーリエ解析の理論形成に本質的な寄与をした人ですが、フーリエ解析の数理物理的意義とは別に、一見するとかけ離れているように見える二つの関数概念が、実は同じ仲間であることが示されるというところに深い関心を抱いたのかもしれません。
 ここでは「オイラーの連続関数」が語られる文脈に注目しておきたいと思います。

新しい数学史を求めて(9) 解析的表示式から連続関数へ

 今日の微積分では関数の性質に次々と条件を課していきますが、まずはじめに着目されるのはたいていの場合、連続関数です。連続関数の諸性質を調べることは基本中の基本で、「中間値の定理」や、「有界閉区間上の連続関数は最大値と最小値をもつ」という命題が成立しますが、これらはどちらも実数の連続性を基礎にして証明されます。
 連続関数に続いて語られるのは関数の微分可能性ですが、微分可能な関数に対しては「ロールの定理」が成立し、これを基礎にして「平均値の定理」の証明が行われます。ロールの定理の証明はどのようにするのかというと、「有界閉区間上の連続関数は最大値と最小値をもつ」という連続関数の基本性質が基礎になりますから、本質はやはり実数の連続性にあると言うことができます。微分可能性には段階があり、一回微分可能、二回微分可能・・・というふうにどこまでも進行し、テイラー展開の可能性を論じるあたりが中心的な課題になります。
 積分の理論では、連続関数の積分可能性の問題が真っ先に現れます。有界閉区間上で与えられた連続関数に対してコーシー・リーマンの和と呼ばれる和を作り、極限に移行する際の収束性を考察するという手順を踏むのですが、連続関数のコーシー・リーマンの和は収束する、言い換えると、「連続関数は有界閉区間上で定積分可能である」という事実が基本命題になります。もう少し詳しく言うと、コーシーが考察したのは連続関数のみであるのに対し、リーマンはもっと広く、一般に有界関数を取り上げて、その枠内で積分可能性を論じるという構えをとりました。
 今日の微積分はこんなふうに始まりますが、ここで大きな問題として浮上するのは、「連続関数から説き起こされるのはなぜだろうか」という問いです。関数の属性としてまずはじめに考察されるのが連続性というのは、別段不自然なことではないようにも思えますが、あらためてその理由を正面から考えてみると、原理的もしくは原則的な根拠をみいだすことはできません。すなわち、この問いは歴史的に解決するほかはありません。コーシーの著作『解析教程』(1821年)には連続関数の概念の定義が出ていますが、おそらくこれが明示的に表明された連続関数というものの初出です。
 ですが、はっきりと連続関数という言葉が使用されたのはコーシーが最初としても、そのコーシーに影響を及ぼして連続関数の定義を書き留めさせる力になったのは、疑いもなくオイラーです。実数をはじめて定義したデデキントが、実際にはすでに、言葉のない状態で実数を認識していたのと同様に、コーシーもまた連続関数というものの実体を知っていました。連続性の概念はオイラーのいう解析的表示式の属性です。コーシーばかりではなく、ラグランジュもフーリエも知っていましたし、リーマンもまた連続関数の源泉はオイラーの解析的表示式であることを承知していました。だからこそ、リーマンは「(コーシーではなく)オイラーの連続関数」の一語を語ったのであろうと思います。

新しい数学史を求めて(8) オイラー全集を渉猟して連続関数を探索する

 リーマンの論文に書き留められていた魔法の言葉に心を惹かれ、後日、オイラー全集を見るようになったとき、「連続関数」はどこに出ているのだろうと絶えず気に掛かりました。ガウスの著作『アリトメチカ研究』(1801年)には数論の方面のオイラーの論文がひんぱんに顔を出し、おびただしい数にのぼりますので、大いに触発されてオイラーの論文や著作に目を通すようになったのですが、次第にオイラーの世界から離れられなくなり、とうとう『無限解析序説』(1748年、全2巻)の翻訳を手がけるまでになりました。オイラーの世界の広大なことは気の遠くなるほどで、とうていすべてを見渡すにはいたらないものの、長い年月をかけて読み続けているうちに相当の分量に達しました。ところが、「連続関数」の一語にいまだに出会わないのは実に不可解です。
 リーマンのいう「オイラーの連続関数」はどこにあるのでしょうか。現在の時点で判断すると、もっとも有力な推定は、「オイラーには連続関数の概念そのものを表明する言葉はないが、連続曲線の概念は明確に表明されている」ということになります。連続曲線については既述の通りで、ひとことで言えば、オイラーは「解析的表示式のグラフとして描かれる曲線」を指して連続曲線と呼んでいるのでした。まったく不思議で、不可解な事態と言わなければなりません。
 いくつもの素朴な疑問が率直に心に浮かびます。何よりもまず曲線とは何かという問いに答えなければなりませんが、『無限解析序説』に見られるオイラーの解析幾何の基本思想によれば、曲線とは「関数のグラフ」のことにほかなりませんし、しかもオイラーはこの時点では解析的表示式を指して関数と呼んでいるのですから、解析的表示式のグラフがすなわち曲線であることになります。観念的に曲線というものを考えるのであれば、ほかにもいろいろな曲線が考えられそうに思われるところですが、解析的表示式という関数概念に拘束されて、「曲線」の一語の包含する世界は一定の範囲に限定されることになります。このような曲線のとらえ方は今日でもそのまま生きています。
 曲線の概念はひとまずこれでよいとして、続いて現れるのは、解析的表示式のグラフとして認識される曲線のことを、単に「曲線」と呼ぶのではなく、あえて「連続」の一語を冠して「連続曲線」という名で呼んだのはどうしてだろうという疑問です。曲線を関数のグラフと見ることにして、関数の性質を基礎にして曲線の範疇を規定しようとするのは今日の普通の流儀です。関数が連続なら曲線も連続、関数が微分可能なら曲線も微分可能、関数が一回連続微分可能なら、曲線もまた一回連続微分可能といい、以下も同様に続きます。この流儀の源泉はオイラーにさかのぼりますが、そのオイラーには関数の連続性の明確な表明がないままに(今のところ見つかっていないだけかもしれないのですが)、ただ曲線の連続性の名前だけが語られています。
 関数のグラフとしての曲線の概念規定をひとまず離れ、曲線の連続性ということを観念的に考えるなら、たいていの曲線は連続性という言葉に相応しい特性を備えているようにも思えます。今日のように連続関数のグラフを指して連続曲線と呼ぶことにすると、ペアノ曲線やヒルベルト曲線のように、単位正方形の内部のすべての点をくまなく通過する連続曲線が存在することになります。もはや曲線と通常のイメージからはかけ離れていますが、定義により連続曲線と呼ぶほかはないのですから仕方のないところです。これに対し、解析的表示式を関数と呼ぶことにしたとき、オイラーはペアノやヒルベルトが発見した奇妙な曲線ははじめから考えていなかったのであろうと思います。古い歴史を負うディオクレスのシソイドもニコメデスのコンコイドも、近代になって注目されたサイクロイドやレムニスケートも、オイラーが無限解析を適用して解明の対象としようとしたあれこれの曲線は、どれもみなごくあたりまえの「連続」のイメージを備えています。それなら逆に、そんな連続曲線をそのグラフとして表示する力をもつ解析的表示式を指して「連続関数」と呼んだとしても、あながち不可解とは言えないのではないでしょうか。
 オイラーは連続関数とは何かという問いに対し具体的な言葉をもって答えることはありませんでしたが、曲線の連続性という日常的な感性が解析的表示式にも伝播して、解析的表示式の連続性を自覚していたというふうに言えるかもしれません。日常的な感受性にはそれなりに堅固な普遍性が備わっていますし、オイラーはそこに根拠を求めて曲線と関数の連続性の観念を担保しようとしたのでしょう。リーマンはきっとそんなふうにオイラーを観察し、「オイラーの連続関数」という言葉を用いたのであろうと、このごろしきりに思うようになりました。

新しい数学史を求めて(7) オイラーの連続関数の印象

 数学の窓辺に腰掛けて色とりどりの「青春の夢」を語ろうというのであれば、ぼくにもまたぼくの「青春の夢」がありました。実をいうと、それを語ることがそのまま新しい数学史の叙述を志した動機だったのですが、そもそも数学史研究に向かったこと自体、すでに「青春の夢」意外の何ものでもありません。そんなことを話し始めると寄り道に寄り道を重ねるような事態になり、あまりにも本道からそれてしまうのではないかと懸念されるのですが、理路整然とした歴史の叙述というのは本当はありえないのですし(歴史には合理性がありませんから)、ありもしない客観性を装うのはやめて、歴史を語ろうとする自分自身の体験を語ることのほうが、かえって歴史というものの本質にかなっているのではないかとも思います。
 オイラーの連続関数について語る言葉をはじめて目にしたのは、リーマンの論文「一個の複素変化量の関数の一般理論の基礎」(1851年)を読んだときのことですが、もう何十年の昔のことになるのか、記憶も定かではありません。このリーマンの論文はリーマンの学位論文で、リーマンは1826年に生まれた人ですから、25歳のときの作品です。(多変数ではなくて)一変数関数論の基礎を確立したと言われる名高い論文です。関数概念の回想から説き起こし、複素変数の解析関数の概念を規定し、解析関数の存在領域を深く思索してリーマン面の概念の導入に及ぶという創意に富む作品で、眼目は解析関数というものの概念を表明するところにありますが、書き出しの部分で真っ先に書き留められているのが「オイラーの連続関数」なのでした。文脈から推すと、リーマンのいう解析関数の出発点はオイラーの関数であり、しかもそのオイラーの関数というのは「連続関数」を指しているように見えるのですが、それなら「オイラーの連続関数」の概念を延長していくと、リーマンの解析関数になりそうに思えます。まったく驚くべきことで、リーマンの論文の冒頭の一語「オイラーの連続関数」は魔法の言葉というほかはありません。
 リーマンの学位論文そのものも数学の魔力をたたえた作品です。手もとに置いた日は相当に古く、折に触れてはちらほらと眺め、ときには力を込めて読みにかかったこともありましたが、なぜかしらさっぱり先に進むことができず、少し読むすぐに行き詰まってしまいます。そんなそこはかとない経験を重ねた後、30代になってガウスの整数論とアーベルの楕円関数論を読み始めたころ、再度リーマンに挑戦したところ、今度は最後まで読み通すことができました。古典を読むときは必ず翻訳文を作りながら読むのですが、このときはじめて、未熟ではありましたがリーマンの論文の翻訳ができました。これを初訳として、それから何回も読み返し、だんだんと定訳稿に近づいてきました。平行して、同じリーマンの論文「アーベル関数の理論」の解明も進み始め、こちらも訳稿を作成することができました。古典の解明には膨大な時間がかかります。
 それで、「オイラーの連続関数」という言葉そのものは、なにしろリーマンの論文の冒頭に出ているのですからずいぶん早くから目にしていたのですが、一番はじめに見た日を特定することはできず、ただ不思議な印象のみが心に残りました。


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