プロフィール

Author:研究所長です
FC2ブログへようこそ!
オイラーを研究して30年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。


カテゴリー


最近の記事



FC2カウンター


月別アーカイブ


最近のトラックバック


ブロとも申請フォーム


 関数の概念が広がって「まったく任意の関数」などというものが微積分の対象として設定されるところまでくると,微分と積分のそれぞれの概念規定から作り直さなければなりませんし,そのようにしてもなお,もはや微積分の基本定理のような簡明な命題を望むことはできません.微積分の基本定理があたりまえに成立し,定理というよりもむしろ,微分計算と積分計算が互いに他の逆演算になっていることによって成立する世界は,やはり数学の桃源郷であったというほかはありません.そこに観察される状勢を基本定理という名の命題と認識する段階に立ち至ったのは,新時代の訪れを察知し,もはや花園を去らなければばらなくなったという自覚の明示的な意志の表明と考えてよいのではないかと思います.人はいつまでも桃源郷の別天地に住まうことは許されないのです.
 コーシー以降の微積分のことをもう少し観察すると,コーシーが新たに設定した枠組みの中で非常に精密な研究が積み重ねられていった様子が目に映じます.コーシーは大きな枠は作りましたが,細かな部分にはいろいろな欠陥があったのです.たとえば,有限閉区間上の連続関数はその区間上で積分可能ですが,その証明のためには関数が単に連続であるだけでは足らず,一様連続性に依拠する必要がありました.そこで,「有界閉区間上の連続関数は一様連続である」という命題を準備しておかなければならないのですが,コーシーはこれには気づきませんでしたから,コーシーの定積分の存在証明には不備があったのです.この命題はしばしば「ハイネの定理」と呼ばれ,1870年と1872年の論文に出ていますが,ディリクレの積分論の講義録にもあります.ハイネとディリクレはともに19世紀のドイツの数学者です.
 やはり有界閉区間上[a,b]において考えることにして,この区間上の連続関数の
系列{f_n}の総和Σf_nがある関数fに収束するとき,コーシーは極限の関数fもまた連続になると主張しましたが,これは必ずしも正しくありません.これを指摘したのはノルウェーの数学者アーベルでした.1826年の7月から年末にかけてパリに滞在したアーベルは,コーシーの『解析教程』を入手して,この欠陥に気づきました.
一番最初の人はアーベルである. 各項が連続関数である無限級数を加えても,その和は必ずしも連続関数ではありません.アーベルは1826年の論文で,
  (sin x)/1-(sin 2x)/2+(sin 3x)/3-.....
という例を与えました.この級数は区間[-π,π]上で収束しますが,極限関数はx=±πにおいて不連続になります.極限関数が連続であるためには収束の仕方に条件が課されますが,これについてはヴァイエルシュトラスが「一様収束」という概念を発見し,1841年にベルリン大学の講義で述べています.
 このような事例はほかにもたくさんあります.
 コーシー以降の微積分はコーシーが開いた世界を精密化する道をたどりました.コーシーの定積分の対象は連続関数でしたが,リーマンは連続性を離れ,一般に有界な関数の定積分の概念規定を試みました.積分区間が有限であるところはコーシーと同じですし,リーマンの和を考えるところにはコーシーの和と同じアイデアが生きています.有界関数の範疇は連続関数の範疇を大きく包含していますが,定積分の対象をどうしてそのまで拡大しなければならなかったのかといえば,リーマンの場合にはフーリエ級数展開の問題があったからでした.
 フーリエに始まるフーリエ解析では,「まったく任意の関数」をフーリエ級数に展開することの可能性を論じることが基本問題になりますが,フーリエ級数を作るとき,その諸係数は,与えられた関数に正弦関数や余弦関数を乗じたものの定積分の数値によって定められます.フーリエのいう「まったく任意の関数」というのは「曲線を通じて定められる関数」のことで,オイラーが提案した三種類の関数のひとつです.「まったく任意の関数」に正弦や余弦を乗じても,まったく任意であることに代りはありません.y=f(x)を「まったく任意に関数」とすると,そこに備わっている属性は「xにyが対応する」という対応の規則のみにすぎず,yはもう変化量ではないのですから,コーシー以前のように自在に無限小量に分解して微分を作ったり,微分を寄せ集めて元の有限変化量を復元したりすることはできません.そんな関数を対象とする微分や積分の理論を新たに作らなければならないのですが,オイラーもそこまではやっていません.
 コーシーが微積分の対象として設定した関数は,変化量xと変化量yの間に相互依存関係が認められるとき,一方を他方の関数と呼ぶというふうに規定されるもので,これを提案したのはやはりオイラーでした.まったく任意の関数とは違いますが,コーシーの流儀の微分と積分の定義はそのままの形で使えます.ただし,まったく任意の関数y=f(x)ではxとyはもはや変化量ではありませんから,極限の概念の適用にあたり,「どこまでも限りなく接近する」という言い回しを放棄して,イプシロン=デルタ論法のような定性的な表現を採用しなければならなくなります.
 さて,こんなふうにして微分と積分の概念を作ったうえで,あらため相互関係を考察すると,あの微積分の基本定理はもう期待できないという事態に直面します.『解析概論』では,このあたりの煩雑な消息がこんなふうに語られています.

《基本公式は,要約すれば連続函数に関する限り,微分と積分とが互いに逆な算法であることを意味する.もしも連続性を仮定しないならば,この関係は成立しない.すなわちFユ(x)=f(x)でもf(x)は必らずしも連続でなく,従って必ずしも積分可能でないが,また積分可能でも積分函数はF(x)と合致するとは言われない.∫f(x)dx(x=aからxまで)は必らず連続であるけれども,それは必らずしも微分可能でなく,微分可能でも微分商はf(x)と合致するとは限らない.連続函数以外では,微分積分法はむずかしい!》

 f(x)は有界閉区間[a, b]上の有界な関数とするとき,もし積分可能なら,積分関数
  F(x)=∫f(x)dx(x=aからxまで)
は連続関数になります.f(x)が連続であればF(x)は微分可能で,F'(x)=f(x)となりますが,f(x)の連続性が破れる場合にはF(x)は必ずしも微分可能ではありません.そのような例は簡単に作れます.このような例を見ると微分と積分の逆の関係を主張するのがためらわれますが,f(x)の不連続の個数が高々有限個に留まるのであれば,それらの点を除外すれば回復しそうです.
 今度は微分可能な関数F(x)から出発すると,その導関数F'(x)=f(x)を作ることができますが,その導関数が積分可能ではないことがあります.この関数の例はむずかしいですが,188年にイタリアの数学者ヴォルテラ(1860-1940)が一例を与えました.導関数が積分できないのであれば,「積分すると元にもどる」という言明は完全に不可能になってしまいます.この隘路を脱却するひとつの道は積分の定義を広げることで,実際,ルベーグはこの例に触発されて新しい積分の定義を考案しました.ヴォルテラが例示した関数の導関数はリーマンの意味では積分できませんが,ルベーグ積分の意味では積分可能になり,積分関数を作ると(積分定数を適宜調節するとき)元の関数F(x)が復元されます.
 f(x)は閉区間[a, b]上の連続関数,F(x)はf(x)の原始関数とすると,等式
  ∫f(x)dx (x=aからx=bまで)=F(b)-F(a)
が成立します.これが微積分の基本定理で,『解析概論』では「微積分の基本公式」と呼んでいます.コーシーの『解析教程』と『要論』の系譜を継ぐ今日の微積分では,この基本定理は定積分の数値を算出するために使われる公式と認識されていますが,コーシー以前の無限解析ではそうではなく,基本定理それ自体がそのまま積分の定義なのでした.このあたりの消息についてはこれまでに何度も繰り返して語ってきましたが,あらためて敷衍すると,コーシー以前の積分ははじめから「微分の逆」だったのであり,今日の不定積分がかつての積分に相当します.積分は「微分を寄せ集めて生成される有限量」であり,それを再び無限小量に分解すれば,元の微分にもどります.逆に,有限変化量を無限小量に分解すると(すなわち,微分すると)微分が生成されますが,その微分を寄せ集めれば(すなわち,積分すれば),元の有限変化量が再び手に入ります.この往還路の発見こそ,無限解析もしくは無限小解析もしくは微分積分計算と呼ばれる数学的発見の実際の姿です.
 コーシー以前にはコーシーが規定したような定積分の概念はありませんが,「積分の定値」という言い方は散見します.単に積分と言えば,それ自身は変化量ですからいろいろな値を取りますが,曲線の弧長や領域の面積の算出のときなど,それらの個々の値に着目することもしばしばあり,そんなときは「積分の定値」という言葉がぴったりあてはまります.そうして,定値があれば不定値もありえますから,積分の取るさまざまな値を一般的に指し示して「積分の不定値」とか「不定積分量」などと言うことがあります.そんなわけで,コーシー以前には不定積分の観念が先行し,不定積分の取る個々の値が定積分だったのですが,コーシーはここを逆転して定積分を先に出し,その次に不定積分を作り,積分と微分との関係は「微積分の基本定理」という形で復元させるという路を選びました.これで,無限小計算の発見の当初からあたりまえに行われていた計算規則が,新たな枠組みの中で「定理」になりました.
 コーシーが構築した理論構成では原始関数と不定積分は別個の概念ですが,対象が連続関数の場合には合致して,定積分の数値計算は原始関数もしくは不定積分を求めることに帰着します.今日ではこの状勢を指して,ライプニッツとニュートンは微積分の基本定理を発見したと言い表わされる習慣が定着していますが,これは,コーシーの視点からコーシー以前を振り返ればそのように見えるということであり,あまり適切な評価ではないと思います.微積分の基本定理はコーシーの登場を俟ってはじめて基本定理になったのですから,あえて言うなら,「ライプニッツとニュートンは後にコーシーが基本定理と名づけることになる定理に象徴される数学的世界を発見した」ということになります.
 非有界関数の積分や,無限区間上での積分を総称して広義積分ということにするのは既述の通りですが,数理物理の方面からいろいろな広義積分が提示され,それらの数値を算出することが要請されたなら,どうしたらよいでしょうか.コーシーが直面したのはまさしくこのような数学的状勢でした.そこでコーシーは「主値」という概念を考案し,それを武器にして広義の定積分の数値の算出に取り組みました.この手法をさらに洗練していくと,複素変数関数論のコーシーの積分定理や留数定理に到達し,コーシーのねらいが非常に幅広く実現されることになりました.その際,コーシー以前の微積分におけるように,積分計算を微分計算に帰着させるという手法は放棄され,コーシーは定積分の概念規定からあらためて出発したのでした.
 定積分∫f(x)dx(x=aからx=bまで)は無限小量f(x)dxを寄せ集めて生成される有限量ですが,積分に寄せるそのようなイメージは,微積分の草創期からすでに共有されていました.そんなイメージひとつを基礎にするだけで,微分も積分も自由自在に計算することができたのですが,むずかしい性質を備えた積分や,無限小量を寄せ集める区域が無限に広がったりする積分を考えると,当初のイメージでは対処できず,新たな定義が必要になりました.とはいうものの,コーシーが(それに,リーマンも)したことは,無限小の観念の代りに極限のアイデアを持ち込み,素朴な「寄せ集め」のイメージを数式の形に書き下しただけのことですし,積分のイメージそれ自体は保持されたのです.不易と流行という蕉門の俳諧のキーワードが,ここでもまた回想されるところです.ルベ−グ積分に移っても「寄せ集め」のイメージそのものは依然として健在で,ただ寄せ集める様式が変容しただけにすぎません.
 関数の微積分というコーシーの立場からコーシー以前の状況を観察すると,微積分の基本定理が自然に成立する世界が目に映じます.定理という以上,何かしら条件が課され,その制約下では成立するとしても,その制約がはずれるともう成立しないという状勢が念頭に浮かびます.ですが,コーシー以前にはそのような定理は存在しませんでした.微積分の基本定理に相当する数学的事実は発見されていて,それはつまりライプニッツの発見なのですが,決して命題ではなく,微分計算と積分計算の自由な運用を支える基本原理と見るべきであろうと思います.発見ですから証明は不要ですし,単一の基本原理の基礎の上に計算の技術がさまざまに開発されていきました.わけてもオイラーの貢獻が余りにも大きいことは特筆に値します.
 このような状況を受けてコーシーが明らかにしたのは何かといいますと,連続関数の世界では微積分の基本定理が成立するという簡明な事実です.これを逆に見ると,当初から連続関数の範疇を出ないことに決めるなら,基本定理を定理と認識する必要はないということになりますし,関数の範疇を連続関数を越えたところにまで押し広げていくことにするなら,微積分の基本定理はもう期待されないということになります.コーシー以前の融通無碍の微積分の世界は,いわば数学の桃源郷でした.関数の観念が大きく広がっていくのに連れて,数学と数学者たちは外部世界に踏み出していくことを余儀なくされました.桃源郷を取り囲み,保護してくれる垣根の実体は「関数の連続性」の観念であることを明るみに出したところに,解析学におけるコーシーの試みの意義が認められるのではないかと思います.
 一変数の複素変数関数論にはコーシーの名を冠して「コーシーの定理」とか「コーシーの積分定理」と呼ばれる定理があり,理論全体の根幹を作っています.高木貞治の『解析概論』から引くと,次のようになります.

《解析関数f(x)は領域Kにおいて正則で,単純な閉曲線Cも,その内部も,すべてKに属するとする.然らば
    ∫f(z)dz=0.》(最後に出てくる積分は曲線Cに沿って一周して行います)

 解析関数という言葉はラグランジュに由来しますが,今日の複素関数論では,関数が解析的といえば,「局所的に見れば,収束するテイラ−級数で表示される関数」というほどの意味で使われます.この性質を解析性と言うことにすると,解析性は複素変数に関する微分可能性と同等になりますが,微分可能な関数のことは正則関数と呼ばれることが多いです.上に引いたコーシーの定理では,f(z)は「正則な解析関数」と言われています.先行する記述を見ると,「複素数平面上の或る領域Kの各点において微分可能な函数をKにおいて正則な解析函数という.あるいは略して単に正則ともいう」と規定されています.これは『解析概論』に特有の用語法ではないかと思います.
 正則関数と有理型関数を総称して解析関数という言葉が用いられることもあります.有理型関数というのは,「極」と呼ばれる簡単な特異点を定義域内に許容する関数です.たとえば,zは複素変数とするとき,関数f(z)=1/zは複素平面C(z)の原点z=0以外の地点ではzに関して微分可能ですが,原点z=0では値をもちません.それで,この関数C(z)から原点z=0を除去した場所で正則で,C(z)全域では正則とは言えません.z=0はこの関数の特異点です.ではありますが,この場合,z=0は位数1の極と呼ばれるいかにも簡単な特異点ですので,他のもっと複雑な性格を示す特異点と区別して,関数f(z)=1/zは複素平面C(z)の全域において有理型である,というふうに言い表わします.この関数はz=0において値をもたないのですから,ディリクレの関数の概念に沿うと原点を定義域の内点として取り扱うのは変則なのですが,このあたりは解析関数に固有の事情が反映しています.
 定義域ということであれば,解析関数には(正則関数にも有理型関数にも)解析接続という現象が附随しますので,自然存在域と言われる固有の定義域がおのずと定まります.そのため,解析関数の定義域を人為的に決めてかかるのは無意味になってしまいます.このあたりもまた,「関数概念には定義域が先行する」というディリクレに由来する観念をもってするのでは把握しがたいところです.
 閉曲線が単純とは,重複点,すなわち自分自身と交叉する点が存在しないことを意味しますが,普通,そのような閉曲線は「ジョルダンの閉曲線」と呼ばれています.
 さて,コーシーの積分定理から「コーシーの積分公式」と留数定理が即座に導き出されます.積分定理と留数定理を用いると,積分∫sinx/x dx (x=0からx=∞まで)やフレネル積分のようなむずかしい積分値が簡単に求められてしまいます.複素変数関数論を学ぶ際の醍醐味のひとつですが,コーシーの複素関数論自体,当初からこの状況をねらっていたのでした.求めようとする積分の形が複雑になると,微分計算の一覧表を見て不定積分を見つけるというコーシー以前の手法は適用しがたくなりますし,あらためて定積分の定義から作り直していくことが要請されるのではないかと思います.コーシーの心情を忖度しますと,コーシーにはコーシーの課題があったことが透けて見えるような感慨に襲われます.
 広義積分とは何かと簡明に問われたならば,どのように答えたらよいのでしょうか.コーシーは有界閉区間上の連続関数の定積分を考察しましたが,リーマンはなお一歩を進め,有界閉区間上の有界な関数の定積分を考察しました.有界閉区間上で考えるところは共通していますが,この場合,連続関数はつねに積分可能であるのに対し,有界関数は必ずしも連続ではありませんし,つねに積分可能とも言えませんので,リーマンがコーシーよりもさらに一般的な地点に進んだのは間違いありません.広く有界関数を相手にする場合には,可積分条件の探究という,新たな課題が課せられてきます.
 コーシーからリーマンへと足場を移した後に,さて広義積分とは,と考えますと,有界区間上の「有界ではない関数」,すなわち非有界関数はみな広義積分であり,前回例示した事例はこれに該当します.もうひとつの種類の広義積分は積分区間が有界ではない場合の積分で,有名な例を拾うと,
  ∫sinx/x dx (x=0からx=∞まで)
は広義積分です.被積分関数sin x/xはx=0に対する値が少々微妙ですが,lim(x→0)sin x/x=1となることに留意すると,この関数は有界であることがわかります.積分区間は数直線の右方に無限に伸びて行く区間[0, ∞)ですが,この区間上の積分の意味は,まずx=0からxまで積分を作り(これは有界閉区間上の連続関数の積分ですから,コーシーの定理により確定します),その後にx→∞として極限に移行します.その際,極限値が存在すれば,その極限値をもって積分∫sinx/x dx (x=0からx=∞まで)の値と定め,極限値が存在しないなら,この積分は収束しない,もしくは発散すると言い表わします.ここに例示した広義積分は収束し,積分値はπ/2になります.
 もうひとつの例を挙げると,積分
 ∫cos(x^2)dx, ∫cos(x^2)dx (x=0からx=+∞まで)
は広義積分ですが,ともに収束し,積分値はどちらも(1/2)√(π/2)です.この二つの積分はフレネル積分と呼ばれています.フレネルは1788年に生れ1827年に亡くなったフランスの数理物理学者です.コーシーは「ラプラース,ルジャンドル,ポアソン等が天文学又は物理学上の問題に関して種々の特殊なる定積分に遭遇した」と,高木貞治は述べていましたが,フレネルもまたラプラス,ルジャンドル,ポアソンたちの仲間に入れたいところです.
 コーシーがコーシーの和の極限として定積分を定義しなければならなくなった事情を考えて,所見を述べたいと思うのですが,そのためには広義積分についてもう少し話を続けなければなりません.これも『解析概論』に出ている例ですが,積分
  ∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)
を考えると,被積分関数f(x)=1/xはx=0において値をもちませんから,やはり広義積分です.前の例の場合と同様に,この積分は,εは正の数として,
 lim(ε→0)∫(1/x)dx(x=-1からx=-εまで)
 +lim(ε→0)∫(1/x)dx(x=εからx=1まで)
と意味するものと理解して,収束するか否かを考えると,まずx<0の場所ではlog(-x)は1/xの原始関数ですから,
 lim(ε→0)∫(1/x)dx(x=-1からx=-εまで)
 =lim(ε→0)log(ε)-log(1)
 = lim(ε→0)log(ε)
となります.次にx>0の場所ではlogxが1/xの原始関数になりますから,εユは正の数として,
 lim(εユ→0)∫(1/x)dx(x=εユからx=1まで)
 =log(1)-lim(εユ→0)log(εユ)
 =-lim(εユ→0)log(εユ)
となります.よって,
 ∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)
 = lim(ε→0)log(ε) -lim(εユ→0)log(εユ)
となります.ところが対数関数log xはx=0において値を持ちませんから,右辺の二つの極限値はどちらも存在しません.これで広義積分∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)は収束しないことがわかりました.
 ところが,こんなふうにも考えられます.積分∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)は二つの極限値lim(ε→0)((-1/ε)+1) とlim(εユ→0)(1-(1/εユ))の和とひとまず規定され,その和は実は存在しないというのですが,それはεとεユが相互に無関係に減少していくからであり,もしそれらの間に特定の関係があれば,状勢は変化します.たとえば,ε=εユとすれば,
 lim(ε→0)log(ε) -lim(εユ→0)log(εユ)
 =lim(ε→0,εユ→0)log(ε/εユ)
 =log(1)=0
となって,積分値∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)=0が確定します.コーシーはこの値を「主値」と名づけました.
 より一般的に,aは任意の正数として,εとεユがε=aεユという関係を維持しつつ0に向かって減少sていくとすれば,
 lim(ε→0)log(ε) -lim(εユ→0)log(εユ)
 =lim(ε→0,εユ→0)log(ε/εユ)
 =log a
となって,積分値∫(1/x)dx(x=-1からx=1まで)=log aが確定します.しかもaは任意なのですから,この広義積分の値として取りうる数値は無数です.この積分は唯一の確定値をもたないという意味では不確定ですが,無限に多くの値を与えることが可能ですし,それらの中に「主値」という名で呼ばれる特別の値が混じっています.コーシーは,『要論』の序文において「不確定積分に与えることのできる無限に多くの値の中に,特別の注意を払う値打ちのあるものがひとつ存在する」と語っていましたが,この言葉の意味はこうしてすっかり明らかになりました.
 解析概論の系譜を物語ろうとする試みも飽和状態に達したように思いましたので,もう一度全体を見渡して言葉が足りなかったところを少々補ったり,言及する機会のなかった重要事項を紹介するなど,言わば落ち穂拾いのようなことをしておしまいにするつもりだったのですが,コーシーの『解析教程』と『要論』から複素変数関数論へと話が展開して,終着点が見えなくなってしまいました.表題は「回想」となっていますが,あまり相応しくありません.当面のテーマはコーシーの複素関数論で,もう少し続きます.
 今日の複素変数関数論の起源を探索すると,特筆に値する三つの出来事が目に映じます.ひとつは対数の無限多価性の発見で,オイラーは負数と虚数の対数の考察を通じてこの認識に到達しました.この件についてはだいぶ前に語ったことがあります.第二の出来事はコーシーによる定積分の値の算出法の工夫ですが,今,それを話しつつあるところです.第三の出来事は,リーマンとヴァイエルシュトラスによる代数関数論の建設で,背景にはオイラーに淵源する長い物語が控えています.近代数学史の重要なテーマですので,これについては稿をあらためて語りたいと思います.
 さて,関数f(x)は実変数の実数値関数として,その定積分を考えるとき,この関数が連続で,しかも積分区間が有界閉区間であれば,積分値の算出は微積分の基本定理により遂行されます.すなわち,関数f(x)が連続の場合,そのひとつの原始関数F(x)を見つけると,
  ∫f(x)dx(x=aからx=bまで積分)=F(b)-F(a)
となります.これは今日の微積分のテキストの書かれている通りですし,これだけのことでしたら積分は無限小量f(x)dxの寄せ集めと考えておけば十分で,わざわざコーシーの和を持ち出して,その極限として定積分を定義する必要はありません.ですが,関数f(x)が連続ではない場合には,安直な計算が許されない事例にしばしば出会います.高木貞治の『解析概論』から簡単な一例を拾うと,関数F(x)=1/xは関数f(x)=-1/x^2の原始関数で,F(1)-F(-1)=2となります.ところが,f(x)の値はつねに負ですから,x=1からx=-1までのf(x)の積分値は負になるはずですから,等式
  ∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=1まで)= F(1)-F(-1)
は不合理です.すなわち,この場合には微積分の基本定理は成立しません.関数f(x)はx=0において連続ではなく,x=0を含む区間において積分可能性が破れてしまうところに原因があるのですが,それならそのような関数の積分はどのようなものと考えたらよいのでしょうか.ここにいたって積分の観念の拡大ということが問題になってきます.
 積分∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=1まで)でしたら,これを二つに分けて,x=-1からx=0までとx=0からx=1までの積分の和と考えます.正の小さい数εを取り,f(x)=-1/x^2のx=-1からx=-εまでの積分を考えると,これは存在します.そこで,その後にεを0に近づけていき,そのときもし極限値が存在するなら,その極限値をもって積分∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=0まで)の数値と定めます.これが特異積分とか,広義積分とか,変格積分などと言われる積分です.ここで例示した例については,極限値
 ∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=-εまで)=lim(ε→0)((-1/ε)+1)
が存在するか否かを検討することになりますが,これは発散してしまい,明らかに存在しませんから,広義積分積分∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=0まで)は存在しません.この「存在しない」というところを指して,「発散する」とか「収束しない」などと言うこともあります.もう一つの右側の積分∫(-1/x^2)dx (x=0からx=1まで)についても事情は同様で,今度は極限値lim(ε'→0)(1-(1/ε'))の有無が問題になりますが,これは存在しませんから,広義積分∫(-1/x^2)dx (x=0からx=1まで)はやはり収束しません.
 積分∫(-1/x^2)dx (x=-1からx=1まで)は収束しない二つの広義積分の和ですから,やはり収束せず,積分値をもちません.
 他方,関数f(x)=x^(-1/3)やf(x)=x^(-2/3)のx=-1からx=1までの積分は広義積分ですが,これらは収束し,それぞれ積分値0, 6を持ちます.これを確かめるのは容易です.たとえばf(x)=x^(-1/3)は連続な原始関数F(x)=(3/2)x^(2/3)をもちますから,xが0に近づくときの極限値はlim(x→0)F(x)=0となります.よって,
 ∫(x^(-1/3))dx (x=-1からx=0まで)
 = lim(ε→0)∫(x^(-1/3))dx (x=-1からx=-εまで)
 =lim(ε→0)F(-ε)-F(-1)=...=3/2.
こんなふうに計算を進めていくと,懸案の積分値が算出されます.

 コーシーの論文「虚数限界間の定積分の論」が世に出たのは1825年のことで,この論文は今日のいわゆる「留数定理」がはじめて記述されたことで知られていますが,コーシーにとって留数定理は目的のための手段にすぎなかったと高木貞治は言っています.では目的は何であったのかというと,高木貞治の言葉をそのまま引くと,「ラプラース,ルジャンドル等に由って当時『知られている殆ど凡ての定積分及びその他の多く』を,複素積分の手段に由って手際よく計算して見せること」なのでした.
 複素数でしたら1821年の『解析教程』でもすでに語られていましたが,コーシーの目には今日の複素数もしくは虚数は数とも量とも映じなかったようで,単なる記号と見て「虚表示式」などと呼んでいました.それでも,留数定理を経て定積分の数値の算出に適用されて,ようやく「虚表示式」が意義をもちうる場面が現れました.ひょっとするとコーシーは『解析教程』の段階ですでに,ここまでの展開を展望していたのかもしれず,それならそれで驚嘆に値する出来事です.コーシーの和による定積分の定義は「実数限界間の定積分」にほかなりませんが,ここを出発点に定めたのも,その先に「虚数限界間の定積分」を見ていたからなのではないかとも考えられるところです.真実はおそらくそうだったのであろうと思います.
 定積分の数値計算の工夫は,「実数限界間の定積分」から「虚数限界間の定積分」に移る前に,『解析教程』に続く1823年の『要論』においてすでに現れていました.次に挙げるのは『要論』の緒言の末尾の言葉です.

《積分計算では,「積分」もしくは「原始関数」の諸性質を伝える前に,その存在を一般的に証明しておく必要があると私には思われた.これを達成するために,まずはじめに「与えられた限界の間で取られる積分」すなわち「定積分」の概念を確立しなければならなかった.》

 ここで語られているのは,定積分の概念は原始関数の存在証明のために必要であるというアイデアですが,これについては既述の通りです.有界な閉区間上の連続関数に対しては定積分が確定し,そこから原始関数の存在が導かれます.他方,積分区間が有界ではなかったり,積分区間内に関数の特異点が存在したりする場合には,広義積分と言われる積分が現れます.以下に引くコーシーの言葉では「特異定積分」と言われています.
 広義積分は収束して有限確定値を取ることもあれば,発散して無限大になったり,確定値をもたなかったりすることもあります.有限確定値をもたない場合には,積分の値は確定せず,無数の値を取りうることになりますが,それらの値のうち,コーシーは「主値」と呼ばれる特別の値に着目します.

《定積分はしばしば無限大になったり不確定であったりすることがありうるから,定積分はいかなる場合にただひとつの有限値を保持するのか,という論点の究明が不可欠であった.この問題を解決する一番簡単な方法は「特異定積分」を使うことである.特異定積分は第25講のテーマである.また,不確定積分に与えることのできる無限に多くの値の中に,特別の注意を払う値打ちのあるものがひとつ存在する.それはわれわれが「主値」と名づけた値である.特異定積分および不確定積分の主値の考察は,一群の諸問題の解決にあたって非常に有益である.この考察から,定積分の決定に有効性を発揮するおびただしい数の一般公式が導かれる.それらは,1841年に学士院に提出した一論文において与えた諸公式と似通っている.第34講と第39講において,この種の公式のひとつが,いくつかの定積分の数値決定にあたって適用される様子を目の当たりにするであろう.それらの数値のうちのいくつかはすでに知られているものである.》

 不確定積分の主値の考察により,多くの特異定積分の数値の決定が可能になります.これが,複素変数関数論に踏み込んでいく直前の時点でのコーシーの工夫です.

 複素変数の解析関数の理論は以前はよく「関数論」と略称されたものですが,このごろは複素解析という呼び名も目立つようになりました.複素解析は一変数と多変数に分かれますが,多変数の複素解析は岡潔先生が登場するまでは,個別の事象がいくつか発見されたという程度で,まとまりのある理論ではありませんでした.それで,単に関数論といえばたいていの場合,一変数関数論をを指し,その源泉を求めて歴史の流れをさかのぼると,コーシーとリーマンに出会います.この二人の数学者は定積分の概念規定の際にも,「コーシー−リーマンの和」を作る場面でいっしょに語られましたが,一変数関数論にも「コーシー−リーマンの微分方程式」という基本方程式があります.
 多変数関数論についてはいずれ時をあらためて語ることにして,以下しばらく関数論といえばつねに一変数関数論のことと諒解することにします.コーシーに「コーシーの定理」があれば,リーマンには「リーマン面」があり,ともに関数論の創始者の名に相応しい数学者ですが,関数論の建設に向かった契機は,コーシーとリーマンではまったく異なります.
 コーシーの関数論については高木貞治の言葉が参考になります.以下の挙げるのは『近世数学史談』の第14章「函数論縁起」の書き出しの言葉です.

《コーシーの業績の中で最も顕著なのは何と言っても函数論の創立であろう.函数論と言えば誰でも先ず第一にコーシーを連想する.しかしコーシーは初めから今日の所謂函数論を建設することを意識していたのではなくて,研究の動因は定積分の計算にあったのである.ラプラース,ルジャンドル,ポアソン等が天文学又は物理学上の問題に関して種々の特殊なる定積分に遭遇した.・・・コーシーはそれらの定積分が複素変数を用いることに由って統一的の方法に由って計算されることを看破した.1825年の論文「虚数限界間の定積分の論」はそれを示すことを目的として書かれたのである.》

 今日流布している関数論のテキストに沿って勉強を進めていくと,「コーシーの定理」を基礎として,そこからさまざまな命題が導かれていきますが,留数計算にいたってひとつの山場を迎えます.留数計算は留数解析などと呼ばれることもありますが,この計算法を用いると,どうしたら計算できるのか途方に暮れてしまうような定積分の値がたちまち求められてしまいます.コーシーは当初からそれをめざしていたのだというのが高木貞治の指摘ですが,これはその通りと思います.
 解析概論の系譜をたどっていくと,オイラーの次に登場するのはラグランジュ,その次はコーシーです.細かく拾っていけば,オイラーやラグランジュと同時代の数学者はほかにも何人もいます.「ロールの定理」のロールについては簡単に触れたことがありますが,フランスではほかにダランベールとかラクロアなどという数学者が念頭に浮かびますし,ラグランジュの『解析関数の理論』の序文にはアルボガストなどという人の名も出てきました.同じ序文には「ランデン変換」のランデンという人の名も見られました.ランデンはイギリスの数学者ですが,イギリスでしたら,マクローリン展開」のマクローリンや「テイラー展開」のテイラーなど,ニュートンの系譜を継ぐ数学者がいます.このような人たちのひとりひとりについて著作や論文を検討するのは無意味な作業ではないと思いますが,オイラーからラグランジュへ,ラグランジュからコーシーへと続く線がやはり解析概論の基幹線ですし,何よりもまずこの三人の作品を深く検討しなければならないのではないかと判断した次第です.
 ラグランジュの名は『解析力学』という著作と組になって語り伝えられてきたように思いますが,力学ばかりではなく,ラグランジュは数論や代数方程式論の領域でも深い思索を展開しています.数学のあらゆる分野においてオイラーの遺産を継承した大数学者ですが,無限解析における寄与はほとんど語られることがないのは,『近世数学史談』の記述の通りです.実際にはラグランジュは無限解析の基礎を確立しようとして苦心を重ねた人で,『解析関数の理論』『関数計算講義』という著作を遺しました.ところが,ほどなくしてコーシーの『解析教程』『無限小計算講義要論』が現れるに及び,ラグランジュの著作はたちまち色あせてしまったというのが,『近世数学史談』における高木貞治の所見でした.
 実際の経緯は高木貞治の言う通りで,ラグランジュの著作が話題に登ることはめったになく,ときたま数学史の書物で取り上げられることがあっても,たいていは否定的で,高く評価されるということはありません.ぼくにしても書名のみ知って,中味を読むところまではなかなか踏み切れなかったのですが,だいぶ前に杉浦光夫先生と話をしたおりに,杉浦先生は読んだというので感嘆したことがあります.それで,通説にまどわされて敬遠するのはよくないと反省し,読み始めました.序文や本文の検討とは別に,書名に見られる「解析関数」と一語は重要で,今日の複素変数関数論に継承されています.
 だいぶ昔のことになりますが,高校の数学の問題に「次の関数の定義域を書け」というタイプのものがありました.たとえばf(x)=1/xという式が書いてあるとすれば,これを関数と見ると,x=0に対しては,対応する値が存在せず,他のすべてのxの実数値に対しては1/xという一個の値が対応します.そこで,この式,すなわち関数の定義域としては「実数の全体からx=0を取り除いた残りの部分」と答えるのが正解になります.式が書かれていて,その式の定義域を指定せよというのですから,関数というのはオイラーのいう解析的表示式のことと諒解されていることになります.
 このタイプの問題はいつのまにか見られなくなりました.関数には先天的に定義域が附随し,定義域と値域が指定されてはじめた関数が考えられるという,今日の関数概念が普及したためと思われますが,この経緯には,オイラーからコーシーを経て今日へと続く関数概念の変遷史が凝縮されているかのようで,実に興味深い状況です.
 今日の関数概念を基礎にすれば,いきなりf(x)=1/xという式を書いて,その後に定義域を考えるというのは本末転倒であり,開区間(0, 1)とか,閉区間[2, 5]とか,x=0を含まない場所をまずはじめに指定し,その場所の上で,式f(x)=1/xで与えられる関数を考えるという手順になります.ですが,1/xのような式を考える場所をあらかじめ限定するというのはいかにも不自然であり,ぼくらの「情」はこれをなかなか受け入れません.
 複素変数関数論の基礎を作るのは「解析関数」という概念ですが,解析関数には解析接続という現象が伴っていて,どの解析関数にも固有の自然存在領域が伴います.たとえあらかじめ何らかの場所を指定して,そこで解析関数を考えたとしても,解析接続が自由に作用して,存在領域はおのずと大きく広がっていきます.解析関数にとっては,定義域を前もってしていするのは無意味なのですが,これはすなわち「式」というものにおのずと備わっている性質にほかなりません.1/xという式を見れば,その自然な存在領域は,式の形を一瞥するだけではじめから明白だからです.
 解析的表示式から始まった関数概念は集合間の一価対応へと変容しましたが,複素変数の解析関数を考えるにいたって再び出発点に立ち返ったかのような印象があります.ラグランジュはテイラ−展開のアイデアを基礎にして,関数とそのすべての導関数を一挙に把握しようとして「解析関数」の一語を提案しましたが,この言葉は複素変数関数論の場で今も生きているラグランジュの遺産です.
 「解析概論の系譜」と題してとりとめのない話を長々と続けてきましたが,語るべきことはほぼ語り終え,勉強の及ばない多くの部分はまだ語れないという臨界点に,だんだんと接近してきたように思います.微積分の始まりをライプニッツの二論文と定め,ライプニッツとベルヌーイ兄弟との学問的交友を通じて,ライプニッツが発見した微積分の芽が生い立ったというふうに語りたかったのですが,そんなふうに思った時点ですでにいくつかの不備が目立ちます.何よりもまず,微積分の始まりということでしたら,微分計算と積分計算のライプニッツとともに流率法のニュートンを語らなければならないのですが,勉強が足りないために実行できません.ニュートンについては目下,バーンサイドが編纂した「ニュートン数学著作集」(全8巻)を底本として邦訳の試みが進行中ですので,成り行きを見守りたいと思います.
 それからライプニッツとベルヌーイ兄弟の往復書簡の重要性は言うまでもなく,全部でおおよそ200通ほどになりますが,巨大な山塊を形成して,微積分の本質に迫ろうとするあらゆる試みの前にたちはだかっています.この山脈を踏破した人は日本にはまだ現れていないと思います.
 話が前後しましたが,ライプニッツについては工作舎から『ライプニッツ著作集』(全10巻)が刊行されていて,数学に関する諸論攷は巻2と巻3に集められています.このあたりに糸口を求めて分け入っていくのは有効と思いますし,ライプニッツ自身の書き物を研究するのは不可欠でもありますが,ライプニッツの数学理論の解明の試みがベルヌーイ兄弟との往復書簡の壁にぶつかってしまうのは,どうしても避けられません.
 ベルヌーイ兄弟についてはそれぞれ全集が編纂されていますが,どちらも巨大な壁を作っています.とりあえず気にかかるのはヨハン・ベルヌーイがパリでロピタルのために行った二つの講義の記録(微分計算と積分計算)ですが,特に微分計算については,1696年のロピタルの著作『曲線の理解のための無限小計算』と比較して,ロピタルはベルヌーイのコピーといううわさの真偽を確認したいところです.この作業にはそれほどの困難はなく,相当に進捗しました.
 ベルヌーイ兄弟ばかりではなく,ベルヌーイの一族には有力な数学者が8人まで数えられています.うわさ話はいろいろ聞えていますが,実像を見るのは至難であり,ベルヌーイ一家は依然として謎の数学者集団です.
 ヨハン・ベルヌーイの学問上の弟子の中でひとりだけ飛び抜けているのはオイラーですが,オイラーの全集もまたあまりにも巨大でありすぎます.全集を構成する四系列のうち,第一系列の数学著作集は全29巻,全30冊で,全容を思い浮かべようとするだけでたちまち気が遠くなってしまうほどですが,それでも長年の努力の結果,無限解析の三部作と数論の論文集のほか,だいぶ解明が進みました.目下,オイラー研究所の尾崎管理人とゼミを繰り返し,オイラーの変分法のテキストを読んでいるところです.このゼミは一年半ほど続いています.それと,石原研究員といっしょにオイラーの代数学のテキストを読んでいますが,このゼミはこの春からですので,まだ入口のあたりです.解析概論の系譜という視点に立てば,オイラーの三部作の解明が基礎になりますが,微分と積分の計算の基礎を作るのは代数ですし,変分法は無限解析が縦横に活躍する舞台なのですから,やはり不可欠です.
 コーシーがそうしたように,極限概念を全面的に採用して無限小の世界を離れようとしたのは,関数概念に極度に一般化され,抽象的な一価対応になってしまったためでした.そのような関数を従来の通りy=f(x)と表記したとしても,xもyももはや変化量ではなく,ただ単に数xに対して一個の数yが対応する「対応の規則」が指定されているだけにすぎません.それならどうしてxとyの微分dx, dyを考えることができるでしょう.
 微分を考えることができない以上,dxとdyの比dy/dxを直接とらえようと試みるほかはなく,そのために微分商
  (f(x)-f(a))/(x-a)
を作り,xをaに近づけるときの極限値が存在するか否かを問うという構えを採ることになります.ところが,今度はxは変化量ではなく,自律的に変動するとは考えられていませんし,そもそも量ですらなく,単なる数にすぎません.単なる数にすぎないxがどうしてaに近づいていくことができるのでしょうか.
 つい先ほど,「xをaに近づける」とか「xがaに近づく」などと言いましたが,これは便宜上というか,言葉の綾にすぎず,実際にはxがaに近づいていく状勢を思い浮かべることはできません.そこでどうするかというと,今日の微積分では,極限ということの意味合いを確定するために,「イプシロン−デルタ論法」という,あのいかにもわかりにくいスタイルが採用されます.この習慣は今ではすっかり定着しましたが,たいていの場合,受け入れるのは困難です.「変化量が近づく」という動的なイメージが日常的な観念によく適合するのに対し,「イプシロン−デルタ論法」のような静的な定式化は,知的には問題がなくても,情はこれを拒絶しようとします.日常的な裏打ちがありませんから,どうしても違和感をぬぐいきれないのですが,知的には問題がなさそうなところに着目すれば,なんとなく厳密な理論が構成できたような感じもあります.
 無限小の世界に実在感をもつことができたとして,微分計算の手順を経て無限小の世界に移行すれば,そこは単色の世界ではなく,さまざまな度合いの無限小の世界が層を作っています.無限大の世界についても事情は同様です.これに対し,抽象的な一価対応としての関数を採用してどこまでも有限の世界に留まるのであれば,今度は関数の作る世界が階層化します.関数は不連続関数と連続関数に二分され,連続関数の中で微分可能な関数が層を作ります.さらに,微分可能関数の中でも,微分は何回まで可能なのかと考えていくと,階層は限りなく深まっていきます.究極にあるのは無限回微分可能な関数ですが,その世界もさらに解析的な関数と非解析的な関数に分かれます.
 こんなふうに抽象的な関数の性質を腑分けしていくことができるようになるのは,「変化量とその微分」を放棄して,極限概念を基礎にするというアイデアを採用したおかげですが,代償もまた払わなければなりませんでした.微分計算の姿がきわめて煩雑になったのはやむをえないとしても,たとえば微分と積分の関係は当初は先天的に互いに他の逆演算だったのですが,コーシー以降は微積分の基本定理という大掛かりな命題の教えることとして受け入れなければならないことになりました.また,定積分の概念がコーシーーリーマンの和の極限として大域的に規定されたため,積分の計算はもはや「無限小の寄せ集め」ではなくなり,無限解析の草創期の簡明さは完全に失われました.それに,関数とその導関数を基礎にすると,微分方程式の解の概念が明確さを欠きがちになってしまいますが,この点は惜しんでも惜しみきれないほどの実に残念な代償です.
 ライプニッツに始まる無限解析と無限小解析の系譜はコーシーにいたって大きく変容し,微分法と積分はひとまず別個に構成され,その後にいわゆる「微積分の基本定理」により合流するという構えになりました.オイラーの無限解析とはまったく似たところのない様相ですが,関数概念が大きく拡大されて全面的に表に押し出され,関数の微分(微分法)と関数の積分(積分法)の理論を別々に組み立てなければならなくなりましたので,どうしてもそんな体裁になるほかはありません.共通の理論的基盤は,周知のように,「極限」の概念です.
 コーシーの微分法では平均値の定理が根柢を作っていましたが,積分法では,何よりもまず,与えられた関数の原始関数の存在を証明することが基本になります.ところが,与えられた関数の原始関数というのはどのようなものであるのか,あるいは,どのようなものであるべきなのか,実際には前もってわかっています.すなわち,それは,与えられた関数の積分関数にほかなりません.コーシーは連続関数の原始関数の存在を証明しようとしたのですが,そのためにコーシー和の極限を考えて定積分の概念を導入し,その存在証明を試みました.この命題の証明のためには,実は有界閉区間の上の連続関数は「一様連続」であるという性質に依拠しなければならないのですが,コーシーはこれは認識していませんでした.それで証明に不備があるのですが,数学史の流れから見ると大きな欠陥とは言えず,後に続く人々の手で修正されました.解析学の厳密化の道はこの種の修正を丹念に行っていくことで前進したのですが,進むべき道を力強く指し示したのはコーシーです.
 ともあれ連続関数の原始関数の存在証明というふうになると,連続関数というもの性質そのものに基づいて実行するほかはありませんし,変化量とその微分を考えるオイラーの世界から非常に遠い場所にたどり着いてしまったという感慨があります.
 「ロールの定理」のロールについてもう少し情報が集るといいのですが,何分にもこれまでの蓄積がありませんので,今のところ立ち入ったことは何も言えません.昨日,「ロールの定理」の初出と見られる論文(「論文」と書きましたが,不詳.独立した論文ではなく,単行本の一節なのかもしれません)を紹介しましたが,それを知ったのはつい最近のことで,昭和9年に刊行された藤原松三郎の著作『微分積分学 第一巻』(内田老鶴圃,うちだろうかくほ)に教えてもらいました.この著作は2巻本で,第2巻は昭和14年に刊行されています.定理や命題,例,問題などに引用元の文献が細かく指示されているところに他書にない特徴がありますが,「ロールの定理」のところにもこの特性が発揮された次第です.高木貞治の『解析概論』とはまた別のおもむきがあります.しばらく座右に置いて観察を続け,おもしろい発見があれば報告したいと思います.
 ロールの定理は1691年までさかのぼるとして,平均値の定理はロールの定理から即座に派生しますし,テイラー展開,マクローリン展開,ロピタルの定理,多変数関数の条件つき極値問題に対するラグランジュの未定乗数法等々,みなコーシー以前にすでに出現しています.
 さて,『近世数学史談』にもどり,コーシーとラグランジュを比較する高木貞治の所見を聞きたいと思います.高木はこう言っています.

《歴史上「網要」の重大性を理会するには,それを当時の権威であったラグランジュの「函数の理論」と並べて見ねばならない.ラグランジュの「函数の理論」は十八世紀の終末に於ける微積分法批判の試みとして貴重なる史料ではあるが,それを今日白日の下に曝らすには斟酌を要する.試みに譬喩を以って言えば,比例式
  (Cauchyの網要)  : (Lagrangeの函数の理論)
 =(Gaussの「整数論研究」) : (Legendreの「整数論試作」)
でもあろうか.ここでも時世の推移が急速度であったことが目立つのである.コーシーが発散級数は和を有しないから,テーロルの展開は積分法に譲って剰余項を添えねばならないと断えず高調するのはラグランジュのあやふやなる「函数の理論」を葬る為の告別辞であったのである.》

 ルジャンドルの『数論のエッセイ』にはガウスのD.A.のような創意はありませんが,オイラーの数論を懇切に祖述するところに本領が認められるのですから,単なる歴史史料ではありません.同様に,ラグランジュの『解析関数の理論』は単なる微積分批判の試みとは言えないのではないかと思います.高木貞治の所見はどれもそれ自体としては正しいと思いますが、『解析関数の理論』の序文を見れば諒解されるように,無限小の世界から離れようとする姿勢を大胆に打ち出したところに,ラグランジュの真価があります.コーシーはこのラグランジュの姿勢をはっきりと自覚して継承し,無限小量を「どこまでも限りなく小さくなる変化量」と規定して無限小の世界から離れました.コーシーと比較してラグランジュの値打ちを引き下げるのはやはり不適切で,無限小の観念を放棄する道筋の模索という一点において,ラグランジュからコーシーへと続く連続なつながりを深く味わうべきなのではないかと思います.
 微積分の「ロールの定理」に名を遺したミシェル・ロール(1652-1719)はフランス中部のオーベルニュ地方のアンベール(Ambert)という町に生れた数学者ですが,数学は独学で学んだと伝えられています.20歳をすぎてからパリに出て,30歳をすぎたころ科学アカデミーの会員に選出されたとのことですが,生涯はよくわかりません.数学では主に代数や不定解析や幾何を研究し,『代数学概論』という著作があります.この本のテーマは方程式の理論のようですが,未見です.
 ロールには「あらゆる次数の等式を解く一方法の証明(De'monstration d'une me'thode pour re'soudre les egalitez de tous les degrez)」という書き物があり,ここに「ロールの定理」がはじめて記述されたということですが,やはり未見です.公表されたのは1691年ですが,学術誌に掲載された独立した論文なのか,あるいは著作の一部分を占めるのか,不明瞭です.もう少しオリジナルを探索し,何かわかりましたら報告したいと思います.
 いずれにしてもロールの定理の原型は,無限解析ではなく,代数方程式論の中に現れたのでした.ずっと後に微積分の整備が進んだとき,1691年のロールの定理が回想されたのでしょう.逆に,現今のロールの定理を既知とすれば,代数方程式の根に関するいろいろな知見が手に入ります.たとえば,nは自然数として
  P -n (x)=1/(2・4・6...・2n)・(d^n)((x^n-1)/d(x^n)
と置くと,「ルジャンドルの多項式」と呼ばれる次数nの多項式が得られますが,方程式
  P -n (x)=0
の根はすべて実数で,しかも開区間(-1, 1)の間にあることが,現今のロールの定理により簡単にわかります.このような状勢を見ると,ロールによる一番はじめのロールの定理は,何かしら代数方程式の根(しかも重根)の存在に関する命題だったのではないかと見てよいのではないかと思います.
 コーシーを語る高木貞治の言葉の詰めの部分に耳を傾けたいと思います.以下の引用は『近世数学史談』から取りました.

《「綱要」も工芸学校に於ける講義に基づくものであるが,二学年に亘る講義の前半として微分法とそれに続いて積分法の一部分が述べてある.「教程」と同じく批判的に,微積分法の建て直しを試みたものである.既に「教程」に於て無限小及び極限の概念が確定されて,従来の「哲学的」と称して実は曖昧模糊であった成分が掃除されてしまうのだから,立脚点は確かなものである.微分法では平均値の定理
   f(x+h)-f(x)=hf'(x+θh)
が基調を成し,積分法では定積分の存在証明が出発点になっている.一見すれば現今の微積分法教科書と同じようで甚だ平凡のようである.即ち反面から見れば,現今の微積分法はコーシーが与えた型を守りつつあるのである.》

 コーシーの微分法の基調を作るのは平均値の定理と言われていますが,この場合,問題になるのは関数f(x)をどのようなものと考えるのかというところです.関数としてオイラーの解析的表示式を想定するのであれば,あまり煩雑な式であったり,理解するのに大きな困難の伴う式であったりすると困りますが,たいていの場合には平均値の定理は自明になり,証明する必要のない一事実として受け入れられるのではないかと思います.これに対し,一般的な微分可能関数f(x)を対象にする場合にはどのようになるでしょうか.今日の微積分のテキストを見ると,平均値の定理の対象となるのは,有界閉区間[a,b]において連続で,しかも開区間(a,b)において微分可能な関数f(x)です.平均値の定理の前にロールの定理がありますが,f(a)=f(b)=0という附加条件のもとで,f'(ξ)=0となる点ξが開区間(a,b)内に少なくともひとつ存在することが主張されます.平均値の定理は今日の微分法の根幹を作る基本定理ですが,ロールの定理から簡単に派生するのですから,ロールの定理こそ,基本中の基本の定理です.
 それならロールの定理はどのように証明するのかといえば,証明の根幹は,「有界閉区間上の連続関数は必ず最大値と最小値を取る」という事実です.これはヴァイエルシュトラスの定理と呼ばれていますが,そのまた証明はというふうにさかのぼると,「実数の連続性」に突き当たり,そもそも実数とは何かという反省を強いられることになります.この全容がコーシーの段階ですでに完全に明らかにされたわけではありませんが,微積分を構築する新たな道筋をコーシーが開いたことは間違いなく,コーシー以降,コーシーが指し示した道を整備しようとする一連の作業が重ねられました.これは解析学の厳密化と呼ばれる出来事ですが,コーシーのアイデアに出発点を供給したロールの定理の初出を探索すると,実に1691年という時点にさかのぼります.無限解析の始まりを告げるライプニッツの二論文が公表されてまもないころであり,ヨハン・ベルヌーイがパリで無限解析を講義した年でもありました.

 コーシーによる数と量の体系では,まずはじめに数が登場しますが,その数はいわば絶対的な意味合いでの数,しいて言えば「正の数」なのでした.コーシーには「負の数」はなく,「数」は「量」の概念の呼び水として機能します.
 量を語るコーシーの言葉をもう少し続けます.

《したがって,ある与えられた大きさは,単位としてとられた他の同種の大きさと比較するだけであれば,ある数によって表されるにすぎないし,ある定められた同種の大きさとの増減を表すために使わなければならないと見なされるときには,前述の数に符合+または符合-をつけたものにより表される.》
《このようにすれば,数の前に置かれた符合+または-は,さながら形容詞が名詞の意味を変えるように,大きさの意味を変える.量の基部をなす数を量の数値,同じ数値と同じ符合をもつ量を等しい量,数値については等しいが逆の符合がついた二つの量を反対の量と呼ぼう.》

 量には正負の区別があり,量と量の和と差および積と商,すなわち加減乗除の四演算が規定されますし,量の冪と冪根,量の指数と対数も次々と導入されます.その様相は今日の微積分のテキストに見られる記述と寸分も違うところがありませんが,ただコーシーで「量」というところが今ではことごとく「数」に変っています.絶対数に正負の符合をつけた記号を量と称しても,もはやオイラーの時代のような実在感はありません.
 コーシーがなお量の一語を温存したのは歴史の名残りのようなものにすぎず,コーシーの時点で「量」は事実上すでに放棄されたと見てよいのではないかと思います.では,なぜ量は放棄される道をたどることになったのか,という疑問が残りますが,微積分の様相が推移して,量に踏み留まると身動きがとれなくなる状況に立ちいたったという事情もたしかにありました.コーシーのころには関数概念はすでに極端に一般化されていて,コーシーはきわめて抽象の度合いの高い関数を対象にして微積分の理論を組み立てなければなりませんでした.素朴な量の観念から出発するのでは,諸定理を証明することはできなかったのではないかと思われますし,まさしくそこにコーシーの苦心がありました.
 今日の数学では量の概念は完全に放棄され,根柢に横たわるのはもっぱら数の概念のみになってしまいましたが,オイラーの時代には事情は逆で,数というよりも量ばかりが前面に押し出されていました.量の姿が見えなくなり始めたのは19世紀の終りがけのころからのことで,それまでには過渡期ともいうべき一時期がありました.コーシーの『解析教程』の序論は数と量を語ることから始まっていて,両者の関係について並々ならぬ関心を寄せていたことがわかります.このような記述はラグランジュには見当たりません.コーシーは過渡期のはじまりというか,量から数への転換に先鞭をつけたと見るべきなのではないかと思います.
 変化量と定量はオイラーにもありましたが,オイラーのいう変化量とは「一般にあらゆる定値をその中に包摂している不確定量,言い換えると,普遍的な性格を備えている量のこと」(『無限解析序説』巻1,第1章「関数に関する一般的な事柄」に出ている言葉)というのですが,量の概念それ自体は何かという問いは見られませんでした.コーシーはこの点を明確にすることを試みて,まずはじめに数を語り,すぐに続いて量を語ります.

《我々は常に大きさの絶対測定から数を取り出して,算術で用いられる意味において数という呼び名を採用する.また,正あるいは負の実量,すなわち前述の数に符合+または-をつけた数にのみ,量という呼び名を当てることにする.さらに,量を,増加や減少を表すために設定されたものと見ることにする.》

 このように定めるのであれば,コーシーのいう「数」は正の数のみに限定されることになります.これだけでは日常的に観察される意味合いにおける「量」の増減を記述することはできませんから,コーシーは「符合つきの数」を導入します.符合というのは「+」と「-」の二種類ですが,前述の「数」の前方に符合を配置して,aは「数」を表すとして+a, -aという形の「数」を考えます.大きさの絶対値を表すものが数で,その数に符合をつけたもの,記号の一種ですが,そのようなものをあらためて「量」と呼ぶことにするというのです.量「+a」は正の数,量-aは「負の数」そのものなのではないかという印象を受ける場面ですが,あえて「量」という呼称を与えるところに,いかにも過渡期らしい雰囲気を感じます.
 高木貞治によれば,コーシーは「無限小の正しい定義が高調されて,それから極限の概念が整然と導かれる」と述べていますが,実際の順序は逆で,まず極限がはじめに語られて,そこから無限小の概念が導かれています.コーシーは,どこまでも限りなく小さくなっていく変化量,すなわち0を極限にもつ変化量を指して無限小というのですが,これはつまり,「無限に小さい量」の世界を想定するのを断念し,ただそんな世界にどこまでも望む限り近づいていきつつある状態を想像するだけに甘んじようということにほかなりません.心情の世界にははっきりと無限小の世界を描いていながら,その世界を表立って語らないようにするという配慮ですが,この点はラグランジュも同じでした.
 オイラーは無限小量というものをはっきりと把握し,そのようなものを考えるのが嫌なら,限りなく小さくなっていく有限量の系列の行く着く先を想像すればよいのではないかと語っていました.これはあくまでも無限小量を理解するための工夫ですが,コーシーはここを逆転し,限りなく小さくなっていく有限な変化量を想定し,それ自体を無限小量と名づけました.これならたしかに無限小量そのものを語ることなく,事実上,同じ効果を期待することができそうです.巧みな言葉の工夫と思います.
 ライプニッツが(それにニュートンも)何かしら重大な発見をしたのは間違いないとして,その発見それ自体を描写しようとするとなぜか困難に逢着してしまいます.そこでラグランジュは迂回路を考案し,テイラー展開を基礎にして関数とその導関数を一挙に把握しようと試みましたが,コーシーは無限級数の中には収束するものと発散するものがあること,発散する無限級数は和をもたないことを指摘して,ラグランジュのアイデアの根柢を揺さぶりました.
 ラグランジュもコーシーも無限小それ自体を語るのを避けながら無限小の世界を描写しようとしたところは共通していますが,ラグランジュに代ってコーシーが持ち出したのは,極限の概念,すなわち「どこまでも限りなく近づく」という素朴な観念を唯一の礎石とするというアイデアでした.素朴な日常的な観念ですから,あらゆる人にい共有されるのは間違いなく,無限小量のときのような反発を引き起こす恐れはありません.無限小量と言う代りに,「どこまでも限りなく小さくなる量」という言い方をするのは,人々の感情的な反感を誘わないという意味において巧みな工夫です.ではありますが,コーシー以前の微積分は曖昧であったとか,微積分はコーシーのアイデアによりはじめて厳密な理論になったと言うのは,必ずしも当らないのではないのではないかと思います.コーシーのアイデアによりはじめて見えてくる景色もたしかにありましたが,失われた利点もまたいくつもありました.厳密化というよりもむしろ,模様替えというか,衣裳を取り替えたというくらいのところが穏当な評価なのではないでしょうか.
 オイラー研究所の尾崎管理人の尽力により、岡潔先生の没後30年を記念する一室が研究所内に設置されました。「文書目録」「年譜」「写真館」の三つのセクションに分かれていますが、各々のセクションにエッセイが配置されています。これからも漸次増えていくことになりそうで、たいていは岡先生に関するものですが、「文書目録」のセクションのエッセイ「ただ二度きりの邂逅」は奥井潔先生を追悼する一文です。これだけは岡先生とは関係ありません(岡先生と奥井先生は偶然、お名前が同じです)。
 このエッセイには中勘助先生が登場します。中先生は夏目漱石の教えを受けた詩人で、『銀の匙』(岩波文庫、角川文庫など)の作者です。『銀の匙』は中先生の幼年期を回想する小説ですが、ぼくは高校三年生のとき一読し、衝撃を受けました。当時はもう中先生は亡くなっていましたが、御家族は健在で、大学に通うため東京に出て間もないころからしばしばお訪ねしました。中先生のお宅は中野区新井町にありました。
 中勘助先生の評伝を書くことは40年来の念願で、ライフワーク中のライフワークです。奥様からおりに触れていただいたお手紙もたくさん手元にあることですし、よい機会を見て中先生のことを語りたいと考えています。
 コーシーの『解析教程』に対する高木貞治の評価はきわめて高く,賞讃の言葉が続きます.

《「教程」の内容は豊富で,今日代数学に属せしめられる事項も多く含んでいる.対称式,交代式,行列式,補間法,部分分数,三次,四次の方程式の代数的解法等がそれである.》

『解析教程』には三次方程式と四次方程式の代数的解法は記されていませんが,他の事項については高木貞治の言葉の通りです.ただし,本文ではなく,巻末の「ノート」に記載されています.本文のテーマはやはり『解析教程』の書名の通り微積分の基礎理論で,高木貞治もまた「しかし我々が歴史上興味を有するのは「教程」の解析的の部分である」と前置きした上で,次のように述べています.

《そこには無限小の正しい定義が高調されて,それから極限の概念,函数の連続性の意味が整然と導かれている.無限級数の和は極限として定義せられ,収斂の鑑別法がいろいろ挙げてある.これらは先ず実数に関して述べられてから,すべて複素数の上に拡張されている.》

 無限小の定義は巻頭に配置された「序論」に出ていますが,無限小に先立って変化量と定量と極限が登場します.コーシーの記述を順に追うと,まずはじめに「互いに異なるいくつもの値を次々に受け取ると考えられる量を変化量を名づける」(西村研究員の訳文.以下も同様です)と,変化量の概念が規定されます.次に,「ある固定した定値を受け取るあらゆる量を・・・定量と呼ぶ」と,定量の概念規定が続きます.これらの定義はオイラーの『無限解析序説』に見られるものと同じです.極限の概念はやや複雑で,次のように表明されています.

《ある同一の変化量に次々に割り当てられる値がある一定の値に限りなく近づき,最後にはどれほどでも望むだけわずかな違いしか見られないようなとき,この値は他のすべての値の極限と呼ばれる.》

 例として無理数と円の面積が挙げられています.無理数はその無理数にどこまでも近づいていくさまざまな分数の極限ですし,円の面積は,円に内接する多角形の面積が,辺の個数が増加するのに連れて収束していく先の極限です.このような極限の概念はオイラーやダランベールももっていたと思いますが,どこまでも近づいていくという観念はありきたりのものですし,これ自体は何事でもありません.ところがコーシーは極限の概念を基礎にして,無限小量の定義をこんなふうに語ります.

《同一の変化量の連続する数値が,与えられたどのような量よりも小さくなるように減少するとき,この変化量は無限小あるいは無限小量と名づけられる.この種の変化量は0を極限にもつ.》

 これによれば,コーシーのいう無限小量の実体はあくまでも変化量なのであり,ただ,どこまでも小さくなるという属性を備えています.いかなる量よりも小さい量というような量ではなく,この点はオイラーの無限解析と比べて大きく異なっています.
 虚数に対するコーシーの所見の明快さは際立っていますが,どこまでも形式的に虚数を見ようとするところは複素変数関数論の建設者としては不可解ですし,不審でもあります.コーシーの『解析教程』や『要論』の100年ほど前には,負数と虚数の対数とは何かという問題をめぐってライプニッツとヨハン・ベルヌーイが熱のこもった書簡をやりとりしていましたし,少し後にはオイラーもこの議論に算入して,対数の無限多価性という,複素変数関数論への道を開く基礎的認識を表明しました.彼らはみな虚数の実在感を共有していましたし,その実在感こそ,数学というものの唯一の源泉なのではないかと思います.
 ところがコーシーにはそのような感性はありません.√-1という記号は「平方すると-1になる数」を表しますが,コーシーにとっては,そのようなものはいかなる意味でも「数」ではなく,「平方すると-1になる」という計算規則のみが課された単なる記号にすぎません.意味を捨象して形式のみに着目するという姿勢に徹するということですから,「平方すると-1になる数」とは何かという疑問はおのずと消失し,理論構築はどこまでも透明になります.意味の消失と理論の透明さは背中合わせであり,決して両立することはありません.このあたりの消息は,20世紀後半の数学の潮流となったいわゆる抽象化に通じるものがあるように思いますが,コーシーの段階ですでにこの傾向が感知されたのはやはり驚きで,オイラーやガウスとは異質のもうひとつの数学があることが,コーシーの著作を読んではっきりとわかりました.
 『解析教程』の序文は次のように続きます.

《このような主義に忠実なるが為に,予は一見奇怪なるが如き多くの命題を承認することを余儀なくされた.例えば,第6章に於ては発散する級数は和を有せぬことを述べた.又第7章に於ては虚数の間の等式は実数の間の二つの等式を表す記号にすぎないことを述べた.又第9章には或る算式に於て初めに実数と看做されたる常数又は変数に虚数の値を与えるときには,虚数に関して記号の意味を確定すべき規約を設けないでは用いられないことを述べた・・・》

 ここに引いたのも高木貞治が試みた訳文です.「或る算式」の原語はune fonctionで,「関数」のことですが,高木貞治はこれをオイラー風の解析的式の意にとったのではないかと思います.
 コーシーの言葉に対する高木貞治の所見は次の通りです.

《これらは現今に於ては,あまりにも当然であるが,「一見奇怪」と感ぜられるような時代に,コーシーの「教程」が公にせられたのである.それを思えばコーシーの着想の如何に高かったかが想像されるであろう.》