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(ガウス76)D.A.に見る数論史(33)ルジャンドルへの批判 IV

ルジャンドルによる平方剰余相互法則の証明が続きます。

IV pは4n+1型の素数、qは4n+3型の素数とします。このとき、同時にpRq, qNpとなることはありえません。これを示すために、p, qの双方の平方非剰余であるような4n+1型の正の補助的素数r、すなわち同時にrNp, rNqとなる素数rを取ると、IIによりqNrとなり、IIIによりpNrとなることがわかります。よって、pqRr。また、もし同時にpRq, qNpとなるとすれば、prNq, -prRq, qrRpとなります。したがって、方程式pxx-qyy+rzz=0では、すべての可解条件が満たされています。ところが、係数p, -q,rはすべて≡1(mod.4)なのですから、「所見」によれば、この方程式は解をもちえません。これで、「同時にpRq, qNp」となることはありえないことがわかり、基本定理の「3」と「6」が示されました。
 
V これで最後になりますが、今度はp, qはともに4n+3型の素数とします。このとき、同時にpNq, qNpとなることはありえません。実際、もしそんなふうになっているなら、p, qの双方の平方非剰余になっているような4n+1型の正の補助的素数rを取ると、qrRp, prRqとなります。しかも、IIよりpNr, qNrとなることがわかりますが、これよりpqRrとなります。しかもrは4n+1型ですから、-pqRr。よって、方程式-pxx-qyy+rzz=0はすべての可解条件を満たしています。ところが、係数-p, -q, rはすべて≡1(mod.4)なのですから、「所見」によれば、この方程式は解をもちえません。これで、「同時にpNq, qNp」となることはありえないことがわかり、基本定理の「8」が示されました。

「III」では別証明もありましたので二種類の補助的素数が使われ、「IV」と「V」でもそれぞれに固有の補助的素数が使用されました。ガウスはこのような補助的素数の存在に疑問を表明し、D.A.の第297条でこんなふうに語っています。

《上記の証明を厳密に吟味すれば、だれもがたやすく認めるであろうように、場合IとIIは、それらに対してどのような異論も持ち出しえないほどに完璧である。》
《しかしそのほかの場合の証明はいくつかの補助的な数の存在に依拠していて、しかもそのような数の存在はまだ証明されていないのであるから、この[証明の]方法はいっさいの効力を失ってしまうのである。このような仮定はいかにももっともらしく目に映り、ごくわずかに気を配りさえすれば、まったく証明の必要がないかのように思えるほどである。そうしてそのおかげで確かに、証明するべき「本当らしさ」の度合いはきわめて高いレベルに達するのである。》
《だが、それにもかかわらず、もし幾何学的厳密さが望まれるのであれば、この仮定は決して無批判に受け入れるわけにはいかない。》

ガウスはこのように前置きしたうえで、個々の補助的素数について、存在するか否かの検討を始めます。まず、「IV」と「V」で使用された素数、すなわち二つの与えられた素数p, qに対し、同時にそれらの平方非剰余になるという性質をもつ素数が存在するか否かという論点についてですが、D.A.の第4章により、4pqよりも小さくて、しかも4pqと素であるような数の全体(それらの総個数は2(p-1)(q-1)になります)は四つのクラスに区分けされることがわかります。
第一のクラスはp, qの双方の平方非剰余であるものの集りです。
第二のクラスは、pの平方剰余であって、しかもqの平方非剰余であるものの集りです。
第三のクラスは、pの平方非剰余であって、しかもqの平方剰余であるものの集りです。
第四のクラスはp, qの双方の平方剰余であるものの集りです。
これらの四つのクラスには同個数の数が配分されています。また、各々のクラスにおいて、半分は4n+1型であり、残る半分は4n+3型です。したがって、ここで考えている数の中に、p, qの双方の平方非剰余であって、しかも4n+1型でもあるものは(p-1)(q-1)/4個存在することになります。それらをg, g', g", ...で表します。残る7(p-1)(q-1)/4個の数をh, h', h", ...で表します。
 4pqt+g, 4pqt+g', 4pqt+g", ...という形の数を考えて、これを「形状(G)」と呼びます。この形の数もまたすべてp, qの平方非剰余で、しかも4n+1型です。また、4pqt+h, 4pqt+h', 4pqt+h", ...という形の数を考えて、これを「形状(H)」と呼びます。
 このように状勢を設定するとき、問題になるのは、
 「形状(G)の数の中に、はたして素数が含まれているかどうか」
という論点を見極めるという一事です。「これはそれ自体としては確かに大いにありそうなことのように思われる」とガウスは言っています。
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(ガウス75)D.A.に見る数論史(32)ルジャンドルへの批判 III

細部に立ち入る前に第294条の定理をもう一度回想しておくと、方程式
 axx+byy+czz=0 (Ω)
の整数による可解条件は次の4個の条件で構成されています。
 1) -bcはaの平方剰余である。
 2) -acはbの平方剰余である。
 3) -abはcの平方剰余である。
 4) a, b, cは同符号をもたない。
a, b, cがすべて正であったり、あるいはすべて負であったりすれば、方程式(Ω)は自明な解、すなわちx=y=z=0という解のほかにいかなる解ももたないことは明らかですから、条件4)は当然課せられるべき条件です。したがって、留意するべき実質的な可解条件は1), 2), 3)の三つです。これを梃子にして、以下、平方剰余相互法則の「ルジャンドルによる証明」が続きます。取り上げられる素数p, qはつねに正で、しかも異なっています。

I まずp, qは4n+3型の(相異なる正の)素数とします。このとき、同時にpRq, qRpとなることはありえません。実際、もしそのようなことが起るのであれば、1=a, -p=b, -q=cと置いて方程式axx+byy+czz=0を考えると、4個の可解条件がすべて満たされることがわかりますから、解をもつことになります。ところが、この場合、a, b, cはすべて≡1(mod.4)ですから、前記の「所見」によれば、この方程式は解をもちません。よって、「同時にpRq, qRpとなる」ことはありえないことになります。これで、基本定理を構成する8個の命題のうち、「7」が示されました。この証明はどこにも問題がありません。
II 今度はpは4n+1型の素数とし、qは4n+3型の素数とします。このとき、同時にqRp, pNqとなることはありえません。これを示すために、今、「同時にqRp, pNq」となるとしてみます。qは4N+3型ですから、第一補充法則により、pNqから-pRqが帰結します。よって、方程式xx+pyy-qzz=0は可解条件を満たしますから、解をもつことになりますが、他方、pと-qはともに≡1(mod.4)ですから、「所見」によればこの方程式は解をもちません。これで、基本定理の「4」と「5」が示されました。この証明も完璧です。
III 今度はp, qはともに4n+1型の素数とします。このとき、同時にpRq, qNpとなることはありえません。今、qの平方剰余であって、しかもpをその平方非剰余とするようなもうひとつの4n+3型の正の素数rを取ってみます。すなわち、rは同時にrRq, pNrとなる4n+3型の正の素数です。すると、証明ずみの前記の「II」により、qRr, rNpとなります。よって、もし同時にpRq, qNpとなるとするなら、qrRp, prRq, pqNrとなります。したがって、-pqRr。よって、方程式pxx+qyy-rzz=0は可解であることになりますが、p, q, rはすべて≡1(mod.4)ですから、「所見」によれば、この方程式は解をもちえません。よって、「同時にpRq, qNp」となることはありえません。これで、基本定理の「1」と「2」が示されました。
 同じ考え方による別証明も可能です。rはpをその平方非剰余とする4n+3型の正の素数とします。すなわち、pNr。このとき、証明ずみの「II」よりrNpでもあります。よって、もし「同時にpRq, qNp」となるとすれば、qrRpとなります。また、-pRq, -pRr。したがって、-pRqrでもあります(-pは合成数qrの平方剰余であると言われています。-pはqとrのそれぞれの平方剰余ですから、A^2≡-p(mod.q), B^2≡-p(mod.r)となる数A, Bが見つかります。そこで、連立一次合同式を解いて、N≡A(mod.q), N≡B(mod.r)となる数Nを見つけると、N^2≡A^2≡-p(mod.q), N^2≡B^2≡-p(mod.r)。よって、N^2≡-p(mod.qr)となります)。これで、方程式xx+pyy-qrzz=0の可解条件が確認されました。ところが、この方程式の係数1, p, -qrはすべて≡1(mod.4)ですから、「所見」によれば、解をもちえません。
 後の証明の方がいくぶん簡潔に見えますが、いずれにしても補助的素数rが使われています。ガウスが問題にしたのはまさしくこの点で、そのような補助的素数の存在は明らかとは言えないのではないかというのです。

(ガウス74)D.A.に見る数論史(31)ルジャンドルへの批判 II

まずはじめに書き留められるのは、次に挙げる所見です。

《数a, b, cはすべて≡1(mod.4)とすると、方程式
  axx+byy+czz=0 (Ω)
を[整数を用いて]解くのは不可能である。》

これはごく簡単な事実です。というのは、奇数の平方数は必ず≡1(mod.4)となりますから、もしx, y, zのすべてが同時に偶数になるのでなければ、axx+byy+czzの値は法4に関して≡1または≡2または≡3となるほかはありません。それゆえ、もし方程式(Ω)が解けるのであれば、解x, y, zはすべて必ず偶数になります。ところが、x, y, zのそれぞれをそれらの最大公約数で割り、商x', y', z'を作ると、これらもまた明らかに方程式(Ω)を満たし、しかもどれかひとつは必ず奇数になるのですから、不合理な事態に陥ってしまいます。これで、上記の所見が確認されました。
 先に進む前に、平方剰余相互法則、すなわち平方剰余の理論における基本定理をガウスに固有の言葉で表明しておきたいと思います。一般に、文字a, a', a" ...は4n+1型の素数を表し、文字b, b', b" ...は4n+3型の素数を表すことにします。それから、二つの数の間に文字Rが配置されたなら、Rの前の数がRの後の数の平方剰余であることを示すものとし、文字Nはこれと反対の意味で使います。たとえば、これはガウスが挙げている簡単な例ですが、+5R11と書けば、+5は11の平方剰余であるという意味になります。実際、合同式x^2≡+5(mod.11)は解x≡4(mod.11)をもっています。また、±2N5と書けば、これは+2も-2も5の平方剰余ではないこと、すなわち合同式x^2≡+2(mod.5)、x^2≡-2(mod.5)はいずれも解をもたないことを意味します。
 ガウスの基本定理はD.A.の第4章、第131条に出ていましたが、そのまま再掲すると次の通りです。

《pが4n+1という形の素数なら+pは、またpが4n+3という形なら-pは、正に取るときにpの剰余となる任意の素数の剰余であり、正に取るときにpの非剰余となる任意の素数の非剰余である。》(単に剰余といえばつねに平方剰余の意であり、単に非剰余といえば平方非剰余の意です。)

 平方剰余相互法則の第一補充法則、すなわち「-1は4n+1型の素数の平方剰余であり、4n+3型の素数の平方非剰余である」という事実を考慮に入れると、上記の基本定理は次に挙げる8個の命題と同等であることがわかります。

 1. もし±aRa'なら、±a'Raである。
 2. もし±aNa'なら、±a'Naである。
 3. もし+aRb, -aNbなら(+aRbと-aNbは同等です。以下も同様)、±bRaである。
 4. もし+aNb, -aRbなら、±bNaである。
 5. もし±bRaなら、+aRb, -aNbである。
 6. もし±bNaなら、aNb, -aRbである。
 7. もし+bRb', -bNb'なら、+b'Nb, -b'Rbである。
 8. もし+bNb', -bRb'なら、b'Rb, -b'Nbである。

 以下、方程式axx+byy+czz=0 (Ω)の可解条件と上記の所見を梃子にして、ルジャンドルが示した道筋に沿って基本定理の証明を再現しようとするガウスの試みが続きます。

(ガウス73)D.A.に見る数論史(30)ルジャンドルへの批判 I

第294条には「方程式axx+byy+czz=0の解法」という小見出しがつけられていて、次に挙げる定理が提示され、証明されています。

定理
《a, b, cは[どの二つも]互いに素な数を表すとし、それらのどれも=0ではなく、また、どれも平方数で割り切れないものとしよう。このとき、もし-bc, -ac, -abはそれぞれa, b, cの平方剰余であって、しかもこれらの数は相異なる符合をもつという状勢は認められないとするなら、方程式
  axx+byy+czz=0 (Ω)
は整数解を許容しない。しかし、これらの四条件が満たされるときには、(Ω)は整数を用いて解くことができる。》

二次形式の理論の流れからすると、ここでこのような定理を出してくるのはいくぶん唐突な感じがありますが、これは、平方剰余相互法則のルジャンドルによる証明の試みを批判する為の布石です。
 ルジャンドルへの批判は第296条と第297条で詳細に展開されていますが、第296条の手前に、「ルジャンドルが基本定理を取り扱った際に使用した方法について」という小見出しが附されています。

《前条において説明がなされたエレガントな定理(註。上記の第294条の定理を指しています)は、ルジャンドル、パリアカデミー紀要、1785年、p.507(註。ルジャンドルの論文「不定解析研究」が)の手ではじめて発見され、美しい(われわれの二つの証明とはまったく異なる)証明を通じて確かめられたものである。また同時に、この卓越した幾何学者は上掲の場所において、この定理から、前章の基本定理と一致する命題の証明を導き出そうとする試みを行っている。しかしわれわれの目には、すでに以前、第151条においてはっきりと指摘しておいたように、そのような試みはこの[基本定理の証明という]目的のためには適切さを欠いているように感じられるのである。そこでこの場を借りて、この(それ自体としては非常にエレガントな)証明を手短に説明して、そのうえでわれわれの見解の根拠を書き添えることにしたいと思う。》

 ルジャンドルの証明は第294条の定理に基づいているのですが、ルジャンドルが提示した形のままでは完全とはいえません。そこでガウスは、その定理を完全な形にしたうえで、ルジャンドルの証明の欠陥を具体的に明るみに出し、指摘しようとするのです。

(ガウス72)D.A.に見る数論史(29) 多角数に関するフェルマの定理

ガウスの二次形式論は「種の理論」に及んで最高潮に達しますが、その直後の第262条には、
《基本定理および剰余-1, +2, -2に関する他の諸定理の第二の証明》
という小見出しが附せられています。ここで、平方剰余相互法則とその二つの補充法則の証明が行われます。二次形式論の本来の目的はこれで達成されたと思いますが、D.A.の第5章はなお続き、第266条に先立って、
 《寄り道。三元形式に関する研究》
という大きな見出しが出ています。ここまでのところで取り上げられてきた二次形式には、二つの不定数が含まれていましたが、次数は2のままに保ちつつ、不定数の個数を3個にすると、
 Ax^2+2Bxy+Cy^2+2Dxz+2Eyz+Fz^2
という形の式が形成されます。このような形式は「三元二次形式」という名で呼ばれます。以下、しばらくこのタイプの形式に関する話が続きますが、「寄り道」とはいいながら、実は大きなねらいが秘められていて、第286条にいたって明らかになっていきます。
 第286条以下の記述は、しばらく「二次形式の理論への若干の応用」にあてられていますが、もっともめざましい応用は、三角数や四角数(平方数ともいいます)による数の表示に関するフェルマの定理の証明への応用です。フェルマは、
《任意の正整数は高々n個のn角数の和の形に表示される》
と主張したのですが、他の主張と同様、証明はありませんでした。ところが、ガウスは三元二次形式の理論を応用して、
《あらゆる正整数は三つの三角数に分解可能である》
《どの正整数も四つの平方数に分解可能である》
という二つの命題を証明することに成功しました。三角数というのは、xは正の整数として、
  x(x+1)/2
という形の数のことで、平方数もしくは四角数といえば、xはやはり正整数として、
   x^2
という形の数のことにほかなりません。平方数に関する定理の方は、すでにラグランジュが証明を与えています。その方法は「われわれのものとはまったく異なっている」とガウスは言っていますが、これはガウスの言う通りです。
 平方数を越えて五角数、六角数、七角数...と歩を進めていくと、三元二次形式の理論の及ばない領域に踏み込んでしまいます。「今日にいたるもなお証明を欠いたままであり、何かしら別の原理を必要としているように感じられる」とガウスは述懐しています。

杉浦光夫先生を偲ぶ会の報告(3)

 杉浦先生は親切な人でした。偲ぶ会では佐藤幹夫先生のスピーチもありました。佐藤先生は杉浦先生と同年ですが、いつだったか、何かの雑誌で両先生の対談を読んで大いに触発されたことがあります。ぼくが目にした対談は二度、ありました。佐藤先生は大学を出た後、夜間高校の教師をして兄弟の生活を支えていた時代がありましたが、阪大にいた杉浦先生の尽力で、阪大に誘ってもらったことがあるそうです。
 杉浦先生が親切なことは、先生を知るすべての人に共通の思いです。偲ぶ会で高橋礼司先生としばらく話をしました。高橋先生は専門とは別に複素関数論が好きで、独自の工夫をして「複素解析」という本を書き、筑摩書房の数学講座の一冊として出版したことがありますが、刊行後間もなく、筑摩書房が倒産してしまいました(その後、再建され、現在にいたります)。がっかりしていたところに杉浦先生から声がかかり、東大出版会から再刊したらどうかと誘われました。これは実現して、現在も出ていますが、あんなにうれしかったことはないと、高橋先生は繰り返していました。
 ぼくもいろいろな場面でいつも親切にしていただきましたが、数学とは別に、文芸同人誌「五人」に誘っていただいたことがひそかな自慢です。「五人」というのは、戦前戦中の台湾の台北高等学校を出た五人の仲間が、「内地」の大学に入学し、戦後、集って始めた同人誌です。何かのきっかけがあって、あるときから杉浦先生も同人になり、エッセイを書いていましたが、五人の創立同人もだんだん欠けてきたうえに高齢化が進んだというので、若返りをはかり、若手の同人を加えていくということになりました。それで、杉浦先生の推薦により、ぼくも加えていただきました。「玉城先生の肖像」という作品の連載を始め、三回まで書いたところで、「五人」は解散することになりました。同人誌が出ると、合評会が企画され、同人の作品についてみなであれこれと語り合いました。詩人もいて、俳人もいました。英文学の奥井潔先生が司会をし、杉浦先生も数学以外の話をして、いつも楽しい集まりでした。
 杉浦先生は奥様といっしょに連句の会に参加されていて、ときどき連句を試みていましたが、あるとき近作を送っていただいたことがあります。「とろろ汁」という作品で、発句は杉浦先生。

  友ありていさんで作るとろろ汁

先生の人柄がそこはかとなく彷佛する一句です。

杉浦光夫先生を偲ぶ会の報告(2)

 会が始まる前に、司会の斎藤先生に声をかけられました。斎藤先生はスピーチをしてもらう人の名前をメモ帳に書いていたのですが、そこにぼくの名前もありました。それで、名前を呼ぶかもしれないが、そのときはよろしくというのでした。ただし、順番がだいぶ下の方になっていますので、諸先生のスピーチが長引いたら時間切れになってしまうかもしれない。もし声がかかったら3分間以内で手短に、とのことでした。歓談タイムとスピーチが繰り返されていきましたが、スピーチはやはりどの先生も長めになりますので、結局、ぼくの名前は呼ばれないまま2時間が経過し、午後7時になって偲ぶ会は終了しました。最後に、奥様の和子さんの御挨拶がありました。何年か前のことになりますが、一度だけ先生のお宅に招かれて、夕食をいただきながら話をしたことがあります。そのとき、奥様にもお目にかかりました。奥様は、みなさんにこんなふうに集っていただけるとは思わなかった、とてもうれしい、もう一度、お味噌汁を作ってあげたい、という話をしました。
 会が終了すると、みなさん三々五々会場を後にしました。ぼくは杉本先生と筑摩書房の岩瀬さんといっしょに神保町方面に向かい、喫茶店に入り、三人でしばらく話をしました。
 こんなわけで会場でのスピーチは実現しなかったのですが、もし名前を呼ばれたらこんなことを話そうと考えていたことがあります。大学の2年か3年のときのことですが、ある日の午後、神保町の信山社の入口で杉浦先生に偶然、出会いました。だいぶ昔のことで、もう春か秋かもはっきりしないのですが、たしか日曜日だったと思います。古本屋街を歩いていたとき、にわか雨になり、信山社の入口附近で雨宿りになりました。するとそこに杉浦先生がいました。大学で講義を受けたことはなかったのですが、杉浦先生であることはすぐにわかりました。それで、思わず話しかけたところ、先生の方ではぼくのことは知らないに決まっていますが、にこにこして応じてくれました。ほかに何人か、学生風の人がやはり雨宿りしていました。たまたま出会わせただけで、杉浦先生を知らない人たちだったに違いありませんが、みなそれぞれにそこはかとない話をして、なんとはなしに先生を囲む談話会みたいな感じになりました。話の中味は何もおぼえていませんし、格別の中味のある話をしたわけでもありませんが、先生と話をするのがうれしかったことだけ、今もなつかしく思い出されます。気さくで親切な先生でした。
 それから10年ほどすぎたころ、あらためて先生に出会う機会があり、親しくおつきあいしていただけるようになりましたが、そのころから数えても優に四半世紀になります。思い出されることはたくさんありますので、おりを見て語りたいと思います。
 この機会に杉浦先生のエッセイを紹介しておきます。22年前のエッセイで、先生は58歳でした。


杉浦光夫
「学者の伝記と回想」
『UP』(東大出版会)1986年12月号所収
「ノートの余白」シリーズ n.12より

 学者の伝記は、その人物と学問の2つを伝えなければならない。2つの目標を共に達成することは大変難しく、多くの伝記は一方に重点を置いた記述となっている。石川悌次郎『本多光太郎伝』(日刊工業新聞社)は、刊行会が文筆家に依頼して出来たもので、終生三河弁で話したこの大学者の風貌をやや俗な文体で描き出している。定年になっても毎日研究所に来て、各研究室を「どうだあん」と言って廻り、事務は書類の決裁のために所長欄の上にもう一つ「本多先生」という欄を作ったという話など、本多とその育て上げた研究所の関係も良く書かれている。一方、本多の研究内容そのものについての記述が手薄なのは止むを得ない。
 これと対蹠的なのが、板倉聖宣・木村東作・八木江里『長岡半太郎伝」(朝日新聞社)である。これは専門の科学史家の手になるだけあって、土星型原子模型など、長岡の研究の内容及び他の研究との関係について詳細な記述がある。その生涯の仕事の詳しい記述から、自ずから長岡の人間像が浮び上って来るが、重点は明らかにその業績に置かれている。学者の伝記として、自伝や回想の類も重要である。歴史学では、自伝や回想は主観的で信頼度が低いので、他の史料と照合することが鉄則となっている。しかし学者や作家の回想には、本人しか証言できない創造の機微に触れた発言が見られる点で、忘れ難い感銘を受けるものが存在する。筆者が感銘を受けた2つの実例を紹介して、この文章を終ることにしたい。

 バートランド・ラッセルは、1901年(ラッセル29歳)頃から数学を論理学の上に建設する『数学原理』という本を書くことを計画していた。所が間もなく彼は1つの逆理(paradox)を発見し、この計画は行詰ってしまった。ラッセルはこれを解決するために以後数年間苦闘を続けた。丁度この期間はアリス夫人との結婚生活が破綻した時期と重なっていた。ラッセルの『自伝』(G. Allen & Unwin)は次のように記している。「当時私はこの矛盾を解決しようと懸命に努力した。(中略)昼食のための短い中断を除いて、私は一日中白紙を見つめて坐っていた。夕方になっても紙には何も書かれていないことがしばしばあった」。「この白紙を見つめながら私の一生は終ってしまうのではないかと思えてならなかった」。「私はいつもオクスフォードのケニントン歩道橋の上に立って通り過ぎる列車を眺め、明日にはこの列車の下に身を投げようと考えた。けれども明日になると、『数学原理』は何時かはできるに違いないと考え直すのであった」。こうした数年間の苦しい思索の後ラッセルは、「型の理論」を思いつき、遂に矛盾を克服することができたのであった。

 岡潔博士は、多変数解析函数論では、3つの問題が中心であると見定め、1935年3月から、これに取組み始めた。『春宵十話』(毎日新聞社)には、次のように記されている。「しかし、さすがに未解決として残っているだけあって随分むずかしく、最初の登り口がどうしてもみつからなかった。毎朝方法を変えて手がかりの有無を調べたが、その日の終りになっても、その方法で手がかりが得られるかどうかもわからないありさまだった。答がイエスと出るかノーと出るかの見当さえつかず、またきょうも何もわからなかったと気落ちしてやめてしまう。これが3ヵ月続くと、もうどんなむちゃな、どんな荒唐無稽な試みも考えられなくなってしまい、それでも無理にやっていると、はじめ10分間ほどは気分がひきしまっているが、あとは眠くなってしまうという状態だった」。「ところが9月になって(中略)中谷さんの家で朝食をよばれたあと、隣の応接室に坐って考えるともなく考えているうちに、だんだん考えが1つの方向に向いて内容がはっきりして来た。2時間半ほどこうして坐っているうちに、どこをどうすればよいかがすっかりわかった」。「私はこの翌年から「多変数解析函数論」という標題で2年に1つぐらいの割合で論文を発表することになるが、第5番目の論文まではこのとき見えたものを元にして書いたものである」。(すぎうら・みつお 東京大学教授 数学)

杉浦光夫先生を偲ぶ会の報告(1)

 6月21日は土曜日でしたが、午後5時から、東京の学士会館で「杉浦光夫先生を偲ぶ会」が催されました。梅雨に特有の小雨模様の中、神保町の角から学士会館の方面に向かいました。はじめてでしたが、すぐにわかりました。敷地内になぜか「日本野球の発祥の地」の記念碑が建っていました。
 あちこちの部屋でいろいろな会が開かれていましたが、杉浦先生を偲ぶ会は二階の一室でした。5時の少し前に着いたのですが、すでに大勢の人が集っていて、受付に並んでいました。会費を払い、紙片に自分でサインして、名札に入れて胸につけました。顔見知りの人も多く、挨拶をしたりされたりしました。立食式ですので決まった居場所はなく、何となく立っていると、司会の声がかかり、会が始まりました。司会は斎藤正彦先生でした。いろいろな人に話をしてもらい、歓談し、それからまたスピーチを聴き、また歓談するというふうに進行しました。一番はじめのスピーチは佐武一郎先生、次は福富節夫先生。杉浦先生は案外おしゃれで、蝶ネクタイが好きで、それも若いころはオレンジ色の蝶ネクタイをしていたという話をうかがいました。それから歓談になりました。祭壇に杉浦先生のお写真があり、その近くの机に先生の御著作の数々が並んでいました。
 出席者は100人以上と後で聞きました。数学の関係者が多かったように思いますが、出版者の人も多く、亀書房の亀井さん、筑摩書房の岩瀬さん、数学書房の横山さん、岩波書店の吉田さん、東大出版会の丹内さんなどに会いました。高橋礼司先生(数学者)と久しぶりにお会いして、少時歓談。高橋先生はフランスに滞在中にアンリ・カルタンの助手をしていた方ですので、カルタンの消息をうかがうと、まだ亡くなったとは聞かないから、健在と思うが、だいぶ耳が遠くなったようだという話をしてくれました。
 杉浦先生にそっくりの風貌の若い人がいましたので、名札を見ると、杉浦珠樹(すぎうら・たまき)さんという人で、杉浦先生の次男さんでした。コンピュータ関係のお仕事をされているとのことでした。杉浦先生の様子をうかがうと、なんでももう10年以上も前から前立腺のガンが見つかっていたのだそうで(全然、知りませんでした)、対症療法をしてやりすごしていたところ、一昨年の夏に手術になりました。それはぼくも知っていました。手術は成功し、昨年秋には津田塾大学の数学史シンポジウムに出席されて、二日間にわたり、すべての講演を聴講されるとともに御自身でも講演をされていました。お元気そうに見えたのですが、その後、昨年の暮あたりから数値が悪くなり、年が明けてから自宅療養生活。亡くなる二週間ほど前、御本人は嫌がるのを奥様が押し切っていわば「強制入院」。御家族は延命治療をどうするか、決めてほしいと医師に言われましたが決めかけていたところ(過酷な設問で、決めるのは不可能です)、先生が医師に、延命はしなくていいと言われたそうです。これで問題は解消しました。この場合は先生が御家族を救ったわけですが、胸を打たれるとともに、感慨がありました。

(ガウス71)D.A.に見る数論史(28)類の合成について

 平方剰余相互法則の第二証明に言及する前に、二次形式の類の合成についてもう少し語っておきたいと思います。二次形式を類別するというあたりまでは、ラグランジュも似たようなことをしていますが、類に分けた上でさらに「類の合成」を考えるというのはいかにも斬新で、オイラーにもラグランジュにもまったく見られないアイデアです。第5章の終りがけのことになりますが、第305条(第5章は第307条までで完結します)に、次に挙げるような興味深い定理が出ています。

《Kはある与えられた判別式Dをもつ形式の主類を表すとし、Cは同じ判別式の形式の主種から取り出された他の任意の類を表すとしよう。2C, 3C, 4C, ...はそれぞれ類Cの2倍化、3倍化、4倍化、等々、から生じる類としよう。すると、系列C, 2C, 3C, ... において、十分先まで進んでいくと、やがてKと一致する類に到達する。そこで、Kと一致する一番はじめの類をmCとし、また主類の中の類の総個数を=nとすると、m=nとなるか、あるいはmはnの約数となるかのいずれかである。》

 これだけではまだ意味合いが判然としませんが、個々の類は二次形式の集まりで、しかもどの類も無限に多くの形式の集りなのですから、類と類の合成というのであれば、無限集合と無限集合の合成ということが考えられていることになります。そのような演算が意味をもちうるためには、次に挙げる定理を確立しておかなければなりません。

《形式f, f'はそれぞれg, g'と同じ目、種および類から取り出されたものとすると、fとf'から合成される形式はgとg'から合成される形式と同じ類から取り出される。》

この命題の証明の背後には、形式と形式の合成の定義からはじめて膨大な計算が控えているのですが、ひとまずこの命題が事実として確定したとして、類と類の合成を表す演算記号を通常の加法記号「+」で表すことにします。類CとCを合成してできる類、すなわちC+CをCの2倍化と呼び、2Cと表記します。3倍化、4倍化、等々についても同様で、3C, 4Cなどと書きます。
 次に、類の中には「主類」と呼ばれる特別の類があります。判別式Dをもつ二次形式の全体はいくつかの有限個の類に区分けされ、類の全体はいくつかの目に区分けされ、目の全体はいくつかの種に区分けされるのでした。さて、形式(1, 0, -D)、すなわちx^2-Dy^2を「主形式」と呼び、主形式が入っている類を「主類」と呼び、主類が入っている種を「主種」と呼ぶことにします。主類には、「任意の類Cを主類と合成すれば、類Cそれ自身が生じる」という著しい生死痛が備わっています。これを言い換えると、「他の同一の判別式をもつ類との合成の際には、主類は無視することができる」ということにほかなりません。通常の足し算や掛け算とのアナロジーをたどると、類の合成という演算において、主類は0や1に相当する位置を占めることになります。ガウスは類の合成を加法記号「+」で表記していますから、主類は「0」にあたります。
 第305条の定理の意味合いはこれでひとまず明らかになりましたが、この定理の証明は第3章「冪剰余」の第45条の定理と第49条の定理の証明の「完全な類似物」であるとガウスは言い添えています。第45条の定理は次の通りです。

《どのような幾何数列1, a, a^2, a^3, ...においても、初項1のほかになお、aと素な法pに関して1と合同な項a^tで、その冪指数tが < p であるものが存在する。》

 この定理ではa^t ≡ 1 (mod.p)となる冪指数 t < p の存在が保証されていますが、この冪指数の性質をもっと追究すると、次に挙げる第49条の定理が手に入ります。

《pはaを割り切らない素数とし、a^tは法pに関して1と合同なaの最低の冪指数をもつ冪とすると、tは=p-1であるか、あるいはp-1の約数である。》

この定理によると(p-1)/tは整数ですから、合同式a^t≡1(mod.p)の両辺の(p-1)/t次の冪を作ると、合同式a^(p-1)≡1(mod.p)が出てきます。これはフェルマの小定理にほかなりません。
 フェルマの小定理の対象となるのはもちろん整数ですが、第305条の定理の対象は二次形式の類と呼ばれる無限集合です。二つの定理の対象はまったく異なりますが、証明の構造を見るとそっくりそのままで、完全に同じであるとガウスは言うのです。二次形式の類のような抽象的な「もの」の集りの中に加法演算「+」を設定すると、主類のように1に相当するものもあるし、第305条の定理のように、フェルマの小定理と同じタイプの命題もまた成り立ちます。加法を考えることのできる抽象的な「もの」の集まりを具体的に提示したという点において、ガウスは今日の数学でいう「群」というものを考えた一番最初の数学者です。

(ガウス70)D.A.に見る数論史(27)二次形式の種の理論

ガウスは「二次形式により表される数を全体として考察する」というアイデアに基づいて、素数の形状理論と二次不定方程式の解法に関する既知の事柄のあれこれを、一挙に再現してしまいました。ここまでの部分が、D.A.の長大な第5章の三分の一ほどを占めています。その内容は何分にもガウス以前の諸理論の回想ですので、フェルマやオイラーへの言及も盛んに行われましたが、ここから先はガウスがひとりで作り上げた理論の叙述が続きます。第223条の手前に、
 「形式に関するいっそう精密な研究」
という見出しが大きく掲げられています。この見出しのもとで、まずはじめに、
 「与えられた判別式をもつ形式の類への分配」
という小見出しのもとで、第223条から第225条にいたるまで二次形式の全体を類に分けていく話が展開されます。すべての二次形式を考えれば、もちろん無限に多くの形式が存在するのですが、判別式Dを固定すると、判別式Dを共有する二次形式の全体はいくつかの類に分配されていき、その際、出現する類の個数はそのつど有限になります。Dは正でも負でもどちらでもかまいません。次に、
 「類の目(もく)への分配」
という小見出しが立てられて、第226条から第227条まで進みます。続いて、
 「目の種」(しゅ)への分割」
という小見出しが立ち、第228条から第232条に及び、「種の理論」の対象である「種」の概念が提示されます。
 第234条から「二次形式の合成」の理論がはじまり、さらに進んで第245条の「目の合成」、第246-248条の「種の合成」、第249条以下の「類の合成」の理論が組み立てられていきます。どの段階の考察も非常に微妙で、D.A.の中でももっとも難解と見られる部分です。ガウス自身、第234条の書き出しのところで、「これまでにだれにも言及されたことのないもうひとつのきわめて重要なテーマ、すなわち形式の合成へと歩を進めたいと思う」などと言っているくらいですし、書き手のガウスにとっても緊張を強いられる場面です。読む側にとっては他の勉強は何の役にも立ちませんし、一歩また一歩と、ガウスに指示されるままに丹念にたどっていくほかはありませんが、まるで暗中を模索するようで、いったいどこに連れていかれるのだろうと、大きな不安もまたやむことがありません。ところが第262条まで進むと突然、視野が開かれて、目的地が目に入ります。この条には、
 「基本定理および剰余+1, +2, -2に関する他の諸定理の第二の証明」
という小見出しが附されています。「二次形式の種の理論」の真意は基本定理の証明にあったのでした。

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