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(ガウス61)D.A.に見る数論史(18)二次形式の理論

 D.A.の第5章「二次形式と二次不定方程式」は全体の大半を占める長大な章で、第153条から第307条まで、全部で155個の節で構成されています。D.A.の小節は全体で366個なのですから、第5章がいかに大きな章なのか、一目瞭然です。
 二次形式というのは、
 ax^2+2bxy+cy^2
という形の「関数」(と、ガウスは書いています)のことで、ガウスはこれを単に「形式」とも呼んでいます。ここで、a、b、cは与えられた整数、xとyは不定数です。二次形式の性質は三つの係数で決まりますから、係数のみを抽出して(a, b, c)と表記することも可能です。これもガウスの流儀です。
 さて、このような二次形式を何かある整数dと等値して、方程式
 ax^2+2bxy+cy^2=d
を設定し、これを満たす不定数x、yを整数もしくは有理数の中からを見つけることを問題にすれば、「二次不定方程式を解く」という問題が生じます。有名な一例を挙げると、たとえば、ペルの方程式
 x^2-Ay^2=±1
 (Aは正の数で、しかも平方数ではないものとします)
があります。次に挙げるのはこの理論の歴史を回顧するガウスの言葉です。D.A.の第5章も冒頭からの引用です。

《この研究を土台として、二つの未知数に関する任意の二次方程式について、未知数はあるいは整数値を、またあるいは有理数値のみを取るべきものとしたうえで、そのすべての解を見つけるという有名な問題の解決が建設される。この問題はなるほど確かに、すでにラグランジュによって完全に一般的な仕方で解決されている。そうしてそれに加えて、形式の性質に関する多くの事柄が証明され、確立された。それらはあるいはこの偉大な幾何学者の手によって、あるいは、一部はオイラーによってはじめて発見され、一部はそれ以前にフェルマによって発見されていたものである。》

 ここでもまた言及されるのは、フェルマ、オイラー、ラグランジュの三人のみにすぎませんが、ともあれガウス以前にも二次形式の理論は存在していたことになります。ですが、ガウスは「全テーマをはじめからもう一度たどりなおす」という方針を採りました。その理由は何かというと、ひとつには、上記の三人の手になるいろいろな発見はあちこちに散らばっているため、ごくわずかな人々が知るのみであるということです。もうひとつの理由は、こちらの方が本当の理由と思いますが、それらの既知の発見を語ろうとするガウスの方法はガウスに独自のものであり、独自の説明を断念するということになると、ガウス自身の発見を理解してもらえなくなってしまうからというのです。ガウスにはガウスに固有のねらいがあり、それを明らかにするためには、二次形式の理論の全容を自分の流儀で組み立てていく必要があったということになります。
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(ガウス60)ガウスによる基本定理の8通りの証明

 D.A.の第5章へと歩を進める前に、この機会にガウスによる基本定理の証明のあれこれについて、概観しておきたいと思います。ガウスの証明は7個とも8個とも言われているうえ、どの証明を何番目に数えるのか、混乱することがときどきあります。
 第一証明と第二証明については問題はなく、それぞれD.A.の第4章と第5章に出ています。

第三証明
「アリトメチカの一定理の新しい証明」(1808年)
この証明はいわゆる初等的証明で、特に基本原理というべきものはなく、きわめて平明に証明が行われます。何番目に数えるのか、明記されているわけではありませんが、その次の「ガウスの和の符合決定」に基づく証明が第四番目に数えられていますので、この1808年の証明は第三番目になります。この証明のことは数学日記に記述があります。それは第134項目の記事で、次の通りです。

数学日記[134]
《基本定理のまったく新しい証明が、完全に初等的な原理に基づいていることを明らかにした。[1807年]5月6日》

これは1807年5月6日の記事ですが、年が明けて1808年の1月15日、ガウスはこの証明をゲッチンゲン王立科学協会で報告しまし、続いてこの年のゲッチンゲン王立科学協会の紀要に論文が掲載されました。もう一度繰り返しておくと、この論文の証明には、公表された順序で見ると第三番目になるということであり、ガウス自身が番号をつけているわけではありません。
 この論文に出ている証明では「ガウスの記号」の名で知られる記号[x](数xを越えない最大整数を表します)が使われています。本年2008年は「ガウスの記号200年」にあたります。最近ふと気づいて、ちょっとおもしろいと思いました。

第四証明
「ある種の特異な級数の和」(1811年)
この論文では「ガウスの和」の符合決定に基礎を置く証明が記述され、本文中でガウス自身が「第四番目の証明」と呼んでいます。ところが、これから先の考察がやや煩雑になるのですが、数学日記に、関連する二つの記事が出ています。

数学日記[118]
《基本定理を証明する第五の方法が、円の分割の理論のきわめて優美な一定理、すなわち
  a≡0 1 2 3 (mod.4)
に応じて
 Σsin nn=・・・
となるという定理の支援を受けて立ち現れた。ここでnのところには0から(a-1)までのあらゆる数をあてはめていく。ブラウンシュヴァイク,[1801年]5月中旬》

数学日記[123]
《以前1801年5月に述べたことのあるきわめて美しい定理の証明。4年以上もかけて心魂を傾けて追い求めてきたが、ようやく完成した。新報告集1。1805年8月30日》

「ガウスの和」の絶対値はすでにD.A.の第7章で決定されましたが、なお一歩を進めて符号を決定するのは非常にむずかしく、D.A.の刊行にはついに間に合いませんでした。数学日記の第118項目を見ると、1801年の5月半ばの時点で、ガウスの和の符合決定から基本定理の証明が取り出されるという認識に到達したことがわかりますが、この神秘的な企てに成功したのは4年後の1805年の夏の終りがけになってからでした。それからまた3年の月日の後、ガウスはこの発見を1808年8月24日になってからゲッチンゲン王立科学協会で報告し、一篇の論文「ある種の特異な級数の和」を執筆しました。
 日記[123]の末尾に「新報告集1」とありますが、これは「ゲッチンゲン王立科学協会新報告集、巻1」を指しています。ゲッチンゲン王立協会の紀要ですが、「新報告集」の前は「報告集」という名前で刊行されていました。前身の「報告集」は1779年から1808年まで、全16巻に達しました。このシリーズの最終刊になった巻16には、基本定理の第三証明が記述された論文「アリトメチカの一定理の新しい証明」が掲載されています。おそらく同じ1808年から紀要の新シリーズ「新報告集」の刊行が始まることになっていて、それでガウスは数学日記[123]の末尾に「新報告集1」と書いたのであろうと思います。実際には「新報告集」の刊行が始まるのは1811年からになり、ガウスの論文「ある種の特異な級数の和」はその第一巻に掲載されました。
 ここで注目に値するのは、ガウス自身はこの論文の証明を数学日記[118]では「第五の方法」と呼んでいるのに対し、論文の本文中では「第四証明」と呼んでいるという事実です。数論研究の進展の様子とD.A.の執筆の経緯とを合わせて考えますと、当初、ガウスは第8章に二つの証明、すなわち第三証明と第四証明を書く予定でしたので、それに続く証明のつもりで、ガウスの和の符合決定による証明を第五番目に数えたと見て間違いないと思います。ところが実際には第8章は全面的に削除され、しかもガウスの和の符合決定はD.A.の刊行にはとうとうまにあいませんでした。そうこうするうちに初等的証明ができましたので、それを先に公表し、続いてようやくガウスの和の符合決定に成功しましたので、これも公表しました。数学日記には初期の番号付けが痕跡を留めていて、実際に公表された順番に沿って、「第四証明」の名が記録されることになりました。

「第五証明」と「第六証明」
「平方剰余の理論における基本定理の新しい証明と拡張」(1818年)
この論文は二部構成になっていて、前半に「第五証明」、後半に「第六証明」が書かれています。どちらもガウス自身による呼称です。

ガウスによる基本定理の証明は、公表されたものは全部で6個です。これに「幻の第8章」に出ている二つの証明を合わせると、全部で8通りになります。最期の二つの証明は同じ証明と見ることも可能ですから、そのようにすれば7通りになりますが、ガウス自身は別々に数えているのですから、それを踏襲して「ガウスの証明は8通り」と数えるのがよいのではないかと思います。

(ガウス59)D.A.の幻の第8章

 ガウスは前回引用した言葉の末尾で、「このきわめて重要な定理の二つの別証明」を後に報告すると語っていましたが、これは注目に値します。「二つの別証明」のうちのひとつは二次形式の種の理論に依拠する証明で、第5章に記述されています。これが「第二証明」です。もうひとつの証明はD.A.には見られず、遺稿「剰余の解析」に出ています。
 D.A.は7個の章で構成されていますが、ガウスのもとの構想では全8章になる予定でした。それは、D.A.の「緒言」の言葉によれば、「代数的合同式に関する一般的な取り扱い」になるはずで、当初はそのつもりでD.A.の原稿を書き進めていたのですが、途中で断念を余儀なくされ、全面的に削除することになりました。その理由は第5章があまりにも長大になりすぎたためということでした。D.A.の本文のところどころに第8章への言及が見られ、痕跡が刻まれています。原稿はガウス全集、巻2に収録されていますので、今でも読むことができます。タイトルは
 メAnalysis residuorum(剰余の解析)モ
というもので、その内容は高次合同式の理論なのですが、そこに
 「第三の完全な証明」
 「第四の証明」
が出ています。ガウスの研究は完成していたのです。「第三の証明」と「第四の証明」は本質的に同じものですので、ひとつの証明と見てもさしつかえないのですが、あくまでも証明の論理の道筋を追うという観点からすれば区別するのが理にかなっています。それでガウスは「第三証明」「第四証明」と書いたのですが、本質は同じであることも承知していましたので、前回の引用では一証明と見て、第二証明と合わせて「二つの別証明」と記したのではないかと思います。
 「第三、四証明」についてはガウスの数学日記でも二ケ所で触れられています。ひとつは1796年8月13日の記事で、

「数学日記」第23項目
《黄金定理の根拠を求めてどれほど深く歩を進めていかなければならない。わたしは見抜いた・・・ ゲッチンゲン,1796年8月13日》

というのです。もうひとつは同じ年の9月2日の記事で、第三、四証明に成功したと記されています。

「数学日記」第30項目
《ある種のちょっとしたことを識別したところ、私はついに目的地に到達した。もう少し詳しくいうと、もし
 p^n≡1(mod x)
なら、そのときx^n-1は、次数nを越えないいくつかの因子で作られる。そうしてこの事実に基づいて、条件方程式が解けるのである。私はここから黄金定理の二通りの証明を導き出した。 ゲッチンゲン、[1796年]9月2日》

 少し前の6月27日には第二証明も見つけていたようで、「数学日記」の第16項目で、「黄金定理の新しい証明は以前のものとはまったく異なっているが,決して美しさが足りないということはない」と語られていました。こんなふうに発見が相次ぐのでは、一冊の書物にまとめようとしても途方もないという感じがします。1796年のガウスはまだ19歳にすぎなかったことも忘れられません。

(ガウス58)D.A.に見る数論史(17)第一証明の後に(続)

 平方剰余相互法則の第一証明の後のガウスの歴史的回想が続きます。ガウスの言葉はオイラーからルジャンドルへと移ります。

《オイラーの後に、高名なルジャンドルはすばらしい論文「不定解析研究」、パリ科学アカデミー紀要、1785年、p.465以下の中で同じテーマに心を傾けて、事の本質を見れば基本定理と同一であるひとつの定理に到達した。すなわち、p、qは二つの正の素数を表すとすると、冪p^((p-1)/2》、q^((p-1/2))のそれぞれp、qに関する絶対最小剰余は、pとqのいずれかが4n+1という形のときには、両方とも+1であるか、あるいは両方とも-1である。しかしpとqがともに4n+3という形のときは、一方の最小剰余は+1であり、他方は-1である。この定理から、第106条により、pのqに対する(第146条で取り上げられた意味での)「関係」とqのpに対する「関係」は、pとqのいずれかが4n+1という形のときは同一だが、pとqがともに4n+3という形のときには反対であることが導かれるのである。この命題は第131条の諸命題に含まれているが、第131条の命題1、3、9からも帰結する。そうして逆に、この命題から基本定理が導出されるのである。》

 pのqに対する「関係」、qのpに対する「関係」という言葉の意味は、第146条で次のように説明されています。

《二つの数x、yについて、前者のxが後者のyの剰余になったり非剰余になったりするという意味においてそれらの間に成立する関係を、単にこれらの二つの数の「関係」と呼ぶことにしたいと思う。》

 ガウスの言葉によれば、ルジャンドルが発見した相互法則は、ガウスの基本定理から帰結するというのですが、これはその通りです。そうしてガウスは基本定理の証明に成功したのですから、ルジャンドルの相互法則は正しいことが、ガウスの手で確立されたことになります。そこで問題になるのは、ルジャンドルの証明の正否です。ルジャンドルは証明を試みて、概要のスケッチを書き留めたのですが、ガウスの批判の目はルジャンドルの証明の細部に注がれて、次々と欠陥が指摘されていきます。ルジャンドルは、証明するのが基本定理と同じくらいむずかしい事実を仮定しているというのです。

《高名なルジャンドルは証明を試みた。それはきわめて才気あふれるものなので、次章において詳細に語りたいと思う。しかし彼はその証明の途中で数々の事柄を証明なしに仮定した(彼自身、520ページで、われわれは単に・・・と仮定しただけにすぎない、と打ち明けているように)。それらのいくつかはこれまでにだれにも証明されたことがなかったし、いくつかは、われわれの見るところでは、基本定理そのものがなければ証明することができないものなのである。そのような次第であるから、彼が足を踏み入れた道は目的地に達しえないように思われる。それゆえ、われわれの証明ははじめてのものとみなされてしかるべきであろう。--なお、われわれは後に、このきわめて重要な定理の二つの別証明を報告する予定である。それらは上記の証明はもとより、相互に比較してもなお、全く相異なっている。》

 ルジャンドルの証明に向けられたガウスの批判は、次の第5章でいっそう精密に繰り広げられます。ガウスは、自分が「相互法則を証明した一番はじめの人物」であると主張したかったのでしょう。

(ガウス57)D.A.に見る数論史(16)第一証明の後に

ガウスによる平方剰余相互法則の第一証明は数学的帰納法によるものですが、非常に複雑で、論理の筋道を追うのにしばしば困難を覚えます、D.A.の第4章の第135条には、「基本定理の厳密な証明」という小見出しが附せられています。十分小さな数に対して基本定理が成立することは直接、確かめることができます。実際、一番小さい二つの奇素数3と5を取ると、
「+5は3の平方非剰余」
「±3は5の平方非剰余」
ですから、
「-3は3の平方非剰余である5の平方非剰余」
「5は5の平方非剰余である3の平方非剰余」
であることがわかります。この状勢を出発点にして、以下、帰納法の道筋をたどり、証明が完成します。
 第一証明の叙述が完了した後に、第151条に移ると、
 「これらの研究に関する他の人々の仕事について」
という小見出しが目に留まります。ガウスは平方剰余相互法則の発見と証明の試みの歴史を回顧して、長々と語り続けています。冒頭で、「(基本定理を)先ほど提示されたような簡明な形で表明した人はこれまでに一人もいなかった」と言われていますが、ルジャンドルが1785年の論文「不定解析研究」において定式化した相互法則は承知しているはずですから、これではまるで頭からルジャンドルを無視しているかのような印象があります。

《基本定理は確かにこの種のものとしては最もエレガントな諸定理のひとつに数えなければならないものであるが、先ほど提示されたような簡明な形で表明した人はこれまでに一人もいなかった。オイラーはすでに他のいくつかの命題、すなわちそこから出発するとたやすく基本定理へと立ち返っていくことができるような二、三の命題を知っていたのであるから、このような状勢はいっそう驚くべきことと言わなければならないのである。彼はxx-Aという形の数のあらゆる素約数を包含するある種の形式、および同じ[xx-Aという]形の数の約数ではありえないあらゆる素数を包摂する他の形式が存在すること、しかも後者の形式の中には前者の形式は姿を見せないことに気づいていて、そのような形式を見つける方法を発見した。しかし証明にたどり着こうとする彼のあらゆる試みはつねにむなしく、ただ単に、この帰納的考察を通じて発見された事実をいっそう本当らしいものに感じさせる効果があっただけのことにすぎなかった。「xx+hyyという形の数の約数に関するいくつかの新しい証明」という論文--1775年11月20日にペテルブルグ科学アカデミーで読み上げられ、この傑出した人物の歿後、同アカデミー新年報、第1巻、p.47以下に収録された--で見ると、なるほど確かに彼は望みがかなえられたと信じたようである。ところがここに一つの誤りが忍び込んだのである。すなわち、彼は65ページで、所定の性質を備えている約数の形式と非約数の形式が存在することを暗々裡に仮定したのである。そうしてこの仮定から、それらの形式はどのようなものであるべきかということを導出するのは別段むずかしいことではなかった。しかしその仮定された事柄を確認するために彼が用いた方法は、決して適切なものとは思われないのである。もうひとつの論文「方程式fxx+gyy=hzzが解けるか否かの判定基準について」『解析小品集』、第1巻(ここでf、g、hは与えられた数であり、x、y、zは不定数である)において、彼は帰納的考察を通じて、もしこの方程式がhのある値= sに対して解けるならば、法4fgに関してsと合同な他の任意の値に対しても、それが素数であればやはり解けることを発見した。この命題から、われわれが話題にした仮定は何の困難もなく証明することができるのである。だが、この定理の証明もまた、彼のあらゆる努力を無に帰せしめたのであった。これは驚くには当たらない。それというのも、われわれの考えでは、基本定理から出発するべきであったからである。》

 オイラーの数論を丁寧にたどろうとしている姿勢がきわめて顕著です。実際にはオイラーはガウスと同じ思想圏内で平方剰余相互法則をとらえていたのですが、ガウスはそれには気づかなかったのでした。

(ガウス56)D.A.に見る数論史(15)ルジャンドル記号に関する補足事項

 ルジャンドルの相互法則からガウスの基本定理を導く際、ルジャンドル記号の性質により、と前置きして、
 qが4n+1型なら(-p/q)=(p/q)となり、
 qが4n+3型なら(-p/q)=-(p/q)となる
という性質を使いましたが、これについて、多少註記しておいた方がよいのではないかと思いました。ルジャンドルの相互法則はあくまでも二つの異なる「正の」奇素数を対象としているのですが、ルジャンドル記号(a/p)それ自体はaが負であっても意味をもちます。ルジャンドル自身によるルジャンドル記号の定義は、フェルマの小定理を基礎としています。今、aはpで割り切れない任意の整数とすると、合同式a^(p-1)≡1(mod.p)が成立します。これより、因数分解して、合同式
 (a^((p-1)/2)-1)(a^((p-1)/2)+1)≡0 (mod.p)
が得られるのですが、pは奇数、したがってp-1は偶数ですから、この因数分解はaを-aにしてもそのまま成立して、合同式
 ((-a)^((p-1)/2)-1)((-a)^((p-1)/2)+1)≡0 (mod.p)
が得られます。これでルジャンドル記号((-a)/p)が普通に定義されます。すなわち、
 (-a)^((p-1)/2)≡+1(mod.p)のときは((-a)/p)=+1
 (-a)^((p-1)/2)≡-1 (mod.p)のときは((-a)/p)=-1
と定めます。pが4n+1型なら(p-1)/2は偶数ですから、(-a)^((p-1)/2)=a^((p-1)/2)。よって、((-a)/p)=(a/p)となります。pが4n+3型なら(p-1)/2は奇数ですから、(-a)^((p-1)/2)=-a^((p-1)/2)。よって、((-a)/p)=-(a/p)となります。
 このようなルジャンドル自身の定義によるルジャンドル記号(a/p)は平方剰余の理論とは無縁ですが、有理整数の世界と平方剰余の世界を結ぶ架け橋である「オイラーの基準」は、aが正でも負でも成立します。すなわち、2次合同式
 x^2≡a (mod.p)
解をもつか否かに応じて、(a/p)=+1もしくは-1となります。

訪問者10000人

「オイラー研究所」が解説されたのは昨年の6月17日と記録されています。管理人の尾崎研究員にすすめられて「所長のブログ」を書き始めましたが、第1回目の記事を書いたのは6月15日で、公式開設日の二日前になっています。試みにホームページを開設し、試みに書き始めたところ、案外書き続けられそうな感じになりましたので、正式に開設を宣言するという成り行きになったと記憶しています。それからほぼ一年がすぎ、本日、訪問者が延べ10000人に達しました。はじめは日に二三人で、ときどき10人前後。今は毎日50人前後の訪問者があります。名誉所長も登場し、研究員も尾崎管理人以下、6名になりました。尾崎管理人は当初からときどきブログを書いていますが、他の所員もこれからエッセイを寄せる模様です。しばしばコメントを寄せてくれるゴローさんにも感謝しています。
 今後の見通しのことですが、もう少しガウスの数論の話を続け、それから徐々にガウス以降の19世紀の数学史に沈潜し、20世紀はじめのヒルベルトあたりを目標にしたいと考えています。コメントをお待ちします。

(ガウス55)D.A.に見る数論史(14)ガウスの基本定理とルジャンドルの相互法則(続)

 「基本定理」を述べる際にガウスが書き並べた数の系列を見ると、正に取るとき4n+1型になる素数には正符合が附され、正に取るとき4n+3型になる素数には負符合が附されていました。すなわち、ガウスの基本定理には負の数も出てくるのですが、ルジャンドルの相互法則では負の数は対象になっていません。こんなことになるのはなぜかというと、たとえ論理的には同等の命題であっても、それを見る視点の設置場所が異なるからで、ガウスが平方剰余の理論に立脚しているのに対し、ルジャンドルは素数の形状理論の枠内に足場を定めています。もう少し詳しく言うと、ルジャンドルが相互法則を打ち出したねらいは、素数の形状理論におけるラグランジュの一般理論を完成の域に高めようとすることにありました。ラグランジュは4n+3型の素数に対してはみごとな一般理論を構築したのですが、その理論は4n+1型の素数に対しては適用できませんでした。そこで「相互法則を適用して」、4n+1型の素数に関する状勢を4n+3型の素数に関する状勢に帰着させようというのが、ルジャンドルのアイデアでした。素数の形状理論の対象は「正の奇素数」ですから、ルジャンドルの相互法則の対象もまたおのずと「正の奇素数」になる道理です。
 これに対し、平方剰余の理論では-1もまた問題になり、「-1はいかなる素数の平方剰余になるだろうか」という問題が生じます。この問いに対し「それは4n+1型の正の奇素数である」(すべての数が2の平方剰余になりますから、平方剰余の理論では法2は問題になりません)と正しく答えたのが、1795年のガウスの発見でした。
 さて、ルジャンドルの相互法則からガウスの基本定理が導かれます。まずpは4n+1型の正の奇素数とします。qはpと異なる正の奇素数で、pの平方剰余であるものとすると、(q/p)=+1。ルジャンドルの相互法則により(q/p) と(p/q)は同符号ですから、(p/q)もまた=+1となります。次に、qはpの平方非剰余とすると、(q/p)=-1。ルジャンドルの相互法則により(q/p) と(p/q)は同符号ですから、(p/q)もまた=-1となります。
これでガウスの相互法則の半分の確認がすみました。
 今度はpは4n+3型の正の奇素数とします。qはpと異なる正の奇素数で、pの平方剰余であるものとすると、(q/p)=+1。もしqが4n+1型であれば、ルジャンドルの相互法則により(q/p) と(p/q)は同符号になりますから、(p/q)もまた=+1となります。また、第一補充法則により(-1/q)=+1。よって、
 (-p/q)=(-1/q)(p/q)=+1×+1=+1
となります。もしqが4n+3型なら、ルジャンドルの相互法則により(q/p) と(p/q)は異符号になりますから、(p/q)=-1となります。また、ルジャンドル記号の性質により(-p/q)=-(p/q)。よって、
 (-p/q)=(-1)×(-1)=+1
となります。
 次に、qはpの平方非剰余とすると、(q/p)=-1。もしqが4n+1型であれば、ルジャンドルの相互法則により(q/p) と(p/q)は同符号になりますから、(p/q)もまた=-1となります。また、ルジャンドル記号の性質により(-p/q)=(p/q)。よって、
 (-p/q)= (p/q)=(+1)×(-1)=-1
となります。もしqが4n+3型なら、ルジャンドルの相互法則により(q/p) と(p/q)は異符号になりますから、(p/q)=+1となります。また、ルジャンドル記号の性質により(-p/q)=-(p/q)。よって、
 (-p/q)=(-1)×(+1)=-1
となります。これで、ガウスの基本定理の残りの半分が確認できました。

 逆に、ガウスの基本定理からルジャンドルの相互法則が導出されます。pとqは異なる二つの正の奇素数とします。まずpは4n+1型とします。もし(q/p)=+1なら、基本定理により(p/q)=+1。もし(q/p)=-1なら、基本定理により(p/q)=-1。したがって、いずれにしても(q/p)と(p/q)は同符合になります。
 次にpは4n+3型とします。もし(q/p)=+1なら、基本定理により(-p/q)=+1。すなわち(-1/q)(p/q)=+1となります。ここで、qが4n+1型であれば、第一補充法則により(-1/q)=+1。よって(p/q)=+1となり、(q/p)と(p/q)は同符合になります。もしqが4n+3型であれば、第一補充法則により(-1/q)=-1。よって(p/q)=-1となり、(q/p)と(p/q)は異符合になります。
 次に、もし(q/p)=-1なら、基本定理により(-p/q)=-1。すなわち(-1/q)(p/q)=-1となります。ここで、qが4n+1型であれば、第一補充法則により(-1/q)=+1。よって(p/q)=-1となり、(q/p)と(p/q)は同符合になります。もしqが4n+3型であれば、第一補充法則により(-1/q)=-1。よって(p/q)=+1となり、(q/p)と(p/q)は異符合になります。これで、ルジャンドルの相互法則に包摂されるすべての場合が汲み尽くされました。

(ガウス54)D.A.に見る数論史(13)ガウスの基本定理とルジャンドルの相互法則

 平方剰余相互法則は今日の初等整数論のテキストの花形ですが、ルジャンドルの記号(q/p)を用いて記述されるのが普通の流儀です。ルジャンドルの記号については、だいぶ前にオイラーの数論を語った際に詳しく説明したことがありますが、ざっと復習すると、pは奇素数、aはpで割り切れない任意の整数として、
 aがpの平方剰余のときは(a/p)=+1
 aがpの平方非剰余のときは(a/p)=-1
と定めます。この定義はa=-1でもa=2でもこのまま通用し、(-1/p)と(2/p)の値を決定することが重要な問題になります。前者の数値は、式
 (-1/p)=(-1)^((p-1)/2)
で与えられ、平方剰余相互法則の第一補充法則と呼ばれます。ガウスが1795年に発見したのはこの定理です。後者の数値は、式
 (2/p)=(-1)^((p^2-1)/8)
で与えられ、平方剰余相互法則の第二補充法則と呼ばれます。
 ところが、このような定義は実はルジャンドルによる一番はじめの定義ではありませんでした。ルジャンドル自身はどうしたのかというと、フェルマの小定理により、aの(p-1)/2次の冪をpで割ると+1と-1のどちらかになるという事実に着目し、
 a^((p-1)/2)≡+1(mod.p)のときは(a/p)=+1
 a^((p-1)/2)≡-1(mod.p)のときは(a/p)=-1
と定めました。この定義でも(-1/p)は意味をもつことはもちますが、どのような値になるのか、すぐにわかってしまいますので、数学上の問題にはなりません。実際、-1の冪指数(p-1)/2は、pが4n+1型なら偶数、4n+3型なら奇数になりますから、それぞれの場合に応じて(-1)の(p-1)/2次の冪は+1または-1になります。このようなわけで、ルジャンドル自身が定式化した相互法則には、第一補充法則というものは存在しません。(2/p)の数値の決定の方は問題になりますし、ルジャンドルもこの数値を求めています。ただし、それを相互法則の一環として、第二補充法則というような意味合いにおいて把握しているわけではありません。
 (p/2)という記号は定義としては成立しますが、意味はありません。実際、合同式x^2≡p(mod.2)はつねに解をもちますから(x=1がひとつの解になります)、平方剰余の考えを採ると、つねに(p/2)=+1となります。また、偶素数2はフェルマの小定理の対象外ですので、この視点から見ても記号(p/2)は無意味です。
 ルジャンドル記号の二通りの定義は論理的には同等で、オイラーはすでに知っていましたし、オイラーに学んだルジャンドルもまた承知していました。
 ルジャンドルの相互法則はあくまでも「互いに異なる二つの正の奇素数pとq」を対象にするもので、

 (q/p)(p/q)=(-1)^((p-1)/2)((q-1)/2)

という式で表示されます。右辺は-1の冪で、冪指数は(p-1)/2と(q-1)/2の積ですから、pとqが4n+1型と4n+3型のどちらなのかに応じて値が変ります。また、記号(p/2)に意味がない以上、奇素数pと2の間では相互性は問題になりえません。
 D.A.に出ている「基本定理」では正負の負号のついた素数が並んでいましたが、ルジャンドルの相互法則では、対象となる奇素数はつねに正とされています。この点も注意を要するところです。

(ガウス53)D.A.に見る数論史(12)平方剰余の理論の基本定理

 ここまでのところでガウスは剰余-1、±2、±3、±5、±7を取り上げて次々と論じてきましたが、その際、オイラーとラグランジュによる素数の形状理論の成果がそのつど引き合いに出されました。ガウスはすべてを独力で発見し、しかも証明したというのですが、論理的に見る限り、すべてではありませんが相当の部分はすでにオイラーとラによって証明されていたことになります。ではありますが、オイラーとラグランジュにはなくてガウスにはある独特の視点も存在します。それは「相互性」の認識です。-1と±2については相互性の考察は問題になりませんが(合同式x^2≡p (mod.1)や合同式x^2≡p(mod.2)の可解性は自明で、問題になりませんから)、±3、±5、±7についてはそのつど相互性が指摘されました。この視点を無際限に延ばしていくと、平方剰余相互法則が目に留まります。ガウスはこれを1795年に発見し、翌1796年には証明を与えることにも成功したのでした。
 D.A.の第130条の手前には、
「帰納的考察を通じて一般(基本)定理が確立され、そこからさまざまな結論が取り出される」
という小見出しが配置されています。-3と+5は、それぞれ3と5の剰余であるあらゆる素数の剰余であり、それぞれ3と5の非剰余であるあらゆる素数の非剰余です。-7についてはガウスも個別の証明を獲得することはできませんでしたが、帰納的な観察でしたら、-7を越えてはるかに遠くまで及んでいます。実際、ガウスは、

-7、-11、+13、+17、-19、-23、+29、-31、+37、+41、-43、-47、+53、-59

という数を列挙して、

《これらの素数を正に取るとき、これらは、それらの剰余であるあらゆる素数の剰余であり、それらの非剰余であるあらゆる素数の非剰余であることが判明する。》

と述べています。これが「平方剰余の理論における基本定理もしくは一般定理」です。このようなひとことの背後に、想像を絶するほどの大量の計算が積み上げられいることに、くれぐれも留意したいいと思います。
「これらの素数を正に取るとき」というところにややわかりにくい印象がありますが、これまでのところでも「-3」と書いたり「+3」と書いたり、単に「3」と書いたりしていました。合同式の法では符合は問題にならず、ガウス自身、第1章、第1条で合同の概念を説明した際に註記をつけて、「明らかに、法はつねに絶対的に取らなければならない。すなわち、いかなる符合もつけずに取らなければならない」と明記しています。「正に取る」というのはそういう意味で、-3と+5と-7の場合にもそうなっていました。もうひとつ、-59を例に取ると、「-59は(これを正に取って)59の剰余である素数の剰余であり、59の非剰余である素数の非剰余である」ということになります。
 上に列挙されたいろいろな数には、正の符合がついているものと負の符合がついているものがあります。注意深く観察すると、正に取るとき4n+1型になる素数には正符合が附され、正に取るとき4n+3型になる素数には負符合が附されています。ここでもまた「正に取る」ことがポイントで、たとえば-7は、これ自身は4n+1型ですが(-7=4×(-2)+1ですから)、「正に取ると」7になりますから、4n+3型です。そこで、負附号をつけて「-7」と書くことになります。ガウスにとって、単に「数」といえば、つねに自然数のことだったのでしょう。今日では失われたセンスです。

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