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ゴローさんへ

コンビニで週間ポストの記事を立ち読みしてきました。厚労省の本音文書のコピーを見物。余命何週間とか何ヶ月とか宣告して、そのうえで各種の週末治療を選択するかどうか、オプションがいくつかあって、患者本人または家族が選ぶようにするのだそうですね。 「延命やめたら医師にお手当て2000円」 というのもその通りみたいでした。根柢にあるのは医療費の増大の問題で、このままでは保険制度が崩壊するという懸念があるみたいですが、そうかといって、どうせ助からない人ははやく死んでほしいというのでは本末が転倒しています。
母の病気がきっかけになって、このところこの方面の問題がよく目につくようになりました。教育問題との関連もありそうですので、さらに思索してみます。
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(ガウス33)クロネッカーの代数方程式論(1)

 アーベルの代数方程式論は「不可能の証明」と「代数的可解性を左右する要因の解明」という、ふたつの基本契機に支えられて成立しました。前者の究明はアーベルを「代数的可解方程式の根がもつ特殊な形状」の考察へと誘い、後者の問いからはアーベル方程式の概念が誕生しました。ドイツの数学者レオポルト・クロネッカーはこのような二通りの様相の交錯点に立脚して「アーベル方程式の根の形状の確定」に向かい、虚数乗法論という新世界の扉を開きました。しばらく1853年の論文「代数的に解ける方程式について」の記述を追いたいと思います。
 クロネッカーは1856年に同じ標題の論文をもうひとつ書いています。今から紹介する1853年の論文を「第一論文」、1856年の論文の方は「第二論文」と呼んで区別しています。

《次数が素数である[既約]方程式の可解性に関する従来の研究-特にアーベルとガロアの研究。それらはこの領域において引き続き行なわれたすべての研究の土台をなすものである-は本質的に、結果として、ある与えられた方程式が[代数的に]解けるか否かを判定しうる二通りの基準を明らかにした。それにもかかわらず、これらの判定基準は可解方程式それ自体の本性に関しては、実際にはごくわずかな光さえも与えなかった。》

 アーベルとガロアは代数的可解性に対する二通りの判定基準を明らかにしたとクロネッカーは言っていますが、ガロアが見つけた判定基準については前回、紹介した通りです。アーベルの方はというと、代数的に解ける方程式の根の形状を三通りの仕方で明示しただけで、代数的可解条件それ自体を記述したわけではありません。ですが、これは少し後に紹介するつもりですが、クロネッカーはアーベルの表示式の考察の中から、代数的可解性のひとつの判定基準を取り出しました。それは「アーベル・クロネッカーの判定基準」とも呼ぶべき性格を備えているもので、クロネッカーの言うように、「本質的に」アーベルが明らかにしたと言ってさしつかえません。ただしクロネッカーは同時に、アーベルの段階ではまだ代数的可解方程式それ自体の本性に光があてられたとは言えないとも語っています。
 代数的可解性の判定条件は必ずしも「可解方程式それ自体の本性」を明るみに出すわけではないというのであり、鮮烈な印象の伴う言葉です。しかも、

《(アーベルがクレルレ誌4(註。クレルレ誌4(1829年)には、アーベル方程式を論じた論文「ある特別の種類の代数的可解方程式のクラスについて」が出ています)で取り扱ったものと、二項方程式(註。円周等分方程式のことです)に関するきわめて簡単なものとを除いて)与えられた可解条件を満たす方程式というものははたして存在するのかどうかということは、まったく知ることができなかった。そのうえ、そのような方程式を作ることもほとんどできなかったし、他の数学上の研究を通じても、いかなる場所でもそのような方程式に導かれたことはなかった。》

 それゆえ、既知の二通りの可解条件はこのままでは空虚であることになります。

《これに加うるに、アーベルとガロアによって与えられた、上述の非常に一般的に知られている可解方程式のふたつの性質は、特にそれらの二通りの判定基準のうちの一方について私が後ほど示すであろうように、思いがけないことに、可解方程式の真の性質を明るみに出すというよりも、むしろ覆い隠す役割を果たすといってもよいようなものであった。そうして可解方程式それ自体は、従来、ある種の暗闇の中にとどまっていた。それは、整係数5次方程式の根に関する、ほとんど注意を払われることのなかったように思われる非常に特殊なアーベルの覚書6)により、ごくわずかな部分が明らかにされたにすぎない。》

 クロネッカーの言葉は迫力に富み、着々と要点を衝いて間然するところがありません。真意はまだ不明ですが、味読するだけで十分に魅力的であり、当面、注釈は不要と思います。可解方程式それ自体の完全な解明は、「すべての可解方程式を見つけること」という、アーベルが提出した問題の解決を通じて初めて可能になります。なぜなら、そのとき、

《無限に多くの新しい可解方程式が手に入るばかりでなく、存在する可能性のあるあらゆる可解方程式がいわば眼前に得られることになる。そうして具体的に書き表わされた根の形状のおかげで、可解方程式のすべての性質を発見して提示することができるようになるからである。》

 クロネッカーのねらいはアーベルと同じく「可解方程式それ自体」の姿を見ることにありました。アーベル方程式に特別の関心を寄せる本当の理由も、まもなく明るみに出されるでしょう。

看取り訴訟和解を伝える新聞記事を読んで

産経新聞の4月18日の記事で、終末医療に関連して興味深い出来事が紹介されていました。見出しを拾うと、次に挙げる通りです。

がん患者遺族
「説明なく臨終」で訴訟
大阪の病院
遺憾の意示し和解
看取り訴訟和解
「一言説明ほしかった」
遺族、喪失感と不審感

おおよそのことはこれでわかりますが、記事の書き出しの部分を写すと、次の通りです。

《大腸がんで死亡した奈良市の女性(当時62歳)の夫(66歳)が、医師から最期の見通しについて説明がなかったため厳粛な臨終を迎えられなかったとして、日本生命済生会付属日生病院(大阪市)に200万円の慰謝料を求めた訴訟があり、病院側が遺族の不信感が訴訟を招いたことに「遺憾の意」を表明し、大阪地裁で和解していたことが16日、分かった。医療ミスでなく、終末期患者の看取りをめぐり訴訟に発展したケースは極めて異例という。》

以下の記事を要約すると、訴訟を起した人の奥さんは大腸がんと診断され、余命約一箇月と告げられました。それが平成18年4月28日。5月17日の深夜1時ころ、血圧が低下したため、看護師が主治医に「急変の可能性」と伝え、夫にも伝えました。夫は午前2時すぎに病院に到着しましたが、主治医は現れませんでした。午前5時40分ころ、呼吸停止。当直医が来て、5時51分、死亡確認という経過でした。患者は最後まで意識があり、亡くなる1時間半前には長男と言葉を交わしていたそうです。
 夫は医師に対して不満があり、提訴しました。心の準備もないまま突然、奥さんの死を迎えましたが、見通しについて一切説明がなかったのは医師の責務に反しますし、
終末期の患者と家族に対する配慮について、病院側には倫理観が欠如してたというのが、夫の主張です。これに対し、病院側は、死期が近いと事前に家族に説明したうえ、容態急変の可能性を伝えていたし、臨終が近いと認識するのは十分に可能だったとし、改めて医師が説明する必要はなく、死期を予知することも不可能だったと反論していたということです。
 提訴した夫の言い分をもう少し拾うと、奥さんが「物」のように扱われたと感じたというところに不信があったようで、臨終に必ず立ち会うことや、死期を正確に当てることまで医師に望んでいるわけではないという談話も出ています。「最後までちゃんとしてもらえたという満足感」がなかったところに不満があり、提訴にいたったということのようでした。
 新聞記事の伝える事実経過は以上の通りですが、もうひとつ、興味深いことが記されています。それは終末医療をどうするかということで、余命一箇月と宣告された後、家族は死を受け入れて、「無用の延命治療」を望まないと病院側に伝えたというのです。これはよけいなことだったのではないか、とぼくは思いました。
 深夜の午前1時に血圧が低下したとき、看護師が主治医に伝えても現われなかったこと、今後の見通しについて説明がなかったことなど、患者と患者の家族に対して無関心というか、配慮のない医師の姿勢が報告されていますが、これを要するに、医師は治らない病気には関心をもたないということではないかと思います。病気そのものと病気をかかえている患者とが意識のうえで乖離しているわけで、ぼくの体験でも、たいていの医師はそんなふうでした。この期に及んで説明などしても仕方がないと思うのでしょうし、まして深夜のことでもありますから足を運ぶのもつらく、放置したのでしょう。患者の家族にとってはつらい仕打ちですし、医師としての責務の欠如と思うのは当然ですが、医療従事者と患者の側との間に存在する巨大な溝が、こんなところに露呈しているのではないかという感慨もあります。患者の家族が医師に寄せる期待は、いわゆる「ないものねだり」のたぐいなのではないでしょうか。医療従事者は聖職と思うのが実は間違いで、特別の責任感のある人がなるわけでもありませんし、医療の実態は医療技術をもってするサービス業だからです。このあたりの消息は今日の小中高大のすべての教育者の姿にも通じます。
 無用の延命治療を望まないというのは、ぼくは賛成することはできませんが、患者を抱えた家族の心情の現れであることは間違いありません。ですが、医師の側には延命治療はむだという考えがあり、もともとやりたくないと思っている以上、せっかくの家族の申し出は意味をなさないのではないでしょうか。現に、この件の場合、患者の臨終に際して医師は何もしませんでした。医師にしてみれば、延命は不要という家族の申し出に従ったまでのことと思います。家族の側とすれば、むだな延命はしてほしくないとはいうものの、それに代る何物かを期待していたのではないかと想像されますが、それはどのようなものなのか、おそらく医師の側にはまったく伝わらず、だからこそ紛糾したのでした。医療従事者と患者側とを隔てる溝の深さをまざまざと感じます。

(ガウス32)アーベル方程式とガロアの第一論文

 代数方程式論を語るうえで、夭逝してフランスの数学者エヴァリスト・ガロアの名を逸することはできませんが、そのガロアの理論を理解するためには、それに先立ってアーベルのアーベル方程式論を一瞥しておかなければなりません。代数方程式論、楕円関数論、それにアーベル積分論のあらゆる場面において、ガロアとアーベルはつねに一対にして考察を加えるべき数学者です。ただし、楕円関数論とアーベル積分論の領域では、アーベルとガロアにヤコビを加えて、三幅対を構成するのがよいと思います。
 アーベル方程式の概念の初出は、アーベルの論文
 「ある特別の種類の代数的可解方程式の作るクラスについて」
論文の末尾に「1828年3月29日」という日付が記入されていますが、実際に公表されたのは遅く、ちょうど一年後の1829年3月28日(病没の直前)に刊行されたクレルレ誌、巻4においてのことでした。この名高い論文は、

《一般に方程式の代数的解法は可能ではないが、それにもかかわらず、あらゆる次数に渡って、代数的解法を許容する特別の方程式が存在する。そのような方程式というのは、たとえばx^n-1=0という形の方程式である。このような方程式の解法は、その諸根の間に存在するある種の関係に基づいている。》

という明快な宣言とともに説き起こされています。円周等分方程式の代数的可解性を支えているのは、この方程式の「諸根の間に存在するある種の関係」であるというのです。この事実こそ、アーベルの言う「円周の分割に関するガウス氏の理論を覆って働いているあの神秘」の正体にほかなりません。アーベルはこの鮮明な洞察に基づいてアーベル方程式の概念を発見したのでした。
 ガウスが考察した素数次数の円周等分方程式は巡回方程式でした。すなわち、次数nは素数とするとき、円周等分方程式のn個の根は、
  x、θ(x)、θ^2(x)、θ^3(x)、... θ^(n-1)(x)
というふうに書き表わされます。ここで、xはひとつの根を表わし、θ(x)はxの有理関数を表わします。また、θ^n(x)=xという性質が備わっています。アーベル方程式というのは巡回方程式の概念の延長線上においてアーベルが把握した概念で、下記の定理で語られている代数方程式のことです。

《ある任意次数の方程式の根は、すべての根がそれらのうちのひとつを用いて有理的に表示されるという様式で相互に結ばれているとしよう。そのひとつの根をxで表わそう。また、さらに、θ(x)、θ1(x)は他の任意の二根を表わすとするとき、
  θ(θ1(x))=θ1(θ(x))
となるとしよう。このとき、ここで取り上げられている方程式はつねに代数的に可解である。》

 この命題では、「アーベル方程式は代数的に可解である」ことが主張されています。これもまた数あるアーベルの定理のひとつです。
 代数的可解性を左右する根源的な要因は「諸根の相互依存関係」にあります。この認識はガロアもまた共有し、代数方程式の代数的可解性をテーマにした第一論文
 「方程式が冪根を用いて解けるための条件について」
において、
《冪根を用いて解ける方程式のどれもが満たし、しかも逆に、その可解性を保証するひとつの一般条件》
をみいだすことに成功しました。この条件は「方程式の根の配列の群」の言葉で記述されています(ただし、この「群」という言葉は「ものの集まり」というほどの意味にすぎず、今日の群の概念とは無関係です)。第一論文からここまでの部分を抽出して精密に展開すれば、今日のいわゆるガロア理論が手に入ります。他方、ガウスが円周等分方程式を解いていく道筋を忠実に再現すれば、そのままガロア理論が出現するという事実もまた注目に値します。アーベルはガウスの理論の根幹をなす数学的思想の泉から直接、アーベル方程式の概念を取り出しましたが、ガロアはガロアでガウスの理論の「証明の構造」を学び、ガウスの理論をその雛形と見ることを可能にする大きな理論を構想したのでした。
 ガロアの第一論文はガロアが書いた一番はじめの論文というわけではありませんが、「第一論文」と呼ぶ習わしになっています。
 1832年5月30日早朝の決闘の前夜、友人オーギュスト・シュヴァリエに宛てた有名な遺書において、ガロアは冒頭で「(これまでの研究を元手にして)三篇の論文を作成することができると思う」と述べ、続いて各論文の素描を試みました。「第一論文はもう書いた」と言われているが、これは上記の代数方程式論に関する論文を指しています。
 ガロア理論により、素次数既約方程式の代数的可解性の判定条件が手に入ります。

《通約可能な因子をもたない(註。「既約」という意味です)素次数の方程式が冪根を用いて解けるためには、そのすべての根が、それらのうちのどれかふたつの根の有理関数になっていなければならず、しかもそれで十分である。》

 ガウスに端を発し、アーベルが洞察した代数的可解性の基本原理は、ガロアに継承されてひとつの完結した姿形を獲得したのでした。
 ガロアが言及しているもうひとつの応用例は、楕円関数論におけるアーベルの予想の証明である。アーベルは論文「楕円関数研究」において、モジュラー方程式は一般に代数的には解けないであろうと予想しましたが、ガロアはこれを受けて次のように述べています。

《代数方程式論のさまざまな応用のうち、一部分は楕円関数の理論のモジュラー方程式に関係がある。モジュラー方程式を冪根を用いて解くのは不可能であることが証明されるであろう。》

 楕円関数論と代数方程式論の関係は密接かつ不可分であり、しかもアーベルの予想の証明こそ、ガロアの理論の眼目なのでした。ガロアの言葉にはガウス、ルジャンドル、アーベル、ヤコビなどの手になる浩瀚な楕円関数論の全史が凝縮されていて、印象は深遠です。さながら数学の神秘の淵をのぞき見るような感慨があります。

ゴローさんへ

いつもコメントを寄せていただきまして、ありがとうございます。合同式がわかりにくいとのことですが、一般的な話だけではなく、なるべくいろいろな計算例などを出して、敷居を低くするように努力しますので、引き続き御愛読ください。

サトシさんへ

いつも応援していただいてありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

(ガウス31)アーベルの三つの言葉-アーベルの書簡より

 アーベルの遺稿「方程式の代数的解法について」のあらましはこれまでに見てきた通りですが、「代数的に解けるすべての代数方程式を手に入れたい」という雄大な構想が非常に印象的でした。それと、この構想との関連のもとで、アーベルは「代数的可解方程式の根の形状を決定する」という基本方針を打ち出しましたが、これもまたきわめて斬新でした。アーベルは代数的可解方程式の根は特殊な形状をもつことに気づき、その形状を具体的に決定しようとしたのですが、このアイデアは後にクロネッカーに受け継がれました。
 ガウスの数論にもどる前に、アーベルの代数方程式論の観察をもう少し続けることにして、アーベルの手紙の中から代数方程式論に関する三つの言葉を拾い、アーベルとともにこの理論の来し方を振り返り、同時に行く末の展望を試みたいと思います。1828年11月25日といえば、アーベルの短い人生ではすでに最晩年のことになりますが、この日、アーベルはルジャンドルに宛てて長い手紙を書き、研究の状勢を克明に報告しました。アーベルは1802年8月5日、ノルウェーの小島フィンネに生まれ、1829年4月6日、フローラン・ベルクで病没しましたから、1828年11月25日の時点で満26歳と3箇月という若さであり、しかも残された時間は四箇月余りにすぎませんでした。手紙の主眼は楕円関数論と,代数的微分式の積分の理論,すなわちアーベル積分の理論の報告に置かれていますが、末尾の辺で代数方程式論がわずかに回想されて、

《私は幸いにも、提示された任意の方程式ははたして冪根の助けを借りて解けるのか否かの認識を可能にしてくれる、ある確実な規則を見つけました。私の理論からのひとつの派生的命題として、一般に4次を越える方程式を解くのは不可能であることが示されます。》

という瞠目に値する数語が書き留められました。あの「不可能の証明」は大きな理論から派生する一命題にすぎないというのであり、代数方程式論の領域でアーベルが登攀した高い峯の所在を明示する言葉です。
 アーベルは1825年9月7日から1827年5月20日まで、故国を離れてヨーロッパ大陸に留学しました。目的地はパリでしたが、実際には各地の放浪期間が長く続き、パリ滞在は1826年7月10日から同年12月29日までで、半年弱にすぎませんでした。1826年3月14日、まだパリに到着しない時期のことですが、フライベルクでベルリンのクレルレに宛てて書いた手紙(註。この書簡の数学に関する部分が抜粋されて,アーベル全集、巻2に収録されています)には、代数方程式論のもうひとつの高峰への道を開く可能性を秘めた公式が記録されています。はじめに、

《もし有理数を係数とする5次方程式が代数的に解けるなら、その根に次のような形を与えることができる。》

と宣言され、続いて不思議な形をした公式が登場します。代数的可解方程式の根の形状への着眼はアーベルの基本構想そのものですが、考察の対象として取り上げられた方程式の係数域が有理数域に限定されている点が人目をひくところですし、この限定は根の形状にも反映しています。この点が、アーベルの公式の眼目です。なぜなら、ここには、「aとbが任意の量である限り、方程式x^5+a x+b=0はこのようには解けない」という言明が伴っているからです。次数の限定のほうは本質的ではなさそうで、「ぼくは7次、11次、13次等々の方程式に対しても同様の定理を発見した」と言われています。
 ところで、「不可能の証明」とは別に、代数的に解ける高次方程式が無数に存在することもまた明白な事実ですし、まさしくそのために、代数的可解性を左右する契機を尋ねる問いが発生するのですが、この論点に焦点を合わせ、円周等分方程式に範を求めて基本思想を表明したのはガウスであり、そのガウスの思想を最初に継承したのはアーベルなのでした。次に挙げるのは、1826年12月にパリで書かれたアーベルのホロンボエ宛書簡の一部分です。ホロンボエはアーベルがクリスチャニア(ノルウェーの首都。現在のオスロ)の高等中学校カテドラル・スコーレに入学したときの数学の先生で、アーベルに大きな数学的影響を及ぼした人物です

《ぼくは、2^n+1が素数のとき、定規とコンパスを用いてレムニスケートを2^n+1個の等しい部分に分けることができることを発見した。この分割は次数(2^n+1)^2 - 1の方程式に依存する。ところで、ぼくはその方程式の平方根による完全な解法を見つけたのだ。ぼくはこのことを通じて、同時に、円周の分割に関するガウス氏の理論を覆って働いているあの神秘を見抜いてしまった。彼がどんなふうにしてそこに到達したのか、ぼくの目にははっきりと映じている。》

 2^n+1という形の素数を「フェルマ素数」と言いますが、ガウスはD.A.の第7章において、次数がフェルマ素数である円周等分方程式の根は、係数に加減乗除の四則演算と「平方根を取る演算」のみを用いて解けることを示しました。これを幾何学的に言い表わすと、pがフェルマ素数であれば、正p角形の作図は定規とコンパスのみを用いて可能であるということになります。どうしてそんなふうになっているのかという点に、アーベルのいう「ガウスの神秘」がひそんでいるのですが、アーベルはガウスの円周等分論を覆っているこの神秘のベールをあばき、円周をレムニスケートに取り換えても状勢は不変であることを発見したのでした。
 このとき、アーベルの目がはっきりと見たのは、「代数的可解性が根の相互関係によって規定されている」という、真に魅力的な数学的情景であったろうと思います。「アーベル方程式」の概念がそこから取り出され、クロネッカーの「青春の夢」に繋がる代数方程式論の新たな道筋が紡がれていきました。

(ガウス30)アーベルの代数方程式論(6)

 「代数的に満たされる既約方程式をすべて見つけること」という問題の解決へと向かう歩みの中から、アーベルは三つの命題を取り出しました。

《1. もしある既約方程式が代数的に満たされるなら、その方程式は同時に代数的に可解である。そうしてその根はすべて同一の表示式で表わされる。すなわち、その表示式の中に姿を見せる諸冪根に対して、それらのすべての値を与えることによって表示される。
2. もしある代数的表示式がある方程式を満たすなら、そのときつねに、その表示式に適切な形を与えることにより、それを構成する種々の冪根のすべてに対して、許容されるすべての値を割り当てていくとき、その表示式はやはり同じ方程式を満たすというふうにすることができる。
3. 代数的に解ける既約方程式の次数は必然的に、根の表示式の中に姿を見せるいくつかの冪根の冪次数の積である。》

 気宇広大な問題を完全に一般的な形で提出し、目標に向かう途次、具体的な果実をひとつひとつ摘んでいくという研究様式こそ、アーベルの真骨頂です。

《こんなふうにしてある代数的表示式が満たしうる最低次数の方程式に到達できる方法が示されたのであるから、もっとも自然な歩みと見られるのは、その方程式を作って、提示された方程式と比較してみることであろう(註。この手続きを踏めば、与えられた方程式が代数的に満たされるか否かの判定が可能になります)。ところがここで、とうてい打ち勝てそうにない諸困難に遭遇する。それというのも、個々の特定の場合において、あのもっとも簡単な方程式を作るための一般規則は確かに設定されたとはいうものの、その規則に基づいてその方程式そのものを手にするにはなお遠いからである。しかもたとえ首尾よくその方程式を見つけることに成功したとしても、かくも複雑な諸係数が、提出された方程式の諸係数と実際に等しくなっているのかどうかを、いかにして判定せよというのであろうか。だが、私は他の道を通ることにより、すなわち問題を一般化することによって、提示された目的地に到達した。》

 代数的表示式から出発して、それが満たす方程式を見つけるのはむずかしく、この道を踏破するのは不可能としか思われません。そこでアーベルは大きく視点を変換して、

《ある与えられた次数をもつ代数方程式を満たしうるもっとも一般的な代数的表示式をみいだせ。》

というふうに、逆向きに問題を設定したのでした。次数への着目が人目を引きますが、ここには、方程式が与えられたときには、その次数も同時に与えられたことになるという事実が反映しています。

《我々はこの問題の完全な解決を与えたわけではないが、解決へと向かう自然な歩みにより、いくつかの一般的命題に導かれた。それらはそれら自身においても非常に注目するべきものであり、しかもそれらは我々が究明をめざしている問題の解決をもたらしてくれたのである。》

 アーベルはこのように述べたうえで四つの命題を列挙しました。一番はじめの命題は代数的に解ける既約方程式の根の形状に関するものです。

《1. もしある素次数μをもつ既約方程式が代数的に解けるとするなら、その諸根は次のような形をもつ。
 y=A+(R1)^(1/μ) +(R2)^(1/μ) +...+(Rμ-1)^(1/μ)
ここでAは有理量であり、R1、R2、...Rμ-1はある次数μ-1をもつ方程式の根である。》

 この公式は、遺稿「方程式の代数的解法について」に登場する一番はじめの数式です。R1、R2、...Rνを根とする代数方程式の係数域は、与えられた方程式の係数域と同一です。第2、第4の命題も同じ性格の命題ですが、与えられた方程式の次数が「ある素数の冪」になる場合が取り上げられています。遺稿「方程式の代数的解法について」の中で、アーベルはなお二通りの根の形状を記述しています。
「代数的可解方程式の根の形状の決定」という、アーベルの代数方程式論の魅力の根源をなす問題の端緒がこうして開かれました。アーベルの強靭な思索の果てに、代数方程式の理論はここにまったく新しい局面を迎えたのでした。

(ガウス29)アーベルの代数方程式論(5)

 現在の時点でぼくらが直面しているのは、「任意に提示された方程式が代数的に満たされるか否かを判定する問題」です。この問題の考察に先立って、アーベルは方程式の既約性と可約性の概念規定を試みました。

《ある同一の代数関数が無限に多くの代数方程式を満たしうるのは明白である。それゆえ、提示された方程式が代数的に満たされるときには、二通りの場合が存在することになる。すなわち、この方程式はそれ(註。提示された方程式が代数的に満たされるとき、「代数的に満たされる方程式」というものの概念規定により、その方程式を満たす代数的表示式が存在します。そのような代数的表示式が、「それ」という一語で指し示されています)が満たしうる最低次数の方程式であるか、あるいは、それが満たしうる同じ形の(註。二つの代数方程式が「同じ形」とは、「係数域が同一」であることを意味します)他の方程式であって、[提示された方程式よりも]もっと低い次数をもち、しかも一番単純なものが存在しなければならないかのいずれかである。前者の場合、方程式は既約であると言い、他の場合には、方程式は可約であると言う。こうして、提出された問題(註。これは、任意に提示された代数方程式が代数的に満たされるか否かを判定するという問題でした)は次のような二問題に分かたれる。
 1. ある方程式が提示されたとき、それは可約であるか否かを判定せよ。
 2. ある既約方程式について、それは代数的に満たされるか否かを判定せよ(註。ある既約方程式が提示されたとき、それを満たす代数的表示式が存在することは、既約方程式というものの概念規定の中にアプリオリに包摂されています。従ってこのままでは問題2は意味をなしません)。》

 こうして方程式の可約性と既約性の概念が規定され、「代数関数が満たしうるすべての方程式を見つける」という問題の考察にあたって、そのような方程式の全体が二種類に分けられました。ですが、この概念規定では議論が循環してしまい、問題の明晰さは失われるように思います。アーベルもこの欠陥に気づいたようで、書き直しを試みています。シローによれば、それは第一稿の欄外に書かれた草稿
 「方程式の代数的解法の新しい理論」
です。シローはアーベルと同じノルウェーの数学者で、リーとともにアーベル全集(全2巻。1881年)を編纂した人物です。有限群論に、シローの名を冠する定理があります。リーもノルウェーの数学者で、リー群の理論の創始者として知られています。
 さて、シローとリーが編纂したアーベル全集の第2巻の末尾にシローが注釈を書いていますが、欄外の草稿「方程式の代数的解法の新しい理論」はそこで紹介されています。該当する部分はこんなふうに改められています。

《・・・さて、ある同一の冪根表示式(註。代数関数、代数的表示式いう言葉で指示されているものと同じもの)は無限に多くの相異なる方程式を満たしうる。それゆえ、考察を加えるべき二通りの場合が存在することになる。すなわち、提示された方程式が、その冪根表示式が満たしうる最低次数の方程式になる場合、それに、その表示式が、より低い次数をもつ他の方程式を満たしうる場合である。それゆえ、一般問題(註。これは、「ある与えられた代数方程式が、α、β、γ、δ...の冪根表示式によって満たされるか否かを判定せよ」という問題でした)は次のような二問題に分かたれる。
1. ある方程式が提示されたとき、その諸根のひとつが、α、β、γ、δ...に関して有理的な係数をもつ(註。「提示された方程式と同じ係数域をもつ方程式」という意味で、既出の「(提示された方程式と)同じ形の方程式」のことです。α、β、γ、δ...は係数域を生成するいくつかの定量です)、より低次の方程式を満たしうるかどうかを識別せよ。もしそれが不可能なら、その方程式は量α、β、γ、δ...に関して既約であると言う。
2. ある既約方程式が代数的に満たされるか否かを識別せよ。》

 この既約性の定義なら、論理上の整合性は保たれています。

《まず第二の問題を考察しよう。提示された方程式が既約のとき、その方程式は、探索されている代数的表示式(註。「問題2」で要請されているのは、「提示された既約方程式を満たす代数的表示式が存在するか否かを判定すること」でしたから、しかるべき代数的表示式が探索されていることになります)が満たしうる方程式の中で、最も簡単なものである。それゆえ、その[提示された既約]方程式が[代数的に]満たされるか否かを確かめるためには、代数的表示式が満たしうる最低次数の方程式を求め、続いてその方程式を、提示された方程式と比べてみなければならない。これより、
 ある代数関数が満たしうる最低次数の方程式をみいだせ。
という問題が生じる。》

 アーベルの欄外の草稿「方程式の代数的解法の新しい理論」の守備範囲はここまでです。このような手順を踏んでようやく、「代数的に満たされるすべての既約方程式」を手にする可能性が開かれてきます。

(ガウス28)アーベルの代数方程式論(4)

 係数の間に変化量が現われる方程式に続いて、定係数方程式が考察されます。

《後者の場合、すなわち諸係数が定量とみなされる場合には、それらの係数は他のいくつかの定量から有理演算(註。基本的な四則演算、すなわち加法、減法、乗法、除法の総称)の助けを借りて作られるものと考えてよい(註。このような記述を見ると、代数方程式の「係数域」の概念が正確に認識されていることがわかります)。それらの定量をα、β、γ、...で表わそう。もし[提示された方程式の]ひとつまたはいくつかの根が、α、β、γ、...を用いて代数的演算の助けを借りて表示可能であるなら、提示された方程式は代数的に満たされると言う(註。係数域に変化量が含まれない場合における「代数的に満たされる方程式」の概念が規定されました)。もしすべての根がこんなふうに表示されるなら、方程式は代数的に可解であると言うことになる(註。係数域に変化量が含まれない場合における「代数的に解ける方程式」の概念が規定されました)。また、α、β、γ、...としてはどのような量でもさしつかえなく、代数的であってもなくてもどちらでもかまわない。それゆえ、係数がすべて有理的量という特別の場合には、もし[ある方程式の]諸根のうちのひとつまたはいくつかが代数的量なら、その方程式は代数的に満たされることになる(註。代数的量という言葉にはすでに幾度か出会いましたが、ここには同時に概念規定が現われています。すなわち、代数的量とは、有理数を係数に持つ代数方程式の根になりうるような量のことにほかなりません)。》

 一般方程式、すなわち係数がすべて独立変化量である方程式は、次数が4を越える場合、一般に代数的に解くことはできません。アーベルはこの「アーベルの定理」を承知したうえで、代数的可解性を左右する根本的な要因を追い求めて考察し、その途上でおのずと、可変係数域と定係数域の区別に逢着したのでした。
 もし根の公式が存在するなら、その公式が記述された時点で代数方程式論は終結してしまいます。そのためにアーベルは、代数方程式論の展開に先立って、一般方程式の根の公式の存在の有無を明確にしなければなりませんでした。存在しないことがわかったなら、続いて存在しない理由を尋ねたり、代数的可解性を左右する根本的要因を探究したりするというふうに、考察は一段と深まっていき、尽きることがありません。「不可能の証明」は代数方程式論の出発点です。
 こんなふうにして、二種類の方程式、すなわち、「代数的に解ける方程式」と、「代数的に満たされる方程式」の区別が行なわれました。この区別が必要なのは、アーベルによれば、「方程式の中には、そのひとつまたはいくつかの根は代数的だが、すべての根について同じことを明言することはできないものも存在する」からですが、まさしくこのような事情に起因して、アーベルはまもなく代数方程式の既約性と可約性の概念を設定しなければならないことになります。

《このように状勢を設定しておくとき、我々の問題を解決するための自然な歩みは、問題の言明に即しておのずとその姿を現わしてくる。すなわち、提示された方程式において、未知数のところに最も一般的な代数的表示式(註。この基本的な言葉の指し示すものは、すでに明らかになっていると思います。すなわち、代数的表示式とは、係数域に所属する諸量を素材にして、代数的演算を施して組み立てられる量のことです)を代入しなければならない。そうして次に、その方程式がそのように満たされるようにすることははたして可能なのかどうかという論点を究明しなければならない。そのためには、代数的量と代数関数の一般表示式を手に入れておかなければならない。それ故、まず次のような問題が得られることになる。
 代数的表示式というものの最も一般的な形状をみいだせ。》

 代数的表示式がある代数方程式を満たすことは明白ですし、アーベル自身、「「この代数的表示式に課されるべき第一の条件は、ともあれある代数方程式を満たさなければならないというものである。・・・この第一条件はおのずと満たされてしまう」と述べています。そこでぼくらが知りたいのは、その形状を「特定のものに限定していって、提示された方程式を満たすようにするのは可能なのかどうか」という一事ですが、そのためには、代数的表示式が満たしうる方程式をことごとくみな手に入れて、続いてそれらの方程式を、提示された方程式と比較するという手順を踏まなければなりません。そこで、

《ある代数関数が満たしうる方程式を、存在する可能性がある限りすべてみいだせ。》

という問題が設定されることになります。ここでは、「代数関数」という言葉は「代数的表示式」と同じ意味合いで使われています。
 代数的表示式の一般形を決定し、それが満たしうる代数方程式をすべて求め、その方程式群の間に、提示された方程式が現われるかどうかを観察せよとアーベルは主張しています。「代数的に満たされる方程式」の判定問題に解決を与えようとする遠大なプログラムです。踏破するのは至難ですが、強い意志をもって歩み続ければ、豊饒な収穫が期待される場面です。

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