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『積分計算教程 巻1』の目次

『積分計算教程 巻1』の書名は

"Institutionum calculi integralis volumen primum in quo methodus integrandi a primis principiis usque ad integrationem aequationum differentialium primi gradus pertractatur"

というもので、非常に長大です。そのまま訳出すると、
「積分計算の基礎。第1巻。ここでは、積分の方法が、第一原理から一階微分方程式の積分にいたるまで、探究される」
というふうになります。エネストレームナンバーは[E342]。目次は次に挙げる通りです。

序論 積分計算について前もって述べておくべき一般的な事柄
第一部 一階微分の間の任意の与えられた関係から、一個の変化量の関数を見つける方法
第一章 微分式の積分
(今の言葉なら、不定積分の求め方。全9節)
1 有理微分式の積分
2 非有理微分式の積分
3  級数による微分式の積分
4 対数式と指数式の積分
5 角もしくは角の正弦を含む式の積分
6 倍角の正弦もしくは余弦に沿って進んでいく級数による積分の展開
7 積分の値を可能な限りもっとも近接して見つけるための一般的方法
8 特定の場合においてのみ積分が取得する値
9 積分の無限積展開

第二章 微分方程式の積分
(第二章の内容は変数分離型の微分方程式の解法理論。代数的な微分式が現れる場合だけが取り扱われています。全7節)
1 変化量の分離
2 乗法子の支援による微分方程式の積分
3 与えられた形状の乗法子を用いることにより積分可能になる微分方程式の探究
4 微分方程式の特殊積分
5 形状(X)に含まれる超越量の比較
6 形状(Y)に含まれる超越量の比較
7 微分方程式の近似積分

第三章 微分が高階になったり、超越量が含まれたりする微分方程式の解法
(第三章には節の区分はありません)

微分式というのは、Xは変化量xの関数として、Xdxという形の式のことで、微分式Xdxの積分といえば、微分するとxdxになる変化量、すなわち

   dy=Xdx

となる変化量yのことです。これを
   y=∫Xdx
と書けば、今日の解析教程に親しんだぼくらの目には、yはさながら関数Xの不定積分のように映じます。オイラーは「変化量とその微分」の世界に生きていますから、オイラーの解析教程には不定積分という概念はありません。

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積分の今昔

 接線法は微分計算の成立のための大きなきっかけになりましたが、微分計算の契機ということでしたら、ほかに極大極小法などもありますし、ライプニッツ以前のデカルトやフェルマの研究などが即座に想起される場面です。曲線の曲率の認識なども、当初から微分計算の関心の的でした。これを要するに、曲線の接線、変曲の様子、漸近線、特異点の近くでの形状等々、曲線の形状のさまざまな方面からの精密な究明の積み重ねの最高の到達地点に、微分計算という名の計算法が発見されたということになります。
 微分計算の成立の経緯についてはこれでいいとして、積分計算の方に視線を向けると、前史として曲線の弧長や、曲線に囲まれた領域の面積の算出法などが目に映じます。古代のギリシアの数学者アルキメデスは、放物線で囲まれた領域の面積の算出法を工夫したと伝えられていますし、ライプニッツ以前、パスカルはサイクロイド曲線で囲まれた領域の面積を算出したと言われています。ガリレオ・ガリレイの晩年の弟子というイタリアの数学者ヴィヴィアニは、「ヴィヴァニの穹面」と言われる曲面(球面を二本の円筒でくり抜いた残りの落下傘状の部分)の面積を算出する問題を提案し、ライプニッツなどがこの計算に成功したと伝えられています。ライプニッツの計算は独自の積分計算に基づいているように見えますが、積分計算の確立に先立ってさまざまな場面で面積の算出が問題にされていたのは間違いありません。曲線の弧長についても事情は同様です。このような問題を解決する手法の延長線上に、非常に強力な「面積や弧長を求めるための普遍的方法(求積法や求長法)」が現れて、積分計算という呼称を獲得したという想定が可能です。
 こんなふうに回想すると、微分と積分の理論形成の契機は異なっていて、別々の道筋を歩んできたところ、ライプニッツにより「微積分の基本定理」が発見されて、微分と積分は互いに他の逆の計算法になっていることが明らかにされたというふうに理解されるように思います。この構造はコーシーの解析教程でも保持されていますし、そのまま今日の解析教程に通じます。接線法と求積法によく象徴されているように思いますが、微分と積分という、一見すると無関係のように見える二つの理論が、実は密接な相互関係で結ばれていることが判明したというところに、数学的発見の意義をみいだそうとする捉え方で、おおよそ今日の通説になっています。
 ではありますが、オイラーの三部作の第三番目の作品『積分計算教程』を概観すると、いくつかの素朴な疑問に即座に直面します。何よりもまず、今日のいわゆる「定積分」の定義が見当たらず、積分というものの概念は当初から「微分の逆」と規定されていて、コーシー以降の解析教程に親しんだ者の目には冒頭からすでに異様な印象を心に刻まれてしまいます。だいぶ前にすでに引用したことがありますが、オイラーの『積分計算教程』巻1に出ている「積分」の概念規定は次のようになっています。

「定義1」
《積分計算というのは、いくつかの微分の間の与えられた関係から、それらの量の関係を見つけ出す方法のことである。それを達成する手順は積分という名で呼ばれる習わしになっている。》

「派生的言明1」
《微分計算は、いくつかの変化量の間の与えられた関係から、(それらの変化量の各々の)微分の間の関係を見つけることを教えるのであるから、積分計算はその逆の方法を与えてくれることになる。》

オイラーの積分計算はそもそものはじめから「微分の逆」になっていることがよくわかります。

積分計算と面積

津田塾大学での数学史シンポジウムは参加者が非常に多く、大盛況でした。初日(27日)は、台風の接近でひどい雨だったにもかかわらず、100人近い参加者がありました。清水達夫先生の講演は、御本人は現われず、「テープによる講演」でした。おもしろい出来事でした。二日目(28日)は台風一過、よいお天気になりました。講演する人はみなさんそのつど、杉浦先生の傘寿をお祝する言葉を語っていました。杉浦先生もお元気で、オイラーと素数定理に関する講演をされたうえ、丸々二日間、じっと座って全員の講演に耳を傾けていました。

さて、今日では積分というと面積を連想するのが通例になっているのではないかと思います。アルキメデスは放物線で囲まれた領域の面積を算出した等々、複雑な図形で囲まれた図形の面積を求める方法は古くからさまざまに探究されていたようで、それらの断片的な個別の工夫の到達点に積分法が成立したと考えられているという印象があります。他方、曲線に接線を引く接線法にも工夫があり、フェルマがサイクロイドに接線を引く方法を発見したと言う話も広く知られているところです。
 このような接線法の工夫の歴史の延長線上に成立したのがライプニッツの微分法で、曲線が方程式で記述されているという大前提のもとで、およそ接線が存在する限り、簡明で普遍的な接線法、いわば「万能の接線法」をライプニッツは教えてくれました。この万能の接線法の極意は「無限小の世界への移行」にあり、どんなに曲率の大きな曲線上の点Pであっても、その点Pが所属する無限小の世界に身を移すならば、その世界では曲線はPを通る直線になっています。直線でしたら簡単に方程式が見つかりますから、それを無限に延長して有限の世界にもどってくれば、おのずと接線が見つかります。
 ひとたび無限小の世界に移り、そののちにまた有限の世界にもどることにより、接線を引くことに成功するという考えですが、ここにはすでに無限解析の基本のアイデアが現れています。ただし、オイラーの『微分計算教程』が接線法の話から始まっているわけではありません。
 無限小の世界はどこにあるのかと問われたなら、所在地を明示することはできませんが、オイラーの心情の世界にははっきりと実在していたのではないかと思います。オイラーは無限小の世界に強い実在感をもっていて、有限と無限小の世界を自由に往還することができたのですし、だからこそ、どんな計算をしても、細かなところでは不注意なミスが目立つとはいうものの、本質的に間違うということはありませんでした。この無限小の世界の発見こそ、無限解析という理論の発見の根柢に横たわる発見だったのではないかとぼくは思います。
 有限な世界から無限小の世界へと移行する道筋を具体的に示してくれるのが微分計算の諸規則で、一番はじめにライプニッツが教えてくれました。そこで、この逆の道、すなわち無限小の世界から有限の世界にもどる方法を教えるのが積分計算で、オイラーの『積分計算』巻1の序論
  「積分計算について前もって述べておくべき一般的な事柄」
に明記されている通りです。微分計算と積分計算は当初から表裏をなすものとして認識されていたのであり、オイラーの『微分計算教程』が接線法からはじまるのではないのと同様、『積分計算教程』もまた面積の話から説き起こされているわけではありません。

津田塾大学

明日27日から二日間、津田塾大学で数学史シンポジウムが行われますので出席してきます。杉浦光夫先生の傘寿記念の研究会で、森毅先生や清水達夫先生など、杉浦先生の古くからのお友だちの講演もあります。おもしろいことがありましたら報告します。

微積分の基本定理

 微分と無限小を語るオイラーの言葉を拾うと、無限解析の名のもとでオイラーが発見したものの実体がありありと見えるような気がします。オイラーは「無限小の世界」を発見し、ライプニッツとヨハン・ベルヌーイともに無限小の世界の実在感を共有する地点に到達したのであろうとぼくは思います。「無限の世界」には「無限小の世界」のほかにもうひとつ、「無限大の世界」がありますが、微分dxの商1/dxは無限大になることを思えば容易に諒解されるように、これらの二つの「無限の世界」の間には橋が架けられていて、実体は同一とみてもさしつかえません。
 今日の解析教程では「無限の世界」は完全に抛擲されていて、無限小や無限大がそのまま取り扱われることはなく、ただ極限の概念を通じて接近を試みるだけにすぎません。見る者の目はつねに有限の世界に配置されていますから、オイラーが直面したように「無限小と無限小の比」「0と0の比」とは何かと自問して悩むこともありません。極限の概念ならオイラーもすでにもっていて、オイラーはこれを「無限小と無限小の比」を理解するための(あるいは、理解してもらうための)方便として援用しました。オイラーの方便を理論全体の基礎と定め、いわゆる厳密化の道を歩んだのが今日の解析学の姿ですが、その出発点に位置するのはコーシーであり、数学史におけるコーシーの意味もそのあたりに認められるように思います。
 今日の解析教程の話をもう少し続けると、全体は大きく微分と積分に二分され、どちらも極限の概念の土台の上に組み立てられています。微分は微分で理論が構成され、積分は積分で微分とは別々の理論構成が進みますが、ある地点にさしかかると「微積分の基本定理」に出会います。それは、大雑把に言うと、「関数を微分して積分するともとの関数にもどる」「関数を積分して微分するともとの関数にもどる」という命題で、これを指して、微分と積分は互いに他の逆の演算であると称する慣わしになっています。このような解析教程の構成法の端緒を開いたのがコーシーで、コーシー以降、実数の理論が組み立てられるなど、解析学は精密化の道をたどりましたが、基本的な枠組みは変るところはありません。
 さて、積分法ならもとよりオイラーにもあり、オイラーの三部作の第三番目の作品は『積分計算』という書名をもっていました。全三巻という浩瀚な著作で、オイラーの全集でいうと、巻1、巻2、巻3はそれぞれ第一シリーズの数学著作集の巻11、巻12、巻13の全体を占めています。この著作を読み始めてまもないころ、非常に強い印象を受けたことがあります。それは、今日の「微積分の基本定理」に相当する命題がどこにも見当たらないという一事でした。

微分の階層

 微分dxに続いて、オイラーはdxの冪の考察へと移ります。dxの実体は0ですから、dxの冪dx^2、dx^3もまた0以外の何物でもありません。一般に、nは正の整数とするとき、dxのn次の冪dx^nはoなのですから、これを有限量と比較すると消失してしまうことになります。
 ここまではこれまでの記述の回想ですが、dx^2をdxと比較するとどうなるかというと、この比較のもとではdx^2はやはり消失します。dxもdx^2も等しく0でありながら、無限小の程度が違うというところに、この考察のポイントがあります。dx±dx^2とdxを「算術的に」比較して差を作ると、両者の差は±dx^2ですから、0になります。また、「幾何的に」比較して比を作ると、
   dx±dx^2 : dx= (dx±dx^2)/dx= 1±dx=1
となります。どちらの比較でもdx±dx^2とdxは等値されますから、「dxと比較するとdx^2は消失する」と言えることがわかります。一般に、nは正の整数とするとき、等式
   dx±dx^(n+1)=dx
が成立します。そこで無限小量の無限小の度合いを階層化して、
 dxは1位の無限小
 dx^2は2位の無限小
 dx^3は3位の無限小
というふうに区別します。
 この考え方を敷衍すると、高位の無限小の相互比較も考えられて、二つの正の整数mとnを取り、mほ方がnよりも小さいとすると、等式
  a dx^m+b dx^n=a dx^m (aとbは定量)
が成立します。
 微分dxの冪の冪指数は正の整数に限定されるわけではなく、たとえば(dx)^(1/2)のように、分数冪を考えることも可能です。こうして、微分の世界には無限の階層が存在することがわかります。

オイラーの無限小の世界

 『微分計算教程』の本文に分け入ると、オイラーの「無限小の世界」がいっそう立ち入って考察されている様子が目に映じます。これまでに繰り返し語り、強調してきたように、オイラーのいう無限小量は「0でありながら0ではないかのように振る舞う量」ではないことはもとより、「どこまでも限りなく0に近づいていく変化量」でもなく、「絶対無」すなわち「0」そのものにほかならないのでした。オイラーはこれを躊躇なく明言しましたが、そうすると変化量xの微分dxは0以外の何物でもありません。すなわち、等式dx=0が成立しますが、それならなぜ、「0」を表示するのにわざわざdxなどという特別の記号を導入するのでしょうか。
 『微分計算教程』の第3章「無限大と無限小」において、オイラーはこの当然の異議に対してこんなふうに応じています。等式dx=0が成立する以上、任意の有限量aに対し、等式a dx=0もまたつねに成立します。ではありますが、「0」と「0」の比
   a dx : dx=a : 1
は有限になるのだ、というふうに。このような事情があるから、a dxとdxが双方ともに等しく0であるからといって、比を考える以上、両者を混同するのは許されないのだとオイラーは言うのです。
 二つの変化量xとyを考えるときも同様で、等式dx=dyには二通りの意味がありえます。まず、微分dxとdyはともに0なのですから、差を作ると0。すなわち、dx-dy=0となりますから、この意味において等式dx=dyが成立します。これはdxとdyの「算術的な比較」です。他方、dxとdyの比は1になるとは限りません。すなわち等式dx : dy=1 : 1は必ずしも成立しないのですから、この意味ではdx=dyとは限りません。これはdxとdyの「幾何的な比較」です。そうして微分計算の力はまさしくこの「比」の中に宿っているのですから、微分計算を擁護する立場を堅持する以上、等しく「0」である量をさまざまな記号で表していかなければなりません。これが、オイラーの弁明の骨子です。
 微分計算もしくは無限解析ではしばしば、「無限小量は有限量にくらべると消失してしまうから、無視してかまわない」という議論が行われますが、この点を指摘して厳密さの欠如と批判する声は当初からありました。オイラーはこれにも弁明を試みています。任意の有限量aと任意の自然数nに対し、n dx=0となりますから、量aと量a±n dxを算術的に比較すると、すなわち差を作ると、
   a±n dx-a=0
となります。他方、幾何的に比較すると、すなわち両者の比を作ると、明らかに
   (a±n dx)/a=1 よって a±n dx=a
となります。これを見ると、無限小量n dxが無視されて、等式a=aが得られていることになりますが、n dxはもともと0なのですから、0を削除しただけのことで、当然の手続きにすぎません。こんなふうにオイラーは論じ、微分計算は完全な幾何学的厳密さを保持していると主張しました。通説に大きく反し、オイラーは数学の厳密性に非常に敏感な数学者なのでした。

極限への移行

 微分計算の本質は微分と微分の比を把握するところにありますが、論理上の矛盾がなく、心情の面でも抵抗を受けずにすむ状勢のもとで「比」を認識するために、オイラーは極限移行の道筋を書き留めました。再びxは変化量とし、xの平方を考えて新しい変化量y=x^2を作ります。xが増分ωを受け入れるという状勢を設定するのは前と同様ですが、今度はωは絶対無ではなく、「いかなる量よりも小さいが、しかも0ではない量(無限小量)」でもなく、つねに有限の値を取る変化量で、しかも「限りなく小さくなる」という性質を備えているものとします。このような変化量もまた「無限小量」の名に値すると思いますし、実際、後年のフランスの数学者コーシーの解析教程ではそのようになっています。xの増分ωに対応するyの増分は2xω+ω^2で、増分と増分の比は2x+ωになります。今度はωは有限値なのですから、「0を0で割る」という事態から派生する心理上の抵抗感はありません。さてそこで、ωはどこまでも限りなく小さくなっていき、極限状態では0になりますから、ω=0と置くことが許されて、究極の比2xが手に入ります。
 当初はωは有限と見て、それから連続的に小さくなっていくという状勢を想定すると、ωが小さくなればなるほど比2x+ωは極限値2xに向かって連続的に接近していきます。そうしてωが完全に消失したとき、比2x+ωはぴったり2xに一致するというのが、オイラーが持ち出したアイデアです。
 極限移行という手続きを通じて「究極の比」を直接とらえようとする試みは、今日の微積分ではごく普通に行われていますが、極限の概念を基礎にして解析教程を組み立てた一番最初の人はコーシーでした。この考えに拠ることにするのであれば、ぼくらが第二番目に数えた関数、すなわち完全に抽象的な一価対応としての関数に対しても、微分係数という名の「比」を考えることができるようになり、微分計算の守備範囲はますます広大になっていきますが、コーシーの数学的意図もそのあたりにあったことと思われます。これを実際に遂行すると微分可能性の問題なども出てきますし、一段と精緻な理論構成が要請されますが、コーシー以来すでに200年。今日の目には親しい情景です。このアイデアの根源にさかのぼると、またしてもオイラーに逢着し、コーシーもまたオイラーに学んだのであろうと推定されることを指摘しておきたいと思います。ただし、オイラーの目がじかに見ていたのは「無限小の世界」そのものなのであり、極限移行のアイデアはあくまでも説明上の方便であったこともまた間違いありません。

もうひとつの無限小量

 微分と無限小を語るオイラーの言葉が続きます。微分計算の諸規則を論じてきた人々にとって、「絶対無」とは別の種類の無限小量が存在し、両者の間には明確な区別があると思われてきたのではないかとオイラーは指摘しています。別の種類の無限小量とは何かというと、「完全に消失することはなく、ある一定の大きさを保持するが、どのような量が指定されても、それよりもつねに必ず小さい量」のことであるというのですが、指定されたいかなる量より小さい量といえば0であるほかはありません。すなわち、完全に消失してしまうのですから、この種の無限小量は実際には存在せず、観念的に想定されるのみにすぎませんが、それでもなおこのような量を考えようとする心情に傾きがちなのはなぜかといえば、「絶対無」という、「0でありながら0ではないかのように振る舞う量」を持ち出すことに対する抵抗感があまりにも大きすぎるからであろうと思います。一番いやなのは絶対無と絶対無の比を作るところで、たとえ計算は進行するにしても、そもそもどのようにしたら0と0の比を考えることができるのでしょうか。これに対し、無限小量の方は、ともあれ0ではないのですから、無限小量相互の比を考えること自体には問題はありません。ただし、無限小量の観念そのものに矛盾が内在しています。
「0でありながら0ではないかのように振る舞う量(絶対無)」には論理上の矛盾はありませんが、比を考えることに難点があります。「いかなる量よりも小さいが、しかも0ではない量(無限小量)」を採用すると、比を考えるのは無理なくできますが、論理上の矛盾はどこまでもつきまといます。オイラーは、この難所を乗り越えることを可能にしてくれそうなもうひとつの道筋を提示しています。それは、有限から無限小への「極限移行」の考えを取り入れるというアイデアです。

微分と無限小(続)

 変化量xの微分dxといえば「絶対無」であり、「絶対無」は大きさをもちませんから、「無限小」でもあります。したがって、実体としては数0と異なるところはないように見えるにもかかわらず、わざわざ「微分」や「無限小」というものを想定して変化量の「無限小の増分」すなわち「消失する増分」を考えるところに、微分計算の出発点がありました。yはxの関数とするとき、関数というものの概念規定それ自身により、xの変化に伴ってyもまた変化しますが、xの変化が無限小であれば、yの変化もまた無限小です。一見して無意味のように思われる観念上の試みですが、xの無限小変分とyの無限小変分の相互の比率を計算すると、有限の値が得られます。そこでオイラーは、微分計算の要諦は無限小変分の相互比そのものの算出にあるのであると主張して、微分計算のシステムを擁護しました。
 「微分」や「無限小」のような概念に基礎を置く微分計算の手法にはたしかに変な感じがあり、この計算法が出現した当初からさまざまな批判が持ち出されましたが、オイラーは「微分と微分の比」に視線を移すことにより、批判をかわそうとしたことになります。
《こんなふうにして、微分計算の諸原理は適切な論拠に支えられて確立された》
《微分計算に対してよく持ち出される異議の数々は、ことごとくみな、おのずと崩壊してしまう》
とオイラーは言っています。論点をずらしたからこのように言えるのですが、「微分」や「無限小」という観念が残存する限り、微分計算に抗する異議は依然として力を保持していることもまた間違いのないところです。関数y=x^2について言うと、xの無限小増分dxに対応するyの無限小増分は2xdx+(dx)^2であり、両者の比は2x+dxでした。そこでdx=0と置くと精密な比2xが得られるというのですが、途中までdxと表記して、まるで0ではないかのように装って計算を進めておきながら、最後の段階になってdx=0と置くところに唐突な感じがただようのはやはり否めません。

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プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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