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純粋と応用は交錯する5 オイラーの無限解析

オイラーは数学的科学に「純粋数学」と「応用数学」の区分けが存在することを自覚して、わずかな言葉を書き留めましたが、それだけでは応用数学というものの実体はどうもよくわかりませんでした。ところが飛田先生に教えられてガウスの『誤差論』を見ているうちに、はたと思い当たるところがありました。それはつまり数学の理論そのものには純粋も応用もないという簡明な一事なのですが、この認識はわれながら意外でもありました。
 それでもうひとつの事例としてオイラーの無限解析を挙げてみたいと思います。ライプニッツとベルヌーイ兄弟の手で形成された無限解析により、曲線の理論は終着点に到達したことは既述の通りですが、それならそれ以降の無限解析はどのような道を歩んだのでしょうか。もう少し具体的に言うと、ライプニッツとベルヌーイ兄弟の次の時代を生きたのはオイラーですが、無限解析の領域においてオイラーの心情はどのような事柄に向けられていたのでしょうか。曲線の理論に決着がついた以上、オイラーの心はもう曲線から離れていたことと思いますが、オイラーの初期の著作や論文を参照すると、力学と変分法にテーマを求めようとしている様子が顕著です。著作でいうと、1736年には『力学』が出ています。全2巻の作品で、エネストレームナンバーはそれぞれ15と16です。1736年のオイラーは29歳でした。それから1744年には『極大もしくは極小の性質を備えた曲線を見つける方法。すなわちもっとも広い意味で諒解された等周問題の解法』という傑作が出ています。エネストレームナンバーは65。オイラーは37歳でした。
 動くものの軌跡は曲線を描きますから、力学は曲線の理論を基礎にして理解できそうです。また、変分法の契機になったのは最速降下曲線を求める問題ですから、これもまた曲線の理論に端を発しています。こうしてみるとオイラーは曲線の理論を踏まえてうえでその先を展望していたことがわかりますが、力学と変分法に向かったのはなぜかというと、ニュートンの力学が念頭にあったからでした。『力学』というタイトルの著作ばかりではなく、変分法もまたオイラーにとっては力学の基本原理の探究であったことは周知の通りですが、これを要するにライプニッツとベルヌーイ兄弟の無限解析の力をもってニュートンの力学を理解しようとしたところに、オイラーの数学的企図があったということになります。この流れの中で無限解析の姿もまた変容していきました。
このあたりのことは通説の通りとして、ここで問題にしたいのはオイラーの無限解析は純粋数学なのか、あるいは応用数学と見るべきなのか、どちらなのだろうということです。オイラーの無限解析の実体をひとことで言うと微分方程式の解法理論にほかなりません。微分方程式ならライプニッツとベルヌーイ兄弟の時代にもありましたが、そのころの微分方程式というのは曲線の理論の中で考えられていましたから、微分方程式というよりも、曲線の接線や法線の状況を指定する方程式というほどの意味合いのものでした。念頭にあるのはつねに曲線で、接線や法線がかくかくしかじかという状勢下にあることが判明しているとして、そのような曲線の全体像を再現することをねらい、その方法を「逆接線法」と呼んでいました。微分方程式論の視点に立てば、逆接線法というのはつまり積分法と同じです。
 曲線に接線を引くのが微分法で、逆接線法が積分法ということになりますが、そんなふうに見ること自体、すでにオイラーの無限解析の世界での出来事です。
 オイラーの無限解析はもう曲線の理論ではありません。オイラーは関数の概念を数学に導入し、曲線を関数のグラフと見る視点を確立し、曲線から関数へと視線を移しました。こうすることによって無限解析の主役は関数になり、接線や法線に関する情報は微分方程式の形で提示され、逆接線法は積分法になりました。この場合、積分法は微分方程式の解法と同じ意味になります。曲線の理論のはじまりのころ、デカルトは方程式で表される図形を指して曲線と呼ぶというアイデアを提案しましたが、オイラーはさらにもう一度、曲線の概念を変えたことになります。
 オイラーの無限解析の実体は微分方程式の解法理論ですから、それ自体には応用数学という印象はありませんし、むしろ純粋数学のように見えるのですが、出所は力学です。力学に寄せる深遠な関心から非常に一般的で抽象的な数学理論が生まれたということになりますが、微分方程式論それ自体は純粋数学でも応用数学でもなく、端的に「数学の理論」というほかはありません。微分方程式論は純粋数学か応用数学かと問うこと自体、あまり意味のないことで、「力学を契機として創造された数学」というくらいに見ておくのが妥当かもしれません。
 代数方程式論で考えてみると、3次方程式や4次方程式の代数的解法を探索したりするのは数学の内部で観察される事象の観察ですが、ここからガウスの円周等分方程式論やアーベルの「不可能の証明」やガロアのガロア理論のような数学が生まれました。ほかにもいろいろな事例が挙げられそうに思います。
 こうしてみると「数学の世界」というのは確かに実在し、そこにはライプニッツとヨハン・ベルヌーイの無限解析やオイラーの無限解析、ガウスの円周等分方程式論、アーベルの「不可能の証明」、ガロアのガロア理論など、多種多様な理論が共存しています。通常のイメージからすると、それらはみな「純粋数学」と呼ぶのが相応しそうに思います。それなら応用数学とは何かといえば、「純粋数学を使って何事かをする」という場面が現われたとき、純粋数学が応用のスタイルに適合して姿を変えていって応用数学と呼んでいるのではないかと、漠然とではありますが、つい最近まで考えていました。保険数学などは典型的な一例で、いかにも応用数学の名に相応しい感じがします。
保険数学は応用数学という呼称がよく似合うとしても、オイラーの無限解析を応用数学と呼ぶのはなんだか変で、似合いません。オイラーの無限解析の出自は力学ですが、既成の微分方程式論を力学に応用したのではなく、力学を曲線の理論の視点に立って理解しようとする企図の中から発生しました。曲線の理論を応用したというのでもなく、むしろ「枠組みをあてはめた」というほうがよさそうです。すると、力学の側から要請される事柄もあることですし、従来の曲線の理論の側でも変容を迫られて、オイラーの無限解析、すなわち微分方程式論が生まれました。
 オイラーは「オイラーの無限解析」を応用数学と見ていたのではないかと、このごろ思うようになりましたが、それは理論形成の契機が数学以外のところにあったためであり、「オイラーの無限解析」それ自体は整数論などと同等の数学的科学の一領域であり続けています。それゆえ純粋と応用は交錯すると、現在の時点では考えています。
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純粋と応用は交錯する4 曲線の理論から無限解析へ

純粋数学と応用数学の関連について語るといいながら、このところなぜか曲線と無限解析の話ばかりになっていますが、これはつまり無限解析に例をとって純粋数学というものの姿を語ってみたいと思ったためで、一段落したら応用数学の話に転じる考えです。
曲線に寄せて異様に熱意のある関心が示された時代は確かに存在し、いろいろな曲線に接線や法線を引いたり、曲がり具合を調べたり、曲線の囲む領域の面積を求めたりと、さまざまに工夫が凝らされたものでした。個々の曲線について詳しく語ると果てしがありませんが、ライプニッツが提案し、ベルヌーイ兄弟との往復書簡を通じて完成された無限解析の出現に伴って、この時代に区切りがつきました。1696年にはマルキ・ド・ロピタルの著作『曲線の理解のための無限小解析』が刊行されましたが、これは数学史の流れに登場した一番はじめの微積分のテキストです(もっともこの本のテーマは微分計算のみです。積分計算は続巻で取り上げられる予定だったのですが、刊行にいたりませんでした)。ロピタルの著作のタイトルには、無限解析は「曲線を理解するための理論」であることがはっきりと記されています。
 無限解析の力はきわめて強く、接線についていえば、どのような曲線が提示されたとしても、任意の点において自在に接線を引くことができるようになりました。もっとも「接線が存在する場合には」という前提のもとでのことではありますが、もはや個別の工夫は不要になり、「万能の接線法」が手に入ったことになります。デカルトの『方法序説』が刊行されたのは1637年。ライプニッツの微分計算と積分計算の2編の論文が公表されたのは、それぞれ1684年と1686年です。この間に50年ほどの歳月が流れ、無限解析の誕生により曲線の理論は完成したことになります。が、この情景はガウスの誤差論に酷似しています。
 ガウスは天体観測の誤差の修正を工夫する中で新しい数学理論を創造しましたが、17世紀の数学者たちは曲線について知りたいという数学的熱情に心を奪われて、その想念から無限解析という名の理論体系が生成されました。何事かに心を奪われるという状況が先にあり、その何事かを追い求める情熱から数学が生まれるという状況はまったく同じです。何かしら完成した数学理論がはじめに存在していて、それを適用する領域を見つけて新たな知見を得るというのではなく、知りたいという熱情と数学の創造が不可分に連携しています。熱情のおもむくところに数学が生まれています。それで、ここにおいてあらためて思うのですが、人々の熱情が向かう対象が天体のような天然自然の現象の場合に生まれる数学がつまり応用数学であり、曲線のような数学的自然内の対象に向かうときに生まれるのが、純粋数学ということなのではないでしょうか。
 理論そのものには応用も純粋もなく、ただ「数学そのもの」というほかはありません。ガウスの『誤差論』を眺めながら、無限解析の形成史を回想し、こんなことを思いました。

純粋と応用は交錯する3 デカルトの葉

曲線に寄せる関心は非常に古く、古代のギリシアの数学にも、ニコメデスのコンコイド、ディオクレスのシソイド、アルキメデスの螺旋、それにアポロニウスの円錐曲線等々、さまざまな曲線が登場していました。この傾向はヨーロッパ近代の数学にも受け継がれ、提案される曲線は増えるばかりでした。デカルトが提案したアイデアによれば、それらの曲線はたいていはみなf(x,y)=0という形の方程式で表されます。
「すべての曲線」と言わずに「たいていはみな」と言ったのはなぜかというと、「方程式f(x,y)=0」というときのf(x,y)とは何かというところに大きな問題がひそんでいるからです。それは後年のオイラーによる関数概念の提案につながる問題ですが、デカルトが「曲線を方程式で表す」というアイデアを提示した段階ではf(x,y)はxとyの多項式でした。多項式なら加減乗除の四則演算だけで構成されますから、多項式に限定するという方針を明示する限り問題は発生しません。ただし、思索の対象は「代数的な曲線」に限定されます。「代数的な曲線」という観念がはじめにあって、それらを多項式を用いてf(x,y)=0と表示したのではなく、多項式を用いて表示される曲線を指して「代数的な曲線」と呼んだことになります。
サイクロイドのように、代数的ではないけれども深い関心の的になった曲線もありますが、それらは一括して「超越的な曲線」と呼ばれ、「代数的な曲線」と区別されました。
 既知の代数曲線は代数方程式で表示され、さまざまな仕方で描かれる曲線も、それが代数的で赤桐、代数方程式で表示されますが、デカルトのアイデアの真に恐るべき点は、「方程式から出発した」ことでした。一番はじめに代数方程式f(x,y)=0を書き下し、それにより表示される曲線を考えていくという順序ですが、これによって「すべての代数的な曲線の作る世界」が生成されました。『方法序説』が刊行された年の翌1638年には、デカルトはメルセンヌに宛てた書簡の中でx^3+y^3=axy(aは定数)という方程式を書き、それが表す曲線の概形を描きました。後年、「デカルトの葉」と呼ばれることになる代数的な曲線です。デカルトは方程式から出発する姿勢をみずから率先して示したかったのでしょう。

純粋と応用は交錯する2 ガウスの『誤差論』

ガウスの『誤差論』は飛田武幸先生が翻訳した論文集で、昭和56年(1981年)5月に紀伊国屋書店から刊行されました。全部で8篇の論文が収録されていますが、根幹を作るテーマは天体観測における誤差の修正に関する事柄で、誤差を最小にする方法として最小2乗法が提案されたり、天体の軌道決定のために確率論的考察が展開されたりしています。天体の軌道決定と確率論がどうして関係があるのかというと、軌道決定というのはつまり将来の位置の予測ということですし、「予測する技術」こそ、確率論の本来の面目であるからです。「予測する技術」というのはヤコブ・ベルヌーイの著作の書名でもあります。
 純粋数学というと「数学のための数学」というか、人の世に生起するあれこれのこととはまったく無関係に、どこかしら架空の世界に存在する理論体系のようなイメージがあります。あまり大雑把に考えてもつまりませんので、数学の世界で実際に体験した諸事実から拾ってみると、ガウスの整数論などは純粋数学という感じがします。数論に例を求めるのであれば、フェルマの数論も純粋数学の範疇に入りそうです。ライプニッツとヨハン・ベルヌーイ負数や虚数の対数の姿を追い求め、その思索を継承したオイラーは対数の無限多価性を明らかにしましたが、このような究明も純粋数学というほかはありません。これに対し、応用数学というときの「応用」の一語には、純粋数学の諸理論の応用という感じがあります。実際のところ、応用数学のイメージはだいたいにおいてそんなところなのであろうと思います。
 では、ガウスの『誤差論』はどうでしょうか。天体観測の誤差を修正するための工夫ですから、ちょっと考えると応用数学の典型例のような気がするのですが、実際に手にとってあちこちを眺めると、応用数学の通俗的なイメージとは大きく乖離しています。この方面のことは理解が行き届きませんので、漠然とした印象しか口にできないのですが、何というか、「誤差の修正というテーマの中で新しい数学が創造されている」というのが、この書物から受ける率直で素朴な印象です。こんな印象を受けることになるとはまったく想定していませんでした。
 ガウスの『誤差論』から受けた不思議な印象をこの書物に即して語ることはできませんが、どこか別のところで見たことがあるような感じもしました。それで反省してみたのですが、たとえば草創期の無限解析の中に具体的な事例が観察されるように思います。イギリスのニュートンのことはひとまず措くことにしますが、ヨーロッパ大陸の無限解析はライプニッツの2篇の論文に始まります。ひとつは1684年の微分計算の論文、もうひとつは2年後の1686年の積分計算の論文です。この2篇の論文がドイツのライプチヒで発行されていた学術誌「アクタ・エルディートルム(数学年報)」に掲載された当時、ベルヌーイ兄弟はスイスのバーゼルにいたのですが、ライプニッツの論文を見て大いに心を惹かれたようで、解読作業を始めました。ところがライプニッツの論文は謎めいた文言に満たされていて、なかなか理解できなかったため、ライプニッツに手紙を書きました。ライプニッツもこれに応じ、往復書簡が交わされて10年ほど続きました。無限解析はこの長期にわたる数学書簡を通じて、わずかに3人の担い手により形成されました。
無限解析の成立に先立って「人々が曲線に関心を寄せた時代」がありました。デカルトの『方法序説』が刊行されたのは1637年。序説で表明された方法の適用例として屈折光学、幾何学、気象学が叙述されましたが、ここで注目に値するのはデカルトの幾何学です。この巻は三部構成になっているのですが、第2部には「曲線の性質について」という表題が附され、ここで今日の解析幾何のアイデアが表明されました。後年の解析幾何学の嚆矢ですが、曲線に寄せる関心ということならデカルト以前にも見られ、長い歴史が経過しています。デカルトはそこに「曲線を方程式で表す」というアイデアを持ち込みました。

純粋と応用は交錯する1 オイラーの言葉より

父の法要が終わりましたので「西田幾多郎と高木貞治」を再開する考えだったのですが、ここにきて急遽、応用数学について何事かを書かなければならないことになりました。そういう一文を書くようにとの要請があったためですが、数学の応用とか応用数学ということを考えたことがありませんので、これには少々困惑しました。短期連載のつもりの「西田幾多郎と高木貞治」もまだ序論めいたものを書いたばかりですし、ひと休みするのは残念なのですが、やむをえないことでもあります。
 それで、どうも仕方がないと思いながらあらためて応用数学ということを考えてみたのですが、数学史を回想すると、数学を純粋と応用に分けようとする意識は早くからあったようで、19世紀のはじめにクレルレがベルリンで創刊した数学誌の誌名は「純粋数学と応用数学のためのジャーナル」というのでした。もう少しさかのぼると、純粋数学と応用数学を対比させて語られたオイラーの言葉が念頭に浮かびます。それはオイラーの論文「負数と虚数の対数に関するライプニッツとベルヌーイの論争」(1749/51年)の書き出しのあたりに出ているのですが、オイラーはこう言っています。

<数学者たちの考えは応用数学に関連する諸問題については大いに異なることがありうる。応用数学の場では、いろいろなテーマを考察し、それらのテーマを精密な諸概念へと帰着させていく際に採用される道筋の多彩さのため、現実的な論争が引き起こされることがある。>

<ところが数学の純粋な諸分野はそんな論争の的から完全に免れていて、そこには真実と虚偽のいずれかを証明することのできない事柄は何もないことを、常々誇りにしていたのである。>

オイラーの論文に先立って、負数と虚数の対数の正体をめぐってライプニッツとヨハン・ベルヌーイが論争めいたやりとりを交わしていた一時期があり、オイラーはその論争の成り行きを踏まえたうえで上記のように発言しました。負数と虚数の対数とは何かと問う問いは純粋数学のテーマですが、ライプニッツとヨハン・ベルヌーイの論争は全体に曖昧模糊として、どちらが正しいとも、どちらが間違っているとも言えないままに推移して、いつしか立ち消えになりました。そこでオイラーは、純粋数学では真実と虚偽を識別しえないようなことはありえないのであり、そのことを「常々誇りにしていたのである」というのです。これに対し、応用数学ではそうではなく、現実的な論争が起るのが通常の姿なのだとのこと。数学における純粋と応用の区別をここまで明晰判明に語った言葉を見たのはこれがはじめてで、しかもほかに見たことはありません。
 それでオイラーは何をもって応用数学と見ているのかということが気に掛かりますが、ここから先は自分で考えてみたいと思います。純粋数学という数学は存在するということを前提にすると、純粋数学を使って何事かがなされたなら、そこに応用数学の場が開かれたような印象を受けるのではないかと思います。普通、応用数学と言われている数学はたいていはそういう感じのものですが、それらとは別に、純粋とも応用ともいえない独自の数学的科学も存在するのではないかと、つい最近思い始めました。きっかけになったのはガウスの『誤差論』です。

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プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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オイラーを研究して40年。所員募集中。
オイラー生誕300年を期して熱くオイラーを語り合いましょう。
西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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