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近代数学史の成立117 近代数学史の成立とは(2) 

現在進行中の連載「近代数学史の成立」は数学と数学史について考えるという主旨で書き始めましたが、はじまりのあたりを読み返してみると、なぜかいきなり「ヒルベルトの第12問題」が登場しています。そおれから微積分や複素解析の話が続き、だんだんと元にもどってきて、最後はヤコビ関数の等分理論の話になりました。ここまでくればヒルベルトの第12問題が展望できそうですから、ふと気がつくと出発点にもどっていたような感慨があります。
 ヒルベルトの第12問題を語るのでしたら類体論の形成史が不可欠ですし、類体論を語るためにはガウスから説き起こしていかなければならないところです。それと、数論はガウスの前にもありました。それはフェルマが語り始め、オイラーとラグランジュの手で形成され、ルジャンドルが集大成を試みた数論で、ガウスの数論と似ているところもあることはありますが、ガウスとは別の数論です。それから、ヒルベルトの第12問題との関連でいうとやはり多変数関数論の一般理論の構築が大きな課題になりますので、岡潔先生の多変数関数論について長々とお話したい誘惑に駆られます。
 ここまでのところを振り返ると、数学の中味については以上の通りですが、全体の基調になっているのは「ひとくちに数学といっても、おもしろい数学とおもしろくない数学があるのはなぜだろうか」という素朴な疑問でした。数学を語りながら絶えず念頭にあったのはこの問題で、根本的に再考してみると、数学の厳密化もしくは抽象化ということと関係があります。
 タイトルを「数学」のはじまりではなく、「数学史」のはじまりとしたのはなぜかというと、歴史は人とともにはじまるということを強調したいと思ったからです。「数学のはじまり」というと数学と人が乖離しているような感じがしますが、「数学史のはじまり」というと、だれが何をめざして、そのためにどのようなアイデアを提案したのかという、数学の形成過程がよくわかるような気がします。数学と数学者が不可分の数学史を語りたいというのが、終始一貫した念願でした。
 これから先の叙述を考えると遼遠という感じです。アーベルの定理とヤコビの逆問題の関係がわかり、アーベルの定理を見るヤコビとワイルの視点の相違もはっきりと見分けることができるようになったことですし、ひとまずこのあたりで一段落ということにしたいと思います。
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近代数学史の成立116  近代数学史の成立とは(1)

アーベルによる楕円関数の等分理論はガウスの示唆によるもので、ガウスは円周の等分とほとんど同じ時期にレムニスケートの等分も考察していました。いろいろな事実を明らかにしていたのですが、ついに何も発表しませんでした。それでも『アリトメチカ研究』の最終章の円周等分論の書き出しのあたりに、なぜか突然レムニスケート積分を書き留めておいたりしましたので、アーベルは明敏にもガウスの心情に抱懐されていた数学的意図を洞察し、独自の仕方で等分理論を構築したのでした。
 それで、楕円関数論とアーベル関数論の歴史叙述にはなおもうひとつ、ガウスに始まる等分理論の形成過程の叙述という、大きなテーマが残されています。
楕円関数論とアーベル関数論には、オイラーの加法定理とガウスの等分理論という二つの泉が存在し、どちらもアーベルの手でめざましく進展しました。楕円関数論の領域ではアーベルの段階ですでに両者は融合していましたが、アーベル関数論の領域ではまだ両者は別々でした。それが、ヤコビの手に移ってヤコビ関数が発見されて、これで諸事情はすっかり明らかになりました。明らかになってヤコビ関数の等分理論へと向かう道が見えてきたのですが、継承する人がなく、ここで頓挫しています。わずかにフランスの数学者エルミートがヤコビの論文に関心を寄せ、ヤコビに手紙を書きました。ヤコビも返信し、わずかではありますがヤコビ関数の等分理論をめぐる往復数学書簡が出現しました。
近代数学史の成立を語るという立場からすると、これからどのような方向に進んでいくのがよいのでしょうか。ヴァイエルシュトラスとリーマンによるヤコビの逆問題の解決の経緯を語るのがひとつ。岡潔先生の多変数関数論の形成史を語るのがひとつ。それから、ヤコビ関数の等分理論とヒルベルトの第12問題との関連を語るのがひとつ。ヤコビ関数にはヒルベルトの第12問題の解決の鍵が秘められていると思います。どのひとつも大掛かりなテーマです。
数学の理論は何となくできるということはなく、どの理論にも「一番はじめの人」が存在します。そのひとつひとつを指摘していけばおのずと近代数学史が成立するのではないかというのが、当初からの想定だったのですが、これまでの経緯を回想すると、実際にその通りになっていると思います。数学はやはり人がクリエイトする(創造する)学問です。数学がおもしろおかったりおもしろくなかったりする分かれ目もここにあります。数学をクリエイトした一番はじめの人の数学的心情に共鳴できたなら、そのときはじめて「数学はおもしろい」という簡明に襲われるのではないかと思います。
一番はじめの人ならだれにでも共鳴するかというと、必ずしもそうではないのも興味が深いところです。ぼくの場合でしたら、岡潔先生をはじめ、ガウス、アーベル、ヤコビ、リーマン、ヴァイエルシュトラス、ディリクレ、クロネッカー、クンマー、ヒルベルト等々、みな感銘を受けました。ガウスの前でしたらオイラーにも感動がありました。ヒルベルトの後でしたら高木貞治先生の作品にも共感を覚えました。これに対し、きわめて重要な数学者でありながらまったく心が動かなかった人物の代表例はコーシーです。デデキントは、実数論究明のアイデアを率直に表明しているところには共感しましたが、実数論そのものは退屈でした。デデキントはどうしてこのようなことをしなければならないと思い詰めたのだろうと、かえって不審でした。ワイルの作品は題名を見ただけですでに心を惹かれましたが、実際に読み始めると、なぜかすぐに行き詰まり、読み通すことができませんでした。『リーマン面のイデー』はリーマン面の概念を取り出すところには感動がありましたが、感心したのはそこだけで、あとは退屈でした。
このような例はほかにもいろいろ思い当たります。ライプニッツの作品は数学関係の著作の翻訳集が出ていますし、目に触れやすいのですが、微分計算と積分計算をはじめて公にした一番はじめの論文を見ても、何の感慨もわきませんでした。ただし、これはどうしても理解しなければならないと、切迫した気持ちに誘われます。ヤコブ・ベルヌーイは1684年のライプニッツの微分計算の論文を見て、エニグマ(巨大な謎)と呼んだというエピソードが残されていますが、もっともな感じは確かにあります。ヤコブは弟のヨハンと協力してライプニッツの微積分を理解しようとつとめ、ライプニッツと手紙のやりとりを続ける中でこれに成功しました。ヨハンはバーゼル大学で講義を行ない、その記録が全集に収録されています。ライプニッツの論文とは裏腹に、ヨハンの講義録はおもしろいのはなぜなのでしょうか。
アーベルは人生も数学もどちらにも深い感銘を受けました。全集を読破したのはアーベルと岡先生だけで、断簡零墨みなおもしろいものばかりです。これに対し、ガロアもだいぶ読んだのですが、感銘というには遠いものがありました。
おもしろかったり、おもしろくなかったり、等しく数学といいながら、どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。見る人が変われば感興もかわり、ガロアはおもしろいがアーベルはつまらないという人もいると思います。カントールの無限集合論は別に何とも思わなかったのですが、数学の神髄はここにあるという人もいます。このような状況は文芸や芸術に向かい合う場合と同じです。

近代数学史の成立115 等分理論

ヤコビ関数の発見に端を発して多変数関数論の萌芽が出現し、ヴァイエルシュトラスの間違った言明がきっかけになって一般理論への道が開かれていきましたが、さてそれからどのようになったのかという経緯を語ろうとすると、ハルトークス、E.E.レヴィ、クザン、ポアンカレなどを経て岡潔先生の歩んだ道のりをたどることになります。これはこれでひとつの大きな物語ですので、いずれ実行に移したいと考えています。というよりもむしろ、当初からこの道筋の意味するところを知りたいという願いがあり、それで数学者研究へと進んでいったのでした。ワイルに始まる複素多様体論は盛んに研究されていましたし、岡先生の理論との融合に向かう動きも顕著だったのですが、その道は将来に展望がないというか、全然べつのものを無理につなぎ合わせようとしているような感じがして、違和感がありました。その違和感はどこから来たのか、今ではだいぶよくわかるようになりました。
 それで、多変数関数論の形成史はまた別のことにして、これまでほとんど触れてこなかったもうひとつの話をしたいと思います。それはガウスの楕円関数論です。もう少し具体的にいうと、ガウスの影響受けて、あるいはガウスの心情にあるものを忖度してアーベルが汲み取った理論、すなわち楕円関数の等分理論です。
 アーベルの「パリの論文」がオイラーの影響のもとに成立したことは既述の通りですが、この論文のテーマは完全に一般的なアーベル積分の加法定理でした。アーベルはいきなりそのような論文を書き、その次に楕円関数論の論文「楕円関数研究」を書きました。アーベル積分の次が楕円関数論というのでは順序が逆のようでもありますが、テーマが異なりますので、積分の形の一般性の度合いは問題になりません。
 アーベルの楕円関数論のテーマは等分理論で、ガウスの円周等分論の影響を大きく受けています。アーベルの楕円関数論とアーベル積分論の背後にはオイラーとガウスが控えていて、アーベルはこの二人から最大の贈り物を受けています。
  アーベルの楕円関数論の中核に位置を占める等分理論というのはどのようなものなのかを語ろうとすると、これもまたたいへんな物語で、優に一冊の書物に相当します。詳しく語るには仕切り直しをしなければなりませんが、それはひとまず措くことにして、ヤコビ関数論の先にあるものについてもう少し語っておきたいと思います。それはヤコビ関数の等分理論です。
 ヤコビが数学にヤコビ関数を導入したのはなぜかというと、微分方程式論との関係を重くみたからですが、アーベルが楕円積分の逆関数に着目したのは等分理論の対象を探索したからで、実際、アーベルの論文「楕円関数研究」は等分理論に覆われています。虚数乗法論もまたここから生まれました。
 そうするとヤコビ関数の場合はどうでしょうか。ヤコビ関数は周期性をもちますし、加法定理も満たします。加法定理をみたせば倍角の公式も成立し、したがって等分方程式を書き下すことができます。それは代数方程式ですが、では、その方程式は代数的に解けるのでしょうか。アーベル方程式になることもあるのでしょうか。代数的に解けないとしてら、その理由は何なのでしょうか。次数はどのくらいになるのでしょうか。楕円関数の虚数乗法論に相当する理論は存在するのでしょうか。そもそもヤコビ関数の等分理論は何を教えてくれるのでしょうか。こんなふうに考えると、あれこれの展望が広がって、新しい世界が開かれていくような思いがしますが、なんだかめまいがするようでもあります。
実は、ヤコビの論文「2変数4重周期関数」の最後の第11章はヤコビ関数の等分理論にあてられていて、ごくわずかなことが語られています。ここにもまたヤコビに及ぼされたアーベルの影響が見られます。

近代数学史の成立114 ハルトークスの逆問題

1906年に公表されたハルトークスの論文のテーマは「ハルトークスの連続性定理」でした。多変数解析関数の特異点は孤立しないという事実を明らかにした定理ですが、重要なのは「孤立しない」という状勢の表現様式で、特異点ではない点、すなわち正則点の集合体を正則領域といいますが、その正則領域に連続性定理をあてはめると、擬凸状と言われる幾何学特徴が明るみに出されます。「多変数の解析関数の存在領域の形状は任意ではなく、擬凸状である」というのが、ハルトークスの連続性定理から導かれる帰結です。
 1変数の解析関数の存在領域はリーマン面ですが、リーマンが確立した解析関数の存在定理により、どのようなリーマン面も存在領域でありえますから、リーマン面上で関数論を考えるというリーマンの立脚点に立つとき、存在領域の形状を問題にする理由はありません。これに対し、多変数関数論の場合には、リーマン面に相当する幾何学的な場所を設定しようとしても、その様式は任意ではありえません。これを言い換えると、高次元のリーマン面において解析関数の存在定理を確立しようと試みても無条件では無理で、一定の条件を課さなければならないということになります。
 高次元のリーマン面といっても、次元が高いので「面」と呼ぶのは不適切ですので、「リーマンの領域」という呼称を採用したいと思いますが、存在領域でありうるリーマン領域は擬凸状です。そこで、この擬凸性という幾何的形状には存在領域であることを保証する力が備わっているだろうかと問うのが、「ハルトークスの逆問題」です。リーマン面の場合には、リーマンはディリクレの原理にイプシロン・デルタ論法基づいてこれを証明しましたし(リーマンの証明には少々不十分なところがありましたが、後年、ヒルベルトが補正に成功しました)、ほかにも何通りかの証明法が考案されていますが、高次元のリーマン領域になるとどの手法も適用できません。これを解決して、多変数の解析関数の存在領域の形状を「擬凸状であること」と明らかにしたのが岡潔先生です。
関数論を存在領域において展開するというのがリーマンのアイデアで、リーマンはその存在領域をリーマン面という形で提示したのですが、ワイルも岡先生もリーマンのアイデアの継承者というところは同じです。ワイルはリーマン面を「海の真珠」にたとえ、その姿形を複素多様体として描写しました。リーマン面は1次元の複素多様体ですが、定義の表現様式は次元と無関係になっていましたから、即座に高次元の複素多様体の概念が定まりました。これが、複素多様体論のはじまりです。
岡先生はどうしたかというと、ワイルの複素多様体のような抽象的な方向には進まず、リーマンが表現したままの素朴な表現に留まりました。リーマン自身が語るリーマン面というのは、複素平面の上に多様に折り重なって広がる面で、一般的に考えると分岐点をもっています。この表現をそのまま高次元に移すと「リーマンの領域」の概念が描かれますが、岡先生は順々に考察の範囲を広げていって、まず2次元の単葉な領域を取り上げて成功し、次に次元を任意にして、これも成功しました。次に多葉な領域の考察に移り、分岐点をもたない場合には成功しました。さてその次は「分岐点をもつリーマンの領域」を考える番ですが、岡先生はその場合にもやはりハルトークスの逆問題は解けると確信していた模様です。晩年の思索はひたすらこの目的に向けられて、何年にもわたって日付入りの研究記録を書き続けましたが、これは難攻不落の大難問で、とうとう解けませんでした。何千枚もの研究記録が遺されています。
分岐点をもつリーマン領域ではハルトークスの逆問題は解けないのではないかと思われますが、では擬凸性に代わってどのような条件を課したらよいのかということになると、だれにもわかりません。この究明の方向はここで行き詰まり、放置されて今日にいたっています。
複素多様体の研究は盛んに行われていますが、もともとの由来が解析関数の存在領域でしたので、高次元の場合には一般に「特異点つきの多様体」が考えられるようになりました。ワイルも岡先生もリーマンのアイデアを継承していながら、道は大きく分かれました。融合しようとする試みも見られますが、なかなかうまくいかず、中途半端な状態が続いているというのが現状と思います。
 同じものを見ても、見る人が異なれば、目に映じる光景は異なります。それでやはり数学は人が創造する学問であるという思いを新たにする次第です。

近代数学史のはじまり113 複素多様体論と多変数関数論

ヤコビの3篇の論文を概観して、アーベルとヤコビのアーベル関数論というものの姿がだいぶ明確に諒解されるようになりました。どれほど強調してもしすぎることがないのは、「ヤコビの逆問題はアーベルの定理から生まれた」という一事です。ヤコビの論文をよく読めば明白なことなのですが、どうも気づきにくかったのはなぜかというと、ワイルの『リーマン面のイデー』にミスリードされたからであろうと思います。同じものを見ていても、見る人が変わると光景も一変するということです。
 もう一度、時系列を追ってみると、まずオイラーがいて、楕円積分の加法定理が発見されました。次にアーベルの「パリの論文」が現れて、アーベル積分の加法定理が発見されました。これを「アーベルの定理」と呼ぶことにしているのですが、ヤコビがそれを見て「ヤコビの逆問題」を提示しました。さてそれからヤコビの逆問題を解くことが大きな課題となり、ヴァイエルシュトラスとリーマンがこれに成功しました。おおよそこのような推移したのですが、ヤコビの逆問題は解決されたのですから、一連の物語はこれでひとまず完結したことになります。
 この完結した世界を全体として観察すると、そこから二つの大きな理論の萌芽が目に留まります。といっても、だれの目にも自然に見えるというわけではなく、新たな芽生えを見ること自体が数学的創造と言わなければならないところであり、ここに芽が出ていると洞察して指摘するのはつねに特定の個人です。
萌芽のひとつは複素多様体論で、これはワイルが採り出しました。その間の消息は既述の通りですが、ここでもまた何度でも繰り返して強調しておきたいのは、ワイルの目にはアーベルと定理とヤコビの逆問題の間の親密な関係は大きな問題とは映じなかったという事実です。ワイルは独自の視点を提示した一番はじめの人ですから、創意のおもむくままに見えるものを自由に見ればよいのですが、ワイルの視点に執着するとヤコビの見た光景が消えてしまいます。それがつまり、ワイルにミスリードされたということです。
もうひとつの萌芽は多変数解析関数の一般理論ですが、この萌芽が明確な形を取るまでには、やや込み入った諸事情が介在しました。もともとヤコビ自身が2変数の4重周期関数の一般理論の構築をめざしたのですから、多変数関数論の萌芽を一番はじめに見たのはヤコビその人と言って間違いないのですが、一般理論の意味をもう少し広く取り、一変数と多変数の解析関数の概念を根底に据えて理論の構築をめざすという方針に出ると、そこに独自の困難が出現します。それは解析接続という現象に起因してひき起こされる困難です。
ヤコビはアーベルの定理を見て、そこからヤコビ関数という2変数関数を取り出したのですが、解析接続の現象には遭遇しませんでした。ヴァイエルシュトラスとリーマンはこれに気づきましたが、リーマンは多変数関数論には踏み込んでいきませんでした。解析関数には固有の存在領域があるというのがリーマンの考えで、その領域をリーマン面という形で当初から設定しようとする立場を打ち出したのですが、実際には複素1次元のリーマン面に留まりました。まさしくそこにワイルの出番があり、リーマンのリーマン面を複素多様体として描写して、高次元の複素多様体論への道を開きました。
これに対しヴァイエルシュトラスのほうはリーマンのように幾何学的には考えず、あくまでも関数論の世界にとどまり、一価の2変数4重周期関数、すなわちアーベル関数の基礎理論を構想しました。解析関数を解析接続していって、存在しうる場所を目一杯広げると、その関数の存在領域が生成されます。それで、その形状は如何という問題に真っ先に直面するのですが、1変数関数の場合には何の限定も課されません。すなわち、完全に任意です。多変数の場合にも同様とヴァイエルシュトラスは思ったようで、アーベル関数を論じた論文の中に、はっきりとそのように述べた箇所があります。
ヴァイエルシュトラスはまちがっていて、多変数解析関数の存在領域には擬凸状という限定条件が課されます。この事実が明らかになったのはハルトークスの論文が出てからで、1906年のことでした。

近代数学史の成立112 ヤコビの逆問題と多変数関数論のはじまり

ヤコビの論文「アーベル関数ノート」の表題に「アーベル関数」という言葉が出ているのは前述のとおりですが、不思議なことにこの言葉は本文には見られません。もっともわずか2頁の論文で、内容を翻案すると「2変数ヤコビ関数は一個しか変数をもたない関数を用いて代数的に表示される」という命題が示されています。アーベルの定理の応用です。
この命題はともかくとして、一段と際立っているのは末尾に附せられた長文の註記です。そこには1845年10月という日付が記入されています。

〈クレルレの数学誌」第27巻、185頁に掲載された論文において、アイゼンシュタイン氏は関数λ(u,v)、λ_1(u,v)の性質について、二つのアーギュメントuとvに関する周期の共存の基本原理を適切に把握しなかったために、考え違いをした。論文「二つの変化量をもつ4重周期関数について」(「クレルレの数学誌」、第13巻、55頁)は,この解析学の新分野において正しい諸原理を確立した。
 関数x=sin am(u)は1次方程式A+Bx=0によりuに関して与えられる。ここで、AとBは、アーギュメントuの実または虚の各々の有限値に対してただひとつの有限値を取るuの関数である。同様にして、上に確立された二つの方程式
      Π(x)+Π(y)=u,  Π_1 (x)+Π_1 (y)=v
が与えられたとき、量xとyは2次方程式
       A+Bt+Ct^2=0
の二根であることが見いだされる。ここで、A、B、Cは二つのアーギュメントuとvの実または虚のあらゆる有限値に対してただひとつの有限値を取る、uとvの関数である。まさにそこのところが、関数xとyの真実の性質なのである。関数sinam(u)の特徴は商-B/Aであることである。そこでアイゼンシュタイン氏は、類推により、アーベル積分(注記:ここでは「積分」という言葉が用いられています)の理論では「商の商」を考察しなければならないと言っている(190頁)。だが、「商の商」とは何なのであろうか。それはまったく単純にも「商」なのである。
 同論文において、アイゼンシュタイン氏は、楕円関数の理論において遭遇するある種の二重無限積を考察したが、それらの無限積は諸因子を並べる順序に応じて相異なる値を取る級数の仲間であることを認識しなかった。これらの誤りはもう一篇の論文(同巻、285頁)でも再現されたが、それらは、アイゼンシュタイン氏がそこで関数Θ(x)に関する間違った諸式を確立してしまった原因になった。正しい諸式はずっと前に第4巻、382頁の論文で与えられた。〉

この注記で語られていることについては、これまでもあちこちで書いたり話してきたりしましたので、ここで繰り返さなくてもよいのではないかと思いますが、これを要するに
〈二つのヤコビ関数は一価関数を係数にもつ同一の2次方程式の根として認識される。〉
ということで、この主張を確定することが「ヤコビの逆問題」の原型です。ヤコビは前の論文「2変数4重周期関数」において、特別な形の超楕円積分に対してこの事実を確認しました。
ヤコビ関数が4重周期をもつこともすでに解明されていますから、上記の2次方程式の係数もまた4重周期関数になります。2変数の一価関数で、しかも4重周期をもつのですから、今日の用語では「アーベル関数」と呼ばれることになります。
 ヤコビが発見したヤコビ関数が満たす2次方程式の係数は今日のアーベル関数ですが、ヤコビ関数それ自体は2価関数で、しかも、これはヤコビの次の世代のヴァイエルシュトラスやリーマンの段階で確立されることになる概念ですが、解析的な関数です。
 ヤコビの逆問題を解決することができればヤコビ関数の、今日の多変数関数論が始まりました。

近代数学史の成立111 はじめてのアーベル関数

アーベルの没年は1829年。ヤコビの論文「一般的考察」が公表されたのは1832年の「クレルレの数学誌」巻9。それから3年後の1835年の「クレルレの数学誌」巻13に論文「2変数4重周期関数」が掲載されました。アーベルの没後、この間、わずかに6年です。これで、解析学にヤコビ関数を導入しようとするヤコビの数学的企図がすっかり明らかになりましたが、このような状況を回想してあらためて思うのは、アーベルに寄せるヤコビの友情という一事です。ヤコビはアーベルの最大の理解者で、しかもヤコビ自身、創意に富むすぐれた数学者でした。
ヤコビはアーベルに会ったことはないのですが、クレルレを通じてアーベルの消息はよく承知していました。それと、ヤコビはディリクレと親しかったのですが、ディリクレはパリでアーベルに会ったことのある人物です。
 ついでに言うと、ヤコビとディリクレはリーマンの師匠筋にあたり、リーマンはこの二人の数学者に大きな影響を受けています。リーマンはガウスの晩年の学生でもありましたが、ガウスの数学上の継承者はアーベルでした。ガウスからアーベルへ。アーベルからヤコビ、ディリクレへ。このあたりの人と人のつながりが、19世紀のヨーロッパ数学史のもっとも深い部分を形作っています。
ここまでのところで紹介した2篇の論文のほかに、さらにもうひとつ、ヤコビには「アーベル関数ノート」という短篇があります。珍しくフランス語で書かれていて、「クレルレの数学誌」,第30巻(1846年)に掲載されましたが、183頁から184頁までのわずか2頁を占めるにすぎません。はじめサンクト・ペテルブルク帝国科学アカデミーの物理・数学部門の雑誌、第II巻、第7号に掲載されましたので、それでヤコビはフランス語で書いたのでしょう。
 この短篇については注記したいことがいくつもあります。まず、ペテルブルクの科学アカデミーに報告された日付のことですが、1843年5月29日と記録されています。その後、科学アカデミーの紀要に掲載され、それから「クレルレの数学誌」に転載されました。論文の表題に「アーベル関数」という言葉が見られますが、これは何を指すのかというと、ヤコビ関数のことにほかなりません。前に一度、「アーベル関数」という言葉に出会ったことがありましたが、それはアーベル積分を指していて、本当は「アーベル的超越量」と呼ばなければならないところでした。それに対し、今度のアーベル関数は正真正銘の逆関数ですし、これが数学史における「アーベル関数」の初出です。

近代数学史の成立110 積分値の多様さに由来する困難を除去すること

ヤコビの論文「2変数4重周期関数」の第8章には、超楕円積分の考察に向かうヤコビの心境が吐露されています。円積分や楕円積分の値はただひとつとは限らず、無限多価になりますが、その多価性の様式は逆関数の周期性という形で表明されます。逆関数が一価性を示すこともまためざましい性質です。ところが超楕円積分の場合には状勢が一変し、逆関数を解析関数と見ることはできないというのです。ここに「解析関数」という言葉が登場するのですが、定義が書かれているわけではありませんので、なんだか唐突な印象があります。ヤコビが言うには、「近年になって楕円関数の理論が建設されたが、その建設を支えていた一般的な方法はアーベル的超越量にはもはや適用できない」というのですが、ここで言われている「一般的方法」というのは逆関数に着目するという方法を指していると見てさしつかえありません。
 ヤコビはいきなりヤコビ関数に向かったのではなく、まずはじめに超楕円積分の逆関数x=λ(u)が多価性を示す様式を注意深く観察しました。そうして第4章から取り掛かって延々と精密な議論を重ね、第7章にいたってとうとうあるひとつの結論に到達しました。それは、「逆関数x=λ(u)をuの解析関数と考えることはできない」という事実で、まさしくこの点において、超楕円積分の理論は円積分や楕円積分とはまったく様相を異にすることになります。ヤコビはこの状況を「絶望的」とさえ言っています。
 円積分や楕円積分の場合でしたら、積分の上限xを指定するとき、積分の値が無限個になるとはいうものの、それらは離散的というか、周期的に配列されています。とこおろが超楕円積分の場合には、積分の取りうる値が連続的につながって出現します。ヤコビはこの状勢観察を指して、「関数はx=λ(u)は解析的ではない」と言い表しました。今日の複素関数論でも解析的な関数ということを言いますが、ヤコビの念頭にも「解析的な関数」という観念があり、それに言葉を与えると、おのずと今日の解析関数の概念が凝固してくるような感じもあります。
 ヤコビの言葉を続けると、「このほとんど絶望的な状勢において幸いにも生起する事柄がある」とのこと。それは前の論文、すなわち「アーベル的超越量の一般的考察」において、「まったく別の考察から出発して表明した特異な考察」を通じてヤコビ関数を導入することです。そうすることによってはじめて、「積分値の多様さから生じる困難を取り除くことができる」というのが、ヤコビの考察の帰結です。
 ヤコビの独創はヤコビ関数の導入という、その一事に凝縮されています。
 ヤコビ関数の導入に踏み切ったヤコビは、第9章に進むとヤコビ関数の性質の究明に向かいます。超楕円積分を考える場合、二つのヤコビ関数が目に留まりました。前の論文「一般的考察」ではそれらはx=λ(u,v), y=λ_1(u,v)と表記されていましたが、今ここで読み進めている論文「2変数4重周期関数」では
    x=λ(u,u’), y=λ’(u,u’)
と表記されていますので、以下、この流儀に従うことにします。
 ヤコビの究明の第一の帰結は、この二つのヤコビ関数は2次方程式
     Ut^2+U’t+U’’=0
の2根として認識されるという事実です。ここで、係数U、U’、U’’はuとu’の一価関数です。したがって、ヤコビ関数は2価関数であることになります。
 ヤコビの究明の第二の帰結は、ヤコビ関数は4重周期をもつという事実です。2変数関数ですから、周期性が4重になってもさしつかえありませんし、これで積分値が連続的に多様性を示すという困難は免れています。これで第10章まで進みました。

近代数学史の成立109 ヤコビ関数の4重周期性

これまでアーベル積分という用語を避けようとして「アーベル的超越物」という言葉を使ってきましたが、どうもあまりよいとは思えません。そうかといって今日のアーベル積分という言葉に統一するのもどうかと思い、ここに迷いがあったのですが、最近ふっと、「アーベル的超越量」とするのがよいのではないかと思い当たりました。「物」ではなく「超越量」。「超越的な変化量」という意味です。無限解析が「変化量とその微分」の世界から「関数とその微分積分」の世界へと移りつつある時代のことですし、ヤコビの念頭にあったアーベル積分の実体は依然として変化量でした。本当は「アーベル的超越変化量」とするといっそう正確になりますが、そこまでしなくてもよさそうに思いました。
楕円積分は「楕円的な超越量」で、「第一種の楕円的な超越量」の逆関数に対しては、それを「楕円関数」と呼ぶことをヤコビは提案しました。関数という言葉の使い方にも歴史がありますので、訳語の選定も安直にはできません。
というわけですので、ヤコビの論文のタイトルの邦訳は「アーベル的超越量の理論が依拠する2個の変化量の4重周期関数について」と変更することにしますが、この論文の第2、3、4章の三つの章を使って、「3重周期関数は存在しない」ことが証明されています。これも一般的考察の範疇です。
 単純周期関数と2重周期関数は存在しますが、3重周期関数は存在しえないことがこれでわかりました。ですが、これは1変数関数についてのことであり、変数の個数が増えると状況は一変します。このあたりの認識がヤコビの創意です。ヤコビはこう言っています。

〈2個よりも多くの周期をもつ多くの変化量の関数の例としては、私がアーベル的超越量に関する論文(「クレルレの数学誌」第9巻、394頁)においてはじめて考察した関数がある。〉

 「クレルレの数学誌」第9巻、394頁以下にはヤコビの論文「アーベル的超越量の一般的考察」が掲載されています。ヤコビがそこではじめて考察した関数というのは、ヤコビ関数にほかなりません。ヤコビ関数は2変数ですが、この関数は4重周期をもつとヤコビは言いたいのです。ヤコビは「だが、このきわめて重要な事例については、いっそう深く考察しなければならない」と言明し、それからヤコビ関数の4重周期性の確認作業を進めていきます。

近代数学史の成立108 周期関数の一般的考察

話がまた少し先走りましたが、ヤコビ関数にもどると、この関数には4重周期性が備わっています。実はさらにもうひとつ、ヤコビ関数は「2価性」という際立った性質を備えているのですが、これについては後述することにして、周期関数に関する一般理論を展開しようとするヤコビの論文「アーベル的超越物の理論が依拠する2個の変化量の4重周期関数について」を概観したいと思います。
 全部で11個の章で構成されていますが、第1章のテーマは二重周期関数の一般的考察です。どうして二重周期関数を考えるのかというと楕円関数があるからで、ヤコビは1929年の著作『楕円関数論の新しい基礎』において第一種楕円積分の逆関数を導入し、それを「楕円関数」と命名しました。
ヤコビはすでに二重周期関数の例を手にしていますので、そのような関数を一般的に考察しようというのですが、ヤコビの論述を順に追っていくと、まずはじめに周期関数の定義が語られます。ヤコビの記号をそのまま使うことにしますが、iは定数として、もし関数λ(u)に対して
     λ(u+i)=λ(u)
という等式が成り立つなら、関数λ(u)は周期的であるといい、iをこの関数の「指数」といいます。指数というのはヤコビの用語ですが、今日では普通に「周期」と呼んでいます。ところが、ヤコビ自身も「周期」という言葉を用いていて、「周期の指数」という言い方も見られます。言葉の使い分けに注意を要するのですが、ここでは「周期」と表記することにします。
 周期の中に「固有周期」と呼ばれるものがあります。たとえば正弦関数sin(u)の固有周期は2π、指数関数e^uの固有周期は2π√-1です。ヤコビは「そのいかなる部分も決して周期にならないような周期」のことを固有周期と呼ぶと言っていますが、その意味は、ここに挙げた二例によりおのずと諒解されるのではないかと思います。
 今、関数λ(u)は二つの周期i、i’をもつとして、これらは互いに還元不能とします。還元不能の意味も特に説明はいらないと思いますが、何というか、「二つの独立な周期」が考えられています。このとき、これらは通約不能です。これが二つの独立な周期のもつ第一の性質です。
 一般に二つの周期i、i’に対し、もし互いに素な二つの整数m、m’と、ある数Δを取って、
      i=mΔ、 I’=m’Δ
という形に表示されるなら、これらの周期i、i’は通約可能であるといいます。楕円関数の二重周期性をもたらす二つの周期は通約不能です。
 次に、独立な二つの周期i、i’の比i/i’は有理数ではありえないことを、ヤコビは示しました。そこから二重周期の一般形が帰結します。すなわち、一般的に表記すると、それらは
   i=a+b√-1、 i’=a’+b’√-1
という形の虚数になります。ここで、a、b、a’、b’は実数で、しかも
      ab’-a’b=0
ではありえないという条件が課されています。どうしてかというと、もしこの等式が成り立つなら、周期の比 (a’+b’√-1)/(a+b√-1)はa’/aに等しいか(aが0ではない場合)、あるいはb’/bに等しいか(bが0ではない場合。aとbがともに0になることはありません)のいずれかになりますが、いずれにしてもこの比は実数になってしまうからです。
  アーベルはルジャンドルが設定した第一種楕円積分の逆関数を考えて、その二つの独立な周期を探索しましたが、ひとつは実数で、もうひとつは純虚数でした。これは偶然のことではなく、二つの周期がともに実数になったり、ともに虚数になったりすることはありません。その背景にあるものを、ヤコビは取り出したことになります。これが一般的考察ということです。

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